私は現実を逸脱した認識実現の中で,理性を超越して揺らぎ続ける生活をしている.そんな中,少し面白いことがおきた.私は自己を,もはや現実には認めない認識体系を採用している.自己は逸脱した景色の認識そのものであり,さらにそうではない.あるとき,現実の土着の感情は自分のものではないというのが感覚的に理解されたような気がした.文章ではなんとでも言えたのでなんとでも言ってきたが,実際にそのように任意の論理的判断を超越して知覚されたのは今回が初めてであった. 見えている異常な景色が私自身だった.現実の認識全体はノイズでしか無い.私は現実において何もできなかった.苦痛の運命を変えることはできない.であるならば…