2012-01-27
■辻康吾先生を囲む会のご案内
現代化30年、新たな変動期を迎えた中国
1.辻康吾先生のプロフィール
1934年、東京に生まれる。東京外国語大学中国語学科、立教大学法学部を卒業し、毎日新聞香港特派員、同北京支局長、東海大学教授、獨協大学教授を歴任。
著書に『転換期の中国』、『文化大革命と現代中国』(以上岩波新書)、『中華曼荼羅』、『中国の新しい対外政策』(岩波現代文庫)、編著に『岩波現代中国事典』など。
『アジア時報』でシリーズ「中華歎異抄」を担当、「『公民社会』に手を焼く中国」などを執筆。
2.囲む会の内容
日時:1月27日(金) 18時10分から20時
レクチャーと質疑応答、議論
場所:カフェMARINA(貸し切り)
地下鉄・野田阪神駅、7番出口から、新橋筋商店街を徒歩1分
電話 06−6443−6266
参加費:2000円(コーヒーか紅茶つき)
3.二次会
「坐・和民」 阪神野田店(魚介料理・海鮮料理など)
阪神線・野田駅の改札を降りてすぐ(17m)
TEL 06-6456-2361
大阪府大阪市福島区海老江1-1-11 1F
4.時間があれば、劉燕子が王力雄・オーセルさんご夫妻の近著やチベットの近況と未来についても話題を提供します。実は、謹賀新年とは言いながら、1月6日、アバ地域でまた二人のチベット人が新たに抗議の焼身自殺をしました。これは今年に入って初めてで、2008年からは14人目と15人目です。重苦しいことばかりと思われるかもしれませんが、この苦しみと痛みをわかちあえればと存じます。
以下は、2008年4月と推測される軍と警察の捜索の映像です。
http://www.dongyangjing.com/bbs_disp.cgi?zno=80201&&kno=001&&no=0594
5.辻先生は、ご多忙のなか、わざわざ大阪にてお時間をさいてくださり、このような機会を設けることになりました。とても貴重なお話を聞けるチャンスです。平日ですが、どうぞふるってご参加ください。
コーディネーター 劉燕子
この会は何かの組織ではなく、志はありますが、独立した立場の人々が自由に語りあう場です。お互いの意見を尊重し、質の高い議論を交わしつつ、現場から発信されている生き生きとした情報を共有し、新たな公共空間の創造(自己組織)を目指します。
予約の都合がありますので、なるべく早めにご参加の可否をご連絡ください。心よりお待ちしています。
ブログへの掲載が当日になってしまった。
私は辻康吾さんという方は知らないのだが、劉燕子氏主催の阪神野田での小さな講演会はこれで4回目になる。アットホームで良い雰囲気の会で、応援している。
2012-01-17
■君が代の意味なんか深く考えて歌ってる奴なんかいない
覚えてない(笑) 校歌と一緒で、意味なんか深く考えて歌ってる奴なんかいないことの証明になってしまったねw RT @noharra:「君」 はそのまま「あなた」つまり、祝い唄でいえば「愛する人」のことだった>いったいいつからの誰の解釈だ? @kaiku_ @ZAZAdesu
at 1月15日 20:53:31
@xenon711(エビゾン)という人の発言なのだが、これはいったいどういう意味だろう。
「君が代の意味なんか深く考えて歌ってる奴なんかいない」と彼は言っている。
そしてそれは悪いことではないと。
つまり、君が代に何らかの真実があり絶対的な敬意をあらわすべきだという思想を否定し、また君が代はわが国の国歌としてふさわしくないので拒否されても当然だとする思想も否定しているようだ。
校歌と一緒で、意味なんか深く考えることはダサくてばかばかしいことだ。つまり、@xenon711氏は、君が代の意味を肯定するものではない。しかしそこで君が代に疑問を提出する人には明確な態度を示す。反君が代派は嘲笑され否定され追放されるべきだと。
これはいったい何なんだろう?
これが〈空気〉による支配、というものだろう。〈空気〉には理由や根拠は必要ない。ただそこにあるだけだ。それでもって気が向けばそれを利用して、少数派をイジメのに利用できる。というより空気には意味が無いからそれに従っていることを示すためには、それにしたがっていない奴を見つけて否定するしかない。
君が代は、無思想的、空気主義人間の必須ツールであり、その帰結はイジメだ。
xenon711から 1
応答って?あんたの個人的ブログの感想書けってこと?何らかの“回答”が欲しいなら質問は明瞭に RT @noharra: 君が代の意味なんか深く考えて歌ってる奴なんかいない、について d.hatena.ne.jp/noharra/201201… 応答お願いします。 @kaiku_ @ZAZAdesu
君が代が「主権在民に反する」根拠
普遍的価値に立って議論する以前に、君が代が「主権在民に反する」根拠と国歌にふさわしくない理由をまだ説明してもらってないんだけど。あと、毎回@ZAZAdesu←この人を入れる理由も、てか誰なの?w RT @noharra: 人権や普遍的価値の上に立って、国歌や国家を議論すべきだと
https://twitter.com/#!/xenon711/status/159882111204069376 19日午後3時ごろ
君が代が「主権在民に反する」根拠を提示する必要は必ずしもないと考える。
「君」が天皇のことであれば、「君が代が主権在民に反する」という理解はあながち間違っていない。そうだとすれば、「君が代」は国民統合を果たすのにふさわしくない事は明らか。
「敬意をあらわすべき」を俺は否定してない
@xenon711 1)君が代に何らかの真実があり絶対的な敬意をあらわすべきだという思想を否定し> については曖昧にしごまかしたいということですね?@ZAZAdesu (野原
@noharra ごまかすも何も、質問の意味が解らない。君が代に「何らかの真実」があるとは思えないし、もし仮にそれが「政府見解」の解釈以上の何か陰謀のような意味があると言うのならその根拠をそっちが提示すべきだろ。それに「敬意をあらわすべき」という思想とやらも俺は否定してないが?
エビゾン @xenon711)
2012-01-13
■私たちは勝利する
大阪での原発市民投票の見込みは絶望的だった。42000以上の票がいるのに18000位しか集まっていなかった。締切りは1月9日で、集約締切りは7日と定められていた。10日ほどしか時間はない。しかも世の中は年末、正月とすべての普段の活動は休止すべき時期になっている。女性である私にとっては実家に不義理をわびかいがいしく働くふりをしなければならない時期だ。
そでも私は寸暇を惜しみ、街頭に立ち続けた。たいていの人は話を聞いてくれず立ち止まらない。それでも積極的に応じてくれる人もたまにいるのが救いである。そんな風に日々が経ち、ついに1/9が来た。そしてなんと42000ははるかに越える票数が獲得できたのだという。私たちは勝利した。
ところが大阪市長になった橋下徹氏は、これを拒否するという。理由は簡単だ。笑顔の独裁者橋下徹氏の武器はたった一つ、〈民意〉である。彼は壊れた巨大な城に向かって突撃する幻を私たちに売りつけるドン・キホーテである。ドン・キホーテの志が真実である時、私たちはドン・キホーテに喝采する。そんな風に彼は投票を勝ち得た。しかし彼の突撃した巨大な城というものが、
崩壊寸前のパチモンでしかなかったことは、WTCビルを実際に使ってみてそして大地震を経験して誰にも明らかになった。さてそれでも橋下の人気は衰えていないようだ。私たちには変革が必要だ、と市民はみんな考えている。変革を希求する民意は私たちに署名してくれた。しかし署名せずしかも橋下に期待し続ける市民がいる。彼らは自己の無力に直面するのが怖いのだろう。
しかし、自己の無力に直面することの何が怖いのだろう。私は女だ。太古の昔から、弱きもの汝の名は女、と定められてきた女だ。いまさら何を怖れることがあろう。
攻撃はもっと身近からもやってきた。原発市民投票は必ず敗北するから利敵行為だというのだ。反原発・脱原発の志をもった市民の一部が急に激しい攻撃を掛けてきた。敗北する。敗北とは何だろうか。可能性を偏差値(現時点での予測可能性)で測りあきらめてしまうことが、敗北だろう。そもそも大阪市の市民投票は怒りの表現それ自体である。42000票でもすでに巨大な怒りの表現たりえている。したがって今後はより大きな勝利に向かって前進することができるだけだ。
反対票がより多く集まるだろうと怖れる人たちは言う。そうだとしてそれが何なのか?幻の偶像である橋下のような候補者に期待するという行為は、最初から何の未来も生まない行為である。一人の市民が原発について考え、「保安院全員アホ」について考え、放射能被害について考えること、それはしなければならない事ではない。しなければならない事と捉えるから、私が代わりに考えてあげるという橋下の誘いに乗ってしまう。原発について、「保安院全員アホ」について、放射能被害について、考えない自由もある、考える自由もある、その自由に気づくことが最初で最後の重要事である。
大阪市民は変革を望んだ。変革とは笑顔の独裁者に期待することでは断じてない。そもそも、「期待」などというものをするなど、良い大人には考えられない馬鹿げた行為である。そうではなく私たちができることは自己の不安に気づくことだ。42000人の「放射能被害の放置を許さない」とする怒りこそが、変革につながる。私たちは勝利する。
(女性に仮装して書いてみた。)
2012-01-08
■「原子力発電所稼働の是非は市民自身が決めるべき」か?
いまその問いを掲げることが正しいのか、というと疑問だ。
いま、つまり311以後、第一に問われるべきは、事故の責任及び善後策をどう明らかにしていくのか、ということである。
原子力安全・保安院、あるいは原子力安全委員会といった機関はその任を果たしえず、かえって「原子力村」の一部として、現状の隠蔽、放射能の危険性を低く見積もるという強い傾向、を見せつづけてきた。
国(経済産業省、首相)そしてさらには、司法すら、このような責任追求回避に加担する傾向に違反していない。
私たちの民主主義は機能していない。
どうすればよいのだろう?
本来、原発の問題は、純粋に技術な視点から安全性と経済性を評価し、その上で広く世論の声を集めて今後の方針を決めていくべきものです。ところが日本では、原子力のエネルギー利用を「国策」として官民一体で推進し、批判の声を抑えこんできたため、原発の是非はきわめて政治色の強い問題になってしまいました。そうした中で原子力行政の情報公開はすすまず、その一方で、電力会社による「原子力発電は安全でクリーン」という原発推進のメッセージばかりがマスメディアを通じて大量に発信されるという状況がつくられてきました。
原子力発電所稼働の是非の問題は、第一に原発推進主体の問題である。巨大な事故を起こしたのにかかわらず、事故の責任追求をする主体を形成できなかった。市民への放射能被害を最小限に止めるための善後策を決定できなかった。「原子力村」を解体に追い込むどころか一矢を報いることすらできていない状況。戦犯に原子力発電所稼働を任せることはできない。
原発なしで電力供給がまかなえるかどうか?というのは虚偽の問いであり、第一の問いの後で考えればよいことだ。
無意識のうちに私たち全てをつつみこんでいる矛盾の総体と
反原発闘争は、たんに、虚偽にみちた経済産業省などの機構や東電関係者たちだけを批判してきたのではない。もっと巨大で、無意識のうちに私たち全てをつつみこんでいる矛盾の総体と格闘してきたのである。これまでのあらゆる反原発運動が見落としてきた領域を、現在まで人類史が累積してきた諸幻想領域との関連で把握し止揚の道を切り開くこと。反原発闘争の個々の参加者、政治党派の思い込みとは別の位相でこの方向性は存在し続けている。
http://from1969.g.hatena.ne.jp/keyword/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%97%98%E4%BA%89 松下昇氏の大学闘争論のもじり。
2012-01-07
■必死に「市民投票運動する」女性たちを見て
康有為は、中国の人心が十分覚醒していないという現状認識を論拠として、「革命すれば内乱を引き起こす」と言った。*1
これに類似の論理は現在でも、よく見ることができるものだ。
韓寒の、中国人の民度論がそうだ。(私は韓寒の根拠に同意したい気持ちもある。ポーランド以西はともかくロシア以東では89年の変革は下部民衆にマイナスをもたらしたのではないだろうか。その原因は日本と共通する「民主主義の弱さ」なのか?)*2
また現在、大阪市と東京都で「市民投票運動」が展開されている。*3現在最初のハードルを越えられるかどうかの瀬戸際である。今までの活動家はほとんどこの運動に冷笑的である。曰く「市民投票運動主催者の今井某の思想はこういう欠点がある。彼は活動家としてこういう欠点がある。また今の時点で、市民投票して負けたらどうする!!それは反原発運動の敗北を絶対的に確認することになる。でもって現在どちらかというと負けるのではないかと私は思っている。したがって「市民投票運動」には加担しない。」などなど。
彼が守ろうとしているものが、自分の内側の「真理」、自分は正しいという信念(しかも一つの投票結果で毀損されてしまう程度に脆弱な)でしかないことは明白だ。
私も実は「市民投票運動」に積極的に賛同したものではない。「脱原発」よりも「経済産業省の責任追求」が先に議論されるべきだと思っている。
ただし311から十ヶ月、「脱原発(反原発)」運動は、今までどおりごくごく少数派の運動に閉じ込められてしまっている。一方、小さい子供を抱えた「母親」などを中心にした、新しい形の必死なアクティヴィストたちが生まれている。既成の党派や運動体、イデオロギーから落ちこぼれ、一人の個人として社会に向き合わざる得ないと感じ、「運動」を模索している彼女たち。私は彼女たちに注目し、共闘したいと考えた。
大阪市民投票が(直接請求に必要な署名は有権者数の50分の1で大阪市では4万2670人分の署名が必要となる。)その数の著名を獲得したら、橋下氏にクリティカルな問いを突きつけることになる。形式上は市議会であるが今の現状では橋下氏が発言すればそのとおりになる。つまり4万2670人という民意をどう評価するか?という問いが突きつけられるのだ。橋下氏の権威は、「民意」というものを自分だけが独占的排他的に代表(表象代行)しているということを公言しそれが承認されることに根拠を置いている。したがって彼は別の実体をもつ「民意」の登場を激しく警戒している。市民投票の依頼が来ても協力するなと維新の会関係者に命令したことをもってそれは分かる。仮に通れば、彼は「脱原発の民意」はすでに私が代表(表象代行)しえているのだから、改めて投票は必要ないと言うだろう。私たちは「橋下=民意」という彼が勝ち取った等式を毀損するために全力を傾けても良いのではないだろうか。
運動とは、敵と私に同時にクリティカルな問いを突きつける、そうしたものである時本質的だ。
章炳麟は康有為の愚民観を批判して、民智は「ただ革命によって開く」と主張し、人民の自己発展の可能性に期待をかけて、革命の道をきりひらこうとした。*4
今年辛亥革命百周年だったが、辛亥革命研究家たちはみな異口同音に「革命いまだ成らず」と言っている。平均地権という万人の生存権を目指す孫文の思想とはあまりにもかけ離れた中国の現状は認めざるを得ない。韓寒の認識も同じだろう。
したがって、「何かを獲得するものとしての革命」への幻滅が広がっていることは認めざるを得ない。
そうではなく、章炳麟とともに私がここで言っても良いかもしれないことは、「アクティヴィズム(活動)によってわたしたちは自己発展の可能性を生きる」ことができるのだということだ。「将来に何かを獲得するものとしての革命」ではなく「自己閉塞を打ち破り連帯を生み出していく楽しさとしての革命」である。
ご批判、ご質問などをよろしくおねがいします。
野原燐へのメールは noharra69(あ)ジーメールコムです。
敵でも味方でもない、ある圧倒的な力によって問題提起の正しさが弯曲していくのではないかという一瞬おとずれる感覚のむこうに、はじめて、ほんとうの闘争がはじまっている。(松下昇)
このエントリでおまえは
「女性である私にとっては実家に不義理をわびかいがいしく働くふりをしなければならない時期だ。」
「私は女だ。太古の昔から、弱きもの汝の名は女、と定められてきた女だ。いまさら何を怖れることがあろう。」
と書いてるな。
しかし一方、ツイッターのプロフィールでは
「野原燐
「(前略)男性。質問等歓迎。」と書いてる。
おまえは男なのか女なのかどっちなんだよ。はっきり答えてみろよ。性別なんてつまらないことで平気で嘘つくやつという理解でいいか?
俺の指摘を華麗にスルーしてないで
「このエントリで自分は女だと書いた」のに「ツイッタープロフィールでは男」となってる理由は何なのか、何とか言ってみろよ、卑怯者。自分の性別を書き間違える人間がいるとは思えないのでどちらかが故意の嘘としか思えないんだがそういう理解でいいのかね?
今回の件は
1「id:noharraは自分の性別を書き間違えるほどバカ」
2「故意に嘘を書いた」
3「その他」の一体、どれなのか、
そして君の性別は本当は男なのか、女なのか応答してみろよ。おまえが逃げつづける限り、俺はこの件をしつこく追求する気だから。別に性別なんかどっちでもいいんだが、平然と嘘書いて釈明もしないくせに誠実ぶるおまえのようなやつは大嫌いなんだよ。
まあ、ツイッターに男と書いてエントリに女と書けば記述のどちらかは嘘であることがモロバレなのによくそういうことをやると思うが。
(女性に仮装して書いてみた。) 1/18
この文章は、ここに最初に書き、次にCMlに投稿、次に友人(女性)にメールした。
最初のだけが(女性に仮装して書いてみた。) が抜けている。
シモツカレさんの感覚と違って、別に問題はないという認識。
「しかし、「仮装のテーマというのは本来、存在の根拠を交換することは可能かという問いでもあり」(75年l1月の同志社大学における発言。発言集に収録)、「仮装を実現しうる関係の実現は、奇跡に近い」(87年12月の京都府立勤労会館における発言。未収録)のであるということは、応用の際につねに想起されるべきであろう。
http://from1969.g.hatena.ne.jp/keyword/%E4%BB%AE%E8%A3%85 」
という事に留意する(困難な事だが)かどうか、が問題なのであって、男性である私が女性であるかのような文を書くことには何の問題もない。
「華麗にスルー」などしていない。
心に余裕が無いので、というか申し訳ないが雑事に心を取られたくないので、
1/13以降のあなたのidコールなどは見に行ってない。申し訳ない。
1ヶ月に一度程度にしたいと思っている。 礼儀には反していると認める。
>(女性に仮装して書いてみた。)シモツカレさんの感覚と違って、別に問題はないという認識。
ああなるほど誤記だった、だから問題ないと言い訳するわけね。俺からしつこく突っ込まれない限りスルーする気だったくせに。普通そういう変な誤記はしないと思うんだけどね。
しかも「男性のあんたが、女性に仮装して書く意味」がどこにあるのかさっぱりわからないし。原発問題ってのは女性に仮装して書くことで何か見えてくるモノがあるのか?
そして、普通そういう場合「私は女性ではないが、女性の立場に立ってみて書いた」とか書くんじゃねえの?
じゃあたとえば俺が「朝鮮学校卒業生に仮装して」、しかもその「仮装したという事実」を明示しないで卒業生として無償化除外反対と書いてみても何の問題もないというそういう理解でいいのかね。
俺は日本人で朝鮮学校卒業生でもないから、そういう恥ずかしいことはやる気は全くないが。
ネット上でみんながそんな嘘つき行為をやり出したら、議論が成立しなくなるぐらいのことがわからないのか?
>男性である私が女性であるかのような文を書くことには何の問題もない。
おまえのやってることは詐称行為じゃねえか。何ふざけたこと抜かしてるんだか。そういうふざけたことをやっていいというのがおまえの大好きな松下昇なら、松下とやらはただのバカだろ。
>心に余裕が無いので、というか申し訳ないが雑事に心を取られたくないので、
1/13以降のあなたのidコールなどは見に行ってない。申し訳ない。
1ヶ月に一度程度にしたいと思っている。 礼儀には反していると認める。
すばらしい言い訳なので俺も今後は愛用しようかと思う(毒)。まあ、本当に何かの理由でテンパったり鬱になったりしたらマジで応答できないときもあるとは思うが。
「誤記だった」など書いてないし、言うつもりもない。
いちいち話が通じないので、疲れる。きょうはここまで。
話が通じないのはおまえの理論がとんちんかんだからだろ。じゃあ何か、誤記じゃないってことは
「(女性に仮装して書いてみた。) が抜けている。」
ってのはうっかり抜けたんじゃなくて故意に書かなかったってことか?
そういうのは嘘つき行為って言うと思うけどね。
だいたい、ツイッタープロフィールに男って書いてるやつが女のふりをしたら普通の人間は嘘ついてるか、頭でも狂ったとしか理解できないと思うんだがな。
まあ、「俺の理論では何ら問題ない、理解できないボーガス某が悪い」っていいたければ言えばいいんじゃないの。言ってること(俺に問題はない、理解できないやつが悪い)が本当に橋下そっくりのいわゆる「無敵君」だな。
まあ市長という権力者の橋下ならともかく君ごとき小物の非権力者が無敵君でも誰も迷惑しないだろうし、俺も無敵君相手に応答をするほどの情熱もないんでこのくらいで切り上げるかな。
君が橋下のことを批判するのがまるきり理解できないな。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050306#p2 に一つしかないのか? 一時はよく言っていたんだが。
このブログにはプロフィールがないんだよね。
そのうち考えよう。
わかりづらい文章だったかもしれないがつまり俺の言う誤記ってのは
「(女性に仮装して書いてみた。) が抜けている。」=「うっかりミスで抜かした」って理解なわけだよ。そうじゃなかったらしいが。
>このブログにはプロフィールがないんだよね。
そういう問題じゃなくて、このエントリを書くときに女性のふりをして書いてみましたと断ればいいだけの話だろうが。だいたい、女性の振りをした動機は何で、それで何の成果が得られたのかね。男性が女性のふりをして適当なことを言うことは女性に失礼ではないかとか全く思わないのかね?
そして、この文章を読んで本当におまえのことを女性だと勘違いする人がいてもいいというのがおまえの考えなのかね?
めんどうな奴だな。
>>>そして、普通そういう場合「私は女性ではないが、女性の立場に立ってみて書いた」とか書くんじゃねえの?
ネット上でみんながそんな嘘つき行為をやり出したら、議論が成立しなくなるぐらいのことがわからないのか?<<<
普通がどうかなんか、知るか。
性別については、「男性である」と言っている。
一つの文章は、私は評論文であっても、幾分かはフィクションであると考えている。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20120113#p1 について、「私=女性」という設定で書いてみた、ことについて問題があるとは考えない。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20120113#p1 はある「路上の住民投票参加を求める行動」について書いたもの。その行動の参加者は女性が圧倒的比率を占めていた。私は彼女達を「代弁」したいと考えた。その方法としてその文章の書き手についてだけ「私=女性」として書いてみた。それだけのことである。
私のことを普段私は「私」と書くが、内容によっては「僕」「俺」「あたし」なども使うかもしれない。それとさほど感覚は違わない。
あなたは「(あなたがそうであるところの)私」を信じすぎているし、表現というものに、「私」をそのまま表現できると信じすぎている。
男性が女性のふりをして適当なことを言うことは女性に失礼ではないかとか全く思わないのかね?>そういう場合もあるだろう。この文章を内在的に分析しそういう問題がある、というのなら言ってほしい。私は問題はないと判断している。
>性別については、「男性である」と言っている。
俺に突っ込まれてからだけどな。
>普通がどうかなんか、知るか。
橋下そっくりな物言いで感動しました(毒)。こういう方が橋下批判できる神経が全くわかりませんな。
>私は彼女達を「代弁」したいと考えた
誰が手前に代弁してくれって頼んだんだよ。そして仮に頼んだとしてそしておまえの文章が彼女らの考えと合致していたとして、「女性のふりしていい」と本気で思ってるのか?
俺に突っ込まれてからだけどな。>> そうではない事は言った。
野原燐は男性である、といつでも答える。それとある文章の主語が、たまたま女性である(という仮装において)書かれている、というのは別の事。
貴方の表現思想を押し付けないでほしい。
この人は『土佐日記』の紀貫之も「性別なんてつまらないことで平気で嘘つくやつ」と思っている、という理解でいいか?
ふつうはそうだよね〜、と喜んでます。