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2017-01-18 なぜ日本は一人あたりのGDPが低くても豊かなのか

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一人当たりGDPイタリア並みでも日本経済は素晴らしい

塚崎公義 (久留米大学商学部教授

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7677?layout=b

イタリアというと、「ローマ帝国歴史は素晴らしいが、今の経済は低迷している」、という イメージが強いのですが、なんと2014年一人当たり名目GDPは、日本とほとんど同じなのです。夏のバカンスを充分楽しみ、それ以外の時も「難しい顔をせずに」働いているイタリア人と、いつでも難しい顔で働いている日本人の年間GDPが同じだなんて、兎小屋に住むワーカホリック日本サラリーマンを指す昔の流行語。狭い家に住む働き中毒という意味)には、到底受け入れ難い統計です。

しかし実際には、日本人イタリア人の豊かさは異なりますので、過度に悲観する必要はありません。今回は、日本イタリア経済の差について、考えてみましょう。はじめに、現在日本人イタリア人よりも豊かに暮らしているので、カリカリしなくても大丈夫、という話をしましょう。第一に、為替レートの話、第二に、品質比較の話です。2014年は、円安ユーロ高でした。その時の為替レートで換算すると日本イタリア一人当たり名目GDPが同じだったという事は、その後に円高ユーロ安が進んでいることを考えると、今の為替レートで換算すると、一人当たり名目GDP日本の方が遥かに大きい、という事になります。このように、為替レートが動くと「一人当たり名目GDPの国際比較」 が大きく変化するので、注意が必要なのですが、そのあたりの話は別の機会に譲りましょう。

いまひとつ、「日本人イタリア人が同じものを使っている」という場合に、品質をどう比較するのか、という問題があります。たとえば日本電車は非常に正確に動いています。5分遅れると社内放送でお詫びが流れます。そんな国はどこにも無いでしょう。少なくとも、イタリアは絶対に違います。その違いを無視して、「イタリアでも日本でも一人の乗客を100キロメートル運んでいるから同じGDPだ」といった計算をする事が問題なのです。豊かさという点では、電車が定時運行している国の方が豊かでしょう。その分がGDPの計算には織り込まれていないのです。

電車を定時運行するためのコストは、おそらく非常に大きいでしょう。たとえば、何かあった時のために交代要因が各駅に待機しているかもしれません。簡単な故障なら自分で修理できるように全員が講習を受けているかもしれません。

「30分までなら遅れても良い」ということだと、交代要因や修理工が30分以内に到着すれば良いですから、もしかすると会社全体の仕事量が1割減るかも知れません。そうだとすると、日本鉄道イタリア鉄道より、1割多いサービス提供しているということになるはずです。その分だけ日本のGDPが大きくなっても良いのでしょうが、実際のGDP統計にはその違いは反映されていないのです。

「5分遅れるとお詫びするのは過剰サービスだ。30分までの遅れは認める代わりに、運賃を10%引き下げるべきだ(あるいは鉄道職員は1割早く帰宅すべきだ)」というのは簡単ですが、問題は消費者が正確性を求めていることです。「頻繁に30分遅れるが10%安い鉄道会社」と「滅多に遅れないが料金が高い鉄道会社」があったとすると、イタリア人消費者は前者を、日本人消費者後者を選ぶのでしょう。だから両国で異なるサービス提供されているのでしょう。なにしろ、製造業世界でも、「日本消費者世界一うるさい。うるさい消費者に鍛えられたから日本製品故障しにくいと世界で評判なのだ」と言われているくらいですから




GDPにカウントされない無償サービス


日本鉄道イタリア鉄道より、1割多いサービス提供しているということになるはずです。その分だけ日本のGDPが大きくなっても良いのでしょうが、実際のGDP統計にはその違いは反映されていないのです」。「なにしろ、製造業世界でも、「日本消費者世界一うるさい。うるさい消費者に鍛えられたから日本製品故障しにくいと世界で評判なのだ」と言われているくらいですから」。貨幣価値化されなければGDPにカウントされない。日本人にはGDPにカウントされない非貨幣価値が高いために、実際のGDPでは評価されない豊かさがある、ということだろう。

たとえばトフラーは貨幣経済に対して非貨幣経済の富が同じだけあり、豊かにとって重要であると、指摘している。非貨幣経済とは、自給自足主婦などの家事労働、DIYなど、あるいは最近では個人がネット上で公開している情報も個人が無償作成して、社会に役に立っている。

今回の場合は、非貨幣経済の富でもポイントサービスだろう。たとえば企業が個人へ提供するサービス貨幣価値化された商品のはずであるが、日本では、サービスは「ただ」の意味があるように、「お客様のために」貨幣価値還元できない以上に価値提供しようとしがちだ。これは、おもてなし文化などと言われるように、日本人の習慣から来ているだろう。

日本人が、IT産業を上手く運営できない理由の一つも、IT産業の基本が、セルフサービスによるコストダウン、すなわち安いかわりに不親切、自己責任からだ。そもそも日本人サービス=親切が「ただ」なんだから、客はセルフサービスを手抜きとしか考えない。「世界一うるさい日本消費者」は安価で高品質サービスを求め続ける。(少し面白いのが、同族の日本企業には求めるが、アメリカ企業には求めない面がある。)

世界の富の創出の基礎にある・・・生産消費の価値が実際に、経済専門家が計測している金銭経済総生産とほぼ変わらない規模があるのであれば、生産消費は「隠れた半分」だといえる。同様の推測を世界全体に適用し、とくに生産消費だけで生活している何億人もの農民の生産高を考慮すれば、おそらくは見失われている金額が五十兆ドルに達するだろう。

これらの点がきわめて重要なのは、知識革命がつぎの段階に入るとともに、経済のうち生産消費セクターが目ざましく変化し、歴史的な大転換が起ころうとしているかである。貧しい国で大量の農民が徐々に金銭経済に組み込まれていく一方、豊かな国では大量の人がまさに逆の動きをとっている。世界経済のうち非金銭的な部分、生産消費の部分での活動が急速に拡大しているのである日曜大工やDIYの類に止まらない広範囲な分野で。この結果、まったく新しい市場が開かれ、古い市場が消えていく。生産消費の役割が拡大するとともに、消費者役割が変化していく。医療年金教育技術技術革新財政に大きな影響を与える。バイオナノツールデスクトップ生産、夢の新素材などによって、過去には想像すらできなかったことが誰でも、生産消費者として行えるようになる世界を考えるべきだ。P294-296 


富の未来 アルビン・トフラー ISBN:4062134527




日本人は商品の中で祈っている


西洋では、電車で、老人や妊婦などに席を譲るのは当たり前。それに比べて、日本人はそういうことができない。シルバーシートなんかは日本人独特だろう。キリスト教弱者救済が徹底している。社会福祉活動に参加するのは市民の義務。金持ちは必ず社会福祉団体へ寄付をする。このようなことが社会弱者を支える社会基盤になっている。だからアメリカ中間層崩壊と言われているが、中間層自由競争さらされて厳しくても、貧困層の救済は手厚い。だから老後も安心な面がある。

キリスト教弱者救済がこんな感じてわかりやすいのに対して、日本場合は、仏教の慈悲から来ているので複雑だ。まず仏教では一切皆苦なので、みんなが弱者だ。だから慈悲は弱者救済ではなく、豊かさに関係なくみなが慈悲を施すことが求められる。さらに繊細なのは、みなが弱者なので、簡単に弱者と宣言できず、自己努力が強く求められる。そして助けられることが恥であるとう価値がある。

から電車で席を譲るにしても、このような複雑な関係が生まれる。「譲って相手を弱者扱いして失礼でないか」、「周りから強者ぶってかっこつけていると思われないか」。様々な場面でこの慈悲の複雑さは、日本人人間関係を複雑にしている面がある。

日本人の慈悲が、他者への直接働く場合に複雑であるのに対して、特に江戸時代以降に有効に働いてきたのが、職分主義だ。みながそれぞれ自分仕事を世のために懸命にやれることで、世の中が豊かになる。間接的な慈悲行である。そしてこれが日本人の勤勉さへ繋がる。勤勉さとは自らのためにだけに懸命に働くのではなく、世の中のためになるよう働く。

結局、現代日本人もこの複雑な人助けを継承している。老人や妊婦に席を譲るのは苦手だ。だからシルバーシートなんて義務化してもらえると助かる。一方日本人の本当の慈悲は、海外に比べて、電車の性能の良さ、清潔さ、快適さ、時刻に正確なシステム、そして鉄道員お客様への対応の丁寧さの中に間接的に行われている。




日本人の慈悲とは「人に明るく優しい顔で接する」こと


慈悲は他者に対してのみあらわれるものであるから、その具体的な顕現のすがたは他人に対して何ものかを与えるということになる。「檀(dana 与うること)は慈相たり、よく一切を救ふ。」しかし他人のために何ものかを与え奉仕するということも、空の精神にもとづいて行われなければならない。したがって、ときには慈悲と施与とが殆んど同義に解せられていることがある。

後代の仏教においては、他人に対する奉仕に関して「三輪清浄」ということを強調する。奉仕する主体(能施)と奉仕を受ける客体(所施)と奉仕の手段となるもの(施物)と、この三者はともに空であらねばならぬ。とどこおりがあってはならぬ。(心地観経)もしも「おれがあの人にこのことをしてやったんだ」という思いがあるならば、それは慈悲心よりでたものではない。真実の慈悲はかかる思いを捨てなければならぬ。かくしてこそ奉仕精神純粋清浄となるのである。P128-129


慈悲 中村元 講談社学術文庫 ISBN:4062920220

宗教では「神の無償の愛」は珍しくないが、慈悲の特徴の一つに「三輪清浄」がある。たとえば見ず知らずの人から突然1億円上げるといわれたらどうだろう?なにか裏があるんじゃないか、怖くなる。これは贈与と返礼の関係で、人は贈与されると負債を感じてことからくる。だから無償の愛はすることも難しいが、受けることも難しい。だから神のみが可能な行為とされる。

仏教にそもそも神はいないので、慈悲は人がする行為だ。すると、慈悲を与える人はただ与えるだけでなく、受け取る側のことまで考慮して、はじめて慈悲となる。それが三輪清浄だ。与えるときに強者と弱者の関係が生まれないように、受け取る側が不安にならないような配慮が必要だ。

慈悲は単なる無償の愛ではなく、人が神にできるだけ近い「無償の愛」を与えられるようになるための技術であって、すなわち人が空観に至るための修行だ。だから神の領域「無縁の慈悲」までにステップが踏まれている。

キリスト教圏では、弱者救済は一つの意識的行為だろうけど、日本人の慈悲は、日本人全員が行うよう慣習に埋め込まれた集団的行為である西洋人は勤勉に働くことや、「明るく優しい顔で接すること」、「温かい言葉をかけること」を、弱者救済無償の愛とは呼ばないだろう。

大乗仏教の思想体系の理論建設であるナーガールジュナは、慈悲に三種類あることを認め、無縁の慈悲の究極者的性格を明らかにしていう。・・・恐らく現実社会において、多くの個人と個人とが対立している場面を意識しつつ慈悲を及ぼすことが「衆生を縁とする慈悲」であり、個人存在或いはそれを関連がある諸種の物を個別的な要素に分析して、それらは独立な実体でないと思って、執着を去って他人に何らかの物を与えて奉仕すること、すなわち小乗仏教における慈悲行、が「法を縁とする慈悲」であり、諸法実相である空(=如来)を観じて行う慈悲が「無縁の慈悲」なのであろう。P112-116

慈悲 中村元 講談社学術文庫 ISBN:4062920220

布施 ふせ ほどこす

人のために惜しみなく何か善いことをする。善行には有形と無形のものがあります。有形のもの財施といいます。お金や品物などを施す場合です。

無形のものは、

● 知識や教えなどの法施

● 明るく優しい顔で接する眼施・顔施

● 温かい言葉をかける言施

● 恐怖心を取り除き穏やかな心を与える無畏施

● 何かをお手伝いする身施

● 善い行いをほめる心施

場所提供する座施・舍施、などがあります。

施しは、施す者、施しを受ける者、施すもの、すべてが清らかでなければいけません。

欲張りのない心での行いを施しといいます。あえて善行として行うとか、返礼を期待してはいけません。

また受ける側もそれ以上を望んだり、くり返されることを期待してはいけません。

やさしい仏教入門  http://tobifudo.jp/newmon/etc/rokuhara.html




日本人の「清らかさ」へのフェティシズム


日本人の善人のステレオタイプに、人助けをして名乗らずに消えると言うのがある。まさに慈悲的だ。名乗らず消えるというのは、見返りを求めない。助けられた人に恥を欠かせないという、「清らかな」人助けだ。周りから見返りを求めていると思われるのをよしとしない。

2ちゃんねる発祥?の「やらない善よりやる偽善」はなかなか深い。これが日本人なのは、やらない清い善より、やる汚い善、というユニークで、日本人人助けへのナイーブ脱臼している。

日本人無宗教であるというのも、何ものにも染まらない清らかさか、そして神道宗教ではない日本人としての清らかさだ。この論理明治近代化による信仰自由をうたいながら、国民国家神道へ向かわせた原理だ。

日本人のこの清らかさがどこから来たのか。もともと日本は川の国だ。溜まる池や沼とは違う、また海とは違い、雨が山で浄化され流れる清らかな川は飲み水から食糧の源として大切だった。その意味で古くは、縄文時代から特別であってもおかしくない。また日本書紀には、日本土着の畑の土の文化と、弥生時代に伝来した水田稲作の水の文化の対比があり、いまの天皇に連なる神々は水の文化であり、清らかであることが神の特性の大きなものとなり、現代まで神道の基本である

さらには仏教の伝来は日本人の清らかさへフェティシズムを加速させたと言われる。仏教も先の三輪清浄で上げたように清らかさの文化がある。これを受け入れるとともに、神道はより清らかさを過敏となる。それが「穢れ」の嫌悪である。「穢れ」の概念日本書紀からあるが、伝染病のように怖がるぐらい過剰にさせたのは仏教の影響と言われる。その結果、神道仏教よりも清いという、現代神社とお寺の差異に見られるような、神聖で清らかな神道、そして濁りを清らかにする役割としての仏教という日本人独特の対比を生み出した。日本での仏教葬式仏教であるのは、最大の穢れである死穢を清め成仏させたのは仏教のみが持つ力による。「死体穢れ観」から死体往生者観」へ。




資本主義精神と慈悲


そしてこの力が、江戸時代には、泥にまみれる農業や金を儲ける商業の卑しさを清めて、職分への勤勉さへ転倒させた。この勤勉さは日本近代へ繋がり、西洋における「資本主義精神プロテスタンティズム」と対比される。

ただし西洋における「資本主義精神プロテスタンティズム」が資本主義黎明期のみであったと言われるのに対して、日本では現代まで続いていて、GDPにカウントされない非貨幣価値サービス提供し続けている。こんな日本人の特殊な資本主義経済って、経済成長率や、一人あたりのGDPで語ることができるのだろうか。


一人当たりGDPイタリア並みでも日本経済は素晴らしい  つづき。

バブル後の長期低迷は、日本人の勤勉と倹約の結果

塚崎公義 (久留米大学商学部教授

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7677?layout=b


バブル崩壊後の日本経済は、長期にわたって低迷を続けました。日本人がサボっていたなら諦めもつきますが、なんと「真面目に働いたので大量の物が作られ、倹約したので物が売れ残り不況になった」のです。アリがキリギリスに負けたような、悔しい話です。詳しくは末尾に御紹介した拙稿を御覧下さい。

不況になれば、企業は物を作らないので、GDPは増えません。新しい工場も建ちません。企業が人を雇わないので、失業した人は消費をしません。つまり、物が売れないと、廻り廻って一層物が売れなくなる、という悪循環が20年以上も続いて来たわけです。

作った物が1割売れ残るのであれば、日本人が働く時間を1割減らしてバカンスに行けば良いのですが、働き中毒たちは、そうは考えませんでした。「こんなに働いても貧しいのだからもっと働こう」と考えたのです。ここは、イタリア人に学んでも良かったのかも知れません。しかし、悪いことばかりではありません。少子高齢化が進んだので、団塊の世代定年退職したのです。「人口の10分の1が定年になり、毎日日曜日になった」ので、「国民全員が年の1割をバカンスで過ごす」のと同じことが起きたわけです。

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2017-01-07 [お勉強]慈悲 中村元 講談社学術文庫

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[]慈悲 中村元 講談社学術文庫 ISBN:4062920220 慈悲 中村元 講談社学術文庫 ISBN:4062920220を含むブックマーク 慈悲 中村元 講談社学術文庫 ISBN:4062920220のブックマークコメント

第三章 慈悲の観念歴史的発展


慈悲は人が他の人に対して行うもの

そもそも慈悲とは、始めは人が他の人に対して行うはたらきであり、物質方面でも精神方面でもひとを救って、それを機縁として最高究極の境地に至らしめる純粋の心情であった。かかる心情にもとづく行為もまた慈悲と呼ばれていたようであるところでかかる実践人間一個の力ではなかなか実現され得ないから、凡夫はどうしても覚者である仏の力にたよろうとする。そこで慈悲は人の側におかれ、仏が人々を救うために慈悲を垂れるのであるとされた。かくして慈悲は人と人との関係から人に対する仏のはたらきに移され、人間はただこの慈悲に対して受動であると解せられるようになる。そうして人と人との間にあらわれる慈悲は、最初宗教的意義がかくされ、単なる同情或いは憐れみというような世俗的なものと解せられ、したがってそれは人びとに対する仏の慈悲の模写或いは世俗形態と解されるようになる。慈悲のかかる二種類の形態は、そののち伝統保守的仏教のうちに保存されているとともに、大乗仏教においても別々のすがたであらわれているように思われる。

しかしそのような分離にも拘わらず、慈悲心は人間でも起すものである。P59-60

慈悲があるからさとりが得られる

ところで智慧と慈悲との関係はどうであるのか。普通大乗仏教で考えられていることは、まずさとり(根本知)を得て、それから慈悲のはたらき(後得知)がはたらくというのであるが、ナーガールジュナ正反対の主張を大乗経典の中から引用していることがある。先ず、慈悲心があるからこそ、さとりが得られるのだという。

菩薩は、衆生の中に処して三十二種の悲(あわれみ)を(観音菩薩のごとく)行い、漸々増広して転じて大悲を成ず。大悲はこれ一切の諸仏・菩薩功徳根本なり。これは般若波羅密の母なり。諸仏の祖母なり。菩薩は大悲心を以ての故に、般若波羅密を得。般若波羅密を得るが故に、仏となることを得。」(大智度論)P75




第四章 慈悲の理論的基礎づけ


慈悲には三種類ある

大乗仏教思想体系の理論建設であるナーガールジュナは、慈悲に三種類あることを認め、無縁の慈悲の究極者的性格を明らかにしていう。

「慈悲心に三種あり。(すなわち)衆生縁(衆生を縁とするもの)と法縁(法を縁とするもの)と無縁となり。凡夫人は、衆生縁なり。声聞・辟支仏及び菩薩は、初めは衆生縁にして、後には法縁なり。諸仏は、善く畢竟(ひっきょう)空を修行するが故に、名づけて無縁となす。」(大智度論)

・・・恐らく現実社会において、多くの個人個人とが対立している場面を意識しつつ慈悲を及ぼすことが「衆生を縁とする慈悲」であり、個人存在或いはそれを関連がある諸種の物を個別的な要素に分析して、それらは独立実体でないと思って、執着を去って他人に何らかの物を与えて奉仕すること、すなわち小乗仏教における慈悲行、が「法を縁とする慈悲」であり、諸法実相である空(=如来)を観じて行う慈悲が「無縁の慈悲」なのであろう。P112-116

慈悲は空において成立する

慈悲とは自己を捨てて全面的に他の個的存在のために奉仕することである。それは現実人間にとっては容易に或いは永久に実現されがたいことであるが、しか人間行為に対する至上の命法として実行が要請される。他の個的存在のための全面的帰投ということは、自己他者との対立が撫無される方向においてのみ可能である

そうしてそのことは自己他者との対立が、実は究極においては否定に裏づけられているということを前提としてのみ成立し得る。対立は空なのであり、空においてのみ対立が成立する。

この理法は、われわれの現実生活に即して考えるならば、容易に理解することができる。例えば、われわれが在る一人の他人を極度に増悪しているとしよう、その限りにおいてわれわれの増悪している他人は、われと対立しているわけであるしかしその他人の増悪されるべき存在が空観によって否定され、眼に見えぬ本来人格がこのわれを向き合うことになるならば、それに対立もなく、増悪の感も消失するであろう。ここに愛憎を越えた慈悲が実現されるのであるP123

慈悲には三輪清浄必要

慈悲は他者に対してのみあらわれるものであるから、その具体的な顕現のすがたは他人に対して何ものかを与えるということになる。「檀(dana 与うること)は慈相たり、よく一切を救ふ。」しか他人のために何ものかを与え奉仕するということも、空の精神にもとづいて行われなければならない。

したがって、ときには慈悲と施与とが殆んど同義に解せられていることがある。後代の仏教においては、他人に対する奉仕に関して「三輪清浄」ということを強調する。奉仕する主体(能施)と奉仕を受ける客体(所施)と奉仕手段となるもの(施物)と、この三者はともに空であらねばならぬ。とどこおりがあってはならぬ。(心地観経)もしも「おれがあの人にこのことをしてやったんだ」という思いがあるならば、それは慈悲心よりでたものではない。真実の慈悲はかかる思いを捨てなければならぬ。かくしてこそ奉仕精神純粋清浄となるのであるP128-129




第五章 慈悲の倫理的性格


慈悲は上位のものから下位のものとは限らない

慈悲とは、仏が衆生に対し、主君臣下に対し、親が子に対するように、力において或いは階位的秩序において上位のものが下位のものに対してはたらきかける関係ではないか、と考えられるかもしれない。また日本では一般にそのように考えられている。しか事実として必らずしもそうではない。むしろそれと反対の場合がある。例えば修行者が慈心をもって仏に対することもある。

・・・ただしこの場合においても、下位のものが下位のものとしての資格において慈悲を示すのではなく、絶対者にあずかっているものという資格において慈悲のはたらきを示すのである

したがってこのような場合には、世俗的な身分・年齢・性別等に由来する優越的体は撥無される。道元はいう、「仏法修行し、仏法を道取せむは、たとひ七歳の女流なりとも、すなはち四衆の導師なり、衆生の慈父なり。」(正法眼蔵




第六章 慈悲の行動的性格


浄土真宗において人間行為のうちに慈悲を求める

ここにおいてわれわれは、親鸞教が実は現実人間生活における慈悲行を基礎づけものであるということを知り得るのである

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」(正像未和讃

ここでは身を捨てる覚悟を以てする奉仕の行が要請されている。現在浄土真宗教徒のうちには、「信仰さえ確かなら、それでよい。信仰行為とは別ものである。」といって、特に積極的行為によって人々のために有意義なことをしようとせず、また為さないことを誇っているかのごとき人々があるが、それはこの点で親鸞の教説からは明らかに背反しているものである

・・・したがって浄土真宗においては、教義学の上では専ら如来の慈悲を強調するにもかかわらず、それは人間無関係であることは許されず、人間行為のうちに具現されることが要請されるのであるこれは恐らく宗教においては、個人世俗人間からそむいて絶対者と直面しようとするにもかかわらず、絶対者との交渉人倫関係を通じて実現されるという基本的構造に由来しているのである。このような道理をつきつめて考えてみると、いま慈悲の問題に関してみるに、浄土真宗禅宗等の聖道門対立すると考えられているのは、宗派成立の歴史的社会的事情とか経典解釈にとらわれた教義学などの上だけのことであって、宗教倫理的人間実践構造の把捉のしかたに関しては、さほど異るところが無いように考えられる。

近江商人は慈悲行をめざす

日本においては、例えば徳川時代の中期以降における近江商人の活発な商品活動には、浄土真宗信仰がその基底に存するという事実が、最近実証研究によって明らかにされている。ところで近江商人のうち成功した人々の遺訓についてみるに、かれらは利益を求める念を離れて、朝早くから夜遅くまで刻苦精励して商業に専念したのであるが、内心には慈悲の精神を保っていた。実際問題としては利益を追求しなかったわけではないはずであるが、かれらの主観的意識の表面においては慈悲行をめざしていたのであるその一人である中村治兵衛の家訓によると、「信心慈悲を忘れず心を常に快くすべし」という。これは当時浄土真宗における世の中の商人に対し仏の慈悲を喜ぶことを教えていたことに対応するのである。P244

徳川幕府政治基本的精神は慈悲

徳川幕府は三百年にわたる太平の天下を維持したが、その政治基本的精神は表面にかざす標語としては慈悲にほかならなかった。大久保彦左衛門の「三河物語」によると、慈悲は徳川家伝統精神であった。家康よりも八代祖先徳阿弥は、時宗の僧として西三河に流れ来り、松平の郷中の太郎左衛門の婿となった。かれは慈悲の態度によって特にすぐれていた。かれは百姓乞食非人に至るまで普ねく憐れみを加えた。また自ら山道の修理に努めて人馬の交通平穏にならしめた。「御内の衆」は「君の御情」に感じ、「扨(さて)も扨(さて)も御慈悲と申(もうす)、又は御情、此御恩の、何として報じ上ぐべきや。唯二つと無き命を奉り(たてまつり)、妻子眷族(けんぞく)を顧みず、昼夜のかせぎにて御恩を報ぜん」といい合った。これがやがて伝統的な精神となった。・・・

つづいて徳川家康も、慈悲の徳が美徳根底となるものであることを強調している。「東照宮御遺訓」(上)には次のように教えている。

・・・まず慈悲が万事の根本であると知れ。慈悲より出た正直がまことの正直ぞ、また慈悲なき正直は薄情といって不正直ぞ。また慈悲より出た智慧がまことの智慧ぞ、慈悲なき智慧は邪な智慧である中国ではこの大宝を智仁勇の三徳という。」P258-259

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2017-01-03 [お勉強]宗教以前 高取正男、橋本峰雄 ちくま学芸文庫

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[]宗教以前 高取正男橋本峰雄 ちくま学芸文庫 ISBN:448009301X  宗教以前 高取正男、橋本峰雄 ちくま学芸文庫 ISBN:448009301X を含むブックマーク 宗教以前 高取正男、橋本峰雄 ちくま学芸文庫 ISBN:448009301X のブックマークコメント

忌みの思想

「忌み」の意識基本的に含まれる浄・穢の観念は、聖と俗という表現になおすこともでき るが、本来の「忌み」にはみずからの穢れを去って聖に近づこうとすることと、穢れを避け てみずからの聖性を維持しようとする二つの側面があり、これらは表裏の関係をなしてい た。ところが死穢や血穢・産穢を忌む習俗は明らかに後者の面だけを強調し、穢れあるもの をすべて遠慮させ、これをもって「忌み」とするものである

このような意識は、すでにのべたとおり、つねに聖なる廟堂に立ってみずからの聖性を維持しなければならなかった貴族あいだに成立し、彼らに連なる職業的司祭者の手で陰陽道と結ばれて神道の教説を生み、仏教と結んで、後に民間に流布したもので、もともと庶民と は縁のないものであった。そして、これまでみてきたことから知られるように、民間に行わ れている死を忌む習俗と、出産や月々の生理を忌む習俗とをくらべると、後者のほうにより多く「忌み」の本来の姿をうかがうことができる。P49

「忌み」の意識を、穢れを忌み避ける意識局限すると、そのために禁忌だけがつぎつぎに架上され、それを守りさえすればよいとする堕落がはじまる。しか庶民信仰は、けっし てそこにとどまらなかった。素朴ではあるが、はるかに深いものをみずからのうちに伝えて きたといえるだろう。しかも、聖なるものを前にしてみずから慎しみ、ひともわれも精進に よって罪と穢れを祓い、神の来臨を願おうとする思念を貫くものは、神に対して自己信仰を訴え、その裁きを待とうとするのとは異なり、神に対してきわめて謙虚にしたがって受動 的な態度で神に接しようとするものである。このことは単に宗教問題だけにとどまらず、 「忌みの精神」とよべるほどの強さをもって庶民の勤労観を支え、道徳の根幹をなしてきた のではないだろうか。P53-54

さきに、原始神道の忌みの思想には二つの面があることが指摘された。みずからの穢れ(俗)を去って浄(聖)に近づこうとすることと、穢れを避けてみずからの聖性を維持しようとすることと。古代民間信仰ではこの両面が表裏一体の即自的な統一をもっていたが、また政 治的にはこの両面はそれぞれ庶民貴族と、被支配者と支配者とにおける忌みの考えかたの違いを示すものであった。忌みの思想歴史は、古代から中世近世へと、前者の考えか たによる忌みが後者の考えかたによる忌みによって歪曲され隠蔽されてくる過程であることが注意された。したがってそれは、いわば宗教政治によってねじ曲げられてくる歴史で あったともいえよう。P56-57

原始神道にとって、赤不浄、白不浄よりも黒不浄、したがって死穢が重大視されたことは容 易に納得できる。神道にとって女性はむしろ神聖であり、それを不浄としたのは、たしか仏教のせいであろうからである神道もっとも本式の古い祓い方法である禊ぎを要求したのは、とくに死穢にたいしてであった。しかし逆にいえば、これこそ宗教としての原始 神道のウィークポイントであった。死に対する根源的な怖れを、いかにして処理すればよい か。しかも、いわゆる死穢とはすでに死んだ者による穢れである自分自身の死、さらには その穢れをどうするか。神道には、本来その答えはない。ここに、罪業観を強調した仏教の最大といってよい宗教的役割があった。

柳田国男氏は、神道仏教との「物忌」「精進」におけるもっともいちじるしい違いを、「死 穢を忌みこと」の有無に見る。・・・しかにその点にこそ、日本仏教民間への滲透と、 日本人宗教意識内面化個人化の最大の理由があったといえるだろう。P61

隠遁性格小乗排斥して、世俗生活宗教的解脱とを相即させようとする大乗採用させたものは、仏教日本への土着に果たした原始神道の現世的性格ではなかったか

鈴木正三が「諸天のめぐみ」「仏陀神明加護」というところに、日本仏教根本性格がある。そしてこのようなに仏教神道習合することは、それが「斎み」には俗から聖へと、聖から俗へとの両面がある。聖から俗へのありかたが、正三のいう正直による得利という「世俗禁欲」なのである

「斎み」には、ここでこれから後で考えようとする、産土(うぶすな)的さらには祖先崇拝的神祇観も深く関連しているが、「斎み」のエートスによって育成された日本人禁欲精神ガンバリズムは、近世日本封建的な「制度」の底で農工商の庶民によって維持され、明治日本近代化の主要動因の一つとなったと考えられるのであるP64-65




仏神の加護

中世にはしばしば「神道不測」といわれ、神は人の知恵では測りがたいもの、究めがたいも のとされる一方、正直、清浄、慈悲の三つが神の本旨とするところであり、あわせて神の徳であると説かれた。このことは、伝来の信仰を考えるうえに重要なてがかりになる。

中世になって正直・清浄・慈悲の三つが神の本旨とされ、なかでもいわゆる「衆生擁護神道」として「神明の慈悲」が説かれたのは、ひたすら神の霊威を畏れかしこみ、神慮にもとることのないようにだけ祈った原始古代にくらべれば、大きな飛躍であり、発展であった。とくに慈悲行はこの時代地方にあって農民を直接にひきいていた在地領主や、中央にあった荘園領主たちに望まれもっとも大切な徳目であり、それが神の徳に反映されたとすれば、仏教の影響の多大であったことを考慮にいれても、それは中世という時代社会特質を物語ることになる。しかしそれにしても、正義といった客観的規範でなく、この世の人の行うべき徳目をもって神の本旨とし、神の徳としたのは、神の像を不要としてきたことと並んで神が人とともにあることの現われではなかろうか。それは原始社会のような神として立派に存在しながら、それをこの世からまったく隔絶したものとは考えない信仰、したがって神人未分離でなくて不分離とよべるような宗教的心情の現われというべきであろう。P74-75

日本古代仏教は、官寺仏教とよばれる体制から出発した。そこでは、仏教官寺とよばれる律令政府の手で荘厳された寺院に住む僧侶たちによって担われていた。そして彼ら官寺僧侶たちに期待されたのは学問修業のなかで獲得される呪験力であり、彼らの経典読誦(どくしょう)や講説によって五穀の豊饒国家の安寧(あんねい)がもたらされると信じられていた。このことは、なによりもまず仏が伝来の神々の世界の上に立ち、それらにまさる威力もつ神性として機能していたことを示している。

しかし、仏教はこれだけの理由貴族たちの心をとらえていたとは思えない。・・・古代専制政治体制必然的に血なまぐさい政争をはてしなくひき起こし、そのなかで破滅するものたちがただちに人間の生死の問題に直面したのでは当然として、その争いはおなじ貴族同士のものであったから、敗者の姿はつねに勝者の分身であり、あらゆる術策によって勝利したものも、勝利のゆえにその重圧を自らの負い目としなければならなかった。こうした事態に対して伝来の神はあまりに貧弱であったから、仏の救済の論理こそが貴族精神の飢渇をいやすものとして迎えられたのではないだろうか。

こうしてみると、仏教は当初から律令国家を護持するための呪術であるだけでなく、律令国家を完成し、維持しなければならなかった貴族たちに対する救いの呪術であり、宗教であったことになる。・・・

奈良時代も後半になると地方村落内の変動は顕著となり、地方豪族富豪層とよばれるものが周辺の没落農民を掌握し、在地の新しい地位をかためはじめた。このことは昔から氏族的な生活秩序を最終的に解体し、人びとを原始的信仰から脱却することを意味したが、それは仏教民間普及と深い関連のうえになされた。その当初は神はいぜんとして祟りをなす畏怖すべきものであったが、やがてそうした神も仏の前では一介の衆生とされ、水旱などの天災や疫病として発揮される神の祟りは、神が神の地位にとどまっていることの苦悩の現われとされ、それをやわらげるために神前で読響したり、神宮寺とよんで神のために寺院を建立することがはじまった。そしてこれを通じて神は祟りをやめて菩薩ともよばれ、平安時代になって仏教もつ本地垂迹論理を拡大適用し、神は仏が衆生済度のため仮に神になって現われたものという、日本独特の本地垂迹説を生みだすことになった。P83-85

土間には炊事場、仕事場、寝所と、住居のもつすべての機能が備わり、土間一室ですべてを兼ねた原始時代の竪穴式住居を機能的に差違がなくなる。住居のなかに床の部分が設けられ、生活の中心がそこに移った後にも、土間に古い時代生活の後が残留したというべきであろう。そしてこのことを念頭に置いて土間に祀られている神をみると、それはカマドの神をはじめ柱などに簡単な棚をしつらえ、年末などにお供えをするだけの、どこに本社があるということもなく、ただ火の神・水の神というだけの素朴な神である。座敷の床の間や神棚に祀られる神が中央地方の有名神や、村の鎮守の神であるのにくらべると大きな違いであり、「何某の命(みこと)」といったれっきとして神名ともち、どこの神という素性のわかる神が歴史的に後次の成立であるのは明らかであるから、土間をはじめ寝室のすみなどに祀られている神は、はるかに古い時代から人の生活とともにあった神といえるだろう。P77

それにしても日本には、いかに多くの神や仏がいますことであろう。俗に神々の数は八十万は八百万といわれる。それらの神々を、さきにまず「土間の神」と「座敷の神」の二重構造として説明したが、後者さらに二段階に分けることでそれらを三重構造として考えるほうが理解やすいほうが理解やすいかも知れない。まず「土間の神」として私的に祀られる、火の神、水の神のような自然神、その上に共同体の結合原理として公的に祀られる、氏神産土神のような自然神あるいは人間神、そして全体を神政政治的に統べるものとしての天皇神、という三重構造である第三の神は、太陽神天照大神)崇拝という自然宗教を背景に、皇統は天つ日嗣として神聖であり、マツリゴト(政治)はマツリゴト(祭事であるとすることで成り立つ、そして中世鎌倉に起こった伊勢神道以来の教義的な神道諸派がとくによりどころとした、すぐれて政治的世界にかかわる神々である

・・・わが国の神々の世界の上にはさらに仏の世界があり、両者は本地垂迹教義で結びつけられ、仏神の世界は全体として四重構造をなしているのである日本宗教は、世界でもまれな規模の重層信仰シンクレティズム)を成立させたといえる。P95-96




神の啓示

中世神明の慈悲が強調されたことの意味については先にのべたが、この世にあって人びとが異常な事態に遭遇するほど神の霊威は発揮され、種々の奇蹟や頻発される託宣夢想・夢告の類を契機として人の世のことが神々の世界投影され、人の世の徳目がそのまま神の本旨とされることになった。そして中世武家政治の開始とともにはじまった社会の激動のなかに神明のはからいを感得し、それをなによりも重視するところから神を主とし、仏を住とするいわる反本地垂迹の説さえ現われ、それほどでなくとも日本をもって神の国とする神国思想一般化しはじめた。

・・・こうして中世を通じて高められたこの世における神の働きに対する関心は、やがて武家社会の完成つれて儒教の影響をうけいれて定着し、この世のことは神に、あの世のことは仏にという、神と仏のあいだの一種の分業ともいえる形態を用意することになったといえよう。

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2017-01-02 [お勉強]寺檀の思想 大桑斉

pikarrr2017-01-02

[]寺檀の思想 大桑斉 教育歴史新書 寺檀の思想 大桑斉 教育社歴史新書を含むブックマーク 寺檀の思想 大桑斉 教育社歴史新書のブックマークコメント

1 寺檀関係形成

十七世紀前半の半檀家的寺檀関係は、十七世紀後半、農民の家が広汎に形成されてくると、その家結合の精神紐帯としての祖先崇拝を生み、その菩提寺として特定寺院との関係固定化することによって、一家一寺制の寺檀関係形成され、それらを基盤に、道場から発展した近世的な寺院が全国の村々に整理することになる。P86




2 寺請体制

寛文〜延宝期(一六六一〜八一)はすでに見てきたように、寺檀関係の展開・近世寺院の広範な成立を基礎にして、寺檀制度宗旨(しゅうし)人別帳・寺請制度が成立した時期であった。寺請制度が、宗旨人別帳によって確定された百姓町人身分証明するものであるとするなら、その証明書はそれにふさわしい権威もつものでなければならないし、またそれは、証明される民衆区別される存在でなければならない。権威をもち、民衆区別される存在ということであれば、まず第一に想起されるのは武士であろうが、実際には武士がこの権限行使せず、寺がキリシタンでないことを証明するという形で身分証明を行う寺請制をとったところに、近世国家=幕藩制国家というものの大きな特色があった。逆にいえば、幕藩体制というものは、武士世俗権威による支配のみで成立しえないのであって、宗教的権威がその支配正当性保証しなければ、国家として完結体となりえないような性格をもっているということである封建社会封建的思惟世界は、人智を超えた絶対なるものを前提にしなくてはならない世界であり、これが否定されたとき近代という世界が開ける。・・・寺院は幕藩制国家の内で特殊身分として確定されなければならないのであり、そのために寺社台帳の作成と新寺禁止令によってこれを固定しなければならなかったのである特殊身分として固定された寺院のうち、特に支配階級の安泰を祈祷する役をもった寺は、その代償に寺領を与えられるし、それ以外のものは、民衆をして支配に従わせる役をあたえられて、その代償に檀家を附けられる。檀家制度とはこのような本質もつものであり、寺請は、このような任務をもった寺が、幕藩制国家の敵であるキリシタンでないことを証明することにおいて、その民衆が、幕藩制国家支配に従う領民であることを証明するものであった。P199-121




3 寺請体制思想原理

農工商と、民衆最上位に位置づけられながら、一方で賤しき業とさげすまされた農業を、心のもち方において煩悩をかりとる仏行となるとし、この農業に従う民は、天が授けた世界養育の役人であるから農業のもの清浄の業であり、天への報恩にほからなない、と(鈴木)正三はいう。心の持方によって職分は全て仏行になるという点に注目して、職分仏行説をいう名で呼ばれてきたけれど、それが役人であるという点に注目しなければならない。ここに正三の思想の特色があるからであって、職分役人説という方がより正しい。・・・

職分仏行役人説は、このように寛永八年頃から表明され始め、やがて僧侶民衆教化役人であるという考えに至る。冒頭に示した「仏弟子煩悩業苦を治する役人」という文句は、この寛永八年の「四民日用」を増補した「三宝之徳用」章にあらわれているのであり、そのような僧侶役人化は「公儀の御下知」なくしてはありえないというのが同じ慶安五年増補の「修行之念願」の章であった。ここに、寛永八年に始まった正三の仏教国策天草実験をへて公儀の下知による僧侶役人化策、つまり寺請制思想の原型として成立したのであるP150-151




4 民衆仏教と教団仏教

唯心弥陀思想と名づけたこの思惟、つまり仏という絶対真理は、自分の心のうちにしかないのであって、自分をはなれて別個に存在して、外から自分にかかわるものではない、という思惟が、近世民衆思惟の基本であり、民衆信仰のうちに様々な形で見い出されることをみてきた。唯心弥陀・己心浄土ストレート表現するもの、身は仏になるという表現で仏との一体というもの衆生の往生と仏の正覚は同時であり、その故に一体であるというものなど、その表現形態は様々であっても、仏と人間本来的一体性の主張であることにはかわりがない。このようにいうとき、それは何も近世民衆信仰をもち出すまでもなく、大乗仏教根本精神である一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)=あらゆる生きとし生けるものは、みなことごとく仏性本来内在せしめている=という思惟ではないかといわれそうである。そうであるが故に、本来成仏主義近世において民衆信仰の基本となって定着したことの意味を問わなければならないのであるそしてまた本来成仏主義は以下にみるように真宗では異端とされたこと、禅の正三、真言の慈雲など、どちらかといえば教団正統教学の場をはなれて、民衆教化をその立場とした人々に見出されたことのもつ意味を問わなければならないのである。いいかえれば、唯心弥陀思想本来成仏主義は、近世では正統教団教学とならなかったところに、近世仏教民衆と教団への二元分裂があるように思う。P184-185

民衆は、自己と仏との本来的一体性の信仰によって、その主体性思惟を基礎づけた。唯心弥陀思想とはこの意味民衆主体性権威の基盤を用意するものであった。しかし教団は、それによる民衆主体的行為が、定まった方向性をもたない危険ものとみなし、その主体的行為をひたすら弥陀へ向かってたのむという方向づけをあたえることによって規制し、収斂したのである・・・教団教学蓮如イズムといわれるものは、無限可能性・方向性もつ民衆主体的実践を、弥陀への帰命・報謝という信仰世界にとじこめてしまうことを本質としたのである。従って教団教学は、方向規制としてあったけれど、民衆主体性のものを基礎づけるものではなかったから民衆主体的思惟が発展途上にある十七世紀前半から中期までは、成立しにくかったのであり、十七世紀末期をさかいとして、早くも民衆主体性危機さらされ、自立を獲得しながらその限界性・弱さが自覚されてくるとき、それらに方向性をあたえてゆくことにおいて、教団真宗として強力に形成されていくことになったのである・・・

十八世紀中期は以降になると民衆主体性は強さよりますます弱さの側面を露呈してくる。そのとき、強さの回復を求めて、唯心弥陀思想は「心の哲学」という形で民衆道徳に再編され、石門心学二宮尊徳通俗道徳になって民衆にうけ入れられる。P204-206

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2016-12-30 仏教はどのように日本人を作ってきたか  仏教による民衆教化の歴史

pikarrr2016-12-30

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仏教の力は成仏による清浄である


明治西洋近代文明が入ってきて、日本人は大きく啓蒙されたということはよく言われるが、それ以前に仏教により日本人啓蒙教化されていた。

日本における仏教の大きな役割祈祷だった。日本八百万の神が住むと言われてきたが、それとともに多くの悪霊が住む国であった。有名なところでは、古代短期間で平城京平安京など遷都が行われたのは、悪霊を避けるためであった。そこに国家を上げて大きな労力がさかれた。このために日本には陰陽師など悪霊を退治する技術が発達した。そして仏教最先端で最強の技術として取り入れられ、国家管理の下、多くの仏像寺院が建てられた。

この仏教の力は、成仏である輪廻転生という死後の世界へもアクセス可能という画期的技術により、悪霊となった死者を成仏させ、退散させる、また自らも死んだとき極楽浄土成仏できるという画期的技術であった。




体制への民衆教化


国家管理され、上層部のみが享受してきたこの仏教技術が、民衆に広く開放されたのは、戦国時代である応仁の乱以降、中央の力は解体され、荘園から自立した農民たちが誕生する中で、各地にこの仏教技術は広まった。その大きなもの葬儀の普及だ。それ以前、死体は穢れたものとされて、川や山に放置されていた。穢れは現代伝染病のようなもので、人に取り付くと多くの災いをもたらすとされた。現代でも葬式にでた後に体に塩をふるのはそのためだ。それが、僧侶国家管理から解放され、民衆のもとに出向き、穢れを清めて死体成仏されることを可能にした。自立した農民先祖という系譜を紡ぎ、家系を作る中で、僧侶により親を弔い、墓を建てる先祖崇拝は中心的な役割を果たした。

仏教による民衆への影響はこれだけに留まらない。悪霊が住まう世界を次々に成仏されていく。今まで、恐ろしくて近づけなかった土地解放して、人の住める場所にしていく。現代で言えば宅地開拓のようなものである。それはまた精神しかである。古い迷信などを仏教教理により解体していく。

その教化の内容が慈悲である自分だけのためでなく、周りのために、より広くは世の中のために役に立つことをする。それにより清められて、悪霊を退散し、自らも成仏できる。日本人らしい現世利益とつながった仏教の受容の仕方であり、日本人教化された。

これを利用したのが、江戸幕府である檀家制を導入して、国民全員をお寺に紐付けて、戸籍役割として管理するとともに、慈悲による民衆教化を進める。士農工商を単なる縦の管理システムではなく、それぞれが世のために職分を全うする横のシステムとして機能させる。




勤勉さへ民衆教化


江戸時代も中期になると、経済も発展して、農民も単なる農業だけでなく、市場経済に参入していくようになるが、仏教による教化は、勤勉として市場経済を生き抜く技術になっていく。本来、金儲けは卑しいことたされてきた。だから武士市場利益に大きく関わらずにきた。仏教は金儲けも清浄する。金儲けを目的にすることは卑しいことだが、商売とは世の中のために行う清い職である。世の中のために勤勉に働き、その結果お金が儲かるだけだ。民衆は自らも農業技術をまなび、村単位規律ある勤勉な活動を進め、市場経済を生き抜く。

この流れは明治を超えて、広まっていく。むしろ明治になると、政府富国強兵を目指すために、世のためにから国家のためにへと、勤勉を推奨する。特に明治政府最初から財政難に苦しみ、農民から地租税を財政の基本として、今まで以上に厳しい税を課した。このために多くの一揆が起こるわけだが、その中で勤勉により自らで儲けていくことを強く推奨する。




国家体制への民衆教化


明治になり、西洋近代化による資本主義経済が導入されて、経済合理性を重視するように、均質な国民が作られ教化されていく。その中で、西洋でのプロテスタンティズム天職概念による勤勉さが資本主義経済を推進したように、慈悲による勤勉は大きな推進力として働く。

しかし慈悲による勤勉さのすごさは、西洋近代でのプロテスタンティズムの影響が資本主義経済テイクオフの初期のみであったと言われるのに対して、現在経済合理性のためではなく世の中のために働く日本人仕事の基本として継続していることだ。

この一つの理由が、日本人島国という閉鎖環境の中で疑似単一民族として、日本人に独特な世間という擬似的な閉じた世界を維持していることにあるだろう。世間のみなさま、世間体世間申し訳ないとして、世の中のために働くということが、より具体的に想像できる。大陸多民族社会では維持できない想像が、みんながそれぞれ頑張っているから自分も頑張るということが想像され続けている。

江戸時代初期は、世間という慈悲の経済則圏は村、領内だったものが、市場経済の発展とともに地域経済圏へ、そして明治には国家によるナショナリズム日本国へと広がった。




日本人仏教から出られない


仏教祈祷として受容されたその始めから日本人仏教仏教なのか、という疑問がある。祈祷は、本来仏教の主な教義ではない。そして葬式仏教や勤勉さしかり。仏教本来教義は、我を滅して人のために慈悲を施しこの世界の根源的な苦から解脱される救済である

たとえば日本中世に広まった穢れの思想は、もともとは仏教清浄の相対として広まったと言われる。仏教清浄さが認められることで、相対的に穢れにも敏感になる。そして日本神道の基本は清浄にあるが、これもまた仏教の相対化として、仏教よりも清らかにということで高められ、過剰に穢れを回避する。そして敏感になった穢れを仏教が清める。ある意味自作自演

それまで体系的な知を持たない日本人仏教という巨大な知の体系の波に巻き込まれることで、日本人らしさを作ってきた。それは外来文化である仏教肯定否定することが仏教の枠の中で弁証法的な運動として展開する。そうして日本人仏教仏教であるか、日本人仏教徒であるかに関わりなく、仏教日本人を作ってきた。

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海平海平 2017/01/22 22:20 的外れな雑文を偉そうに書くのは構いませんが、最低限の日本語と礼儀を学んでからにしてください

海平海平 2017/01/22 22:20 的外れな雑文を偉そうに書くのは構いませんが、最低限の日本語と礼儀を学んでからにしてください

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