技術開発クモの糸繊維と籾殻ガスと水位調整管

kanazu362013-06-15

クモの糸を人工合成して繊維や籾殻からガスの抽出や田んぼ
ダムの新型水位調整管の技術開発などの話題が新聞に。
6月14日、見附市葛巻に設置された新型水位調整管の田んぼ
ダムを見てきた。
・クモの糸を人工合成して繊維に
 山形県盛岡市にあるスパイバー株式会社がクモの糸を人工合成して繊維にする技術を確立した。
 この人工合成でつくられたクモの糸は本物のクモの糸と成分や特性は同じ。
 この素材の強度は、鋼鉄よりも4倍程強く柔軟性、ナイロン製品よりも上。
 繊維化の技術が確立したことで近々量産体制にはいる。
 関山和秀社長は「クモの糸は世界で最もタフな繊維。自動車や医療などさまざまな産業に応用できる。将来的には自動車や飛行機のボディーや骨格のほか、人工心臓などの医療面でも使える可能性がある」と話す。
・籾殻からガスの抽出
 長岡技術科学大学メタン高度利用技術研究センターが5月30日までに、籾殻からメタンを含むガスを取り出し、熱量を高めて燃焼させる実験に成功した。
 籾殻をそのまま燃やしたり、籾殻から得られるガスと軽油を用いて発電に回したりする設備は既にあるが、籾殻ガスはメタンの濃度が低くて単体の燃料として使うことは難しかった。
 今回の実験は、ガスの熱量を高めたのが特徴。
 メタンの濃度が10倍以上に高まったことで、発熱量も天然ガスのおよそ30%まで引き上げることができ、発電機から車の燃料まで利用範囲が広がる。
 籾殻は乾燥など前処理の必要がなく、ガス化のために蒸したり、水蒸気を発生させたりする装置はボイラーと構造が似て高度な技術も必要ないという。
ガスを取り出し残った籾殻は炭などへの再利用が考えられる。
 農林水産省によると、国内で出る籾殻は年間200万トン程度。4割以上が飼料と堆肥に回る一方、「焼却」と処理方法「不明」が合わせて4割近くに上る。
 岡崎教授によると、籾殻ガスは1トンの籾殻から常圧下で1千立方メートル取れる。
 200万トンの4割、80万トンで単純計算すると8億立方メートルとなり、東京ドーム645個分の容積に匹敵する。
 籾殻ガスが実用化されれば水田は「ガス田」に大変身する時代に・・・。
田んぼダムの新型水位調整管の設置
 ・田んぼダムとは
  田んぼが元々持っている「貯水機能」を利用して、大雨の際に一時的に水を貯め、時間をかけてゆっくり排水し、河川流域の農地や市街地の洪水被害を軽減しようという取組み。
  水田の排水口に穴をあけた管などを取り付けて流量を調整し、水田にたまった雨水が一度に流れ出ないようにする仕組み。
 ・新型水位調整管
  これまでの水位調整管は横に60ミリの穴をあけて、そこから排水することで河川への排水量を抑制していた。
  新しい調整管は底に50ミリの穴をあけたバケツを既設管に取付けて排水するような仕組みとなっている。
これにより、農家の皆さんが通常の水位管理に気をつかうことなく100%田んぼダムの効果を発揮することができる。
  見附市では、平成22年度から貝喰川流域の農地や市街地の洪水被害を軽減することを目的として、3カ年計画で流域内約1200haの水田に特殊な水位調整管を設置する「見附市田んぼダム事業」の取組みを行っている。
  本年度が計画の最終年度となっている。
  新潟大学農学部吉川准教授を中心とする「ティー田んぼダム」の協力を得て、農家の負担軽減と更なる効果の向上を目的とした「新しい水位調整管」の実験を行うことになり6月10日(日)に関係者が集合して実験用の新しい調整管を設置した。
  同市では6月以降、葛巻・新潟両地区と今町地区に計120ヘクタールの水田に新型の調整管の設置を予定している。
研究者の日々の努力で、クモの糸を人工合成して繊維にする技術や籾殻からガスの抽出などの技術成果で夢の時代の到来が・・・。
水田がガス田に (イラストを模写)

美術展めぐりで絵画を楽しむ

kanazu362013-06-13

第68回新潟県美術展覧会(県展)が5月31日から新潟市
中央区朱鷺メッセで開幕し6月9日閉幕した。
新潟展には日本画・洋画・版画・彫刻・工芸・書道・写真の
計7部門に4105点の応募があり、入賞・入選の1085点と
県展委員の13点と無鑑査の51点が展示された。
同長岡展は6月12日から始まり、中越地域から出展さらた入賞・入選作品を中心に、7部門計474点が展示されている。
美術展めぐりで絵画を楽しんだ。
・にいがたの写実作家展(弥彦村総合コミュニティセンター)
 会場には新潟県内在住画家23人の作品69点が展示されている。
  ・前田正好:新雪の朝 ・杉森企観明:白ユリのある静物 ・朝績勝広:泡と石
  ・宇賀冶徹男:堤外地残照 ・酒井保嘉:奥阿賀 ・村山陽:とべないたんぽぽ
  ・西村満:林へ ・長谷川清晴:あの時の机の上 ・堀健一:小休止
 などなど。
燕市名誉市民横山操展(燕市役所)
 燕市役所新庁舎完成を記念し、燕市名誉市民の日本画家横山操展の初期作品展「若き日の息吹」が燕市役所で開催された。
 会場には、20歳で清龍展に初入選した出世作「渡舟場」(縦約2m・横約1.7m)の大作が下絵と併せて展示され対照できるようになっている。
  ・工事現場 ・送電源 ・茜 ・新雪富士 ・農婦とソリ
 などのほか、青年時代に描いたデッサン画や下図など計35点が展示されている。
・染め絵で描く良寛展(新潟市西蒲区:中之口先人館)
 中之口の先人館で長岡市在住の染色作家村山雨景さんの創作50周年記念「新・良寛への道:染め絵展」が開催されている。
会場には、良寛の姿を温かな色彩で描いた染め絵の良寛シリーズ15点が展示されている。
  ・良寛:小手毬の唄(春) ・佐渡への想いを寄せて(良寛堂:夏) 
  ・風の乙子草庵(秋) ・国上の里残雪(冬) ・月見る良寛(五合庵)
  ・良寛さん:風のいたずら ・良寛さん:川あそび ・良寛さん:かごめ ・帰路
 など。
・郷土の画家たちの絵画展(新潟市西蒲区:巻郷土資料館)
 会場には巻地域ゆかりの画家14人の22作品が展示されている。
  ・森田高夫:朱い糸 ・樋口峰夫:千潟 ・丸山清六:翠 ・坂上俊男:浜辺
  ・市橋哲夫:妙高 ・鈴木力:漂う ・鈴木一雄:ゆめ ・山田達雄:広場
  ・梨本正太郎:夕べの菜畑 ・真島伝次:潮のささやき ・栃倉喜義:橋(河)
 など。
美術展めぐりで絵画を楽しんだ。
絵画を楽しむ (イラストを模写)

旧津川町の会津街道(殿様街道)を歩く

kanazu362013-06-11

きょう6月11日は二十四節気入梅で、暦の上では梅雨入り
だが、新潟県内は連日晴天の日が続く。
NHK大河ドラマ「八重の桜」で会津が脚光を浴びている。
新潟県新潟地域振興局では、旧津川町会津領であったこと
から「八重の桜」に人気にあやかり、阿賀町の角島から諏訪峠までの旧会津街道(殿様街道)を散策するイベント「悠久の会津街道を歩く」を6月15・23日の両日開催する。
6月9日一足早く夫婦で会津街道(殿様街道)を歩いた。
会津街道(阿賀町パンフレットから抜粋)
 旧津川町(現阿賀町)一帯は、江戸時代には会津藩領で、津川は会津の西の玄関口となっていた。
 そして明治17年には阿賀野川沿いの道(現在の国道49号の基になった道)ができるまでは、阿賀町に今も残る「会津街道」が越後と会津を結ぶ主要道路として利用されていた。
 会津街道とは、新発田から赤谷〜諏訪峠〜津川〜野沢を経て会津に至る全長約92キロの街道。
 古くからの街道ですが、江戸時代の初期会津藩によって整備されたといわれている。
 会津藩と新潟湊との物資の輸送に使われたほかに、新発田藩村上藩のお殿様が参勤交代に利用していたことから、「殿様街道」とも呼ばれている。
 一方会津では、越後に向かう街道でしたので「越後街道」と呼ばれている。
 会津街道にはいくつもの峠がありますが、最大の難所とされた諏訪峠は、寛文年間(1661〜1673)には石畳の道に改修された。
 この石畳が今も津川町の清川高原周辺に当時のまま残されているほか、一里塚も行地、柳新田、福取などで見ることができる。
 また、八木山には本陣(参勤交代時の藩主の宿)として使われた建物も残されている。
会津街道(殿様街道)を歩く
 清川高原保養センター受付に「旧会津街道石畳の道」と「会津街道略図」のパンフレットが置かれている。
 ・清川高原保養センター 〜 柳新田集落
  柳新田は津川側の最後の集落で昔6軒の住家があったが現在は3軒のみ。
  1軒の家で犬を飼っていた。
  犬は、集落の畑や裏山の杉畑に出没するサルを追い払うために飼っている。
  サルの家族だろうか裏山の杉畑に5匹のサルいた。
  集落を過ぎると道は2路に別れ1路は諏訪峠へ、1路は鹿瀬に至る。
 ・柳新田集落 〜 柳新田の桂 〜 柳新田の一里塚
  ・柳新田の桂
   柳新田集落から山道を約15分歩くと津川町指定天然記念物(1990年4月1日指定)桂の木ある。
   ・樹齢推定300年 ・目通り太さ7.3m ・樹高32mで桂の木としては、珍しい巨木。
   桂の木近くで集落の一人が杉の木の伐採をしていた。
   クマやサルが出没しますのでこの鈴を待っていけば安心ですよと鈴を貸してくれた。
   ・柳新田の一里塚(阿賀町指定天然記念物(平成年17月1日指定)
   一里塚は、江戸時代のはじめ、江戸日本橋を起点として主要な街道に一里(約3.9キロ)ごとに造られた土盛。
   会津街道では寛文7年(1667)から整備が行われ、若松城下から一里ごとに道の両側に土を盛り上げ塚を築き、その上に榎などの木が植えられ、旅の目印にした。
   柳新田の塚は直径約10m ・高さ約4mの2基一対の完形で残された貴重なもの。
 ・柳新田の一里塚 〜 諏訪峠
  ・諏訪峠
   諏訪峠の山頂には東屋があり、吉田松陰の詩碑が建立されていた。
   諏訪峠左側の山道を登ればヘリポート基地に。
   諏訪峠を反対側に下れば旧三川村の行地を経て新発田市の赤谷に至る。
   山頂左側の林の中に朽ちた祠の残骸が残っていた。
   帰りに鈴を借りた集落の人に聞くと、昔の諏訪神社の祠で、神社は峠から集落の下に移したとか。
清川高原保養センターから諏訪峠までの会津街道の約4キロの石畳を約1時間40分かけ登り往時の旅人の苦労を知った。
石畳の街道を歩く (イラストを模写)

トキの放鳥と外敵のカラスとトビ

kanazu362013-06-09

6月4日上野動物園は、ジャイアントパンダ「シンシン」(7歳)に
妊娠の兆候がみられるとして出産に備え、公開を中止したと
発表した。
6月7日、トキ7の野生復帰に向けた8次放鳥が始まった。
放鳥トキの話題などを新聞から拾った。
・8次トキの放鳥
 6月7日、8次トキの放鳥が佐渡市新穂正明寺の佐渡トキ保護センター野生復帰ステーションで始まった。
 8次放鳥で自然界に放されたトキは、2〜7歳の雄13羽と1歳の雌4羽の計17羽。
 (18羽の予定が、訓練初日に1歳の雌がネット収納庫に衝突する事故死で17羽に) 
 6月7日の初日は14羽が飛び立ち残り3羽。
 残り3羽が飛び立てば放鳥は終了する。
 これまでに放鳥され数は、2008年9月25日の1次10羽を皮切りに2012年9月28日の7次までの 108羽と今回の17羽を加えると放鳥総数は125羽に。
 ・1次放鳥:2008年9月25日・放鳥数10羽
 ・2次放鳥:2009年9月29日・放鳥数19羽
 ・3次放鳥:2010年11月1日・放鳥数13羽
 ・4次放鳥:2011年3月10日・放鳥数18羽・
 ・5次放鳥:2011年9月27日・放鳥数18羽
 ・6次放鳥:2012年6月8日・放鳥数13羽
 ・7次放鳥:2012年9月28日・放鳥数17羽
・自然界で2年連続トキの巣立ち
 5月27日環境省は、佐渡市で放鳥されている国の特別天然記念物のトキのペアから今季生まれたひな2羽が巣立ったと発表した。
 国内の自然界でのトキの巣立ちは、38年ぶりだった昨年に続き、2年連続となった。
 トキは今季、5組のペアから計14羽がふ化したが、4羽は保護され、5羽は死んでいる。
 これまでに4羽の巣立ちが確認されている。
・トキのひなカラスに襲われ死ぬ
 5月24日環境省は、佐渡市の放鳥トキのペアから生まれた雌のひな1羽がカラスに襲われて死んだと発表した。
 放鳥トキのひなが死んだのは今季5羽目だが、動物に襲われて死ぬのが確認されたのは初めて。
 同省によると、佐渡自然保護官事務所の職員が同日昼ごろ、5歳の雄と雌のペアの巣の下で右足や内臓が失われたひなを発見。
 巣の様子を撮影したビデオを確認したところ、23日午後2時半ごろから約30分間、カラスがひなを攻撃する様子が映っていた。
 ひなは死んだ後、巣から落ち、タヌキに内臓を食べられたとみられる。
・放鳥トキトビに襲われ死ぬ
 5月28日環境省は、佐渡市金井地区の休耕田で3歳の雄の放鳥トキ1羽が、トビに襲われて死んだと発表した。
 放鳥トキが死んだのは2008年の放鳥開始以来7羽目。
 死んだのは2011年3月に放鳥されたトキで、今季、兄妹の3歳雌のトキと営巣、抱卵しているのが確認されていた。
 同省によると、同日午前10時ごろ、市内の休耕田で2羽のトビに襲われているのを住民が発見。
 通報を受けた同省佐渡自然保護官事務所の職員が、死骸を発見した。
・トキ幼鳥がケージから逃げる
 6月8日環境省は午前7時20分ごろ、佐渡市佐渡トキ保護センター野生復帰ステーションで、飼育中のトキの幼鳥1羽が、ケージ内から屋外に逃げ、行方が分からなくなったと発表した。
 飼育員1人が、飼育用マットをケージの外で洗浄しケージ内に戻ったところ、飼育室の扉と、ケージの扉の計2枚を開けたままにしていたため逃げられた。
 まだ、捕捉されず同省では、幼鳥は自力で餌を取れるか分からず、自然下で生きていけるか予断を許されないと。
2008年9月25日の1次10羽を皮切りに2013年6月7日の8次までの放鳥総数は125羽となった。
2年連続で自然界での巣立ちが確認されたトキ。
今年もまた佐渡の大空を元気に舞うトキの姿を見ることができる。
トキが佐渡の大空を舞う (イラストを模写)

神社に飾られている動物たち

kanazu362013-06-07

神社本庁とは、神宮(伊勢神宮)を本宗と仰ぎ、日本全国
約8万社の神社を包括する宗教法人で昭和21年に設立
されたが、靖国神社明治神宮神社本庁に属していない。
神社本庁(東京都渋谷)によると、2011年末現在で神職
2万1793人(女性は3082人)。
神社には神使(しんし)と呼ばれる動物がいる。
「神のつかわしめ」と呼ばれ、神の眷属(けんぞく)、御先神とも考えられ、神に先駆けて出現し、あるいは神の意志を知る兆しとされる。
神社境内に鶏やがま蛙やサルや蛇などの動物が飾られている神社があると知り見てきた。
・神社と神使
 ・春日大社鹿島神宮厳島神社:鹿 ・日吉大社:猿 ・八幡神:鳩
 ・伊勢神宮:鶏 ・稲荷神:狐 ・諏訪神社:白蛇
 などなど。
・鳥之子神社の鶏(新潟市西蒲区越前浜)
 新潟市西蒲区越前浜の神明社は「鳥之子神社」と呼ばれている。
 越前浜の集落は越前国から移住した人(姉川の合戦で敗れた朝倉義景の残党ともいう)によって開かれたと伝えられている。
 移住のさい、荒天のため船が難破したが、岸から聞こえる鶏の声のおかげでこの浜辺にたどり着くことができた。
 以来、この地区では鶏をことのほか大切にしてきたという。
 鶏肉や卵を口にしない習慣も続いている。
 境内には「鳥」にかかわる奉納物が多く、拝殿前や境内には鳥にちなんだものが多く奉納され、賽銭箱と石灯籠にはオンドリとメンドリの彫刻が掘られている。
・蛇を祀る蛇松明神社(新潟市中央区白山神社境内)
 新潟市白山神社本殿裏に「蛇松明神社」が祀られている。
 白山の蛇松にはおもしろい伝説が伝わっている。
 信濃川の洪水のため白山一帯が大洪水に見舞われ、人々は自分の命を守るのもやっとというときに、信濃川の川中に一条の光り輝くものをみつけました。
 これはただごとではない。
 なにか神様のお告げではなかろうかと思い、当時の神主小林能登守直養が一心不乱に船をこぎ近づいてみると一匹の白い蛇が水におぼれて息もたえだえ、これは可哀想にとひろいあげ、神社の一本の松の梢に助けてあげました。
 すると、白い蛇は美しい姫へと変わり、「この御恩は決して忘れません。この神社の守り神となり末永くこの地の繁栄と難病苦難の人々を守るために祈ります」と言って、この世では到底見ることのできない美しい姫は美しい声を残し、姿を消してしまいました。
 その時、見る見るうちに老松の幹の皮は蛇のウロコのように変わり、今までやむことを忘れたかのように降り続いた雨は、大空の真ん中より一条の光が差したかと思うと、大空は一面に蛇のウロコの如く、雲は切れ始めたのであります。 
 そして雨はやみ、水は引き出したと言い伝えられております。
 この霊験あらたかなる松は、その日から蛇松明神さま、蛇松さまといわれ、毎日毎日お参りに訪れる人が絶えなかったそうであります。
 やがて、おまいりに訪れる人々の間で蛇松さまの皮を煎じて飲めば万病たちどころに全快するという噂が広まり、毎日のように人が押し寄せ松の皮がむしり取られていきました。
 蛇松明神社の社の裏には、白蛇など4匹の蛇の置物と数本ある松の木の1本にしめ縄が飾られている。
・城内稲荷神社のガマ蛙のさいせん入(長岡市
 長岡市二の丸跡に城内稲荷神社が祀られている。
 境内に愛敬のある大きな「がま蛙の賽銭入」が置かれている。
 がま蛙の賽銭入は、城内稲荷神社と、明治から大正にかけて国内二大石油会社の一つだった宝田石油の稲荷神社とを合祀する際に、地元の鋳物業「根岸鋳造所」が奉納した。
 作成者は、根岸鋳造所の所長鰐淵長次郎。
 高さ約45センチ・長さは約70センチの鉄製で、さび止めのため表面は漆で焼き付けれれている。
 がま蛙の賽銭入は第2次大戦時の供出をまぬがれて今に伝わる貴重な工芸鋳物である。
日吉神社のサルの狛犬三条市
 狛犬といえば、神社は犬で稲荷社はキツネ。
 三条市の「日吉神社・稲荷神社」の狛犬は、サルとキツネ。
 日吉神社・稲荷神社の境内に入ると右側に「キツネ」が左側に「サル」の狛犬の姿が見られる
 狛犬の台座には「安政4年4月吉日」の文字が刻まれている。
 古老の氏子の話では「もともとサルとキツネの一対だったのか、それともサル同士、キツネ同士だったのかはわからない。日吉神社のサルは悪を払うため、稲荷神社のキツネは商売繁盛のためにまつられている」と。
・伊夜日子神社の鳩(新潟市江南区
 中蒲原郡袋津村一番の旧家とされる幾野家のオバサが、毎月弥彦神社を参拝していた。
 遠いとこれからやってくるオバサを気の毒に思った神社が、自分の屋敷に祀るようにとお札を渡した。
 喜んだオバサがお堂を建てた。
 これが伊夜日子神社の始まりだという物語がまちに伝わる。
 神社の屋根瓦に4羽の鳩の置物が飾られている。
 八幡様の神使は鳩だというが、この伊夜日子神社は鳩と何か関係があるのだろうか。
神社めぐりで神使を知り、神使の動物たちと出会えるのも楽しい。
この神社の神使は (イラストを模写)

五葉松の植樹とお布団農法で種まき

kanazu362013-06-05

今日6月5日は二十四節気の一つ「芒種」で、稲や麦など"穂が
出る穀物の種を蒔くころ。
5月26日(日)第64回全国植樹祭が、天皇皇后両陛下を迎えて
鳥取県南部町の県立フラワーパーク「とっとり花回廊」を主会場に
開かれた。
新聞に五葉松の植樹やお布団農法で田植えなどの記事が出ており5月26日見てきた。
・五葉松の植樹と記念碑(三条市総合福祉センター)
 東日本大震災の1次避難所だった三条市総合福祉センターは、2011年8月末に閉鎖された。
 閉鎖されるまでに福島県の約260人が避難生活を送っていた。
 福祉センター玄関脇の五葉松周辺は、避難者にとって境遇を語り合う癒しと憩いの場になっていた。
 しかし、閉鎖された後に、病気で枯れ始め、同年11月に撤去された。
 「津波で流された故郷の海辺の松林を思い出す。五葉松から元気をもらっていただけに撤去はさびしかった」と、避難者たちが“五葉松復活”を呼びかけ募金活動を始めた。
 5月23日三条市総合福祉センター玄関脇に五葉松の植樹と「第二のふるさと」の記念碑を建立した。
 記念碑は高さ幅とも約60センチで、福島県安達太良山産の御影石でできている。
・種まき
 ・お布団農法で田植え(長岡市片田町)
  お布団農法とは
  くず綿を原料にした不織布シート二枚を重ね、間に種もみを挟み込んだロール布を転がしながら、田んぼに広げていく方法の田植えで田植え機や育苗不要の利点がある。
  お布団農法で田植えした田んぼが長岡市片田町地区にあると知り見てきた。
  里では田植えも終わり、水田が若草色に染まる。
  そんな中、夏なのに田んぼの一角が白一色の白銀の世界に大変身した水田が。
  白一色の田んぼは、「お布団農法」で田植えをした水田。
  ローラを転がすと、田んぼはみるみるうちに白い布団を敷いたように白くなっていく。
  珍しい田植えの方法に農家の人も驚き。
 ・庭で不織布シートを使い「お布団農法」で田植え
  ポリバケツに土を入れ庭に小さな小さな水田を作り、農家の人からいただいた不織布シートを敷き「お布団農法」で田植えをした。
  ポリバケツの中で芽が出て稲が育つだろうか。
 ・パッションフルーツの種をまき緑のカーテン作り
  ことしも、ゴーヤや朝顔などのつる植物をカーテン状にする「緑のカーテン」作りの季節がやってきた。
  ことしは南国育ちの果実の「パッションフルーツ」が登場し人気とか。
  パッションフルーツは葉が大きく、遮光効果が高く美しい花も楽しめる。
  花は人の手で受粉すれば1株に5〜6個の実が採れ食べられる。
  わが家では、昨年実から種をとりプランターに植え、緑のカーテンをつくった。
  ことしは、昨年種から育てたパッションフルーツの値を室内で越冬させた2本と新しく購入した2本の苗で緑のカーテンを作った。
 ・ヒマワリを育てリスのエサに
  ヒマワリを通じて地域の買活性化を図る「ヒマワリプロジェクト」に取り組む新潟経営大学の学生が5月21日、加茂市内の中心街でヒマワリの種を配った。
  配布した種は、昨年育てた花から採った約400袋。
  プロジェクトは、市民が育てたヒマワリの種を子も公園で飼われているリスの餌にすることを目指し、地元有志や学生が2010年に始めた。
・番外:ど根性フウロ
 庭の鉢植えのフウロウが薄ピンク色の小さく可憐な花を咲かせている。
 玄関先のブロック塀と通路の隙間からフウロウが芽を出し鉢植えのフウロウに負けじと、たくさんの花を咲かせ道行く人を楽しませている。
 ブロック塀と通路の隙間から芽を出し、花を咲かせたど根性フウロウに驚き。
今年の夏も猛暑とか。
今から「緑のカーテンパッションフルーツの花と実の収穫とバケツ水田での稲の生育が楽しみだ。
バケツの小さな水田でお布団農法 (イラストを模写)

凧合戦の凧のPR展示とのぼり旗祭り

kanazu362013-06-03

ことしも凧合戦の季節がやってきた。
新潟県下のトップを切って6月1・2日の両日「三条凧合戦」が、
6月6日からは「白根大凧合戦」が始まる。
凧合戦をPRしょうとJR燕駅としろね大凧と歴史の館に六角凧や
巻凧の縮小版が展示されていたので6月2日見てきた。
・凧合戦と凧のPR展示
 ・三条凧合戦の六角凧(三条市:JR燕三条駅)
  360年以上の歴史を持つ越後名物六角凧合戦が、上須頃の三条・燕総合グランドで6月2日始まった。
  三条では「凧」と書いて「いか」と読ませ、三条凧合戦を地元では「いか合戦」と呼ぶ。
  合戦に使う六角巻凧は三条が発祥地といわれている。
  凧合戦は、江戸時代の初めの1649年(慶安2)、村上藩の陣屋が三条にあったころ、武士の子たちが凧を揚げているのを見て鍛冶屋の子供たちも揚げたのが始まり。
  この武士と町人の子供たちの「凧の争い」が、大人たちの争いに変わり、次第に凧も大きくなって町内ごとに凧組みを作って争うようになった。
  三条凧合戦をPRするためJR燕三条駅の新幹線改札内のコンコースに天井に届く高さ4mの巨大サイズの迫力ある六角凧が約20枚飾られている。
  凧絵は、武者や歌舞伎役者や風神や天狗や金太郎などなど。
 ・白根凧合戦の巻凧(新潟市南区:しろね大凧と歴史の館)
  今年も白根凧合戦が6月6日から開催される。
  白根大凧合戦は、300年の伝統を誇る中ノ口川を挟み大空で、白根(東軍)と味方(西軍)の大凧が絡み合い引き落とす大凧合戦。
  合戦に使用される凧は「大凧」と「巻凧」の2種類。
  大凧は縦7メートル、横5メートルの畳24畳大で、合戦凧としては世界最大級である。
  上空で絡めた凧を中ノ口川に引き落とし引き合って相手の綱を切り勝負を決める。
  勝敗の分かれ目は引き合う本綱の強さ、綱の強さが勝負を左右する。
  凧合戦の由来は、江戸時代の中頃、白根町の人が中ノ口川の堤防の改修工事の完成を祝って藩主から送られた凧を揚げたところ、対岸の西白根に落ち、家や農作物を荒らしました。
  これを怒った西白根の人が対抗して凧を揚げて、白根側にたたきつけたことから凧合戦が始まったと伝えられている。
  明治44年(1911)6月6日、高田歩兵第58連隊付オーストリア武官・レルヒ少佐が第13師団長・長岡外史と共に凧見物に訪れた際、「日本古来の武士道的合戦」と絶賛し、同年7月に優勝旗を寄贈した。
  しろね大凧と歴史の館に白根大凧合戦をPRするため、大凧合戦に参加する巻凧組45組の巻凧は、凧が展示されている。
  同館では、普段紹介される機会が少ない巻凧も多くの人に知ってもらおうと企画した。
  本番で使用される巻凧は、3.5畳ほどの大きさだが展示されている凧は、縦約70センチ・横約55センチの縮小版で、武者や歌舞伎役者や風神や企業のロゴマークなどが描かれている。
・のぼり旗祭り(五泉市村松・商店街)
 今年も6月1日から5日までの間「のぼり旗祭り」が開催されている。
 イベントが行われた6月2日は、村松商店街アーケード通りが車両通子禁止で歩行者天国となり多くの人で賑わった。
 旧村松町は、江戸時代初期より堀家3万石の城下町として栄えた。
 村松には、城跡と地名による城下町の名残とともに「幅旗」というものがある。
 端午の節句に、城下町にだけ許された風習で、幅旗を掲げて子供の成長と願った。
 城下町独特の、のぼり旗を掲げる伝統を受け継ごうと「のぼり旗祭り実行委員会」が、平成15年(2003)に上町商店街で商店街活性化のために数本ののぼり旗が掲げられたのを機に、村松地区の4商店街全体に拡大し、今では子供の健やかな成長を願うイベントとして定着し初夏の風物詩となっている。
 のぼり旗は、6mから9mで戦国武将の加藤清正や太閤秀吉や川中島の合戦に混じり堀家の家紋などが描かれた約70本ののぼり旗が初夏の風を受けなびく。
新潟の夏は、凧合戦とのぼり旗祭りから始まる。
大凧が大空を舞う (イラストを模写)