2012-02-10
道徳的錯誤横行への危機感を共時的に感じた話
先に子供と本の話のことを書いた際に冒頭で触れた、岸本和世さんと昨年から時々、メールのやりとりをするようになった。岸本さんは私が小学生で博多に住んでいた時通っていた福岡警固教会で当時牧師をされていた。1977 年から 1979 年にかけてのことである。
岸本さんが Translators United for Peace という団体に所属され、下記翻訳を手がけておられるのを昨年知り、Amazon で購入して読んだ。
- 作者: ハワード・ジン,岸本和世,荒井雅子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2010/08/04
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- クリック: 3回
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原著者の Howard Zinn はニューヨーク生まれの歴史家、社会学者。同時に公民権運動やベトナム反戦運動に参加した行動の人でもあったと知った。原著 "The Bomb" は彼の遺作なのだそうだ。岩波ブックレットに採用されているのが非常に的確と思える、読み易くコンパクトに書かれているが質の高い内容と感じた。
「ヒロシマの原爆」と並んで章を成しているのが「ロワイヤン爆撃」であり、この構成が示唆に富んでいる。
広島においては原子力爆弾、ロワイヤンにおいてはナパーム弾という当時における新型兵器を使う、ということが全てに優先され、軍隊という組織においても、アメリカの世論においても、犯罪が看過され反省も薄かったということが理解できるように書かれている。
ジン博士がインタビューに答えている映像があった。何故上記のような道徳的錯誤が罷り通るのか。繰り返されるのか。彼の著作を読むに当たって理解の助けになるだろうと思う。良いコンテンツが公開されているものだ。
第2次世界大戦時と現在の類似点
先日岸本先生からメールを頂いた。メールといっても多くの人に読んで頂ければ、と私も含めた複数の方にBCCを使って送られたものだった。下記リンク先の記事を紹介されていた。
原発マネーに負けなかった男 (高知) − JanJanBlog
高知県に原子力発電所を誘致する動きを実に三度に渡って阻止した方についての取材の記事。
他の原子力発電所を建ててしまった地域について聞いても、誘致にあたって単に多くの雇用を生み出すというような単純な話だけでなく、賄賂と判断できるような金も使われたというのは現実にあったことなのであろう。
「雇用を生み出す」であったり「CO2を排出しない原子力発電にシフトすべきだ」というような間違っている訳ではない理由を謳って利権を得るために奔る様というのは、原子力爆弾を使うために民間人への爆撃を正当化した様子と似通っている。
全くの偶然だろうが、岸本先生からメールを頂いた日帰宅すると、大阪市立大学合気道部の同期から大きな封筒で郵便物が届いていた。
第2次世界大戦中に宇部で起きた、長生炭鉱水没事故について追悼碑の建立を進める活動の手伝いをしていて、募金に協力してもらえないか、という相談の手紙が長生炭鉱水没事故についての資料に添えられていた。
宇部の海底炭田で落盤事故により実に183名が亡くなった事故で、救出活動も不可能と判断され遺体は収容されていない。いかに戦時中とはいえこれほどの人数が一度に亡くなってそれほど知られていないのは──少なくとも私は山口が地元であるにも関わらず知らずに40数年過ごしているのでそう表現するのだが──犠牲者の方々のうち137名までが朝鮮半島から来た労働者であったことと無関係ではないだろうと思われる。
遺族や生存者の証言をまとめた冊子を読むと、事故が起きる以前から水漏れは起きていたが水非常(炭鉱において出水事故をこう呼ぶとのこと)に対するリスク対策は全く取られなかったという。東京電力の、原子力保安院の、リスクに対する無策と重ねて読まざるを得なかった。宇部における水非常はこれ以前にも1916年に東見初炭鉱で、1920年に新浦炭鉱で起きているのだそうでその反省も為されなかったと評価できる。
また、主に軍備に対して無理な石炭採掘を採掘者の安全よりも優先した道徳的錯誤もまた共通する。連合軍は日本やドイツ(軍守備隊が駐留していたことになっていたロワイヤン)を危険なファシストであるとして原子力爆弾やナパーム弾で攻撃し、長生炭鉱の経営者は出稼ぎ労働者を劣悪な条件で働かせ見殺しにした。東京電力の経営陣は福島第一原発の事故現場で危険な作業に当たっている従業員を自分たちの仲間として見ているだろうか。
2012-02-04
三教の裏
先週末1月29日の大田区合気道会の稽古で三教の抑えについて指摘を頂いた。
三教というのは抑え技のひとつ。手首を取って親指の方に捻る……という説明になるのだろうか。探したら中国語圏からアップロードされたもののようだが小林保雄師範の説明演武があった。
指摘を頂いたのは裏の方。合気道で裏とは相手の背後に入る捌き、というのがとても大雑把な説明。前側に捌くのが表技。
裏に入って三教に手首を取ったあと相手を自分の前に落として抑えるのだが、私はその時自自分が大勢を低くして相手の手首を極め、相手を落とすようにしていた。
その際「相手を上げるようにしていますが」というのが指摘で「相手がどうにも逃げられず終いには崩れてしまうように極められる」ということだった。
すぐに大阪市大の二代上の先輩の話を聞いたのを思い出した。「三教は上に捻ったり、後ろに捻ったりというものではなく、相手が逃げ場が無いような極めになるはずだ」というようなことを大学合気道部の稽古で実際にやってみながら話されていたのだ。同じ事だな、と思った。
二十年位前に答えが目の前に転がっていたのだが。
2012-01-28
入新井及び馬込は子供達を大事にするまちであるという仮説 ── 狛犬の観察から
東日本大震災のあと一時期妻と子供達を実家に戻していた時期があった。
仕事をしている間はひとりで出歩いていたのだが、出かける前に馬込の総鎮守である八幡神社に立ち寄った時のことである。
離れていた子供達のことを思い出してふと写真を撮ったのが下で出てくる写真である。
よく見ると馬込八幡神社の本殿前の狛犬は阿吽とも子供とじゃれておられる。興味が沸いてそれ以来お宮に参るたびに狛犬を見るようになった。
実は狛犬が子供を連れているように彫ってあるのは一般的なことだということも調べると分かってきた。「子取り玉取り」と言って子を連れている狛犬と玉に足を置いている狛犬とが対になっている。阿形が玉を持っているか、あるいは開いた口に玉をくわえているかで、中国から伝わった吉祥の型であるという。よく見ていると中華料理店の前におかれた大陸風の狛犬も子取り玉取りであったりするのにも気がつくようになった。
ところが馬込や入新井にある神社を見ていると、阿吽とも子供を連れている。私が住んでいるこの土地は実はとても子供を大事にする風を備えているのではないか、と思うに至った。以前に書いたことがあるが、馬込にある北野神社の秋祭りの子供がひく山車などは地元の方がかき氷やおにぎりを振舞ったり、アイスやお菓子を出したり盛大なのも同じこの土地柄に根っ子を持つのではないかと想像している。
ということで調べてきた狛犬の様子をここにまとめ、今後も更新していくこととする。
狛犬マップ
紫色のピンが子取り玉取り。
狛犬が居ないお社はピンを置いていない。
馬込
馬込八幡神社
これが最初に気がついた子供連れの狛犬。近くの平張谷からの奉納である旨彫られている。平張は馬込第二小学校のある辺りで「谷」とある通り環七通りに向かって谷の地形を成している。
慶応元乙年 根古谷 鈴木平吉 の銘があるが、鈴木平吉さんは願主のひとりであるらしい。根古谷(ねごや?)は西馬込の湯殿神社のある辺りという。石工の名前は見当たらない。
北野神社
神明社
瑞穂幼稚園の中にある神明社。阿形の足元にあるのが花のように見えるが、玉を彫っていたのが壊れてしまったのかもしれず、見た限りでは不明。吽形は子を連れておられる。阿形の台座に「明治十五年四月」、吽形の台座に「東京芝伊皿子町 石工 和田左兵衛」の銘がある。
熊野神社
阿形のみ子連れ。石工の名は見つけられず。
湯殿神社
北馬込天祖神社(三本松塚)
大森中央
馬込から臼田坂を降りた池上通り沿い。入新井村の一部を為し、馬込と隣り合わせ。
春日神社
ここの狛犬に至っては阿吽とも2体づつ子供を連れている。1体づつ背中に載せているし、どれだけ子供好きなのか。
太田神社
子連れの狛犬が居られる。「三田の石工堀部忠蔵」「松仙芝益」の銘。
山王
熊野神社
天祖神社
厳島神社(弁天池)
大森山王権現(日枝神社)
鹿嶋神社
本殿前には狛犬は居られない。脇にある小さな旧本殿の前に居られる狛犬は子を連れておられない。「天明五年乙巳九月 石工尤治郎」の銘。
御嶽山
御嶽神社
目黒
目黒不動尊
大鳥神社
自由が丘
熊野神社
赤坂
日枝神社(山王権現)
渋谷
金王八幡神社
氷川神社
子連れではない。
大久保
皆中稲荷神社
根津
根津神社
京都
八坂神社
大阪
岡町 原田神社
2012-01-21
両手で受け取る
少し前に Twitter のタイムラインで「ものを受け取る時に両手で受け取れるか、片手で受け取ってしまうか」というような話題が流れて行ったのをちらっと見た。後で気になって探したのだが、恐らくこのポストに対するリアクションを見たのではないか、と思った。
Twitter / @shimanamiryo: 法科大学院には、学部卒だけでなく、社会人経験者が一定…
「ものを受け取る時は両手で受け取る」という当たり前のような振る舞い、社会人であっても場面が違うと意外と出来ていないのではないかという印象を持っている。特に仕事場で「偉く」なってくると報告を受けるような場合にいちいち両手では受け取らなくなる、というのはある。
だが、その場で立場の上下を瞬時に判断して相手を尊重して動くのかどうかという判断ができる事は、仕事をしている中では当然求められることではある。
と言いながらも親しさが増すほど尊敬の念が薄れるという心理上の現象もあるので、常にその振る舞いの質を保つのには一定の努力を要するのだろうと普段から感じている。
普段稽古している大田区合気道会で子供達が月謝袋や予定を書いたプリントを受け取れる時に両手で受け取っているか、というのをいつも見ている。片手で受け取る子を見ると呼んで「もの受け取る時に片手で受け取るやつがあるか」と言い含めることにしている。といってなかなか出来るようにならないものではある。
もっと言うと、大人も片手にタオルを持っていたりするタイミングで稽古の予定表など渡されると、ほいと片手で受け取ってしまったりする。前述の「親しさが増すほど……」というのの一例であろうかと思うが、注意しなければならない。
冒頭のポストのように、試験場のような緊張を強いられる場では多くの人が常識が働くから「だいたい見分けることができる」というのは本当だろうと思う。それにしても重要なことを再確認できる良い指摘を目にさせてもらった。
2012-01-10
子供と読書
昨年末に私が博多に住んでいた少年時代に福岡警固教会でお世話になった、岸本和世さんとメールでやりとりできるようになった。岸本先生は当時警固教会の牧師をされていて、当時椋家は牧師先生宅の向かいの社宅に住んでいた。私と3つ下の妹は毎週子供の日曜礼拝に通っていた。
やりとりのきっかけは岸本さんが翻訳に携われた『爆撃』という本を買って編集部経由でお手紙を書いたことにあるのだが、この本についてはまた書こうと思うのだが、ここでは子供時代の話を。
福岡警固教会は通常の礼拝堂とは別に子供の礼拝堂があり、子供の礼拝堂の後ろには本棚があって図書館として本を借りる事もできた。私は毎週本を借りて帰って読んでいて、憶えている限り3架あった本棚の本は博多で暮らしていた3年間に全て読んだ。岸本先生の奥様も私の名前を聞いて「あの本が好きだった子」と思いだして下さったそうだ。
といってその時期に読んだ本の内容は大概忘れてしまっているが、それでもに宮沢賢治の全集を読み、椋鳩十の全集を読んだ。ベラスケスの画集を読んで(まるで写真のようだ)と感動したり宮沢賢治の作品の落字(彼の作品には生前に刊行されていないものも多いので1字2字、□になっているところがある)を読んで何を彼か書こうとしていたのか想像したりしていた。忘れずに頭に残った本たちが、自分の考えの基礎の何処かをつくってくれているのだろうといつも思う。
自分の経験から自分の子供達も本を読んでくれるといいとおもっていて、ごく幼い頃から子ども達が寝る時には本を読んできた。最近はクイズの本だのマンガだのを読んでくれと言われてがっかりすることもあるが、それでもまだ読んでいる。
何歳ぐらいになったら自分で本を読むようになるんだろうと思っていたが、私が博多に行ったのと同じ小学3年生になった長男がある本を読むと言い出した。
- 作者: 東川篤哉
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2010/09/02
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ご存知テレビでドラマ化されている『謎解きはディナーのあとで』。テレビを見ていて原作も読んでみたいとおもったらしい。
この際きっかけは何でも良いのではないだろうか。家内が買ってやったところ、分からない字もあるからゆっくりだが、少しづつ読んでいる。
圧倒的にコロコロコミックスを読んでいる時間の方が長いことも事実なのだが、気長に見守ろうかと思っている。
1年くらい前から書店の店頭で平積みされているのを見ていたから面白いのだろうかと思っていたが、長男が読み終わったくらいに借りることにしよう。



























































