色々な幸せの感覚がある中で、内的な気づきがあったときに感じる幸せに、該当するものはない。 それは、自分の存在の本質にふれるもので、存在のよろこびが鳴り響くものだ。 神のよろこびと言おうか、この自分を通して知りたいことを知る、回路のつながる、発見のよろこび。 たとえば物理的な経験を通して「初めての体験・発見」があったとしても、それは「興味深い」「面白かった」で終わることが多く、私が「内的な気づきがあったときのよろこび」と今書いてるものに、深さや質の満ちる感じが匹敵しないのだ。 内なる世界で得るこのよろこびは、自分が自分の存在にまた一歩近づいたときのよろこび、霞んだフィルターやunclearにかか…