南インドの香至国〔カンチープラ〕の第3王子。
般若多羅の法で悟って第28祖の菩提達磨となり、布教のため、海路を利用して3年もかけて中国の広州へと渡った。
が、屁理屈だらけの頭デッカチばかり。その問答好きにはほとほと辟易して、素っ気ない返答ばかりしていたら評判が高まり、梁の皇帝の武帝はその度に有り難がるし、ついには腕を斬り落としてまでも「どうにか弟子に」という慧可〔エカ〕まで現れ、そういう中かの武名高き「嵩山少林寺」を開いて肉体の鍛え直しを図ったり、自らは9年間も巌谷の壁に向ってひたすら座禅を組んで迷いを断ち切ったりした。
これが「火」の気を得て真っ赤になるのは、どうも平安後期以降のようであり、この赤は必ずしも「火の気」ではなく、むしろあらゆる病気平癒で盛んに用いられた水銀=丹砂の感染呪術的な意識が働いたものと考えられ、赤い札や「紅白」などの始原もそれであったので、どうやらこれである。