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2016-12-10 [お勉強]読書 日本人と家

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百姓身分と家 大藤修

近世前期までは、死後恒久的な石塔墓標を建立され、戒名を与えられ、位牌を作られて個別に供養祭祀されたのは、上層の家の家長夫婦に限られていた。十七世紀後半以降にあると、墓標、過去帳に記された戒名の数、位牌も急増する。このことは各地の調査で明らかにされているところである。それは、村落においても都市においても小経営体の家が広範に成立し、多くの家が自己の家の死者・先祖主体的に供養祭祀するようになったことを物語っていよう。中世後期に百姓層の家が形成されるに伴い、家長名前が「家名」として代々継承されるようになっていたことが指摘されている。この家長名=通名襲名慣行は、十七世紀後半から十八世紀前半にかけて小農民層にまで広まる。

苗字も家名として生まれたのであるが、同族のシンボルともなったので、家長名の世襲によって自己の家の個別性と世代を超えた永続性を表示しようとしたのであろう。小農民もそれを行うようになったところに、彼らも主体的な「家」意識をもち、家の永続を強く希求するようになっていたことがうかがえよう。それは、自己という存在先祖から子孫へという時間の流れのなかに位置づけ、家を守り繁栄させていく責任主体としての自覚をもつようになったことを意味し、主体性形成人格・思想形成の契機ともなる。家族労働で営む小経営にあっては、家長の統率のもとで家族が力を合わせて家業に励まなくてはならない。勤勉、和合、孝行、倹約などの徳目生活規範として樹立し、その実践によって自己を規律・鍛錬して、人間としての主体性確立しなくてはならないという、いわゆる通俗道徳思想が近世中期以降民族の間に定着していたのも、村落、都市を問わず経営体の家が広範に成立してしたことが、社会的基盤になっていたであろう。

近世身分制職能に応じて編成されており、それぞれの職能に励んで国家社会に貢献することが「職分」(社会的責務・役割)とされていた。そして、この職能天道によって定められた「天職であるイデオロギー化された。小経営体としての家を形成した多くの民衆が、職能を家職・家業として世襲するようになり、それに励んで家を永続させなければならないという責任意識をもつようになったことは、身分秩序を下支えする機能を果たすことになる。

だが一方で、各人が家職に励み職分を果たすことによって国家社会が成り立っているシステムのもとにあっては、民衆をして、自己の家職の社会的価値に目覚めさせるところともなった。近世中期以降、百姓町人自己の家職・職分の価値を強く主張するようになる。それは、上下序列化された身分制的な職業観人間観に対する批判意識を胚胎させる契機ともなった。十八世紀前半、そうした民衆意識動向のなかで、職分論を原理的に突き詰めて思想形成したのが石田梅岩である彼は、士の職分も農工商の職分も社会への寄与という点では同等の価値をもっており、それぞれの職分は異なっていても、そこには人間としての普遍的な道が存在する、という認識を示した(斉家論)。梅岩の唱えた石門心学は、家職、家業の存続・繁栄を希求する民衆生活倫理として広く受容される。P25-27


江戸”の人と身分〈2〉村の身分と由緒 ISBN:4642065679 百姓身分と家 大藤修





万民徳用  鈴木正三著作集1 加藤みち子

職人が質問して言うには、「後世菩提[を願って修行すること]が大切だというけれど、家業を営むのが忙しく、昼も夜も世渡りの稼ぎをするばかりです。 それなのに、どうやって悟りに至るのでしょうか。」

答えて言う。「どの仕事もみな仏道修行である。人それぞれの所作の上で、成仏なさるべきである仏道修行で無い仕事はあるはずがない。一切の[人間の]振舞いは、皆すべて世の為となることをもって知るべきである仏の身体を受け、仏の本性が備わっている人間が、心得が悪くてすき好んで悪道(地獄餓鬼畜生)に入るべきではない。本覚真如の一仏が百億に分身して世の中を利益なさっている。 鍛冶・番匠を始めとして諸々の職人がいなくては世の中の大切な箇所が調わない。 武士がなくては世が治まらない。農人がいなければ世の中の食物が無くなってしまう。 商人がいなければ世の中の[物を]自から移動させる働きが成立しない。このほかあらゆる役分として為すべき仕事が出てきて世の為となっている。天地を指した人もいる。文字を造り出した人もいる。五臓を分けて医道を施す人もいる。その種類は数えきれないほど現れて世の為となっているけれど、これらすべて一仏の功徳の働きである。このような有り難い仏の本性を人々[は皆]具えているというのに、この道理を知らずに自分から自分の身を貶しめ、悪心や悪業に夢中になり、好んで悪道に入っているのを迷いの凡夫というのである過去現在未来三世に諸々の仏が現れて、衆生則仏成事(生きとし生けるものがそのまま仏であること)を直接にお示しになった。[私たちが]眼に形を見、耳に音を聞き、鼻に香りを嗅ぎ、口にものを言い、[心に]思うことという自からの働きを為す、手自らの働き、足自からの働き、これらはすべて一仏の自らなる働きである

そうであるから、後世を願うというのは、自身の身を信じることが本意である。本当に成仏を願う人であるなら、ただ自分自身を信じるべきである。自身とはつまりであるから、仏の心を信じるべきである。 仏には欲心がない、仏の心に瞋恚(しんい)はない、仏の心に悪事はない。このような道理を信じないで、勝手に貪欲を作り出し、瞋恚を出し、愚痴に溜まり、日ごと夜ごとに自我への執着、自我への慢心、邪まな偏見妄想を主人として、それらに随って苦痛や悩乱の心の休む時がない。 本から備わる自らの本性を失って、一生空しく大いなる地獄を造り固めて、未来永劫の住処としていることをどうして悲しまないのか。これを恐れ、これを嘆いて一大事の志を励まし、万の念を放ち捨てよ。そして、すること為すことの上において、切実に真実勇猛の念仏によって、自己の中の真実の仏を信仰する。そうすると、[修行の成果として]気(機)が熟するに随って、自然に誠の心に至って終に信を得ることが極まる。その時、思わずに無我・無人・無住所の境地に入って、自己真実の仏が顕現するのである。一筋に信仰せよ、信仰せよ。」P47-49


万民徳用  鈴木正三著作集1 加藤みち子 中公クラシックス ISBN:4121601548




江戸時代とはなにか―日本史上の近世近代 尾藤正英

武士は、知行として与えられた石高に比例して、それぞれ一定の数量の人と武器とを準備し、 戦時にはそれだけの兵力を率いて主君に従軍する義務を負った。これを軍役と呼ぶ。これに対して農民は、保有する耕地の石高に比例して、米などの貢租を負担する義務を負うこととともに、村内の中級以上の農民には、夫役として築城などのための労働力提供する義務があった。

・・・これらの場合における「役」とは、狭義には労働提供する義務のことであったが、 広い意味では、その労働負担を中心として個人もしくは家が負う社会的な義務の全体を指すものとして用いられる。

以上に述べたような「役」の概念が、成立期における近世社会の、いわば組織原理をなしていたことに着目すると、近世社会構造や、またその政治の動きについて、従来の通説とは異なった解釈をすることが可能になるように思われる。 例えば徳川氏幕府は、自己権力と維持することを第一義として、対立勢力となりうる朝廷大名にきびしい統制を加え、また武士や農民・町人にも生活様式の細部にわたる規制を加えて、社会の秩序を凍結状態に置こうとして、 実際にもそことに成功した、という風に、この時期の歴史は説明されることが多い。

しかし支配者の権力意志だけでは、二七〇年に及ぶ平和の維持を可能とした条件の説明としては、不十分であると思われる。むしろ右にみたような「役」の体系としての社会組織を作りあげ、かつそれを強大な武力と法規との力により安定的に維持することをめざしたのが、この時期の支配者たちの主要な意図であって、それはある程度まで国民全体の要求にも合致するものであったために、その政策が成功し、その結果として政権の維持も可能になった、とみるべきではあるまいか。

近世の「役」の体系に類似したものとして、中世には「職」の体系があったといわれる。「職」とは、本来は官職意味で、七、八世紀には中国制度模倣して作られた古代的な官僚制国家官職が、その後しだいに私有物化されることによって、 中世のいわゆる封建的社会組織形成されたために、その封建的な領有の権力は、「職」の所有という形をとるのが普通であった。これが「職」の体系である。P34-46


江戸時代とはなにか―日本史上の近世近代 (岩波現代文庫) 尾藤正英 ISBN:4006001584




神々の明治維新神仏分離廃仏毀釈 安丸良夫

民衆宗教意識は、地域氏神、さまざまな自然神、祖霊崇拝と仏教、遊歴する宗教者の活動などと複雑なかかわりをもっていた。寺檀制と本末制は、民衆のこうした宗教意識世界権力が踏み込んで、民衆の心の世界を掌握する制度であった。宗門改め寺請制が、キリシタン問題がすでにすでに現実政治課題でなくなった一六七〇年代に、かえって制度として、整備されるのは、その民衆支配の手段としての性格ものがたる事実である。一六世紀末まで、政治権力としばしば争った仏教は、その民心掌握力のゆえに、このようにしてかえって、権力体系の一環にくみこまれた。仏教は、国教というべき地位を占め、鎌倉仏教がきり拓いた民衆化と土着化の方向は、権力の庇護を背景として決定的になった。

だが、江戸時代仏教がはじめて国民的規模で受容され、日本人宗教意識世界が圧倒的に仏教色にぬりつぶされるようになったのは、権力による庇護のためだけではなかった。民衆仏教信仰を受容するようになった民俗信仰的根拠は、さしあたり次の二点から理解することができよう。

第一は、仏教と祖霊祭祀の結びつきで、これを集約的に表現するのが仏壇の成立である・・・寺請制・寺檀制と小農民経営一般的成立を背景として、近世前期にはどの家にも祀られるようになっていた。農村でも都市でも、家の自立化が家ごとの祖霊祭祀をよびおこし、それが仏教と結びついた。そして、家ごとに仏壇が成立したことが、他方で神棚の分立をもたらした、という。

第二は、多様な現世利益祈祷仏教との結びつきである観音地蔵・薬師などはその代表的もので、これら諸仏はやがて、子安観音延命地蔵など、多様に分化した機能神として、民衆の現世利益的な願望にこたえるようになった。P25-27


神々の明治維新神仏分離廃仏毀釈 安丸良夫 岩波新書 ISBN:4004201039




近代化世間 私が見たヨーロッパ日本 阿部謹也

ではこの「世間」はどのような人間関係をもっていたのだろうか。そこにはまず贈与・互酬の関係が貫かれていた。・・・世間」の中には自分が行った行為に対して相手から何らかの返礼があることが期待されており、その期待は事実上義務化している。例えばお中元お歳暮結婚の祝いや香典などである

重要なのはその際の人間人格としてそれらのやりとりをしているのではないという点であって、人格ではないのである。こうした互酬関係と時間意識によって日本世間ヨーロッパのような公共的な関係にはならず、私的な関係が常にまとわりついて世間を疑似公共性世界としているのである

贈与の場合それは受け手の置かれている地位に贈られているのであって、その地位から離れれば贈り物がこなくなっても仕方がないのである。贈り物の価値に変動がある場合受け手の地位に対する送り手の評価が変動している場合なのであり、あくまでも人格ではなく、場所の変化に過ぎないのであるしかし「世間」における贈答は現世を越えている場合もあり、あの世へ行った人に対する贈与も行われている。

・・・世間」は広い意味日本公共性役割果たしてきたが、西欧のように市民を主体とする公共性ではなく、人格ではなく、それぞれの場をもっている個人の集合体として全体を維持するためのものである公共性という言葉日本では大きな家という意味であり、最終的には天皇帰着する性格をもっている。そこに西欧との大きな違いがある。現在でも公共性という場合、官を意味する場合が多い。「世間」は市民公共性とはなっていないのである。89-91

世間」という言葉は本来サンスクリットのローカから来ており、仏教概念です。否定されるべきものという意味をもっていました。それが長い間に現世的な意味を強めてきたものであり、今でもこの世だけでなく、あの世も含んだ概念となっています。すでに述べたように世間」には贈与・互酬の関係が貫かれていました。貰ったら返すというこの関係は誰にも親しいもので、日本社会にもいたるところで見られる関係です。

マルセル・モースの考えにしたがって、私は長い間贈与・互酬関係を呪術的な関係とみなしてきましたが、親鸞に触れた際にこれを訂正し、呪術というヨーロッパ概念を改める必要性を痛感しています。

世間」の中には贈与・互酬の関係が貫かれています。次いで長幼の序がありますが、これについては説明の要はないのでしょう。次に時間意識があります。「世間」の中で暮らしている人はみな共通の時間意識をもっているのです。欧米では一人ひとりがそれぞれ自分時間を生きていますが、日本の「世間」ではみなが同じ時間を生きているのです。P140-141


近代化世間 私が見たヨーロッパ日本 阿部謹也 ISBN:4022618116




世間体」の構造 社会心理史への試み 井上忠

西鶴町人生活を描いた三つの作品(「日本永代蔵」、「世間胸算用」、「西鶴織留」)にみるかぎり、「うき世」は、概して「あの世」(冥土)にたいする「この世」の意としてもちいられている。・・・いっぽう、「世間」の用法はといえば、これもきわめて現世的であった。仏教用語としての「世間」はとっくに姿を消して、すぐれて人間くさい意味をあらわす言葉となっている。「世間」はもっぱら、より町人日常生活に身近な社会や、状況の意味としてもちいられているのである

・・・要するに、西鶴が(永代蔵で)いうには、この世にある願いは、人の命をのぞけば、金銀の力でかなわないことはない。夢のような願いはすてて、近道にそれぞれの家業をはげむがよろしい。人のしあわせは、堅実な生活ぶりにある。つねに油断してはならない。ことに「世間」の道徳を第一として、神仏をまつるべきである。これが、わが国の風俗というものだ、ということであるそもそも商売は、町人にとって生涯の仕事であり、親子代々に伝える家業であった。西鶴は、自分家業との関係において、家業にはげみ、諸事倹約まもることの必要性を説くいっぽう、<家業>と<世間>との関係において、「世間」の道徳にしたがうことの必要性を説いているのである

・・・西鶴の作品には、「世間」を道徳基準のよりどころとするような表現がなんと多いことであろうか。たとえば「世間並に夜をふかざす、人よりはやく朝起して、其家の商売をゆだんなく、たとへつかみ取りありとも、家業の外の買置物をする事なかれ」、というふうにである。P60-66


世間体」の構造 社会心理史への試み 井上忠司 講談社学術文庫 ISBN:406159852X




日本経済史 石井寛治


労働争議件数は日清・日露両戦争の直後に大きなピークをみせている。政府1900年に集会及政社法を廃止してブルジョアジー地主政党活動自由保証する反面、治安警察法とくに第17条によって労働組合労働争議小作争議を事実上禁止した背景には、労働争議のかかる高揚があったのである治安警察法は幼弱な労働組合を圧殺したが、労働争議の件数は必ずしも減少せず、1906〜07年には軍工廠かいぐんこうしょう)・大造船所・大鉱山で大規模な労働争議が続発し、製糸・紡績などの分野でも争議が相次いだ。日露戦後段階の争議は自覚性・組織性において限界を有しつつも産業革命を通じて生み出されたプロレタリアートの成長の到達点をそれなりに示すものであり、それに対応して独占的大経営企業内福利施設と経営家族主義イデオロギーによる労働者企業内定着=包摂に力を入れ、政府工場法制定と大逆事件というアメとムチの政策を打ち出していく。P258

日本経済史 石井寛治 ISBN:4130420399

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2016-12-09 非貨幣経済としての慈悲エコノミー効果の絶大

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貨幣経済と非貨幣経済


現代一般的経済学貨幣および貨幣価値化された商品の交換を対象にします。これを貨幣経済といいます。たとえば国民総生産GDP貨幣経済による国の富を算出します。これとは別に貨幣経済があると言われます。たとえば主婦家事仕事価値を生んでいますが、貨幣価値化はされておらず、貨幣経済に含まれません。最近ドラマの「逃げ恥」では、この主婦労働貨幣価値化して貨幣経済価値とするところから始まる物語です。あるいは、ネット上に公開されている個人ホームページは多くの労働時間が費やされています無償で公開されています価値がありますが、その労働は非貨幣経済です。自給自足、いまでいうDIYもまた価値を生み出しますが非貨幣経済です。これらの非貨幣経済国民総生産GDPには含まれませんが、貨幣経済と同じ程度の規模があると言われています

さらには、贈与交換や無償贈与。貨幣価値化されたものの贈与は税金もかかり貨幣経済の一部になりますが、奉仕などのサービス労働は非貨幣経済でしょう。非貨幣経済の内容を分類すると

1 自給自足・・・DIY自炊

2 返礼が期待できる贈与交換・・・助け合い主婦家事仕事子育て

3 返礼が期待しない無償の贈与・・・奉仕ボランティア




西洋人の慈愛に対する日本人の慈悲の面倒臭さ


問題は3の返礼が期待できない無償の贈与ですね。キリスト教圏には慈愛の文化があります。困った人を助ける。寄付ボランティア日本より社会に深く発達しています最近では日本人西洋人を真似てボランティアが増えてきましたが、方や日本には伝統的な仏教の慈悲の文化があります。慈悲行の代表お布施です。

仏教実践(慈悲行) 六波羅蜜 (智慧の完成(般若波羅密多)のための6つの実践

1.布施 ふせ ほどこす

人のために惜しみなく何か善いことをする。善行には有形と無形のものがあります。有形のもの財施といいますお金や品物などを施す場合です。

無形のものは、

知識や教えなどの法施

● 明るく優しい顔で接する眼施・顔施

● 温かい言葉をかける言施

● 恐怖心を取り除き穏やかな心を与える無畏施

● 何かをお手伝いする身施

● 善い行いをほめる心施

場所提供する座施・舍施、などがあります

施しは、施す者、施しを受ける者、施すもの、すべてが清らかでなければいけません。欲張りのない心での行いを施しといいます。あえて善行として行うとか、返礼を期待してはいけません。また受ける側もそれ以上を望んだり、くり返されることを期待してはいけません。


やさしい仏教入門 http://tobifudo.jp/newmon/etc/rokuhara.html

キリスト教の慈愛が、困っている人を助けるという直接的でわかりやすいのに対して、慈悲は面倒くさいです。困っているから助けると直接的にはいかない。慈悲は弱者救済ではない。相手弱者と思った時点で、こちらは強者となり「清らか」ではない。仏教においては人類すべてが弱者です。そして弱者として救済されると恥になります。これが慈悲の難しさの一つです。

たとえば西洋人から日本人は、老人や妊婦など社会的弱者に対して冷たい。」と指摘されることがありますが、キリスト教の慈愛のように慈悲が直接的な救済でないことが理由かもしれません。困った人を助けるときに、相手が恥をかかないかと躊躇してしまいます

この慈悲の面倒臭さを理解するには、慈悲行が普及した武士道にさかのぼるとわかりやすいでしょう。武士の高いプライドは、慈悲の影響を受けています。困っている武士に手を差し伸べることはとても配慮がいることです。無配慮に助けると武士は恥をかき、その恥をそそぐために自らの死を捧げます。施す者は恥をかかないような配慮、施しを受ける者は恩を返すことの配慮、また施すものも清らかでなければならない。それが慈悲の理想です。




慈悲を職分仏行論へ展開する


このために考えられたのが、職分仏行論です。誰が誰を助けるんじゃなくて、みんながみんなのために、無償で頑張ろう。みんなが自分の職分を自分利益を超えて、「世間よし!」と考えで、頑張れば、それが慈悲行じゃないか徳川家康士農工商という統治体制とともに職分仏行論を重視して、江戸時代には仏教徒であることを超えて、「職への勤勉さ」が世間倫理になります

その後、明治以降資本主義経済の全面化にともない、日本でも西洋と同じように資本家労働者という格差顕在化し、労働者は悪劣な動労環境長時間労働、不当な低賃金などからストライキなど労働運動を行い、社会主義思想が広がります

西洋では、ここからプロレタリア革命さら共産主義という方向へ向かいましたが、日本では、経営家族主義へと進みました。労働状況の改善とともに、資本家労働者関係を親子関係になぞらえて、会社労働者生活保証するとともに、従業員には会社への忠誠を求めます。これは、現在まで続く、終身雇用年功序列護送船団方式企業系列体制)へ繋がります。ここに、日本人もつ「職への勤勉さ」、それを世間倫理とする統治技術としての職分主義の影響があります

労働争議件数は日清・日露両戦争の直後に大きなピークをみせている。政府が1900年に集会及政社法を廃止してブルジョアジーや地主の政党活動の自由を保証する反面、治安警察法とくに第17条によって労働組合・労働争議・小作争議を事実上禁止した背景には、労働争議のかかる高揚があったのである。治安警察法は幼弱な労働組合を圧殺したが、労働争議の件数は必ずしも減少せず、1906〜07年には軍工廠(かいぐんこうしょう)・大造船所・大鉱山で大規模な労働争議が続発し、製糸・紡績などの分野でも争議が相次いだ。日露戦後段階の争議は自覚性・組織性において限界を有しつつも産業革命を通じて生み出されたプロレタリアートの成長の到達点をそれなりに示すものであり、それに対応して独占的大経営は企業内福利施設と経営家族主義イデオロギーによる労働者の企業内定着=包摂に力を入れ、政府は工場法制定と大逆事件というアメとムチの政策を打ち出していく。P258


日本経済史 石井寛治 ISBN:4130420399




職分主義による非貨幣経済日本世界有数の経済大国にした


話を戻して、職分主義経済効果はいかほどでしょうか?労働者賃金を超えた労働による成果という非貨幣経済が、日本経済成長に与えた効果は計り知れないですね。最近サービス残業ということが問題になっていますが、職分主義の成果は、単に労働時間サービスを超えます頭脳労働なら、労働時間を越えて考えることができます肉体労働でも日本労働者は単に処理するのではなく改善を考えますさら仕事のためのスキルアップ休日によい仕事をするために無償勉強ます資格取りも日本人は大好きです。多くの日本人賃金を超えて、仕事生活全面化させます

商品は当然人件費転嫁されて価格が決まりますが、そこには無償労働価値が含まれているわけです。消費者はありがたい慈悲を受け取っているわけです。日本人消費者でありまた労働者なので、世間レベルで見れば、贈与返礼しあいながら、経済を成長させて、日本人全体の豊かさを高めて、世界有数の経済大国になったのです。

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2016-12-08 プロレタリア革命に変わる日本人の解決策としての「慈悲エコノミー」

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柄谷行人の交換様式


柄谷行人は、マルクス経済的下部構造生産様式論に対して、経済根本は交換にあるとして、交換様式論を提唱する。それはカール・ポランニーが言った広義の経済活動エコノミー)=「社会に埋め込まれた人と自然との相互作用」に通じる。また交換様式としては、ポランニーが経済パターンとして上げた、三つ、「互酬(贈与と返礼)」、「再分配」、「等価交換」を、継承する。

さら歴史的社会構造は、どの交換様式が主流に対応するという経済的下部構造論を取る。また三つの交換様式は、どの社会においてもメビウスの輪のごとく相補的に働いていると考える。たとえば、現代資本主義社会の基本の交換様式は、貨幣による等価交換であるが、資本国家ネーションは、等価交換、再分配、互酬という3つの交換様式対応する。

社会構造経済下部構造として交換様式(柄谷)

 原始社会・・・互酬制(贈与と返礼)

 農耕社会・・・再配分

 資本主義社会・・・等価交換

資本主義社会  資本国家ネーション (等価交換−再配分−互酬(贈与返礼))




交換様式Xと慈悲エコノミー


さらに柄谷は、第4の交換様式として、交換様式Xの可能性を上げる。互酬(贈与と返礼)は小さな共同体である原始社会で主流であったが、それを世界全体へと展開するもので、現在世界へ展開する貨幣による等価交換では、交換時に利益が生まれ、それが格差を生み出すが、互酬(贈与と返礼)ならば、利益は生まれず格差もうまない、すなわち社会主義社会へ繋がる。また柄谷は交換様式Xは、世界宗教に近いという。キリスト教など世界宗教では、利益を求めず、互いに与えあう。また仏教の慈悲も同様に考えることができるだろう。

ボクは、日本では江戸時代にすでに仏教の慈悲もとに成熟させた交換様式Xに近いエコノミーがあり、また現代日本まで継承されていると考える。それが「慈悲エコノミーである。そして慈悲エコノミー作動するのが「世間である

柄谷が示す現代資本主義社会、そしてそれにならったボクの考えは、

資本主義(柄谷)  資本国家ネーション (等価交換−再配分−互酬(贈与返礼))

江戸時代   幕藩体制世間資本 (再配分−慈悲型贈与交換−等価交換

現代日本   資本国家世間 (等価交換−再配分−慈悲型贈与交換)




身分と職分


ボクがいう「慈悲エコノミー」は、柄谷が考える交換様式Xのように美しいものではない。ボクがいう「慈悲エコノミー」は、擬似的な交換様式Xで現実的な泥臭いものだ。その特徴の一つ目は、互酬(贈与と返礼)を「日本人」に狭めるということで、島国日本人に閉じている。江戸時代鎖国政策もあり、庶民にとって世界とは、日本人圏だった。そして日本人圏に閉じていた故に、擬似的な交換様式Xが実現されたと言える。柄谷が言う交換様式Xのように他民族全体を含めて=人類で互酬を展開するのは、神の領域だろう。

二つ目は、完全な慈悲は仏のみ可能である。だからできれば互酬を身近なものではなく、世間というより広くに展開しようと言う倫理だった。そこから理想現実、すなわち日本人本音と建て前が生まれる。柄谷いう理想の交換様式Xには至らないが、現実世間倫理として、「慈悲エコノミー」は作動していた。明治に「社会ソサイエティ)」が入ってくる前は、「世間」は倫理だった。

具体的には、農民将軍職業であり、それぞれの職分を全うすることで、世間全体が豊かになるという、職分仏行論だ。世間では、自らの利益だけでなく、世間様のために懸命に働くことが善とされた。たとえば、武士道もまた「慈悲エコノミー」に深く関係する。世間に恥じない武士としての職分を全うする。それができないことは、死に値する恥であるというところまで、突き詰められる。このような職分仏行論的な思想徳川家康も持っていて、幕藩体制構築に影響を与えただろう。士農工商身分制という縦の関係にあるとともに、職分主義において横の関係であった。日本人という社会構造を支えた。

まず慈悲が万事の根本であると知れ。慈悲より出た正直がまことの正直ぞ、また慈悲なき正直は薄情といって不正直ぞ。

また慈悲より出た智慧がまことの智慧ぞ、慈悲なき智慧は邪な智慧である。中国ではこの大宝を智仁勇の三徳という。

忘れても道理や人の道に反したことを行なってはならぬ。

およそ悪逆(道に背いた悪事)は私欲より生ずるぞ。

天下の乱はまた思い上がりより生ずるぞ。人民の安堵(あんど)は各人が家の職業を勤めることにある。天下の平和と政治の永続は上に立つ人の慈悲にかかっている。慈悲とは仁の道である。思い上がりを断って慈悲を万事の根本と定めて天下を治めるようにと申さねばならぬ。

東照宮御遺訓 徳川家康




サービス残業は善が悪か


資本主義(柄谷)  資本国家ネーション (等価交換−再配分−互酬(贈与返礼))

現代日本      資本国家世間 (等価交換−再配分−慈悲型贈与交換)

資本主義的な倫理でいえば、サービス残業は、賃金も払わずに働かせる違法であり、また左派的には、資本家による労働者への搾取だ。しかし資本主義倫理の徹底では、どうしても経済格差生まれる。それに対する西洋的な解がプロレタリア革命だったわけだが、日本人は別の解をもっていた。それが、江戸時代成熟させた世間倫理=慈悲エコノミーだ。

慈悲エコノミーでは、サービス残業は、資本家による労働者搾取ではなく、日本全体を豊かにするための慈悲行であり、美徳だ。経営者従業員も、そして首相も、将軍様も、与えられた職分において等しく、それぞれが自らの職分をまっとうすれば、日本人全体が豊かになる。日本人は、資本主義経済合理性倫理による格差という縦の関係と、世間倫理=慈悲エコノミーの横の関係によってバランスを取りながら一丸となり、世界的な経済競争に勝ち、経済成長させて、格差の少ない豊かな国を作ってきた。




サービス業と慈悲エコノミー


経営家族主義による終身雇用年功序列企業系列体制が維持されている時代は、サービス残業美談としても問題にならなかった。従業員サービス残業してまで働き、会社が発展すれば、給料が上がり、雇用も安定する。特に第二次産業では、仕事熟練性が求められて、企業従業員終身雇用価値があった。

しかし最近、急にサービス残業にうるさくなった。それは、第三次産業サービス業産業構造シフトしたことに関係する。サービス業では、第二次産業のように機械化による効率が難しくて、人件費効率化、削減、すなわち労働時間の削減、雇用者数の調整を細かく行う必要がある。このために仕事も誰でもできるようにマニュアル化されて、非正規雇用が増えた。経営家族主義は崩れ、経済合理性が先行し、経済格差という縦の関係が強くなる。

日本人サービス業効率が悪い、ITの活用が下手だと言われる。その理由の一つに慈悲エコノミーにある。本来は慈悲エコノミーサービス業に向いているはずだが、向いているが故におもてなしなど仕事を超えてしまい、西洋人のように、労働収入を得るための手段として割り切れない。職業日本人として全うすべき職分であり、日本人としてのアイデンティティを支える。このような慈悲エコノミー倫理によって、サービス業に求められる、労働時間単価で売り買いするという割り切りが経営者労働者ともに苦手である。また同じくITの活用で、仕事無人化して効率化することも苦手である




サービスは商品か、オマケか


そもそもサービスとは何か。経済学的には「物体のない商品である。」なのに、日本人が「サービスする」というとき、オマケ、ただという意味である。まさにここに慈悲エコノミーが現れている。この誤読が日本人のサービスを混乱させている。西洋では、サービスは商品であり、価格に合わせて、ファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミークラスと分けられるのは当たり前である。そしてもっとも安いものが、セルフサービスである、ここで、ITが重要になる。ITを使うことで、セルフサービスでも便利になる。

しかし日本人には、サービスはただという感覚がある。これはまさに慈悲エコノミーから来ている。おもてなしとは、価格に関わりない精一杯のサービスである。むしろ価格と相関させることは、おもてなしを、すなわち慈悲エコノミーに反する。このような文化の中で育っている日本人は、低価格だから低いサービスしか受けられない。ITを使いこなす努力をしろと言われて、納得するか。しない。彼らは開き直りモンスター化する。これで日本サービス業効率が上がるわけがない。ガラケーが技術を抱え込んだというが、それにはモンスター対応の意味がある。iPhoneのようにマニュアルも付けないで、日本人の消費者が許すわけがない。アップルは世間の外にいるからよいが、ドコモは世間の中にいて、袋叩きあう。

これはサービス残業にも言える。サービスとはただである。これは経営者の話ではない。従業員は、慈悲エコノミーから労働時間をオマケする。それは、いまも、最近まで、いや多分いまも行われているだろう。これは経営者からの脅迫でもなんでもない。美徳なのである。そしてまさにその美徳が、明治維新から百年で世界のトップレベルの豊かさに日本を引き揚げたのだ。

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2016-12-07 慈悲エコミーについて「良くある質問」

慈悲エコミーについて「良くある質問慈悲エコミーについて「良くある質問」を含むブックマーク 慈悲エコミーについて「良くある質問」のブックマークコメント

Q1 慈悲エコノミーは慈悲深いとどう違うの?

Q2 慈悲ってエコノミーなの?

Q3 慈悲エコノミーは贈与交換とどう違うの?

Q4 慈悲エコノミー世間ってどういうこと?

Q5 慈悲エコノミー実例ってあるの?




Q1 慈悲エコノミーは慈悲深いとどう違うの?

A それぞれ意味が違います

 1 日常会話の慈悲深い 例:お代官様、お慈悲を〜

 2 仏教の慈悲 集団で救済を目指す 例:菩薩の慈悲

 3 慈悲エコノミー 正式名:慈悲型贈与交換




Q2 慈悲ってエコノミーなの?

A たとえばカール・ポランニーが言うように、広義の経済活動の贈与交換の一種です。

wiki カール・ポランニー

経済定義

人間自分自然との間の制度化された相互作用により生活し、自然環境と仲間たちに依存する。この過程経済だとした。また、経済社会の中に埋め込まれており(Embeddedness)、経済的機能として意識されないことがあると主張した。ポランニーは、「経済的」という言葉定義について2つをあげる。

1. 実在的な定義欲求・充足の物質的な手段提供についての意味人間とその環境の間の相互作用と、その過程制度化のふたつのレベルから成る

2. 形式的定義。稀少性、あるいは最大化による合理性についての意味。前者の経済過程制度化は、場所の移動、専有の移動という2種類の移動から説明できる。従来の経済学では後者が重視されているが、それは狭い定義であると指摘した。

交換のパターン

経済過程に秩序を与え、社会統合するパターンとして、互酬、再配分、交換の3つをあげる。互酬は義務としての贈与関係相互扶助関係。再配分は権力の中心に対する義務的支払いと中心からの払い戻し。交換は市場における財の移動である。ポランニーは、この3つを運動の方向で表しており、互酬は対称的な2つの配置における財やサービス運動。再配分は物理的なもの所有権が、中心へ向けて動いたあと、再び中心から社会のメンバーへ向けて運動すること。交換は、システム内の分散した任意の2点間の運動とする。




Q3 慈悲エコノミーは贈与交換とどう違うの?

A 

贈与交換とは、

自分に身近は人にほど多くを与える。

・受けた相手負債を感じ、返礼をせざるをえない。

・もし返礼ができないと、権力関係が生じて下となる。

・このために、相手が返せないだけ贈与する、あるいは見栄を張るために多量に贈与(散財)する(ポトラッチ)という権力誇示が行われる。

・贈与返礼関係は小さな信頼の共同体を作りだす。その代わりにその外部を排除し、共同体同士の権力闘争生まれる。

これに対して、慈悲は贈与交換の乗り越えを目指す、究極的には仏のみが可能な贈与交換といえる。

慈悲

自分の身近ではない人に多くを与える。仏は生きとし生けるものすべてに等しく。

・受けた相手に返礼を求めない

・また受けた相手が返礼しなければと負債を感じないように配慮する。

・だから与えることで上下権力関係を生まない。

・小さな共同体を作らず、共同体間の権力闘争を生まれない。

自分財産をもっているとすると、普通子供や友人などの身近なものへ与えたいものだ。しかし慈悲は、むしろ身近ではない見ず知らずの人々に与える。さらに見ず知らず人から受け取った者は不振に思う。なにか見返りを求められているのでは?あるいはそれを受け取ったあとにお返しをしなければと後ろめたくなる。慈悲では与える者はただ与えるだけではなく、受ける者のそのような気持ちにも配慮して負債を受けないように与える。そして与えることで自己満足に浸らない。




Q4 慈悲エコノミー世間ってどういうこと?

A たとえば武士なら、江戸初期は、殉死が流行った。自らの死をかけて、家名を守る。ここに死を捧げる。そしてさらには慈悲的に成熟していく。たんに家名という身近な者のためよりも、世間のために死を捧げるようになる。赤穂浪士は、家名、藩のためだけでなく、「世間」のためでもあった。世間は、現代では民主的な「社会ソサイエティ)」に対して、あまりよい意味で使われないが、明治に「社会ソサイエティ)」という言葉が使われる前、江戸時代には一つの道徳圏の意味を持った。もともとが仏教用語で「世界」を表したように、慈悲との関係が深い。単に「世間の目を気にする」というような監視ではなく、慈悲を理想とする道徳である

慈悲エコノミー世間理想像

自分の身近ではない人に多くを与える。→「世間よし」の家業

・受けた相手に返礼を求めない。→義理人情

・受けた相手が返礼しなければと負債を感じないように配慮する。→おもてなし

・だから与えることで上下権力関係を生まない。→武士仁政

・小さな共同体を作らず、共同体間の権力闘争を生まれない。→身内より世間



Q5 慈悲エコノミー実例ってあるの?

A たとえば、日本人特有の、世間の皆様に謝るという習慣。慈悲エコノミー世間としていつも働いています。慈悲エコノミーを実際に思想活用している例に、近江商人の例ある。

日本においては、例えば徳川時代の中期以降における近江商人の活発な商品活動には、浄土真宗信仰がその基底に存するという事実が、最近実証研究によって明らかにされている。ところで近江商人のうち成功した人々の遺訓についてみるに、かれらは利益を求める念を離れて、朝早くから夜遅くまで刻苦精励して商業に専念したのであるが、内心には慈悲の精神を保っていた。実際問題としては利益を追求しなかったわけではないはずであるが、かれらの主観的意識の表面においては慈悲行をめざしていたのである。その一人である中村治兵衛の家訓によると、「信心慈悲を忘れず心を常に快くすべし」という。これは当時浄土真宗における世の中の商人に対し仏の慈悲を喜ぶことを教えていたことに対応するのである。P244

慈悲 中村元 講談社学術文庫 ISBN:4062920220

江戸時代中期、全国的規模で広汎にビジネス活動を行い、時には海外へも進出していた「近江商人」。現在トヨタ丸紅伊藤忠高島屋日本生命ワコールなど、近江商人起源もつ老舗企業は数多く存在しています明治維新をはじめ、数多くの激動期を乗り越えてきた「近江商人」の経営手法には、現在に生きる私たちに、少なからぬ「知恵」を授けてくれます。何の資源を持たなかった日本が、ここまでの発展を遂げることができたのは、何よりも「ヒト」という資源の力にあるのではないかと思います。それも誰もが知っている有名人ではなく、目立つこともなく、ただひたむきに努力を重ねた無名の人々による努力結晶にあるといえるでしょう。このような人々を輩出したそのシステムにこそ、日本の発展の原動力があったといって過言ではないと思います。そして、この日本における人的資源マネジメントルーツといえるものは、いまから300年以上も前の時代誕生した「近江商人」の経営手法の中にあるのです。

三方よし

これは、「売手よし、買手よし、世間によし」のことを言い表したものです。 商売を行うからには儲からねば意味がありません。そのためにはお客さんにも喜んでもらわなければなりません。ですから、「売手よし、買手よし」は当然のことといえますが、近江商人には、このうえに「世間よし」が加わって「三方よし」となります。これは300年生き続けてきた理念で、近江商人特有のものとなっています。自らの地盤を遠く離れた他国商売を行う、近江商人においては、他国において尊重されるということが、自らの存在を正当づける根拠にもなりますから、「世間よし」という理念が生まれてきたといわれています

http://www.neo-knowledge.com/column/omisyonin01.html

現代においても、トヨタが慈悲エコノミーを重視するのは変わりません。その心情の表れが、現地を重視する姿勢です。慈悲エコノミーが働いている実例です。

トヨタ企業理念

・内外の法およびその精神を遵守し、オープンでフェアな企業活動を通じて、国際社会から信頼される企業市民をめざす

・各国、各地域文化、慣習を尊重し、地域に根ざした企業活動を通じて、経済社会の発展に貢献する

http://www.toyota.co.jp/jpn/company/vision/philosophy/

自動車産業新時代リードする「トヨタビジネス革命

「現地現物」は次なるステージ

設計から生産まで100%現地調達化:地域仕様車の開発

「道がクルマをつくる」というのが、これからクルマ作りの原点となります地域ごとに道路の整備状況や燃料価格消費者ニーズも異なります特に成長著しく、変化も激しい新興国で成長を果たすに は、消費者ニーズ道路の整備状況など地域特性を踏まえたクルマ作りが重要です。このたび商品化に 至ったインド市場向けの小型車「エティオス」は、単なるグローバルモデルの流用ではなく、設計段階から 現地調達可能な素材や現地生産技術対応した構造工法としたことで画期的といえます。「良品廉価」 なクルマづくりを目指し、部品現地調達を徹底し、生産までをすべて現地で完結する地域最適設計を 進め、このノウハウを他の新興国市場世界各国にも展開する計画です。

https://www.toyota.co.jp/pages/contents/jpn/investors/library/annual/pdf/2010/p06_11.pdf

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2016-12-06 江戸時代の職分主義から明治時代の家族主義へ 慈悲エコノミーの系譜

江戸時代の職分主義から明治時代家族主義へ 慈悲エコノミー系譜 江戸時代の職分主義から明治時代の家族主義へ 慈悲エコノミーの系譜を含むブックマーク 江戸時代の職分主義から明治時代の家族主義へ 慈悲エコノミーの系譜のブックマークコメント

明治維新司馬遼太郎的な英雄時代


明治維新日清戦争日露戦争と、激動の時代司馬遼太郎的には、英雄時代なんだろうが、日本西洋近代化に巻き込まれ、多くにおいて受動的なんだろう。日本人からすると黒船来襲となるが、黒船黒船で来るべき流れがあった。世界進出に乗り遅れたアメリカが何とか日本は先行したい。かたやイギリスインド中国成功したが、また現地民衆とのいざこざに巻き込まれて、日本まで手が回らない。日清戦争も、またアメリカ中国進出のために日本が踊らされた面がある。日露戦争は、ロシアの南下を阻止するためのイギリスの後押しとか、日本にすれば大きな決断ではあるが、グローバルに見れば、対立構造日本ロシアのみにあるわけではなく、仮に負けても担保はあるとうような大きな流れの一部として見ることができる。

政治でも、薩長の藩閥政権がずっと主導して、憲法制定、衆議院選挙開始しても、簡単民主化は進まないわけだけど、西洋諸国からすれば、藩閥政権の方がコントロールしやすいということで資金含めたバックアップは大きかっただろう。民主化政党が主導すると、管理が難しくなる。まあ、左派社会主義は徹底的に弾圧されて、衆議院選挙と言っても財産もつ一部の人しか選挙権がないし、右派自由民権保守系財閥との癒着が深い。




資本主義世界貨幣価値で整流する


資本主義は、貨幣が流れるように世界を整流する。土地労働力、すべてを商品化する。明治にまず、土地庶民に分配されたが、商業の推進から農民への地租税は高く、払えなければ土地を売り、そして地主労働力を売って収入を得ることになる。まず民衆の反乱は、地租税に対して起こった。特に殖産興業の推進のために、政商たちにただのように、国有産業が売られる。そこに藩閥政府との癒着がある。ここに、いままでにない資本主義的な大きな格差生まれる。

さらに、産業の発展で、工業化が進み、多くの労働者が生まれるが、彼らの仕事代替が利く単純な作業であるから、安い賃金、劣悪な労働環境で働かされ、ブルジョアプロレタリアートという経済格差構造化する。ここに、ストライキなどの労働者運動が生まれ自由民権から社会主義運動へと移っていく。しか治安警察法などにより、徹底的な弾圧されて、明治末期には天皇暗殺アナーキズムまで行き着く。




江戸時代の職分主義から明治時代家族主義


しか庶民社会主義までついていくことはない。産業さらなる発展と、企業側の譲歩もあり、現在終身雇用年功序列系列などの経営家族主義へ移行していく。これは現在も続く、日本人における右派保守派の強さであり、その後の資本主義における日本人成功となる。また政府大企業の密接な関係継続することになる。

国家神道においても、天皇は神であるよりも、父である家族主義が重視されていく。天皇への敬意って、いまとそんなに変わらないんだろう。やっぱヒステリックになるのは、敗戦間近のことなんだろう。

江戸時代は、武士の一職業であるという職分主義があり、領地領民は藩が管理し、武士もまた同じ貧しさを分け合った。そこには武士仁政があり、慈悲エコノミーがあった。世界的な貨幣による整流の流れの中で、この明治末の家族主義への転換は、まさに江戸時代に培われた慈悲エコノミー再利用だろう。江戸時代身分制明治経済格差など縦の関係に対して、水平の関係としてバランスを取ることで、日本人という一体感を維持する。

実をいえば、個人的自覚国民の間に徐々に高まってきた明治三十年代の半ば以降、徳冨蘆花の「不如帰(ほととぎす)」が多数の愛読者をひきつけたことからも知られるように、夫婦あいだでも、愛情問題が正面から取り上げられるようになっている。それまでは夫婦の愛というようなことは、公然と論ぜられることではなかったのである。同じことは、親子のあいだについてもいうことができる。親子の間では孝という一語で結びつけられていたこからもわかるように、親はただ権威所在であった。子は親に仕えるのが人たるの道であった。だが、それだけで親子の関係を律していうことは、しだいに困難になってきた。そこで強調されるようになったのが、親の愛情であり、恩情だったのである

こうして家族主義は、個人自覚の目覚めについて動揺し、崩壊しようとするとき愛情を軸として一転回することによって、個人の目覚めを家族共同体なかに吸収し、家族主義を再編成することに成功するのである。P378-379

軍隊という特殊社会での実験だけでは、家族主義という見取図による社会関係の再建がうまくいくかどうかは、まだ証明されない。それが雇用という利害が対立する場で実用に堪えるかどうかこそが問題である。というのは、摩擦がいちばん大きくて騒音が高かったのは、まさにこの点だっただからである

・・・横山はこれに続けて、「教育ある者が増殖せるに従って、職工自身自覚の風ほの見えてきた」と書いているが、こういう新しい教育をうけた労働者を多数雇用しながら、円滑に経営していくにはどうすればよいか

ここで戦後経営者家族主義労使関係再建の進路を見出すのである。労使の関係がうまくいかないのはなぜか。それは雇主の意向従業員に徹底しないかである従業員の数がふえ、しかもその従業員が頻繁に移動し、昨日いたと思った顔が今日は見えないという状態では、雇主の意思を疎通させるということ自体無理な話である。とすれば、まず第一努力しなければならないのは、従業員の勤続をできるだけ長くする

ことである。長く働いていればおのずから意思も通じあうことになる。それなら勤続を長くするにはどうすればよいか。こうして日露戦争後急速に普及したのが、日清戦争労働組合が試みて失敗した共済制度を、会社の福利施設として採用する方策である。それは会社家族である従業員に対する会社親心として説明されている。P379-381

国への関心が個人主義思想によって動揺するのはやむをえないとしても、明治国家公認道徳であった孝との対立消滅していくとなると、ことは重大である。国共同体への忠誠と、家共同体への忠誠とを、どこかで再調整しなければならなければならない。とくに「上下心ヲ一二」する基盤を、家族主義に求めようとする以上、家族主義国家主義矛盾ないものとして、説得できなければならない。

その思想は、実は国家という言葉なかにすでに用意されていた。国は家の拡大されたものである、それゆえに国は国家なのだということである。たしかに国には権力的な側面と社会的な側面とがある。日本では社会構成原理家族関係におかれてきたわけであるから、国もその側面では、家族の拡大されたもの解釈されることは、ある意味で当然であった。こうして家と国家とは同心円となり、国は家を包むものとなったのである。そうなれば忠孝一如である。P386

日本の歴史〈22〉大日本帝国の試煉 隅谷三喜男 中公文庫 ISBN:412204703X

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