中臣鎌子連、中臣鎌足とも、字は仲郎、大和国高市郡人なり。 先祖を天児屋根命とす中臣氏の胤で、父は美気祐卿、母は大件夫人。
天智天皇八年冬十月の丙午朔庚申、藤原氏に改す。
その事蹟について、藤原仲麿撰の藤原家伝(大織冠伝とも)があります。
(614-669) 七世紀中頃の中央豪族。中臣氏。鎌子とも。不比等の父。中大兄皇子(のち天智天皇)らとともに蘇我氏を倒し、大化改新政府の内臣(うちつおみ)となって律令体制の基礎をつくった。藤原氏の祖。三省堂提供「大辞林 第二版」より
(614-669) 七世紀中頃の中央豪族。中臣氏。鎌子とも。不比等の父。中大兄皇子(のち天智天皇)らとともに蘇我氏を倒し、大化改新政府の内臣(うちつおみ)となって律令体制の基礎をつくった。藤原氏の祖。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
以前は墳活してブログへ画像UPしつつ備忘というのがルーティンでしたが、最近は動画編集してUPが主体になっています。そうすると当たり前なんですが時間がかかります。また、編集する際に解説パワポシートを作る必要があります。 結構面倒です(笑)。 今回の動画はほぼ1年前に訪問した際のもので、ようやく整理ができて公開する運びとなりました。年は越せないなと思っていたので何とかできました。 藤原鎌足の墓と言われる阿武山古墳です。 これがなかなか、当時の状況を踏まえて仕方ないと思える反面、残念な出来事なんですねぇ。 藤ノ木古墳なみの発見だと思うのですが、今現在は埋め戻されてしまって、手がかりは残された写真デー…
東京で藤原鎌足の伝説に出会えるなんて、驚きました。茨城県・千葉県にある古社、鹿島 神宮 ・香取 神宮 ・息栖 神社 など、東の守りである聖域に天智天皇の密命を受けて来たのかな?などと、妄想が進みます。平安時代の武将・藤原秀郷 も戦勝を祈願し、多くの武将たちの願いを叶えてきた神様。今はスポーツの勝利を勝ち取る祈願も多いよう。神様も人間にあわせて変化変容しているのも面白いところ。境内はゆったりとした空気です。 youtu.be
< 7世紀の人工物ってことですから1400年ぐらい前ですけど その役割は解ってないんですねえ > 奈良県明日香村の岡っていう地域にある酒船石が「岡の酒船石」「岡の酒船石」は江戸時代にはすでに見つかっていたらしいですね。 で、もう1つは「出水(でみず)の酒船石」大正時代に発見。 飛鳥川の畔、「岡の酒船石」の北西3キロメートルほどの出水っていう場所で、農家の人が2つ石造物を同時に掘り出したんだそうです。 今は「岡の酒船石」からほぼ真北に1キロメートルほどの、奈良文化財研究所飛鳥資料館、前庭に常設展示されているみたいです。でもコレ、レプリカだそうですね。 ホンモノの出水の酒船石は、京都市左京区南禅寺…
youtu.be 亀戸香取 神社東京で藤原鎌足の伝説に出会えるなんて、驚きました。茨城県にある古社、鹿島 神宮 ・香取 神宮 ・息栖 神社 など東の守りである聖域に天智天皇の密命を受けて来たのかな?などと、妄想が進みます。藤原秀郷 も戦勝を祈願し多くの武将たちの願いを叶えてきた神様。今はスポーツの勝利を勝ち取る祈願も多いよう。神様も人間にあわせて変化変容しているのも面白いところ。境内はゆったりとした空気です。
福岡県行橋市にある豊日別宮の近くに住む田中了一氏が、これに基づいて4冊の本を書きあげている。見事な推察だ。取り上げてみたい。 「古事記、日本書紀の編纂が行われた頃の編纂側の中臣氏や藤原氏は邪馬台国の位置と、女王卑弥呼のお墓がある場所までも正確に知っていたことは確かであります。」「昭和47年、福岡県行橋市大字草場(現、南泉7丁目)に鎮座している、官幣大神・豊日別宮より、歴史的に名高い古代大和の巨大豪族、大伴氏の古文書と共に、神官・大伴氏系図が発見された。」「官幣大神宮から発見された古文書によると、最祖神官・神牟根奈里(コウムネナリ)という名がみえている」「この人物は、6世紀29代欽明天皇(540…
訓読 >>> 93玉櫛笥(たまくしげ)覆(おほ)ふを易み明けていなば君が名はあれどわが名し惜しも 94玉櫛笥(たまくしげ)御室(みもろ)の山のさなかづらさ寝ずはつひにありかつましじ 要旨 >>> 〈93〉夜がすっかり開けてお帰りになったら、あなたには浮き名が立っても構わないでしょうが、私の名が噂に立つのは困ります。 〈94〉そういうけれども、お前とこうして寝ずには、どうしてもいられないのだ。 鑑賞 >>> 93は、鏡王女が内大臣・藤原鎌足卿に贈った歌。94はそれに答えた歌。女の歌が先あるのは異例で、おそらくこの前に鎌足の歌があったのだろうといわれます。藤原鎌足は元々は中臣氏の一族で、大化の改新…
おはようございます☂️☔️ 今日は久しぶりに夕方から大雨の予報です。 天気悪いと体のあちこち、昔骨折したところの痛みや偏頭痛などが出て来ますね😅 昨年暮れからずっと腰が痛いんですが、昨日12日はお義父さんの月命日でもう四年目になるけど、なるべく12日は仕事帰りに仏壇に手を合わせに行ってます。 最近はお義母さんが入院しててバタバタしてたので手を合わせてチンまでするけど線香まではあげてなく、昨日久しぶりに線香まであげて手を合わせたら急に腰が痛くなくなりました。 まぢか? ちょっとビックリです。 たまたまの偶然なのか分かりませんが違和感がなくなってますw ちゃんと見てくれてるんかなーって思いました。…
はじめに 明日香村上(かむら)の #氣都倭既神社(きつわきじんじゃ)境内は #茂古の森(もうこのもり)といわれる緑豊かな杜。#藤原鎌足 が #蘇我入鹿 の首に追われ逃げた森で「ここまではもう来ぬだろう」という呟いたのがその名の由来と伝わる 目次 気都和既神社(きつわきじんじゃ)※2022年11月上旬参拝 気都和既神社 境内 これぞパワースポット? 本文 気都和既神社(きつわきじんじゃ)※2022年11月上旬参拝 (34.463746162714806, 135.8475082955656)/奈良県高市郡明日香村上(かむら)172/石舞台古墳から2.5キロ(県道155号・多武峰見瀬線を東に車で5…
1 大化の改新発祥の地「談山神社」 今井町を発ち明日香村石舞台古墳を経由して、多武峰(とうのみね)に向かいました。 はじめに談山神社の由緒を要約します。『蹴鞠会で出会った中大兄皇子と中臣鎌足が、本殿裏山での極秘の談合の後、645年蘇我入鹿を討ち中央統一国家の偉業を成し遂げた。多武峰はこの後「大化改新談合の地」の伝承が残り、社号の「談山神社」はここから来ているそうです。 後、天智天皇は、鎌足公の病床を見舞い、内大臣という最高位を授け、藤原の姓を与えました。藤原氏の始まりです。その後唐より帰国した長男・定慧和尚が、十三重塔と講堂を建立し鎌足公の御神像を安置して談山神社が始まりました。』 先輩に勧め…
2022年10月30日(日)京都大学創立125周年記念京大ウィークス2022の一環として京大防災研究所・阿武山観測所が特別公開されていました。 観測所の塔今から92年前の1930年に創設された阿武山観測所。 20世紀前半のモダニズム建築の面影を今に伝える貴重な建物が、耐震・改修工事を経て、現役で使われています。 アールデコ調の照明や直線的な窓のシルエット。旧京都帝国大学の威光を感じさせる重厚感のあるデザイン。 建物内部窓の外の緑と調和した内部空間。今回の特別公開では、京大防災研究所が開発した電磁式地震計「満点地震計」の開発秘話や成果などの講演もあったようです。私たちは時間がなかったので講演はパ…
枚聞神社 枚聞神社の伝説 竜宮神社 枚聞神社 お昼を食べた唐船峡そうめん流しは、池田湖のそばにあります。 池田湖というと「イッシ―」がいたはず。 探しには行かず、お参りを続けます。 枚聞神社 薩摩国一の宮の「枚聞(ひらきき)神社」は、ご祭神が「大日孁貴命(おおひるめむちのみこと。天照大御神の別名)」で、他に皇祖神八柱を祀っています。 いつ創設されたかもわからないほど昔から信仰を集めて、三代実録(平安時代初期の歴史書)にも載っています。島津家は代々崇拝しています。 新緑がまぶしい 本殿の向こうに開聞岳が見えるはずなのですが 交通安全、航海安全、漁業守護の神として信仰され、島津家に入貢していた琉球…
鹿島の神は、タケミカヅチ。 自明のことと思われるが、何と古事記にも・日本書紀にも、常陸風土記にも鹿島の神が「タケミカヅチ」だとは記されていない。 いつ頃鹿島の神が「タケミカヅチ」と書物に書かれるようになったのか。その書物は、何と言うのだろうか。 狛犬 常陸の国風土記の那賀の香島大神 p41 ・風土記は和銅6年713年の中央官命に基づく ・純漢文体 ・藤原の宇合(不比等の子・鎌足の孫)と ・高橋虫麿が完了 風土記は、和銅6年の中央からの命令で各国でつくられた。常陸の国も、この命令によって常陸風土記をつくった。 常陸風土記の完成に、深く関わったのが、藤原鎌足の孫で不比等の子で藤原式家の祖となった宇…
鹿島社と中臣鎌足 P17 神武天皇 鹿烏社と藤原氏の関係は深く、 始祖である中臣鎌足の出生地について 大和国高市郡大原説と 常陸国鹿島説がある。 いずれも特定するに至っていない。 丁未の乱(ていびのらん)で物部本家と、中臣系多氏の本家は衰退してしまう。これを考えたら、中臣の本流は、有るときから常陸流の中臣系多一族が中心となったと私は思う。 だが、藤原鎌足の生まれは「大和国高市郡大原説」が主流だという。ちょっと納得できないが、現時点では資料が足りないか…。 大和国高市郡大原説 『大職冠伝』に鎌足は高市郡の人 御食子の長子 母は大伴夫人 豊御炊天皇(推古天皇)22年(614年)に 藤原第で生まれた…
香島郡の建郡と社殿の建築について p11 香島郡の条 古い翁が言うことには、 難波の長柄の豊前のおおみやに(大朝) あめのしたしろしめししスメラミコトの世 ツチの酉の年 大乙上中臣の○○子、 大乙下中臣部の兎子ら、 惣領高向のオオマエツギミにこいて 下総の国 海上の国造の部内 軽野より以南の一里 那珂の国造の部内 寒田より以北五里とを割きて、 別に神のコオリを置きき そこにいませる所の天の大神の社 坂戸の社・沼尾の社、三所を合わせて、 すべて香島の天の大神という よりて郡に名づく 風俗のコトバに 現れふる香島の国という 「香島郡の条」に、鹿島社は、三柱の神が習合して成ったことが書かれている。 …
さてさて、今まさに桜が満開の時期ですな。あっちの桜にこっちの桜と・・・桜が散るまでにどれほど絶景スポット巡りができるか。毎日毎日忙しいというわけです。 で、関西のあちらこちらで気象庁から桜が満開との発表がある週末。そうなると当然、沢山の人が出かけるわけで、あっちの道、こっちの道と大渋滞。いや~どこに行くにも表通りは渋滞だらけで裏道を駆使しつつ今日もお花見バイクツーリング。 広大な菜の花と桜のツーショットが撮れる藤原京跡の菜の花畑へ 明日香村の石舞台古墳へ 明日香村ののどかな情景 広大な菜の花と桜のツーショットが撮れる藤原京跡の菜の花畑へ さてさて、やってきたのは奈良県橿原市にある藤原京跡。藤原…
こんにちは。くましね薫です。 天皇の系譜の8回目です。 kumashine369.hatenablog.com kumashine369.hatenablog.com 前回は、なぜ藤原鎌足が蘇我氏を滅ぼしたかについて考察していきました。 kumashine369.hatenablog.com 現在の天皇は継体天皇から続く系譜です。継体天皇は、出雲王家の富家から蘇我家に婿入りしました。 つまり、出雲王家の血を継ぎながら蘇我家の家柄を継ぐ者です。 kumashine369.hatenablog.com そんな天皇の側近に蘇我氏が就いてしまったら、天皇に権力が集中してしまいます。 それを恐れた中臣(…
こんにちは、くましね薫です。 天皇の系譜シリーズの7回目です。 kumashine369.hatenablog.com kumashine369.hatenablog.com kumashine369.hatenablog.com kumashine369.hatenablog.com 前回は、なぜ崇神・垂仁天皇は出雲の神を恐れたのかを考察してきました。 kumashine369.hatenablog.com 今回は、なぜ藤原(中臣)鎌足は「乙巳の変」で蘇我氏を滅ぼしたのか、考えていきたいと思います。 乙巳の変 - Wikipedia 乙巳の変が起きる以前の飛鳥時代は、蘇我氏隆盛の時代でした。…
2014年8月30日第1刷発行 奈良の金光明寺(のちの東大寺)で大仏開眼供養が盛大に行われた。高さ52尺(約16メートル)、御顔の長さ16尺(約5メートル)の大仏は、華厳経が説く蓮華蔵世界の中心的存在であり、世界そのものを象徴する盧舎那仏である。皇太后光明子(こうみょうし)が夫聖武太上天皇(45代天皇)と娘孝謙天皇(46代女帝)と参内した。2年後、鑑真和上を呼び寄せて受戒した。聖武太上天皇が崩御すると、淳仁天皇が即位した。朝廷の権力は仲麻呂が握った。皇太后は僧正に悪臣を誅する呪術を相談すると、目の前に道鏡が現れた。皇太后が安宿媛(やすかべひめ)と呼ばれていた子供の頃に場面が変わる。父は藤原鎌足…
神在月 出雲大社 |「縁結び」の地、出雲に八百万の神々が集まる! 第2回 |「大国主大神はどんな神様?」 - 石の音ブログ こんにちは。 くましね薫です。 以前考察した「天皇の系譜」シリーズの続編です。 kumashine369.hatenablog.com この考察では、天皇は「万世一系」ではないという仮説を立てました。 kumashine369.hatenablog.com 現在の天皇は第26代継体天皇から始まる「蘇我氏」の系譜です。 そして継体天皇は「出雲王家」の「富家」から蘇我氏に婿入りしました。 kumashine369.hatenablog.com つまり現在の天皇家は、出雲王家の…
泉が予備校生から大学生になるころは、吾妻ひでおがブームになったり、大久保康雄訳のナボコフ『ロリータ』が新潮文庫に入ったり、『ミンキーモモ』や『コロコロポロン』がアニメになったりして、ちょっとしたロリコン・ブームだった。それが数年後に、宮崎勤の事件が起きて、特に少女に悪いことをしたわけではない単なる趣味のロリコンまでが白い目で見られるようになった、というのが一般的な世相史の見方である。 だが、現実はそれほど苛酷ではなく、その後も少女ヌード写真集は刊行され続けたし、むしろそれらが違法とされた今世紀に入ってからのほうが、事態は苛酷になっていった。「ロリコン」という語には、まだかわいげがあったが、それ…
~隋書が、魏志倭人伝から邪馬台国を削除していた~ 2024.3.18. 殿岡 誠一郎 魏志倭人伝によれば、邪馬台国は「山島」にあった。この「山島」こそが、倭人伝のキーワードであった。このキーワードをもとに、邪馬台国探求の旅が始まる。邪馬台国は、九州の北部沿岸にある“山”の麓にあったのだ。しかも、倭人伝にいう邪馬台国は、後世の中国の正史からは完全に無視されている。倭人伝が邪馬台国としたのは、邪馬台という地名の誤記または誤認、だった。 一方、中国歴代の正史は、各時代の日本の都の所在地を示していた。外交関係を結ぶためには必須の情報であるから当然であるが、それにとどまらず、中国の史書は、日本の歴史をそ…
「異郷譚」の四番目に取り上げるのは「富士の人穴草子」です。前半は異郷譚っぽいのですが、後半は地獄めぐりの様相です。地獄は異郷とはいえませんね。刊本写本も多く有名な話なので紹介するまでもないのかもしれませんが、お付き合いください。 原文は「室町物語大成 富士の人穴の草子 346」を漢字や仮名遣いを適宜改めて載せました。「大成」の「富士の人穴草子 347」(以下347と略します)「富士の人穴 474」(以下474と略します)、信州大学小谷コレクションの「富士の人穴草子(三種)」(以下小谷と略します)を参照しました。 その1 頃は正治三(1201)年卯月三日、辰の刻に二代将軍左衛門督源頼家殿は、和田…
「藤」がつく苗字の由来は、主に以下のようなものがあります 藤原氏 多くの「藤」を含む苗字は、飛鳥時代の藤原鎌足を祖とする藤原氏に由来しています。藤原氏は奈良から平安時代にかけて朝廷で権勢を誇り、多くの公家や貴族が「藤原」の名を冠していました。しかし、区別のために地名や職業と組み合わせた名字が作られていきました。 地名や職業との組み合わせ 例えば、「伊藤」は伊勢の藤原、「加藤」は加賀の藤原、「斎藤」は斎宮頭(さいくうのかみ)という職業が由来となっています。 平民名字必称義務令 明治時代に行われた平民名字必称義務令によって、新たに「藤」を含む苗字を名乗る家も出てきました。これにより、「藤」を含む苗…
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回お参りさせていただいた遠江の神社は浜松市中央区にある県内で唯一『志那都比古神(しなつひこのかみ)』と『志那都比売神(しなつひめのかみ)』を祀る神社『息(おき)神社』です。
3月1日から6日までの、大分県中津市での高校同窓会、北九州市小倉でのシンポジウム、京都・奈良・京都の仏閣巡りの強行軍を終えました。今回の収穫の一つは、仏閣は建立者がいる人物記念館だったという発見です。 奈良の興福寺は藤原鎌足・不比等。東大寺は聖武天皇。法隆寺と中宮寺は聖徳太子。京都の東寺は空海。西本願寺は親鸞。金閣寺は足利義満。銀閣寺は足利義政。清水寺は坂上田村麻呂と大西良慶。 さて、本日の午前は立川のオステオパシーで体を整えてもらいました。土曜日のヨガと合わせて、完全リセットになります。 午後は留守中の各種依頼への返信、振り込みなどの雑用を片づけて、夜は知研「イコール」編集会議で、都築さん、…