江戸幕府の中枢、現在の皇居。 築城の名手、太田道灌によって築かれ、家康の関東入国後に徳川氏の居城となる。 徳川氏が天下人となったことで、威信を示すとともに政庁としての機能も果たすために大改築が行われた。
本丸の天守閣は明暦の大火によって焼失して再建されず。本丸自体は文久3年に焼失した状態で明治維新を迎えている。
日本の城は世界的にも独特の様式で、映画やアニメなどを通じて世界中にファンがいます。ただ文化的な価値があるというだけでなく観光資源として期待できることから、江戸城天守を再建しようという動きがあるようです。皇居ならアクセスしやすく、観光資源として期待できるでしょう。税金を投入せずとも、出資者が集まりそうな気もします。 当時の天守を現存しているのは12城のみ。その中で最大の姫路城はユネスコ世界遺産に登録されていますね。他の城は、鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)造りで再現されたもので、主に戦後に築城ブームがありました。しかし、江戸城は皇居の中にあるからか、再建されてこなかったのです。 江戸城 江戸城天守…
徳川将軍も花見上手?江戸のお殿様たちの意外な趣味 こんにちは、ともっちです。 今日のお昼休み、鉢植えの水やりをしながら「あ~自分って結構植物好きだな~」なんて思ってたんですよ。でもね、自分の植物愛なんて徳川将軍たちに比べたらまだまだ序の口レベルだったみたい。 実は徳川家の初代から三代目まで、みんな花が大好きだったんですよ。家康はなんと万年青(おもと)っていう縁起のいい植物にメロメロ。「万年青ブーム」なんて起こすほどの影響力。引っ越し祝いに万年青を贈る風習まで生まれたみたい。しかも紅梅の枝を自分で折って城に持ち帰るとか、現代で言うと「写真撮るの忘れた!とりあえず枝ちょっともらってくわ」みたいなノ…
東京都現代美術館の坂本龍一展から東京国立近代美術館へ移動。半蔵門線・清澄白河から九段下へ。九段下駅から出ると昭和館。石川光陽写真展『戦時下の東京』(無料)開催中だったので立ち寄る。写真不可時間がないので昭和館はスルー。そのすぐ隣、九段会館テラス 低層階は旧九段会館。昭和9年(1934年)もとは軍人会館だった。 昭和11年の二・二六事件の時は戒厳司令部が置かれていたみたい。戦後はGHQに接収され、『アーミーホール』の名の連合国軍宿舎だったようだ。接収解除後は『九段会館』としてレストランや結婚式場として開業。2011年に東日本大震災の影響で天井が落ち閉館(2人死亡)。その後2022年に、地上17階…
東京の中心にありながら、普段なかなか立ち入ることができない皇居。かつては徳川将軍の居城「江戸城」として、日本の歴史の舞台となってきました。そんな皇居には、意外と知られていない興味深い雑学がたくさんあるのです!今回は、皇居の歴史や不思議なエピソードを10個ご紹介します。 1. 江戸城は、かつて世界最大級の城だった 江戸城の敷地は広大で、当時のヨーロッパの王宮をはるかに超える規模を誇りました。特に城郭面積は世界最大級とされ、まさに日本の中心でした。今ではその面影は少しずつ薄れていますが、皇居としてその一部が守られています。 2. 皇居のお堀には、江戸時代の魚が今も生きている 皇居のお堀には、江戸時…
東京都文京区にある「音羽(おとわ)」は文京区の西に位置し、 大塚、小日向、水道、関口、目白台と接する。 南北に細長く、最南端で神田川に接する。 江戸城の奥女中・音羽の土地 1681年(天和元年)、五代将軍徳川綱吉が護国寺を建設し、 その門前町として幕府に制定された町である。 しかし、当時はなかなか人が集まらず、 幕府は江戸城の奥女中である音羽にこの土地を与え、家を建てた。 これが地名の由来となり、 その後は、 江戸有数の岡場所(江戸時代の私娼屋(ししょうや)が集まった歓楽街)として反映した。 現在では閑静な住宅街で、 出版社である講談社や光文社、「音羽御殿」で知られる鳩山会館などがある。 音羽…
車いす城郭評論家が来城されることが分かり城内へのバリアフリー工事が急遽おこなわれる そんなわけないでしょう、車いす障害者様、たまたま修理中の時に行かれたけですよ (松本城にて2004年撮影) 「バリバラ」歴史バリリアフリー~難攻不落の「城」を攻略せよ については下記のNHKのサイトで紹介されています。 ☞歴史バリアフリー 〜難攻不落の「城」を攻略せよ〜 - バリバラ - NHK ☞アシトドのブログのメニュー画面 へ 〚歴史バリアフリー ~難攻不落の「城」を攻略せよ~〛に出演中の 車いす城郭評論家・アシトド松井 「車いす城郭評論家」はNHK公認の肩書です(公判維持に耐えうるような確かな根拠を示せ…
東京国際フォーラムといえば? 巨大アトリウムと狩装束の武士の銅像! ちょっとミスマッチな組み合わせでは (^^;; 正面玄関に鎮座するのは? 江戸城を築いた太田道灌の銅像 d(^_^o) そして、三代将軍家光時代の江戸城天守の模型 ! こちらが道灌が築いた江戸城の想定図。 家康が入城してからも、暫くこんな感じだった? 家康は城下町の整備を優先しましたから^^ 各地に太田道灌の銅像が建っているのは何故か? doukan.jp 東国の中世史の重要人物であるだけでなく・・・ 戦前の教科書に掲載されていた「山吹の里伝説」の影響が大きいと思われます。 ところ変わって新宿中央公園。 右に見えるのが東京都庁…
東京都千代田区にある「大手町(おおてまち)」は、 中央区(八重洲・日本橋本石町)との区境にあたる。 日本経済の中心地として、 南に隣接する「丸の内」とともに日本屈指のオフィス街を形成している。 大手門の前にある町 江戸城本丸大手門の前にあたる町というのが由来である。 「大手」とは城の正面、 表門のことを表すことから、大手門は江戸城本丸への正門を意味する。 江戸時代、「大手前」と呼ばれたこの地域には、 幕府の要職にある大名や親藩の上屋敷が建ち並んでいた。 1872年(明治5年)、「大手町」という町名が誕生した。 エキサイトブログの福助のブログ ランキング参加中毎日投稿がんばり隊 ランキング参加中…
東京都千代田区にある「半蔵門(はんぞうもん)」は、 江戸城(現在の皇居)にある門の1つで、城の西端に位置し、大手門とは正反対にあたる。 半蔵門・半蔵門駅周辺の呼称であるが、現在、町名にはなっていない。 服部半蔵に由来する 三重県北部・伊賀市上野の槍の名人・服部半蔵の人名に由来する。 徳川家康が江戸城に入る際、半蔵にこの門の警備を命じたという。 江戸城の門は、 大手門のような大門6、諸門60、二之曲輪くるわ外曲輪の半蔵門など26、 合計92門であったという。 東京メトロ半蔵門線「半蔵門駅」の所在地は千代田区麹町になる。 エキサイトブログの福助のブログ ランキング参加中毎日投稿がんばり隊 ランキン…
どうも、先日都内に用事があったのでついでに九段下から北の丸公園を散策してきました。 もう皇居や北の丸公園は数え切れないぐらい行ってますがやっぱり見飽きない。都内の史跡巡り先で困ったらとりあえず皇居周辺行けばOK。