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唐沢俊一検証blog

2010-10-16

岡田斗司夫検証blog3

12:27

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 毎日新聞』2006年5月15日夕刊総合面「ちょっと待った!:なんでも検定ブーム」岡田斗司夫「「ネオ教養時代」心の物差しというコメントを寄せている(担当は太田阿利佐記者)。なお、この特集にはもう一人岩井志麻子もコメントしている。


 今、求められているのは「ネオ教養」。従来の教養に代わる新しい教養主義みたいなものが発生しつつある。だから、なんでも検定ブームなんでしょう。


 1960年代ぐらいまでの日本には「教養」がしっかりあった。漢詩が作れるとか、フランスドイツ哲学書や西園寺公望を読んでいるとか、でも吉川英治は大衆文学だから全部読んでもダメだとか、田中角栄首相は尋常高等小学校卒だが、中国漢詩をつくって「やっぱり教養がある」と言われた。

 このくだりについて、坪内祐三福田和也が『SPA!』の連載対談で当時ツッコミを入れている。『正義はどこにも売ってない』(扶桑社)P.165より。

坪内 ちょっと前の「毎日新聞」の夕刊で、オタキング岡田斗司夫さん(オタクの教祖)が、最近の「検定ブーム」について一種の「教養回帰」というか「教養への憧れ」とインタビューに答えていて……そこまではいいわけ。なんだけど、昔の人は教養があったという例として田中角栄を引き合いに出して、「中国に行った時、角栄が自分の気持ちを漢詩にして詠んだ」と。


福田 恐ろしい話だ。


坪内 恐ろしい話でしょ。だって角栄北京の青空を詠んだつもりのあの漢詩―「北京空晴」は、中国語で「北京空しく晴れて」としか読めないわけ。つまり「北京に来て空しいぜ」って意味になるというんで、「無教養は怖い」という実例として、今東光柴田錬三郎が当時、散々批判したことでしょ。オレは当時、無知な高校生だったけど、『週刊プレイボーイ』の今東光の「毒舌人生相談」でそれを読んで、へえ〜、そうなんだと。


福田 うぬん。


坪内 漢詩という教養は、もちろん明治維新前は自然と身につけている人が多かったけど……でもその伝統は明治2桁生まれになると、もう廃れちゃう。地元の漢学者たちが開いていた塾もなくなってね。

 このほか、この対談ではオタクについて興味深いことが語られているのだが、それについてはdiscussaoさんのブログを参照していただきたい。この対談に限らず、坪内・福田コンビはオタクに対して冷淡な態度をとっているのだが…、ここでは角栄の漢詩を問題にしていこう。

 角栄漢詩については、例えば『21世紀への伝言』(文藝春秋)の中で半藤一利「平仄無視の漢詩ならざる漢詩と評価している。ついでに指摘しておくと、『佐賀新聞』のコラム『有明抄』は書名を誤って表記している。

 また、丸谷才一は次のように書いている。『日本語のために』(新潮社)P.101〜102より。

 一九七二年の日本でいちばん評判になった詩は、たぶん総理大臣北京で作つた七言絶句、

「国交途絶幾星霜。修交再開秋将到。隣人眼温吾人迎。北京空晴秋気深」

 だらうと思ふ。漢学の素養が乏しいせゐか、わたしがこの詩を見てまづ思い出したのは、李白でも杜甫でも、蘇東坡でも陸放翁でも、頼山陽でも柏木如亭でもなく、新聞広告の「美邸瓦水日当良」といふ類の文句だつたが、しかしまあ、それだけ平易明快で現代的だと褒めることもできないわけぢゃない。むやみに故実を踏まへた、わけの判らぬ詩など作らぬあたり、ザックバランな人柄が嬉しいと喜ぶこともできよう。

 もちろん、たとへば伊藤博文漢詩なんかとくらべて、時代が下れば総理大臣漢詩もかういふことになるかなどと慨嘆する手もあるけれど、伊藤春畝公の場合には一代の詩宗、森槐南といふ家庭教師がついていゐた。それなのに田中越山公(いや、本当は公ではない)はまつたくの独力で一詩を賦した、すくなくとも、さうとしか考へようがないくらゐの出来ばえである。とすれば、われわれはむしろ彼の健気な努力をたたへるべきであらう。

 だいぶひねくれた物言いだが、少なくとも角栄の「教養」を褒めてはいない(丸谷はこの後の文章で『日本列島改造論』の言葉遣いを批判している)。丸谷はさらに角栄漢詩は「政治的効用」だけを狙ったものだとして次のように書いている。P.103より。

 第二に、日本人が何となく漠然と尊敬する。何しろ漢詩文といふのは日本文化の一部分になつてゐるくらゐわれわれに親しいし、それに、和歌発句よりも格が上なやうな伝統がある。必然的に、これを弄ぶ人は偉いといふ感じがわれわれの意識にちらついてゐるから、巧拙などは物の数でなくなる。選挙区などでは、かういふ気持はいつそうはなはだしいにちがひない。

 つまり、無教養な人間ほど角栄漢詩に感心してしまうわけだ。岡田斗司夫はまさしくその典型なのである。

 

 岡田のコメントをもう一度見てみると、フランスドイツ哲学書」はいいとしても、漢詩が作れる」については坪内祐三が言っているように明治維新以降漢文の教育は廃れていき、1960年代に漢詩が作れる人間はごく少数しか存在しなかったのである。それ以上に不可解なのは西園寺公望で、いったい西園寺公望の何を読んでいたというのか。まあ、西園寺公望は作家たちを自宅に招いたこともあるし(雨声会)、西園寺の秘書である原田熊雄の『西園寺公と政局』は昭和初期の重要な史料とされているけれど。

 それから、竹内洋教養主義の没落』(中公新書)P.22で取り上げられている1963年関西大学の学生実態調査によると、関大の学生が「感銘を受けた本」の第1位は山岡荘八徳川家康である。つまり、吉川英治と同様にれっきとした「大衆文学なのであって、関西私大の雄である関大の学生の多くが「大衆文学」を読み、感銘を受けていたとなると、岡田の言う「教養」とは本当にごく限られた範囲の話にしかならないのではないか。そもそもどうして「1960年代ぐらいまでの日本には「教養」がしっかりあった」ことになっているのか根拠が全くわからない。

 

 教養は、何百年もの歴史を背骨にして形成されるものなんです。楠木正成を知らないとなぜダメなのかといえば、後醍醐天皇を助けて鎌倉幕府の大軍と戦い、皇居外苑にまで像があるほど歴史的に評価されているからだ。米国なら、メキシコからの独立戦争で死んだディビー・クロケット原文ママ)を知らないと笑われる。でも歴史を見る目が複雑化、細分化すると「教養」も揺らぐ。特に日本には、太平洋戦争という大きな断絶がある。あの時の何が良くて、何が悪かったか整理できていないから、日本人は英雄像もつくれない。

 最近の人が楠木正成を知らないとすれば、それこそ太平洋戦争という大きな断絶」があるからなのではないか。今じゃ「桜井の駅の別れ」を教科書で教えたりしていないのだし。…しかし、「歴史的に評価されている」というのも微妙な言い方で、楠木正成の像が皇居外苑にある理由を突っ込んでいくと、南北朝正閏論」に触れざるを得なくなるはずなのだが、岡田にそこまでの「教養」はあるのかどうか。

 そして、「日本人は英雄像もつくれない」って、いやいや、坂本龍馬は英雄視されているでしょう。だからこそ、大河ドラマでも主人公になったり重要なキャラクターとして登場するわけで。あと、織田信長豊臣秀吉徳川家康赤穂浪士新撰組宮本武蔵源義経聖徳太子、この辺は「英雄」といっていいのではないだろうか。戦後でも長嶋茂雄手塚治虫力道山あたりは「英雄」なんじゃないかな。『Fate/stay night』でサーヴァントとして召喚されてもおかしくない。


 教養は階級の証しでもある。平安貴族なら和歌江戸庶民なら狂歌が楽しめて当然。教養によって所属がわかり、その中での自分の位置もわかった。戦前の人たちが多数派だった60年代ぐらいまではまだ「教養」の輪郭があったけど、高度経済成長を経て70年代ぐらいからそれが狂い出す。90年代後半からはIT(情報技術)が発達し、IT企業が幅を利かせて、年寄りはダメ、若い方がずっといいという価値観も出てきた。最近は「あの人は教養がある」なんてめったに聞かない。「古いこと知ってるね」「雑学に詳しいね」で終わり。トリビア扱いだ。

 なるほど。岡田の考えだと、「戦前の人たちが多数派だった」から「1960年代ぐらいまでの日本には「教養」がしっかりあった」ということになるのか。…しかし、そうなると「戦後の教育が教養を滅ぼした」という保守派がよくやりがちな話になってしまうし、そう言っている岡田自身が戦後の教育を受けているわけだから、少々ヘンな気がする。

 それから、今の日本に「階級」はあるのか?と気になってしまう。「庶民」はいるとしても「貴族」は? 「年寄りはダメ、若い方がずっといいという価値観」は別に「90年代後半」にいきなり出てきたわけでもないし。あと、この文脈は堀江貴文あたりへの批判とも読めるな。

 そして、『トリビアの泉』という番組はそれまでのクイズ番組などにありがちな敷居の高さを取り払うことをねらいとしていたのだから、岡田が言うように「教養」を「雑学」「トリビア」扱いにしてしまった一因は『トリビアの泉』にもあるのではないか。まあ、「雑学」や「トリビア」をたくさん知っていたとしても教養があることには必ずしもならないんだけどね。


 ところがこんな時代になっても人間は他の人とつながりたい、蓄えてきた知識の量を測りたい、という欲求がある。独自の世界を持つオタクでも、アニメ機動戦士ガンダム」のファンであればガンダムファンがどれぐらいいて、その中での自分の位置を知りたいものなんです。

 そんなの人によるんじゃないか? としか言いようがない。『ひだまりスケッチ』のファンがみんながみんな「ひだまり王決定戦」に出たいわけじゃない。


 人は年をとればとるほど、自分のしてきたことの価値が気になる。しばらく前なら、自分は職人として、サラリーマンとしてどれほどかは、親せきや地域、同窓会を見回せば自然と分かった。つまり自分が帰属していると思う集団、群れがあった。ところが今は群れは崩れ、価値観も揺らいで「みんな自分の好きなように生きなさい」の社会。こうなるともう、好きなことでしか群れることができない。

 …は? 2006年の時点で「親せき」「地域」「同窓会」って無くなっちゃったの? でも、俺は今年の夏も親戚の家に行って来たんだけどなあ。単に岡田がそれらの「集団」に不義理をしているだけなんじゃないの? たまには墓参りにでも行ったらいいよ。

 それに「サラリーマン」でも「職人」でも「集団」の中での自分の位置づけは嫌というほど分かってしまうものではないだろうか。いくら「自分の好きなように生きるぜ!」と思ったところで他人からの評価からは逃れようがないし、大多数の人は「群れ」の中で生きていかざるを得ない。 

 ただ、「教養」にはいろいろな意味があるが、岡田斗司夫の言う「教養」とはどうやら「集団内における共通の基準」のことらしい、とここまで読んでやっとわかった。ある「集団」に属しているという証明が「教養」であり、その「集団」の中での自分の位置づけを認識するためにも「教養」が必要である、ということだろうか。


 群れたい、誰かとつながりたい、自分の位置を知りたい。そういう心に検定という物差しが滑り込んでくる。ナショナリズムと似ているかも。しかもテスト形式が、まじめで頑張り屋さんの日本人にはぴったりだ。


 ネオ教養が求められる限り、検定ブームは続くでしょう。ユーミン松任谷由実さん)検定とか、ガンダム検定とかも出てくるかも。僕は現状容認派なので検定ブームを批判しません。でも検定が、かつての教養と同じ役割を果たしてくれるかというと、何ももたらさない、と断言できます。

 さて、この結論でまたわからなくなった。岡田は「教養は階級の証しである」と言っていたが、それならば「検定」という明確な結果が出るものは「証し」として最適なものではないだろうか。先に紹介した坪内祐三福田和也は2人とも「検定ブーム」について「教養は役に立たないものである」という視点から批判しているのだが、岡田のように「教養」を集団内での「証し」と捉えている人間が「検定ブーム」を批判するのは筋が通らないように思う。少なくとも「何ももたらさない」と断言するのは乱暴すぎる。


 この結論の出し方にも言えることだが、このインタビューでの岡田の話の進め方には性急な面が多々見受けられる(いつものことかも知れないが)。興味深いことに『毎日新聞』にインタビューが掲載された直後の2006年5月24日ロフトプラスワンオタク・イズ・デッドが行われていて、つまり、インタビュー全体に見受けられる性急さは、「オタク」を理解できなくなってしまったという焦りを岡田が感じたことから来たものではないか?と思う。若いオタクと話が合わなくてもそんなに気にすることはないのに…と同情してしまうのだけど。俺だって流行りについていける自信ないよ。

 

 

 それから、岡田斗司夫どうしてそんなに「教養」を気にするのか?と思う。前にあげた『教養主義の没落』は日本の大学生から「教養」が失われていく過程を追った力作だが、宮崎哲弥は次のように評している。『新書365冊』(朝日新書)P.15〜16より。

 しかし教養ないし教養主義は、ある社会的条件の下において成立するものであったはずだ。その社会的条件が消滅してしまった以上、教養主義が没落し、教養の輪郭が失われるのは理の当然といえる。

 もちろん教養が滅失したからといって、人の知的営為が杜絶するわけではない。いま新しい社会的条件に応じた新たな知の形態―もしかすると「新しい教養」と呼び得るかもしれない―が生起しつつあるわけだが、それはまた別の話である。

 自分も宮崎に同感で、かつての「教養主義」はもはや成り立たないと思う(現在でも形を変えて存在し続けているのだろうけど)。岡田が奇妙なのは、「教養」がないのに(ないから?)かつて存在したはずの「教養」に憧れを持っているところである。だから、過去を妙に理想化してしまっているのだろう。たとえば、高校・大学への進学率の上昇は考慮すべきだろうし、「検定ブーム」にしてもエリートでない一般の人々が勉強熱心になっていることを考えれば決して憂うべき事態ではないと思うのだが、そこらへんを素っ飛ばして「日本人から教養がなくなった!」と言われても、と思う。だいたい岡田斗司夫エリートじゃないんだからさあ。むしろ、岡田は過去にとらわれることなく「ネオ教養」「新しい教養」とは何か、を考えるべきだったのではないだろうか。岡田斗司夫にとっては、「教養」が無いことよりも「自信」が無いことが問題なのだと思う。


 岡田斗司夫については近いうちにもう一回やります。

正義はどこにも売ってない-世相放談70選!

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21世紀への伝言―名言にみる「日本と世界」の100年

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日本語のために

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西園寺公と政局 第1卷―自昭和三年 至昭和五年

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教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)

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徳川家康(1) 出世乱離の巻 (山岡荘八歴史文庫)

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フェイト/ステイナイト[レアルタ・ヌア] PlayStation 2 the Best

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新書365冊 (朝日新書)

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藤岡真藤岡真 2010/10/16 12:45  漢籍に親しむ程度ならいざ知らず、漢詩の詩作は夏目漱石が最後だったのでは。弟子の芥川龍之介には、もうそんな教養はありませんでした。田中角栄に至っては――なるほど、岡田も面白すぎますね。

TDFTDF 2010/10/16 13:03 >西園寺公望の何を読んでいたというのか
『陶庵随筆』とかでしょうかね?(中公文庫で読めます)

>(岡田氏の発言)「楠木正成を知らないとなぜダメなのかといえば、後醍醐天皇を助けて鎌倉幕府の大軍と戦い」
いわゆる皇国史観のもとで楠木正成が顕彰されたのは、後醍醐天皇に最後まで忠誠を誓って戦い抜いたからでは?
だからこそ建武政権に叛旗を翻した足利尊氏が逆賊になるわけで。
(まあこちらは最終的に談話をまとめた太田記者の方に問題があるのかもしれませんが)

モトラモトラ 2010/10/16 13:16 「我空腹 我欲求 中華丼」
http://www.manganews.net/forums/printthread.php?t=5066
田中角栄の漢詩を読んで「パタリロ!」のデタラメ中国語を思い出しました。こんなのを一国の総理がドヤ顔で披露…… 教養があると言われたって、本当なのでしょうか。

SY1698SY1698 2010/10/16 14:04 「全日空」=「一日中、暇」。

いや、漢詩を作ったときに韻を踏んでいないなどという批判をされたと聞いた記憶がありましたが、やはりそうでしたか。
そもそも「幾星霜」という言葉は、田中角栄の世代であれば、「加藤隼戦闘隊」中の「干戈交じゆる幾星霜」という歌詞の影響が強いように思われますし、「空」というよりはむしろ「天」を使うべきでした。
外務省の事務方も、突発で作られたからアドバイス出来なかったのかもしれません。

NNTNNT 2010/10/16 14:41 岡田氏のここ数年の動きは『年を取ることの不安』にかられているのかな?と思っています。
新しいアニメやマンガに興味が無いって、人間そうやって何かを卒業して成長するのだから、普通の人にとっては大した話じゃないのでしょうけど、
オタクで売り出した人間にとってはおまんま食い上げですからね。岡田氏にとって成長する事はまんま死活問題なのでしょう。
そしてそれ以外のジャンルで売れるモノ=商品が無い。新たな商品を作りだせない。だから本当に身を切って売ったのがダイエット本だったと思っています。

売る事のできる人生の経験=商品が底をついたなら、また何かを体験したり勉強したり自分にとって新たな発見をして感動できれば、また新たな商品もできるでしょう。
クリエイターは自分の感動を、形を変えて他者に伝えるのが仕事ですから。
商売人の適性が高い岡田氏は、自分の在庫がゼロなのを分かってるのに、在庫を増やす方法については頓珍漢としか…、
クリエイターじゃなくて商売人だから仕方ないのかもしれません。

唐沢氏はトヨタ方式に近いですね。但し不良品しか出さないし、材料を盗んで来るし。

蘭月新十郎蘭月新十郎 2010/10/16 16:01 最近のものが理解できなくなって、文句を言われたら“自分の庭を荒らされた”と錯覚して若い世代を批判。
文豪とかの名前を書いて権威主義的に「お前たちはラノベだけだろうけど、俺こんなに知ってんだぞ」っていばりたいんでしょうね。空虚です。頭のいいことをしたいのに空回りなのは学歴コンプレックスだからなのかと。
いい迷惑です。

栃尾ジョー栃尾ジョー 2010/10/16 16:12 >教養は階級の証しでもある。平安貴族なら和歌、江戸庶民なら狂歌が楽しめて当然。教養によって所属がわかり、その中での自分の位置もわかった。

岡田の場合、自分達が親しんだ「ヤマト」や「ガンダム」を知らない世代に対して「お前らはオタクが知っていて当然のことを知らない!」
と「オタク内部におけるオタク教養の崩壊」に危機感を抱いているだけだったりして。

>岡田斗司夫はどうしてそんなに「教養」を気にするのか?
>岡田が奇妙なのは、「教養」がないのに(ないから?)かつて存在したはずの「教養」に憧れを持っているところである。

「オタクにとっての教養」(アニメ、マンガ、特撮等)を持ち合わせていない人が増えれば逆に岡田を「先生」と見なす人が減ることを不安に感じているとか。
岡田を「先生」だと思えるのは岡田の持つ「オタクにとっての教養」に価値を見出している人だけだけど、
オタクの世代交代が進んだ今ではかつての「教養主義」どころか岡田が拠りどころにしていた「オタク教養主義」も成り立たなくなった、
などと考えてみました。

蘭月新十郎蘭月新十郎 2010/10/16 16:16 連投失礼します。
>kensyouhanさん
>だいたい岡田斗司夫はエリートじゃないんだからさあ。
なのに(特に最近の)岡田さんって俺=頭のいいエリート、みんな=バカって前提だから根本から話がトンデモさんなんですよね。

>「雑学」や「トリビア」をたくさん知っていたとしても教養があることには必ずしもならない
岡田さんが唐沢さんをどう見ていたかがわかる興味深いコメントです。

蘭月新十郎蘭月新十郎 2010/10/16 17:29 (↑)すいません。ちょっと間違えてました。
>「雑学」や「トリビア」をたくさん知っていたとしても教養があることには必ずしもならない
唐沢さんはたくさん知っていたというよりたくさんガセを作ったわけで。岡田さんはある程度は知っているけど使い方がヘンとという気がします。

>最近は「あの人は教養がある」なんてめったに聞かない。「古いこと知ってるね」「雑学に詳しいね」で終わり。トリビア扱いだ。
岡田さんが唐沢さんをどう見ていたかがわかる興味深いコメントです。

幻灯機幻灯機 2010/10/16 17:40 >戦後でも長嶋茂雄、手塚治虫、力道山あたりは「英雄」なんじゃないかな。『Fate/stay night』でサーヴァントとして召喚されてもおかしくない。

ご存命の方を召喚するのはおすすめできませぬ…。
それはさておき、今回の検証内容もまた、岡田氏の教師としての資質に不安を抱かせるものですね。
教養と人格の同一視に若い世代への蔑視が重なり、しかも肝心の岡田氏本人の教養は危うい。
となると、教える内容が誤りと偏見だらけ、にも関わらず自分の誤りを認めず、誤りへのツッコミも許容しない、非常に偏狭で暴力的な指導者の姿しか思い浮かばないのですが。
杞憂であってほしいところです。

トンデモブラウトンデモブラウ 2010/10/16 22:22 >今の日本に「階級」はあるのか?

あります!
底辺は、タクシーの運転手とAV女優で頂点は作家だそうです。(笑)

foobarfoobar 2010/10/16 22:37 >底辺は、タクシーの運転手とAV女優で頂点は作家だそうです。(笑)

古参メンバーがこんなこと言ってるんだから、と学会は大川輶法の霊界ランキングを笑えないよねw

foobarfoobar 2010/10/16 22:38 >大川輶法

あれ、漢字変換で変な文字が出ちゃったw

S.KS.K 2010/10/16 22:42 >教養
「社会的に習得を推奨される知識」という事で、
「文化圏の崩壊」でも起こらなければ「教養」
はなくならない筈なんですけどね。
 知識人粛清を行った共産圏でも「党規則」
「指導者の理念」は「教養」として一般社会
に機能した筈です(党の指導者層が「国際的
世間知」という別の「教養」を習得する必要
は生じましたが)。

>英雄
「TYPEMOON」的には「近代から現代は人より兵器」
が合致するらしいですが、それでも日本には「大和」
「ゼロ戦」「新幹線」「東京タワー」「黒部ダム」
「青函トンネル(惜しくも本日世界一の座を追われ
ましたが)」という層層たる「英雄」達が鎮座まし
ましておりますけどね。
 あと『Fate/stay night』でサーヴァントとして召喚
されるなら是非キャスター天草四郎を。

>岡田斗司夫にとっては、「教養」が無いことよりも「自信」が無いことが問題なのだと思う。
 実際「技能」があれば「技能」に、「技術」があれば「技術」に、
「資力」があれば「金の運用と社会的意義」に拘ったと思います。

tennteketennteke 2010/10/16 23:49 >教養は階級の証しでもある。平安貴族なら和歌
平安貴族の教養は詩歌管弦で、一に漢詩、二に和歌だと高校の古典の授業で源氏物語をやってたとき先生から聞きました。
光の君はパーティー(?)で周囲から漢詩を作るよう頼まれるが
「いやー、若輩の身なんで諸先輩を差し置いて漢詩なんて、恥ずかしいですよー」と和歌を詠み、大喝采。
内心(やっぱ漢詩にしときゃよかったかな)と嘆いたところ、
実際は作者である紫式部が女性だったので作中人物といえども漢詩を作る事なんて許されない社会事情があり、
式部の「私が漢詩を作ったら凄いものが作れるのよ!」という心の叫びだったとか。
小松左京「SFセミナー」集英社文庫でも平安貴族が出世のために和歌の創作にはげみ、
仕事の報告書に沿えた和歌の出来で出世コースが決まると書いてましたが、
結局これも和歌が「立場の弱い人が立場の強い人に読んで貰う」ツールのようで。
あと岡田さんは「「世界征服」は可能か?」(2007年)で、
「もう階級なんてない、あるのは階層だ」って書いているのは、次回に指摘されるのかな?

discussaodiscussao 2010/10/17 02:05 坪内の言う<「毎日新聞」の夕刊>は気になってました。直後にプラスワンの『オタク・イズ・デッド』ですか…、たいへん興味深いですね。丁寧な調査、参考になります。

>でも吉川英治は大衆文学だから全部読んでもダメだとか
↑大仏次郎が文化人としては『鞍馬天狗』よりも『天皇の世紀』の人として扱われる、というようなことを言いたかったんでしょう。『教養主義の没落』は未見ですが、体制的な大衆小説作家山岡荘八のチョイスは微妙な気もして岡田斗司夫が少し可哀相。ま、フォローしてもしょうがありませんが。

宮崎哲弥は山形浩生『新教養主義宣言』発売記念の対談でも似たような話をしてますね。
http://cruel.org/other/miyayama/tyosya-03-1.html
>実際、教養力はどんどん弱まっている。それにはさまざまな要因があって一言ではいえないけど、私は底の底を打つまではこの弱体化傾向は続くと予想します。これからもまだまだ教養は落ちていくでしょう。ただ真の希望はすべての希望が焼き滅ぼされた、その灰の中から再生する(笑)。いま、本とか雑誌とかテレビといった、知識を共通 基盤を形成する装置がありますが、そういうものがすべて滅びて、装置のストラクチャーが変わるにつれて、本当の意味での新たな教養が浮上してくると思う。

あと、話がこんがらがるけどこんな発言も…
>でも「新教養」っていうのは、日本でもそこここに具体的に出てきてると思うよ。たとえば「と学会」とかさ。あれは「新教養」の精髄だと思うもん。(中略)「と学会」は広義のオタク文化のなかから出てきたものだけど、とくに会長の山本弘には非常にオーセンティックな教養への信頼がうかがえるんだ。「オタクから新教養へ」という道を拓いていると思う。

私はオタクではないし教養とも無縁なので、この手の話は興味深いけれどやや他人事なんですけどね。

古賀古賀 2010/10/17 10:01 >discussaoさん

>とくに会長の山本弘には非常にオーセンティックな教養への信頼がうかがえるんだ。
>「オタクから新教養へ」という道を拓いていると思う。

山本さんの教養志向は岡田さんや唐沢さんよりもさらに偏ってますからね。岡田さん唐沢さんの場合は誤魔化しであるにしても一般的な教養(文学、芸術、社会科学等)に開かれている印象はあったけど山本さんにはそういうのがほとんどない。SF、アニメ、オカルト、自然科学、オタク趣味と自己のテリトリーがひどく限定されているしそこから出ようとしない。だから「「オタクから新教養へ」という道を拓いている」と考えるのは無理があるんじゃないかしら。

アキラアキラ 2010/10/17 10:39 いつも楽しく読ませてもらってます。
ちょっとカユかったんで初コメ失礼します。

>米国なら、メキシコからの独立戦争で死んだディビー・クロケット(原文ママ)を知らないと笑われる。
アメリカってメキシコから独立したんですか?
メキシコから割譲された州はあるだろうけど、
その辺のゴタゴタを独立戦争って言い方したりもするのでしょうか。
無教養ですみません。

アキラアキラ 2010/10/17 10:43 ↑あるみたいですね。
「テキサスの独立」か。きゃあ恥ずかしい。削除してもらっていいです。すみません。

tennteketennteke 2010/10/17 10:49 アキラさま。
Wikipediaで「アラモの戦い」を見ると、テキサス共和国がメキシコから独立を宣言して、とあります。
そのテキサス共和国とアメリカ合衆国の関係がいろいろあるのでしょう。

みたかみたか 2010/10/17 11:44 >関西私大の雄である関大

 あの……関大って、一般的には関西では「ポン・キン・カン」と呼ば
れておりまして……。
 ポン(日本大学)、キン(近畿大学)、カン(関西大学)程度しか受
からない凡庸な成績という意味で、その言葉がつかわれております。
 つまりもともとエリートでも学士様という状況でもなく、普通の
人間、ですね。その意味でまさに『徳川家康』はふさわしいわけで
すが。

 余談ですが、2000年、あるライトノベルの作家が、「『徳川家康』
を読んでいる」と鼻ふくらませて自慢している現場に、わたくし直面
したことございます。あれが教養だと誤解している、というのが現代
なんです。その人は高卒ですけどね。

通りすがりで失礼します通りすがりで失礼します 2010/10/17 11:59 本論と無関係な部分で一言.
>>(丸谷はこの後の文章で『日本列島改造論』の言葉遣いを批判している)
とありますが,丸谷は田中角栄の言葉使いを批判しているのでなく,代筆した役人(または御用学者)の軽薄な文体を批判しています.
気になったので書きました.失礼しました.

栃尾ジョー栃尾ジョー 2010/10/17 14:19 >とくに会長の山本弘には非常にオーセンティックな教養への信頼がうかがえるんだ。
>「オタクから新教養へ」という道を拓いていると思う。

「ヘルマン・ヘッセを読んで眠くなった」とか「高校の国語の授業は覚えてない」とか得意気に言っていた山本弘って「教養」とは無縁の人なんじゃ?
「オレの知っていることを知らないヤツは馬鹿、オレの知らない知識は無用な知識、そんな知識を知っているからってたいしたことない」というのが山本という人間だと思うけど。

>あるライトノベルの作家が、「『徳川家康』を読んでいる」と鼻ふくらませて自慢している
に近いのが山本弘。

>でも「新教養」っていうのは、日本でもそこここに具体的に出てきてると思うよ。たとえば「と学会」とかさ。あれは「新教養」の精髄だと思うもん。
昔「と学会」本の読者だった私は宮崎氏がどの本のどの部分を読んでこう思ったのか気になる。

discussaodiscussao 2010/10/17 21:41 >古賀さん
どもども。宮崎哲弥のこの発言は山形浩生『新教養主義宣言』発行時のものだから10年前、と学会が肩で風切っていた(?)頃だから、そういう時代的な背景もあるのかも知れませんね。あと穿った見方をすると、訳知りで世間知にたけるゆえ理論をないがしろにしてしまう岡田・唐沢よりも、偏狭で偏屈だからこそ(間違いこそすれ)理念を保持している山本弘に「教養への信頼」が認められるって意味かもしれませんね。勿論これは山本弘の領域から物凄く遠い私からみた推測に過ぎませんけど。
とかなんとかウダウダ喋って手持ちのカードをさらす愚を避けるため、福田和也は、
「うぬん」
と、飲み込みの悪い相槌を打ったのでしょうかね…?

おおくぼおおくぼ 2010/10/18 14:59 藤岡真さんの「漢籍に親しむ程度ならいざ知らず、漢詩の詩作は夏目漱石が最後だったのでは。」というコメントは、文法の話ではなく韻を踏む話だと思うのです。
日本人で、中国語を音声で理解できる人は少数派でした。
江戸時代の有名人では、荻生徂徠が音声で理解できましたが、やはり少数派です。



「若者批判をメインとした世代論」を分析した本では、後藤和智さんの『おまえが若者を語るな!』(角川ONEテーマ21新書)が優れていると思います。
岡田斗司夫さんの言論は分析対象ではありませんが、十分に当て嵌ります。
またアメリカの若者を分析した『アメリカで大論争!! 若者はホントにバカか』(阪急コミュニケーションズ:発行)という本があります。
この本は、「どうして今のアメリカの若者がバカに見えるのか?」を分析した真面目な研究書で、この本の分析結果はアメリカだけでなく、世界中に当て嵌まると思います。

粗忽亭主人粗忽亭主人 2010/10/18 17:56 >みたかさん

わたしは生まれてから大学を卒業するまでずっと関西で生活していた者ですが、「ポン・キン・カン」なる表現は耳にしませんでしたね。「一般的には」そのようには呼ばれていないと思います。
「関関同立」なら日常的に耳にしましたし、一般的にこの4大学が「関西私大の雄」とみなされているとおもいます。

kensyouhankensyouhan 2010/10/18 20:28 コメントありがとうございます。

>藤岡さん
>おおくぼさん
高島俊男『漱石の夏やすみ』によると正岡子規も漢詩はダメだったようです。

>TDFさん
でも、「西園寺公望の随筆を読まないとダメ」という話は聞いたことがないですねえ。

>モトラさん
>SY1698さん
当時から「漢詩としてはマズい」という評判だったみたいです。

>NNTさん
『遺言』の後ネタがあるのか心配。次回も岡田斗司夫ネタの予定です。

>蘭月新十郎さん
まあ、今の2人の関係を考えると意味深ではあります。

>栃尾ジョーさん
岡田は「「オタクとしての教養」の方が「世間一般の教養」より凄い!」と言えばよかったと思いますけど、それには根性と知力が必要かな。

>幻灯機さん
いや、召喚にも例外があって…でも、これはネタバレかな。

>トンデモブラウさん
論ずるに値しない。

>S.Kさん
>天草四郎
『魔界転生』『サムライスピリッツ』と大活躍なので、『ドリフターズ』にも出てきてくれないものか。

>tenntekeさん
『「世界征服」は可能か?』はまだチェックしてませんね。だんだん岡田検証に足を突っ込んでしまっているなあ。

>discussaoさん
「と学会」は「教養」ではなく「常識」をベースに行動しているように思っていました。
宮崎哲弥は最近でも「と学会」の本をチェックしているようですが、唐沢俊一のことをどう思っているのか聞いてみたいところ。こないだTV番組で共演してましたが。

>アキラさん
いや、自分も「え?」と思ったので無理はありません。

>みたかさん
ということは「日東駒専」レベルということですか。

>通りすがりで失礼します さん
そうですね。その点は補足しておいたほうがいいでしょうね、ご指摘に感謝します。

モトラモトラ 2010/10/18 21:18 他人の著作で見かけた些少なミスを針小棒大にあげつらい、バカにし続ける「と学会」ですが、山本弘の著書「神は沈黙せず」において「常識」であるオートマチック車のクリープ現象を知らなかったことを指摘された際、
「車の運転をしたことがないので」
などと言い訳し、うやむやで済ませるというみっともない真似を、会長自らしでかしているあたり 団体として信頼・評価ともに出来ませんね私は。

NNTNNT 2010/10/18 23:07 >モトラさん
マジですか?
都会に住んでいるからって、自動車免許必要無いからって、
ちゃんと下調べしないで、取材しないで、小説書いてるんですか?
山本さんって?
日本の人口の半分は自家用車が無いと生活できない田舎に住んでるのに。
日本の人口の半分に呆れられても仕方ないですね、もはや。

金平糖金平糖 2010/10/19 00:58 ポン・キン・カン
昔は言ってましたね
関東でアホが大学行くなら日本大学、関西でアホが大学行くなら近畿大学
関大も評価はかなり低いので有名でした。

関関同立というのはもともと六大学野球の関関戦、同立戦からきた呼び方です。
関関同立という呼び方が一般的になり大学が有名になったことで
関大もランクがぐっと上がってます。

結局は大学のレベルも時代によって違うし学部によってぜんぜん違います。
ただし「関西私大の雄である関大」というのは えっ?と思いますね。
有名ではあるが、名前が売れてるからって関西私大の雄はないでしょう?と
もちろんポン・キン・カンと呼ばれてた時代とは話が違いますから
レベルが低いことで有名と言うことは現在ではないですけどね。

>「神は沈黙せず」
まあ、突っ込みどころは満載ですが、とりあえず経済に関しては中学生以下レベル
社会はきっと苦手だったんだろうねと言う感じです。
出てくる単語は悪くないのに意味がわかってないと言うもの
源泉徴収の存在も知らないし、日本の歳入の金額、内訳などまったくわかってないし
為替やレート社会の仕組みがまるでわかってないので読んでて思わず微笑んでしまう。
正直、もうちょっと勉強してから書けばいいのにとは思いますね。

おおくぼおおくぼ 2010/10/19 00:59 正岡子規は夏目漱石と親しかったんですけど、そうなんですか、「子規」という名前を使っていると漢詩ができそうに思えてしまいます。

ところで岡田斗司夫さんの話からドンドン遠くなりますが、「田中角栄 訪中 教養」というキーワードでは、「なぜ毛沢東は田中角栄に『楚辞集註』を贈ったのか?」という話があります。

参考

http://www.21ccs.jp/china_quarterly/China_Quarterly_01.html

モトラモトラ 2010/10/19 05:28 >NNTさん
「神は沈黙せず」刊行当時、金平糖さんの指摘された源泉徴収他経済関係や戦中の日本についての議論など多くの箇所を批判されましたが、さすがに6年も経つと風化するものですねw とりあえずクリープ現象については以下のリンクをご覧ください。
http://www.tondemo.info/reviewbook01_2004_01_aa.html
http://www.tondemo.info/reviewbook01_2004_01_ab.html

kensyouhankensyouhan 2010/10/19 07:28 コメントありがとうございます。

>モトラさん
源泉徴収については文庫版で訂正されたようですが、クリープ現象はどうなんでしょう。
http://mechag.asks.jp/172230.html

粗忽亭主人粗忽亭主人 2010/10/19 10:32 >金平糖さん

ちょっと調べてみたら、むかしは言ったようですね。 > ポン・キン・カン
わたしが高校生だったころ(30年ぐらいまえ)には耳にしませんでした。たしかに父なんかは関大にはあまりよい印象を持っていなかったような。わたしらのころでも「所詮奴は四天王の中では最弱。」てなイメージはなきにしもあらずでしたが。
このへんの感覚は世代で結構かわってしまいますね。父は法学部も軽視していましたしね。当時は(多分いまでも)おなじ大学なら法学部の方が経済・経営・商学系よりも難しかったんですけどね。
と、余談ばかりで失礼しました。

粗忽亭主人粗忽亭主人 2010/10/19 10:42 たびたび失礼。
本文の「徳川家康」のエピソードは1963年のことですから、そのころは「ポン・キン・カン」と言われていたのかな。と書こうと思っていて、書き落としました。肝の部分なのに。

おおくぼおおくぼ 2011/01/21 01:03 岡田斗司夫さんの話ではなく、今週の『SPA!』の福田和也さんと坪内祐三さんの対談なんですが、小谷野敦さんのことが話題になっていて、小谷野敦さんのブログに反論がありました。

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110119

一海知義さんの『漢詩入門』(岩波ジュニア新書) を読むと、日本人で中国で評価されている漢詩を作る人は少ないそうです。

本記事で引用されている岡田斗司夫さんの教養待望論を読むと、唐沢俊一さんみたいに「お山の大将」になって威張りたかったのかな?・・・と思ったりもします。