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2017-09-18 日本の右翼とはなにか?

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日本左翼右翼


日本において、左翼とは法を重視する立場、右翼とは通俗道徳を重視する立場と言える。

通俗道徳江戸時代中後期の商品経済の展開とともに規範化されてきた勤勉、節約、孝行、和合、正直、謙譲、忍従などの、当為徳目としてかかげられた日常生活態度。この儒教的徳目は、18世紀末の石田梅岩石門心学19世紀初の二宮尊徳報徳社大原幽学、中村道三らの老農により唱導され、豪農商や知識人による民衆教化徳目となることで、家や村を没落の危機から救うための実践すべき生活規範として広範な民衆日常生活に浸透していった。

また通俗道徳は、幕末以降の近代転換期に創唱された丸山教大本教などの民衆宗教の教説にもつらなる。あるいは非合法闘争である百姓一揆指導者とされたもののもつ自己鍛錬という通俗道徳規範が、強訴徒党抑制してもいた。

生活規範そのものの実践目的であるにもかかわらず、その結果としていくぶんかの富が得られるという功利性や、民を保護すべき領主を恩頼するという仁政観念との相互規定性により、通俗道徳幕藩体制を支えるイデオロギーとなった。

しかし他方で通俗道徳実践は、「生死も富も貧苦も何もかも、心一つ用ひやるなり」(黒住宗忠)と、心の無限可能性をも自覚化することとなり、ここにはじまる広範な生活者主体的自己形成自己鍛錬への努力が、祭礼や遊興の制限賭博・浪費の禁止を心がけるなど、生活や心の革新による新たな人間像を創出した。

これらの通俗道徳実践日常生活における人間存在そのものも変えることで、日本近代化根底から支えるエネルギーとなったが、しかし他方で社会全体性認識する思想体系には至らず、天皇制イデオロギーの土台となった」(阿部[2001:361])


http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/4T/tu_tsuzokudotoku.html

ウェーバーが言ったように資本主義成功には、プロテスタントの勤勉性があった。プロテスタントの勤勉は、天職概念によって支えられた。仕事は、神に与えられた天職から全うしなければならない。その原動力が、初期の資本主義成功に導いた。

では、日本人通俗道徳はいかなる原動力よるか。それは、大乗仏教の慈悲だ。大乗仏教では、みなが互いに奉仕しあうことで、みんなで極楽にいくと考える。日本通俗道徳は、日本人が互いに勤勉に働くことで日本人全体が幸福になることを目指す。

からプロテスタントの勤勉が神と個人関係に対して、日本人通俗道徳は、現代的にいえば、相互監視的だ。私は頑張っている。ではお隣さんはどうか?要するに、それが江戸時代成熟した世間という倫理だ。ここに日本人を信じるという右翼思想の源流がある。




天皇とは通俗道徳の究極の実践


明治維新後、国家神道として、通俗道徳はいかに活用されたか。天皇は、キリスト教の絶対神のような信仰対象ではない。そんなものをいきなり導入しても、日本人は受け入れない。天皇とは、日本人みなの幸福のための通俗道徳の完全な実践者という位置にいる。教育勅語は、通俗道徳そのものだが、天皇は完全に通俗道徳実践している。だから日本人天皇陛下を見習って、日本人のために通俗道徳を懸命に実践すること。それが国家神道の基本構造だ。お国の為に死ぬ通俗道徳実践であり、慈悲の実践日本人みなが極楽に行くために奉仕するということ。

戦後天皇通俗道徳の究極的な実践者の位置を降りたが、基本的日本人通俗道徳構造世間体構造はいまも変わっていない。日本人にとって、近代法よりも、世間体重要だ。法によって処理されるだけでは納得せず、世間がなっとくすることを望む。




日本人の中の修羅


国を愛することは、近代国家のナショナリズムとして、どの国にもある。ただし敗戦前2年間に現れた日本人の愛国の姿は、通常のナショナリズムを超えていた。それはナショナリズムではなく、通俗道徳の変態。簡単に言えば、日本人総武士道化。慈悲は変態すると恐ろしい。無我だから。自らを無としみなのために奉仕する。

愛国は日本人の基本、近代以前から明治維新後もみな愛国のために頑張ってきた。そこにあるのはただ素朴な愛国だった。素朴に右翼だった。しかしその先に、敗戦前2年に地獄を見た。日本人は素朴に愛国を当たるのが怖くなった。日本人の中に済む修羅を見た。

それから日本人の中の修羅は封印された。過去を語ること、真の日本人の歴史を語ることは禁止されて、日本人は温厚な人々で、世界の標準的な人々、右翼は恐ろしいものという封印教育が行われている。日本人自身が今もその姿に怯えている。また何かあれば変態するのでは?だから安易に愛国を語れない。




自民党一党体制世間による国家運営に都合が良い


通常、先進国では、二大政党制など、その時々の政策によって選挙で選ばれる。日本自民党一党であるのは、政策による選択より、世間が働いているからだ。日本人みなの幸福を目指す通俗道徳において、選択は必要ない。その場その場での合議によって国家運営は進められる。世間圧によって、政治が動くために、政党選択意味が無い。むしろ民間団体官僚と密接な関係もつ自民党政権にいることで、世間圧による国家運営がやりやすい。

民進党なんか左翼政権をとった日には、民主主義だ、法だと、世間無視して、西洋理想論国家運営を行い、世間と離れていってしまう。

日本中道保守は、通俗道徳をもとにした右翼思想であり、日本人左翼になることはあり得ない。日本人通俗道徳右翼ベースは、戦前国家神道から戦後自民党一党、官僚主導会社主義、そして現代空気を読むまで、繋がっている。




世間が支える生活空間としての高度な社会インフラ


近代資本主義化で生まれた貧富の格差の地獄。人間の命さえ金で買える世界。自由と平等が生んだ世界。西洋はそれを社会保障という金の再配分というセーフティネットで補完している。日本人世間という通俗道徳で補完している。世間は、左翼が言うような相互監視システムではない。みなのために奉仕しあうシステムだ。日本人はこの暖かいシステムを当たり前すぎて、意識しない。では日本人世間とは何か?

日本の良さが若者をダメにする レジス・アルノー

http://newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2010/04/post-158.php


・・・18歳になるまで日本で暮らしたフランス人の多く(いや、ほとんどかもしれない)が選ぶのは、フランスよりも日本だ。なぜか。彼らは日本社会の柔和さや格差の小ささ、日常生活の質の高さを知っているからだ。

日本とフランスの両方で税務署や郵便局を利用したり、郊外の電車に乗ってみれば、よく分かる。日本は清潔で効率が良く、マナーもいい。フランスのこうした場所は、不潔で効率が悪くて、係員は攻撃的だ。2つの国で同じ体験をした人なら、100%私の意見に賛成するだろう。

・・・日本の若者は自分の国の良さをちゃんと理解していない。日本の本当の素晴らしさとは、自動車やロボットではなく日常生活にひそむ英知だ。だが日本と外国の両方で暮らしたことがなければ、このことに気付かない。ある意味日本生活は、素晴らし過ぎるのかもしれない。日本の若者も、日本で暮らすフランス人の若者も、どこかの国の王様のような快適な生活に慣れ切っている。外国に出れば、「ジャングル」が待ち受けているのだ。だからあえて言うが、若者はどうか世界に飛び出してほしい。ジャングルでのサバイバル法を学ばなければ、日本はますます世界から浮いて孤立することになる。「素晴らしくて孤独な国」という道を選ぶというのであれば別だが。


なぜ日本の街にはゴミ箱や灰皿が少ないのか

 「世界でもっとも清潔」だと、日本の街並みは外国人から高く評価されている

Newsweekjapan:http://www.newsweekjapan.jp/nippon/mystery/2017/03/188670.php


<街中にゴミ箱も灰皿も少ないのに「世界でもっとも清潔」だと、日本の街並みは外国人から高く評価されている>

「ゴミひとつ落ちていない!」や「世界でもっとも清潔な国だ」、そして「歓楽街ですらキレイなんて!」など、訪日外国人をインタビューするテレビ番組やネットの投稿などで、日本の清潔な街並みを賞賛する声を聞くことが多い。世界最大手の旅行クチコミサイト「トリップアドバイザー」の「旅行者による世界の都市調査」(2014年)でも、2位のシンガポール、3位のベルリンを抑え、街の清潔度で東京が1位を獲得と、その評価は世界的なようである。驚きの声と同時に彼らから上がるのが、「街にゴミ箱は少ないのになぜ!?」という疑問だ。

確かに、1995年の地下鉄サリン事件以降、テロ対策を名目に首都圏を中心に街中のゴミ箱は閉鎖・撤去されていったが、それ以降、コンビニエンスストアの店頭を除けば、現在もその数は大幅に減ったままだ。また、灰皿に関しても、以前は東京・銀座の中央通りに等間隔で置かれていた灰皿がすべて撤去されるなど、2002年以降に各自治体で制定されていった「路上喫煙禁止条例」を機に、路上の喫煙環境は大幅に縮小されている。

一方、欧米ではどうか。アメリカではニューヨークなどの大都市では1ブロックごとに大きなゴミ箱が配置されているものの、つねにゴミが溢れている状態だという。ヨーロッパ各国でも灰皿付きのゴミ箱が多く設置されているが、フランクフルト在住のマリア・ドイチュさんによれば、「ドイツでは歩きたばこがごく普通のこと。街中に灰皿もありますが、吸い殻のポイ捨てもあたりまえです」といった実情だ。ゴミ箱も灰皿も少ないのに、なぜ日本の街にはゴミも吸い殻も落ちていないのか――。多くの訪日外国人は日本の街、そして、日本人の清潔さを賞賛する一方で、あまりの清潔さにある種の畏怖にも似た不思議な感情を持っているのだろう。


一人当たりGDPがイタリア並みでも日本経済は素晴らしい

塚崎公義 (久留米大学商学部教授)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7677?layout=b


イタリアというと、「ローマ帝国の歴史は素晴らしいが、今の経済は低迷している」、という イメージが強いのですが、なんと2014年の一人当たり名目GDPは、日本とほとんど同じなのです。夏のバカンスを充分楽しみ、それ以外の時も「難しい顔をせずに」働いているイタリア人と、いつでも難しい顔で働いている日本人の年間GDPが同じだなんて、兎小屋に住むワーカホリック(日本のサラリーマンを指す昔の流行語。狭い家に住む働き中毒という意味)には、到底受け入れ難い統計です。

しかし実際には、日本人とイタリア人の豊かさは異なりますので、過度に悲観する必要はありません。今回は、日本とイタリアの経済の差について、考えてみましょう。はじめに、現在の日本人はイタリア人よりも豊かに暮らしているので、カリカリしなくても大丈夫、という話をしましょう。

第一に、為替レートの話、第二に、品質の比較の話です。2014年は、円安ユーロ高でした。その時の為替レートで換算すると、日本とイタリアの一人当たり名目GDPが同じだったという事は、その後に円高ユーロ安が進んでいることを考えると、今の為替レートで換算すると、一人当たり名目GDPは日本の方が遥かに大きい、という事になります。このように、為替レートが動くと「一人当たり名目GDPの国際比較」 が大きく変化するので、注意が必要なのですが、そのあたりの話は別の機会に譲りましょう。

いまひとつ、「日本人とイタリア人が同じものを使っている」という場合に、品質をどう比較するのか、という問題があります。たとえば日本の電車は非常に正確に動いています。5分遅れると社内放送でお詫びが流れます。そんな国はどこにも無いでしょう。少なくとも、イタリアは絶対に違います。その違いを無視して、「イタリアでも日本でも一人の乗客を100キロメートル運んでいるから同じGDPだ」といった計算をする事が問題なのです。豊かさという点では、電車が定時運行している国の方が豊かでしょう。その分がGDPの計算には織り込まれていないのです。電車を定時運行するためのコストは、おそらく非常に大きいでしょう。たとえば、何かあった時のために交代要因が各駅に待機しているかもしれません。簡単な故障なら自分で修理できるように全員が講習を受けているかもしれません。「30分までなら遅れても良い」ということだと、交代要因や修理工が30分以内に到着すれば良いですから、もしかすると会社全体の仕事量が1割減るかも知れません。そうだとすると、日本の鉄道はイタリアの鉄道より、1割多いサービスを提供しているということになるはずです。

その分だけ日本のGDPが大きくなっても良いのでしょうが、実際のGDP統計にはその違いは反映されていないのです。「5分遅れるとお詫びするのは過剰サービスだ。30分までの遅れは認める代わりに、運賃を10%引き下げるべきだ(あるいは鉄道職員は1割早く帰宅すべきだ)」というのは簡単ですが、問題は消費者が正確性を求めていることです。「頻繁に30分遅れるが10%安い鉄道会社」と「滅多に遅れないが料金が高い鉄道会社」があったとすると、イタリア人消費者は前者を、日本人消費者は後者を選ぶのでしょう。だから、両国で異なるサービスが提供されているのでしょう。なにしろ、製造業の世界でも、「日本の消費者は世界一うるさい。うるさい消費者に鍛えられたから日本製品は故障しにくいと世界で評判なのだ」と言われているくらいですから


世間相互監視システムとしか見えないのは、左翼世間を貶めるためのネガティブキャンペーンによる。日本人世間の倫理は、みなのために奉仕すること、最近の流行りではおもてなしにより、たとえば生活空間としての広義の社会インフラを向上させて、世界的にも優秀な豊かで公平な社会を実現させている。

日本にも経済格差はある。先進国の中では小さいにしても。日本人経済格差を否定しない。それは職の結果であり、働くことの原動力の一つだからだ。たとえば日本人が100円でチョコレートを買うとき、それはすでに美味しいのである。チョコレート屋は100円の安い商品だろうが、美味しいものを作ろうと努力する。

日本社会では高いからうまい、安いからまずいという左翼経済の相関は成り立たない。西洋のサービスは、価格により明確にランク分けされている。だから誰もが使う公共サービスは質が悪い。対して、日本のおもてなしは対価に相関しない。安い金でもできる限りのおもてなしをする。それが日本人世間の倫理だ。このように日本人は、西洋的な平等を排除して、公平で豊かな社会を構築してきた。

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2017-08-29 日本人の勤勉のゆくえ

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日本人の職分論


日本人から仕事取るとなにが残るのか。仕事以外のいろんなものが残るだろう。それは日本人に限ったことじゃない。でも日本人にとって仕事は特別だ。なぜならやりがいがあるから仕事へのやりがいとはなにか?やりがいとは職分である日本人には互いに職分を認めあう慈悲の文化がある。

西洋奴隷文化として発達したのとは違う。働かないことを上等として、働くことを下等な奴隷仕事と考えた。日本人は職に日本人として、日本人のために、誇りを持ち、責任を持ち、やりがいを持つ。現に作業者においてもしかり、責任を持つ、任し任される。

ひよっこhttp://www.nhk.or.jp/hiyokko/のみね子はラジオの組み立て工場ライン行員だ。貧しい実家に仕送りするために東京の工場で働いている。彼女の目的は一番はお金を稼ぐことだ。彼女電気屋に並ぶ自社のラジオを誇りに思う。自分が関わった製品を人々が購入し自分世間の役に立っている。外国製品競争が激しくなっているらしい。もっと頑張らなければ。それが職分である

たとえば家庭生活において動くお金は十万円単位だ。しか会社において、動く単位千万円、億円単位だ。装置機械システム人員。職は世の中につながり、大きな影響を与える。そこに日本人としてのそれぞれの役割があり、責任が生まれ、やりがい生まれる。仕事世界に繋がる通路だ。だから楽しいし、人生を賭ける価値がある。




日本人の勤勉はどこへいくのか


しかし状況は変わりつつある。職から労働に変わりつつある。労働は対価に対する作業をこなすことを求められる。作業マニュアル化され、人員簡単代替可能になる。その大きな理由の一つが第三次産業化だ。第二次産業機械化ではまだ労働者には熟練が求められた。優秀な労働者機械を操ることで、作業効率改善した。そのために熟練労働者を囲い、年功序列終身雇用が成立した。

しか第三次産業サービス業では、それぞれの客への個別対応であり、人海が求められる。それを効率化するには、作業マニュアル化して、どの作業者でもできるようにして、熟練化による賃金上昇を抑えることが求められる。そしてさらには、ITによるセルフサービス化による人員を削減する。ここでシステム設計するクリエイターの高賃金者と、単なる時間作業を行う低賃金者の二極化が起こる。正社員非正規二極化がここにある。

しかさらには正社員なら勝ち組か。そう単純ではなさそうだ。第三次産業サービス商品の移り変わりは早い。流行に左右されるために、会社収益も安定せず、正社員も安泰ではない。いつリストラに合うかもわからない。リストラされなくても、会社内の移動など。残業時間の短縮も、無駄に働かされなくてすむと喜んでいられない。正社員さえも、業務効率化、マニュアル化が求まられる。もはやかつての第二次産業を基盤とした雇用の安定、職の熟練サービス残業してでも会社のために、世のためにという幸福時代は過ぎ去りつつある。

戦後高度成長期までは、多くが第一次産業土地に根ざして肉体労働でつらいながらも、自らの土地に根ざし職を全うしてきた。そして高度成長期には第二次産業終身雇用として職の安定が保障されて職を全うしてきた。しか高度成長期をすぎ、低経済成長時代第三次産業化で、職は流動化して、作業化している。

日本人やりがいはどこに行くのか。安倍内閣の働き方改革は、日本人の職分を救うことができるのか。ボクは日本人の世のために役割を全うするという勤勉さを信じている。楽観的だ。それは第三次産業化で職が流動化してもだ。そこにある日本人の勤勉エネルギーはどこに向かおうとしているのか。

さてユーチューブをみよう。


平成28年9月27日 働き方改革実現会議  安倍総理


『働き方改革』のポイントは、働く方に、より良い将来の展望を持っていただくことであります同一労働同一賃金を実現し、正規非正規労働者格差を埋め、若者が将来に明るい希望が持てるようにしなければなりません。中間層が厚みを増し、より多く消費をし、より多くの方が家族を持てるようにしなければなりません。そうなれば、日本出生率改善していくわけであります

1番目に、同一労働同一賃金など非正規雇用処遇改善

2番目に、賃金引き上げと労働生産性の向上。

3番目に、時間外労働の上限規制の在り方など長時間労働是正

4番目に、雇用吸収力の高い産業への転職再就職支援人材育成格差固定化させない教育問題

5番目に、テレワーク副業兼業といった柔軟な働き方。

6番目に、働き方に中立的社会保障制度税制など女性若者活躍しやすい環境整備。

7番目に、高齢者就業促進。

8番目に、病気治療、そして子育て介護仕事の両立。

9番目に、外国人材の受入れの問題

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2017-08-24 なぜ日本人の倫理は慈悲なのか

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これは日本人とはなにか、という一つの物語です。


慈悲と純粋贈与


慈悲の一番の特徴はなんでしょうか。他者に無償で奉仕するということでしょう。このような無償の奉仕は、多くの文化で見られるものです。それは互いに奉仕しあうという贈与交換が人類に共通の経済的は行為であることから、自らへの返礼を求めないという特殊なケースとしてある。それは多くにおいて、日常の贈与交換に対して神的な行為とされ、純粋贈与と呼ばれます。

このような純粋贈与の起源を考えると、自然からの恵み、あるいは自然による破壊という天災などが考えられます。自然を大いなる他者と考えた場合に、偶然に与えられた大きな恵みを他者に無償で分け与える、また天災にあった他者を無償で助ける。自然は神的なものであり同時に、それを介在するものは神的な者となり、純粋贈与を行う神的な者となります。これは純粋贈与の始まりの一つの物語です。

さらには、より能動的な例として、世界宗教では、積極的に無償の奉仕が語られます。キリスト教の慈愛、そして仏教の慈悲など、人類愛としての無償の奉仕が語られます。このように他者への無償の奉仕は、どの文化にも見られる交換形態の一つと言えます。さらにはそれぞれに特徴があります。では日本人の慈悲はいかなる特徴があるか。その基本は仏教から来ています。




日本人の慈悲の特徴


たとえばキリスト教の慈愛は、キリスト教教義の重要ものではありますが、一番は神を信じることであり、慈愛も神からの命令の一つです。それに対して仏教は慈悲の宗教と言われるように、慈悲は教義の中心概念です。慈悲を通して、自らを悟りを開くことが目指されます。ここで大きな違いが生まれます。キリスト教の慈愛は弱者救済の面が強い。しかし仏教では生きていることが苦であり、いわばみな弱者であり、弱者救済に限らず、すべての行為において、慈悲が求められます。たとえば挨拶をすることや、気遣いなと日常レベルも慈悲行です。

このように全面化するなかで、無償の奉仕は高度に掘り下げられます。その一つが三輪清浄という考え方です。慈悲は与えることだけでなく、受け取る方のこと考えることも重要です。贈与の大きな特徴は、与えた者に優越感を与え、与えられた者に負債感を与え、そこに力関係が生まることがあります。与える方がどんなに無償であっても、受ける方には負債感が生まれます。三輪清浄においては受け取る方の負債感を与えないことも考慮することを求めます。

キリスト教の慈愛にここまでの繊細さはない。それは一つはそこに神が介在しているかもしれません。言ってしまえば、慈愛は神の命令であり、受け取る方も神からの贈り物です。

このような他者への配慮は特に日本人により特徴的な気がします。西洋人積極的、直接的に弱者救済するのに対して、日本人にはその積極性がない。たとえば卑近な例では電車でお年寄りに席を譲る場合、受ける方、あるいは周りの目をのことを考えてしまう。受ける方のプライドを傷つけないか、すなわち負債を与えないか。やり過ぎの奉仕は相手に負債を与えて、恥をかかせることになる。あるいは周りから、かっこつけている、すなわち優越を得ようとしていると見られないか。だから日本人は直接的な無償の奉仕が苦手です。日本に独特な優先座席という制度も誘導されることで気兼ねなく奉仕することを役割をしていると言えるでしょう。




日本人の職分論


このような仏教の慈悲の特徴である生活への全面化、あるいは直接的を避ける傾向から、一つの解として、日本では江戸時代に職分論が発展します。みなそれぞれ職を全うしよう。それが世の中への貢献となり、慈悲行であるという考え方です。

似た考え方にプロテスタントの天職論があります。職は神から与えられた天職であり、懸命に働くことが信仰であるウェーバーが指摘したように、これが初期の西洋での資本主義発展の原動力になりました。面白いのは、日本でも江戸末期のプレ資本主義段階で職分論が広まったことです。現に働くことが豊かさに繋がる段階であったことが重要なのでしょう。

ここでも日本人の職分論と、プロテスタントの天職とは質的な違いがあります。日本人場合は、慈悲論から構造化されて、全体の中の役割を担うことが重視されます。たとえば家、すなわち家督、家業継続が重視されます。それに対して、プロテスタントの天職では、役割よりその人が懸命に働くことが重視されます。

まとめると、他者への無償の奉仕は、神的なものとして、様々な文化で見られる。その中で日本人の慈悲は、日常に全面化し、さらに他者への配慮を重視して、間接的な傾向がある。特に世の中に対して家業としての役割を担い続ける職分論として発展した、ということです。




日本人の中の仏教儒教


仏教の影響が大きいですが、また儒教の影響も無視できません。そもそも日本人において、仏教の影響と儒教の影響を切り離すことは難しい。たとえば日本仏教歴史を考えると、インドで発祥した仏教中国に伝わり、儒教老荘思想の影響を受けて、中国仏教となり、飛鳥時代日本に伝わります。さらには中国仏教は、その後より中国思想と融合し、儒教では朱子学陽明学仏教では禅宗となります。そしてその波がまた鎌倉から江戸時代日本にやってきます。

江戸時代檀家制度として、国民仏教徒となります。方や、朱子学幕府に推奨されて、特に武士倫理として重視されます。さらに日本で融合して、特に民衆道徳として生活に密着して行く中では、お互いの影響を切り離すことは難しい。

儒教にも他者への無償の奉仕はあります。儒教葬儀儀礼から発展したと言われます。礼に従い祖先を敬う。それは儒教の中心概念、孝とつながります。礼に従い親を敬う。親もまた徳を持って子に接する。それが目上の者へ、主君へと展開され、徳治による国家運営となる。

だから他者への無償の奉仕も、徳が基本となります。世界宗教のような人類愛よりも、自らの所属する組織のために、見返りなく奉仕する面が強い。儒教は実働を重視することからも、人類のような抽象的なものよりも、目の前の現実の人を重視します。

しかし儒教において無償の奉仕本質ではありません。儒教宗教ではなく、合理的で統治術と言われる所以はここにあります。たとえば日本江戸時代武士儒教奨励されたのは、それ以前の武士道の非合理的刹那主義を解消し、合理的な秩序をもたらすためと言われます。

たとえば江戸初期に流行ったのが殉死です。主君が死ぬとともに自決することが家臣の忠義とされました。このような非合理的な行為を幕府は禁止しました。その時に重視されたものが儒教倫理です。あるいは赤穂浪士も、世間から喝采を浴びましたが、儒教倫理によって、否定され浪士たちは処罰されました。このように儒教還元されない武士道倫理は、自らを滅して他者のために奉仕する仏教の慈悲の影響が大きいでしょう。

しかしかと言って、殉死仏教の慈悲であるか。確かに自らを捧げることは究極の無償の奉仕ではありますが、君主のために捧げることは、そこには儒教的な縦関係があります。ここに日本人の慈悲の特徴の組織の中の役割主義があります。極端に言えば、殉死することもまた武士の一つの職分であった。世のためにそれぞれの役割を全うすることが美しい。そして役割を全うすることに世間圧が働いていた。商人も農民も役割を全うしているんだから武士も役割を全うするよね。そこに赤穂浪士への喝采の理由の一つがあったのでしょう。

武士道とは死ねこととを見つけたり。山本常朝しかり、武士は多くにおいて儒教を重視するとともに、仏教とも切り離せない存在でした。武士道は多くにおいて儒教的と考えられますが、その本質には慈悲があります。それが中国儒教とは異なる日本人独自性になっています。

まとめると、他者への無償の奉仕は、神的なものとして、様々な文化で見られる。その中で日本人の慈悲は、日常に全面化し、さらに他者への配慮を重視して、間接的である傾向がある。特に世の中での家として役割を担い続ける職分論として発展した。それは日本人独自の儒教と慈悲の融合として成熟した。

このような日本人の慈悲は、江戸時代末期から明治を超えて一般にも広がります。有名なものに石田梅岩石門心学があります。武士道倫理商人道、農民道などへ展開しました。その中心にあるのは職分論としての勤勉主義です。世のために懸命に働くことに職業の差などない。

職は誰もが世間に必要な役割を担っている上で水平のバランスであす。それはまた世間圧としても働く。さらに直接の無償の奉仕を避けることでも、職は間接的です。これは江戸時代末期から広がり、現代までつながる日本人の勤勉道徳本質です。




プロテスタント倫理日本人の勤勉道徳を加速させた


明治以降、急速に西洋倫理が入ってきました。プロテスタント倫理です。ウェーバーが指摘するように、資本主義根底にはプロテスタントの勤勉と禁欲主義があります。そしてこのプロテスタント道徳が、日本人の勤勉道徳の普及を加速させたことは否めないと思います。西洋人は、プロテスタントの厳しい倫理近代化に欠かせないものとして、日本人に強くそれを求めました。日本人はそれをすでに日本の中にある勤勉道徳を強化することで対応しましま。

たとえば日本人の中になく西洋倫理を大きく取り入れたものに性倫理があります。日本人は性倫理に対して寛容でした。このために着物では当たり前だった肌の露出抑制混浴禁止から、純愛思想、女性の貞淑、処女性などが法制定とともに、普及しました。。

逆に西洋倫理から取り入れなかったものに、個人尊重があります。平等主義は神と個との原点に持つキリスト教倫理から来ています。個人重視が抑制された理由の一つは、明治時代はまさに西洋でも、民主革命の時代であり、成熟していなかったこと、さらに西洋での革命による政府転覆を目の当たりにして、政府がことごとく、左翼思想を弾圧したこと。

取り入れたのは、比較民主化の進んでいないドイツ帝国憲法であり、皇帝の座に天皇が座る。そしてその基本にあるのは、日本人の慈悲の勤勉道徳です。天皇は勤勉道徳を神的に完璧に実践する者であり、日本の頂点であり、また公平な世間の中心である装置として作り上げられました。

結果的に、この発明はうまく機能して、短期間で日本近代化を遂げることかできました。しかし西洋近代化で問題が日本でも浮上してくる。経済的格差です。西洋では、資本主義による経済発展の両輪として、民主化が進んでいました。しかし日本明治憲法議会制などを取り入れて民主化を進めましたが、実際は薩長を中心とした元老による政治運営で、民主化抑制されてきました。明治維新理念も薄れ元老が力を失った昭和初期には格差はピークに達する。折しも第一次世界大戦が終わり、反動世界恐慌の時代です。そこで立ち上がったのが青年将校たちです。226事件では、彼らは首相財界の有力者を襲撃しました。そして軍部運営による国家社会主義的な公平な社会を目指しました。

そこにある思想は、明治初期の理念である天皇を中心とした勤勉道徳による構造への回帰であり、軍部による国家社会主義的な運営です。革命は失敗しましたが、そこで大きく潮目が変わり、軍部中心の政治へとシフトし、その結果の国家総動員体制は、侵略戦争の強化ではありましたが、また国内運営では国家社会主義的な格差の小さい社会を目指した運営でもありました。

ここでは職分は日本人そのものまで拡張されて、全員が国のために自らを捧げるところまで達しました。日本人的な職分倫理第二次世界大戦前の国家総動員体制で国民レベルで絶頂に達したといえるでしょう。そこにはやはり強い世間圧が働いていました。国家総動員体制は軍国主義として、軍部中心の悪弊のように言われますが、それは戦後に振り返ってからのことです。それは国民も熱狂し、支持した一つの革命でした。




日本人倫理の弱点


だから日本人世界的に倫理的で勤勉であると言うことではありません。日本人の勤勉の特徴を述べただけです。反面として弱点を上げれば、直接的な奉仕が苦手と言うこと。西洋人人助けに素早く反応するのに対して、他者に恥をかかせないか、自分がよく見えるようにしていると思われないか、また苦境は勤勉で乗り切るべきだという、精神論と言われるものに陥りがち。

さらには本質的に世間は日本であり、日本人圏に働くために、グローバルの中で閉塞しがちであり、日本人中心主義に陥りやすい。などが上げられます。

精神論日本人中心主義は、振り返れば、戦前に突出しました。実際に日本戦争の悲惨として語られるのは、敗戦前2年間のことです。すでに敗戦濃厚になってから、終わりにすることが出来ないことから、悲惨な状況は生まれました。死を捧げることを前提とする特攻、無謀な戦術、食糧もなく敵地に置き去りにされた東南アジアの兵士たち、本土空襲、そして原子爆弾。降伏しない日本に、民間人だろうが攻撃は徹底していった。戦争合理的に判断できず、日本のために死を捧げて奉仕する精神論が先鋭化していった。

最初、B29は軍事施設をめがけて空爆していた。しかし日本ゼロ戦の攻撃を避けるための高度の高い位置からの空爆はほぼ目標に当たらなかった。そこで、軍事施設を狙うのをやめて、とにかく人の多い地域大都市を狙う作戦になった。このような継続した国民殲滅的空爆作戦は、世界的にいまだかつてないものでした。

日本人合理性を超えた戦争継続アメリカ側もヒステリックになっていく。明らかに敗戦決定なのに、特攻作戦とか。アメリカ日本人殲滅作戦が始まる。原爆投下日本人キリスト教徒でなかったからと言われますが、それ以前にどうしたら日本人戦争を止めるのかわからなくなったことにある。現に日本で何百万人と空爆で死に、さらに原爆が落とされても軍部はやる気だった。

日本人戦争を止められなかった理由。天皇は神の子孫である神武天皇からの起源であり、この神の国外国に征服されたことがない。負け方がわからない。

それを支える精神性に慈悲に基づく武士道がありました。我を滅して、国のために。いまから考えると、軍部指導者による国民の死の数を前提にした無謀な作戦に非難が集まっていますが、彼らは武士であり、また国民武士であった。国民はみな死を国を捧げる存在であった。実際に国民が本当にそのように考えていたかは別にして。

というのは、最初から日本人国民の死を前提にしていたわけではない。日露戦争人類初の人海を排した物量による戦争と言われています。日本軍は徹底的に兵器を投入し、ロシアを殲滅した。それは日本に物量が少ないことから来る短期決戦戦略だった。一気に物量を投入して最低でも引き分けに持ち込む。それしか大国に勝つ手立てはない。

アメリカとの戦争もそこにしか勝機はなかった。しかしアメリカは逆に長期戦を狙った。日本に物量がないことを知っていた。鉄鋼、石油の多くをアメリカからの輸入に頼っていた日本は、アメリカ開戦時、二年程度の備蓄しかなかった。とともに、本格的に戦争をしたことなアメリカには兵器がまだ十分になかった。開戦を決めてから増産を始めた。そして長期戦になったとき、日本敗戦は確定したが、負けられない日本人に残るのは精神論しかなかった。

さらには、止めることを決定する決定機関がなかった。始めたときも現場での判断でずずるずると進んだ。ドイツヒトラーの強い意志により始まり、ヒトラーが死んだことで終わったことと対照的です。

天皇とはなんだったのか。明治以降天皇とは日本人精神的に結びつける中心であり、中心であるために意志を持つことはなかった。何者にも偏らない無色であり、また究極の日本人の慈悲の実践者。教育勅語は日本人道徳の集大成であり、今にも十分通用する道徳内容ですが、天皇は究極的な実践者だった。結局、敗戦を決定したのは天皇であったし、天皇でなければならなかったが、もはや天皇が意思なく敗戦を決定せざるを得ないほどに、日本は徹底的に負けなければならなかったということでしょう。




そして戦後


国家総動員体制は、戦後も生き残り、経済成長を支えました。護送船団体制、官僚主導終身雇用年功序列地方支援は、戦前国家総動員体制への流れの中で生まれたものです。そしてそこには職分論の倫理が流れています。日本人として役割を全うする。それは日本人公平性を支えています。

戦後政治軸は、戦前の勤勉倫理による国家社会主義による公平性と、西洋的な民主主主義の平等との対立、すなわち保守リベラルそして55年体制以後、自民党が多くにおいては与党であり得たのは、まさに前者をベースとしてきたからでしょう。自民党は人材的にも戦前国家総動員体制を支えた人々が多くいた。

バブル後、不況から旧体制は懐疑されて、改革が求められました。小泉内閣グローバル社会対応するために、構造改革国家社会主義体制面を自由競争へと改革するよう進めました。また民主党などリベラル西洋の富の直接的な分配の導入を試みた。これらは旧体制日本独特の公平性との対立軸でしたが、長期の支持は得られませんでした。

それに対して、安倍政権国家社会主義的なものを維持する旧体制への回帰する面が強い。大手企業重視の経済政策や、そして働き方改革等。職分論の継承と言えるでしょう。安倍政権の長期化は、安定的な政策の成功はもちろんですが、日本人の中の通俗道徳を基本とする国民の受け入れやすさ、安心感ベースにあるように思います。

また旧体制の問題が権力が腐敗しやすいことでした。現在マスコミ安倍政権へと執拗な腐敗への追求は一つはかつての腐敗の経験から来るマスコミトラウマかもしれません。その意味では、逆説的に言えば、マスコミの病的とも言える潔癖症により安倍政権の腐敗は抑制され、長期政権を支えている面があるとも言えます。




意外に根深い職分倫理


再度言えば、日本人の中で慈悲を基底とする倫理は、日常に全面化し、さらに他者への配慮を重視して間接的である傾向から、特に世の中での家として役割を担い続ける職分論として発展した。いまは家督、家名という単位は薄れたが家族、さらに個人として、職を全うしているか、それは世間に貢献しているかに繋がり、日本人にとって職は単に生活の糧を得る以上に、日本人としての存在理由に近い特別な意味を持つ。

とは言え、これからの日本人倫理はどうなるのか?岐路に立っていることは間違いないでしょう。特にユーチューバーの躍進などネット活用での職に対する考えはかなり大きく変わっています。

むしろ政策としては定職にこだわらず、リベラルな富の分配、さらにはベーシックインカムのような政策が望まれるように思います。それでも安倍政権の、大企業優先や従来の職を前提とした働き方改革など、職に対する保守的な政策が許容されているのは、逆に驚きです。特に若者の安倍政権への支持率の高さの要因の一つには、就職率のよさ、すなわち職の安定が上げられるでしょう。さらにそれを日本人全体に広げるのが働き方改革のコンセプトでしょう。このことからも、実は日本人の職分による倫理はまだまだ根深いと言えます。




自由主義、リベラル、そして日本型世間主義


たとえばアメリカ、イギリスを代表とするような自由主義、フランスを代表とするようなリベラル、そして日本国家社会主義、のように考えてみると、世界では自由主義とリベラルの対立が基本です。自由主義は機会の平等のもと自由競争を進めて、結果としての格差を許容する。それに対して、リベラル自由競争抑えて富の再分配による結果としての平等を重視する。これらで前提とされているのは、民主主義。さらには個人主義です。あくまで個人が尊重されています。それに対して、自由主義とリベラルとの対立軸として、個人より共同体がある。これをサンデルは共同体主義という。その意味日本国家社会主義は共同体主義的です。

しかし日本国家社会主義は特殊です。職分倫理により日本人共同体が成立する。それは世間と呼ばれる。すなわち世間主義。世間は世界日本にしかない。世間主義は、自由主義との相性が良いが、リベラルとは相性が悪い。自由主義の自由競争する個人は、世間につながることができます。ウェーバーのいうプロテスタントの天職概念資本主義を躍進させたように。日本人の職分論は、勤勉により富を得ることを否定しません。元禄の西鶴からそういいっています。ただしそれが世間のための勤勉によってでなければすぐに凋落するだろうと。

しかしリベラルは、富を分配される個人です。結果としての平等を重視する。勤勉であるかどうか関係がない。無条件に救済される個人であり、強烈な平等の思想です。世間は、懸命に職を全うする勤勉の先に皆が享受できる共同体の豊かさがあります。そこに共同体の公平がある。働かざる者食うべからず、です。

ざっくり言えば、自由主義 小泉構造改革リベラル 民主党政権、日本国家社会主義 安倍政権と言うことです。小泉政権の働き方改革なら、中途採用の奨励、雇用の流動性を重視したでしょう。現に小泉政権の構造改革で非正規雇用が急増しました。民主党は、働き方よりも個人への富の再配分を重視する。そして安倍政権の働き方改革は、雇用の安定を重視します。多様な生活環境でも解雇されないよう、働き続けられるよう多様な勤務形態を許容することを目指す。

アベノミクスで金融緩和は実行しやすいし、即効性がありました。特にその前の民主党政権が円高放置の経済音痴だっただけに。それが安倍政権のもっとも大きな効果です。そしてその効果をどのように活用するか。働き方を改革はその一つです。経済政策であるとともに、日本人の生きがいとしての職分を取り戻す。それは経済政策であり成功するかどうかにかかわらず、世間主義に訴えかける。

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2017-08-07 最近読書 西洋

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●完読、△読み中、〇未読


<全体>

世界歴史17ヨーロッパ近世の開花 長谷川輝夫 中公文庫 ISBN:4122051150

世界歴史 22 近代ヨーロッパ情熱と苦悩 谷川稔 中公文庫 ISBN:4122051290

世界歴史 (23) アメリカ合衆国の膨張 紀平英作 中公文庫 ISBN:4122050677

世界歴史〈25〉アジア欧米世界 加藤 祐三 中公文庫 ISBN:4122053056

世界歴史28第二次世界大戦から米ソ対立へ  油井大三郎 中公文庫 ISBN:4122052769

イギリス10講 近藤和彦 岩波新書 ASIN:B00QT9XCQ0

△仏独関係千年紀: ヨーロッパ建設への道 宇京頼三 ISBN:458835230X

法思想史講義〈上〉古典古代から宗教改革期まで 笹倉秀夫 ISBN:4130323407

法思想史講義〈下〉 ISBN:4130323415

キリスト教歴史 小田垣雅也 講談社学術文庫 ISBN:4061591789


古代

アリストテレス入門  山口義久 ちくま新書 ASIN:B00G949N9A

ヘラクレイトスの仲間たち (人でつむぐ思想史 1) 坂口ふみ ISBN:4906791050

ゴルギアスからキケロへ (人でつむぐ思想史 2) 坂口ふみ ISBN:4906791069


<中世>

●“個”の誕生キリスト教教理をつくった人びと 坂口ふみ ISBN:4000028979

●信の構造キリスト教の愛の教理とそのゆくえ 坂口ふみ ISBN:4000234455

キリスト教史〈3〉中世キリスト教の成立 マイケル・デイヴィド ノウルズ 平凡社ライブラリー ISBN:4582761747

キリスト教史〈4〉中世キリスト教の発展 マイケル・デイヴィド ノウルズ 平凡社ライブラリー ISBN:458276178X

天使はなぜ堕落するのか―中世哲学の興亡 八木雄二 ISBN:4393323300

△正統と異端 - ヨーロッパ精神の底流 堀米庸三 中公文庫 ISBN:4122057841

普遍論争 近代の源流としての 山内 志朗 ISBN:4582766307

ヨーロッパ政治思想誕生 将基面貴巳 ISBN:4815807388

近代国家キリスト教 森安達也 平凡社ライブラリー ISBN:4582764460

天使とボナヴェントゥラ―ヨーロッパ13世紀の思想劇 坂口 ふみ ISBN:4000240277


<17世紀>

近代世界システムI―農業資本主義と「ヨーロッパ世界経済」の成立― I. ウォーラーステイン ISBN:4815807434

近代世界システムIII―「資本主義世界経済」の再拡大 1730s-1840s I. ウォーラーステイン ISBN:4815807450

近代世界システムIV中道自由主義勝利 1789-1914 I. ウォーラーステイン ISBN:4815807469

〇完訳 統治二論 ジョン・ロック 岩波文庫 ASIN:B00QT9XC9M

ロック市民政府論』を読む 松下圭一 岩波現代文庫 ISBN:4006003048


<18世紀>

ヒューム文明社会―勤労・知識自由 坂本達哉 ISBN:4423850818

ヒューム 希望懐疑主義 ある社会科学誕生 坂本達哉 ISBN:4766418794

アダム・スミスとその時代 ニコラス フィリップソン ISBN:456008369X

△入門経済思想史 世俗思想家たち ロバート・L. ハイルブローナー ちくま学芸文庫 ISBN:448008665X

思想史論集 ハイエク全集 ?−7 ISBN:4393621972

貨幣市場経済思想史イギリス近代経済思想研究 小池田冨男 ISBN:4947553480

△[新訳]大転換 カール・ポラニー ISBN:4492371079

市場社会思想史―「自由」をどう解釈するか 間宮陽介 中公新書 ISBN:4121014650


<19世紀>

ヘーゲルとその時代 権左武志 岩波新書 ISBN:4004314542

サン=シモン主義歴史―1825ー1864 セバスティアンシャルレティ 叢書ウニベルシタス  ISBN:4588001809

トクヴィルの憂鬱: フランスロマン主義と〈世代〉の誕生 高山裕二 ISBN:4560081735

革命反動図像学: 一八四八年、メディア風景 小倉孝誠 ISBN:4560083452

世界精神マルクス ジャック・アタリ ISBN:4894349736

○向う岸から世界史 ――一つの四八年革命史論 良知力 ちくま学芸文庫 ASIN: B00E5XAZEY


<20世紀>

マックス・ウェーバーを読む 仲正昌樹 講談社現代新書 ASIN:B00NOTKR6G

アメリカ20世紀〈下〉1890年1945年 有賀夏紀 中公新書 ASIN:B00G44VIO8

文庫 健康帝国ナチス ロバート・N. プロクター 草思社文庫 ISBN:4794221509

ヒトラー経済政策-世界恐慌から奇跡的な復興 武田知弘 祥伝社新書 ISBN:4396111517

マネー戦争としての第二次世界対戦 なぜヒトラーノーベル平和賞候補になったのか 武田知弘 ISBN:4828418326

全体主義 エンツォ・トラヴェルソ 平凡社新書 ISBN:4582855229

無明寺無明寺 2017/08/20 08:46 真善美の探究【真善美育維】

【真理と自然観】

《真理》
結論から言って, 真偽は人様々ではない。これは誰一人抗うことの出来ない真理によって保たれる。
“ある時, 何の脈絡もなく私は次のように友人に尋ねた。歪みなき真理は何処にあるのかと。すると友人は, 何の躊躇もなく私の背後を指差したのである。”
私の背後には『空』があった。空とは雲が浮かぶ空ではないし, 単純にからっぽという意味でもない。私という意識, 世界という感覚そのものの原因のことである。この時, 我々は『空・から』という言葉によって人様々な真偽を超えた歪みなき真実を把握したのである。


我々の世界は質感。
また質感の変化からその裏側に真の形があることを理解した。そして我々はこの世界の何処にも居ない。この世界・感覚・魂(志向性の作用した然としてある意識)の納められた躰, この意識の裏側の機構こそが我々の真の姿であると気付いたのである。


《志向性》
目的は何らかの経験により得た感覚を何らかの手段をもって再び具現すること。感覚的目的地と経路, それを具現する手段を合わせた感覚の再具現という方向。志向性とは或感覚を具現する場合の方向付けとなる原因・因子が具現する能力と可能性を与える機構, 手段によって, 再具現可能性という方向性を得たものである。
『意識中の対象の変化によって複数の志向性が観測されるということは, 表象下に複数の因子が存在するということである。』
『因子は経験により蓄積され, 記憶の記録機構の確立された時点を起源として意識に影響を及ぼして来た。(志向性の作用)』
我々の志向は再具現の機構としての躰に対応し, 再具現可能性を持つことが可能な場合にのみこれを因子と呼ぶ。躰に対応しなくなった志向は機構の変化とともに廃れた因子である。志向が躰に対応している場合でもその具現の条件となる感覚的対象がない場合これを生じない。但し意識を介さず機構(思考の「考, 判断」に関する部分)に直接作用する物が存在する可能性がある。


《思考》
『思考は表象である思と判断機構の象である考(理性)の部分により象造られている。』
思考〔分解〕→思(表象), 考(判断機能)
『考えていても表面にそれが現れるとは限らない。→思考の領域は考の領域に含まれている。思考<考』
『言葉は思考の領域に対応しなければ意味がない。→言葉で表すことが出来るのは思考可能な領域のみである。』
考, 判断(理性)の機能によって複数の中から具現可能な志向が選択される。


《生命観》
『感覚器官があり連続して意識があるだけでは生命であるとは言えない。』
『再具現性を与える機構としての己と具現を方向付ける志向としての自。この双方の発展こそ生命の本質である。』

生命は過去の意識の有り様を何らかの形(物)として保存する記録機構を持ち, これにより生じた創造因を具現する手段としての肉体・機構を同時に持つ。
生命は志向性・再具現可能性を持つ存在である。意識の有り様が記録され具現する繰り返しの中で新しいものに志向が代わり, その志向が作用して具現機構としての肉体に変化を生じる。この為, 廃れる志向が生じる。

*己と自の発展
己は具現機構としての躰。自は記録としてある因子・志向。
己と自の発展とは, 躰(機構)と志向の相互発展である。志向性が作用した然としてある意識から新しい志向が生み出され, その志向が具現機構である肉体に作用して意識に影響を及ぼす。生命は然の理に屈する存在ではなくその志向により肉体を変化させ, 然としてある意識, 世界を変革する存在である。
『志向(作用)→肉体・機構』


然の理・然性
自己, 志向性を除く諸法則。志向性を加えて自然法則になる。
然の理・然性(第1法則)
然性→志向性(第2法則)


【世界創造の真実】
世界が存在するという認識があるとき, 認識している主体として自分の存在を認識する。だから自我は客体認識の反射作用としてある。これは逆ではない。しかし人々はしばしばこれを逆に錯覚する。すなわち自分がまずあってそれが世界を認識しているのだと。なおかつ自身が存在しているという認識についてそれを懐疑することはなく無条件に肯定する。これは神と人に共通する倒錯でもある。それゆえ彼らは永遠に惑う存在, 決して全知足りえぬ存在と呼ばれる。
しかし実際には自分は世界の切り離し難い一部分としてある。だから本来これを別々のものとみなすことはありえない。いや, そもそも認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう?
言葉は名前をつけることで世界を便宜的に区分し, 分節することができる。あれは空, それは山, これは自分。しかして空というものはない。空と名付けられた特徴の類似した集合がある。山というものはない。山と名付けられた類似した特徴の集合がある。自分というものはない。自分と名付けられ, 名付けられたそれに自身が存在するという錯覚が生じるだけのことである。
これらはすべて同じものが言葉によって切り離され分節されることで互いを別別のものとみなしうる認識の状態に置かれているだけのことである。
例えて言えば, それは鏡に自らの姿を写した者が鏡に写った鏡像を世界という存在だと信じこむに等しい。それゆえ言葉は, 自我と世界の境界を仮初に立て分ける鏡に例えられる。そして鏡を通じて世界を認識している我々が, その世界が私たちの生命そのものの象であるという理解に至ることは難い。鏡を見つめる自身と鏡の中の象が別々のものではなく, 同じものなのだという認識に至ることはほとんど起きない。なぜなら私たちは鏡の存在に自覚なくただ目の前にある象を見つめる者だからである。
そのように私たちは, 言葉の存在に無自覚なのである。言葉によって名付けられた何かに自身とは別の存在性を錯覚し続け, その錯覚に基づいて自我を盲信し続ける。だから言葉によって名前を付けられるものは全て存在しているはずだと考える。
愛, 善, 白, 憎しみ, 悪, 黒。そんなものはどこにも存在していない。神, 霊, 悪魔, 人。そのような名称に対応する実在はない。それらはただ言葉としてだけあるもの, 言葉によって仮初に存在を錯覚しうるだけのもの。私たちの認識表象作用の上でのみ存在を語りうるものでしかない。
私たちの認識は, 本来唯一不二の存在である世界に対しこうした言葉の上で無限の区別分割を行い, 逆に存在しないものに名称を与えることで存在しているとされるものとの境界を打ち壊し, よって完全に倒錯した世界観を創り上げる。これこそが神の世界創造の真実である。
しかし真実は, 根源的無知に伴う妄想ゆえに生じている, 完全に誤てる認識であるに過ぎない。だから万物の創造者に対してはこう言ってやるだけで十分である。
「お前が世界を創造したのなら, 何者がお前を創造した?」
同様に同じ根源的無知を抱える人間, すなわち自分自身に向かってこのように問わねばならない。
「お前が世界を認識出来るというなら, 何者がお前を認識しているのか?」
神が誰によっても創られていないのなら, 世界もまた神に拠って創られたものではなく, 互いに創られたものでないなら, これは別のものではなく同じものであり, 各々の存在性は虚妄であるに違いない。
あなたを認識している何者かの実在を証明できないなら, あなたが世界を認識しているという証明も出来ず, 互いに認識が正しいということを証明できないなら, 互いの区分は不毛であり虚妄であり, つまり別のものではなく同じものなのであり, であるならいかなる認識にも根源的真実はなく, ただ世界の一切が分かちがたく不二なのであろうという推論のみをなしうる。


【真善美】
真は空(真の形・物)と質(不可分の質, 側面・性質), 然性(第1法則)と志向性(第2法則)の理解により齎される。真理と自然を理解することにより言葉を通じて様々なものの存在可能性を理解し, その様々な原因との関わりの中で積極的に新たな志向性を獲得してゆく生命の在り方。真の在り方であり, 自己の発展とその理解。

善は社会性である。直生命(個別性), 対生命(人間性), 従生命(組織性)により構成される。三命其々には欠点がある。直にはぶつかり合う対立。対には干渉のし難さから来る閉塞。従には自分の世を存続しようとする為の硬直化。これら三命が同時に認識上に有ることにより互いが欠点を補う。
△→対・人間性→(尊重)→直・個別性→(牽引)→従・組織性→(進展)→△(前に戻る)
千差万別。命あるゆえの傷みを理解し各々の在り方を尊重して独悪を克服し, 尊重から来る自己の閉塞を理解して組織(なすべき方向)に従いこれを克服する。個は組織の頂点に驕り執着することはなく状況によっては退き, 適した人間に委せて硬直化を克服する。生命理想を貫徹する生命の在り方。

美は活活とした生命の在り方。
『認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう? 』
予知の悪魔(完全な認識をもった生命)を否定して認識の曖昧さを認め, それを物事が決定する一要素と捉えることで志向の自由の幅を広げる。予知の悪魔に囚われて自分の願望を諦めることはなく認識と相互作用してこれを成し遂げようとする生命の在り方。


《抑止力, 育維》
【育】とは或技能に於て仲間を自分たちと同じ程度にまで育成する, またはその技能的な程度の差を縮める為の決まり等を作り集団に於て一体感を持たせること。育はたんなる技能的な生育ではなく万人が優秀劣等という概念, 価値を乗り越え, また技能の差を克服し, 個人の社会参加による多面的共感を通じて人間的対等を認め合うこと。すなわち愛育である。

【維】とは生存維持。優れた個の犠牲が組織の発展に必要だからといっても, その人が生を繋いで行かなければ社会の体制自体が維持できない。移籍や移民ではその集団のもつ固有の理念が守られないからである。組織に於て使用価値のある個を酷使し生を磨り減らすのではなく人の生存という価値を尊重しまたその機会を与えなければならない。

真善美は生命哲学を基盤とした個人の進化と生産性の向上を目的としたが, 育と維はその最大の矛盾たる弱者を救済することを最高の目的とする。

pikarrrpikarrr 2017/08/25 08:15 イデア論を語ることはエクスタシーですね。

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