一見すると似ている一遍と一休の「捨てる」という生き方ですが、その出発点は大きく異なります。一遍のきっかけが「絶望」であったのに対し、一休のそれは「失望」でした。「一遍上人と一休宗純、他力と自力~ 「捨てる」の果てに見た境地」に続く内容です。 1. 一遍上人:絶望の果てに見つけた「絶対的な救い」【きっかけは何か?】一遍の「捨てる」は、自らの力の限界に直面した絶望から始まりました。 * 記録: 彼の生涯を描いた絵巻物『一遍聖絵(いっぺんひじりえ)』によると、彼は熱心に仏道を修行するも、自らの力(自力)で悟りを開くことも、苦しむ人々を救済することもできないという壁にぶつかり、深く悩みます。 * 熊野…