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つらつら津々浦々

2017-09-12

2017年鑑賞映画 感想リスト/21-30

| 16:19

不思議惑星キン・ザ・ザゲオルギー・ダネリヤ監督、1986)……1980年代モスクワ。異星人と名乗る男に声をかけたマシコフとゲデバンは、その男が持っていた移動装置によって宇宙の彼方にある砂漠の惑星へと転送されてしまう。通りかかった小型船から降りてきた現地人たちは人間とそっくりだったが、彼らは「クー」としか喋らないのであった。果たしてマシコフたちは地球へ戻れるのか──崩壊間際のソ連製コメディSF

なんとも不思議な映画だった。基本的なプロットは見知らぬ惑星からの脱出劇なので、状況としてはたいへん緊迫しているはずなのだが、そのリズムと展開は非常にまったりとしたオフビートな笑いを醸しつつ、なんとも心地よく進む。それでいて本作が決して退屈ではなく、なにより公開当時ソ連で大ヒットしたのは、やはりSFという物語設定のそこかしこに、国内外に向けた様々な寓意や皮肉が暗に込められているにほかならない。ともすれば、よく本国で公開できたものだと思う。すべての冒険の果てに主人公たちに残された、ほんのちょっとしたものを観たとき、なにを思うだろうか。クー!


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『T2 トレインスポッティングダニー・ボイル監督、2017)……仲間たちを裏切って1万2000ポンドを持ち逃げしたマーク・レントンは、逃亡先のオランダから20年ぶりに故郷エディンバラに戻ってきたが、すでに母は他界し、実家には年老いた父がひとりで暮らしていた。一方、かつて仲間だったスパッド、サイモン、そしてベグビーは、未だに悲惨な人生を送り続けていた──1996年から21年を経て登場した、まさかの続編。

爽快さと陰鬱さに揺れ動くカラフルでフィルムグレインにざらついた画をつなぐテンポのいい編集で、年を取ったオリジナル・キャストが例のなまりのキツい英語でまくし立てるあの感じが、なんとも懐かしいなぁと郷愁に浸っていたら──前作を実際に観たのは、およそ10年前だった──映画が進むにしたがって、胸を掻きむしりたくなるような感情が溢れてきて止まらない。エンドロールへいたる1ショットに集約される、そのあまりの苦々しさに「ぎゃああっ」と叫びそうになるのを、いまは紳士的に耐えている。かろうじて。

唯一の救いは本作が、前作でも聖愚者としての役割を大いに担っていたスパッドの成長譚としての性格を持っていたこと。スパッド、おまえ本当にいいやつだもんな!


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名探偵コナン 純黒の悪夢(ナイトメア)』静野孔文監督、2016)……ある夜、警視庁の極秘データを閲覧していた何者かが逃亡し、その行方をくらましてしまう。翌日、リニューアル・オープンした東都水族館にやって来た江戸川コナンたち少年探偵団の一行は、何らかの原因で記憶喪失になったらしいオッドアイの女性と出会う。彼女の所作の端々に感じられる“黒の組織”の気配に灰原哀は感づくが──劇場版シリーズの第20作目。

昨年なんとなく「劇場版だけでも観ておけばなんとかなるだろう」と安易に思い立って、19作目までの未見作品を全部観たのけれど、所詮は付け焼刃だったことをひしひしと思い知ったような気がしないでもない。アバンの格闘アクションからカー・アクションは『ワイルド・スピード』シリーズもかくやでぶっ飛んでるし、『名探偵コナン』を観ているかと思ったらジェット・リーとユン・ピョウが観覧車の上でカンフーを始める(錯乱)し、阿笠博士の発明品は万能過ぎるしで、なにがなにやらを通り越して愉快千万。無理にでもレギュラー陣は登場させようという努力はじつに涙ぐましい。

本作の唯一の欠点は、舞台が水族館である必然性がまったくなかったこと。水によるディザスターが巻き起こるでもなく、イルカに乗って犯人を追うでもなく──って、これならトロピカルランドでよかったんじゃないかしらん。


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ターザン: REBORN』デヴィッド・イェーツ監督、2016)……19世紀末。ジャングルのゴリラに育てられた野生児“ターザン”として伝説化していたジョン・クレイトン卿と彼の妻ジェーンは、米国特使であるウィリアム博士とともに、ベルギー国王レオポルド2世から領国であるコンゴ自由国への視察に招聘される。しかし、その裏ではコンゴとジョンをおとしめんとする陰謀がうごめいていた──エドガー・ライス・バローズによる『ターザン』シリーズの後日譚的作品。

本作は、前半が妙にもたついていたり、アクションにおける決定的なショット(キメの画)がどういうわけかことごとく抜け落ちていたり、クライマックスにおけるターザン野生動物連合軍との共闘も各種動物にもうちょっと個性的な見せ場──そも、ゴリラたちの印象がここでもっとも薄いのは致命的だろう──があってもよかったんじゃないかしらんと思ったり……など、昨今の大作アクション映画としては絶妙に煮え切らない部分も多い。

しかし一方で、本作の物語は、かつての列強国(白人)による第三世界(黒人等人種的マイノリティ)への差別搾取に対する落とし前を、フィクションだから可能な誠実さを持って描き出そうといるのが興味深い。アレクサンダー・スカルスガルド演じる高貴で野蛮な白人ターザンとサミュエル・L・ジャクソン演じる先進的で文明的な黒人ウィリアム博士──まあ正直、ウィリアム博士の正義感あふれるキャラクターによって、米国における黒人搾取の歴史がなんとなく不問にふされている感がなくはないが、その彼ですらインディアンの殺戮には加担した過去を悔いる発言をさせていたりと、なるべく公正なバランスを保とうと重層的にコンテクストをめぐらせているとは思う──が、相棒となってゆく展開が象徴的だ。


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『ダークスカイズ』(スコット・スチュワート監督、2013)……郊外の住宅地に暮らすバレット一家。レイシーは転職活動中の夫ダニエルと、ふたりの幼い息子ジャシーとサムを支えながら、仲睦まじく暮らしていた。ところがある夜から家のなかで不可解な現象が頻発し、末っ子のサムにも異変が起こりはじめる。「サンドマンがやって来るんだ」と言って怯えるサムに、不安を募らせるレイシーだったが──監視カメラ設置型ホラー・サスペンス。

パッケージとコピーだけを見て、勝手に幽霊屋敷系ホラーと思っていたら、巻頭言がまさか亡くなるとは思いもしなかった作家の筆頭であるSFの巨匠アーサー・C・クラークのものであり、なにを隠そう本作は、ちょっとスレンダーマン風味のグレイの造型もな無気味なエイリアンアブダクションものなのでした。開幕早々、「あら! そっちなのね」と巻頭言で驚かされるというは新鮮な体験だった。

ジャンル的ツイストでの驚きを巻頭言によって自ら排しながらも、本作は予兆から発現、対峙するクライマックスから最高に後味の悪いラストに至るまで、その恐怖演出積み重ねが堅実で、見応え充分。とくに後半、家族がどんどん地域社会から孤立してしまう展開がヒリヒリとした緊張感を煽りつつ、クライマックス直前での家族の幸せな会話に繋げるという展開が素晴らしい。監視カメラ設置のくだりも適材適所といった使われかたで、決してダレることはない。かつて中2病がゆき過ぎてしっちゃかめっちゃかになってしまったかのような映画を撮っていたスチュワート監督とは思えない手腕に驚かされる。欲をいえば、ラストのJ・K・シモンズの表情に、もう少し含みがあってもよかったのじゃないかしら。


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バイオハザード: ヴェンデッタ(辻本貴則監督、2017)……対バイオテロ組織“BSAA”のクリス・レッドフィールドは、自らの復讐のために大規模なバイオテロを画策する国際指名手配犯グレン・アリアスを寸でのところで逃してしまう。クリスはかつてのS.T.A.R.S.の仲間であるレベッカ・チェンバース教授と合流し、アリアスの陰謀を砕くべくレオンケネディに協力を求めるのだが──ゲームの設定を継承したフルCGアニメーション映画シリーズ最新作。

制作スタジオの変更や、製作総指揮に清水崇を置いたこともあってか、前2作よりもゴア表現が格段に増加。画面を舞う血飛沫、欠損する身体など、おためぼかしなしで大盤振る舞いである。また、辻本監督お得意のコンバット・アクションを駆使した殺陣も満載で、全篇にもりこまれた種々のアクション・シーンは、そのゴア描写ともあいまって演出がノリにノッていて楽しい。

しかし本作でも前2作と同様にその他のドラマ部分への甘さが健在で、絶妙につまらない。全体的にテンポが奇妙に悪く、なにより展開の──物語の筋そのものはともかく──積み重ね方に脈絡が足りていないため、楽しいはずの恐怖&アクション・シーンにもノイズを残してしまっているのが残念。プロット構成や編集をもっと精査すべきだった感は否めない。もったいないなあ。


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LOGAN/ローガンジェームズ・マンゴールド監督、2017)……謎の原因によってミュータントが絶滅寸前となった2029年。かつて不死身の“ウルヴァリン”として知られたローガンもまた日に日に衰弱し、いまは乗り合いリムの運転手として糊口を凌ぎつつ、キャリバンとともに“プロフェッサーX”ことチャールズ介護しながらメキシコ国境に程近い廃墟に身を隠していた。ある日、見知らぬ女性から「とある少女をカナダ国境まで乗せてほしい」という依頼が舞い込んでくる。その少女ローラこそ、絶えて久しいと思われていたミュータントの新世代だという。いぶかしむローガンのもとに、謎の武装集団の影が迫っていた──『X-MEN』シリーズ最新作。

数あるアメコミ・ヒーローの実写映画化と一線を隔するような本作の予告編をはじめて観たときから楽しみにしていた。たしかに、シリーズものゆえの取っつきにくさがあるし、語り口が妙にまごついたり、明らかにサスペンスのためのサスペンスにしかなっていないシーンもあるし、処理しきれていない登場人物たちも多かったりと、全体的にみたときマズい部分も少なくない。あまりに出来すぎの動画メッセージには、その内容はともかくちょっと苦笑してしまった。

しかし、本作を形作る様々な素材の見事な素晴らしさが、それらを補って余り得る。長年にわたってウルヴァリンとプロフェッサーXを演じたヒュー・ジャックマンパトリック・スチュアートの老いさらばえた演技、ミュータントの少女ローラを演じたダフネ・キーンの眼差しひとつで画面をさらうソリッドな魅力、本作と同じく20世紀フォックス制作でR15指定を受けたマーベル・フランチャイズデッドプール』(ティム・ミラー監督、2016)の成功なくしてはあり得なかったであろう重く凄惨な暴力描写西部劇の傑作『シェーン』(ジョージ・スティーヴンス監督、1953)と聖書的骨子を援用しつつ語られる『X-メン』そのものへの内省と昇華の物語、そして映画的としかいいようのないラストショットの美しさ……と、枚挙に暇がない。エモーショナルで力強い魅力に満ちた本作を、ぜひ見届けたい。


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怪盗グルーのミニオン大脱走カイル・バルダピエール・コフィン監督、2017)……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20170810/1502325511


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『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』新房昭之総監督、武内宣之監督、2017)……夏休み真っ最中のとある海辺の町。中学1年生の典道と祐介は親友同士だったが、それぞれが想いを寄せる同級生のなずなが2学期から転向することなど知る由もなかった。折りしも町の花火大会の日、学校のプールで競争する典道と祐介を見かけたなずなは、親への反発から、勝ったほうと駆け落ちしようと、密かに賭けをする──岩井俊二による同名ドラマ(1993)を長編アニメ化。

原作のTVドラマもおろか、まったくの予備知識なしで観たけれど、興味深い作品だった。コントラストの強めな美しい色合いの映像に表れる広角レンズの多用による丸く歪んだ画面や、校舎や風車といった円形の意匠と運動、明らかにスティーヴ・ライヒミニマル・ミュージックを模した劇伴などなど映画全体に施された円環構造的な仕掛けが、繰り返す1日の物語を駆動させていて面白い。ただ、キャラクターの外部に強迫観念的に施される意匠ゆえに、そうとなれば彼/彼女たちの着る制服は、もっと没個性的なものでもよかったのではないかと、思わなくもない。

しかし、本作が僕の心をとらえて放さないのは何故なのだろうか? それは、本作に不思議な開放感に溢れているからではないか。本作が一種タイムトラベルSFであることから早速引き合いに出されているらしい昨年公開の『君の名は。』(新海誠監督、2016)と本作をあえて比較したとき、前者が収束する物語、後者は拡散する──「どっちだっていい」──物語という区分けが可能であろう。ラストの花火とは、誰もが必ずや被る収束そのものからの解放にほかならない。なんとなれば、おそろしく純情でリリカルな『8 1/2』(フェデリコ・フェリーニ監督、1963)をみせつけられたようで、ちょっとした感動を覚えている。


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『新感染 ファイナル・エクスプレス』ヨン・サンホ監督、2016)……ファンドマネージャーのソグは、妻と別居し、年老いた母と、娘スアンとともにソウルに暮らしていた。仕事ばかりでスアンをまったく省みていなかったソグは、娘が誕生日になにを欲しがっているのかもわからない。「釜山のお母さんに会いに行きたい」というスアンの願いに、一度は「仕事があるから」と渋るソグだったが、翌朝ふたりの姿は高速鉄道KTX101列車にあったのだった。出発の時間が迫るなか、不穏な影がソウル駅構内を駆け巡っていたとも知らず──世界的に高い評価を得た韓国ゾンビ映画

観終わったあと、思わず「完璧か」と呟いてしまった。完璧。やがて韓国を覆うゾンビパンデミックが走り出した列車の窓の外でフッと現実になる序盤のシーンからはじまって、フレッシュでかつ豊富なアイディアをこれでもかと詰め込んだゾンビがらみのシーンは、どこをとっても素晴らしい。KTX車内という閉所と、駅舎やその敷地といった開けた空間のどちらにもゾンビがらみの見せ場を用意した横移動あり、縦移動ありのメリハリの効いた展開は、観る者を飽きさせず、スクリーンに釘付けにして放さないだろう。

同時に、このゾンビパンデミックをとおして描かれる物語もまた素晴らしい。仕事と金のことばかりで娘だけでなく他人をまったく省みなかったダメ人間ソグが、ゾンビたちの襲撃や生存者たちとのやり取り、そして、すがすがしいほどのクズ人間との対決を経るなかで、すこしずつ父として、人間として成長してゆく姿は感動的だ*1。彼だけではない。このKTXに乗り合わせたすべての乗客が、この災厄のなかでそれぞれに成長し、あるいは退行してゆく。本作におけるKTXは、人生の縮図そのものにほかならない。まさに「人生という名のSL」である。

ゾンビものとして、乗り物パニックものとして、この上ない大傑作だった。

*1:演じたのは、『トガニ 幼き瞳の告発』(ファン・ドンヒョク監督、2011)で、どんな状況でも誇りと正義の心を失わない教師を演じたコン・ユ。

2017-08-10

『怪盗グルーのミニオン大脱走』(2D日本語吹替え版)感想

| 09:38

カイル・バルダ、ピエール・コフィン監督。晴れて結婚したグルーとルーシーの前に、新たな敵バルタザール・ブラットが現れる。1980年代ファッションに身を包んで奇抜な犯罪を繰り返すバルタザールを取り逃してしまったグルーとルーシーは、新たに“反悪党同名”局長となったヴァレリーから解雇されてしまう。そんなとき、グルーに生き別れた双子の兄ドルーがいることが発覚。ドルーは父の志を継ぎ、天下の大悪党になることを夢見ており、グルーに手ほどきを求めてきたのだった。一方、グルーの相棒であるミニオンたちは、いよいよ甲斐性なしとなったグルーに愛想を尽かし、家出をしてしまう……。イルミネーション・エンターテインメントによる人気シリーズ第3作。


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今年観た100本目(ソフト含む)は、本作でありました。それはそれとして……

中身は子供のまま中年になってしまった悪党のグルーが、ひょんなことから3姉妹を養女にもらったり、最愛のパートナーとの出会うことで大人へと少しずつステップアップする姿*1を、スラップスティックなギャグや細かすぎて伝わらないパロディをまぶしながら描いた前2作──『怪盗グルーの月泥棒3D』(ピエール・コフィン、クリス・ルノー監督、2010)、『怪盗グルーのミニオン危機一発』(ピエール・コフィン、クリス・ルノー監督、2013)──は、まさに笑いと感動のエンタテインメントと呼ぶべき上質な傑作群であった。

本作はそれらに続くパート3だったわけだが、残念ながら前2作と比べると見劣りする出来となってしまった。もちろん、キャラクターや小物、背景に至るまで整地に描き分けられたCGアニメーションの質感や荒唐無稽で楽しいアクション、次から次に出される笑いの要素、グルーたちの辿る顛末……どれも素晴らしい。少なくとも観ていて飽きないし、笑えるし、しんみりもする。ただし、シーンごとでは。

そう、本作はシーンごとの出来はたしかによいのだが、それが文字どおり“その場凌ぎ”に留まっており、それぞれのピースが有機的に噛み合わずにバラけたまま、映画が終わってしまうのだ。おそらく本作の問題とは、あまりにサブ・プロットの枝を生やしすぎたことにある。一応の物語の根幹である「グルーとルーシーがいかに復職するか」という件に、「グルーの分身(=ドルー)との対峙」、「グルーの次世代(=バルタザール)との対峙」、「ルーシーの新米ママとしての葛藤」、「3姉妹のちょっとした成長葛藤」、そして「ミニオンの脱走」などなど盛りに盛っている。これらで描かれた要素を、もっと取捨選択し整理する過程が、もう1歩必要だったのではないか。


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もっとも手っ取り早いのは、登場人物の統合であろう。

前2作、そしてスピンオフの『ミニオンズ』(カイル・バルダ、ピエール・コフィン監督、2015)で描かれたとおり、グルーやミニオンは1960〜1970年代(カウンター・カルチャー)的価値観の体現者であり、本作においては、その仮想敵として“1980年代なるもの”が想定されている。反悪党同名の新局長ヴァレリーのボティコン姿、物質主義的なドルー、そしてマイケル・ジャクソンら’80年代ポップスをBGMに盗みを働くバルタザールと、グルーと対峙することになる人物は皆、彼の次世代的価値観に生きる人物たちだ。

極論すれば、ヴァレリーの役割は前作から登場するラムズボトム局長となにひとつ変わっていないので不要であるし、ドルーとバルタザールについては、いっそ彼らを統合した“ひとり”の敵キャラを立てたほうがよかったのではないだろうか。こうすれば、グルーたちの主たる対峙者は、これまでどおりひとりになるので、だいぶスッキリして、物語のまとまりも出るのじゃないかしら。


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もちろん本作は、前述のとおりシーンごとでは、どれも高いクオリティを有しており、一概にダメな映画というつもりはない。日本語吹替え版における、近年のディズニーとは比べる由もない映像の徹底的なローカライゼーションも見所だ。暑い日の続く夏、いっときの清涼剤として、映画館に出かけてみてはいかがだろうか。

*1:その意味において、オリジナル版を演じたスティーヴ・カレル──なんてたって『40歳の童貞男』(ジャド・アパトー監督、2005)だし!──は、これ以上ないキャスティングの妙だ。キャラクター・デザインにおそらくはドイツドラキュラである「ノスフェラトゥ」を模したであろうグルーに訛り演技を加えた声は非常に合っている。 ▼もちろん、笑福亭鶴瓶らによる日本語吹替え版の出来も全然悪くないよ。“欽ちゃん”こと萩本欽一がウォレスをアテたときのようなミラクルがある。

2017-04-18

2017年鑑賞映画 感想リスト/11-20

| 18:29

ラ・ラ・ランドデミアン・チャゼル監督、2016)……偶然の出会いと再会を果たした女優志望のミアと、ジャズピアニストのセブ。お互いになかなか芽の出ない厳しい現実のなかで、ふたりはいつしか恋に落ち、互いを励ましながら夢に向かって奮闘するが──現代に蘇った本格的ミュージカル映画

主人公のふたりを演じたライアン・ゴズリングエマ・ストーンや、数多のパフォーマーたちのダンスと音楽、そしてシネマスコープいっぱいに拡がる総天然色が、マジックアワーが、暗く沈んだ影が、この上なく美しい。その大胆で微細な色彩で描かれる人生の甘く、そしてほろ苦い機微に涙する。人生はハリウッド黄金期のミュージカルのようにはいかないかもしれないが、しかしそれもまた人生だと、ラストの大団円で心のすく思いがした。


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アサシン クリードジャスティン・カーゼル監督、2016)……人間の自由意思を支配できるという“エデンの果実”を巡り、“アサシン教団”と“テンプル騎士団”の長きに渡る暗闘に巻き込まれたカラム・リンチ。彼はテンプル騎士団の研究所にて、先祖の記憶をたどる仮想現実中世スペインで行方知れずとなったエデンの果実を捜索するが──人気ゲームの映画化。

ゲームの実写映画化として久々の当たり作品といっていいだろう。近未来SF中世スペインという両極端なデザインが同時に観られて実に楽しい。中世スペインのシーンではきちんとスペイン語(英語字幕)となるこだわりもすばらしい。ただ、殺陣とパスクールを活かしたアクションそのものはいいものの、カット割が短か過ぎるのが難点か。もっとじっくり観たかった。


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アイアムアヒーロー佐藤信介監督、2016)……漫画家アシスタントとして最低な日々を送る35歳の鈴木英雄は、異形の姿に変貌した恋人に襲われかける。辛くも逃げ出した英雄は、街全体が異形の者によって変貌し大混乱をきたすさまを目の当たりにする──花沢健吾による同名漫画を実写映画化。

遅ればせながら観たが、もう、見事……というほかないよ。見事。アクション・シーンの面白さ、造型の生々しさ、そしてゾンビ映画としての見せ方など、これだけの質を全方位に保った映画は、このジャンルに限っても久しぶりじゃないかしら。とくに白眉は、前半のゾンビが街に溢れ出すシーンだろう。鬱屈とした日常から、最悪の非日常への転換と展開は何度でも観たくなるだろう。あえて不満をいうなら、主演の大泉洋が役にあまりにハマりすぎていて──もちろん、それはいいことだが──始終どこからともなく『水曜どうでしょう』名物のディレクター陣の笑い声が聞こえてくる気がしてならなかった点くらいだ。必見。


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クリーピー 偽りの隣人』黒沢清監督、2016)……大学で犯罪心理学を教える元刑事の高倉。郊外の一軒家に引っ越し、妻・康子との穏やかな新生活をスタートさせるのだったが、隣人の西野の不可解な言動にやがて振り回されてゆく──前川裕のベストセラーを実写映画化。

引越し先の隣人がなんだかおかしい本作は、タイトルどおり心底気味が悪い。キャストの文字が格子に囚われたかのようなオープニング・クレジットからしてすでに恐ろしい。絶対的な他者として一切のコミュニケーションを拒絶するかのような香川照之のなんとも知れぬ演技の間、超然と移ろう照明、圧迫感のある画面──と、すべてが不穏。同時に『降霊 KOUREI』(同監督、1999)などに通ずる、夫婦についての映画なんですね。


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『ライト/オフ』(デヴィッド・F・サンドバーグ監督、2016)……母親との不和がもとで実家を飛び出し、ひとり暮らしをしていたレベッカは、怯える弟から「電気を消すと、なにかが来る」と悩みを打ち明けられる。その“なにか”の影は次第にレベッカたににも忍び寄ってくる──サンドバーグが2013年にネットに投稿した短編映画を長編化したホラー。

電気を消すと、さきほどまでなにもいなかった空間に影法師が立っているという画の見せ方──この画を1ショットで見せるというアイディアの勝利としかいいようがない。そこに影法師が見えるが、電気をつけるとやはりいないと思って再び電気を消すとそこには……という緩急も含めてとにかく怖い。実生活に影響がでてしまいそうである。本作が80分でよかった。これ以上続いていたら、恐怖で死んでた。まあ、もともとは本編の幕切れ直後に続いたはずの未使用エンドを含めて90分の計算だったのだろうけれど、あまりに蛇足感あふれるものだったので、バッサリ切って正解だったね。


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『アナザー』ジョアン・スファール監督、2015)……引っ込み思案な社長秘書ダニーは、社長家族が旅行に出たのをいいことに社長の新車を勝手に拝借、南フランスに“はじめての海”を目指すドライブとしゃれ込んだ。しかし、行く先々で人々は彼女の姿を昨日見たという。困惑する彼女のもとに、謎の影が付きまとう──セバスチアン・ジャプリゾのミステリー『新車の中の女』を映画化。

邦題邦題だけに、例の呪われた学級崩壊を連想してしまいがちだが、本作はそういう作品ではない。なんというのか、ヒッチコックの『サイコ』と『めまい』の冒頭30分をミックスして80分やったのちに、マカロニ・ウエスタンでラストを締め、『母なる証明』でサンドし、初期タランティーノ風味のケレンをまぶしたたような雰囲気の、なんとも奇妙な映画だった。


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ひるね姫〜知らないワタシの物語〜』神山健治監督、2017)……東京オリンピック目前の2020年、夏の岡山県倉敷市。平凡な女子高生の森川ココネは、自動車修理を営む無口で無愛想な父親と暮らしをしていたが、あるとき父が警察に逮捕されてしまう。なんとか事態を解決しようとするうちに、ココネはその糸口が最近よくみるようになった不思議な夢にあることに気づく──劇場用オリジナル・アニメーション

故郷である岡山の方言がそれなりに正確だったらいいなァ、くらいのぼんやりとした気持ちで観た本作だったが、いい意味で予告編の印象をことごとく覆してくれる痛快な作品だった。キャラクターの芝居やアクションの作画はどれもたいへん素晴らしいし、“夢と魔法の御伽噺”を今日的でかつ限りなく嘘くさくなく描くアイディアには──クライマックスですこし盛り過ぎて、喩えがうまく機能していない部分もなくはないが──脱帽した。あるいは、孫世代クリエイターによる宮崎駿的なるもの──作品的、あるいはその創作姿勢──への総括と、これを刷新するであろう次世代への抱負のようにも思え、興味深い。


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ゴースト・イン・ザ・シェルルパート・サンダース監督、2017)……人々の電脳化や義体化が一般化した近未来。ネットを通じた電脳ハックによって、義体製造メーカー大手“ハンカ・ロボティクス”の要人が暗殺される事件が発生。公安9課に所属する“少佐”は事件の謎を追ううち、自身の失われた過去と向き合うことになるが──士郎正宗による漫画『攻殻機動隊』(1991)をハリウッドが実写化。

なんとなくテンションが低めの評判を聞いてそこはかとなく心配していたが、実際に観てみるとなるほど、そういう気持ちもわからないではない、といった感じ。ブロックバスター大作ゆえの弊害か、『攻殻』の魅力のひとつであろう、記憶の外部化による自他の境界が曖昧になるアイデンティティ・クライシスという、やや難解なSF的/哲学的ギミックが後退した感は否めない。

ただ一方で、作り手のモチベーションのひとつであろう、原作や劇場/テレビアニメ版などといった『攻殻』の「あのシーンが好き」「このアクションもやりたい」にはじまって、まるで1980年代から1990年代のSF映画的イメージを総ざらいして放り込んだかのようなゴッタ煮感は、非常に無邪気で憎めない。その天真爛漫なチョイ古SF映画の最新アップデート版として本作を観るなら、けっこう楽しめるのではないかしら。


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夜は短し歩けよ乙女湯浅政明監督、2017)……お酒とオモチロイことに目がない「黒髪の乙女」と、そんな彼女に恋をしながら決定的な1歩を踏み出せない「先輩」は、それぞれの想いを胸に珍妙奇天烈な人々が跋扈する摩訶不思議な永い一夜へと繰り出すが──森見登美彦による同名小説を原作とした劇場用アニメーション

同じく森見原作の『四畳半神話大系』をものの見事にテレビアニメ化(2010)*1したスタッフが再集結というだけあって、その完成度は推して知るべし、といったところ。森見節を過たず切り取った台詞と語りと御託と屁理屈に耳をあずけ、湯浅節の真骨頂ともいえる色鮮やかで変化自在なアニメーションによるイマジネーションの奔流を大画面から浴びて「あっぷあっぷ」しているだけでも、本作はたいへん楽しい1作だ。あと、個人的には「乙女」の赤い着るワンピースの裾の絶妙機微な作画にも注目したい。

4話連作(春夏秋冬)構成の原作を換骨奪胎して、よくぞ90分に纏め上げたと思われる脚本──映画版オリジナル要素も、茶目っ気と毒が効いていて素晴らしい──ではあるが、同時にすべての出来事を“一夜”にまとめたために奇妙な違和感がそこかしこに見受けられ、であるならば無理矢理に一夜にすることもなかったのではないかとも思われる。ただ、『四畳半〜』にもあった、エピローグ部分でのアニメーションならではの“映像的仕掛け”が本作でも形を変えて登場しており、これを観ると、なんとなく腑に落ちる……かも。なんにせよ、心躍る劇場版だったことに異論を挟むつもりは毛頭ない。なむなむ!


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キングコング: 髑髏島の巨神』ジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督、2017)……ベトナム戦争終結直後の1973年。特務研究機関モナークの一員であるランダ博士は、人工衛星ランドサットが発見した未知の島“髑髏島”への調査を決行。かつて英国特殊部隊に所属していた傭兵コンラッドや、ベトナムから帰還予定だったパッカード大佐率いる部隊らをメンバーとして、未開の島へ降り立つが──元祖怪獣映画の新たなリブート作品。

観ているあいだ、頭から終わりまでずっとニコニコしっぱなしになるような、楽しい楽しい映画。こんな作品は久しぶりだ。本作は、やがて合流する「モンスターバース」の前作である『GODZILLA ゴジラ』(ギャレス・エドワーズ監督、2014)*2の溜めに溜めまくる演出とは対照的に、とにかく各種怪獣バトルのつるべ打ちで、冒頭5分ですでに巨大なコングが登場するほどの大盤振る舞いだ。また、内容と同じように画面がパッと明るいのも嬉しい。

時代設定やビル・パクストン演じる傭兵コンラッドの名前からもわかるように、本作が怪獣映画と『地獄の黙示録』(フランシス・フォード・コッポラ監督、1979)を掛け合わせた点は画として非常にフレッシュだし、オリジナル版『キングコング』(メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シェードザック監督、1933)にあった様々なテーマ──コングの象徴性や、土人の描き方など──の刷新も図られている。いっぽうで、コングのアクションの端々にオリジナル版へのオマージュを見事に組み入れていたりと、にやりとする仕掛けも目白押しだ。強いて難点を挙げるなら、ラストに出てくるアイツがそんなにデカく見えなかった点くらいだ。

否が応にも今後の展開が期待される、素晴らしいリブートだった。

2017-02-18

2017年鑑賞映画 感想リスト/1-10

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バイオハザード:ザ・ファイナルポール・W・S・アンダーソン監督、2016)……T-ウィルスによって世界を壊滅させたアンブレラ社とアリスとの最後の闘いを描くシリーズ最終作。

続篇が公開されるたびに劇場に足を運んでは、なんとも知れぬ虚脱感に浸って帰ってくること15年……やっと肩の荷がおりた。ともあれ、終わってくれて、ありがとう。まあ、それはそれとして、物語もそうだが、アクションをこうも判りづらく撮って繋げるものなのかと逆に感心することしきり。3D版を観たけれど、うまくないチャカチャカ編集で全篇貫かれるので、3Dの楽しみは皆無。でも、なんだかんだで微笑ましく観られたのは、このシリーズがきっかけで結婚したミラとポールのおしどり夫婦感に満ちているからかもしれない*1。仲良きことは、善きことかな。


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ソロモンの偽証/前篇・事件』成島出監督、2015)、ソロモンの偽証/後篇・裁判成島出監督、2015)……1990年冬。自殺と断定された同級生の怪死に違和感を拭えない藤野涼子は、真実を明らかにするために通う中学校を巻き込んでの学校裁判を開こうとするが──宮部みゆきによる同名小説の映画化。

事件そのものの顛末ではなく、学校教育いじめ、家庭や世間体の問題など、もっと根深い暗部が、中学生の裁判によって明らかになってゆく展開は、胸をすくものがある。が、いかんせん尺が長過ぎなのは否めない。せめて現代パートと、それに起因する取ってつけたようなナレーションがなければ、もっと集中して観られたのではないだろうか。


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『ライズ・オブ・シードラゴン/謎の鉄の爪』ツイ・ハーク監督、2014)……水軍艦隊を全滅させたと噂される海神・龍王の怒りを静めるための生贄となった美しき花魁インに何者かの魔の手が迫る。判事ディーはこの事件の謎を解けるのか──唐朝末期を舞台にした武侠ミステリ

これほど偽りのない邦題も珍しいくらい、そのすべてが文字どおり登場するツイ・ハークらしい過剰なサービスが楽しい。あまりにサービスが直截すぎてミステリとしてはどうかと思わなくもないが、そんな疑念も帳消しにしてくれるだろう。本国では3D公開ということもあって、人が、拳が、武器が、瓦礫や木端がこれでもかと飛び交うアクション・シーンも愉快。それにしても、敵の首領の日本語吹替を演じた若本則夫は、いったいどこからあんな声を出しているというのか……。


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バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』ザック・スナイダー監督、2016)……スーパーマンとゾッド将軍のメトロポリスでの激戦によって多くの社員を失ったブルース・ウェインことバットマンは、スーパーマンを殺すことに執念を燃やしはじめるが──『マン・オブ・スティール』(同監督、2013)の続編。

前作を観ながら辟易した、コラテラル・ダメージを出し過ぎな最終決戦について捉えなおした冒頭の災害映画然としたシークェンスは、なるほどやはりこちらのほうがしっくりくる。しかし後半になるにつれて、脚本を詰め込みすぎたのか、キャラクターの行動や展開がたいへんお粗末になるのはいかがなものか。ただ、多くの人が賞賛するようにワンダーウーマン役のガル・ガドットの画になりっぷりは素晴らしい。また、ジェレミー・アイアンズの演じるアルフレッドもなかなか味がある。


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ミケランジェロ・プロジェクト』ジョージ・クルーニー監督、2014)……ナチスによって略奪される欧州各地の美術品を取り戻すため、ハーバード大学附属美術館館長のフランク・ストークスは知己の専門家たちを集めた特殊部隊“モニュメンツ・メン”を結成し、前線へと向かった──史実を基にした戦争ドラマ。

不勉強ながら、こういった史実があったことを知らなかった身として、そのとっかかりとして本作には大きな意義がある。が、史実であることに足を引っ張られた──大幅に脚色がなされているようではあるが──のか、ものすごく品行方正な『戦略大作戦』(ブライアン・G・ハットン監督、1970)といった感じで、いささか単調に過ぎる感があるのが残念。


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エンド・オブ・キングダム(ババク・ナジャフィ監督、2016)……英国首相の急逝にともなって、その葬儀のため各国代表がロンドンへ集結した。アッシャー合衆国大統領もまた、シークレット・サービスのバニングを連れて渡英するが、彼らは再び大規模なテロに瀕することになる──『エンド・オブ・ホワイトハウス』(アントワーン・フークア監督、2013)の続編。

集団自爆テロの恐怖を大々的に再現した前作から変わって、本作では米国がすすめるドローン戦争に対する報復への恐怖をフィーチャーしたあたりに、時代の移ろいを感じる。それはそれとして、全篇に渡るあまりに粗雑な造りと、ジェラルド・バトラー扮するバニングの残虐さに、ちょっと笑ってしまった。それを象徴するかのような「おどれら、わしらン国は1000年安泰じゃけえのう!(意訳)」というバニングの台詞……けだし名言かな。


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劇場霊中田秀夫監督、2015)……いまだ芽の出ない若手女優・水機沙羅は、女貴族エリザベートの生涯を描く新作舞台に端役で出演することになった。しかし、無気味な球体関節人形が小道具として鎮座する劇場で、次々に不可解な死亡事故が発生する──AKB48島崎遥香主演のホラー。

ホラー映画ということになってますが、同監督の『クロユリ団地』(2013)がそうだったように、本作はどちらかといえば怪奇映画寄りの作品だ。球体関節人形の無気味な容姿と動き、死蝋となった被害者の無残な姿、極彩色の照明などが、その雰囲気を盛り上げる。が、いかんせん脚本の整理不足が否めず、登場人物がいくらなんでも無理のある行動をとることもしばしばで、恐怖よりも先にそちらが気になってしまう。また、日常空間と演劇空間という相反する舞台がありながら、演出のテンションが同じなのでもったいない。役者陣はよかったけれど。


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『ミッドナイト・アフター』フルーツ・チャン監督、2014)……深深夜の路線バスに偶然乗り合わせた17人は、終着駅で異変に気付く。いつの間にか彼らは、誰もいない世界に迷い込んでいたのだ。無人と化した香港で、なんとか真実をつかもうとする彼らだったが──終末型SFスリラー。

謎がさらに謎を呼び、別の謎がどんどん追加されてゆき、そしてそのすべてが潔いほど──文字どおり──なにひとつ解決されない。これはなかなかの番狂わせであって、ジャンル映画的に観れば間違いなく憤怒する人が多いだろう。ただ、個々に描かれるシーンごとのブラック・コメディめいた笑うに笑えない展開や、多くの登場人物たちをきっちり描き分けているのが見事だ。また、本作が“雨傘運動”に代表されるような昨今の香港における政治的状況の暗喩であるとする指摘もあり、なるほど、であるならば諸々の謎の寓意性や未解決性が腑に落ちる。


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『死霊館 エンフィールド事件』ジェームズ・ワン監督、2016)……アメリカ人超常現象研究家エドとローレン夫妻は、ロンドンエンフィールドで発生した怪奇現象の調査に赴くが──1977年に実際に起こったポルターガイスト現象を題材としたホラー。

ずっしりと重い影を落とした風景を、じっくりと追う長回し撮影と絶妙な編集の緩急によって、じわりじわりと現象の発露までの段取りを踏んでみせる前半1時間の恐怖シーンが見事でスケアリング。また、後半1時間の、脚本に散りばめられた謎や象徴性がパズルのように組み合わさりながらクライマックスへと雪崩れ込んでゆく展開は、『エクソシスト』(ウィリアム・フリードキン監督、1973)もかくやのスリリングさ。たいへん面白かった!

*1:だって、映画のラストで奥さんに「君は完璧なひとだ」って言ってるのだもの。これはなかなか言えることじゃないよ。

2017-01-01

2017年のはじまり。

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昨年に引き続き、どれほど更新できるかわかりませんが、本年もよろしくお願いいたします。

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