2012-02-10 「歴史を知らずに哲学は語れない」推奨図書
■「歴史を知らずに哲学は語れない」推奨図書

歴史に関するおもしろい本はいくらでもあるし、またいかなる本も歴史を描いているといえる。ボクが読んでおもしろいと思ったおすすめ本を紹介する。
<日本>
★日本の歴史シリーズ (講談社学術文庫) ISBN:4062919079
網野善彦監修の日本の歴史の最新シリーズ文庫本。いままで歴史シリーズで一般的な権力史だけでなくその時代の風俗が描かれてどれも読み応えあり。
★日本倫理思想史1〜4 和辻哲郎 (岩波文庫) ISBN:4003811062
日本人には思想がないと言われる中で、通史として倫理思想を描いた野心作。主に武士の倫理の変化が丹念に描かれている。
★日本仏教史 末木文美士 (新潮文庫) ISBN:4101489114
★日本の歴史をよみなおす (全) 網野善彦 (ちくま学芸文庫) ISBN:4480089292
日本人=農業中心という固定概念を覆し、島国という地形をもとに多様に生きてきた新たな日本人像が示される網野歴史学の代表作であり人気本。
★沈黙の宗教――儒教 加地伸行 (ちくま学芸文庫) ISBN:4480093656
日本人もまた儒教の影響を受けていると言われるが、具体的には実感がない。孔子以前の宗教としての儒教を分析し、いかに日本人の中に浸透しているからを分析する。
★禅学入門 鈴木大拙 (ちくま文庫) ISBN:4061596683
西洋人向けに書かれているために難解な禅学をわかりやすく解説されている。西洋人の日本人=禅的と言われる理由がわかる?ハイデガーも絶賛したと言われる鈴木禅学の入門書。
★江戸時代とはなにか―日本史上の近世と近代 尾藤正英 (岩波現代文庫) ISBN:4006001584
日本人にとって職がいかに重要な役割をしてきたかを大胆な仮説で分析する。
★「愛」と「性」の文化史 佐伯順子 (角川選書) ISBN:4047034312
性に関する分析が重要なのは、その文化がどの程度、西洋キリスト教の禁欲文化の影響を受けたかがわかるからだ。日本人はキリスト教の影響はクリスマスイベントぐらいと考えがちだが、近代化を通して根深く浸透している。それが江戸時代以前の日本人がいかに性に開放的であったかで知ることでわかる。
★逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー) 渡辺京二 ISBN:4582765521
幕末から明治初期に来日した西洋人の証言を丹念に積み上げて、西洋化する前の逝きし日本文明を描き出す野心的な試み。しかしそこで浮かび上がるのはいまも懐かしく、共感できる原−日本人である。日本人とは何者か知るための現代日本人のバイブルとすべき本だと思う。
★日本経済史 石井 寛治 ISBN:4130420399
日本の近代史は多くが戦争史として描かれるが、その底部で劇的に変化する経済史は欠かせない。明治以降の近代化によって日本の経済はいかに立ち上がったのかを分析する。
★昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー) 半藤一利 ISBN:4582766714
戦争の時代である昭和史前半を、ドキュメンタリータッチで描いていく。登場人物がいきいきと浮かび上がる読みやすくおもしろい昭和史。
<世界>
★世界の歴史シリーズ (中公文庫) ISBN:412205253X
いままでの世界史=西洋史に対して、中国、中東など非西洋圏に多くの巻がさかれている。また最新の調査結果もふんだんに盛り込まれている世界の歴史シリーズ最新文庫本。
★世界史 上・下 (中公文庫) ウィリアム・H. マクニール ISBN:4122049660
世界史を世界全体の連動した動きとしてまとめ上げる。世界史が一つの潮流として見えてくる。西洋でも大ベストセラー本。
★戦争の世界史―技術と軍隊と社会 ウィリアム・H. マクニール ISBN:4887082711
歴史とはなにかと一言で言うなら、歴史とは強い者が勝つ戦争の歴史である、と言えるだろう。戦争を中心に世界史を描き出すマクニールの名著。
★世界文明における技術の千年史 アーノルド パーシー ISBN:4794805225
技術の変遷を世界史として描き出す数少ない本。多くの技術が中国から発生し、やがて西洋
の近代化へつながることがわかる。
★キリスト教の歴史 (講談社学術文庫) 小田垣雅也 ISBN:4061591789
日本では案外ない、キリスト教の通史がをわかりやすく描かれている入門書。
★イスラームから見た「世界史」 タミム・アンサーリー ISBN:431401086X
ギリシア・ローマ時代と近代の間の西洋中世暗黒の1千年。それはまさにイスラム圏の時代だった。失われたパズルのピースが埋まるように世界史の全体が見えてくる。いままでの世界史では西洋の影として描かれるイスラム圏だが、地中海圏と中華圏との間に位置する中心としてイスラム圏を描くことで世界史が見えてくる。
★西洋哲学史 1〜3 バートランド・ラッセル ISBN:4622019019
ギリシア哲学からキリスト教、そして啓蒙主義へと西洋人がたどった精神の変遷が丁寧に描かれるラッセルの名著。
★小説「聖書」 3部作 ウォルター・ワンゲリン ISBN:4198612277
聖書を物語として描く旧約聖書、新約聖書、使徒伝の3部作。古代西洋史において聖書は貴重な歴史資料でもある。またその内容はその時代を描いた物語として楽しく読むことができる。
★物質文明・経済・資本主義15-18世紀 全6巻 フェルナン・ブローデル ISBN:462202053X
産業革命へ至る西洋の発展を、自給自足、交換という経済活動を中心に丹念に描いていくブローデルの代表作。産業革命など存在しない。テイクオフは革命などではなく緩やかで積み上げられた経済の活動だった。
★戦後世界経済史―自由と平等の視点から (中公新書) 猪木 武徳 ISBN:4121020006
戦後を考えることはグローバルな経済の変遷が中心になるだろう。戦後経済史のわかりやすい新書。
★第三の波 (中公文庫) アルビン・トフラー ISBN:4122009537
1980年に現在の、農業、工業に続く情報化が世界をいかに変えるかを分析し、いまもまだ新しいトフラーの名著。まだボクたちは第三の波の始まりにいる。
2012-02-09 なぜ日本人に思想はないのか
■なぜ日本人に思想はないのか

日本人の思想は慣習に埋め込まれている
西洋は客観主義の文化である。客観主義とは自らの考えを客観的に分析する。これは現前化させて他者に見せるためである。思想とは見せることを基本とする。多民族社会では「見せる」ことがとても重要なのだろう。見せるためには当然、記述する方法が有効である。このために西洋思想史は、記述が多くのこり、それに後続者が言及することで継承されて連続性をもつ。
それに対して、日本人は慣習主義の文化である。日本人の思想は慣習の中に埋め込まれている。慣習は基本的に行為のレベルにあり、言葉にできるレベルにない。行為のレベルとは、自転車に乗れるようになったからといってどのように乗っているのかを言語記述することはできない。
擬似単一民族社会の日本人の思想は慣習に埋め込まれており、ともに生きる中で伝わっていく。だから改めて思想を言葉にして現前化させる必要はなかった。日本人の思想にも当然、連続性はあるのだろうが、記述として残っておらず、過去にたどることは困難である。
しかし近代化によって、西洋と対峙したときに、当然のように「俺たちの思想は〜だ!日本人の思想をなんだ」と迫られる。特に明治に入り近代を勉強するために日本人エリートが多く留学したが言い返せなかったことは大きな屈辱であったようだ。このために生まれたのが、「武士道」であり、「神道」である。これらは西洋では日本人の象徴のように言われるが、日本人にしっくり来ない。西洋人に日本人を説明するために作られた言語思想だからだ。
現代も日本人は慣習に埋め込まれ言語化できない思想を伝承して生きている。面白いのは、日本人自身もそのことに気がついていないことだ。日本人の慣習思想は日本人だけの島国で生きていく場合にはあまりに当たり前すぎて、日本人に独特であることに気がつかない。世界でもっとも変わった人々である日本人が「自分達は世界でもっとも普通の人々である」と考えている事実は、西洋人が知れば驚愕するだろう。
西洋人はいまも、不思議の国の日本人の秘密を知りたくて思想を見せろと問い続けている。そのために「集団主義」、「恥の文化」、「禅的」などが考え出されている。また日本人自身は日本人の世代世代にカブレた西洋思想のつぎはぎで、「日本人は普通の人でとくに思想などない」と考えている。
日本人の思想は職の慣習に埋め込まれている
日本人の思想は生活慣習全般に埋め込まれている。しかし人類史からみるとむしろそのほうが普通である。西洋人のように思想を現前に示す方がかわっている。ただ近代化にとって、思想を現前化する客観主義は必要不可欠だっただろう。
日本人の思想は生活慣習全般に埋め込まれているが、その中でも特に職の慣習を重視することに特徴をもつ。日本人にとって職はキリスト教のような原罪ではない。だから日本人はいかなる上流層でも職をもつ。また世界には、宗教、血族、一族、文化共同体などさまざまな強い絆があるが、日本人にとっては、家業(家督)をつぐ者は血族より重視されたように、血よりも職のつながりが重視されてきた。
日本人にとって職は生活の糧をえる、または生きがいを見つける以上の意味をもつ。職の集団に帰属することで儀礼を学び、社会的な位置をえる。日本人の多くは農民であったが彼らは武士の支配者層に多くの税を取られて搾取され、飢えに苦しんでいたという考えは、西洋の奴隷制を日本の歴史に当てはめた近代の誤謬である。
日本では農民は農業を営む職業として尊重された。自治権をもち、決まった税(多くにおいて古い土地測量に基づいていい加減だった)さえはらえば改善した分は自らのものになった。このために日本の農民の識字率は高く、農業書を読み、改良を試み、飛躍的に生産性が向上させた。
現代の日本人がかつての農民から受け継いでいるのは、決して勤勉さではなく、職に対する誇りと自主性である。近代的な勤勉さは時間効率に関係するが、前近代には時間的な効率の概念はなかった。仕事は時間に追われることなくマイペースで行われた。
また彼らは単に自らの利益をあげるために働いたのではない。言わば、農民という職業だから働いたのである。それは役割であり、慣習である。このような職の姿勢が日本人の思想である。
たとえば世界戦争で日本人が「玉砕」覚悟で戦ったのはなぜか。天皇中心の神道を信仰していたからか。近代戦争の経済性を知らずに武士時代のように負ければ家族もろとも皆殺しにされると考えたためか?
軍人とは職であった。そして日本人にとって職は国家への奉仕としての「役」と結び付いてきた。日本人にとって職は、単に労働でなく、国家への奉仕である。またその意味で、天皇はそのはじめから縦の身分制の頂点である以上に、日本人の役割=職の体系の横のつながりの中心に位置する存在であった。
すなわちその時代の軍人という職業、さらには総日本人の軍人化では、死ぬことも仕事だったのだ。死ぬことも仕事であるのは、(葉隠れ的)武士道から来ているだろう。明治以降、日本人は誰もが一部で武士という職業を担うように訓練された。早急に日本人が富国強兵して、西洋人に追いつくために、職の慣習思想を活用することがもっとも効果的な方法だったのだろう。
いや凄惨な戦争を考えればあまりに効果的でありすぎたというべきか。まただからこそ近代化において戦争前後を問わずに、国家・財閥主導、また護送船団・大企業中心の日本型資本主義システムは職の慣習思想の活用によって奇跡を起こすことができた。
このような思想は現代でも継続されている。海外で活躍する日本人のサラリーマンやスポーツ選手がサムライのメタファーで語られるのはその名残である。彼らはいまも日本人の思想を担っている。
2012-02-06 なぜ日本人は第三次産業が苦手なのか
■なぜ日本人は第三次産業が苦手なのか

奴隷制と職の体系
(ローマ人の)法学者によれば、あらゆる人間は自由人であるか奴隷であるからである。奴隷とはみずからの意志を否認された者であり、人間というよりも道具であった。ローマ人は農場の道具を三つに分類する。はっきりとものを言うもの、あいまいにものを言うもの、まったくものを言わないものに分けられる。それぞれ、奴隷、家畜、鋤鍬(すきくわ)の類に対応する。奴隷は人間ではなく、ものであり、動産の一つにすぎなかった。
もともと奴隷は、共同体間の戦争のなかで敗者が勝者に隷属するという過程でつくりだされる。しかし、いったん奴隷制が社会のなかに定着すると、奴隷の供給源は戦争捕虜にかぎらなくなる。・・・いったい平和な時代に奴隷はどこからやって来たのだろうか。この問題について、嬰児遺棄と奴隷供給源とはことのほか深い関わりがあった、と私は考えている。日本などでは間引きと呼ばれる子殺しが通例であったのに比べて、古代地中海世界では捨て子の慣習が広く見られるのも興味深い。
近代以前は農民が生産手段を自らもち自給自足が基本であったが、西洋では奴隷労働が基本であった。奴隷は道具でしかない。それに対して日本人は「幸せな島国」に育ち、征服された経験がなく、基本的に奴隷制がない。身分制があったが、奴隷制と異なり、またよくある農民が搾取され貧困にあえいでいたイメージとも異なり、農民は自治をもち自主的な改善によって生産性を向上させ暮らしてきた。
また近代化で労働が第二次産業へシフトすると、西洋でも奴隷制はなくなっていくが、その系譜は継続されて、(左翼がいうような)苛酷な労働と搾取があった。日本でも近代の始めには苛酷な労働と搾取があったが、終身雇用型によって雇用が安定し労働者は自主的に改善を行った。
西洋では旧約聖書に、原罪として労働が付加される。労働は神からの罰なのであり、奴隷のすることである。一番の理想は労働から開放されること。しかし日本にはそのような考えはない。将軍だろうが天皇だろうが社会的な役割としての職を担うことは当たり前である。日本において職とは、生活の糧をえる手段であるが、社会の成員としての役割であり、さらには道徳を学ぶ手段、存在意義である。縦の身分制とともに、横の「職の体系」があった。
現在、第二次産業から第三次産業へシフトしている。第三次産業においても、西洋では奴隷制の系譜を継いでいる。西洋ではサービスはマニュアル的であって当然であり、またコストと深く関係する。高いサービスを求めるなら高い金をだす。そして安く抑えるなら低いサービスでよい。さらにはコストを抑えるためにセルフサービスをする。
日本のサービス業の系譜は商人にたどれるだろう。商人は職業であり、「おもてなし」などのようにサービスの技術への洗練があった。商業を営むのは一分の身分ではなく、日本人は農業を基本としてきたが、島国であるために農地は少なく、海、川が近いために商業が発達している。農民でも副業をもって多様な産業を営んでいた。
このために日本ではサービスする側は相手への「おもてなし」を礼儀と考え、受ける側も「おもてなし」されることを当然とする。日本ではサービスはマニュアル以上のものであり、またサービスをコストに還元することは失礼である。たとえば日本人が西洋のチップ制になれないのは経験が少ないだけではなく、チップがサービスをコストに還元すること、サービスする相手を道具のように扱うことが失礼に感じるからだ。
日本の内需もいまでは第二次産業よりも第三次産業の方が大きくなったが、日本の第三次産業の生産性は西洋のそれに比べて低いと言われる。その理由の一つは日本人が西洋人のようにサービスをマニュアル化して、コストに還元化することをできないからだ。日本人の慣習では受ける側はコストに還元できないものを求め、与える側も還元できないものを与えようとする。
製造業において、日本は垂直型、すりあわせ型といわれ、西洋では水平型といわれる。ここにもサービスに関する考え方の違いがある。日本人は西洋のように下請けを道具のように使いコストに還元することをしない。系列のような関係を結び、コスト以上に共に考える関係を作る。
たとえばケータイがガラパゴス化することの問題としてメーカーが技術を抱え込み閉じてしまうが上げられるが、それは単にメーカーだけの問題ではなく、ユーザーも開放されて自己解決(セフルサービス)されることになれていないからだ。ユーザーへ「おもてなし」するためには技術を抱え込み自己管理下いておく、そこに付加価値を求める。
さらに日本人が家電、自動車産業に比べて、IT産業に弱いことも同様の理由がある。従来の人によるサービスに比べて、ITを活用したサービスの有用性は道具的(マニュアル的)なサービスによって人件費を下げてコストを削減できるところにあるが、サービスに関する日本人の慣習が適応を妨げる。
さらに第二次産業から第三次産業へのシフトは、西洋に比べてさらに日本で多大な影響を与えている。日本の第二次産業では、終身雇用によって単なる労働力以上の改善力として働くとともに、安定した雇用を手に入れることができたが、サービス業ではマニュアル仕事と知的労働では、第二次産業に比べてずっと大きな格差を生む。また第三次産業では商品サイクルが早く、時間単位で変化するために、雇用も流動化する。当然、サービス業では労働者の生活に責任など持たず、長期的に保証されない。
先進国では日本の失業率は低い方だが、失業率の世代差をみると若者が高い。労働組合が強くて既存の正社員の雇用を守っていることもあるが、新たに就職する若者の雇用先は当然、第三次産業が多くなる。
日本企業は社会保障だけでなく共同体としての繋がりも支えてきた。このために雇用が不安定化すると繋がりも失ってしまう。すると頼るものが貨幣しかなくなり、将来の不安をすべて貨幣によって補おうとする。
日本では、実質的に社会保障は企業の終身雇用が担ってきたが、第三次産業へシフトする中で、企業による社会保障からあぶれた人々に対して、国が同様な社会保障を行えば、当然、社会保障費は増大する。民主党はこのような不安を票につなげたために金をばらまきつづける。
日本では、雇用の流動化は将来への不安を生み貯蓄を増やし、消費をおさえる。内需が増えないから経済が停滞する。また企業収益が上がらず、さらに雇用が不安的になる。そしてその不安は貨幣依存を生み、目先に生活苦なくても国の社会保障費を求め、国の債務が増大し続ける。
すでに変化ははじまっている
変化にはいつも不安がつきものだ。とくに第三次産業へシフトは日本人にとって大きな価値変換をともなう。かつての第二次産業時代の幸福をベースにして比較が行われるために、失業率が高いからダメ、終身雇用のように将来が保証されていないからダメ、雇用が流動化しているからダメ、給料が低くなっているからダメという言説が溢れて、人々の不安をあおっている面が強い。
すでに変化ははじまっているのではないだろうか。たとえばトフラーによると、第三次産業へのシフトは単なる産業転換ではなく、人々の生活を変えていくという。その一つが、積極的なセルフサービスの活用である。非貨幣経済は貨幣経済と同じだけの経済規模があり、それを活用する「生産する消費者」の存在が重要になる。
非貨幣経済へアクセスしリソースを活用することで、貨幣経済への依存を抑える。これは、低賃金で楽しく生きる清貧生活ではなく、新たな生活スタイルであり、従来の高い時間拘束の雇用形態からの開放でもある。まだ社会的な評価は低いが若者の生活スタイルはこのような方向に変化してきている。
生産消費を職の体系へ
しかしこのような若者の新たなライフスタイルは、干渉されない自由とベーシックインカムのような社会福祉の充実として語られることが多いがそれでは回らないだろう。西洋では奴隷制の補完として、キリスト教的博愛主義も、イデオロギー的な平等主義が根付いたが、日本人にはそのようなイデオロギー育っておらず、現世利益重視で、社会倫理的には低く利己的である。いまの政治をみても日本人はなるだけ金をださずたくさんもらいたいと必死だ。
逆にいえば、日本人は職(役割)をとおすことで社会秩序を維持してきた。だから第一次産業、第二次産業でも成功させた、日本人の強みである「職の体系」へとつなげていく、生産消費を社会的な役割として体系化していく・・・
金銭経済はもっと大きな富の体制の一部でしかなく、ほとんど注目されていないが、「生産消費活動」と呼ぶものに基づいて世界的で巨大な非金銭経済から提供された価値に依存している。
・・・経済統計の対象になっているものだけから富が生み出されているという想定、「価値」が生み出されるのは金銭経済のやりとりがあったときだとする想定などである。これらの想定を捨てて、もっと大きな「富の体制」に注意を向けるべきである。金銭経済が生産消費者の提供する「タダ飯」に支えられて存続しており、生産消費者には金銭経済に挑戦する力すらあることに注目すべきだ。P370-374
・生産消費者は貴重な情報を営利企業へ提供している。「口コミ・マーケティング」を行うなど、さまざまなサービスを無報酬で行っている。
・生産消費者は金銭経済で消費者の力を強めている。何を買い、何を買わないかの情報を交換している。
・生産消費者はイノベーションを加速している。無報酬の「グル」として、案内人として、助言者として、生産消費者は最新の技術製品が登場すると素早く使い方を教えあい、金銭経済での生産性を高めている。
・生産消費者はインターネットで急速に知識を生み出し、広め、蓄積して、知識経済が利用できるようにしている。P371-374
富の未来 上 アルビン・トフラー (2006) ISBN:4062134527
2012-01-21 なぜ日本人は西洋人のように陰気になってしまったのか
■なぜ日本人は西洋人のように陰気になってしまったのか

聖書とは簡単にいえば、マイノリティの自らがいかにメジャーに虐げられたか。そしてそれに正しく対処した。だから最後は我々が勝利する、という物語だ。なんと西洋人はこんな陰気な話を何千年も読み、考えてきたという。日本人にはとてもじゃないが、陰気臭くてついていけない。
現に虐げられたマイノリティのユダヤ人から生まれたこの陰気な物語は、下層の人々に共感されたのだろう。民族闘争が日常する西洋では、破れた民族は下層となり、生まれにまでつながる徹底的な格差と搾取が生まれる。
それに対して日本も中国という大国の周辺のマイノリティと言えるが、島国のために征服された経験がなく、独自の王国を築いてきた。また豊かな環境から農業また商業が発達し、比較的豊かに暮らしてきた。天皇を頂点とした階級性はあったが西洋の場合と違った。日本では天皇を頂点とする縦の階級性はまた、天皇を中心とした横の「職の体系」でもあった。擬似的な単一民族の日本人として互いに役目(職業)を分担しあう。だから職においてそれぞれが等しく役目を負っている尊重があった。
たとえば武士は実質的な支配層になったあっとも、天皇から授かった治安維持、政治という職業面を維持しつづけた。将軍とは征夷大将軍職である。農民層は環境に大きく作用されるために飢饉など苦しい時期はあるが、村の自治は農民自身ににまかされているし、年貢さえを収めれば仕事そのものは自由であり、努力代は自らの懐に入る。
このような自主性から日本の農民は自ら文字を学び本を読み、法に精通し、また農作業を研究した。彼らは全般的に自由で陽気であった。このような傾向は強く縦の支配下にあった西洋の農民には見られないだろう。
日本人がこのような陽気さを失っていったのは明治時代以降の近代西洋化からだ。国民一致の規律体制、場所、時間を拘束する機械労働、またキリスト教的禁欲倫理、儒教的な厳格さが導入された。さらにいままでの日本文化は否定され、西洋的価値が美化されることでコンプレックスが植え付けられる。日本人は国際ルールに該当しない半未開人と見下す西洋人の見方がそのまま、日本人自身の中に移植されていく。
そして互いに監視し合い、西洋化しなければ世間の恥として集団からのけ者にされた。日本人は勤勉、厳格な家長制度、男尊女卑、集団主義、恥の文化、大和魂、西洋のものまねがうまい、日本の農民は虐げられてきたなど日本の陰なイメージはこの時に生まれた。
職に高いプライドを持ち、また金がたまれば仕事を休む、自分のペースで自由に働く。外から家の奥まで筒抜けで、人前で裸体をさらすことも気にせず、複数とセックスを娯楽として楽しむ陽気な日本人は失われた。
そして西洋人の明るいイメージは日本人を見下す優越感から生まれた。日本人はコンプレックスがない中国、韓国などアジア人に対して、特別日本人が陰気だとは考えないだろう。そしてこのような西洋人に対する日本人の抑圧された陰気さはいまも継続している。
もう1つの西洋人の明るいイメージはアメリカ人による。アメリカ人の陽気さは新大陸という開放性からくるのだろう。その意味でアメリカ大陸とは大国コンプレックスのキリスト教徒が見つけた「約束の地」なのかもしれない。日本人のアメリカ人好きは日本人の本来の陽気さと共鳴するからかもしれない。
しかし一方で日本人の本来の陽気さはそう消えるものではない。たとえば子供、若者である。キリスト教圏では子供は厳しく躾けられるのに対して、日本人はいまも子供に寛容であり、自由奔放に育てられる。日本ではいまも「職の体系」の文化が継承されており、大人になることは職をえることを意味する。だから逆に就職するまでは子供、若者は甘やかされる。
たとえば日本の女子高生や男子大学生を西洋のそれらと比較すればいかに社会から寛容に扱われているかよくわかる。このために彼らは「かわいい」や「オタク」など日本独特の陽気な文化を生みだされている。
また彼らの文化が性に開放的であるのも特徴的である。最近、オタク文化の性表現が西洋からの圧力で規制されようとしている。またCNNが秋元康にAKBに関する性倫理についてきびしい発言をして話題になっている。日本人からすると気にもしないことだが、彼らのキリスト教的禁欲倫理からは奔放すぎるのだろう。
しかし一方でその若者たちのセックス離れが社会問題になっている。これは彼らがセックスをキリスト教的な「純愛」の先の崇高なものへ結びつけているからだ。彼らもなんでもいいからセックスを経験することが簡単だろう。それでは彼らのプライドが許さないだの。
このナイーブさはキリスト教徒以上かもしれない。が、またクリスマスを一年でもっともセックスする日へと結びつける日本人の安易な西洋化という陽気な一面でもある。西洋人に対して陰気にふるまいながら、日本人は唯一の非西洋人として、この陽気さで西洋人と渡り合ってきた。
秋元康に米CNNが厳しい追及 「性的搾取に関与しているのか」 http://www.j-cast.com/2012/01/16118991.html?p=all
AKB48総合プロデューサーの秋元康さん(55)に、米CNNの記者が「若い女の子たちの性的な搾取に関与しているのか」とただしたことが話題になっている。秋元さんはすぐに否定したが、ネット上では、記者の質問に賛否両論のようだ。
女性記者のアンナ・コレンさんは、秋元康さんとのインタビューで・・・歌詞のいくつかは性的表現が過ぎると批判があるとし、メンバーにまだ13、14歳の女の子もいると指摘した。秋元さんは、「批判はないですね」と反論し、ストレートな性的表現はなく、歌詞でロマンティックな風に変換していると話した。不埒な遊びをしたいなどの表現がある曲「制服が邪魔をする」については、リアルな言葉をつづった日記を読んでいるわけではなく、メンバーたちがお芝居のようにただ演じているだけだと理解を求めた。
十九世紀中葉、日本の地を初めて踏んだ欧米人が最初に抱いたのは、他の点はどうであろうと、この国民はたしかに満足しており幸福であるという印象だった。ときには辛辣に日本を批判したオールコックさら、「日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国であるように思われる」と書いている。ペリーは第二回遠征のさい下田に立ち寄り「人びとは幸福で満足そう」だと感じた。
ティリーは一八五八年からロシア艦隊に勤務し、五九年その一員として訪日した英国人であるが、函館での印象として「健康と満足は男女と子どもの顔に書いてある」という。英国聖公会の香港主教ジョージ・スミスは一八六〇年に来日した人で・・・幻想や読み込みなど一切縁のない人物だったが、その彼ですら「西洋の本質的な自由なるものの恵みを享受せず、市民的宗教的自由の理論についてほとんど知らぬとしても、日本人は毎日の生活が時の流れにのってなめらかに流れてゆくように何とか工夫しているし、現在の官能的な楽しみと煩いのない気楽さの潮に押し流されゆくことに満足している」と認めざるをえなかった。
一八六〇年、通商条約締結のため来日したプロシャのオイレンブルク使節団は、その遠征報告書の中でこう述べている。「どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない」。また一八七一年に来朝したオーストリアの長老外務官ヒューブナーはいう。「封建制度一般、つまり日本が現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人々は幸せで満足していたのである。」
オズボーンは江戸上陸当日「不機嫌でむっつりした顔にはひとつとして」出会わなかったというが、これはほとんどの欧米人観察者の眼にとまった当時の人びとの特徴だった。ボーヴォワルはいう。「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である」。
一八七六年来日し、工部大学の教師をつとめた英国人ディクソンは、東京の街頭風景を描写したあとで次のように述べる。「ひとつの事実がたちどころに明白になる。つまり上機嫌な様子がゆきわたっているのだ。群衆のあいだでこれほど目につくことはない。彼らは明らかに世の中の苦労をあまり気にしていないのだ。彼らは生活のきびしい現実に対して、ヨーロッパ人ほど敏感でないらしい。西洋の都会の群衆によく見かける新郎にひしがれた顔つきなど全く見られない。頭をまるめた老婆からきゃっきゃっと笑っている赤児にいたるまで、彼ら群衆はにこやかに満ち足りている。駆られ老若男女を見ていると、世の中には非哀など存在しないかに思われてくる。」むろん日本人の生活に哀しみや惨めさが存在しないはずはない。「それでも、人々の愛想のいい物腰ほど、外国人の心を打ち魅了するものはないという事実は残るのである。」P74-77
逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー) 渡辺京二 ISBN:4582765521
明治から大正にかけての時代、工場や鉱山で働くことは、自分の社会的な評価を落とすことになるような人生の経路であった。牛馬のようにこき使われる労働者は、社会の下層のなかで極貧の生活を余儀なくされ、生産的な活動を通して社会の発展に貢献しているにもかかわらず、その栄光はほとんどすべて企業家の上に輝き、労働者は対等の権利も社会的な評価も受けられなかった。・・・
日本人が工場の労働にしめしたこのような反応は、おそらく「働くこと」に関して、工場の労働が、それまでとはまったく異質の要素を持ち込んだことに敏感に気がついていたからではないかと思われる。伝統的な社会では、自作農民にしろ職人にしろ、彼らの労働の形態は、主人のいないものであった。農民たちは、自然条件に左右され、たえず災害の発生に気を配り、作物の育成状況や天候に応じた農作業を間断なくこなしていかなければならなかったが、それをどういう順序でいつやるのかの判断は彼自身の意思にかかっていた。労働の主人は彼自身だったのである。生きていくためには生活のほとんどの時間を使い、肉体をすり減らさなければならなかったけれども、それを決めるのは農民自身であった。
・・・働くために必要な金を得るのが仕事であり、自らがその仕事の主人であれば、長時間働くことは必ずしも必要なことではない。だから、生活に追われていた農民たちといえども、金回りがよくなると、ばくちに手を出したりして、必ずしも勤勉とはいえないような生活態度を示した・・・P205-207
2012-01-20 [コメント]凝縮したフェティッシュ

武井咲は超−かわいいと思うが別にファンというわけでもないが、この写真にはやられた。何度見ても見飽きない。ボクのフェティッシュが凝縮されているんだろう。ケータイの待ち受けにしてた。もはやお守りとして・・・
フェティッシュとは、生物的に性的に興奮する対象以外で、本来性的に興奮する対象でないのに性的に興奮してしまう対象だ。精神分析的には幼児のときの経験による。幼児という白紙についたシミは一生消せない。そのシミが大人になって回帰する。


