脚本家、評論家。1932年7月17日、広島県生まれ。 東京大学文学部卒業後、松竹に入社。シナリオ執筆、助監督を務めた後、独立。 大島渚との共同脚本の『太陽の墓場』で第12回シナリオ賞受賞。映画『黒い雨』で日本アカデミー賞脚本賞受賞。 日本映画学校校長、近畿大学教授を歴任。 2011年11月1日、膵臓癌により死去。享年79。
など多数
文学や芝居や映画にとって、新宿の街がとても重要だった時代の思い出噺だ。 映画界のツワモノがたから噺を伺うという、三夜連続の講演会があった。場所は紀伊國屋ホールだったと思う。 第一夜は吉田喜重。長身細身の美男紳士が登壇した。もし大学教授だったら、研究室前に女子学生が行列しても不思議でない、学究的雰囲気を漂わせていた。大声で強調することなどなく終始自制的な口調で、聴衆が理解しようがしまいが云うべきことは云うといった講演だった。むしろ講義である。 映画監督の役割、映画の存在理由、フレームを切ることで世界を画面内と画面外とに二分することの意味合いについて語った。そうか、フレーム内で映画作品を形成すると…
昨夜休んでいるときに、どっと発汗したせいもありまして、今朝になって 熱は下がったいました。当方のことでありますので、薬は服用しておりません。 まだあちこちの節々が痛むのでありますが、落ち着いたら、すこし身体を動かし にいかなくてはです。 このような日々を過ごしていても、図書館本の返却日はせまってくることです。 いま借りている本に次のものがありました。 詩人 吉原幸子: 愛について (230) (コロナ・ブックス 230) 平凡社 Amazon 当方の日の読書のなかに詩はほとんどないのでありますが、吉原幸子さんのこの 本を借りたのは、当方がゴシップ好きなせいであります。 もうずいぶんと前になりま…
【中盤以降の『エース』(2)】 白石「『仮面ライダー』(1971)の敵と違って(『ウルトラマンエース』〈1972〉の)ヤプールは何がしたいんだかもよく判らない。そのあたりは演じていていかがでしたか」 沖田「いろんな超獣が出たんだけど1回も会ったことはないんでね(一同笑)。棒に布切れを巻いて「目線こっち!」「この先、目線でーす」みたいな。 アフレコの帰りにみんなで、東宝撮影所の特撮のところをのぞきに行って。結構広いセットだったですね。超獣と戦うシーンとか。ミニチェアがたくさんあって一発でNGなしでやるのは大変だなあって。手をかけて、いろんな人が携わっているんだなあと思いましたね」 山際「特撮もカ…
はじめに この記事では「帰ってきたウルトラマン」第18話「ウルトラセブン参上!」(脚本:市川森一、監督:鍛冶昇、特殊技術:佐川和夫)から登場したウルトラブレスレットを取り上げます。 登場の経緯 ウルトラブレスレットは第18話で宇宙怪獣ベムスターに敗れて太陽に飛んだウルトラマンにウルトラセブンが授けた武器です。ウルトラセブンはこう言って渡しています。 お前にこれを授けよう。ウルトラブレスレットだ!! これさえ身につけておけば、いかなる宇宙怪獣とも互角に戦えるだろう。さあ地球に戻るのだウルトラマン! この言葉が全てを物語っています。なおベムスターはウルトラマンが初めて戦った宇宙怪獣でもあります。 …
はじめに この記事では「帰ってきたウルトラマン」後半で脚本を書いた石堂淑朗を取り上げます。 略歴 石堂淑朗は1932年7月17日生まれで広島県尾道市久保町出身です。東京大学文学部独文学科に入学し、卒業。1955年に松竹大船撮影所に入社しました。脚本家デビューは1960年の「太陽の墓場」です。ここで大島渚などとともに映画革新運動である松竹ヌーヴェルバーグの中心として活躍しました。余談ですが、大島渚は佐々木守とも仕事をしています。「日本の夜と霧」では大島渚と共同で脚本を書いています。つまり、元々は反権力の人だったのです。1965年以後は松竹をやめてフリーになり、テレビでも活躍します。 円谷プロの作…
2006年、『ウルトラマン』(1966)などで知られる実相寺昭雄監督が逝去したときはショックだった。亡くなる数年前に自ら率いるプロダクションの経営が危機に瀕した実相寺は、次々とオファーを受諾している。その矢継ぎ早な仕事ぶりを見ていて、80歳くらいまではハイペースに創作をつづけると思っていたのだった。関係者の証言を追ってみたい。
【監督 実相寺昭雄 (2)】 中堀「張家口の小学校で、日本は美しい国だと教わる。小学校で幕を張って、稲垣浩さんの『無法松の一生』(1943)を初めて見るんですよ。人力車で小倉の街を通る印象がすごいと。上陸用舟艇に4泊5日で畳1枚で4人寝かされて、苦労して日本に帰ってくるけど、緑の山ばっかりで。日本は綺麗だったんだって降りて列車に乗ったら、全部焼け野原。夕暮れどきに姫路を通過して、壊れた姫路城に夕陽がかかって。この落差は何だろうと思ったと」
1980年代に過剰なまでに供給された反動か、90年代に入ると原爆を描いた作品は減じた。冷戦が一応終結して核戦争の危機が去ったように思われたのもあっただろう。
【『華燭』~『風を聴く日』(2)】 13.『風を聴く日』(1995)脚本:金子成人