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2006年11月8日 「ぱふぱふ」はなぜ消えたのか、聞こえない音、エロい日本のドラクエ このエントリーを含むブックマーク

ドラゴンクエストアメリカに移植されたとき、さまざまな修正が行われました。それをつぶさに調べていくと、ドラクエというゲームに隠れた「日本的なもの」の姿が浮かび上がってきます。今日は、我々を包囲する見えない文化について考えます。

 だが、コンピュータインターネットの発達が、全体として人間にどんな影響を与えるかという命題に的確に答えられる人はいないだろう。ファミコンについても、それをずっと続けて育った子供がどうなるか、まだはっきりとわかっていない。

 主人公がいろいろな冒険をしたり、戦闘するRPG(ロール・プレイング・ゲーム)はたしかにおもしろい。出はじめたときは私も徹夜でやったものだが、一ついえることは、ゲームの構成そのもののなかに、また場面、場面のやり取りのなかに間違いなく文化的な要素が入っている。そして、それが必ずしも日本社会の伝統的倫理観ではないことである。子供は与えられたものを当たり前のこととして受け取る。その意味では価値観がグローバル化し、違った価値観が定着していく可能性もある。

養老孟司異見あり 脳から見た世紀末』より

養老先生が徹夜でRPGをやっていた、という話。

「(RPGが)出はじめたとき」とありますが、やはり普通にドラクエあたりですかね? ドラクエ第1作が発売されたのは1986年ですから、養老先生49歳のときです。当時は東大の教授だったはずですが、お仕事のほうは大丈夫だったのでしょうか。

実は養老先生は、日本ゲーム大賞の選考委員長を務めるほどのゲーム好きです。Wikipediaにも、徹夜でファミコンをしようとして奥さんにひどく叱られたが実家に逃げて続行した、などという、50近い大人がやることとは思えないエピソードが書かれています。そうか、これがゲーム脳の恐怖か! みなさん、お子さんがテレビゲームをやり過ぎると、そのうち東大教授になったり、400万部のベストセラー書いたりしちゃいますよ! 怖いですね。

さて、私など完全なファミコン直撃世代でして、養老先生の言う「ファミコンをずっと続けて育った子供」です。確かに私のようになったらおしまいですが、しかし、この引用文には、他にもちょっと気になる指摘があります。養老先生いわく、RPGには「日本社会の伝統的倫理観ではない文化的な要素」がある、というのです。

なるほど、やっぱ、仲間とつるんでスライム倒して金を奪ったりしちゃあいけませんよね! と一瞬思いましたが、よく考えてみると、桃太郎は仲間を集めて鬼退治して財宝奪ってるわけで、同じですな。しかし、まあ、こういうのは物語類型というやつでして、別に「日本的」なわけじゃありません。

というか、むしろ、RPGに日本の伝統的な文化要素なんてあるんでしょうか? 例えば、日本を代表するRPGであるドラクエは、思いっきり中世ヨーロッパの世界観なわけです。仲間に「魔法使い」がいて、イオナズンだのパルプンテだのを唱えている時点で伝統的文化要素もクソもない気がします。どうなんでしょ?

こういうことを考える上で非常に参考になる資料があります。八尋茂樹テレビゲーム解釈論序説』です。

この本の第一部・第一章「ゲーム機のイデオロギー装置的可能性」は、日本で発売されたRPGが海外に移植されたときにどのような変更が加えられているかを調べあげた労作です。同一RPGの日本版と海外版(アメリカ版)を比較すれば、彼我の文化の違いが浮き彫りになる、というわけです。面白そうです。

八尋はまず、宗教に関する修正を指摘します。例えば、ドラクエは、うさんくさいキリスト教的世界観が魅力の作品ですが、ドラクエ3の海外版ではグラフィックから「十字架」を始めとしたキリスト教色が一掃されてしまいました。神父さんは全員ただのおじいさんです。「勇者ロト」は、おそらく旧約聖書の登場人物と同名なのがまずかったのでしょう。"Erdrick"という、誰だお前は、な名前に変えられています。八尋は、「日本人にとって、十字架はRPGの世界観を演出する要素のひとつであり、……宗教的な意味合いや価値をそこに見いだしてはいない」と指摘しています。

また、飲酒に関する修正もかなり過敏なようです。ドラクエ4の「しごとのあとのおさけはさいこーですよ」という台詞が、海外版では"Good food after work is the best!"に変更されているそうです(酒→料理)。そこまですんのか、という感じですが、アメリカのテレビCMでは、アルコールをタレントが飲むシーンばかりか酒を注ぐ音の放送すら禁じられているそうで、そのあたりが反映しているようです。日本は未成年の飲酒に甘いんですね。

また、性的表現については、かなり修正が加えられています。マニアックなゲームの例で恐縮ですが、「SUPER伊忍道」(光栄)の日本版には、次のような台詞を話す人物が登場しました。「お兄さん、ちょっとちょっと! いい薬があるんですよ、これが。これ一服で毎晩ばっちり! 困ってたでしょ?」 この台詞が海外版では次のように変更されています。"Echizen castle and Mt. Ochi are west of here. Echigo castle is to the east."(越前城と越智山はここから西です。越後城は東です)。……いや、それはもはや別人では? なんか、「笑っていいとも」で生放送中に番組進行を邪魔した男性客がCM明けにぬいぐるみに変わっていたという話を思い出します。

もともと日本は、アニメやゲームにおける性的表現にかなり寛容な国です。あのポケモンですら、カスミの服の露出度が高すぎてアメリカの放送倫理規定に触れたため修正された、という事例があります(リンク先は文字だけです)。

そして、ドラクエにおいてもショッキングな修正がありました。なんと「ぱふぱふ」がカットされたのです!

……えーと、「ぱふぱふ」って説明すべきなんですかね。少なくとも辞書に載ってる言葉ではないですし、認知率ってどのぐらいなんでしょうかね。とはいえ、まさかリアル知人に「ぱふぱふ知ってますか?」と聞いてまわるわけにもいきません。私にも表の顔というものがあります。

もっとも、ドラクエ内においても、「ぱふぱふ」という行為の内容が具体例に描写されることはありません。「ぱふぱふ」についてはっきりしているのは、女性にしてもらうものであること、お金を取られることがあること、部屋を暗くして行うこと、とっても気持ちがいいこと、ぐらいです。

「ぱふぱふ」は、ドラクエのほぼ全シリーズに登場しますが、私の調べた限り、少なくともドラクエ1,2,3の海外版では存在ごとカットされたようです。また、中国版では「按摩」に変わっています。うーん、まあ、遠からず、という感じでしょうか。

「ぱふぱふ」の考案者は、ドラクエのキャラクターデザインを担当した鳥山明であるようです。ドラゴンボール2巻が「ぱふぱふ」のおそらく初出でしょう。しかし、この「ぱふぱふ」の正体を知らない人間も多く、さらに、ゲーム内で具体的な描写が一切なされないにもかかわらず、「ぱふぱふ」は、初心うぶな少年たちの心をかきたててきたのです。

その理由の一つに、「ぱふぱふ」という音の魅力がある、と私は思います。

だいたいエロの本質は視覚ではなく、聴覚ですよ。例えば多くの男性は、ポリゴンをトゥーンレンダリングした画像(例えば、ドラクエ8がそうです)でも余裕で欲情できると思いますが、合成機械音の声に欲情することは難しいでしょう。「声優」という職業がなくならないのは、コストの問題ではなく、エロの根源にかかわるからなのです。納得できない方は、「もっともエロいひらがな」を味わうことで、音のエロさに目覚めてほしい所存です。

……お前が変態なのはよく分かったが、RPGにおける日本の伝統的文化要素の話はどうしたのだ、と気をもむ読者のみなさまもいらっしゃるでしょうが、ご安心ください。ここから無理矢理話をつなげるのが吹風日記です。

この、音のもつイメージの喚起力、というのは、実は英語より日本語のほうが上なのではないでしょうか? 例えば、ドラクエで敵を眠らせる呪文は「ラリホー」です。素晴らしいです。らりほー、ですよ? 聞くだけで体から余計な力が抜けていくようです。回復呪文は「ホイミ」です。みなさん、実際に口ずさんでみてください。身体が軽くなって癒されるようじゃないですか。うはは、ほいみ? ほいみー!

ところが、アメリカ版ドラクエ2では、「ホイミ」は”Heal”、「ラリホー」は”sleep”に変更されています。な、な、なんだそれは!? お前らの知能は牛レベルか? これはまさに文化の破壊。「ホイミ」の上位呪文である「ベホイミ」にいたっては"Healmore"です。ばばばば馬鹿野郎、この「ベ」がいいんじゃねえか「ベ」がっ。お前ら全員、死んでしまえ。

日本語は、擬態語が非常に多いことで知られています。ちなみに、「ワンワン」「ポチャン」などの音を表す言葉は擬音語で、擬態語というのは、「ザラザラ」とか「ピカピカ」とか、見た目や手触りなど、音以外の様子を表す言葉ですね。「ぱふぱふ」が擬音語・擬態語のどちらなのかについては、私は一晩中議論できる自信がありますが、ほとんどの読者のみなさまは心底どうでもいいと思ってらっしゃるでしょうから、ここではとりあえず日本語における音のイメージ喚起力に注目しつつ、先に進みます。

日本語の擬音語・擬態語の力は語彙のかなり深いところまで浸透しています。「ざわざわ、ざわめく」「うろうろ、うろつく」「ぴかぴか、ひかる」などのような、擬音語と同じ音をもつ動詞の存在は偶然ではありません。「ぱふぱふ」が海外版ドラクエから削除された理由は、それが性的表現であるという理由だけでなく、「ぱふぱふ」なみにイメージ喚起力のある「音」を、英語という言語が用意できなかったからではないか。

ちなみに、「スライムもりもりドラゴンクエスト」の海外版は"Dragon Quest Heroes: Rocket Slime"です。これだからアメリカ人は話になりません。「もりもり」がいいんじゃねえか「もりもり」がっ。死んでしまえ。

「ぱふぱふ」という「音」の力に注目できたところは、やはり鳥山明の天才たるゆえんでしょう。ちなみに、漫画における擬音というとジョジョのゴゴゴゴゴなどが有名かと思いますが、最強はやはり手塚治虫が考案したと言われる無音を表す擬音「シーン」です。まさに神の仕事です。もっとも、静寂を音で表現する、という発想は歌舞伎に既にあり、音もなく降る雪を大太鼓の連打で表現する技法などがあるそうです。

(11月15日追記)この「シーン」については、「ンなもん日本語に昔っからあるやんけ。手塚がオリジナルとはどういうこっちゃ」というもっともなツッコミが各地から入っています。上記段落は、「漫画の擬音」という文脈の中ではありますが、やはり普通に読めば、「手塚がシーンという擬音自体を考案した」という意味にとれるわけで、これは拙い。絶望書店日記さんご指摘のように、日本には古くから「しん」「しいん」「シーン」で静寂を表す用例があります。古いところで平家物語巻第二の「森森として山深し」とか(これは「しんしん」ですよね? 「もりもり」だったら笑えますが)。というか私は、リンク先のWikipediaが明らかに間違っていることに執筆時点でまったく気づいておらず、とにかくダメ過ぎなのでした。今後もご迷惑をおかけするかと思いますが、生暖かい目で見てやってください。読者の皆様には失礼いたしました。(追記了)

えー、なんだか「ぱふぱふ」の話ばっかりになってしまいましたが、そろそろまとめに入ります。

先述の『テレビゲーム解釈論序説』には、興味深いことが書いてあります。アメリカでは、そもそもRPGというジャンルがほとんど売れていませんが、その理由としてアメリカ人の識字能力の問題があるのではないか、というのです。実際、『テレビゲーム解釈論序説』には、RPGが嫌いなアメリカの高校生の、「学校の教科書を読まされるだけでも嫌な思いをしているのに、家に帰ってきてまで文章を読むなんて、全く信じられない」という言葉が紹介されています。「全く信じられない」のはこっちです。

日本の識字率が、伝統的に高水準であったことはよく知られています。江戸時代に来日したシュリーマン(トロイア遺跡の人)は日本人の識字率の高さに驚いたそうですし、また、江戸時代の日本には約6000軒の出版業者があったそうですが、現代の出版社数が5000弱であることと、当時の人口が現在の5分の1程度であることを考えると、これは異常な数字です。それだけの読者人口がいた、ということでしょう。

要するに、物語主導のRPG、というジャンル自体が、かなり日本的と言えるのかもしれない、ということです。これぐらいの文章は読めて当然だよね?というしきい値が、日本とアメリカで、まったく違うかもしれないのです。

こうしていろいろ見てみると、当初は日本的な要素などまるでないように見えたRPGの世界ですが、実は隠れた日本的価値観に支配されていることが分かります。

我々は、見えない「日本」に包囲されているのです。

それは手塚治虫の「シーン」という擬音のようなものです。漫画表現における「シーン」は今や当たり前のように使われていますが、しかし、英語には同じ意味をもつ擬音はありません。そして、「シーン」が「聞こえないけれど存在する音」であったように、文化の本質というのは「見えないけれど存在するもの」なのです。

日本の伝統的な文化や思想を教えようとすると、「自分にはそんなもの関係ない」ということを言う生徒がいます。関係ないはずがない。気がついたときには我々は既に「日本」に束縛されているのですから。それは単に、自分が日本的価値観にがんじがらめになっていることに気づいていないだけです。

何にも縛られることなく自由にものを考える、というのは、簡単に見えて本当に難しいことです。というか、人間にはそんなことはできないのかもしれない。でも、もし、少しでも「自由」へと近づく方法があるのなら、それはきっと「学ぶ」ということ、「知る」ということであるはずだ、と私は思います。

知ることは自由になることです。

というわけで、アメリカ人は、直ちに「ぱふぱふ」の魅力を知るべきです。あと「らりほー」も忘れないように。これを結論としまして、今日の話を終わりたいと思います。

choquechoque 2006/11/09 09:16 ドラゴンボール自体もアニメ/漫画で世界中に輸出されてますが、件のぱふぱふはどうなってるんでしょうかね?

scrapcodescrapcode 2006/11/09 12:42 非常にうろ覚えで間違っているかもしれませんが、らりほーなどの呪文はアラビア語が元だったような気がします。

unaponunapon 2006/11/09 15:34 効果音と言えば、ドカベンで岩鬼が打つ時のグワラゴワガキーンも素晴らしいと思います(笑)
あと、「ハチミツとクローバー」もなかなかイカした効果音使ってて印象に残ってます。

k_oniisank_oniisan 2006/11/09 17:05 「ぱふぱふ」は「Dr.スランプ」にも出てたような記憶があります。確か、せんべい博士がある女の子にスリーサイズを聞いて、バストが85なら「ぱふぱふ」できる、みたいなやりとりがあった気がしますが、全く記憶違いかもしれません。もしかしたら、リンク先で引用している単行本の前の頁あたりで亀仙人がしゃべった台詞かもしれませんね。ま、どうでもいいですけど^^;

yoshifumi1975yoshifumi1975 2006/11/09 17:06 ラリホーは、白雪姫に出てくる小人たちが
「ら・り・ほー ら・り・ほー」って楽しそうに歌ってるのから取ったんだよ、きっと。

奈々氏奈々氏 2006/11/09 19:48 養老さんがゲーマーだとは知りませんでした。面白いですね。
ちなみに七人の小人が歌ってるのはハイホーじゃないかと記憶しています。

FummyFummy 2006/11/10 00:27 漫画をMangaとして翻訳するときは左右反転してネームを差し替えますが、一番手間がかかるのが描き文字の擬音とか。

ドラクエの呪文はまさに天才堀井雄二の感性爆発ですな。FFの回復呪文「ケアル」など自分でも思いつきそうな気がしますが「ホイミ」なんて絶対出てきません。

個人的に「ラリホー」の元ネタはこれかと思ってました。
http://www.youtube.com/watch?v=PBWX9OP_XSQ

yuzyuz 2006/11/10 04:16 中文版ドラクエのぱふぱふが按摩になっていることですが、
ぱふぱふの意味自体は変化しているけれど、
一般的に性風俗に誘われる状況としては正しいですね。

リンクページの画像に「要不要按摩?」と表示されてますけど
中国でこの尋ね方は性感マッサージを誘う言葉ですから。
中文ドラゴンボールの挟挟は聞いたことないですけど。
後に説明があるからこの場合はこれで通じるんでしょうね。

松虫松虫 2006/11/10 11:20 お酒を飲む場面の削除ですが、お酒がタブーというのは海外ではけっこうありそうです。

たとえばアメリカには「ドライ・カウンティ」と呼ばれる街があります。そこではお酒は売ってません。あとイスラム教もお酒は禁止だし、そのあたりは宗教の関係かも。

でも、英語の歌で「Puff the Magic Dragon」なんてのもあるんだから「ぱふぱふ」が消えたのはほんとに謎ですね。

あるある 2006/11/10 11:25 結局、本当のところはよくわかりませんよね、ぱふぱふ。
確実にドラゴンボールのものとは別物…というかシリーズ内でも統一されてませんよね。
相手が実はおっさんだったり、とくぎでモンスター相手に出来たり…。
勝手に「性的なもの」と解釈した米国人はエロスもほどほどにしておけ、と。
あちらではオノマトペの概念が薄いせいもあって、表現しかねるということなんでしょうが…。

ともかく「ぱふぱふ」はそれ以上でも以下でもない、魅惑の言葉です。

ma2ma2 2006/11/10 11:34 ドラクエの高位呪文に追加される「べ」と「ま」は,元々は「very」「much」からとったんだろうと思っています。英語化するときになくなるなんて本末転倒ですねえ。

iduruiduru 2006/11/10 11:48 もともとドラクエは、海外移植作と、その類型しか作られなかったPCRPGに対して、「コンシューマーにして、国民的にするには日本的なものを作らなければ」という命題で作られた「純国産RPG」です。
個人的には、まさに天才的な言語感覚を持つ堀井氏だからつくり得たと思っています。
例えば、当時大流行していたコンピューターRPGの素にして伝説的作品のウィザードリーでは
火炎攻撃呪文は「ハリト」回復呪文が「ディオス」でした。これって我々日本人の感性では違和感を覚えません?
そこで堀井氏は、攻撃呪文を「ギラ」等の濁音系、回復を「ホイミ」という「いかにも日本人に癒しに聞こえる語感」に設定したそうで。
他にも、ギブアンドテイクが基本の欧米RPGのシナリオを「義理と人情で行動し、無償で世界を救う勇者」というテーマに書き換え
多くのRPGで一般的だった、金で雇う「傭兵」を排除して、「血縁と宿命と友情で結ばれた仲間」を導入しました。
ドラクエのシナリオを注意深く追ってみると、正義や野心よりは、やたらと義理人情、そして、血縁関係が強調されているのに気づくはずです(欧米の典型的ファンタジーの英雄にも良くある「〜の系譜」とはちょっと違う、もっとメンタルでウエットな意味で)
他にも、行く先々で悪を滅ぼす「善と悪の戦い」ではなく、あくまで「勧善懲悪」。善を勧め、悪を「懲らしめる」。性善説に立って、人の世から「悪を払拭させる」のが目的(悪人を排除するのではなく)のシナリオ(もちろん「敵を倒してなんぼ」というRPGというシステム上の限界はありますが)等々
これはもう、ファンタジーの皮を被ったTV時代劇と言える位です(だからか、欧米ではドラクエは日本産RPGの中でも際立って人気がないようです)
また、前述のように堀井氏の日本語感覚が素晴らしい。漢字も使えず、文字数も少ない当時のハードの制約。それを逆手にとって生まれたドラクエの語感は独特で、それ故、今でも語り草になる伝説的言い回しがいくつもあります。
例えば有名な「へんじがない、ただのしかばねのようだ」ここで「したい」ではなく「しかばね」を選ぶセンスが凄すぎます。半裸の兜を被ったモブキャラは「あらくれ」「むほうもの」でははなく「あらくれ」です。
他にも枚挙に暇がありませんが、この言語感覚は特別です。とても凡庸なRPGにはマネできません。そしてこれこそ文字で遊ぶRPGにおいて、ドラクエの本体とも言える物だと思っています。そのセンスは、最新作「8」に至っても、いささかも変わることがありません。
その後、国産RPGはそれこそ星の数ほど作られ、その中には優れた傑作も沢山ありました。私も若い頃はそんな醤油臭さを嫌って、カッコイイセンスのRPGを追い求めました。しかし、巷に凡庸なRPGが氾濫し、また年を食うごとに思うようになりました。
多くある傑作国産RPG。しかし、その「日本的文化性」においては、あくまでドラクエが雛形であり、そして今もって決定版だと。

空牙空牙 2006/11/10 12:03 遅ればせながらカキコさせていただきます。
ドラクエの呪文は当時ファミコンの性能のため、カタカナは20文字(20種)しか使えなかった為、その20文字を組み合わせて無理矢理作ったとか
つまり意味合い的な物はあまり無いように思います。
濁音などのイメージはあるのでしょうが・・・

iduruiduru 2006/11/10 12:32 >空牙さん
ドラクエの語感が文字数制限によって生まれたものだと言う事は知っていますし、また、本文中でも指摘しています。

>漢字も使えず、文字数も少ない当時のハードの制約。それを逆手にとって生まれたドラクエの語感

多分「しかばね」も、当時の「子供向け」というゲームへのイメージから「死体」というのが不適切だという判断が下されたのが真実でしょう。
(実際1では敵を「たおした」だったのが、2からは「やっつけた」になってますし)
しかし、その制約の中であれほどのセンスを発揮できるのは素直に凄いなあ、と。
それと、ウイザードリィと比較した呪文の語感の話(と全編で「日本人のセンス」を意識したというくだり)は
昔出版されたドラクエの開発秘話本や、当時の某コンピューター誌のクリエイター対談で直接本人が語った事を元にしていますので、確かでしょう。
(うろ覚えではありますが)
中身には、いくつか当時のゲーム批評本から貰った点もありますが。

kanimajinkanimajin 2006/11/10 12:47 皆様の熱いコメントの勢いを借りて初カキコ致しますw
いつも楽しく拝見させております。

しかしベホイミをHealmoreとは・・・。
じゃあベホマはHealbestでベホマズンはHealbestAllですか?
けしからんことこの上ないですな、まったく。

しかし一般的に初代RPGと呼ばれるWizardryにはハリト→マハリト、ディア→ディアルなど、一音付け足して呪文の威力を拡大する方式が取られています。

ドラクエはてっきりこの方式を汲んでいると思ったのですが、本家アメリカがこういう変換をするということはどうやら違うみたいですねぇ。

あ、後Myブログにてリンクを貼らせて頂きました。
「断りはいらないよん」風な記述も拝見しましたが、まあカキコついでに礼儀を通すということで一つw

iduruiduru 2006/11/10 13:03 >kanimajin
イオ系は「bomb」だそうで
それじゃあ(もちろん文字数制約から生まれたんでしょうが)
「直接意味が分からないのが呪文らしい」という意図をまったく無視している翻訳ですよね。
言葉が平板でチープになってしまったら、ドラクエなんて単なるオーソドックスでつまらないRPGになっちゃいますよね。
(もちろん絶妙のバランスと、「日本臭い」シナリオはありますが)
翻訳はちゃんと原作の意図を汲んで行って頂きたい!

iduruiduru 2006/11/10 13:04 >kanimajinさん

敬称付け忘れて、呼び捨てにしてしまいました。
すまんです。

kanimajinkanimajin 2006/11/10 17:42 >iduruさん
いえいえ、お気になさらずw

しかし「bomb」とはまた酷いもんですな。
まさかメラ系は「Fire」、ルーラは「Teleport」とか・・・?
ぬおお、そんなドラクエは見たくねぇ! って感じですねw

アメリカ人には、説明書を見て呪文の効果を確認する瞬間の、あの何ともたまらん胸のトキメキ感が理解できないと見えますw

ortort 2006/11/11 11:00 夜寝る時に全く音が無い状況になると、「キーン」だか「シーン」だかいう音が聞こえますよね。
このせいか手塚治虫の「シーン」という擬音が非常に自然に聞こえるのも分かる気がします。
当の本人は直感で書いたのでしょうが天才っておそろしいですね・・・

spiaggiaspiaggia 2006/11/11 12:26 はじめまして。

ぱふぱふ、今でもドキドキする懐かしい言葉です。
記事を読み、改めて日本語の面白さに気付きました。

小学生のころに少女マンガではなくドラクエにはまっていました。
「ファミコン」全盛時代のあの頃の、
エロだけどギリギリだいじょうぶ?な感覚が好きでした。

アルファベットを使う言語ではなく、
土着の感覚的な母語の地に生まれたことに感謝し、
そこで育った感性に改めて嬉しくなり、一人悦に入っています♫

k_oniisank_oniisan 2006/11/11 15:46 炎上でもないのにこんなにコメントつくなんて・・・
みんなぱふぱふが好きなんだなー。
オ○○○○ーってツッコミはお断りします^^;

shariasharia 2006/11/11 20:05 ”Erdrick”は、聖的な名前だったような・・・。フィリップ・k・ディックの『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』のあとがきにその辺りが記載されていたのですが、うーん、手元にない・・・。Johnny先生にうまい指摘ができなくて申し訳ないです。

痛風に吹かれて痛風に吹かれて 2006/11/13 12:35 puff puff give で引くと
いろいろ出てきます。
ドラクエ以外に俗語の起源はあるようで、
どうもよろしく
ないように読めます
(よくわらかんのです、英語力ゼロ)。
ttp://www.urbandictionary.com/define.php?term=puff+puff+give

アダ○ト作品も同名であるみたいです(笑)。
俗語的にはmuffもヤバいです。
こんなん書いてよいのかな
マフダイバー。。。
(カタカナだからいいや)。
で、音的に近い上にやることもアレだから、
パフパフもどうか、と愚考します。

痛風に吹かれて痛風に吹かれて 2006/11/13 12:37 すいません、つい調子に乗って。中学生も興味を持つのは確実ですけど、中学生に読ませるのはどうか、な内容でした。適宜管理人権限で。。。いつも駄文ですいません。

TAKA128TAKA128 2006/11/13 12:41 アメリカ人の感性のなさは死んでしまえって感じですが,
最近のドラクエ日本版の呪文もひどくなってきてませんか?
ディバインスペル,グランドクロス,マジックバリアにほんとに堀井雄二はOKを出したんだろうか?

sho_tasho_ta 2006/11/13 23:19  もちろんJohnnyさんはわかっててわざと書いているんでしょうが、コメント欄を読んでみると誤解されてらっしゃる方がいるようなので、書いてみます。
 まず一点。
 Johnnyさんは面白みを狙って「(アメリカ人の感性は)牛レベルか?」と書いていますが、もちろん違います。これは翻訳という作業(どこかの母語を、別のどこかの母語に移し替える作業)が本来持っている「暴力性」に由来するものです。
 翻訳とは根本的に「創造」であり、それゆえにある種の暴力性がつきまといます。

 例えば「ホイミ」を「Heal」、「ベホイミ」を「Healmore」と書くのは確かに乱暴です。「音」を重視する日本語文化を軽視している、と言えなくもない。けれども同じことは「英語→日本語」でだって充分起こり得ることだし、現に起こっていることです。

 有名なところでは「羊」の英訳があります。
 英語には「sheep」、「ram」、「ewe」、「lamb」などの単語がありますが、これが日本語ではまとめて「羊」です。辞書を引けばそれぞれ「ram」には「=雄の羊」、「lamb」には「=子羊」などと注釈が付いてますが、例えばそれを「あー、lambね、子供の羊だろ?」などと言えば、怒るアメリカ人(もちろん英国人も)だっているでしょう。あたかも「ホイミ」を「Heal」と訳したのに憤りを感じる日本人のように。

 皆さんご存知の『羊たちの沈黙』という作品があります。こちらの原題は『The Silence of the Lambs』。「The Silence of the sheep」ではありません。なぜ「Lambs」なのか? 原作の小説を読めばわかりますが、そこにはクラリス(映画ではジョディ・フォスターが演じてました)の過去が大きく関わってきます。ネタバレになるので書きませんが、英語を母語とする人たちにとっては、「sheep」と「the Lamb(s)」では大きな違いがある(ヨハネ黙示録にも「lamb」は出てきて重要な役割を果たします)。けれど日本語に訳すと、どちらもただ「羊(たち)」です。
 それこそ「お前らの知能は羊レベルか?」と言われても仕方がありません。
 
 これは日本語と英語、どちらが優れているとかいう問題ではなく、「言語」にはそれぞれ土着の文化背景があり、だからこそ「翻訳」は創造であって、ある種の暴力性がなければできないんだ、ということだと私は理解しています。

 もう一点は、「真夜中に耳をすますと、確かにシーンとかキーンとか聞こえるような気がする」(大意)と書かれてらっしゃる方がいらっしゃいました。これは解釈とか感じ方の問題になるのですが、それは「言われてみればシーンと聞こえるような気がする」というよりもむしろ、「静寂にはシーンという言葉が当てられているとあらかじめ知っているからこそ、シーンと聞こえるようになった」と解釈すべきではないでしょうか。
 
 ここに、我々日本人が「羊」と「sheep/ram/ewe/lamb」との違いを理解できない決定的なポイントがあると思うわけです。我々はすでに「日本人」として、母語である「日本語」を獲得してしまった。静寂といえば「シーン」と聞こえるよう訓練されてしまった。だから我々日本人は、あの「毛むくじゃらでモコモコした四つ足の生物」を見ても、「あ、羊だ」としか認識できないわけです。

 ここには「壁」があり、我々の認識、語彙という「檻」があります。そしてJohnnyさんがこの元エントリの最後段で言っている「自由」とは、この檻というか壁というかの存在を、「せめて知ろう」ということだと思うわけです。

feng huangfeng huang 2006/11/13 23:38 はてなでブログ書いているわけではないのでTB出来なかったので記事にさせていただきました
こちらは参考までに

アメリカでDQが売れない理由は映像面だけかと思っていたのですが、考えると色々とあるんですね
この呪文が魔法でない感覚がDQのよいところの一つ
そして「ぱふぱふ」
アメリカ人もぜひ一度は味わって欲しいですね
目をつむって音だけ聞くと・・・とか

↑の方のために少し修正しますと「グランドクロス」は『ダイの大冒険』が元ネタです
他は分かりませんが・・・
けど、「ペスカトレ」とか8でDQっぽい呪文も出てきたので今後に期待です

kikori2660kikori2660 2006/11/14 04:39 >静寂といえば「シーン」
そういえば、日本人における秋の虫の音や雨音に対する感覚は他の国の人とは違う、という論文をどこかで読んだ気がします。

MrJohnnyMrJohnny 2006/11/14 06:39 みなさん、たくさんのコメント、本当にありがとうございます。感謝感謝です。ちょっと私のほうは私生活のほうがすっかり修羅場ってしまい、レスが滞っておりましたが、23人分、ぱしっとコメントを返させていただきます。

choqueさん、海外版ドラゴンボールは検索してるんですが、あんまし具体的な情報が手に入りません。とりあえず、中国版だとこんな感じです。この調子だと「ぱふぱふ」がサバイブするのは難しそうですな……。http://engelszimmer.net/neta/-051130/chinesedb.htm

scrapcodeさん、ラリホーアラビア語説ですか! アラビア語って、母音がa,i,u,ai,auの5つしかない、というのが私の半端な理解なんですが、これだと「ホー」の音はどうなるんでしょ? ラリフー?

unaponさん、私にとって印象に残った擬音と言えば、萩原朔太郎の「おわあおわあ」ですかね。これが猫の鳴き声ってんだから、もう。

k_oniisanさん、言われて見ると、ぱふぱふは「Dr.スランプ」にあったような気がして来ました。「バストが85ならぱふぱふできる」とのことですが、この妙なリアリティを感じる数字はただごとではありません。やばい。明日から女性を見る目が変わりそうです。

yoshifumi1975さん、白雪姫の小びとって「らりほー」って歌ってましたっけ? そうか思い出した! それで白雪姫は眠ってしまったのでしたね!(違います)

奈々氏さん、養老先生のゲーム好きはかなり筋金入りのようです。森教授に脳波調べてほしいです。

Fummyさん、「スーパースリー」が「ラリホー」の元ネタというのは、大いにありそうですね。堀井雄二13歳の作品ですから、影響バリバリかもしれません。ところで、今Wikipediaで「スーパースリー」を調べたら、「日本のゲイビデオメーカー」という説明しかなくて泣きました。「主なシリーズ」の冒頭が「ノンケ痴漢」ですよ。あんまりだ。

yuzさん、おおおっ、すげえ貴重な情報ありがとうございます。中文版ドラクエの「ぱふぱふ」の訳の「按摩」には、性感マッサージの意味もあるんですね。まあ、これでも「ぱふぱふ」のもつ正体不明のドキドキ感は再現できてないのかもしれませんけど、かなり優秀な訳ですねえ、これは。

松虫さん、宗教上の規制、ということであれば、仏教にもけっこうストイックな感じの戒律があるはずなんですけどねえ。まあ、殺生禁を破りまくってる時点で、RPGは仏教的にダメダメですけど。私の来世はマドハンドに決定しています(経験値稼ぎでマドハンドを狩りまくったので)。

あるさん、「『ぱふぱふ』はそれ以上でも以下でもない」というご指摘には強く共感するところですな。そういう意味では、言語の翻訳不能性が鮮鋭に現れた言葉かもしれません。

ma2さん、高位呪文をつくる「ベ」と「マ」がveryとmuch、というのは初耳です。大変面白いです。日本語にも強調の接頭語をつくる「ブ」(ぶっちぎるetc)とか、「マ」(まっしろetc)とかありますね。

iduruさん、熱い書き込みありがとうございます。長文コメント大歓迎です。「ファンタジーの皮を被ったTV時代劇」というのは言い得て妙ですな。DQ5なんか将軍の御落胤ってなもんですか。それから、「文字で遊ぶRPG」という表現もなんだかじわりとキます。

空牙さん、当時のハードの文字制約から、あの独特の語感をもつ呪文たちが生まれたというのは、面白いですよね。日本の俳句とか、西欧の詩文の韻などの強い制約が豊かな言葉の世界を生んだのと近いのかもしれません。

kanimajinさん、Wizardryの「ハリト→マハリト」などの呪文拡張は、やはりご指摘の通り、ドラクエも踏襲したのではないでしょうか。この辺は、Wizardryを作った人間と、ドラクエを移植した人間の「やる気のあるなし」の違いかな、と思います。

ortさん、「4分33秒」で有名なジョン・ケージは、無音室に入ったときに2つの音を聞いたそうです。1つは低音で、血液循環の音。もう1つは高音で、神経系の音だったとか。ひょっとしたら、「しーん」は神経の音かもしれません。

spiaggiaさん、はじめまして。「エロだけどギリギリだいじょうぶ?な感覚」というのはよく分かります。「ゆうべはおたのしみでしたね」とか「あぶないみずぎ」とか、最高です。このバランス感覚って、今の子供文化にあるんですかねえ。

k_oniisanさん、なんせ書いてる人間が「ぱふぱふ」大好きですから。おかげさまで、このエントリ単独で4万ヒットしました。

shariaさん、ややや、そもそも私は、ロトの別名であるところのErdrickと、P・K・ディックの『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』とが脳内でつながってませんでした。ディック好キーとしては許し難い失態でした。しかし、英語版Wikipediaで”Erdrick”を検索しても、いきなりDragon Questのページが開く有様で、手がかりなしです。情報求ムという感じであります。

痛風に吹かれてさん、こ、これは痛恨の一撃かも。一応、私も”puff puff”は辞書で調べてから書いたんですが、しかし、その辞書はいいですね。使わせていただきます。で、ご指摘のぱふぱふですが、これは大麻を吸う擬音のようですが、日本の「ぱふぱふ」のような擬態語的な働きはないように思いますが、どうでしょうか。しかし、どうでもいいですけど、マフってマフラーと同源なんですよねえ。一つ上の男、みたいな。

TAKA128さん、「ディバインスペル」「グランドクロス」は、ドラクエのエセキリスト教的世界観にマッチすると思われたのではないでしょうか。まあ、「マジックバリア」はちょっとどうかと思いますけど。

sho_taさん、ありがとうございます。私もこのエントリも幸せものです。もっとも、「MrJohnnyの真意」というものは別になくて、私は皆様のコメント読んで、なるほどこの文章はそういうことだったのかと納得しているようなボンクラ野郎ですけど。ところで、「シーンという擬音を知ったからこそ、静寂がシーンと聞こえるのだ」というご指摘で、この吹風日記の最初のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/MrJohnny/20060420)を思い出しました。そのエントリと同じ養老先生の文章を、この「ぱふぱふ」のエントリでも引用してるんですねえ。なんか、一周した気分です。

feng huangさん、各種辞書によりますと、アメリカ人が”puff puff”という音を味わうと、汽車がポッポッと走る様子とか、煙草をプカプカふかす様子とか、口から息をプップッと吐く様子が浮かんでくるっぽいです。ちなみに私は「ペスカトレ」という言葉から、今だにスパゲティしか浮かんできません。

kikori2660さん、虫の音を聞くときに活動する脳の部位が、日本人と欧米人とで違う、という角田忠信教授の御説のことですね。この説の信憑性はともかく、虫の声を楽しむという習慣は、日本と中国以外ではあまり聞かないようです。

gongon 2006/11/21 05:42 実は今手元にドラゴンボールの逆輸入版(¥1334)を持っているのですが、パフパフはPUFF-PUFFとなってましたよ〜。ちなみに単行本の値段は$7.94 USA/$12.95 CANと表紙に書いてありました。(カナダたけ〜)。あと暴力を含むからと推奨年齢が13歳以上と書かれていました。13歳って・・・俺小2から読んでたんだけど?

ああああああああ 2006/11/21 23:08 気を使ってhealとかにしちゃったのが間違いですね
アメリカでもウィザードリィーで魔法名は意味不明ですし。
まほうを選んで
・回復 ・もっと回復
・火  ・もっと火

だったら興ざめですしねw
これでは売れませんよw

とくもととくもと 2007/01/17 10:07 BLOGが発達したのはアメリカからだった。日本には日記という
文化があるのにだ。アメリカの日刊紙などみると、ものすごく
厚いのに驚く。日本の新聞が活字を大きくする、内容をわかりやすくするなど、年々劣化をし続け、ついにはWEB上の短いニュース記事にすら劣るぐらいまで品質が劣化しているにも係らずだ。

確かに活字をエンターティメントとして捉える発想は日本には
古くからあった、(世界最古のエロ小説「源氏物語」が生まれたのは日本だし、この頃はプレステゲームの反動か活字ばかりのノベルズものがゲームとして定着しているし)だが、プログラミング言語を生み出し、WEB文化を定着させたアメリカ人の
底量も侮れない。言葉遊び(音声言語だが)も日本より盛んだ。日本の漫才や落語、講談といった文化からはラップのようなパワフルなものは絶対出てこないだろう。

おそらく、言語やエンタの捉え方に日米で何か質的に異なる点があるのでないか。量の問題でないような気がする。

mieszkomieszko 2007/01/21 08:44  アメリカ人の識字に対する意識とRPGのくだりを読んでいて思い出したのですが、アメリカ人留学生いわくアメリカのオタクの間ではTRPGの普及率が非常に高いそうです。日本でも一時期雑誌なんかで紹介されてTRPGのプレイ記録の出版なんかは読まれてたわけですが、今TRPGを遊んでいる若い人なんていないですよね。向こうではまだまだ現役で、日本に来てる留学生がTRPGクラブなんかをよく作ってます。RPGの普及率と比べてみるとちょっと象徴的だなと思いました。

 ちなみにアメリカのOTAKUというのは日本で報道されているほどいい身分ではないそうです。一般にサイファイ=キモイらしく、ブレードランナーでさえ「超キモくなぁ〜い?」「うざい」みたいな声が挙がると泣きそうな顔で語ってくれました。ジャパニメーションなんて論外です。以前からなぜ外人はあんなにファックとビッチを多様するのだろう?と不思議に思っていましたが海外でしばらく過ごしてわかりました。基本的にファックとビッチの世界だからです。「ぱふぱふ」にはファックでもビッチでもない、なにか日本独特のやわらかないやらしさがあっていいですね。日本人に生まれて本当によかった。

nabenabe 2007/01/25 13:48 前回の更新から78日経過記念カキコ。
死亡率90%超ですよ!
MrJohnny氏の身に何かあったんでしょうか…。

空 2007/01/29 00:40 祖国とは言語です。

kanimajinkanimajin 2007/02/27 23:42 どうもお久しぶりです。
長らくご愛顧頂いた当方のブログですが、この度サイトを移転することに致しました。

新サイト名とアドレスは、下記のようになっております。
宜しければ、移転先でも変わらず相互リンク頂ければと思います。

すでに旧名「かにマジンの麻雀よろず市場」を相互リンク頂いている方は、お手数ですが名称の変更と、旧やおよろずの削除をお願い致します。

◆サイト名:麻雀講座 かにマジンの麻雀やおよろず
◆アドレス:http://mahjongblog.blog89.fc2.com/
◆リンク:<a href=”http://mahjongblog.blog89.fc2.com/” target=”_blank”>麻雀講座 かにマジンの麻雀やおよろず</a>

また、勝手ながら、移転先にて御ブログをリンクさせて頂きました。
今後とも、変わらぬご愛顧を宜しくお願い致します。

ブログ黄泉ブログ黄泉 2007/05/05 14:25 こちらの記事が面白かったので、紹介させていただきました。

http://blogyomi.seesaa.net/article/40740131.html

otonoton 2007/08/10 09:14 mieszkoさん

TRPGについてちょっと思うところが。
アメリカのTRPGはスラッシュ&ハックが中心のものが主流です。
あとはホントにウィザードリィみたいなダンジョンもぐって宝物もってかえってくるみたいな。
識字率はあんまり関係ないかな、とか。

それから今の日本でも若い人はTRPGやってますよ。むしろ最近復興しつつあるというのが定説です。オンラインセッションとかも多いですしね。
ちなみに日本でいま流行っているTRPGは、複雑な物語を進めていくものが中心で、ここらへんにも文化の違いを感じています。ご参考まで。

いいよいいよーーwwwwwいいよいいよーーwwwww 2009/06/13 22:46
シャワー後にイ ラ マ チ オ・ク ン ニで指ホジリしながらクリを攻めていたら
女はカリに舌をレロレロしながら足ピーン!でヒクヒクでした(´・ω・`)
下口がつゆだくだったので、もちろんそのまま生騎乗(`・ω・´)
女がイって思考回路落ちてる隙を狙って中 出 し実行wwwwww
やっぱ中 出 しがイイよねー(・∀・)!!

http://shiofuki.navi-y.net/Zp3sjty/

リクルートスイーツ(笑)リクルートスイーツ(笑) 2009/06/20 23:14
スイーツ(笑)女って実はスゲー金持ち多いんだね(^^;
コンビニ店員の俺涙目だったけどコレ始めてから立場逆転だしwwww
俺の言う事何でも聞くし金もたんまり貰えるというねwwwwww
こないだも俺のツィンポに生クリーム付けて顔真っ赤にしながらもベロベロうまそうにしゃぶりまくってたよヽ(´ー`)ノ

http://ahan.yumenokuni.net/T5RU0us/

ち んち んは不景気知らずち んち んは不景気知らず 2009/06/21 04:30
世間は不況で騒がしいけど、はっきり言って俺には無縁だねw
ち ん こ触らせてあげて顔にぶっかけてあげるだけで5万貰えるしw
いやー世の中チョロイっすわwwwwwww

http://dopyun.quitblue.com/jRkk3EZ/

これなんて錬金術??これなんて錬金術?? 2009/07/04 10:04
> 教えてくれた人
書き込み消えてるから名前わかりません(すいません・・)
半信半疑で試してみたんすけど、その日にハメちゃいましたwwww
本当に一発で5万貰えるって思ってなかったんで正直ビビりましたよ(^^;
思ってる以上に世の中甘いもんなんすねーーwwwww

http://d0ASayq.dashinuki.adult-value.com/

えふwwえふwwえふwwwえふwwえふwwえふwww 2009/08/17 13:55
ケイジの奴・・ネットやっててコレ知らないって何なのwwwwww
金に困ってるみたいだから教えてやったらソッコーでヤりやがったしww
てかあいつキモデブなのに何でいきなり8 万貰えてんの???
わけわかんねぇしwwwwwww

http://kachi.strowcrue.net/rA9AhNE/

転職 面接転職 面接 2009/10/20 15:56 養老さんがゲーマーだとは知りませんでした。ちなみに七人の小人が歌ってるのはハイホーじゃないかと記憶しています。

エントリーシートエントリーシート 2009/10/20 16:04 確かに「ぱふぱふ」ってエロい響きですね。
どうしてもこの4語を聞くと、ある想像が浮かびます。

小学校 受験小学校 受験 2009/10/20 16:05 もう秋って感じですね!風邪などひかないように頑張ってください。応援しています!

シミシミ 2009/11/07 19:26 インフルエンザ大変みたいです。気をつけましょう。

風邪ひき風邪ひき 2009/11/18 13:25 私も結構熱が出てしまって大変です。お互い気をつけましょうね。

魔法使い魔法使い 2009/11/18 13:26 私はラリホーの呪文が好きでしたね。
あれも外人受けするのでは・・・

櫻井規善櫻井規善 2009/12/26 21:03 ドラクエは、大ファンです。
でも、ぱふぱふは、あまり気にしていなかったですね。

野呂野呂 2010/01/04 14:02 ドラクエは、基本的なところは変わらなくても、どんどん進化してますね。

利哉利哉 2010/01/17 13:34 「ぱふぱふ」って結局なんなんだろう?
ドラクエでも、特別な効果はなかったような気がしますが。

浩 2010/01/22 22:30 うーん。いろいろ奥が深いですね。

進治進治 2010/02/02 22:55 ぱふぱふとラリホーのような間接魔法って、あまり使わないんですよね。
どうしても、攻撃魔法を使ってしまいますね。

渡邊渡邊 2010/02/14 19:52 ぱふぱふとラリホーか。私がドラクエを行う時には、あまり使わない方の魔法?ですね。魔法で使うのはザオリク、ホイミと、ギガデインぐらいかな。

8181 2010/02/22 22:37 RPGって、やっぱり日本的なのかな。ドラクエもアメリカでは、あまり流行らなかったと聞きますし。
ぱふぱふや、ラリホーを理解するのは、さらに難しいかも知れませんね。

長里長里 2010/03/02 20:52 ぱふぱふって何か隠されてるような気がして・・・(笑
ラリホーでいい夢みるしかないっすね^^;

よかよか 2010/03/09 21:12 パフパフの魅力がわからない人がいるんですかねぇ(笑

能和能和 2010/03/11 22:48 ぱふぱふって、結局なんなんだろう。
ドラクエをやってて、いつも感じますが・・・

ショコラショコラ 2010/03/24 12:01 ぱふぱふって何なんでしょうね?
いったい、何を見て思いついたのか^^;
でも、なぜかとっても大好きですが〜♪

青汁青汁 2010/03/25 22:30 ぱふぱふ使ってパーティー全滅したことあります(TT)

苦情苦情 2010/03/31 02:08 エステナードソニックの苦情

ニキビ対策 化粧品ニキビ対策 化粧品 2010/04/01 07:08 ニキビ対策 化粧品

ベアベア 2010/04/01 23:19 パフパフって世界中で使われているかと思っていました。

スカルプD 口コミスカルプD 口コミ 2010/04/05 12:48 スカルプDシャンプーの口コミ

大人ニキビ大人ニキビ 2010/04/05 12:50 大人ニキビ 化粧水

銀座カラー 評判銀座カラー 評判 2010/04/12 15:02 銀座カラー 評判

残留農薬残留農薬 2010/04/20 13:49 玄米の残留農薬ゼロなのは、マイセンのおいしい玄米です

雑穀畑雑穀畑 2010/04/30 01:16 やずやの雑穀畑はダイエットにいいみたい!

ニキビ治療ニキビ治療 2010/05/09 16:43 私はラリホーの呪文が好きでしたね。
あれも外人受けするのでは・・・

ノンエーノンエー 2010/05/13 17:32 ラリホーで眠らされてる間にぱふぱふで攻撃とか(笑
ホントにわかって欲しいなぁ

seiji0202seiji0202 2010/05/16 12:32 いつもブログ楽しみに読まんでいます☆
いつも応援してるんでこれからもがんばってくださいネ♪

ブログブログ 2010/05/18 11:12 いつもブログ楽しみに読まんでいます☆
いつも応援してるんでこれからもがんばってくださいネ♪

吉田吉田 2010/05/21 18:51 吉田

毛髪毛髪 2010/05/21 22:26 毛髪

楽天楽天 2010/05/21 23:42 楽天

アイコアイコ 2010/05/30 13:29 おもしろい記事ですね(^-^)
私もファミコン世代です♪
ドラクエはリアルタイムでやってました(笑
これからもがんばってください♪

月の土地買う月の土地買う 2010/05/30 23:55 いつもブログ読んでます。
私はゲームとかあまりしませんが、子どもが大好きなので、気持ちはわかります。
楽しくて興味深いものをいつもありがとうございます。

ふるさと青汁ふるさと青汁 2010/06/03 18:07 寝つきが悪いのでラリホーの呪文が使えたら良いのにと思ってます^^

パステルゼリーパステルゼリー 2010/06/08 07:01 パステルゼリー

天田天田 2010/06/11 22:11 パフパフも奥が深いですね。

ダンベルダンベル 2010/06/12 03:05 ダンベル

石鹸石鹸 2010/06/13 01:09 ぱふぱふ、奥深いですね。

ヒアルロン酸ヒアルロン酸 2010/06/13 01:11 いつもブログ読んでます。

まぶたまぶた 2010/06/13 01:12 がんばってください。

rivitalashrivitalash 2010/06/13 01:14 いつも応援してるんでこれからもがんばってください

まつげまつげ 2010/06/13 01:19 パフパフの魅力がわからない人がいるんですかね

アムラアムラ 2010/06/13 01:19 ぱふぱふって、結局なんなんだろう。

プエラリアプエラリア 2010/06/13 01:21 ぱふぱふは、あまり気にしていなかったですね。

カードカード 2010/06/13 01:22 応援してます。

ナンダモナンダモ 2010/06/13 01:23 ガンバってください。

加圧加圧 2010/06/13 01:24 ぱふぱふ、奥深いですね。

駆除駆除 2010/06/13 01:25 頑張ってくださいね。

O脚O脚 2010/06/13 01:25 応援しています。

外反母趾外反母趾 2010/06/13 01:26 いつも応援してるんでこれからもがんばってください

ベトナム株ベトナム株 2010/06/13 01:27 いつもブログ読んでます。

ジェルジェル 2010/06/13 01:28 がんばってくださいね。

酸素酸素 2010/06/13 01:29 ぱふぱふ、深いですね。

hphp 2010/06/13 01:31 応援しています。

レーサーレーサー 2010/06/13 01:32 パフパフの魅力がわからない人がいるんですかね

江原道江原道 2010/06/13 01:33 頑張ってください。

ひろひろ 2010/06/13 12:52 同感です

なかなか 2010/06/15 21:54 更新たのしみですから

きみきみ 2010/06/16 21:16 更新たのしみにしてます星

えがおの黒酢えがおの黒酢 2010/06/17 21:39 また、ブログを再開してくださいね^^

目白と目黄目白と目黄 2010/06/18 00:57 パフパフはダメ!ぱふぱふと平仮名で表現するのがいいのです!

urlurl 2010/06/18 01:09 更新たのしみにしています。

プエラリアプエラリア 2010/06/18 01:10 応援しています。

hphp 2010/06/18 01:14 頑張ってください。

皇潤皇潤 2010/06/18 01:26 更新楽しみにしています。

禁煙禁煙 2010/06/18 01:33 応援してます。

田崎田崎 2010/06/20 22:19 ぱふぱふ、ドラクエやってても、ほとんど使いませんねえ。

猫むすめ猫むすめ 2010/06/25 01:10 ドラクエ大好きです(^-^)bまたブログ再開してくださいね〜。

ウィウィ 2010/06/25 02:39 ブログ更新待っています。

自動自動 2010/06/25 02:40 ぱふぱふ、使いませんね。

法人法人 2010/06/25 02:41 頑張ってください。

linklink 2010/06/25 02:43 おうえんしています。

nanaonanao 2010/06/27 18:59 応援してます〜

たけたけ 2010/06/30 12:14 う〜ん、なるほど

ゆきゆき 2010/06/30 12:15 楽しみにしてます

norinori 2010/06/30 12:16 応援してます〜

田崎田崎 2010/07/01 22:43 ドラクエで、ぱふぱふは、あまり使わないですね。

urlurl 2010/07/06 14:57 応援してます

hphp 2010/07/06 14:57 なるほど〜^^

urlurl 2010/07/06 14:59 確かにぱふぱふはドラクエやっててもほとんど使いません.

hphp 2010/07/06 15:00 ほとんど使いませんね,ぱふぱふ。

明日葉明日葉 2010/07/09 17:18 明日葉、パフパフ攻撃にも耐えられる青汁ですよ^^

苦手苦手 2010/07/10 04:15 苦手

茶のしずく茶のしずく 2010/07/17 02:02 確かにぱふぱふはドラクエやっててもほとんど使いません.

質屋 大阪質屋 大阪 2010/07/17 02:04 面白いですね。

質屋 東京質屋 東京 2010/07/17 02:05 なるほど、深いですね。

質屋 名古屋質屋 名古屋 2010/07/17 02:05 興味深いです。

美・皇潤美・皇潤 2010/07/17 02:07 ぱふぱふ、使いませんね。

urlurl 2010/07/17 02:10 おうえんしています。

茶のしずく茶のしずく 2010/07/17 02:11 がんばってください。

urlurl 2010/07/17 02:13 興味深いお話ですね。

なかいなかい 2010/07/19 17:36 頑張ってくださいね

シミ 洗顔石鹸シミ 洗顔石鹸 2010/07/21 00:02 応援しています。

悠香の化粧水悠香の化粧水 2010/07/22 15:00 頑張ってください。

カルジェルカルジェル 2010/07/27 12:59 応援してます。

骨盤矯正骨盤矯正 2010/07/29 07:32 ドラクエって長いですね。私は3のファンです

あずあず 2010/07/29 16:20 がんばりました!

ルテイン サプリメントルテイン サプリメント 2010/08/04 06:39 うーん、ちょっと難しいけど、興味深いですね。

日本の文化日本の文化 2010/08/05 23:17 たしかにあのパフパフというのは日本文化なのかもしれません。
日本ならではの表現ということで、擬音語の文化は大切にしたいですね。

石川美香石川美香 2010/08/06 02:54 ぱふぱふ消えちゃってるんですか!おもしろい部分だったんですけどね。

家出少女リナの出会い家出少女リナの出会い 2010/08/07 20:11 ドラクエは楽しいですね。
PS3で出してほしいです。

idetuyoidetuyo 2010/08/10 13:56 ぱふぱふというと、ドラゴンボールの亀仙人の鼻血を出すシーンを思い出してしまう。まさに鳥山ワールドには欠かせないものなんですけれどね。

http://jutakuloan-sos.jp/m_solution/

ひなひな 2010/08/11 11:21 興味深いですね。

さやかさやか 2010/08/13 01:48 すごく楽しいブログなのに、更新が止まってしまってるのが残念です。

urlurl 2010/08/20 01:49 がんばってください。

まさまさ 2010/08/25 18:47 応援しています

morinomorino 2010/08/25 18:49 ドラクエから面白要素が消えて残念ですね。

CFDCFD 2010/08/25 18:51 なるほど、そう考えると深いですね。

ぼっくぼっく 2010/08/25 18:53 ぱふぱふって、なんなんだろう。
ドラクエでいつも不思議に感じます。

かえみかえみ 2010/08/25 18:54 考察すればするほどなぞが出ますね。

credcred 2010/08/25 18:55 すごい不思議な世界観ですよね。

看護師看護師 2010/08/25 18:56 考察深くて衝撃をうけました。応援してます!

葬儀葬儀 2010/08/25 18:57 ぱふぱふって子どもの頃なんだろうって思ってました。

僧侶僧侶 2010/08/25 18:59 ドラクエの僧侶が看護師みたいに治療してくれるのが好きでした。

みずやみずや 2010/08/25 19:00 応援しています!!

車谷車谷 2010/08/25 19:02 頑張ってください!

廃車担当廃車担当 2010/09/08 10:26 ドラクエの世界に子どもの頃からワクワクしてました。

ホテルマンホテルマン 2010/09/08 19:23 ドラクエの世界観は深いですね

けとけと 2010/09/08 19:28 更新たのしみにしています。

海良海良 2010/09/08 19:30 ドラクエは名作ですよね。

中学受験マスター中学受験マスター 2010/09/08 19:32 ゲームにはついついひきつけられる要素は必要ですよね。

不妊不妊 2010/09/08 19:34 応援しています。

比較比較 2010/09/08 19:35 国別に変えていく必要があるのは大変ですね。

スタイルエクサ+kスタイルエクサ+k 2010/09/10 12:12 まさか亀仙人がぱふぱふを初めて使った人とは知りませんでした。

urlurl 2010/09/12 11:47 ドラクエの世界に子どもの頃からワクワクしてました。

urlurl 2010/09/12 11:49 応援しています。

urlurl 2010/09/12 11:54 ぱふぱふって、なんなんだろう。
ドラクエでいつも不思議に感じます。

urlurl 2010/09/12 11:55 ぱふぱふって子どもの頃なんだろうって思ってました。

urlurl 2010/09/12 11:56 すごい不思議な世界観ですよね。

urlurl 2010/09/12 11:57 更新たのしみにしています。

urlurl 2010/09/12 11:58 頑張ってください!

urlurl 2010/09/12 11:59 ドラクエの世界に子どもの頃からワクワクしてました。

urlurl 2010/09/12 12:00 うーん、ちょっと難しいけど、興味深いですね。

urlurl 2010/09/12 12:02 たしかにあのパフパフというのは日本文化なのかもしれません。

卒煙卒煙 2010/09/12 13:36 ゲームにはついついひきつけられる要素は必要ですよね。

urlurl 2010/09/12 13:37 ぱふぱふ、ドラクエやってても、ほとんど使いませんねえ。

urlurl 2010/09/12 13:43 ドラクエって長いですね。私は3のファンです

urlurl 2010/09/12 13:44 ドラクエから面白要素が消えて残念ですね

urlurl 2010/09/12 13:45 楽しくて興味深いものをいつもありがとうございます。

urlurl 2010/09/12 13:47 いつもブログ楽しみに読まんでいます.
いつも応援してるんでこれからもがんばってください

urlurl 2010/09/12 13:48 ドラクエの世界観は深いですね

urlurl 2010/09/12 14:42 ぱふぱふは、あまり気にしていなかったですね。

urlurl 2010/09/12 15:22 ぱふぱふ消えちゃってるんですか!おもしろい部分だったんですけどね。

urlurl 2010/09/12 15:23 いつも応援してるんでこれからもがんばってください

urlurl 2010/09/12 15:24 がんばってください。

urlurl 2010/09/12 15:28 ゲームにはついついひきつけられる要素は必要ですよね。

urlurl 2010/09/12 15:30 がんばってくださいね。

con1miraicon1mirai 2010/09/15 23:04 ああああ

nenpinenpi 2010/09/15 23:06 がんばってくださいね。

もらいもらい 2010/09/15 23:07 がんばってくださいね。

あがり症克服法あがり症克服法 2010/09/17 12:15 みんなであがり症を克服しましょう!

わきが治療中わきが治療中 2010/09/17 12:21 わきが治療中です!

モテる男モテる男 2010/09/17 12:24 モテる男です!

中川式ストレッチ中川式ストレッチ 2010/09/17 12:29 中川式ストレッチ口コミ情報です!

元彼復縁中元彼復縁中 2010/09/17 12:32 元彼と復縁中です!

八田永子ストレッチ八田永子ストレッチ 2010/09/17 12:34 八田永子ストレッチ中です!

犬のしつけ犬のしつけ 2010/09/17 12:37 犬のしつけ見習い中です

kaikai 2010/09/17 13:46 興味深い内容ですね

KENKEN 2010/09/17 13:47 なかなか難しいですね

AKIAKI 2010/09/17 13:49 すっきり

yujiyuji 2010/09/17 13:50 基本

jijijiji 2010/09/17 13:51 ラリホーマ

konkon 2010/09/17 13:53 メラ

モデ痩せ口コミモデ痩せ口コミ 2010/09/18 18:16 モデ痩せ口コミ

モデ痩せ口コミモデ痩せ口コミ 2010/09/18 18:17 モデ痩せ口コミ

ローン返済ローン返済 2010/09/21 09:46 ドラクエは困難の連続。
そんな時のパフパフはホッとします。
何事も上手くいかない時もありますね。

ダイエットダイエット 2010/09/22 02:13 鳥山さんは天才じゃなく、努力家だよ。。。
ところで、シ〜ンというのは、手塚さんが考えたんですね。
最初は何事も・・・・・おもしろい!!

吃音 治療吃音 治療 2010/09/23 15:48 ドラクエは今でも大ファンです。
ぱふぱふは気にしていなかったのでこの記事が新鮮でした。

東京マン東京マン 2010/09/23 16:47 ぱふぱふって結局なんなんでしょう。
ドラクエをやって不思議に思います。

口コミ口コミ 2010/09/23 16:52 ぱふぱふみたいな要素があるとゲームについついひきつけられますよね。

たかのりたかのり 2010/09/23 16:54 応援してます。がんばってくださいね。

みずのみずの 2010/09/23 16:56 面白いですよね。ドラクエ大好きです。

urlurl 2010/09/25 19:11 頑張ってくださいね。

らくいじらくいじ 2010/09/27 00:29 らりほーって聞くだけで眠くなっちゃいますね。

GEGE 2010/09/27 00:31 ドラクエは面白みの宝庫ですよね。

TRUST1TRUST1 2010/09/29 03:39 ドラクエ大好き。。

jyutakujyutaku 2010/09/29 07:49 任意売却は良い不動産会社で

urlurl 2010/10/01 10:42 確かに深いですね。

urlurl 2010/10/01 10:43 なるほど、面白いですね。

urlurl 2010/10/01 10:44 参考にしたいと思います。

urlurl 2010/10/01 10:45 深い洞察ですね。

urlurl 2010/10/01 10:46 面白い見方です。

urlurl 2010/10/01 10:47 参考にしたいと思います。

urlurl 2010/10/01 10:51 深いですね。

urlurl 2010/10/01 10:53 深い洞察だとおもいます。

urlurl 2010/10/01 10:54 面白い考え方ですね。

urlurl 2010/10/01 10:55 深い洞察ですね。

urlurl 2010/10/01 10:56 面白い洞察ですね。

urlurl 2010/10/01 10:57 興味深い考え方ですね。

urlurl 2010/10/01 10:58 深いものの考え方ですね。

urlurl 2010/10/01 10:59 深い洞察で面白いですね。

urlurl 2010/10/01 11:00 面白い見方で参考になります。

urlurl 2010/10/01 11:01 深い見方、おもしろいです。

urlurl 2010/10/01 11:02 おもしろいですね、深いです。

urlurl 2010/10/01 11:02 なるほど、参考になります。

urlurl 2010/10/01 11:03 面白いです。勉強になります。

urlurl 2010/10/01 11:04 深いですね、勉強になりました。

urlurl 2010/10/01 11:05 参考にしたいです。

urlurl 2010/10/01 11:06 面白いですね。

urlurl 2010/10/01 11:07 深い考え方、参考にします。

urlurl 2010/10/01 11:08 頑張ってください。

urlurl 2010/10/01 11:09 頑張って欲しいエスね。

urlurl 2010/10/01 11:10 深いです、楽しいです。

urlurl 2010/10/01 11:11 面白いですね。

urlurl 2010/10/01 11:12 楽しいです円。

urlurl 2010/10/01 11:13 面白いですね。

urlurl 2010/10/01 11:14 深いですね。

urlurl 2010/10/01 11:15 楽しく拝読しました。

urlurl 2010/10/01 11:23 面白かったです。

urlurl 2010/10/01 11:41 頑張ってください。

urlurl 2010/10/01 11:42 深かったです。

urlurl 2010/10/01 11:46 面白かったです。

urlurl 2010/10/01 11:47 楽しかったです。

urlurl 2010/10/01 11:49 深かったです。

urlurl 2010/10/01 11:49 深い洞察ですね。

urlurl 2010/10/01 11:59 面白かったです。

urlurl 2010/10/01 12:02 頑張ってください。

urlurl 2010/10/01 14:47 深いですねえ。

urlurl 2010/10/01 14:49 洞察が深いですね。

urlurl 2010/10/01 14:49 楽しかったです。

urlurl 2010/10/01 14:51 深いですね。

urlurl 2010/10/01 14:52 なるほど、参考になりました。

urlurl 2010/10/01 14:53 興味深く拝読しました。

urlurl 2010/10/01 14:55 頑張ってください。

urlurl 2010/10/01 14:56 興味深く読みました。

urlurl 2010/10/01 14:57 おもしろかったです。

urlurl 2010/10/01 14:57 参考にしたいと思います。

urlurl 2010/10/01 14:59 考えさせられました。

urlurl 2010/10/01 15:01 洞察興味深いです。

urlurl 2010/10/01 15:02 頑張ってください。

urlurl 2010/10/01 15:05 頑張ってくださいね。

urlurl 2010/10/01 15:05 興味深いですね。

urlurl 2010/10/01 15:07 頑張って欲しいですね。

urlurl 2010/10/01 15:09 面白く読みました。

urlurl 2010/10/01 15:10 頑張って欲しいですね。

urlurl 2010/10/01 15:10 頑張ってください。

urlurl 2010/10/01 15:11 面白かったです。

hensaihensai 2010/10/02 06:24 住宅ローン返済困る時もある。

linklink 2010/10/04 17:28 がんばってくださいね。

urlurl 2010/10/05 18:59 がんばってください。

みろんみろん 2010/10/05 20:48 ドラクエ深いですね。興味深く読ませていただきました。

クレジットカードクレジットカード 2010/10/06 01:01 考察が深いですね、有難うございました。

モメオモメオ 2010/10/06 01:41 文化の違いですかね。

任意売却任意売却 2010/10/06 06:53 任意売却のブログも参考にしよう

そうぎそうぎ 2010/10/07 01:39 やはり文化的な背景があるのもなのですね。

埼玉ボーイ埼玉ボーイ 2010/10/07 01:57 ドラクエのぱふぱふ懐かしいなぁ。ぱふぱふという言葉の意味が分からなくてずっと考えてたのを覚えています。

kyobaikyobai 2010/10/09 07:54 競売は任意売却出回避できる。

urlurl 2010/10/09 15:03 なるほど・・・・

しんたしんた 2010/10/10 02:24 ドラクエにぱふぱふってありましたね。懐かしいですね。

しんたしんた 2010/10/10 02:24 ドラクエにぱふぱふってありましたね。懐かしいですね。

しんたしんた 2010/10/10 02:25 ドラクエにぱふぱふってありましたね。懐かしいですね。

きりんクリニックきりんクリニック 2010/10/12 22:00 ドラクエ好きです。

さをりさをり 2010/10/15 19:11 ドラゴンクエストって楽しいですよね。子どもの頃にハマりました。

urlurl 2010/10/17 00:51 ドラクエにぱふぱふってありましたね。懐かしいですね。

おしゃれおしゃれ 2010/10/17 01:28 ドラゴンクエストって楽しいですよね。子どもの頃にハマりました。

くりのくりの 2010/10/17 22:49 ドラクエ大好きです。子どもの頃にやりこみました。

ナースナース 2010/10/17 22:53 ドラクエのぱふぱふって懐かしいですね
呪文のラリホーが好きでした。

相場相場 2010/10/17 22:57 ゲームには展開と関係ないお遊び要素もあるとうれしいですよね。

初心者初心者 2010/10/17 22:59 ドラクエはゲーム初心者にも楽しめる要素が多いですね。

urlurl 2010/10/18 23:44 ドラクエ大好きです。子どもの頃にやりこみました。

日々日々 2010/10/18 23:49 ドラクエにぱふぱふってありましたね。懐かしいですね。

この世界この世界 2010/10/19 00:19 ゲームには展開と関係ないお遊び要素もあるとうれしいですよね。

urlurl 2010/10/20 00:26 ドラクエにぱふぱふってありましたね。懐かしいですね。

urlurl 2010/10/20 00:49 ドラクエにぱふぱふってありましたね。懐かしいですね。

しいしい 2010/10/20 00:51 ドラゴンクエスト子どもの頃にハマりました。

長野長野 2010/10/20 00:54 ラリホーって呪文があったなぁ

さすけさすけ 2010/10/20 01:32 ドラクエのぱふぱ懐かしいですね。

urlurl 2010/10/20 01:37 ドラクエにぱふぱふってありましたね。懐かしいですね。

クリクリ 2010/10/22 01:01 ドラクエ深いですね。興味深く読ませていただきました。

ひらたひらた 2010/10/22 01:03 ぱふぱふは気にしていなかったのでこの記事が新鮮でした。

買車買車 2010/10/22 01:15 ドラクエ大好きです。子どもの頃にやりこみました。

しのやましのやま 2010/10/22 01:32 文化的な背景があるのもなのですね。

家出少女家出少女 2010/10/22 18:52 ドラクエ大好きです。だけどDSになってからやってません・・

にしのにしの 2010/10/23 00:58 ドラクエやりはじめると寝る時間も惜しくなるんですよね。

しだしだ 2010/10/23 14:58 深い考察が面白かったです。

布良布良 2010/10/23 15:19 ぱふぱふ消えちゃってるんですね。はじめて知りました。

看護士看護士 2010/10/23 15:20 海外市場とゲーム内容の関連もよくよく考えるとすごい深いですね。

hasanhasan 2010/10/24 11:53 自己破産をしても結婚はできる

よしおよしお 2010/10/26 10:47 そういうことだったのか〜

misamisa 2010/10/26 10:48 難しいかも

レッグマジックx 口コミレッグマジックx 口コミ 2010/10/27 09:37 レッグマジックx 口コミ

linklink 2010/11/02 10:43 なるほど、面白いですね。

中古車査定士中古車査定士 2010/11/02 20:08 ドラクエにはかなり夢中になりました。まぁ今もですけど(笑)

cashcash 2010/11/03 10:38 キャッシング、気をつけなくちゃ、任意売却になってしまう?

中学受験中学受験 2010/11/04 22:44 始めまして
初めてサイト拝見しましたが
最後まで読みきれませんでした。
申し訳ありませんでした。

古田直美古田直美 2010/11/05 01:36 ドラクエおもしろいですね。
その背景があると知ってプレイしている人は少ないのでは?

twitterkingtwitterking 2010/11/06 19:02 最近ドラクエ3をまたプレイしています。

中古車買取人中古車買取人 2010/11/09 00:56 大人になってドラクエやり直したらフバーハの便利さに気づきました。

cardcard 2010/11/10 17:01 深い洞察sですね。

山田山田 2010/11/10 21:03 ドラクエは間違いないです。

ソアラソアラ 2010/11/10 21:10 ぱふぱふの魅力を知るべきです。

ドラ子ドラ子 2010/11/10 21:12 なつかしいですね。ドラクエなんて。

ココロココロ 2010/11/10 21:23 効果音・・・重要ですね。

テナンステナンス 2010/11/11 19:03 ドラクエの魅力はいまだ衰えませんね。

ユパスユパス 2010/11/12 19:03 国の違いでゲームの内容が変わってくるのは驚きです。

込作込作 2010/11/12 19:23 ドラクエはいくつになっても楽しめますよね。

恋愛メール恋愛メール 2010/11/17 14:54 私はゲームはやらないですが、
ドラクエって大人もはまるゲームなんですね。

復縁プログラム復縁プログラム 2010/11/17 14:58 色々なゲームがあり、
多くの人がはまっています。

川村大地川村大地 2010/11/17 15:00 ゲームも脳の活性化にいいって言いますよね。
ただ、はまり過ぎないように・・・・

remoremo 2010/11/18 01:31 ドラクエ大好きです

パオパオ 2010/11/18 01:32 奥が深すぎですね。

urlurl 2010/11/21 04:50 有難うございます。

ふぉっぷすふぉっぷす 2010/11/24 14:12 奥深さが違いますね。

tapioka tapioka 2010/11/24 14:13 考えさせられすぎますね。

パク・ナヨンパク・ナヨン 2010/11/26 22:32 ためになりました。

フセ・マサオフセ・マサオ 2010/11/26 22:34 読み応えがありすぎて途中でダウン。
すみません。

翻訳家翻訳家 2010/11/26 22:35 面白い記事ですね。

健康健康 2010/12/04 04:06 いいですね。

ゆきおゆきお 2010/12/10 17:15 ぱふぱふしたいっす!

カロリミットカロリミット 2010/12/14 18:06 カロリミットって口コミで痩せるって評判だよ^^
CMで流れてるから、ぱふぱふみたいについ口ずさんじゃうよ〜

今年今年 2011/01/14 18:10 もう終了ですか。

しずしず 2011/01/20 19:28 初期のドラクエ懐かしいですね。

たまおたまお 2011/02/02 15:17 同感です。

利尻昆布 白髪染め利尻昆布 白髪染め 2011/02/22 15:21 ぱふぱふ〜

FXプロフィット・アクセレレータFXプロフィット・アクセレレータ 2011/02/23 15:16 ドラクエ懐かしいです。
この記事を読んでいたらプレイしたくなりました。

小町小町 2011/02/26 12:26 ドラクエ楽しそう。

ダンスダンス 2011/04/22 22:01 パフパフは、今も謎ですね。

ウォーターサーバーウォーターサーバー 2011/04/24 22:28 ぱふぱふには、魅力を感じますね。

OKOK 2011/05/19 14:19 ドラクエおもしろいですよね

ガールズバーガールズバー 2011/05/24 14:44 ぱふぱふが大事。

大久保大久保 2011/06/03 12:13 ドラクエ中毒だよ。

営業権営業権 2011/06/03 12:13 難しい話になってる。

家庭用脱毛器家庭用脱毛器 2011/06/09 22:13 ぱふぱふは、偉大だ。(使ったことないけど)

ボニックボニック 2011/06/21 12:03 ドラクエって面白いですよね。

自動車買取自動車買取 2011/06/21 12:09 少年の頃の記憶がよみがえりました。

ひろみひろみ 2011/06/21 12:11 子どものころは言葉の意味が分からなかった。

現金化現金化 2011/06/21 12:17 ドラクエでレベルが上がっていくのって嬉しいですよね。

ひろあきひろあき 2011/06/21 12:23 大人になると分かることってありますよね。

ネット通販大好きネット通販大好き 2011/06/21 12:29 あのころネット通販があればよかったのになぁ。

urlurl 2011/06/21 12:31 ドラクエやりたいな。

先生先生 2011/06/21 12:35 懐かしい!

車買取車買取 2011/06/21 12:39 ドラクエにはハマりました。

ウォーターサーバーウォーターサーバー 2011/06/21 12:43 転職システムにわくわくした。

urlurl 2011/06/21 12:46 マーケティング戦略は国ごとに異なるものなので、ゲームシステムの世界観を壊さないようにしながら販売する国や言語にあわせて名称等を変更するのは仕方ないのでしょうね。

ゲーム好きゲーム好き 2011/06/21 18:51 ドラクエって名作ですよね。

金融学金融学 2011/06/21 18:54 ドラクエみたいなソフトが売れると経済も活性化するのかな。

animeanime 2011/06/24 15:59 こんにちは!
ドラクエってしたことないので、一度してみたいですー

みどりの森を贈るギフトみどりの森を贈るギフト 2011/06/29 22:20 うーん。パフパフは偉大だ。

OKOK 2011/06/30 17:59 ハマッたなあ

tamatositamatosi 2011/07/07 04:02 まとめるとすごいってことですね。

ヨッシ球ヨッシ球 2011/07/07 04:03 なんだかんだパフパフってことか。

ココ2番ココ2番 2011/07/07 04:04 パフパフすれば良くない?

ほうれいほうれい 2011/07/07 17:45 ドラクエっておもしろいですよね。

ビューティープログラムビューティープログラム 2011/07/07 21:53 ドラクエで、ぱふぱふなんて使ったことないですね。

記帳記帳 2011/07/08 17:47 ホイミですね。

毛穴毛穴 2011/07/12 12:11 ドラクエ懐かしい。

洗顔洗顔 2011/07/12 12:39 世界観がすごいですよね。

洗顔石鹸洗顔石鹸 2011/07/12 19:01 ドラクエって名作ですよね。

小顔小顔 2011/07/12 19:02 ドラクエやりたいな。

シミシミ 2011/07/12 19:03 大人になると分かることってありますよね。

美白美白 2011/07/12 19:05 ドラクエにはハマりました。

美容器具美容器具 2011/07/12 19:06 いいですね。

部分痩せ部分痩せ 2011/07/12 19:07 ドラクエって本当に名作ですよね。

足痩せ足痩せ 2011/07/12 19:07 すごいですよね。

リフトアップリフトアップ 2011/07/12 19:08 懐かしいですね。

ダイエットダイエット 2011/07/12 19:09 ドラクエ並んで買いました。

コスメコスメ 2011/07/13 13:13 すごい懐かしいですね。

脂肪脂肪 2011/07/13 13:14 ルカナンかルナカンか分からなくなりました。

gfgdgfgd 2011/07/14 13:37 こんにちは

いのやまいのやま 2011/07/20 11:35 らりほーという響きがなんとも眠くなりそうですよね。

ひめのひめの 2011/08/02 17:09 すっごい考察ですね。

ドラすけドラすけ 2011/08/02 17:54 じごくのハサミのスクルトにはやられました。

お墓お墓 2011/08/03 12:13 ドラクエなつかしいです。

通販大好き通販大好き 2011/08/03 15:43 今だったら並ばずにネット通販で買うなぁ。

クレジットカードクレジットカード 2011/08/04 22:11 ドラクエは、おもしろいですね。

看護師さん看護師さん 2011/09/08 18:15 ドラクエまたやりたくなった。

R−14R−14 2011/09/11 02:17 読みやすくて面白い文章で、非常に面白いですね。
是非ブログ再開していただきたいです。
テレビ離れの話は最高に良かったです。

ブルマとしときましょうブルマとしときましょう 2011/10/26 13:49 ぱふぱふ・・
素晴らしい響きですね。
これを初めて聞いたのは中学二年の時だと思います。ドラゴンボールがジャンプに連載されていた当時です。
亀仙人がなんかの見返りにブルマのパンツかなんか要求したような・・、でウーロンがパフパフしていまったような・・
鼻血ブーで!いい時代でた。なんてエロいんだと思いましたね。というか僕の考えてることと同じだと思いました。
鳥山明もエッチだと思いました。
この良さは日本人にしか分らないでしょうね。
個人的にはドラクエ123ともに思い入れが深いです。4と5も好きですがそこから段々落ちてきてますね。

コスミックエンザイムコスミックエンザイム 2011/10/26 22:23 ドラクエ3は子供の頃に良くやりました。なつかしいですね。

atストッキングatストッキング 2011/11/08 06:46 ドラクエ、またプレーしたくなりました。
押入れからファミコンだしてやるかな。

仙台の女性アルバイト仙台の女性アルバイト 2011/12/05 12:04 ビアンカとフローレン、どっちも好きです。

仙台デリヘル風俗仙台デリヘル風俗 2012/01/17 10:03 ロールがプレイングしているゲームですね。

人妻風俗人妻風俗 2012/02/13 13:56 走ってたと思う。

インターネットインターネット 2012/04/06 16:17 ドラクエ懐かしいですね。またやりたいな。

エロエロ 2012/04/13 13:20 ぱふぱふってのがエロかった

ラーメンラーメン 2012/04/23 19:03 ドラクエいいですよね

真城真城 2012/04/24 18:19 たしかにね〜。・

高血圧高血圧 2012/05/06 16:56 ドラクエもドラゴンボールも最高ですね。本当にいつまでたってもすごい作品だと思います。なんかまた一巻から読みたくなっちゃいました^^

アルバイトアルバイト 2012/05/08 16:03 ぱふぱふの面白さは誰にでもわかる〜 鳥山さんキャラ

ホストホスト 2012/06/19 17:26 主人公はイケメン。ツンツンの髪型は定番だね。

フローラフローラ 2012/09/19 17:48 ドラクエのイベントを幕張メッセでやってたなあ。面白い。

ガイガイ 2012/09/21 10:39 ザオラルを何度も

ruirui 2012/10/25 17:32 ベホマズンで治した途端にメラゾーマ食らったのも良い思い出。

ドラクエドラクエ 2012/10/30 03:38 ドラクエ3がなにげに面白かったです。ドラクエ4の逃げる7回??は相当はまったなぁ??ゲームやる時間また欲しいですね♪

yuppyyuppy 2012/12/06 23:57 おつかれです^^

sinnzyukusinnzyuku 2013/03/13 00:00 ドラクエは裏技がかなりあって色々と面白いですよね。新シリーズも楽しみです。

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人妻池袋人妻池袋 2013/05/17 17:36 パフパフするなら巨乳に限ります。

linklink 2013/08/01 07:32 いい記事ですね。

人妻・熟女動画人妻・熟女動画 2014/04/23 11:42 いいですね。

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etcカード即日発行etcカード即日発行 2014/09/07 22:11 やはり勉強になりますね。

くるぶしくるぶし 2016/03/19 21:06 ドラクエまだまだ人気ですね

ルナパルテルナパルテ 2016/06/01 15:53 ドラクエはゲームの王道です。

ADAコインADAコイン 2016/06/21 10:30 ぱふぱふ懐かしいですね。

くるぶしの黒ずみくるぶしの黒ずみ 2016/06/21 10:33 ドラクエファンは本当に多いですね。

2006年10月25日 バナナはおやつを超越する、境界線上のバナナ、芭蕉の夢・バナナの旅 このエントリーを含むブックマーク

はたして、バナナは、草なのか?木なのか? 野菜なのか?果物なのか? 主食なのか?間食なのか? そして、松尾芭蕉は「松尾バナナ」という自分の名前に納得しているのか!? 今日は、バナナという越境する植物について考えます。

芭蕉ばしょう野分のわきしてたらいに雨を聞く夜かな   松尾芭蕉

俳人・松尾芭蕉、初期の秀作です。字、余りすぎ。

句意は、「芭蕉の葉が台風に揺れる中、たらいに雨漏りが落ちるのを聞く夜だ」という感じでしょうか。時は延宝8年(1680年)。松尾芭蕉が住んでいた江戸深川の草庵には、門人李下りかから贈られた芭蕉の株が植えてあり、そこから、松尾「芭蕉」という俳号が誕生したのでした。

この「芭蕉」はバショウ科の多年草ですが、これが「バナナ」と同じ仲間であるということはよく知られています。すなわち、やつの名は「松尾バナナ」。すばらしい。

余談ですが、作家のよしもとばななさんは、自らのペンネームの由来を「バナナの花が好きだったからです」と語っています。バナナの花の画像にリンクしておきます。せい、そのものの色ですなあ。

もっとも、我々が現在食べている熱帯植物バナナは東京の気候では生育しませんから、中国原産の芭蕉とは単純にイコールではありません。しかし、当時の江戸の町において、芭蕉というのはかなりエキゾチック(異国的)な植物であったと思われます。そこに「たらいに雨」という身近なイメージをぶつけていく松尾芭蕉という男は、やはり大変ファンキーな人間であったようです。

さて、ここで考えたいのは「松尾芭蕉」が「松尾バナナ」であると知って、なぜ我々はかくも喜ぶのだろうか、ということです。芭蕉は、「芭蕉」と名乗る以前「桃青とうせい」という俳号を使っていました。しかし、それを知ったからといってどうでしょう? 「松尾モモ! 松尾モモ!」と爆笑して床を転げまわる人などおりますまい。

これは「バナナ」という果物に、何かユーモラスなイメージがあるからに違いない。それは、いったいどこから来るのでしょうか?

今日のテーマは、バナナという果物の謎についてです。

さて、まずはバナナは草なのか木なのかについて考えてみます。ンなもん、木に決まっとるやんけ! そう思っていた時期が私にもありました。

ところが、wikipediaによると、「バナナは間違いなく草である」のだそうです。そ、そんなバナ……いや、今の発言はなかった方向で。しかし、これはいったいどういうことでしょうか。

調べてみると、「木」と「草」の分類はかなりややこしい問題のようです。しかし、年輪ができるのが木、という定義、あるいは、茎が何年も太くなり続け、しまいには死んだ細胞質が木化して、それによって生体が支えられているのが木、という定義、いずれの定義をとっても、バナナはれっきとした「草」なのだそうです。

ところで、この定義だと、竹は木と草の両方の性質をもつことになります。wikipediaによれば、上田弘一郎京大名誉教授(世界の竹博士)は『竹は木のようで木でなく、草のようで草でなく、竹は竹だっ!』と力説しておられたのだそうです。実に興味深い発言です。

植物学では、「草本そうほん」「木本もくほん」という言い方をします。「バナナは草本」なわけですね。どうでもいい話ですが、私は昔、「クサモトって誰だろう?」と思っていました。馬鹿にもほどがあります。

続いて、バナナは野菜なのか果物なのかについて考えます。

お約束の展開で申し訳ないですが、ここでもやはり「野菜」か「果物」か、という分類はこじれる問題なのでした。「野菜の定義について」というコラムが最もまとまっているように思いますので、詳細はそちらに譲ります。

農林水産省では、「一般に、野菜とは食用に供し得る草本性の植物で加工の程度の低いまま副食物として利用されるもの」としています。「くだもの」の語源は「木の物」ですから(「けだもの」は「毛の物」)、もともと木になるのが果物なわけです。既に見たようにバナナは草ですし、ナマで食いますから、我が国政府の公式見解に従うとバナナは野菜です。

もっとも、普通、野菜の定義としては「一年生の草本植物」が採られるようです。バナナは多年生ですから、これなら野菜にはなりません。なお、「一年生植物」というのは、「種子から発芽して一年以内に生長して開花・結実して、種子を残して枯死する植物」です。友達100人できる前に、枯れます。

なお、この定義であっても、メロン・スイカは野菜です。人生は常に不条理です。

さて、どうやら、バナナという植物については、もっと根本的に考えねばならないようです。そこで、バナナはそもそも「食べ物」か。ということについて、考えます。

おいおい、バナナが食い物じゃなきゃなんなんだ。武器か。と、いぶかしく思われるでしょうが、英語版wikipediaのBananaの項にはですね、Japanではbananaのfibre(繊維)で、kimonoやkamishimoを作る習慣があり、その起源は少なくとも13世紀までさかのぼる、と記述されています。マテまて待て。どこの日本だ、それは。

調べてみると、wikipediaに記載されているのは、沖縄奄美大島に産する芭蕉布ばしょうふのことのようです。恥ずかしながら知りませんでした。バナナ大学によれば、日本に食用のバナナが初めて輸入されたのは1903年4月10日ですから、100年ちょっとしか経っていません。ということは、日本では、食物としてのバナナより布物としてのバナナのほうが歴史が古い、と言えるのかもしれません。

ところで、そろそろ、「あの質問」にふれなければなりますまい。そうです。日本人を魅了してやまぬ、究極の問い。「バナナはおやつに入るのか」です!

これについては、ネット上でも大激論がかわされていまして、正直私の出る幕などありません。デイリーポータルZで、教えて!ティーチャー先生で、Yahoo!知恵袋で、コトノハで、2chの哲学板で、今日も熱いバトルがくりひろげられております。

ところで、デイリーポータルZのバナナ好きは異常とも言える域に達しています。バナナをキリン柄にペイントしてみたりバナナで日曜大工をやってみたりうまいバナナを求めて沖縄まで行ってみたり真っ黒いバナナを求めて東京中をかけまわってみたり−80℃でバナナを凍らせてみたり落ちているバナナの皮をレポートしてみたりバナナいろの作成にチャレンジしたり、いったいバナナの何が彼らをそうさせるのでしょうか。

このデイリーポータルZのバナナ記事で、ひときわ私の目を惹いたのが、コーヒーおむすびとバナナの味噌汁の記事です。それによりますと、みそ汁の中に入れたバナナは、イモのような味になっていたそうです。

wikipediaのbananaの項によりますと、人間が消費する作物は、米、小麦粉、トウモロコシ、バナナが4強なのだそうです。また、ウガンダでは、"matooke"という言葉が、「バナナ」と「食べ物」の両方を意味するのだとか。日本の「ゴハン」みたいなものでしょうか。こうなると、バナナは世界的に見て、主食の地位にある、と言えそうです。

しかし、一方で、バナナが間食として優れていることは論を待ちません。速攻のエネルギー源であり、また皮をむいてすぐ食べられる簡便さは、他の追随を許さぬものがあります。また、日本においては、おかずというものは米飯との調和がとれるものでなければなりませんが、バナナと炊きたて御飯の組み合わせは、お世辞にも相性がいいとは言えません。

「バナナはおやつに入るのか」を考察した中で私が最も秀逸だと思ったページでは、量子力学不確定性原理における「シュレーディンガーの猫」を引き合いに出していました。

量子力学においては、物質の状態は観測されるまで決定されない、とされています。シュレーディンガーの猫というのは、箱の中のネコが生きているのか死んでいるのかは、観測してみるまで決まっていない、という話です。このページでは、バナナがおやつかどうかは観測されるまで決定されない、つまり、御飯といっしょに食べたなら「おかず」、間食されたなら「おやつ」というふうに、そのつど決定されると指摘します。

私も同感です。既に見たように、バナナとは、ありとあらゆる二項対立を超越する物体なのです。草なのか木なのか、果物なのか野菜なのか、食物なのか布物なのか、主食なのか間食なのか、AかBかという、すべての問いを転倒させ、越境していく存在です。

現在、日本人が最も多く食べている果物はバナナです。総務省の家計調査によると、1世帯あたりの果実の購入量(重量換算)では、2004年、2005年ともに、バナナがみかん・りんごを抜いて1位でした。かつて、バナナは大変な高級品でした。1950年頃、平均月収が1万円の時代に、バナナは卸値で1キロ約1000円もしたそうです。しかし、値段の低下とともに、今ではすっかり日本人に親しまれる果物となりました。

ここまで日本人に愛され続けるバナナの本質とは、対立する構造のどちらにも属さない、あるいはどちらにも属す、その融通無碍なところにあるのではないでしょうか。バナナは、諸行無常、万物流転という思考を、形にしたものなのです。

「XはAだ」という文章は我々の思考の根幹をなす、と言っていいでしょう。ところが、バナナは「Aでもあるし、Bでもある。Aでもないし、Bでもない」と、二項対立の境界を軽々に越えていきます。そのトリックスターぶりが我々の共感を呼ぶのではないか。

あの雨の夜から14年後の元禄7年(1694年)。芭蕉は死の床にあって、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」と詠みました。旅とは、まさに境界を越えることです。旅に生き、旅に死んだ芭蕉の名に、その夢に、バナナほどふさわしい植物は、実はなかったのかもしれません。

kohekokoheko 2006/10/27 01:40 なぜ子どもたちがバナナだけを質問の対象にしたのか考えてみると面白いですね。子どもに人気の果物というとバナナのほかにはリンゴとミカンが思い浮かびます。。こうしてみるとリンゴはともかくミカンのことが話題に出てもよさそうです。でも恐らく「ミカンはおやつに含まない」んですよね。なんとなくですが。つーか普通に考えたらバナナをおやつに含まれてたまるかという話なんですよ。バナナを自分で買って遠足に持っていく小学生がいたら僕はそいつ嫌いです。こんなことを考えてたら「バナナはおやつに含まれるのか」という命題の「本当の意図」というものに興味が出てきました。「先生,バナナはおやつに入るんですか」というクラスの悪ガキが何気なく発したこの問いがなぜこんなにも我々の心を惹いて止まないのか。今日のエントリーはこの疑問の解決への糸口を孕んでいるように思います。しかしまだちょっとすっきりしない。個人的に追って調査してみたい内容でした。

痛風に吹かれて痛風に吹かれて 2006/10/27 14:43 Googleすると、バナナの皮を煮出してトリップって出てきちゃって。
でも、バナナはお説にあるように、別の世界へのつなぎ目みたいです。
コントでなぜ「バナナの皮」を常用するのか。
トリックスターでいけば、文脈をつるんと滑る根源的笑いとか(笑)。
「フルーツから身を守る方法」(モンティ・パイソン第一ep第四話)で、
ジョン・クリーズ(≒いかりや長介)はメンバーをいじめています。
このコント、いろいろなフルーツからの護身術をあげておいて、結局、
最初にやるのは、やっぱりバナナから!おそるべし、バナナパワー!
セサミストリートでは耳に刺さっています。何も聞こえないので、
コミュニケーションの外に出られます!
「古池や蛙飛び込む水の音」で芭蕉は実際には蛙の水の音を聞いていない
って説を読みましたけど、バナナを耳に刺していたのかも知れません。
駄文で申し訳ありません。

FummyFummy 2006/10/28 00:33 ☆サル・パンダ・バナナのうち2つをカテゴライズしたとき、「サル・パンダ」「バナナ」となる傾向が強いのが西洋で「サル・バナナ」「パンダ」となるのが東洋とか。個の属性を重視するか関係性の強弱を重視するか、ということですかね。
☆中国語でバナナは「香蕉」。しかしバナナの香りってあんまり印象ありませんなあ。と思ったら日本語の漢字では「甘蕉」なんですね。
☆黄色人種なのに白人のつもりでいる、という意味で日本人を揶揄する表現がバナナ。そういわれるとあんまり気分よくありませんが、ちょっと「うまいこというなー」とも思ったり。
☆故中島らもの「ガダラの豚」に登場する最強の呪具がバナナのキジーツ。その正体は……あ、ちょっと前項にかぶった。
☆携行食として持ち歩くには微妙に柔らかくて不安がよぎりますが「これがあれば安心」というグッズが……http://www.bananaguard.com/。腐敗を加速するエチレンガスがこもらないように通気穴まである優れもの。
☆そういえばほとんどの果物が女性器イメージなのにバナナだけは男性器イメージですな。

以上、エントリの内容と関係ない断片をとりとめなく

MrJohnnyMrJohnny 2006/10/28 02:17 なるほど、kohekoさん、質問の意図を考える、というのは大切でした。

まず、kohekoさんが「クラスの悪ガキ」と書いた通り、この質問には先生を困らせようという意図があるのでしょう。そこで、「バナナ」という、おやつだか何だかよく分からない、答えの出しにくい果物を例に挙げたのだ、というのが通常の解釈になりそうです。

しかし、カテゴリー分けにまつわる質問で答えの出しにくい問いは他にもあるわけです。例えば、「雨天中止」だったら、「1滴でも降ったら中止なんですかー?」などと聞いてもいいはずですが、こんなつまらぬ質問をする子供はまずいません。

「バナナがおやつに入るのか」が魅力ある問いとして機能するのは、「おやつは300円まで」という規則があるからではないか、と私は思います。この規則が、その成立も運用も極めて恣意的である、という点にバナナ質問が生まれてくる下地がありそうです。

恣意的に成立した法制度に論駁しようとする場合、我々はその法の想定する境界線ギリギリなものを例に挙げます。例えば、4年前に茨城県知事が会見で(http://www.pref.ibaraki.jp/press/02press/p020619.html)、食品安全基本法の試案において食品100g中のアセトアルデヒド含有量が1000μgに制限されていることを批判するために、アルコール100g中に最低9300μgのアセトアルデヒドが含まれていることを指摘しています。これは「アルコールは規制対象食品ですか?」と問うているわけで、「バナナはおやつに入りますか?」という質問と、同一の構造をもっていると言えます。

というわけで、「バナナはおやつに入るんですか?」と問う子供は、腐り切った既存の体制への反逆を企てているのであり、あらぶるロック魂の持ち主だったのです!


痛風に吹かれてさん、↓このナンセンスっぷりには爆笑しました。

>「古池や蛙飛び込む水の音」で芭蕉は実際には蛙の水の音を聞いていない
>って説を読みましたけど、バナナを耳に刺していたのかも知れません。

確かに御指摘のとおり、松尾芭蕉の『奥の細道』という書物が、さまざまな嘘や創り話に満ちていることはよく知られています。芭蕉という男は、現実と虚構の境界線を絶妙なバランスで渡っていたのであって、それは、バナナを通して世界を見ていた、というふうに言ってもいいのかもしれません。

バナナの皮でトリップする、というのは一応ガセという情報をキャッチしていますが(http://mitibatamatome.fc2web.com/banana.html)、しかし、バナナなら、バナナならきっとやってくれるに違いない、と思う自分がどこかにいます。

ところで、「バナナを耳に」で思い出しましたが、道交法が改正され、運転中の携帯電話の使用が禁じられたとき、「じゃあバナナを耳にあてて運転するのはいいのか」ということを議論していた人がいたのを思い出しました。バナナの底の深さ実感します。


Fummyさん、そういや、バナナには、サルの好物っていうイメージもありましたね。一応、御約束なので調べてみると、別にガセネタってわけでもなさそうですが、特にサルがバナナだけが好きということもなく、微妙な感じです。きっと、サルという生き物は人間と動物の境界線上にあって……と、無理にこじつけなくてもいいか。

ちなみに、その「サル、パンダ、バナナ」の話を聞くたびに、私は「パンダ」と「バナナ」をくっつける文化圏がないものか、想像してしまいます。いや、別に共通点がそもそもなさそうですが。えーと、どっちも絶滅寸前とか?

バナナの香りというと酢酸イソアミルの合成実験を思い出します。このエステルは、バナナの香りの成分ですが、棚からもってきた酢酸とイソアミルアルコールをちょいと混ぜるだけで「あのバナナの香り」がするので、けっこうインパクトがありました。鼻って頼りになんないですよねえ。

『ガダラの豚』は最高でした。

私は、フランス語のbanane(バナナ)が女性名詞だと聞いたときは、「責任者出てこーい!」って気分でしたけどね。まあ、フランス語の名詞の男女の区別を考えたやつは気が狂っているので(例 http://lepain.main.jp/chef/recette/recette_04.htm)、私ももういい大人ですし、許してやろうと思ってますけど。

NanaNana 2006/10/28 07:10 人間の人格というのも、誰かに観測されて初めて決定されるものですよね。バナナには何やら人の本質を突くものがあるのやも知れません。とかなんとか。

iireiiirei 2006/10/28 12:08 はじめまして。とてもブログの文体が面白いですね。理系であられるということですが、文体の良し悪しは、理系、文系の別は関係ないと思われますね。
 ちなみに、私はバナナを朝食の一部にしています。

kohekokoheko 2006/10/29 00:50 本文に勝るとも劣らないコメント,恐れ入りました。そのお話でだいぶ腑に落ちた(こういう風に使っていいんだろうか?)ように思います。つまり「そのルールには落とし穴があるんだぞ!」と声高に叫んだわけですね。確かにそういうことですよねえ。そしてミカンでもリンゴでも駄目という点についてですが,上でiireiさんも仰っておられますがバナナは栄養食というイメージがありますね。そこらへんでミカンやリンゴとは一線を画すように思いました。子どもに「うける」理由としては微妙ですが。

MrJohnnyMrJohnny 2006/10/30 01:52 Nanaさん、確かにバナナには、人と同じく、観測する人によってその性質を変えるような不思議なところがありますね。そうなると、「先生にとってのバナナ」と「生徒にとってのバナナ」は異なる存在となるわけですが、そのような世界において、例えば「バナナはおやつに入る」という規則を先生と生徒が共有できる根拠はあるのだろうかと、考えさせられます。

iireiさん、こんにちは。お褒めいただき感謝です。もっと面白い文章を書く人はいくらでもいらっしゃるので、ちと恐縮しておりますが。文系・理系という区別は、今の日本では受験制度とほとんど癒着していると思いますが、「面白い文章」というのは一般に入試で評価される文章とは違うので、おっしゃる通り文系・理系の別と文章力は相関が薄いかもしれません。突然思い出しましたが、木下是雄『理科系の作文技術』は名著でした。

kohekoさん、私の無茶苦茶なコメントでも思考の引き金ぐらいにはなれたようで、よかったです。バナナが栄養食、というのはありそうですね。もちろん、リンゴにもペクチン、みかんにもビタミンCなどの健康イメージはあるわけですが、バナナの場合、含有水分量が果物の中ではトップクラスの低さであるため、100gあたりのカロリーが高く(みかんの倍)、腹にたまる、というのも、遠足というイベントと絡んでくる理由になっているかもしれません。

NanaNana 2006/10/30 05:39 >「先生にとってのバナナ」と「生徒にとってのバナナ」
で気付きましたが、というか、あまりに自明すぎて誰も触れていないだけなのか。「バナナはおやつに入るのか」は、「おやつは三百円まで」があってこその問いでしたね。この制約こそが、「バナナはおやつに入るのか」の魅力だった気もします。ああ、そういえば、これは先生と生徒のゲームでした。普段は勝てそうにない先生を困らせることが出来る魅惑のゲーム。あるいは、そんな小賢しい小学生をやりこめる快感。そのゲームの主題に、いつの間にかバナナがすっぽりとはまったのでしょうね。

MrJohnnyMrJohnny 2006/10/31 14:25 Nanaさん、そういえば、その「おやつは300円まで」という規則の発祥も興味深いところです。なぜ300なのか?

ためしに、値段のところを100→200→…→1000円に変えて、「おやつは*円」という文字列をGoogleでフレーズ検索してみたところ、ヒット数は126→353→49600→45→9770→12→0→10→0→32と推移したので、やはり日本人の平均的感覚としては「おやつは300円まで」なのでしょう。

で、今度は100円刻みで100000円まで検索させてみたところ、1200,1500,1800,3000,5000,30000円がヒットします。5000円を除いて、すべて300の倍数ですね。3という数字には不思議な力があるようです。

「おやつは300円」の「3」のところを「8」に書き変えたプリントを親に見せ、500円をせしめるという、保健証偽造して借金するがごときテクニックを紹介しているサイトがあって感心しましたが、たぶん不自然だ、と思われてしまうのでしょうね。

ちなみに、検索にひっかかる最大金額は、たぶん「”おやつは30億円”」です。

痛風に吹かれて痛風に吹かれて 2007/01/09 14:37 あけましておめでとうございます。
受験シーズンですね。
http://www.geostationarybananaovertexas.com/en.html
http://www.boingboing.net/2007/01/03/geostationary_banana.html
バナナ型の人工衛星(実は高高度気球)です。ついにバナナは
大気圏を突破する?

エントリーシートエントリーシート 2009/11/18 13:21 バナナがそこまで高価だったとは・・・
恐ろしいですね。

芭蕉芭蕉 2009/11/18 14:34 芭蕉がそこまでファンキーだったとは知りませんでした。

たかしたかし 2009/11/18 14:35 「フルーツから身を守る方法」(モンティ・パイソン第一ep第四話)で、
ジョン・クリーズ(≒いかりや長介)はメンバーをいじめています。
このコント、いろいろなフルーツからの護身術をあげておいて、結局、
最初にやるのは、やっぱりバナナからなんですね。

規善規善 2010/01/10 17:08 バナナのことで、ここまで語れるとは凄い。
勉強になりました。

ダイクンダイクン 2010/02/16 22:34 バナナも奥が深いんですね。なんとなく食べていましたが。

スカルプDスカルプD 2010/04/08 08:00 スカルプD 激安 楽天

口コミ口コミ 2010/04/08 08:01 スカルプD 口コミ

ケンイチケンイチ 2010/05/30 23:17 バナナが葉というところに吹きました(笑)
しかし深いですね、何でもそうかもしれませんが。
あとは語る人の抽象力と想像力の問題なんでしょうねb

けんけん 2010/06/13 12:54 面白い!

佐々木佐々木 2010/06/26 14:55 ほー。そうなんですか。
勉強になりました。

山口山口 2010/06/30 12:21 応援してます

怪異・日本の都市伝説怪異・日本の都市伝説 2010/08/09 18:04 とてもおもしろですね。

家出少女リナ家出少女リナ 2010/08/09 18:05 なるほど!おもしろいですね

つよぽんつよぽん 2010/08/25 09:40 バナナは時としておやつ、時としてデザートですね。
面白い考察です。

http://jutakuloan-sos.jp/m_arrangement/

たろきちたろきち 2010/08/28 17:45 バナナの考察は深いですね!思わず噴出してしまいました^^;

さるおさるお 2010/09/29 22:33 なるほど。バナナの話し参考になりました。

katekate 2010/10/01 14:18 いわれてみると確かにそうですね。

おきおき 2010/10/02 08:59 そんな感覚は確かにしてます。

yuyu 2010/10/06 22:06 私も当初は違う考えだったのかもしれません。

それについては、言われてみてはじめて納得しましたから。

とりとり 2010/10/20 16:33 そうかもしれませんね。
指摘されるまで気がつきませんでした。

aiai 2010/11/04 16:28 う〜ん、なるほどですねー

Q1Q1 2010/11/04 16:30 ばななかー

ronron 2010/11/05 19:42 改めてバナナを見直してしまいそうです。

アウンアウン 2010/11/06 19:00 ぱふぱふは大事です。

なきなき 2010/11/24 16:51 バナナは少し違うかもしれませんね。

QQAAQQAA 2010/11/26 04:05 時代の流れとともに、変化している
向きはあるでしょう。

なかなか気づきませんが。

くりすくりす 2010/12/13 14:36 とても勉強になりました。

kentkent 2011/02/01 15:37 おもしろいブログですね。また来ます。

tatatata 2011/02/04 09:21 なるほど。
そうですよね。

モリモリモリモリ 2011/03/06 00:38 確かに確かに
モリモリっと行ってみよう

OKOK 2011/05/20 21:27 また見させてもらいます

大学生大学生 2011/11/29 16:46 学生です。

血糖値を下げる血糖値を下げる 2012/05/06 16:58 また見に来ます。次はどんな記事が更新されているのか楽しみです。また更新されることを祈っております!!

ADAコインADAコイン 2016/03/19 21:10 ADAコインはバナナよりうまい

2006年10月17日 名前のない忘れ物、世界にただ一つの名、この「名もなき詩」を このエントリーを含むブックマーク

ローマ帝国大英帝国の衰退期には空前の健康ブームが起きたそうですが、まあ関心が内側をむくというのは滅びの予兆でしょうね。例えば、突然ネット論などを語り出すブログは要注意です。今日は、前回のエントリを受けて、ネットと「名前」の関係について考えます。

 私がインターネットであれこれと持説を論じたり、私生活について書いたりしているのを不思議に思ってか、「先生、あんなに自分のことをさらけだして、いいんですか?」とたずねた学生さんがいた。

 あのね、私のホームページで「私」と言っているのは「ホームページ上の内田たつる」なの。あれは私がつくった「キャラ」である。あそこで私が「……した」と書いているのは、私が本当にしたことの何万分の一かを選択し、配列し直し、さまざまな嘘やほらをまじえてつくった「お話」なのである。「私」はと語っている「私」は私の「多重人格のひとつ」にすぎない。そういう簡単なことが分からない人がたくさんいる。

 私は匿名で発信する人間が大嫌いだけれど、それは「卑怯」とかそういうレヴェルの問題ではなく、「本当の自分」というものが純粋でリアルなものとしてどこかに存在している、とその人が信じこんでいることが気持ち悪いからである。私は「内田樹」という名前で発信してもまるで平気である。それは自分のことを「純粋でリアルな存在」だと思ってなんかいないからである。

内田樹『「おじさん」的思考』より

入試でも大人気、内田樹の文章です。

ここで「私のホームページ」と言っているのは、内田樹の研究室のことですな。はてなアンテナ登録数1942人、RSS登録数864人。どちらの数字も、この吹風日記のおよそ10倍。怪物サイトです。

この引用文の直前で行われた議論を簡単に紹介します。内田は、相手ごとに一回的で特殊な関係をそのつど構築する力こそ、成熟したコミュケーション能力であると言います。いわば場面ごとに「別人格を演じる」こと。ところが、近代になって、「単一で純粋な統一された人格」をいかなるときでも貫徹することがよいことだ、というイデオロギーが支配的になってしまった。「自分らしくふるまえ」とか「自己実現」とか。うーん、なるほど。

しかし、この、「ネット上で実名で発信してもまるで平気」「あれはキャラ」と言い放つ強さはどうですか。村上春樹も似たようなことを書いていまして、『村上朝日堂 はいほー!』には

 僕は原則的に村上春樹という作家と、村上春樹という個人を完全に二つに分けて物事を考えることにしている。つまり僕にとって作家・村上春樹は一つの仮説である。仮説は僕のなかにあるが、僕自身ではない。僕はそう考えている。

とありました。私は、むしろ、内田樹や村上春樹の、「自己」に対する強烈な自信を感じて、なんだかいじけてしまいます。……オレなんか実名出すどころか、MrJohnnyだもんなあ。だれだよお前。

というわけで、今日はネットにおける「自分」というものについて、ぐだぐだと思いつきをならべることにします。

えー、最近私はすっかり組織のボトルネックになってしまい、ろくに考える時間もとれません。踏み込みの甘い更新になりますが、ご容赦ください。なお、id:yosituneさんのブクマコメントによれば、ブログというものは「管理人が「私生活が忙しい」だの何だのと「言い訳」を始めたら寿命の兆候だと思う。」とのことなので、このブログもヤバげです。

つうかですね、もともとこのブログは、中学生相手の授業で使えるネタをストックするために始めたものだったのでして、今「どこがやねん!」というツッコミが右脳に住む神々から聞こえましたが無視することにしますけど、ですから、この日記で時事ネタを扱わないというのもそういうポリシーの一貫だったわけです。それがなんだ、GIGAZINEとか、mixi個人情報流出とか、この潰しのきかないネタどもは。ええい、おかみを呼べっ!て感じです。

これは私の持論なのですが、中学生の興味を惹くような話ができないのならば、語り手の能力が足らないか、その話題が人生において大した意味のないネタなのかのどっちかです。そのぐらい子供信頼してなきゃ授業なんかやってられませんよ。ともかく、その基準でいうと、ネット論などというのはあまりよい素材とは言えません。でも書くんですが。

ところで、前回のエントリの想像を絶する大反響、ブクマ200usersにはびびりました。私がローカルで書いている日記の12日15時21分には「なんかリロードするたびに(ブクマ数が)増えていくのが恐ろしい。絶対みんな何かに騙されてると思う。だいたい、文脈から切り離して文章読むなんて、普通の人間には、ほとんど不可能だろうが。」と書いてあります。自分のエントリの内容に自分でツッコミを入れているあたり、狼狽ぶりがうかがえます。まあ、でも、前回のエントリは主張のラジカルなところに共感が集まったのでしょうね。はてなブックマーカーは真面目な方が多いですから。

トラバもたくさんいただいて嬉しかったです。特に、前回のエントリ中で「激しくオススメ」したishさんのブログで、「ブログ記事評価におけるテクストの自律性を問おうとして人格概念と意味についての議論にはまりこんでみる」と、「webのフラットさによる暴力はweb自体によって去勢されるという微かな希望」という2本立てのエントリで吹風日記に言及してもらったのが幸せです。よく読むと、私のエントリを根底からひっくり返すような内容になっているのですが、私的には、脳内幸せ回路で友情エントリに変換されているので問題ないです(オイ)。とりあえず、ishさんに言及してもらったことで、吹風日記を書き続けた半年分の苦労ぐらいは軽くペイした気分です。

トラバの中で、もう一つみなさまに読んでいただきたいのが、hyorohyoroさんの「沈黙は金、雄弁は銀」です。この「沈黙は金、雄弁は銀」について、実はこの格言が使われていた時代は銀のほうが価値があったので、この言葉は「雄弁が偉い」という意味なのである、という説明をどこかで聞いたことはありませんか? 私もずーっとその説明を信じていたのですが、実はこれは誤りで、やっぱり「沈黙が偉い」という格言なんだ、ということを検証したエントリです。面白かったです。

さて、本題に入りましょう。まずは、2chとmixiについて考えます。

内田樹は、「私は匿名で発信する人間が大嫌いだ」と書きます。匿名で語る人間は、どこかに「純粋でリアルな本当の自分」というものが存在していると信じこんでいるからだ、というのです。「匿名で発信する人間」を以下「2ちゃんねらー」と書くことにしますが、2ちゃんねらーが「本当の自分」というものを信じている、というのはどういうことでしょうか?

私は、2chにあるのは固有名詞への信仰だと思います。相変わらず唐突な話の展開で申し訳ないです。こういうことです。

まず、「純粋でリアルなただ一つの何か」が存在するとき、それに必ずある固有の「名前」がついているはずだ、と考えるのはそんなに非常識な話ではないと思います。「名前」がなければ我々はそれについて思考することもできないだろうからです。この考えの対偶をとると、固有の名前のないものは「不純だったり、仮想上のものだったり、場面によって実体がコロコロ変わったりするもの」となります。これが2chの「名無し」さんです。

ここで、おそらく、この逆も信じられているのです。ある固有の「名前」がついた存在は、「純粋でリアルなただ一つの何か」でなければならない、ということ。以下、これを「固有名詞への信仰」と呼ぶことにします。それは、sho_taさんのエントリ「ネットの自分がリアルな自分と統合される時」の言葉を借りると、「立場が変われば主張が変わる。こんな当たり前のことが、ネット上では厳しく制限されるわけです。自然、ネット上での「個」は果てしなく平板化していく。」などと同じことを言っているつもりです。

ところで、mixiで実名書いちゃうような人も、この固有名詞への信仰があるのではないでしょうか。ここでいう固有名詞はもちろん自分の実名のことです。プライバシー侵害事件というのは、この暴力的な「平板化」「フラット」化の圧力の産物であると言えます。なぜなら、mixiの事件の場合、彼女のプライバシーというのは、まさに恋人の前で「別人格を演じた」からこそ生まれたものだからです。

2chとmixiは対極にあるコミュニティだけど、上記のような見方をすると、「名づけられた単一の人格があるはずだ」という固有名詞への信仰の、裏と表に過ぎないのではないか。

次に、ソーシャルブックマークについて考えます。

前回のエントリで、私は、ソーシャルブックマークの目指すものは「人格の解体」「権威の解体」だと書いたわけですが、そのエントリが200usersという少なからぬブクマをもらったのは、それが本当に理想かまた実現可能かどうかはさておき、まさに当事者たるブックマーカーの心理に何か訴えるところがあったのだろうと思います。

はてなでは、ある程度のブックマークをもらうと、はてなダイアリーのトップページにエントリ名が掲載されます。以前は、ここに日記名も掲載されていましたが、今はエントリのタイトルしか掲載されなくなりました。これは象徴的です。ブログタイトルが消える。それは、すなわち、ブログ、そしてブロガーという人格が消えていく方向を示しているかのようです。

Phenomenonさんの「ブロガーにアイデンティティーなんていらない。早く死ねばいいのに。」というエントリには、「私が思うのはブログはその混沌を「エントリー」単位で回すべきなんじゃないかということです。」という興味深い提案があります。「『作家性』なんていうものは、理想にとってじゃまなだけだ」というのです。

萌え理論Blogさんは、「大手ニュースサイトからブログに来た読者の97%は他のページを読まずに帰る」というデータを挙げています。うちの吹風日記もだいたい似たようなものです。ということは、既にブログは、ニュースサイトとソーシャルブックマークによって、エントリ単位で寸断されつつあるのです。

あと出しじゃんけんみたいですが、私自身、この吹風日記は極力、1つのエントリが独立して機能するように書いてきました。だから、この、「ブログはエントリ単位で回すことを理想とする」という考え方には強く共感できる。

しかし、上で紹介したishさんのエントリで言っていることの一つは、この理想を完全に達成することはぶっちゃけ不可能、というものなのでした。今から70年ぐらい前に、ヒルベルトという数学者数学の無矛盾性を証明しようとしたとき、ゲーデルという数学者が「数学は自己の無矛盾性を証明することはできない」ことを証明して、数学界に大きな衝撃を与えましたが、そのときのヒルベルトもこんな気分だったんですかねえ。

しかし、未来のウェブは、現在よりもずっとこの理想に近い位置に来るのではないか、とは思いたい。どうだろうか。

今度は、「無断リンク問題」について考えます。

数日前にホッテントリにて「無断リンク問題」がありました。とあるサイトの管理人さんが、はてなブックマーカーにむかって「あんたら、迷惑なんだよ。」「多くのWebマスターが、コンテンツやブログページ単体にリンクを貼られてどれだけ迷惑してっか、わかってんの?」と主張したところ、ブックマーカーたちが面白がってブクマしまくったという事件です。

この問題は、「無断リンク問題」と通称されているようなので私もそう書いたのですが、どうも件の管理人さんの意見をよく読むと、問題は「無断リンク」ではなく、「ディープリンク(サイトのトップページではなく、個別記事に直接リンクすること)」であることが分かります。ディープリンクは訴訟に発展する例があるぐらいナーバスな問題です。

渦中の管理人さんは、「サイトは、ページ単体ではなく、いくつものコンテンツが揃い、利用者が守ってこそ初めて成り立つ物なのです。」と主張します。この管理人さんのサイト観と、ブックマーカー達のサイト観には、大きな相克がありますが、それは2chやmixiにおける統一された自己を信じる人間観を、ソーシャルブックマークが打ち破ろうとしていることを示しているのでしょうか?

最後に、検索可能性(ファインダビリティ)の問題を考えます。

私はこのエントリで、「固有名詞への信仰」などという奇矯な言葉を選択しているわけです。「権威への信仰」とか「人格への信仰」と言えば、もっと分かりやすい。しかし、ここで「固有名詞」という言葉を選んだのは、検索について考えたいからです。固有名詞というのは、検索エンジンとものすごく相性がいい。というか、今のウェブの検索システムは固有名詞以外ではまともに機能していないと思う。

mixiが本名登録を推奨したのは、「お知り合いがあなたを発見しやすく」なるからです。

2ちゃんでは独特の隠語が使われます。もちろん隠語は仲間意識の醸造に役立っているのでしょうが、私はテキストマッチング(検索語との一致)から逃れようとする意識が根底にあると思う。分かりやすい例で、「氏ね」。これは2ch起源ではなくあめぞう起源のようですが、もともとは「死ね」が投稿規制にかかっていたのを回避するために生まれた表現です。例えば、叩きスレのようなクローズドな世界をつくりたいとき、固有名詞は多くの場合、置換されます(例、sony → 糞ニー)。

ここには、固有名詞が検索を通じて世界と接続されている、という発想があるわけですが、これも固有名詞への信仰の一部です。mixiと2chはやはり同じコインの裏表になっている。一方、内田樹の言う、同じ名前でも別の人格、という状態は、根底のところで検索エンジンと相容れないわけです。

今後、ネットがどのように進化していくかは、私などにはさっぱりですが、おそらく、固有名詞の信仰はうまく機能しないだろう、ということは想像がつきます。だから、検索エンジンは、もちろん機能はするだろうけど、常に何かを取りこぼし続けるでしょう。そして、私がほしいものも、だいたいそのこぼれている方にある。それに対して、何かできることはないのか。

つうわけで、とりとめもなく書いてきました。ブロガーにとっては、考えるよりも書くことのほうが大切なときもあるでしょう。今回挙げた問題群がまさにそうですが、答えというのは、解答欄に書かれるものでなく、我々自身の次の行動そのものなのですから。

sho_tasho_ta 2006/11/03 07:34 どーもです。遅まきながらこのエントリ、かっちり拝読しました。

>しかし、未来のウェブは、現在よりもずっとこの理想に近い位置に来るのではないか、とは思いたい。どうだろうか。

こちらで紹介されて以来「ish★雑学女」さんにめっきりやられ、毎日読んでいるわけですが、上記引用部分は、ishさんが吹風日記さんについて言及した2つのエントリにも流れている「希望」がありますよね。
こういう希望は、私個人的に大好きですw

痛風に吹かれて痛風に吹かれて 2006/11/15 18:12
たとえば、論敵のIPを割り出してサーバーに割り込み、同じIPを使って別名で
いくつも投稿を繰り返すことで、管理者への相手の信用を失墜させる手法など、
(やられている側は全く感知できない)、Web 2.0では解消されたらよいだろう
な、と思います。
どうしても、匿名であればあるほど、誰なのか、はかえって問題になる場面は
消えないと思います。
(私は古臭いのかも知れません)。
作者は、理想の読者を想像しつつ、相手を出し抜く一手を熟慮する
読者は、そうした理想的作者を想定しつつ、可能な限りテクスト世界を
幅広く想定しようとする。読者と作者は相互の人格を前提に、
完全情報下のゲームツリーのような息詰まる対決をしている---と
エーコなどは想定します(バカ文系です)。
Web上では、各種のなりすまし行為などで、完全情報は成り立たない。
よく考えると、なりすまし行為は怪文書の手法と同じで陳腐ですけれど。
とりとめもなく、すいません。

ひろひろ 2010/06/13 12:56 いろいろな問題がありますね

コウコウ 2010/06/30 12:24 なるほど

りーなりーな 2010/07/05 00:28 とても考えさせられました。

怪異・日本の都市伝説怪異・日本の都市伝説 2010/08/09 17:57 気になります

家出少女リナ家出少女リナ 2010/08/09 17:57 そうですね。

aboabo 2010/11/24 16:54 そういう観点でみると、
私の考えとは少しずれてしまいますよね。

きりんきりん 2010/11/26 04:09 その意見だと私の中では統合する部分もあります。

けっこう驚きでした。

みきみき 2010/12/13 23:43 おもしろいブログですね。また来ます。

syousyou 2011/02/12 22:41 そういう考え方が
次につながってくるのですね。

だつだつ 2011/02/14 12:52 そのあたりはちゃんと考えないと
いけないようです。

糖尿病糖尿病 2012/05/06 17:01 おもしろいですね。いろいろなことを記事にされているのですごいです^^

2006年10月10日 最近の若者は本当にいたか、とカントは言った、皆が本を書いている このエントリーを含むブックマーク

何千年も前の遺跡から「最近の若者は……」と書かれた出土品が出てきた、という話をご存じの方は多いと思います。でも、これって本当の話なんでしょうか? 今日は、「最近の若者」のルーツを追っかけながら、ネット社会と統一されない自己について考えます。

 人の話す言葉のどれが正しいとするかは、なかなかむずかしいことです。それはどこに基準点をおくか、いつの時代、どこの言葉を基準とするかによります。どれが正しいかというところに踏みこむと、保守的な態度の人、新しいことを好む人、いろいろあって、その人の人生や世界に対する考え方が言葉の選択の上に出てきます。今から何千年も昔のくさび形文字を解読したところ、「このごろの若者の言葉づかいが悪くて困る」とあったそうです。言葉は人間の行為だから、保守的、革新的という相違があるのは当然です。

大野晋『日本語練習帳』より

日本語ブームの種火となった『日本語練習帳』です。

私もかつて当ブログで、「正しい言葉」という概念がいかに怪しいものであるかについて、いくつかエントリを書いてきました。「産経新聞が『乱れた日本語』だと指摘した表現を夏目漱石も使っていた」とか「お嬢様言葉は昔は『乱れた言葉遣い』として批難されていた」とかです。その点で、この大野晋の主張には深く共感できます。

ところで、ここに書かれた「今から何千年も昔の楔形文字を解読したところ、『このごろの若者の言葉づかいが悪くて困る』とあった」というのは、実に面白い話ですね。大人のよく使う「最近の若者は……」という言葉は、彼らが若者だった頃にも言われていたのだろうし、それどころか、人類発祥以来、もう何千年となく言われ続けてきた言葉なのです。「近頃の藍藻は酸素吐きやがる」(野尻抱介)。いやあ、愉快です。

うん、で、大野先生、ソースは?

いや、もちろん、私は大野先生尊敬していますし、今回引用した文章には深く共感しますし、この「最近の若者」の話は大変面白いですよ。でも、それとこれとは別です。この話の情報元は何でしょう? いったい、いつどこでだれが発掘した粘土板にこんな言葉が書いてあったのでしょうか? ぜひ知りたいです。

というわけで、相変わらず長い前フリですが、今日は、最古の「最近の若者」を探しているうちに考えたことを書くことにします。ひとつおつきあいよろしくおねがいします。

さて、軽くググると、まず発見したのは、2chのコピペでした。それによりますと、「古代アッシリアの粘土板 B.C.2800頃」「ソクラテス」「プラトン」の言葉がそれぞれ引用されています。とはいえ、「ソースは2chコピペです」では、喧嘩売ってんのか、つう感じです。細木数子の占いのほうがまだ信用できます。

今度は、この2chのコピペを手がかりにして調べると、人力検索はてなで同じ疑問をもっている人が見つかりました。「最近の若者はなっていない」という感じの文章……の正確なソースを教えてほしいという質問です。ここでは、情報の出典として『アシモフの雑学コレクション』という本が挙げられています。おおっ、あのアイザック・アシモフですか。これは、信憑性が高そうです。

そこで、この『アシモフの雑学コレクション』(原題 Isaac Asimov's Book of Facts)を検索します。ラッキーなことに、英語日本語の両方で、この本から引用しているサイトを見つけることができました。

アシモフが紹介しているのは、次の3つの言葉です。引用します。

1つ目は、紀元前2800年ごろの、古代アッシリアの粘土板にある文。"Our earth is degenerate these latter days. There are signs that the world is speedily coming to an end. Bribery and corruption are common."(世も末だ。未来は明るくない。賄賂や不正の横行は目に余る。)

2つ目は、ソクラテスの言葉。"Children are now tyrants...they no longer rise when elders enter the room. They contradict their parents, chatter before company, gobble up dainties at the table, cross their legs, and tyrannize over their teachers."(子供は暴君と同じだ。部屋に年長者が入ってきても起立もしない。親にはふてくされ、客の前でも騒ぎ、食事のマナーを知らず、足を組み、師に逆らう。)

3つ目は、プラトンの言葉。"What is happening to our young people? They disrespect their elders, they disobey their parents. They ignore the law. They riot in the streets inflamed with wild notions. Their morals are decaying. What is to become of them?"(「最近の若者はなんだ。目上の者を尊敬せず、親には反抗。法律は無視。妄想にふけって街で暴れる。道徳心のかけらもない。このままだと、どうなる。)

2chのコピペの内容と一致しています。おそらく、この本が有力な元ネタでしょう。これらの言葉で検索をかけると、たくさんのページがヒットします。

なお、これ以外にも、ハンムラビ法典に「今の若い者は……」と書かれているそうだ、などの説も見かけました。ハンムラビ法典はネット上に英訳がありますが、私には正直、どこにそんなことが書いてあるのか分かりません。だいたい、ハンムラビ法典は「法典」です。法律に「最近の若者は……」などと書いてあるわけがないと思います。ちなみに有名な「目には目を」は196条です。his eye shall be put out!

さて、1つ目の、紀元前2800年ごろの古代アッシリアの粘土板については、現時点では、残念ながら疑う材料も信じる材料もどちらも手に入っていません。つうか、そもそもコレ、「最近の若者」についての言葉じゃありませんし、スルーします。

今回、私が問題にしたいのは、ソクラテスとプラトンの言葉のほうです。

ソクラテスは自身で著作を残しませんでした。ですから、その言葉は、どうしても弟子のプラトンの著作などを通じた伝聞になってしまいます。となると、はっきりソースが見つかりそうなのは、プラトンです。

プラトンの著作は、そのすべてが英訳され、プロジェクト・グーテンベルグ(著作権切れのテキストを収集するプロジェクト)で公開されています。青空文庫に『クリトン』しかない日本とは大違いですね。羨ましいです。

アシモフが引用したプラトンの言葉も、このテキスト群のどこかにあると考えられます。

ところがですね、実はこっからが本題なんですけど。ないんですよ、このアシモフの引用したプラトンの言葉が。プラトンの著作の中にないんです。

まず、アシモフの引用した文章を直接検索してもヒットしないことは、直ちに確認ができます。しかし、まあ、もしかしたらちょっと違う翻訳を使ったのかもしれません。

そこで条件をゆるゆるにしてスクリプト言語に検索させます。プラトンの言葉に使われた38単語のうち、一般的でなさそうな16単語(happening young,people,disrespect,elders,disobey,parents,ignore,law,riot,streets,lamed,wild,notions,morals,decaying)が、連続する100単語中に8単語以上出現する場所を探します。結果は、ヒット0件。

英語圏のやり取りも紹介しておきます。Google Answersに、人力検索はてなと同じ、「最近の若者は〜」という言葉のソースをくれ、という質問が立っていました。その質問に対し、古今の引用を列挙して答えた凄腕の解答者がいましたが、その人は、このプラトンの言葉に対して、"I think this is a direct quote, but can't find the reference at the moment."とコメントしています。直接の引用だと思うけど、今のところどっから参照した文か分からない、というわけです。しかし、私の確認する限り、"direct quote"ではなさそうです。

Slashdot.orgには、こんなやりとりがありました。このプラトンの言葉を引用したコメントに対して、"Where did this quote come from?"(この引用はどこから?)とツッコミが入っています。つっこんだ人は、"I've read Plato and the neoPlatonists (especially Plotinus) but can't recall a source for the quotes. "(プラトンは昔読んだけど、この引用は記憶にない)と言っています。

もちろん、これらの傍証は、アシモフの引用したプラトンの言葉が「ない」ことの証明にはなりません。なにせプラトンの著作はベタテキストで7MB以上あるのです。こんだけ大量の文章です。探せば、実はどっかにあるのかもしれません。

しかし、これはほとんど「悪魔の証明」です。いくら対象が有限とはいえ、7MBのテキストすべてに目を通さなければ反論できない、というのは過酷すぎます。ここでは、反証可能性というものがほとんど奪われていると言えるでしょう。

だいぶ話が長くなってきたので、いったんまとめます。まず、アシモフがプラトンの言葉として「最近の若者は〜」を引用しました。ところが、それが、プラトンの著作の中に発見できない、という話でした。

私は現時点で、アシモフの引用は、かなりの確率でガセだろうと思っています。これは、いわゆる「カントは言った」のたぐいではないか。カントはありとあらゆる名言を残しているので、適当なことを言って「カントは言った」とくっつければサマになるというやつです。「やっぱり冬は熱燗に限る、とカントも言っている」みたいな。

しかし、私が本当に注目したいのは、アシモフの引用がガセかどうかではありません。そうではなく、このような誰もウラを取っていない怪しい情報が事実として拡散してしまう、ネット社会についてです。

唐突ですが、「最近の若者」つながりで、キケロの言葉を紹介しましょう。つうか、この言葉も本当にキケロが言ったのかどうか疑わしいようですが、検索してみると、もうキケロの言葉ということですっかり定着しているようです。こんな言葉です。

"Times are bad. Children no longer obey their parents, and everyone is writing a book."(拙訳:くそっ、なんて時代だ。子供は、もう親の言うことなんか聞きゃあしねえ。そして、みんなが本を書いている。)

この"everyone is writing a book."を見たときの衝撃は忘れられません。そして、キケロから2000年。時代は、"everyone is writing a blog."になったのです。"blog"じゃなくて"mixi"でもいいです。

以前から、「ネズミはチーズを食べない」というのはガセとか、ネットは洗脳社会だとか、同じようなことを何度も書いていますが、私は普通の人の、たぶん100倍ぐらいの量の検索をする人間なんで余計に痛感するんですよ。まず、ネットの99%はコピペです。そこでは不正確な情報がそのままの形であっという間に拡散します。これ、なんとかならんか、と。

理想を言えば、「アシモフが言ったから正しい」とか「朝日新聞が言ったから正しい」とか「アルファブロガーが言ったから正しい」とか「アー」とか、そういう判断のしかたをやめて、1つ1つの主張を検証するべきなんでしょう。要するに「だれが書いたか」で判断するのではなく「何を書いたか」で判断するということです。

ここでは、「アシモフ」という統一された人格は、むしろ邪魔です。

これは、いわゆる「はてブの衆愚化」問題と共通するところがある。なんで、GIGAZINEさんがやり玉に挙げられるかというと、ホッテントリがGIGAZINEさんばかりだからなわけですが、それは、批判者の心の中に、GIGAZINEのエントリは内容でブクマされているのではなく「GIGAZINEだから」あんなにブクマされてるんだ、という思いがあるからだと思います。ぶっちゃけ、GIGAZINEさん以外が、例えば私が「svchost.exeの正体を探る」という記事を書いても、絶対に600usersにはならないと思う。

要するに、ソーシャルブックマークが目指す理想の方向性というのは人格の解体である、と考えられているのでしょう。「人格の解体」という言葉に抵抗があるなら、「権威の解体」でもいいですが。

話はmixiに飛びますが、非常に秀逸な考察があります。ishさんの「mixi疲れと友達の友達」では、「普通であれば相手によって色々な『自分』がいる」が、mixiでは「すべてのマイミクに対し一意な『自分』」しかいないと指摘します。けれど、そもそも、「全体の見えなさ」「見通しの悪さ」「常に部分的でしかないもの」の総体こそが「自分」なのだ、と。

ここでも、統一された自分とそうでない自分というものが焦点になっています。

ちなみに、この「ish☆走れ雑学女ブログ」は、謎の病原菌でたった一つのブログを残して他のブログが消滅するとしたら、どのブログを残しますか?という質問に対する、現時点での私の答えです。激しくオススメ。

mixiでは最近、日本の歴史において最高レベルであろうプライバシー侵害事件が発生しましたが、これはmixiに実名を書いてしまったことも理由の一つになっています。すなわち、「ネット外の自分」と「ネット上の自分」というものを統一してしまったことが問題の一因となった。

つうことで、このあたりは、共通する根っこがあるんじゃないかという気しますが、話が長くなりますので、また別の機会に書くことにしまして、とりあえず今日の話を強引にシメておきます。

私は、大野晋の書いた話、すなわち、楔形文字に「このごろの若者は……」と書いてあったという話は、嘘くさいと思っています。しかし、嘘と言えるだけの根拠は見つかっていません。もし、私が楔形文字についての造詣が深ければ、もう少しまともなことが言えたでしょう。また、もし、プラトンをきちんと読んでいれば、アシモフの引用について的確な批判ができたでしょう。

これで分かることは、勉強というのは、他人と違う意見を言うための武器なんだということです。勉強しない人間というのは、他人の意見を受け入れるしかないということでしょう。なかなかしんどい話ですが、私は今回のエントリを書くにあたって自分の無力さをいろいろ痛感しました。さらなる研鑚を積みたいと思います。

sho_tasho_ta 2006/10/11 17:56 こ、これは深い。
コミュニケーションのあり方が「人間(人格)のあり方」に影響を及ぼす好例ですねえ。たまげました。

千早千早 2006/10/11 19:01 ネット上の文章にも、自然淘汰が働かないものですかねえ。
ネットに繋いだばかりの頃は「検索機能バンザイ」なんて思っていましたが、最近はノイズの多さに辟易しています。

思うに、文責を負うという意識が薄いのではないかと。
公序風俗に反したのでもなければ、特に咎められることも、権威が失墜することもないですし。
教壇の上に立つ面持ちで、「適当なことを言ってはいけない」と常に思い続けていたいものです。

takahirotakahiro 2006/10/11 22:36 時事問題はあまり書かないこのブログですが、
ブログを読んでて、今日のNHKの北朝鮮が二度目の核実験をやったという誤報を思い浮かべてしまいました。
今日の文章は、報道機関にあてた熱烈な皮肉なのだろうか、などと思ったりしています。

MrJohnnyMrJohnny 2006/10/12 03:06 sho_taさん、たまげたのはこっちです。sho_taさんのコメントを拝見して、改めて自分のエントリを読み返したのですが、そんなことが書いてあるとは思ってもいませんでした。「読巧者」という言葉は、こういうときに使うのでしょうねえ。ありがたいです。

千早さん、「自然淘汰」という言葉は刺激的ですね。淘汰を成立させるには、「死」に相当する仕組みが必要で、それをウェブにどう取り込むか。「文責」ということについて言うと、私はむしろ、人が文責を意識するからこそ、ウェブの99%がコピペになるのだと思ってますので、良し悪しだなーという感じです。

takahiroさん、書き手としてはなんも考えず書いていましたが、確かにこのエントリで指摘したような問題は、ネットよりもむしろ、マスコミのほうが深刻なのかもしれませんね。まあ、誤報も世界を豊かにしてくれるんで、別にいいかなと思いますが、ボケっぱなしでツッコミが入らないと笑えねえ、という感じです。

痛風に吹かれて痛風に吹かれて 2006/10/12 12:03 最近の若者は「○○」のバージョンもいろいろあるようです。
明治の元老井上馨は「最近の若者は声小さい」と耳の遠い老人は
みな同じことをいう、とどこかで読みました(熊楠の書簡か何かで)。
たぶん、『「最近の若者は○○って」昔からいわれている』の『』括りの
部分のバージョン(昔をいつに設定するか)もいっぱいあるのでしょう。
文責のない書き込みで申し訳ありません。

星間電設星間電設 2006/10/12 12:23 はじめまして、昼休みにこんにちは
ここはニュースサイトからのリンクで知ったのですが一発でファンになってしまい
お休みの期間中に「MrJohnny さんの文章を読みたい」禁断症状のようなものが出て
過去の記事を全部読んだりしてしまいました
ところで「最近の若者は」ですが自分でもぐぐって見たところ
ヒッタイトから古代エジプトへの書簡で現在トルコのアナトリア文明博物館に所蔵されてる
との説を発見しました、どうやら博物館ガイドの定番ネタのようです

ユウユウ 2006/10/12 14:07 私も「ネットの情報は嘘かもしれない」ということを忘れてはいないと思っています。しかし、この記事のように嘘を検証する情報も流れているわけですから、結局はネットを使う人の情報リテラシー能力の問題なのではないかと思います。
そこで質問なのですが、現在の中高生に対する情報リテラシー教育の現状はどうなっているのでしょうか。自分で調べればいいのでしょうが、気が向きましたら記事にまとめて頂けるとうれしく思います。

MM 2006/10/16 00:19 結論は変わらないのですが
「最近の若者〜という落書きがスパルタにもあった」とか「ソクラテスが言った」というのはネットが浸透する前からあった話です。
自分が始めて聞いたのはテレビだったと思います。
ネットは伝達する速度を速めただけではないかと・・・
細部の話で問題と過程と結論は変わりませんけれど

MrJohnnyMrJohnny 2006/10/17 14:09 レス遅くて、ほんと、すいません。

痛風に吹かれてさん、実に面白い話ですね。あまり関係ありませんが、ふとD・R・ホフスタッターが書いた話を思い出しました。大好きな喫茶店のコーヒーが楽しめなくなったとき、それは「コーヒーの味は昔のままだが、もう自分はこの味を美味しいと思えない」のか「コーヒーは昔のままだが、もう自分はそれを昔と同じ味に感じることはできない」のか。それにしても、「痛風に吹かれて」という御名前はすばらしい。ウチも「痛風日記」にしようかと思いました。

星間電設さん、こんにちは。今後も吹風日記を楽しんでいただければ幸いです。アナトリア文明博物館は最も可能性がありそうですね。一応、執筆時点で公式サイト(http://www.anadolumedeniyetlerimuzesi.gov.tr/index1eng.htm)なんかも見たのですが、それらしい記述は発見できず、なのでした。

ユウさん、情報リテラシー教育の現状についてですが、記事にまとめる予定はちょっと立たないので、簡単なコメントでご勘弁ください。情報教育においては、情報社会に参画する態度として、セキュリティ、個人情報の保護、著作権などを教えますが、情報の信頼性についてはそれほどの時間はかけられていないようです。私も情報は門外漢なのでかなり印象で書きますが、正直な話、ガセネタをつかまされることよりも大きなリスクが現状のネットには氾濫しており、中高生にはそういった危険への対策を優先すべき、という状況かと思います。

Mさん、まったくその通りですね。テクノロジーが変化しても、人間の本質的な部分は変化しないものですし。違いがあるとすれば、ネットでは口コミと違って、情報の劣化がおこりにくいと信じられているので、ガセネタであっても信頼性を保ったまま流通してしまいやすい、という点でしょうか。

FummyFummy 2006/10/21 01:40 最近コメント欄盛況で慶賀の至りです。
(その分以前より新エントリUpの間隔が空きがちなのが残念)

結構前のエントリーでもコメントついてるのがこのブログの楽しさを物語りますね。RSSで拾い読みしてると過去エントリのコメントを読み逃しがちになるので気をつけないといけませんが。

エントリの主旨とは反対かもしれませんけど、一連の原典追跡の様子を読んで、あらためてWeb2.0時代の可能性を垣間見たような気がします。民間伝承の原典を素人が片手間の時間でこれほど簡単に検証できる時代になったのですなあ。

原典も読まない半可通が簡単にモノを語ることに批判的なアカデミックな方もおられるかもしれませんが、真に半可通な私は一介の平刑事が瞬時に老子を引用して韜晦した日常会話を語れる世界にも憧れます。

>ガセネタをつかまされることよりも大きなリスクが現状のネットには氾濫しており、

真偽以前に悪意の有無の方が問題ですか。
「イノセント」な未来はまだ遠いとみえます。

MrJohnnyMrJohnny 2006/10/23 07:03 Fummyさん、こんにちは。

当ブログのコメント欄は正直レベル高いと思うわけですよ。私はアクセス数というものをかなり意識していまして、それは根が俗物だというのもありますけど、たくさんアクセスがついたほうがたくさんコメントがもらえて嬉しいというのもありますな。

更新頻度については、申し訳ないです。Fummyさんに初めてコメントをいただいた頃は、毎日更新でしたねえ。エントリが上がらないのは単に最近忙しいせいなんですが、どうやら私自身の心理的問題もあるようでして、おそらく自分に対する自己評価と外部評価のバランスなんじゃないかとか考えたりしますが、まあよく分かりません。

Web2.0の可能性に関しては、その通りですねえ。いつも評論系の文ばかり読んでいるせいか、ついつい議論が現状の批判にすり寄っていってしまいます。ですが、私などは検索大好き人間ですし、このネット社会はさまざまな問題をかかえつつも、本当にこの時代に生まれてよかったと思うわけですよ。人類史上、国数英理社の勉強が、ここまで人生を楽しくする時代はなかったんじゃないかと。

通る人通る人 2006/11/18 16:59 今時の若者は、という言葉を若者が若者に使うようになったのはいつなんだろ?

櫻井規善櫻井規善 2010/01/21 21:51 すごいですね。
これは参考になります。

ひろひろ 2010/06/13 12:58 興味深い話ですね

かこかこ 2010/06/13 13:01 なかなか」答えのない話ですよね

なるなる 2010/08/08 14:34 コミュニケーションの解釈にもよりますが、なるほどと頷いてしまった

kaikai 2010/10/18 17:47 昔からいわれていることではありますが、どうなんでしょうね
「昔はよかった」とか「最近の若者は」っていうのは

さちさち 2010/12/23 14:53 おもしろいブログですね。また来ます。

yogoyogo 2010/12/25 11:30 住宅ローンの用語はここで調べてね。

kzkz 2011/03/27 14:13 紀元前の壁画に〜〜のネタもとはこち亀だと思いますよ 派出所で中川が話していたような思い出があります

通りすがり通りすがり 2011/07/01 14:48 アシモフさん達くらいの人物は、ついテキトーなことを言ったり書いたりしても、後々の世まで、有力な証言の一つとされたり、検証すべき研究対象となる可能性があるのですねぇ…。
 
例えば、面倒な相手との面倒な口論を終わらせるために、
 
「古代の文献にこんなことが書いてあったよ。だから、君の説は間違いね」
 
て感じに、つい出鱈目を言うとか、酔って冗談を言うとか、ありそうだし。
 
アシモフさんて、小説家でもあったのだから、そんな厳格に、『無責任な嘘など決してつかない』て感じな、ものすご堅い人でもなさそうだし。
 
現代まで名前の残ってるような古代の学者さん達も、時々は、夢のある面白い嘘話をマジメに語ってたかもしれないですねぇ…。
 
そのほうが、当時の人からも好かれて、持て囃されただろうし。
 
ぼくのような者がアシモフさんの名前を知ってるのも、アシモフさんが小説を書いた人だからで、もし、アシモフさんが堅い堅い研究一筋な人だったら、うーん、確実にそんな人、知らないに違いない…orz

名入れプレゼント名入れプレゼント 2011/08/04 05:29 興味深いです

keikei 2011/08/24 21:14 そういうこともあったとは、
ただただ驚きです。

ドクターベッタドクターベッタ 2011/09/27 19:39 日本語練習帳って懐かしい。

不倫不倫 2011/11/29 17:08 日本語練習帳って懐かしい。

不精不精 2012/02/06 21:43 この記事は懐疑的に見ているだけで検証をほとんどしていない。適当なコピペを張り付けている人たちと何ら変わりない。プラトンの国家論にはきちんと明記されている。プラトン全集P604を読んでください。

okokookoko 2012/04/27 20:26 参考になります。

犬 2012/08/15 03:55 所詮「比喩」であり、聖書の内容を議論の引き合いに出すようなものなのではないでしょうか。
プラトンが言ってようが言ってまいが「最近の若者」云々の話の本質が変わる訳じゃない。
事実を正確に記録するなんていうのは誰かがシュミでやってりゃいい。エッセンスを抽出して濃縮していったほうが、多分生きてく上では楽しいです。
つまり、情報インフラとは本質的にはそういう機構なんじゃないかと。信憑性を犠牲にしたエッセンス抽出マシーン。
そしてネットは現時点では最強の情報インフラ。それだけなんじゃないですかね。

スパロボマスターKスパロボマスターK 2013/04/19 17:30 プラトンの国家http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/42291649.htmlより抜粋
ソクラテスと師ケパロスの対話
「われわれは、古い諺(ことわざ)のとおりに、同じくらいの年齢の者が何人かいっしょに集まることがよくあるのだが、そういう集まりの場合、われわれの大部分の者は、悲嘆にくれるのがつねなのだ。若いころの快楽がいまはないことを嘆き、女と交わったり、酒を飲んだり、陽気に騒いだり、その他それに類することをあれこれやったのを思い出しながらね。そして彼らは、何か重大なものが奪い去られてしまったかのように、かつては幸福に生きていたが今は生きてさえいないかのように、なげき悲しむ。なかには、身内の者たちが老人を虐待するといってこぼす者も何人かあって、そうしたことにかこつけては、老年が自分たちにとってどれほど不孝の原因になっていることかと、めんめんと訴え続けるのだ。」
これが近い?

くるぶしの黒ずみくるぶしの黒ずみ 2016/05/11 10:06 参考になります。くるぶしの黒ずみ

ミュゼ 脇だけミュゼ 脇だけ 2016/06/03 04:12 正しい日本語の概念は難しいものですね。Web2.0の可能性に関しては、その通りですねえ。いつも評論系の文ばかり読んでいるせいか、ミュゼ 脇だけついつい議論が現状の批判にすり寄っていってしまいます。ですが、私などは検索大好き人間ですし、このネット社会はさまざまな問題をかかえつつも、本当にこの時代に生まれてよかったと思うわけですよ。人類史上、国数英理社の勉強が、ここまで人生を楽しくする時代はなかったんじゃないかと。

2006年10月6日 ブログはいつ死ぬのか、ウェブの噂も75日、光もともに運ばれて行く このエントリーを含むブックマーク

更新後経過数と日記数のグラフ

えー、2週間ほど更新を停止しておりました当ブログですけども、いったいブログって、どのぐらい更新が止まると、どのぐらいの確率でそのまま閉鎖されるんでしょうかね? はてなのデータを使って、これを推定してみます。今日は、ブログの死と静謐せいひつな光について考えます。

舗道ほどうには何も通らぬひとときが折々ありぬ硝子がらす戸のそと   佐藤佐太郎

佐藤佐太郎歌集』より

歌人、佐藤佐太郎の歌です。なかなかインパクトのある名前ですね。佐藤と佐太郎ですよ。本物はどっち!?という感じです。どっちっつうか、まあ、どっちもなんですが。

ここでは「何も通らぬひととき」が、作者によって発見されています。ガラス戸のむこうの歩道に何も通らぬひとときがある、というのは、ごくありふれた情景なのですが、こうして歌になってみると、その静けさはただごとではない。不思議な力をもつ歌です。

ところで、当ブログもしばらく「何も通らぬひととき」を過ごしておりました。9月最後の更新の日付は21日となっていますが、実際の更新日は25日ですので、およそ2週間放置した、ということになります。

もっとも私としては、この間、yahooに掲載されたり、コメント欄のやりとりがあったり、それを2chヲチされたりと、いろいろありましたので、この吹風日記から離れていた、という感覚はないんですけど、それでも、さすがに2週間空くと、ちょっと死臭がただよって参ります。

ところで、みなさまには実にどうでもいい話で恐縮ですが、吹風日記がyahooの「オンライン日記」のカテゴリに掲載されました。これは祝着至極なのですが、しかし、このカテゴリからの客足の悪さは尋常ではありません。新着マークが取れた最近3日間など、yahoo経由のアクセスが1ヒットという状態です。嘘じゃありません。3日で1ヒットです。あまりのショボさに、アクセスログを見た私はディスプレイメッコール吹きましたよ。

「オンライン日記」のカテゴリと言えば、「実録鬼嫁日記」とか「きっこのブログ」とかが載ってるわけで、最強ブログ決定戦・ウェブ界の地下格闘場かと思いきや、こんなペースではカトゆー家のたった1行がもたらすアクセスに追いつくまでに、7年半はかかる計算です。まあねー、「理系出身の国語教師による日記」なんて地味なサイト紹介文じゃ普通クリックしませんよねー。畜生、いっそ「先生がイロイロ教えてア・ゲ・ル日記」とかにしときゃよかったぜ。

えー、脱線しました。

今日の本題に入りましょう。更新が2週間止まった当ブログですが、2週間止まると、このまま閉鎖か?という匂いもしてこようというものです。では、ブログというものは、どのぐらいの期間更新が止まると、どのぐらいの確率で閉鎖してしまうものなのでしょうか。

すなわち、はたしてブログはいつ死ぬのか?

人間の場合ですと、例えば、脳死判定基準というものがあります。深昏睡、瞳孔固定、脳幹反射の消失、平坦脳波、自発呼吸の消失、以上が2人の医師によって観察され、6時間以上経っても同じ所見だった場合、「脳死」となります。

ここでの興味は「6時間」という数字です。医学的には、6時間死にっぱなしのお前は既に死んでいる、ということになっているわけです。では、ブログの場合は?

もちろん、ブログの死というのは、人間のような不可逆なものではありません。ですが、例えば1年間放置されたブログというのは、普通、もう再起することはないでしょう。ですから、確率を使って死亡率を考えることはできるはずです。

さて、こんなこと、どうやれば調べられるのでしょうか?

実は非常に強力なデータがあります。はてなダイアリーの日記一覧です。ここには、はてなのすべての日記が、更新された順に掲載されています。データ数、およそ24万。

このデータを参照することで、現時点での更新間隔の分布が分かります。とはいっても、全部読むと4800ページ。さすがに、はてなサーバに負荷をかけすぎます。そこで今回の調査では、20ページおきにデータを拾い、データが欠けた分は、前後の日付のデータを直線でつないで補完する作戦でいきます。これでも全体の傾向ははっきり分かりますが、細かい点、例えば曜日による更新頻度の違い、といったことは分かりません。ご了承ください。調査期間は、10月6日の午前2時から20分間です。

結果を大ざっぱにながめます。まず、24時間以内に更新された日記が圧倒的に多く、その数は2万を超えています。24〜48時間内の更新が約6900。以下1日ごとに、4400→3400→3100と減っていきます。2週間放置されてから更新される日記は、約820。1ヶ月放置だと約500です。

冒頭に掲載したグラフは、最近1年間のデータをもとに作成したものです。横軸が「最後に更新されてからの経過日数」、縦軸が「日記数」です。例えば、更新停止してから100日経過した日記の数はおよそ300である、ということがグラフから分かります。ただし、経過日数が小さい分のデータは、日記数が大きすぎてグラフから飛び出しています。

まず、ぱっと見、約300日前に更新された日記が突出して多いことが目を惹きます。これは、元日前後の更新ですから、「あけおめ更新」ですな。本年もよろしく!と書いたまま、今にいたるまで更新していない日記が、はてなには700近くあるということです。年賀状みたいなものでしょうか。

その正月からしばらくの間は最終更新の日記が減ります。このことは、一月中に日記を停止する人はあまり多くない、ということを意味しています。三日坊主ならぬ、1ヶ月坊主で日記が続いているわけです。

で、ですね、ここで真に興味深いのは、更新停止後100日以上経過したブログの数というのが、ほぼ横ばいである、ということです。グラフに目安となる横線を引いておきました。この線は、「日記数260」のところに引いてあります。

単純に考えると、最終更新された日付が若いほど、日記の数も多くなるような気がしますが、現実には、その傾向は非常に弱いわけです。

なぜか?

このことは、ある期間(だいたい100日)を過ぎると、ブログが再び更新されることはない、と考えることで説明がつきます。つまり、毎日一定の数、死んでゆくブログがあるのではないか、という仮説です。

この仮説がかなり妥当であることが、別のデータから分かります。

まず、はてなダイアリーの日記数は、ここ1年、ほぼ毎日一定のペースで伸びています。ところが、はてなのアクティブユーザー(1ヶ月以内に更新をした人)の数は、この1年間ほとんど変化していません。ブログファンによる、2005年11月〜2006年6月のデータと、2006年4月〜9月のデータにリンクしておきます。なお、ユーザー数の伸び悩みは、FC2ブログを除く、すべてのブログサービス共通の現象です。

日記数自体は一定のペースで増えているのに、アクティブユーザー数が変化していない。これは、死んでいくブログの数が毎日一定数ある、と考えるのが最も自然な説明です。

はてなダイアリーの数は、去年の10月5日から今年の10月5日の1年間で94681増えました。これを365で割ると、259.4です。つまり、1日約260。さきほどグラフに引いた横線は、この「1日260日記」のところに引いたのでした。

以上のことから、はてなでは、毎日260の日記が死んでいく、と考えるのが妥当です。

さて、ここで、最初の問題であった死亡率の計算をしておきます。例えば、私は吹風日記を2週間放置したわけですが、手元のデータによると、最終更新から14日経過した日記の数は約820です。このうち、260の日記は、以後ずーっと死亡したままになる、と考えられます。というわけで死亡率は31.7%です。軍事的には3割損耗で「全滅」判定くらいますから、確かに2週間放置というのはヤバい水準ではあったようです。

いくつか計算しておきます。ここでいう「死亡」とは「二度と更新されない」という意味です。

  • 24時間以内に更新された日記の死亡率は、約1.3%。
  • 1週間放置された日記の死亡率は、約16%。
  • 2週間放置された日記の死亡率は、約32%。
  • 1ヶ月放置された日記の死亡率は、約52%。
  • 3ヶ月放置された日記の死亡率は、約90%。

では、ずばり、ブログはいつ死ぬのでしょうか。データをながめますと、初めて死亡率90%を超えたのは、最終更新から78日経過後でした。したがいまして、だいたい75日ほど更新が停止すると、そのブログは「死んだ」と言っていいかと思います。「人の噂も七十五日」の格言は、案外まっとうな数字なのかもしれません。

ところで、今回の推定によりますと、24時間以内に更新されたブログが二度と更新されない確率は約1.3%、ということだったのですが、これは正直言ってそうとう高い確率です。もし相手が人間だったら、昨日までピンピンしていた人が突然死ぬことに相当するわけですからねえ。

佐藤佐太郎の歌にこんなのがあります。「中空の無数の星の光にも盛衰交替のとき常にあり」。ブログもそういう世界なのかもしれません。

冒頭に引用した「舗道には何も通らぬひとときが折々ありぬ硝子戸のそと」、この歌の不思議な静けさはどこから来るのでしょうか。もちろん、「何も通らぬ」から、なのでしょうけど、それだけでしょうか。

この歌には時間に対する鋭い意識があります。「ひととき」という、長さをもつ時間がまずある。そして「折々ありぬ」という言葉を発するためには、「ひととき」よりもさらに長い時間を経なければならない。そして、そのような長い沈黙の時を、ガラスのむこうに見る。

どうも、この歌の世界はウェブの世界に似ているような気がする。この歌が気づかせてくれることは、停止している時間、さらには死が、世界には必ずあるということ、そして、その静けさ、なのではないか。2chでF5連打したり、ソーシャルブックマークで最新ニュース探したりして、時間のスキマを埋めようと必死な我々は、だから、この歌に虚を衝かれるのではないか。

こんなことを書いていると、このまま更新停止しそうな勢いですが、私は別に、この吹風日記から途中下車する気はありません。ときどきやってくる「何も通らぬひととき」を静かに過ごしつつ、ぼちぼちやっていくつもりです。

最後に、佐藤佐太郎の有名な歌をもう一つ。

秋分の日の電車にて床にさす光もともに運ばれて行く

FummyFummy 2006/10/08 02:27 更新お待ちしておりました。
今回も面白かったです。
お休み期間中こんなネタを仕込んでいたとは。

ラッシュ時の新宿駅のごとく「何も通らぬひととき」などないネットですが、通るのをマニアが待ち続けてるようなユニークな電車は運転手が健在な限り走り続けて欲しいものです。

統計的にデータはとりづらいですがブログの「死因」も気になるところですな。

24時間以内に更新したブログがそのままお亡くなりになるのは、実生活でネットどころではない変動があったか(事故死)某巨大掲示板でさらされて大炎上の末バーンアウトしたか(天災)。

吹風日記は天寿をまっとうされますよう。

nami-anami-a 2006/10/08 12:31 このエントリーは、すごく参考になりました。
私はもう、はてなユーザーのデフォルトである、2万のアクティブユーザーが作る「はてなコミニュティ」に魅力を感じなくなったので、ブロガーとしては死亡して、今は、FC2に移行してWeb業界紙の管理人をやっています(笑)。

MrJohnnyMrJohnny 2006/10/11 09:56 レス遅れ、申し訳ないです。

Fummyさん、本当にありがたいです。無理せずぼちぼちやっていきます。

ブログの「死因」についてですが、これについては実際死んでしまったブログを見るのがてっとり早そうです。例えば、 http://d.hatena.ne.jp/diarylist?of=200000 あたりを見ますと、去年の1月頃に更新されたっきりの、まごうかたなき死んじまったブログが並んでいるわけですが、読んでみますと、おそるべきことに、ほとんどすべてのブログは、まったくいつも通りの更新をしたまま息絶えています。まるで一瞬にしてヴェスヴィオ火山に沈んだポンペイのようです。こうなると、死因を外部から斟酌するのは、ほとんど不可能ではないかと思われます。

ふと気づくと、ブロガーの心はブログから離れているわけで、外から見ていると、そこには明確なきっかけも理由もないように見えます。人の心が離れていく、というのは常にそういうものなのかもしれません。


nami-aさん、何かの参考になりましたでしょうか。

私には、「はてなコミニュティ」というものはよく見えませんが、少なくとも、この吹風日記は、さまざまな方からコメント・ブクマ・トラバ・リンクをいただいています。それらの方々とのつながりは、私にとって大きな魅力です。めぐまれているのでしょうね。

弟 2006/11/21 09:45 ITメディアでこのページが引用されているようですね。

ブログが死ぬとき
http://blogs.itmedia.co.jp/knowledge/2006/11/post_8f18.html

さらにSlashdotでも孫引きされています。

ブログの死亡率
http://slashdot.jp/articles/06/11/20/0819231.shtml

YoshikawaYoshikawa 2007/01/01 18:12 はじめまして、ITMediaのオルタナティブ・ブログで引用させていただきました吉川です。
一時コメントやTBが出来ない状態でしたのTB送っていませんでしたが、改めてTBさせていただきます。

利哉利哉 2010/02/13 13:29 いやー。今回も面白かったです。次も期待してます。

篠崎篠崎 2010/03/13 20:44 これは、深い話ですね。参考になりました。
私のブログは、どんな運命をたどるのか・・・

俊一俊一 2010/04/15 22:26 興味深い話を、ありがとうございます。
私の日記は、長く続けたいですね。

大人の出会い大人の出会い 2010/11/11 22:46 ありがとうございました。

会える会える 2010/12/01 09:22 これからも頑張ってください!!

トシトシ 2010/12/10 09:34 とても勉強になりました。

たかたか 2010/12/13 01:57 おもしろいブログですね。また来ます。

yoyoyoyo 2010/12/27 19:22 これからもがんばってください

かなこかなこ 2011/01/12 05:42 なるほど〜ビックリですね!

愛人愛人 2011/01/12 17:28 おもしろいブログですね。また来ます。

けいこけいこ 2011/01/13 06:13 いやー。今回も面白かったです。次も期待してます。

けーけー 2011/01/13 16:11 このエントリーは、すごく参考になりました。
私はもう、はてなユーザーのデフォルトである、2万のアクティブユーザーが作る「はてなコミニュティ」に魅力を感じなくなったので、ブロガーとしては死亡して、今は、FC2に移行してWeb業界紙の管理人をやっています(笑)。

kenken 2011/01/15 08:56 ITメディアでこのページが引用されているようですね。

zanbrrozanbrro 2011/01/15 22:29 興味深い話を、ありがとうございます。
私の日記は、長く続けたいですね。

matutaoimumatutaoimu 2011/01/21 03:49 今回も面白かったです。
お休み期間中こんなネタを仕込んでいたとは。

けんけん 2011/01/21 05:48 おもしろいブログですね。また来ます。

kornmabikkornmabik 2011/02/01 14:52 いやー。今回も面白かったです。次も期待してます。

あいあい 2011/05/06 08:04 いい曲ですよね

あいあい 2011/05/06 08:04 いい曲ですよね

通りすがる通りすがる 2012/03/22 11:49 佐藤佐太郎か。興味深いエントリーでした。

せおせお 2012/06/23 07:10 おもしろいですね!この記事。
一部参考にさせていただきました。
トラックバックさせていただいたんですけど、吹風日記さんもお亡くなりになられたようで…

ゆうゆう 2012/08/14 20:35 ブログよ死なないで。

2006年9月21日 策士・裸の王様、「女王様も裸だ!」、馬鹿には見えないもの このエントリーを含むブックマーク

アンデルセン「はだかの王様」には、いくつもの謎があります。なぜ王様は「馬鹿には見えない布」などというヨタ話を信じたのか? 王様は、馬鹿になら裸を見られてもよかったのか? 今日は、裸の王様が、実は大変な策士であった可能性について考えます。

 「王さまは裸だ」とさけんだのは、小さな子供だった。賢い人にだけ見えるといわれて、ありもしない服を身にまとい、大手をふって街を歩いていた裸の王さま。王さまはそのとき、どんな気持ちだったろう? 憎いのは小さな子供じゃない。それまで王さまをだまして、偽物のおせじをふりまいていた連中だったと思う。

森絵都アーモンド入りチョコレートのワルツ』「子供は眠る」より

今日は、アンデルセン童話『裸の王様』についてです。

森絵都は、裸であることを指摘された瞬間の王様の気持ちに焦点をあてました。この「裸の王様に感情移入してみる」という体験はなかなか新鮮です。ふつう、この童話を読んだときの我々の視点は、「王様は裸だ!」と叫ぶ大衆の位置にあるからです。

私は、以前、「ウサギとカメ」の童話で、普通の人はカメと自分を同一視するが、それはおかしい、ということを書いたことがあります。我々は、自分だって努力すればウサギに勝てるのだと信じたいのです。本当は、努力することのほうが、よっぽど才能がいることなのに。

この「ウサギとカメ」もそうですが、童話を読んでいるときの目線の位置というものには、我々の無意識の願望が現れていて面白いものです。どうやら我々は、自分が「無垢ゆえに真実を見抜く子供」であることを願っているようです。

さて今日は、森絵都にならって、王様の立場からこの童話を考えてみたいと思います。

森絵都は「憎いのは小さな子供じゃない」などと書いていますが、私が王様だったとしたら、このガキはそうとう憎ったらしいと思います。「空気読めクソガキ!」という感じです。このような、空気を読めない子供に対していまいましさを感じる人間というのは、けっして少数派ではなさそうです。

id:sho_taさんは、「そもそもこの「少年」、「王の権威に服する」という世間知には無頓着なクセに、「服を着ないのは恥ずかしい」という中途半端な世間知には拘泥しているところがみっともなさを加速する」と指摘しています。胸のすく思いです。

よつばスタジオ ホームページに、次のような文章が載っていました。改行を修正して、引用します。

「王様は裸だ!」と言った子供が、続いて「女王様も裸だ!」と叫ぼうとした。よく見たら女王様は本当に裸だった。周囲の男たちから「よけいなことを言うな」と子供はおさえつけられた。女王様いわく、「ちゃ、ちゃんと服は着てるんだから! バカには見えないだけなんだからね!」……そんな国に住みたい。

私も住みたいです。

それはともかく、「裸の女王様」の場合、この子供の行為は明確に「余計なこと」とみなされています。しかし、どちらの場合でも、この子供がやっていることは真実の暴露であって、そこに違いはありません。違うのは、女王様が裸でいることには(多くの男性にとって)メリットがあるのに、王様が裸でいることにはメリットがない、ということです。

しかし、王様が裸でいることには、本当にメリットがないのでしょうか? いや、もちろん、裸自体に価値があるとは思えませんけど。

そもそも「裸の王様」の話には謎があります。よく指摘されることですが、「馬鹿には見えない服というが、王様は馬鹿になら裸を見られてもよかったのだろうか?」ということです。これは難問です。実際、「裸の女王様」という物語はまず考えられません。裸体を見られる羞恥心は女性のほうが上でしょうが、男性にもあることは間違いない。それとも、王様は露出狂だったのでしょうか? 「王様は裸だ!」「そうだよ」 うわー。

いったい王様は、何のために「馬鹿には見えない服」を着たのか。青空文庫の大久保ゆう訳『はだかの王様』をもとに、以下、考えていきます。

まず、「王様」は大変な衣装道楽でした。「一時間ごとに服を着がえて、みんなに見せびらかす」ほどであったようです。これだけ見ると、イメージ通りのボンクラ王なのですが、ところが、よく読んでみると、この王様はそんなに悪い王様ではありません。

王様は「戦いなんてきらい」だったとあります。平和主義者です。城下町は「とても大きな町で、いつも活気に満ちていました」とあります。国の経済も発展しているのです。よく考えてみると、衣装道楽など、王様の趣味としては、実につつましいと言えるのではないでしょうか。

では、なぜ王様は「馬鹿には見えない服」を着ようと思ったのでしょうか。実はこの理由もはっきり書いてあります。王様は、「もしわしがその布でできた服を着れば、けらいの中からやく立たずの人間や、バカな人間が見つけられるだろう。それで服が見えるかしこいものばかり集めれば、この国ももっとにぎやかになるにちがいない」と考えたのです。

王様が「馬鹿には見えない服」を着たのは、国のためだったのです! 偉いじゃないですか! 露出狂とか言ってゴメンなさい。

この王様は、実はかなり立派な王様なのです。ふつう「裸の王様」というと「馬鹿」の代名詞みたいな感じですが、そんなことはないのです。

アンデルセンの「はだかの王様」には原作があります。ドン・ファン・マヌエル『ルカノール伯爵』の第32話です。それによると、「馬鹿には見えない布」は、原作では、「嫡出子(父親の実の子)でなければ見えない布」でした。王様は、「非嫡出子には遺産の相続権がなく、遺産は王室が没収する」という法律を盾に、王室の財産増大を狙ったのです(詳細は「アンデルセンと「裸の王様」」)。実に狡猾な王様です。

いずれにせよ、単にめずらしい布でできた服が着たかった、などという素朴な王様像は、修正されなければいけないようです。

しかし、結局、王様はだまされたのではないか、という反論がありそうです。つまり、「馬鹿にしか見えない布」なんてものは最初からなかったのに、あると信じてしまった。それは、王様が愚かな証拠だろう、というわけです。

しかし、私が思うに、王様はそんな布が存在しない可能性など、百も承知だったのではないでしょうか。

詐欺師たちは、自分たちが「馬鹿には見えない布」を織ることができるのだと人々に信じこませていましたが、しかし、実際に布を見たものはいませんでした。最初に布を「見た」のは、王様に派遣された大臣です。そして、この大臣の人選が、実に巧妙なのです。

翻訳文から引用します。「そこで王さまは、けらいの中でも正直者で通っている年よりの大臣を向かわせることにしました。この大臣はとても頭がよいので、布をきっと見ることができるだろうと思ったからです。」

ここには、大臣について、3つの描写があります。「正直者(で通っている)」「年より」「頭がよい(と王様は知っている)」の3つです。

ここで、ちょっと考えてほしいのですが、この大臣が「馬鹿には見えない布」を見て、「見えませんでした」という報告をすることがありうるでしょうか?

大臣の立場になって考えてみます。もし、「布は見えませんでした」と報告したら、まわりの人はどう思うでしょうか? 大臣は、「正直者で通っている」わけですが、「知恵者で通っている」とは書いてありません。しかし、「年より」、とは書いてあります。したがって、人々は、ああ大臣は年をとってボケてしまったから、布が見えなかったのだろう、それをありのままに報告するとはさすが正直者だ、と思うでしょう。

しかし、大臣が「布が見えました」と報告したらどうか。大臣は「正直者で通っている」わけですから、人々はその報告を素直に信じるでしょう。あとになって、布が本当は存在しないことが判明しても、そもそも詐欺師に金を渡して布を織らせたのは王様ですし、「あのときは確かにあったんです」などと言い訳すれば、問題なさそうです。

したがって、大臣にとっては、「見えない」などと本当のことを言うメリットは何もありません。大臣は「頭がよい」わけですから、当然、以上のような思考を経て、必ずや「布は見えました」と王様に報告するはずです。

王様は当然ここまで考えて、この大臣を最初の観察者に選んだのです。「正直者(で通っている)」「年より」「頭がよい(と王様は知っている)」の3つの条件を満たした人間をわざわざ選んだのは偶然ではありえません。

つまり、王様は、「馬鹿には見えない布」が存在しない可能性を十二分に承知しつつ、それでも「見えました」と言わせるために、この大臣を派遣したのです。そして、この大臣の報告によって、「馬鹿には見えない布」の実在性は一気に増すことになったのです。王様、策士です。

要するに、王様は、実在しようがしまいが関係なく、「馬鹿には見えない服がある」という幻想をつくり上げようとした、ということになります。では、何のために?

おそらく、王様は、「権威」というものに根拠がないことをよく分かっていたのではないでしょうか。このこともちゃんと作品中に書いてあります。「王さまは王さまです。何よりも強いのですから、こんな布にこわがることはありません」 そう、「王さまは王さま」なのです。「王さま」である根拠は「王さま」であるということの中にしかありません。

私は、「王様は裸だ」と叫ぶ子供に欺瞞を感じます。まあ百歩ゆずって、わけのわかってない子供があらぬことを口走るというのは許しましょう。しかし、周囲の大人たちが子供の言葉に同調して、「王様は裸だ」と叫び出すというのは、ナンセンスなのではないのか。

例えば、ある日、子供が「お金に価値なんてない。一万円札はただの紙切れだ!」ということを「発見」したとします。それを聞いた大人が「本当だ! その通りだ!」と同調し、それをきっかけに貨幣制度が崩壊する……なんてことはありえないと思います。

お金と同じで、王様が王様である根拠は、王様が王様であるとみんなが信じている、ということをみんなが信じている、ということをみんなが信じている……という無限後退の中にしかないわけです。要するに、王様というのはもともと裸なのであって、そんなことはもうみんな知っていることです。わざわざ、声高に叫ぶことではありません。

王様にとっては、むしろ「馬鹿には見えない布」が実在しないほうが、自分の権威を強化する道具として都合がよかったかもしれません。「馬鹿」という言葉の語源の一説に、こんな話があります。『史記』によれば、秦の時代、宦官の趙高は皇帝に対し「馬です」と言って鹿を献上します。皇帝は「これは鹿だろう」と訝しく思いますが、群臣たちは趙高の権勢を恐れ「陛下、これは馬です」と言ったという話です。

おそらく、王様は自分がそういう実体のない権威の上に立っていることをよく分かっていたのでしょう。だから、この王様の趣味は衣装道楽なのであり、王様は「馬鹿には見えない服」を着たのです。その服が現実には存在しなかったことなど問題ではありません。そういう空っぽの威厳によって、この国は現にうまく動いているのです。王様の仕事として、それ以上、何が必要なのでしょうか?

結論です。王様はなぜ裸になったのか? それは、人々の幸福のためです。すべては計算ずくだったのです。すばらしいです。尊敬します。まさにノブレス・オブリージュです。というわけで、次回はぜひ、女王様もいっしょにパレードおねがいします。

松虫松虫 2006/09/25 08:12 相変わらず鋭い指摘とおもしろい文章運びに感服しています。この王様の「君臨すれども統治せず」といういわば理想的政治姿勢まで話が進むとは思いませんでした。さすがです。

ところで、(以下の文章は18歳未満は閲覧禁止)最後の一文の王様と女王様ですが、やはり身にまとうのは下着も含めてすべて「馬鹿には見えない布」でできているのでしょうか。

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/25 18:03 松虫さん、それは極めて重要かつ我々の生の根源に関わる問いです。「王様と女王様」についての御質問ですが、もちろんこの場合、王様の下着が見えるかどうかなどは我々にとってどうでもよいことであって、つうか王様はもうパレードに出てこなくてもいいのであって、問題の核心が女王様についてであることは明白です。

青空文庫を確認しますと、詐欺師たちが王様のために仕立てたのは「ズボン」「上着」「マント」の3つです。ここには下着類は含まれていません。実にざんね…いや、しかし、そもそもこの話のタイトルは「はだかの王様」なわけです。それなら、当然女王様だって裸だブラボーと思いましたが、しかし、この物語の原題は”Keiserens nye Klader”(直訳は「皇帝の新しい着物」)なので、別に裸である必然性はあまりなさそうです。くそおっ。

したがって、今のところ、私の脳ミソでは、「女王様の下着も含めてすべて『馬鹿には見えない布』でできている」という論拠を構築することができず、大変遺憾です。これが、我々の知性の限界を示すものだとすれば、まさしくゲーデルの不完全性定理に匹敵する、人類に対する痛烈な一撃と言えるでしょう。

というわけで、松虫さん。現時点では、「裸の女王様」である証拠は発見できていません。せいぜい「半裸の女王様」どまりです。あ、でも、こっちのほうが意外とエロくね?(←死ね)。

kirokiro 2006/09/27 14:12 昭和天皇の「人間宣言」についても、このオハナシは援用できませんかね?

「人間宣言」させたGHQの中の人、未だに「人間宣言」を云々言う左右両方の中の人、「人間宣言?人間に決まってるやんか何ソレ?w」と感じた当時の日本人(うちのジジババちゃんです)、これらと裸の王様の子供、家来、町の人々とを対比させるとどうなるでしょうか?

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/27 18:20 kiroさん、すげえ面白そうなテーマですが、私は当時の日本人が天皇の虚構性についてどこまで認識していたについて表面的な理解しかなく、あまりうかつなことは言えません。申し訳ない。

しかし、人間宣言後の御巡幸の様子などを見る限り、昭和天皇は国民に絶大な支持を受けまくっていたわけで、とりあえず現実は裸の王様の結末とは違う話になったようです。

裸の王様と人間宣言した天皇の違いは、そもそも何が「服」にあたるのか?という点でしょうか。少なくとも、GHQの中の人とkiroさんの御祖父母様では、天皇の着ている「服」の意味が明らかに違うわけで、これは「はだかの王様」の話を現実への比喩として使おうとするとき、注意が必要な点だと言えそうです。

いとのこいとのこ 2006/10/01 13:49 TONOさんという人のマンガに同根ネタと思われる一編が。
「お姫さまははだか」というもので、こっちは心の汚いものには見えないドレスというもんですが、実体はあるようなので最後は燃えてしまいます。
で、修行の末心のきれいなお坊様は見えるのですが、それがかなりのダサもので、心がきれいで汚いドレスを見るのときたない心できれいなはだかを見るのではどっちがよいかというもんでした。
私ゃもちろん………(w

で、今エントリーの王様たちは、布の感触等は確かめたんでしたっけ。私が読んだ時の記述では、ペテン師が手触りについて言ってる部分の記憶はあるのですが、王様側が確かめたり、その時の感覚が実際どうだったかの記述は記憶にないのです。
ある「もの」の実在を信じるためには少なくとも、五感の内一つぐらいは感じられなければならんのではと思ってしまうのですが。
ただ、王様が見えない服を着たときに「まるで何も着ていないような軽さだ」とかいう台詞があったような記憶はあるのですが。
ま、おとぎ話ならそういう瑣末事はケンチャナヨでもいいのかなーと思いながら読んでましたけど。

sekaiitibakasekaiitibaka 2006/10/01 23:09  こんばんは、「世界一バカ決定戦」というブログをやっております、munimuniと申します。
 吹風日記様では、頭を柔らかくして聞かないといけない話題を扱ってらっしゃいますけども、私はブログで世界中のバカニュースを扱っておりますので、ジャンルは全く違うのですが、幅広くお互いの事を知って貰うために、相互リンクを張って頂けないかとご連絡差し上げました。
 よろしくご検討頂けましたら、幸いです。

「世界中からバカニュースを集めて、月一で上位三位のバカニュースを選び、年末に選ばれた36のバカニュースからどのニュースが一番バカか選ぼう」というブログと相互リンクを張って頂けないかとご連絡差し上げました。
 お力を貸して頂けましたら幸いです。
 http://sekaiichi.seesaa.net/

 もしリンクして下さるのでしたら、私の方にカテゴリーの指定をして頂けると助かります。
 ない場合は作りますので、お気軽におっしゃって下さい。
 では。

MrJohnnyMrJohnny 2006/10/07 15:40 遅レス、御容赦。

いとのこさん、面白いお話でした。

しかし、そのお坊様は修行が足りないのではありますまいか。真の修行者であれば、お姫さまがどんな服装をしていようとも、はだかのお姫さまを想像してハァハァできるはずで、それこそ本物の漢(おとこ)というものでしょう。そういう修行じゃないですかそうですか。

布の感触ですが、青空文庫の訳によると、服は「クモの巣と同じくらい」軽いので、「何も身につけていないように感じる」とあります。そして、「それがこの服がとくべつで、かちがあるといういわれなのです」という詐欺師の言葉をみな信じています。見えないからこそ価値がある、という論法ですね。騙される、というのはこういうことなのかもしれません。

人間にとって「実在」とは何か、というのは、私にとって世界の根っことつながる謎の一つです。俵万智の歌に、「ぶらんこにうす青き風見ておりぬ風と呼ばねば見えぬ何かを」というのがあります。ここで俵万智は、風の青さを見ているわけですが、それは風に色があるからでも、ほおに吹く風の感触を感じたからでもなく、風を「風」と呼んだからだ、と書いています。


munimuniさん、こんにちは。

相互リンクというのはありがたいお申し出ですが、私はこのブログに「リンク」というコンテンツをつくる予定がないのです。申し訳ありません。

FF 2008/09/02 21:02 憎いのは小さな子供じゃないよ

櫻井規善櫻井規善 2010/02/03 22:34 うーん。鋭い指摘ですね。私は、この話に全然違和感を感じませんでしたが。

英郎英郎 2010/02/13 13:44 そうゆう考え方も、ありますか。面白い発想ですね。

天田天田 2010/02/21 10:44 確かに、冷静に考えれば、こんな国ありえませんよね。
なかなか、目のつけどころが鋭いですね。

櫻井規善櫻井規善 2010/05/09 22:05 まあ、普通に考えたら、ありえない話ですよね。
童話だから、許される世界でしょうか。

nininini 2010/10/17 21:18 任意売却は別れた妻にも関係することがあるんです。

syakkinsyakkin 2010/11/07 14:38 ローン一本化を目指す。

たかたか 2010/12/13 11:29 おもしろいブログですね。また来ます。

かなこかなこ 2010/12/13 19:49 なるほど〜ビックリですね!

まこまこ 2011/02/13 15:27 そういう観点での見方もあったんですね。なるほど。

さゆさゆ 2011/02/18 14:57 今考えると、やっぱり思慮深さで
だいぶ変わってくるとも思うんですが。

たむらたむら 2013/05/26 20:47 王様になるより庶民でいたい。炭火焼肉たむら行きたい。

2006年9月19日 猫は魚が大好きだ、ネズミはチーズが大好きだ、パンダは笹が大好きだ このエントリーを含むブックマーク

少し前、「ネズミはチーズを食べない」という驚異的な研究結果がネットをかけめぐったのを憶えてらっしゃいますでしょうか? この情報元を追跡してみたところ、何ともうさん臭い世界が広がっていましたよ! 今日は、オレたちパンダなんじゃね?ということについて考えます。

十ぴきねこ 大きな魚!?

   ト、からだを乗り出すのに、にゃん作老人はうなずいて

にゃん作 みんな、北の空をごらんな。大きな星がひとつ、きらきらきらきら、かがやいているじゃろ?

にゃん作 あの星の下に、大きな湖があって、そこにはとほうもなく大きな魚がいるそうな。

十一ぴきのネコ (羨望のため息)

にゃん作 そいつは刺身にしても、フライにしても、たたきにしても、煮ても焼いても、干しても、燻製くんせいにしても、三杯酢にしても、バタ焼きにしても、何にしてもいけるおいしい魚だそうな。

十一ぴきのネコ (さらに大きく深いため息)

にゃん作 骨は細かくたたいて団子にしてもうまいそうじゃよ、あーっ。

   にゃん作は話しているうちに、自分の話にうっとりして卒倒しかかる。

井上ひさし『十一ぴきのネコ』より

何だか腹が減ってきました。井上節が炸裂する名作、『十一ぴきのネコ』からの引用です。やはり、ネコと言えばサカナ。お魚くわえたドラ猫を追いかけて、今日もサザエさんも裸足でかけていくって寸法です。いいてんきー♪

しかし、みなさん、考えてみると、ネコが魚を好む、というのは少し変じゃありませんか? そもそも動物というものは、自分の身近にあって捕獲しやすいものをエサにするもんではないでしょうか? 「イヌかき」はあっても「ネコかき」はないし、ネコはそんなに泳ぎが得意なようには見えません。

困ったときのGoogle頼み。さくっとおうかがいを立てますと、やはり同じ疑問をもった方がいたらしく、「人力検索はてな」でズバリの質問がありました。「猫はなぜ魚が好きなのでしょうか?魚を捕る習性もなさそうですし…ご存じの方,教えてください」。2004年になされた質問だけあって、紹介されているリンクは多くが切れてしまってますが、ざくっと見てまわりますと、こんな感じです。

ネコという動物は、離乳期にどんな食餌をするかで、一生の嗜好が決まってしまうのだそうです。ネコはもちろん肉食ですが、では、日本の伝統的な動物タンパクと言えば? そりゃ魚に決まってます。昔はトリ肉ですら贅沢品でしたからね。そのためネコは魚好きになったのです。

ナルホド。もともと魚好き、というわけじゃないんですね。

これと似たようなネタをどっかで見た記憶があります。……ああ、そうそう、「ネズミはチーズを食べない」ってやつです。みなさんは、ご存知ですか。「痛いニュース」さんの記事にリンクを張っておきます。2ちゃんの方々も驚愕しております。私もびっくりしました。

マンチェスターメトロポリタン大学で動物の行動主義心理学を研究するデービッド・ホームズ氏」の研究によると、ネズミは「チーズのようににおいが強くて味の濃い食べ物には、鼻もひっかけないことが分かった」のだそうです。へぇー。

この記事が出たのは、今月の6日頃ですが、今、Googleで「ネズミ チーズ マンチェスター」を検索してみると、9,400件のヒットがあります。この情報が日本のネットにも爆発的に拡散していることが分かります。

ところで、私がこの記事を最初に読んだのは、「医学都市伝説」さんのところなのですが、そこに興味深いことが書いてあります。「動物行動学者のディビット・ホームズ博士」を探してみたが、存在しない、というのですね。

存在しない? そ、そんなことないでしょう、普通。

というわけで、私も調べてみました。まず固有名詞ですが、英文記事によれば、"Manchester Metropolitan University"の、"David Holmes"博士です。肩書きは、"animal behaviourist"。

"Manchester Metropolitan University"のアドレスは、*.mmu.ac.ukです。そこでまずは、「"David Holmes" animal site:mmu.ac.uk」でGoogle検索。1件ヒット。確かにいました"David Holmes博士"。個人ページがあります。なんだ、いるじゃないですか。

しかし、なんだかおかしい。"Specialist Areas"(専門分野)を見ますと、筆頭にこうあるのです。

Stalking(ストーキング)

……えーと。植草教授(ミラーマン)の御同類とか、そういう方でいらっしゃいますか?

いや、もちろん、そんなわきゃありません。この方は、この大学に所属する同姓同名の「犯罪心理学者」さんです。医学都市伝説さんでもちゃんとふれています。別人であることは次のような専門分野を見ていただければ一目瞭然です。プロファイリング、異常心理学、サイコパス自閉症、犯罪学……。この方が「動物行動学者」だと言うのでしたら、私はムツゴロウさんといっしょにマンチェスターに日本刀もって突撃しますよ。

さて困りましたね。"animal"でダメなら"zoological"とかでしょうか? ええい、見落としが面倒くさいので、「"David Holmes" site:mmu.ac.uk」で、直に検索です。44件しかヒットしませんから、絨毯爆撃上等っすよ。

つうわけで、片っ端から見ていきましたが、どれもこれもさっき出てきたDavid Holmes博士(専門分野ストーキング)ですよ。動物学者のDavid Holmesなんて、いねーじゃんか!

なるほど、これは不思議だ。まさか、記事が出てから、わずか3週間で大学を辞められたのでしょうか。そして、文書にまったく名前が残っていない、……なんてことは普通ないですよねえ。

こうなってみると、そもそも、この研究も、なんか怪しく見えてきます。さきほど紹介した「痛いニュース」さんのコメント欄でも、「いや、普通にネズミに食われましたが。チーズ」などの素朴な反論が多数挙がっていました。日本だけでなく、英語版WikipediaのMouseの項のノートを見ると、「ネズミって本当にチーズ食うの?」という質問に対して、「ああ食うよ、主食ってわけじゃないけど」などの返答があります。うーむ。

今度は「はてなブックマークを基点に、「ネズミはチーズを食べない」という記事へのブックマークや言及リンクを追ってみます。しかし、はっきり疑問に思っている人は、ほとんどいませんでした。

数少ない例としては、id:kurokuragawa さんが「ネズミ捕りにチーズを入れて捕まえた経験があるので、ちょっと信じにくい話 」とブクマコメント。id:hibikyさんが「たぶん正確には好物ではないだけで、何もなきゃ食うし、実際かじったりはするハズ。」とコメント。id:machida77さんは思いっきり疑ってます。「その後の検証や報道がないままに一種の「常識」としてブログの世界では定着してしまうのだろうな。」とコメント。

はてな内で私が発見できたのは、この3例のみです。そりゃ、普通は疑うほうが無茶です。だってBBC NEWSにも掲載されているネタですからねえ。

今度は、「ウェブ全体から検索」に切り替えて、再び絨毯爆撃をかけます。50件ぐらい見ましたが、やっぱり、出てくるページは孫引きばかりです。オレの貴重な15分を返せと言いたい。

と、ここで、私はふとあることに気づきました。この研究を行ったのは、David Holmes博士だけではなかったのです。www.japan-journals.co.ukの記事(日本語です)がかなり詳しいのですが、これによると、「マンチェスター・メトロポリタン大学の専門家と英国産ブルーチーズ「スティルトン」の製造業者団体「the Stilton Cheese Makers Association」の合同研究によると」とあります。ちょ、ちょっとまて、なんだ、その団体は。

「スティルトン」というのはブルーチーズの有名なメーカーだそうですが、その業者団体"the Stilton Cheese Makers Association"(以下SCMA)というのが絡んでいるようです。さあ、一気にうさん臭くなってきました。

そこで、"Stilton cheese"を絡めて検索すると、それらしき記事を発見しました。"KING OF CHEESE NOT NICE FOR MICE"と題された、www.stiltoncheese.comドメイン内の記事です。どうやら、ここが発信源ぽいです。

さっそく記事を読んでみますと、"New research conducted by the Stilton Cheese Makers Association (SCMA) looks set to explode the popular belief that..." ……おいおい、David博士(専門ストーカー)がいなくなってるよ!

よくよく読んでみると、この記事では、David博士(ストーカー)が研究した、とは、1行も書いてありません。博士は単に結果に対してコメントをつけているだけです。研究の主体は、どう見てもSCMAです。

研究結果の記述も適当そのものですが、よく読むと、"mice ... would turn their noses up at something as strong in smell and rich in taste as Stilton cheese."とあります。要するに、スティルトンチーズは匂いと味がキツいからネズミは食わない、ということです。というか、"KING OF CHEESE NOT NICE FOR MICE"というタイトルからして、これはスティルトンチーズに限定された話であって、チーズ全般の話ではないように読めます。

いったんまとめます。この、「ネズミはチーズを食べない」という記事に関して、少なくとも次の2点は、かなり高い確率で正しいと言っていいと思います。

  • この実験を行ったとされる「マンチェスター・メトロポリタン大学のデヴィッド・ホームズ博士」は、「動物行動学者」ではなく「犯罪心理学者」。
  • この実験を行った主体はDavid博士ではなく、ブルーチーズの業界団体。

これ以上のデータはなく、あとは推測になりますが、どうもこれ、ブルーチーズの業界団体が、商品のイメージアップと販売促進を兼ねて行った「研究」が、マスコミに乗って世界をかけめぐり、ブログによってさらに拡散している、という構図じゃないですかね。

もちろん、「ネズミがチーズを好まない」というのは、別に変な話ではありません。確かに、チーズは自然界で手に入る食物ではないです。しかし、ネコの例などを見ても分かるように、動物は必要とあらば食い慣れないものでも食うのです。もともとネズミは雑食です。ですから、「食べない」というのは明らかに間違いでしょう。このSCMAの研究報告も、よく読むと、「ネズミはチーズを食べない」などとは一言も書いてません。

というわけで、ちゃんとした論文でも出てくりゃ私も考えを変えますが、今のところ、「ネズミはチーズを食べない」というのはガセネタ、というほうに一票入れときます。

しかし、なんでこんなに出所不明の怪しいネタが「事実」として、世界をかけまわってるんでしょうか? 謎です。

話は変わりまして、パンダの好物はなんでしょうか? 言うまでもなく、竹や笹ですね。ですが、パンダはネコ目、「大熊猫」なわけですから、肉食でない、というのは奇妙なことです。

実は、なぜパンダが竹・笹を食うかは、専門家の間でも謎なのだそうです。まず、パンダの腸内細菌は肉を消化するためのもので、竹だの笹だの食ってもまともに消化できてないんだとか。さらに竹ってのは、何年かに一度いっせいに枯れたりするので、それがパンダの絶滅を加速している、という説もあるとか。うーむ、何考えてんだパンダ?

しかしですね、我々もあまりパンダのことを笑えないかもしれません。我々現代人の主食は何でしょうか? ご飯? パン? 私はこう言いたい。現代人の主食、それは情報であると。

それでは、我々が現在食ってる情報は、はたして我々の血となり肉となってくれるものなのでしょうか? こんな例を見ると、はなはだ頼りなくなってきます。もしかして、おいしいおいしいって言いながら、ろくな栄養もない笹、食ってんじゃないですかねえ。そういえば、ホッテントリって動物園の食事みたいだなあ。

まあ、いろいろ考えちゃいますけど、とりあえず、トムとジェリーは永遠に不滅です! まことに唐突ですが、これをもって、今日の結論とさせていただきます。

しおしお 2006/09/22 06:19 おはようございます。
更新を楽しみにしている一日本人です。
今日は特に!トムジェリの仲良しけんか友達な間柄を引き裂くニュースに、本気で「そんな研究すんな!」と怒っていたひとりとして、楽しませていただきました。

…今後は、たまには自分で調べる努力をしたいと思います。
思うだけで終わると思いますが。

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/23 07:17 しおさん、こんにちは。

「トムジェリ」って略すと、「ジュディマリ」みたいですね。「チャゲアス」はチャゲ・アンド・アスカ。「ゴスロリ」はゴシック・アンド・ロリータ。「ハリポタ」はハリー・アンド・ポッター。えーと、どっちが主人公でしたっけ?

しおさんの「そんな研究すんな!」というお怒りはまったくごもっともです。冥王星が惑星から降格したときも、科学者に対して「お前ら、プルート(一部ではセーラープルート)の気持ちも考えろ!」という苦情が殺到したことでしょう。

ともあれ、楽しんでいただければ幸いです。今度もよろしく。

DRDR 2006/09/25 21:09 検証なしに楽に孫引きが主流なのがブログの欠点ですね。
素晴らしい検証でした。
相互監視が必要?

通りすがり通りすがり 2006/09/26 09:35 これを見るとパンダは獰猛なんだそうな
http://blog.radionikkei.jp/chinastock/index.php?ID=43

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/27 18:17 DRさん、ありがとうございます。しかし、このエントリは「検証」と言えるレベルには達していないような気がします。私の書いたことは、ただ、ソースが怪しい、ということで、ネズミがチーズを食うかどうかは結局よく分からなかったわけで。

おっしゃるとおりで、検証なしで孫引きするのは確かにいいこととは言えませんが、ブログやニュースサイトは機動力が命という面もあるので、バランスが難しいところです。特に、今回の事例はマスコミで報道されていたニュースですから、個人レベルで検証する必要性を感じる人間は、ほとんど変態でしょう。

マスコミの方々が、元ソースへのポインタをつけるという習慣を身につけると、少しは違うんじゃないかな、と思います。情報源へのリンクというのは、ほとんどのニュースサイトやブログでは当然の慣行になっているようですし。それによって、少なくとも、私がこのエントリでした苦労の4分の3ぐらいは不要になるはずです。

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/27 18:17 通りすがりさん、面白い記事ですね。確かに、パンダは体重100kg近いらしいですから、ヤギぐらい余裕で粉砕できそうです。というか、パンダに限らず、野生の動物に愛らしさだけを求めるのが、そもそも間違いなのかもしれません。

ところで、そのご紹介いただいた「中国株投資ブログラジオ」は興味深いですな。えんえんとパンダの話をしたあげく、最後の最後で「株取引もパンダと似たところがある」ともっていくのは凄い力技です。あまりに感動したので、私は、任意のXについて「Xもパンダと似たところがある」というオチの文章が書けるのではないか、という可能性を思いつきました。とりあえず「パンダの定理」と名づけ、ヒマなときに証明を考えたいと思います。

エントリーシート 書き方エントリーシート 書き方 2009/10/20 16:10 井上ひさしさん、、、懐かしいです。

tenten 2010/05/26 07:17 懐かしいです。

marina-ooiemarina-ooie 2010/08/02 15:01 はじめまして!おおいえと申します。

芸大目指して浪人中の学生です。

猫を2匹かっていて猫ちゃんの写真ものせています!最近ブログをやりはじめました!

毎日学校で書いた絵やおもしろい写真や猫の写真いろいろのせていこうとおもっています。

自身おもしろい人間なのでもしよかったらブログみにきてくださいね!よろしくおねがします!

hasanhasan 2010/10/26 19:37 自己破産をする前にいろいろ考えなくっちゃ

しおしお 2010/12/13 11:45 大変興味深い内容でございました。

焼肉ズキ焼肉ズキ 2011/10/24 20:19 人間は焼肉が好きだ。通販でお取り寄せして食べたい。

EvonEvon 2014/01/19 20:34 古い記事に今更ですが、パンダは元々肉食です。
昔は動物園でも肉を与えていたようです。
腸が短いので、実は笹を殆ど消化できていません。

なぜ笹を食べるようになったかという所ははっきり知りませんが、
中国政府が頭数確保のための餌代に困り、笹の生息地帯に移動させたという話を聞いたことがあります。
アイドル的商品価値を持つようになって、肉食よりも草食の方がイメージ戦略に合うということもあったかもしれません。
特に動物園では、口の周りを血まみれにしているパンダは敬遠されそうです。

以前の通りすがりさんのリンク先にも同じようなことが書いてあったのかもしれませんが。

ルナパルテルナパルテ 2016/06/01 15:58 ネズミにはやっぱりチーズを食べてほしい。

2006年9月17日 無限より大きな無限、ヒルベルト・ホテルの日記、少年はまた歩き出す このエントリーを含むブックマーク

どんな「無限」にもそれより大きな「無限」がある! 数式を一切使わずに、この「無限」についての事実を証明してみましょう。今日は、無限と、ある少年の勇気について考えます。

 その夜、父は星が地球からどのくらい遠くにあるか、どのぐらい大きいかを話してくれた。

 何千光年も遠くにある星。光が一年間に進む距離を一光年として何千年。ぼくは覚えたての無限という言葉を思った。でも、それはポテトチップスが無限にあったらいい、という時の“無限”とは違う。考えようとすると頭がしんしんする無限だ。こわいほどの無限だ。ぼくは父の首にしがみついた。

 今はあの時とは違う。

 父と兄にいくつもの星座の名前も教わったし、銀河宇宙の大きさも知っている。望遠鏡だって、兄がいなければ自分ひとりで使えると思う。今日だって、おうし座流星群を見にきたのだ。

 二人で望遠鏡をかついで斜面を登る。十分も登ると、昨日の雨で湿ったかやがまとわりつき、露が靴下をつきぬけ、足の指の間でうずくまった。(中略)

「もうすぐ、シリウスの季節だなあ」

 兄が東の空を見る。

「シリウス、うん」

「来月になるとシリウスが東の空に顔を出す。砂漠のアラビア人はシリウスを『千の色の星』とも呼ぶんだ。見ている間に、青、白、緑、紫とプリズムみたいに色を変えるから」

「シリウスって一番明るい星だよね」

「そうさ。でも、直径は太陽の二倍しかない。地球からの距離が八・六光年で、日本から見える恒星では最も近いから明るく見えるんだ」

 兄の力強い話し方はまるで死んだ父そっくりだった。

「八・六光年かぁ」

 八年前といえば、まだ父が生きていたころだ。その時シリウスを出発した光がもうすぐ地球に届く。宇宙は巨大なアルバムだ。ぼくらは宇宙の隅っこに取り残されているわけじゃない。ぼくは、“勇気”を取り戻した。

ビートたけし少年』「星の巣」より

なんと、ビートたけしの小説です。テレビや映画監督としての彼しか知らない人は、非常に新鮮な印象を感じるのではないでしょうか。

主人公の「ぼく」は、幼い頃、父親に宇宙という無限について教えられます。それまで、「ポテトチップスが無限にあったらいい」という「無限」については理解していた「ぼく」でしたが、宇宙という無限には畏怖の念を感じたようです。

そして、八年後。父親をなくし、転校先の学校にもなじめない「ぼく」は、まるで自分たち兄弟が「宇宙に二人だけとり残されたよう」な気分になっていました。そんなとき、自分が見ているシリウスの光が、まだ父親が生きていたときのものであることに気づいた「ぼく」は、勇気を取り戻します。

さて、今日は無限の話です。この物語で「ぼく」は、「ポテトチップスの無限」と「宇宙の無限」とに違いを感じたわけですが、ちょっと考えると、「無限」に種類の違いがある、というのはなんだか不思議な気もします。だって、無限って「一番大きい数」じゃないんですかね? 一番大きい数よりさらに大きい数なんてないんじゃないでしょうか。

無限についてのたとえ話でよく出てくる例を使いましょう。「ヒルベルト・ホテル」です。「ヒルベルト」というのは、このたとえを考えた数学者の名前です。このホテルは、無限個の部屋をもっています。正確に言いますと、このホテルには、自然数(1,2,3…)と同じだけの部屋がありまして、各部屋には1から番号がふってあります。

さて、ある日、ヒルベルト・ホテルは満室になっていました。ここに、1人の客が泊まりにきます。ふつうならお断りを願うところでありますが、ところが、ヒルベルト・ホテルは、満室の状態から新たに客を泊めてしまいます。いったい、どうするのか?

支配人は、こうしたのです。まず、1号室の客に2号室に移ってもらいます。同じく、2号室の客は3号室へ。3号室の客は……といっせいに移動してもらいます。すると、客の移動が終わったあとは、1号室のみが空くことになります。そこに、新たな客を泊めれば一件落着というわけです。

もっとも、こんなことは有限の部屋しかないふつうのホテルでも可能です。たとえば、12部屋しかないホテルに13人の客がやってきたとしましょう。まず、最後に来た客に、一時的に1号室に入ってもらいます。次に、最初に来た客を1号室に入れます。すると、1号室には2人の客が入っていることになりますね? で、3番目の客は2号室へ、4番目は3号室へ、……12番目の客は11号屋へ入ってもらいます。すると、12号室が空いていますから、1号室にいた13番目の客をそこに移動すればいいわけです。これで、あなたも明日からホテル王です。

さて、無駄話はやめて、ヒルベルト・ホテルに戻りましょう。今日も今日とて満員御礼のヒルベルト・ホテルに、今度は、ホテルの部屋数と同じ人数の客がやってきました。さすがに、こんどばかりは泊められないでしょうか?

そこはヒルベルト・ホテルです。今度は、1号室の客を2号室に、2号室の客を4号室に、3号室の客を6号室に……というように、自分の部屋の番号の2倍の番号の部屋に客を移動させます。こうすると、1,3,5……と奇数の番号の部屋が空きますから、ここに新たな客を泊めれば問題なしです。

以上の考察から分かることは、無限に1を加えてもやっぱり無限だし、無限を2倍してもやっぱり無限だ、ということです。うーん、てことは、やっぱり無限個より大きい個数なんて、この世にないような気がしますねえ。

さて、大人気のヒルベルト・ホテルですが、なんせ部屋の数がとんでもないものですから、支配人は、「ホテル日記」をつけて管理しています。「ホテル日記」は、その日、部屋に客が入ったかどうかを○か×かで記録したものです。たとえば、1号室は客あり、2号室はなし、3号室はあり……だった日は、「○×○……」という日記になります。

さて、このホテル日記ですが、いったい何パターンぐらいあるのでしょうか? 「○○○○○……」という満員御礼のパターンもあれば、「○×○×○……」と1部屋置きに客が泊まるパターンもあるでしょう。「無限」にたくさんのパターンがあるのは間違いないですが、ヒルベルト・ホテルの部屋の数より多いと思いますか、少ないと思いますか?

同じ疑問をもった支配人、ある日、客をしめ出して実験します。とにかく考えつくすべてのパターンの日記を紙に書いて、ホテルの部屋に1枚ずつ置いていったのです。たとえば、1号室には「○○○○○……」と書かれた紙を置き、2号室には「○×○×○……」と書かれた紙を置き、……といった具合です。

さて、こうして、すべての部屋に、あるパターンが書かれた紙が置かれることになりました。もし、書き残したパターンがなければ、「ホテル日記のパターンの個数」でも、やっぱり「ヒルベルト・ホテルの部屋数」を超えることはできなかった、ということです。

ところが、絶対に書き残したパターンが存在するのです。絶対に、です。

手元に1枚紙をもって、1号室から順に部屋を見てまわりましょう。そして、1号室に置いてある紙の1番目に書いてある○×の記録を見ます。それが、もし○なら×を、×なら○を、手元の紙に書いてください。次に、2号室の紙の2番目の○×を見て、同じことをします。以下、同様に、n号室の紙のn番目の記録を見て、その○×を逆転させたものを、手元の紙のn番目に書いていきます。

たとえば、今、1号室に「○○○○○……」と書かれた紙が置いてあったとします。1番目は「○」ですから、手元の紙には「×」と書きます。次に、2号室に「○×○×○……」があったとします。この2番目は「×」ですから、手元の紙の2番目のところに「○」と書きます。手元の紙は「×○」となったはずです。これを無限に続けます。

こうしてすべての部屋を見終わったとき、手元には新しいホテル日記のパターンが残されるはずです。このパターンが、既にどこかの部屋に置いてある、ということは考えられるでしょうか? たとえば、39号室に同じパターンが書かれた紙が置いてある、ということはありうるか? ありえません。なぜなら、手元のパターンと39号室のパターンは、39番目の記号が異なっているはずだからです。

では、この新しいパターンを、さきほど無理矢理客を泊めた要領で、ホテルの適当な部屋に入れてしまえばどうか? 同じことです。また、1番目から部屋をまわって、新しいパターンをつくり出すことができるでしょう。つまり、「ホテル日記のすべてのパターン」は、どうがんばっても「ヒルベルト・ホテル」に収めることができないのです。

ということは、「ホテル日記のパターンの個数」は「ヒルベルト・ホテルの部屋の個数」よりもたくさんある、ということになります。無限より大きい無限があったのです!

「ポテトチップスが無限にある」の「無限」は、「ヒルベルト・ホテルの部屋の個数」と同じ大きさだと考えていいでしょう。この無限の大きさは、自然数の個数、偶数・奇数の個数、有理数の個数などと同じであることが分かっています。

一方で、「ホテル日記のパターンの個数」は、ここでは詳しく説明できませんが、実数の個数、3次元空間にある点の個数などと同じ個数であることが証明できます。宇宙にあるすべての点の数と同じ個数なのです。これを数学では、¥alephと書き、「アレフ」と読みます。某宗教団体とは何の関係もありません。

ビートたけしの小説の中で「ぼく」が感じた、「考えようとすると頭がしんしんする無限」「こわいほどの無限」は、¥alephアレフのことだったのかもしれません。

では、¥alephアレフよりもさらに大きい無限、というのはあるのでしょうか? 実はあるんです。宇宙にある、すべての点の個数よりも大きい無限です。今度は、それを見ていくことにしましょう。

宇宙というのは、空っぽの空間ではありません。そこに原子やら何やらがあるわけです。ある状態の宇宙の、ある1点を指定したとき、そこに原子があるかないかが決まります。もっとも、量子力学とか言い出すといろいろややこしいのですが、素朴にいきます。

宇宙の各点ごとに、原子があるかないかを決めていけば、とりあえず宇宙の「状態」が1つ決まることになります。こうして、考えた「宇宙の状態の数」は、もちろん無限通りありますが、これは「宇宙の点の個数」と、どちらが大きいでしょうか。

もう、お分かりかと思いますが、「状態の数」のほうが大きいです。証明は次のように行います。

恒河沙こうがしゃ」という数をご存じでしょうか。1のあとに0が52個つづく数です。一説によれば、この数は、ガンジス川の砂の1粒1粒にまたガンジス川が流れていたとしたとして、その膨大のガンジス川の砂をすべて集めた個数であると言われています。インド人は、とんでもないこと考えます。

これと同じように、宇宙の1点1点すべてに、また宇宙があると想像してください。宇宙のある1点を拡大すると、その中にまた宇宙が見えるという状況です。別の1点を観察すると、また別の姿の宇宙が見えてきます。恒河沙宇宙とでも呼びましょうか。

このとき、「宇宙の状態」のありえるパターンすべてが、恒河沙宇宙のどこかの点の上に観察できる、というようにできるでしょうか。なんかもう想像力が追いつかないかもしれませんが、実は、これ、さっきのヒルベルト・ホテルの話と同じなのです。「客」のかわりに「原子」になっただけです。

ということは証明もまったく同じです。恒河沙宇宙のある点pを拡大したら、ある状態の宇宙が見えてきたとします。その見えてきた宇宙の点pに原子があったとしたら、手元の(!?)宇宙の点pには原子が置かないことにします。逆に、見えてきた宇宙の点pに原子がなければ、手元の宇宙の点pには原子を置きます。こうして手元に新しくできた宇宙の状態は、恒河沙宇宙のどこにも見いだせないはずです。

ということは、「宇宙の点の個数」より、「宇宙の状態の個数」のほうが大きいことになります。¥alephアレフよりも、さらに大きな無限です。

この議論は、どんな「無限」に対してもでも使えるはずです。ということは、なんと、どんな「無限」よりも大きな「無限」が存在する、ということです!

このあたりの話は、19世紀の数学者カントールが、ほぼ独力でつくりあげたものです。今日お話した「ヒルベルト・ホテルの日記」「恒河沙宇宙」で使われたアイデアは、「カントールの対角線論法」と言われています。彼の有名な言葉に、「数学の本質は、その自由性にあり」というものがありますが、数学者の想像力というものには、ちょっと驚嘆させられます。

ところで、このカントールの発見は、数学に大問題を引き起こすことになります。どんな「無限」よりも大きな「無限」が存在する。それはいいとして、では、すべての「無限」を集めて集合をつくり、その個数を考えたらどうなるのだろうか? このパラドックスをめぐって数学は大きな危機に見舞われるのですが……、それはまた別のお話です。

ビートたけしの小説で、「ぼく」は、シリウスの光から死んだ父の記憶を思い出しています。あまりにも遠すぎて、地球からはただの1点にしか見えない星の光ですが、「ぼく」には父親が生きていた幼い日々が見えているのです。それは、まるで、さきほどの恒河沙宇宙のようです。主人公の「ぼく」が見ているものは、幼い日々に見た¥alephアレフを超える、さらに大きな無限なのかもしれません。

その懐かしい日々を勇気に変えて、少年はまた歩き出します。無限という世界の果て、それを越えて、少年は成長するのです。

山下山下 2006/09/20 04:16 ええと、2番目の客はどの部屋に入れば…?

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/20 19:37 山下さん、お見事です。

あちこちで紹介されている問題ですが、私の初見は、野崎昭弘『詭弁論理学』でした。

FummyFummy 2006/09/20 23:45 ヘンペルのカラスといいカントールの対角線論法といいツボを押しまくってくれますねえ。。
このあたりの無限とパラドックスを巡る話題は数学苦手な文系でもなんとなく理解できる(ような気がする)数理的ロマンで、昔は随分はまりました。対角線論法の説明はいくつも読みましたが、このエントリが一番わかりやすかったかも。
この流れだと次はラのつく人とかゲのつく人のお話でしょうか。

ただある地点より先に行こうとすると数学的基礎体力がないとボールが内野に飛ばなくなりますから、万人にわかりやすく記述するのは難しくなりますね。私も「ゲーデル・エッシャー・バッハ」あたりで限界を悟って足を洗いました(笑)。
刺激されてちょっといろいろ検索してたら、オルバースのパラドックスの説明でちょっと思い違いをしていたのを発見。
宇宙空間が無限で星の数も無限にあるなら宇宙が暗いのはおかしい、というものですが、これはビッグバンとか膨張宇宙には何の関係もなく数学的に説明できるというのには目から鱗。

タカハシタカハシ 2006/09/21 01:47 ふと思ったんですけど無限というのはあくまで概念であるので「ある数」として考えることは出来ないんじゃないでしょうか
つまり「無限通り」という表現は成立せず、無限を二つ用意してどちらが大きいとかはそもそも問題として無理があると思ったんですがどうなるんでしょうか?
突然変なこと言ってすみません

通りすがり通りすがり 2006/09/21 03:25 こんばんは。はじめまして。
ホテルの日記なんか使わなくても、無限に1を足してもやっぱり無限だって時点で無限より大きい無限があるってことにならないんですか?
あと、宇宙の各点の数がn個としたら、宇宙の状態の数は2のn乗個で、状態の数が多いのはその時点で明らか、ではダメなんですか?
私頭悪いんで、全然見当外れなことを言ってるのかもしれませんけど…。

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/21 06:35 Fummyさん、私もこのへんの話は大好物でして、書いてて楽しくって仕方ないです。

>この流れだと次はラのつく人とかゲのつく人のお話でしょうか。

ゲのつく人の話はいつか書いてみたいです。

>オルバースのパラドックス

マジですか。オルバースのパラドクスが定常宇宙でも解決できる、というのは初耳です。

私が検索した範囲だと、まず
http://www.emit.jp/note/olbers.html
がありました。単位面積あたりのフォトン(光子)の数は、宇宙が有限でも無限でも変わりはない、という議論です。この議論は単純に、時間が無限大の宇宙では、恒星から無限に光子が生産される、ということを見落しているのだと思います。

もう一つは、
http://home.catv.ne.jp/dd/pub/orberse.html
で、これは、恒星が背景の恒星の光を遮るという議論ですが、これについてはエネルギー保存則によって、背景の恒星の光がエネルギーに変換されて再び放射されるので、結局は変わらないことになる、というのが通説だと思います(例えば、http://en.wikipedia.org/wiki/Olbers%27_paradox)。

ま、私も専門的にフォローしているわけでもなんでもないのですが、しかし、このへんの話は、本当に楽しいですよねえ。日本語のWikipediaの「思考実験」の項(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E8%80%83%E5%AE%9F%E9%A8%93)が、あんまり充実してないのが実に残念です。ここは、ネタの宝庫です。

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/21 06:36 タカハシさん、こんにちは。

>無限というのはあくまで概念であるので「ある数」として考えることは出来ない

これはまったくその通りです。上記エントリで、「一番大きい数」とか「無限に1を加えても」とか書いたまま放置したのは私のミスです。

>無限を二つ用意してどちらが大きいとかはそもそも問題として無理がある

こちらに対する答えは「否」です。これは上記エントリにとって、非常に本質的な問いです。したがいまして、私には、この疑問にまっこうから答える義務があると思うのですが、いかんせん、これはかなり重たい質問でして、簡単にお答えすることができません。

一応書いてみますが、集合AとBがあったとき、AからBへの写像A→Bを考えて、それが単射であるとき、|A|≦|B|と書きます。大ざっぱに言って、これが、集合Aの大きさは集合Bの大きさ以下である、ということの意味です。

「写像」とか「単射」というのがよく分からなければ、Aが男の集団、Bが女の集団として(性別は逆でも可)、AからBへ「つきあってください!」と手をさし出す、という状況を考えてください。このとき、女のとりあいが1件もない(1人の女に2人の男から手が出ていることがない)状況、これが「単射」です。このとき、男≦女と定義するわけです。自然な定義だと思います。

この|A|≦|B|という関係は、全順序(勝手な2つの集合の間に大きさの比較が成り立つ関係)であることが分かっています(ただし、証明には選択公理という公理が必要ですが)。したがいまして、タカハシさんの御質問の答えとしては、「どんな2つの無限をとってきても、大きさの比較は可能」ということになります。

このあたりの話は、「公理的集合論」という分野の話になります。ウェブ上の解説ですと、
http://www-mi.sci.ibaraki.ac.jp/~yamagami/set2005.pdf
あたりが比較的まとまっているかもしれません(高校の理系数学を履修したことを前提として書かれています)。私のエントリは、この文書の定理11.2にあたります。

タカハシさんの疑問は、非常に本質的です。ですが、きちんと答えようとすると、集合論の教科書ができあがってしまう、ということで、この程度の答えで勘弁してください。

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/21 06:37 通りすがりさん、こんにちは。

タカハシさん宛てのエントリでも書きましたが、無限は数ではないので、1を足したり、2倍したり、という操作が有限の場合と同じようにはいかないのです。

具体的に言うと、自然数(1,2,3…)と、0以上の整数(0,1,2,3…)は、同じ個数です(正確には、1対1対応がとれます)。ですから、「1個増えたら、元の集合より個数が大きくなる」という常識は、ここでは通用しません。そればかりか、自然数(1,2,3,4,5,6…)と正の偶数(2,4,6…)は同じ個数です。したがって、「2倍になったら、元の集合より個数が大きくなる」という常識も通じません。

ですから、有限の場合のように、nと、2のn乗では、後者のほうが大きいに決まっている、というのは、当たり前ではないのです。

FummyFummy 2006/09/21 17:08 >Johnnyさん
>http://www.emit.jp/note/olbers.html
>がありました。単位面積あたりのフォトン(光子)の数は、宇宙が有限でも無限でも変わりはない、という議論です。

あ、私が見たのもそこです。

>この議論は単純に、時間が無限大の宇宙では、恒星から無限に光子が生産される、ということを見落しているのだと思います。

そうでした。

時間が無限でも光子の寿命は有限じゃないかとちょっと考えてしまったのが失敗。
モデルでいうと、格子の中にあるのが点じゃなくて線分になったところで格子全体を塗りつぶすのは無理だろう、と敷衍したんですが、もちろん光の速度の光子の寿命は理論(特殊相対論)上無限、つまり線分じゃなくて直線な訳で、これなら塗りつぶすのは可能ですね。

>しかし、このへんの話は、本当に楽しいですよねえ。

まったく。

ウィキの「パラドックス」の小項目も思わず読みふけってしまいました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9#.E7.89.A9.E7.90.86.E3.83.BB.E6.95.B0.E5.AD.A6

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/23 07:36 Fummyさん、こんにちは。

>ウィキの「パラドックス」の小項目も思わず読みふけってしまいました。

おおっ、さすがです。すばらしいです。英語版のほうも恐るべき充実度なのでオススメなのです。こんなもの無料で読めるんだから、いい時代に生まれたものです。
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_paradoxes

山下山下 2006/09/26 18:04 …あれ?
あそこがトラップでよかったのですか? あそこで引っ掛けるためには「1号室には2人の客が入っていることになりますね? で、3人目の客は…」と単位を揃えないといけないはずだから、これは違うネタなのだろう、と思ったのですが…

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/27 18:19 山下さん、なるほど、「人目」でそろえたほうが引っかかりやすいかもですね。一応、野崎昭弘『詭弁論理学』の表現と同じにしてみたんですが。

賢三賢三 2007/10/22 21:27 ヒルベルトホテルの支配人は新たな客を全員に部屋を詰めてもらうことによって解決しました。
では、宿泊客がわがままな連中であったと仮定します。
全員が「部屋が狭い。一人につき2部屋用意しろ」と言ったとします。
支配人はそれをクリアーできるでしょう。
しかし、もっとわがままな連中が泊ったとします。
その連中には位が決まっており、1号室が一番低く2号室がその次と順番に位の高い者が大きな部屋番号の部屋に泊っていました。
「1号室の奴が一部屋なら俺は二部屋だ」と2号室の客が叫びました。
すると3号室の客が「それなら俺は4部屋だ」と叫び4号室の客が8部屋を要求するという始末です。
さて、支配人はそのわがままに対応できるのでしょうか?

就職活動就職活動 2009/10/20 16:07 どんな「無限」にもそれより大きな「無限」がある!とは深いですね。。。

オールドドメイン SEOオールドドメイン SEO 2009/10/20 16:08 2番目の客はどうすればいいのでしょうか。。。

オーバーチュアオーバーチュア 2009/10/20 16:09 すごくいい感じのブログですね!また遊びに来ます!!

オリジナルオリジナル 2010/05/20 21:28 オリジナル

安く安く 2010/05/27 16:30 安く

gaigai 2010/10/16 12:39 そういう考え方でみると、
かえって新鮮かもしれませんね。

代大代大 2010/10/17 19:01 ちょっと私には
難しかったようです・・・

kabaraikabarai 2010/11/30 19:19 過払い金返還請求をやったら、少し戻ってきたよ。
うれしい…。

fundoridefundoride 2011/02/02 09:55 おもしろいブログですね。また来ます。

風水風水 2013/05/26 20:50 少年になって歩き出したいhttp://xn--cck6cuc628w92o8o8brmfeldp4v.com

手汗手汗 2013/06/15 20:56 宇宙の状態はどうなっているのか。手汗がひどい

2006年9月15日 勉強すると叱られる、黒くなければ鴉でない、雪がとけたら春になる このエントリーを含むブックマーク

カラスを一羽も見ないでカラスについて語ることはできるか? 「雪がとければ水になる」と「雪がとければ春になる」は、何が違うのか? 今日は、論理学のトピックを紹介しながら、数学の「普遍性」について考えます。

 私は「ある時間、待ってみる力」をふるい起こすことが、子供には必要だ、といいました。それは、子供にはもちろん、大人にとっても、生きてゆくうえで、本当に難しい問題にぶつかったとき時、一応それを括弧に入れて、「ある時間」おいておく、ということなのです。そうやって、生きてゆくという大きい数式を計算し続けるのです。初めから逃げる、というのとは違います。

 そのうち、括弧のなかの問題が、自然に解けてしまうことがあります。括弧のなかの問題をBとすれば、「ある時間」待っている間も、とくに子供の時、私たちはそうしてもすっかりそれを忘れていることはできません。そうしながらも、いつも心にかかっていて、思い出されます。しかし、その苦しい時、具体的な問題や特定の人のことじゃなく、Bという記号に置きかえて、――Bがまだ解決できていないけれど、もう少し待ってみよう、と考えることにするのです。

 それだけでどんなに気持ちが軽くなるか、私は幾度も経験してきました。いまもある記号に最悪の「いじめっ子」の顔が代入できるほどです。

 そして「ある時間」たって、括弧をといてみても、まだ問題がそのままであれば、今度こそ正面からそれに立ち向かってゆかなければなりません。しかし、子供のあなたたちは、なんとかしのいだ「ある時間」のあいだに、自分が成長し、たくましくなっていることに気づくはずです。そこが数学の場合と違います。私はとくに高校のころから大学を卒業するあたりまで、そのようにやってきました。そして、現にいま、生きています。

大江健三郎「『自分の木』の下で」より

大江健三郎らしい、透明にして美しい比喩です。

確かに、数学においては、数式のある部分を「括弧に入れる」ことで計算が簡単になることがあります。方程式の両辺に同じ式が現れて消去できたり、分子と分母に同じ式が出てきて約分できたりする。人生もまた同じく、「難しい問題」を括弧に入れて置くことで、解決できることがある。

しかし、ここには数学と違う点がある、と大江健三郎は指摘します。

難しい問題を括弧に入れて計算を続けるうちに、「自分が成長し、たくましくなって」いく。だから、結局、括弧の中が消えずに残ったとしても、「今度こそ正面からそれに立ち向かって」いける。そこが数学と違う。

数学の立場から言えば、括弧の中に入れた部分が消えず残り、そのまま計算するはめになったとしたら、それは失敗です。まあ、計算の見通しがよくなったりはしたかもしれませんが、ともかく本質的な解決にはなっていない。ところが、大江健三郎は、この数学的には無意味な場合でも、人生という数式においては、ちゃんと本質的な解決になっている、というのです。

ここには、数学にはないけれど、我々の生においては確かに存在するものが、はっきり姿を見せています。それを考えるのが今日のテーマです。

話をかえまして、みなさん「対偶」という言葉をご存知ですか? あー、なんか高校のときやったかも、というぐらいの記憶はありますでしょうか。

簡単におさらいしましょう。「星が見えるなら、夜である」というような「Pならば、Qだ」という形の文章を考えます。今、「夜でない」状態だったとしましょう。「星が見える」のなら必ず「夜である」のですから、今「夜でない」のなら「星は見えない」はずですね。ということは、「夜でなければ、星は見えない」ことが分かります。……あったり前ですな。

これを一般化すると、「Pならば、Qだ」という命題(真偽のはっきりした主張)が成り立つときは、必ず「Qでなければ、Pでない」という命題も成り立つ、ということです。この「Qでなければ、Pでない」を、元の文章の「対偶」というのでした。「やさしくなければ生きていく資格がない」の対偶は「生きていく資格があるやつはやさしい」です。元の命題が正しければ、対偶も正しくなります。

ネコは可愛い」の対偶はどうでしょうか。これは「その動物がネコであるならば、その動物は可愛い」ということですから、対偶は「その動物が可愛くなければ、その動物はネコではない」です。すなわち、「可愛くなければ、ネコではない」。

「対偶」とよく似ていて、間違えやすいのが「逆」です。「Pならば、Qだ」という文章のP,Qの順番を交換して「Qならば、Pだ」としたものが「逆」です。「星が見えるなら、夜である」の逆は「夜であれば、星が見える」ですが、これは正しいとは言えません。曇ってれば見えませんね。「ポチならば、犬」ですが「犬ならば、ポチ」ではありません。つまり、逆は必ずしも真ならず、というわけです。

また、「Pならば、Qだ」という文章に対して、「Pでないならば、Qでない」を「裏」といいます。「裏」は「逆」の「対偶」です。「星が見えるなら、夜である」の「逆」は「星が見えないなら、夜ではない」ですが、これもやはり正しくありません。

なんだかいろいろ出てきて混乱してきたと思いますが、とりあえず、元の命題と対偶は同じことを言っている、ということだけ確認してください。逆とか裏は適当に理解しておいてください。私も、どっちが逆でどっちが裏だかすぐ忘れます。

さて、このような「対偶」とか「逆」とかの区別は、ある程度の論理思考に慣れた人なら別に難しくない思われるのですが、どうもそういうわけでもないようです。このあたりから、「数学的思考」と世間一般の「論理的思考」のギャップが想像できて、なかなか興味深いです。

例えば、芥川龍之介の「侏儒の言葉」にこんな箴言が出てきます。「艱難かんなんなんじを玉にす。――艱難汝を玉にするとすれば、日常生活に、思慮深い男は到底玉になれない筈である。」 ってことは、自分からトラブルを招きよせる粗忽者だけが玉になれるというわけですか。なるほど、これは面白い。

面白いですが、論理的には間違っています。「艱難汝を玉にす」というのは、「艱難を味わったならば、玉のように輝く人になれる」ということでしょう。「侏儒の言葉」で言っているのは「艱難を味わったことがなければ、玉のように輝く人にはなれない」ということですから、これは「裏」です。裏は必ずしも正しくありません。艱難を味わわなくとも、玉になれるかもしれないからです。

小谷野敦は、著書『なぜ悪人を殺してはいけないのか―反時代的考察』の中で、「何の罪もない人を殺してはいけない」の対偶は「罪のある人は、殺してもいい場合がある」である、と書いたそうです。これは「裏」ですね。また、内田樹はブログで「対偶」の意味を知らなかったことを書いています。

このような論理的思考に対する理解のなさは、ちょっと不思議な感じがします。

単に、思考力が不自由だからでしょうか? 例えば、「個人情報保護法」をテーマにしたある講義の中で、「法曹学界の第一人者」の論理的思考力が非常にヤバかったという事例。その「第一人者」は、「過去6月以内のいずれの日においても5千を超える」の否定を「過去6月以内のいずれの日においても5千を超えない」としたそうです。マジっすか。こりゃ単なる馬鹿です。

しかし、芥川はもちろん、小谷野敦や内田樹といった思考の手練たちがこぞって間違えているのを見ると、どうも単なる能力の問題でもなさそうです。むしろここは、数学的な論理と異なる論理の存在をかぎつけるべきでしょう。

では、数学的論理とは異なる論理とは何でしょうか?

まず非常に有名な例から。「彼は、叱られないと勉強しない」というのは、多くの人にとって身におぼえがあることでしょう。では、この対偶は何でしょう? 「Pならば、Qだ」の対偶は「Qでないならば、Pでない」でした。ということは? えーと、「彼は勉強すると叱られる」。あ、あれ?

タネ明かしは、時間の流れに注目することです。最初の「叱られないと勉強しない」では「叱られない」という出来事が前にあり、「勉強しない」が後でした。ところが、「勉強すると叱られる」では、「勉強する」が前、「叱られる」が後のように読めてしまいます。つまり、時間構造が壊れていて、正しく対偶になっていないのです。

そこで、時間の流れも含めて正しく対偶を取ると次のようになります。「彼が勉強していたとすると、その前にだれかに叱られてたはずだ」。これなら、まったく問題ないですね。

この例から分かるのは、日本語の「Pならば、Qだ」という文章には、時間の前後関係が入っているということです。

さて、次は、「ヘンペルのカラス」という話です。「すべてのカラスは黒い」という命題の対偶は「黒くないものはカラスではない」です。では、この対偶を「観察」によって確かめましょう。

とりあえず、あなたの部屋にあるものを一つずつ拾って、この対偶命題が正しいことを確かめてください。「黒くないものはカラスではない」証拠が次々に見つかるはずです。おそらく、部屋から一歩も出ることなく、何千個もの例が見つかるでしょう。しかし、それによって、元々の「すべてのカラスは黒い」という命題を確かめたことになるのでしょうか?

部屋から出たって同じことです。世界中をかけまわって「黒くないものはカラスではない」ことを確かめたところで、結局、カラスを一羽も見ていないかもしれないのです。つまり、カラスを見ずにカラスについて語ることができるのは変ではないか?

このような例を見ると、対偶がもとの命題と等しい、というのは本当なのか?という疑問が湧きます。カール・ヘンペルによって提起されたこの問題を「ヘンペルのカラス」といいます。

数学においては、「ヘンペルのカラス」はまったく問題になりません。なぜなら、数学においては、「すべて」を確認できるからです。数学では「どんな整数nを取っても……」とか「任意の連続関数f(x)に対して……」とか「pを勝手な素数とする」などの言葉が頻出します。「すべて」について語れる、というのは数学の大きな魅力です。

ですから、数学においては、「すべての黒くないもの」を観察し、それがことごとく「カラスでない」ことを確認できるわけです。このとき、当然、「すべてのカラスは黒い」と言っていいことになります。カラスを一羽も見ていないのにです!

余談ですが、Wikipediaの「ヘンペルのカラス」の項には、「『全てのカラスは黒い』と『カラスは存在しない』という、論理的に全く相反する仮説が、共に否定されずに残される。これは明らかにナンセンスである。」と書いてありますが、この2つの命題は「論理的に全く相反する」わけではありません。「カラスが存在しない」とき、「全てのカラスは黒い」は常に真となり、両立するからです。まあ、「ナンセンス」ではありますが。

ふつう、現実世界で何ごとかを主張するとき、それが世界の「すべて」のものに対して通用することを確認するのは、ちょっと難しいです。「まだ100%確認できていませんが、今のところ99.9999%は正しいことが分かっています」というレベルで話をするしかないわけです。ですが、数学だけは、その命題が「今」どこまで確かめられているか、という思考から抜け出ています。数学にあるのは、その命題が真か偽か、だけです。

これらの例を見ていくと、どうやら、数学的な論理には「時間」というものが存在しないのではないか、ということに気づきます。

今までに見た3つの例は、すべてそのような例でした。もっと分かりやすい部分を取り出せば、「1+1=2」は、いつでも、何年経っても「1+1=2」である、ということです。これは数学の普遍性と言えます。

「雪がとければ水になる」と「雪がとければ春になる」の違いは何でしょうか? 前者の対偶をとると、「水になっていなければ雪はとけていない」ですから、これはいつでもどこでも正しい命題でしょう。一方、後者の対偶は「春にならなければ雪はとけない」ですが、よく考えてみると、この命題が意味をもつのは、冬、雪にかこまれて春をまつ季節の中で、だけなのです。

時間を超えた論理と、時間の中で意味をもつ論理の2つがあるようです。一般に前者の論理は数学的な、普遍的なものを目指す論理といえるでしょう。

ところで、大江健三郎が、ノーベル賞を受賞したころだったと思います。彼がテレビのインタビューで、「スピノザを読みたい」と言っていたのを聞いて、私はちょっと違和感がありました。スピノザと言えば、17世紀の哲学者じゃありませんか。例えば、現代の物理学者が、ニュートンの『プリンキピア』を研究したい、と言うことはまず考えられません。

帝京大学助教授の小島寛之の話です。彼は若い頃、数学科に所属していました。指導教官に研究の方向性を聞かれ、フェルマー(17世紀の数学者)の数学について研究したいと言ったところ、指導教官に「そんな古いことをやってどうする」と一笑に付され、「楕円曲線」や「モジュラー形式」などの、より新しい理論を薦められたそうです。「殺意」が芽生えた、と小島は書いています。

しかし、フェルマーが残した二十世紀数学最大の難問、フェルマーの最終定理は、まさに「楕円曲線」や「モジュラー形式」などの理論の進歩によって解かれたのでした。してみると、やはり、フェルマーの残した問題はともかく、その数学的業績は今では「古い」ものであり、あらためてふり返る価値のないものなのでしょうか。

こうなると、「普遍」とは、なんなのだろうという気がします。その定理は未来永劫真実であるにしても現代の数学者にはもはや顧みられることのないフェルマーと、21世紀の大文豪によって今も新しい意味を汲み出されるスピノザは、どちらが「普遍的」なのか。そんなことを考えてしまいます。

というわけで今回は、数学的論理は「時間」を超越している、ということを見てきました。人は、時間の中で生きる存在でありながら、しかし、同時に時間を超えたものに憧れる存在でもあります。その考えてみると、このようなさまざな論理の形は、どれも人間の一つの姿なのだと、私には思われます。

kohekokoheko 2006/09/17 16:22 論理学においてこれ以上分かりやすく書かれた文章を私は知りません。恐れ入りました。

エポケー(判断中止),対偶,「ない」ことの証明などは,分かるまでは苦しいですが分かってしまうと物凄い武器になりますね。このへんの理屈を知っているといないとでは議論の際大きな差が出ると感じています。

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/18 17:03 kohekoさん、「武器」になる、という言葉にはまったく同感です。思うに、「対偶」などの言葉が人口に膾炙されているとは言えないのは、今の学校教育が、論理というものを数学の枠組みの中だけで教えるようとしているからだと思います。「x+y≦0ならば、x≦またはy≦0」の対偶は……などとやるから多くの人は混乱するのであって、本エントリのように日常言語で説明すれば難しいことはないはずです。要するに、国語で教えればいい。

ところで「エポケー」ってもっと普及していい言葉ですよねえ。ある程度の誤解を経た上で、日常生活で使われまくっていい哲学用語だと思う(「予定調和」とか「世界観」みたいに)。でも、それほど普及しているように見えないのは、たぶん、その馬鹿っぽい語感に原因があるのでしょう。「ぼける・ほうける」がかつて「ほける」であり、さらに古くは「ぽける」と発音していた時代の民族的記憶は、今でも「ポケーとしている」などの表現に残っていて、それが「エポケー」の宿痾となっているのでしょう。何べん聞いても頭悪そうですもんね。エポケーって。不憫な子や……。

jun-jun1965jun-jun1965 2006/09/19 03:38 いや、それでいいのです。「何の罪もない人を殺してはいけない」の裏は「罪のある人は殺してもいい」です。対偶は「殺してもいいのは、罪のある人だ」ですが、この表現は誤解を招くので「殺してもいい場合がある」と言い換えたのです。これは三浦俊彦に相談して書いているので違っていません。また記号論理学が必要である所以も、三浦の『論理学入門』に書いてあります。

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/19 06:42 げげ、御本人ですか。とりあえず『もてない男』は最高でした。

で、なるほど、「裏」や「対偶」の意味を誤解してあのような書き方になったわけではない、ということは了解しました。

しかし、「殺してもいいのは、罪のある人だ」と「罪のある人は、殺してもいい場合がある」は、やはり論理的には違う命題なのではないでしょうか。

これは本記事で紹介したWikipediaと同じ構造の誤解だと思います。まず、数学的論理では、Pが常に偽であるとき、「PならばQ」という命題は常に真になります。ですから、この論理にしたがえば、たとえば、「絶対にだれも殺してはいけない」と考える人にとって、「殺してもいいのは、罪のある人だ」は真であり、「罪のある人は、殺してもいい場合がある」は偽な命題です。

しかし、日常言語的論理では、「PならばQ」と言った場合、Pが真となる場合が少なくとも可能性としては考えうる、というふうにみなされているようです。ですから、「殺してもいいのは」という言葉から、「殺してもいい場合がある」という言葉が出てくるのだと思いますが、これは論理的に間違いです。もし仮に、このような日常言語的な論理にしたがうのであれば、そもそも対偶は、もとの命題と同値にはなりません。

たとえば「小泉首相以外の日本人は、身長5m未満だ」は真です。ここでその対偶を、「身長5m以上の日本人は、小泉首相だけだ」と書いてしまうと、まるで「身長5m以上の日本人がいる」と言っているかのようです。ここは、「身長5m以上の日本人がもしいたとすれば、それは小泉首相だけだ(でも、そんな日本人はいないから、別に嘘は言ってないもんね)」と書くべきです。

同じように、「何の罪もない人を殺してはいけない」の対偶は、「殺してもいい人がもしいたとすれば、それは罪のある人だ」とすべきです。「殺してもいい人がいる」かどうかはこの命題からは出てきませんから、これを「罪のある人は、殺してもいい場合がある」と言い換えるのは、やはり誤りだと思います。

という感じで、いかがでしょうか。

PON丸PON丸 2006/09/19 13:51 例え話にミスリードがありますよ。
「小泉首相以外の日本人は、身長5m未満だ」と「日本人は、身長5m未満だ」はイコールの関係です。「何の罪もない人を殺してはいけない」と「人を殺してはいけない」がイコールでないでない(死刑反対でない立場の場合)対偶が「殺してもいい人がもしいたとすれば、それは罪のある人だ」とするなら例えは、「身長5m以上の日本人がいるとすれば、それは小泉首相ではない」になりますよ。

考え方に大きな穴があるとすれば、それはそのことのおよぶ範囲を無視していることです。
「罪がある人」と「罪のない人」の罪の二元論が殺人(この場合死刑)を容認する範囲とあまりに違いがあるため、「場合によっては」みたいに範囲を追加しなくてはならなくなるのです。つまり、話(考え)をあまりに定量化したため、本質にある大きさ(量)・広さ(面積)・向き(ベクトル量)が無視されたので、実情に合わない部分を別に追加する必要が出てくるのです。

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/19 15:43 PON丸さん、実に興味深いコメントです。

まず、前段の

>「小泉首相以外の日本人は、身長5m未満だ」と「日本人は、身長5m未満だ」はイコールの関係です。「何の罪もない人を殺してはいけない」と「人を殺してはいけない」がイコールでないでない(死刑反対でない立場の場合)対偶が「殺してもいい人がもしいたとすれば、それは罪のある人だ」とするなら例えは、「身長5m以上の日本人がいるとすれば、それは小泉首相ではない」になりますよ。

という部分ですが、私の脳ミソでは、内容もさることながら、その文法構造すら理解できません。きっと、自動翻訳機というのは、こういう気分で働いているのでしょうねえ。どうしてこのようにお考えになったのか、もう少し詳しく話していただければ参考になります。ところで、申し遅れましたが、「小泉首相」というのは、私の知りあいの「こいずみ かみすけ」という男でして、彼の身長は5m40cmです。

それから、後段の

>つまり、話(考え)をあまりに定量化したため、本質にある大きさ(量)・広さ(面積)・向き(ベクトル量)が無視されたので、実情に合わない部分を別に追加する必要が出てくるのです。

という文章は、非常に刺激的です。まず、「……あまりに定量化したため、……大きさ(量)……が無視された」というロジックは斬新ですね。戦いを極めたあげく戦いを超越してしまった木鶏を思わせます。それと、この「大きさ(量)・広さ(面積)・向き(ベクトル量)」というのは、どのような集合に対して、どのように定義されているのでしょうか? 特に「向き(ベクトル量)」が何の向きなのか、大いに気になります。ちなみに、私は左向きです。

ともかく、大変学ぶことの多い文章です。さらなる書き込みをお待ちしております。

77437743 2006/09/19 17:57 >「こいずみ かみすけ」
ちょwwwおまwww
その発想は無かったわw

いのしろういのしろう 2006/09/19 23:40 いつも楽しませてもらっています。

全く関係ないですが、なぜかビューティフル・マインドの
「なぜ宇宙の広さが無限と断言できるのか?−信じているから。」
を思い出しました。関係ないですが…

PON丸PON丸 2006/09/20 10:56 「罪のない人は殺してはいけない⇒罪人は殺してもよい」
これがイコールと感じないのは、論理的とかではなく、罪の有る無しの2元と
殺人(この場合死刑)の有無がイコールでないからですよ。
もちろん無罪の人を殺す事はいけない事(これはイコール)ですが、
罪人全部を殺す事は肯定されません。(死刑廃止論の方々は全て否定かな)
文章の構造・・・がと言う事ですが、
身長5m以上の日本人がいるという仮定を「小泉首相は5mはない」では説明出来ない
点で、文章の構造というより文章そのものが意味をなさないものです。
単に肯定・否定を揃えてみただけですから・・・
「小泉首相以外の日本人は、身長5m未満だ」は確かに真ですが、
小泉首相も5mないので真、つまり「小泉首相以外」の仮定に意味がありません。
つまり、小泉首相は日本人(母集団)である(含まれる)ので、
先の罪の有無とでは、範囲(罪の有無は異なる集団)が
明らかに違うのですからミスリードと言ったのです。

小泉首相というのは、私の知りあいの「こいずみ かみすけ」という男でして、
彼の身長は5m40cmです。

・・・詭弁ですか?では、「こいずみ かみすけ」方が身長5m40cmであること
を証明してくださいな。一度、詭弁のガイドラインでも検索してみてはどうです?

後段については、貴方の考えが「短絡」過ぎるという突っ込みを貴方に
合わせた物言いをしたまでですよ。
貴方が左向きであることはこの場合問題でなくて、「
短絡」思考だと思ったわけで、別段指摘した事が判らなければ仕方ない事です。

まぁ〜無理に自分を高みに持って行かずとも、
身の丈にあった思考をされた方がいいですよ。
貴方が左向きとかなんてどうでも良くて、
論理のすり替えはいただけないと言う事です。

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/20 19:24 7743さん、いえいえ、私は事実をありのままに書いただけでして。「発想」などという言葉でおほめいただくものではありません。ともあれ、コメント、いつも助かります。

いのしろうさん、なぜあのシーンを思い出されたのか、私にも、ちょっと想像がつきません。しかし、内田樹曰く、「いっしょにいると「オチのない話」を次々に思い出してしまう相手のことを「親友」とか「恋人」と呼ぶのです。」(『先生はえらい』)ということだそうです。もし、吹風日記が、いのしろうさんにとってそういう存在になりつつあるのだとしたら、書いている人間としては、こんなに嬉しいことはありません。

PON丸さん、今回のコメントでだいぶ分かった気がします。PON丸さんの思考においては、「現実にそうであること」と「論理的に証明されること」の区別というものはないのですね? なるほど、これも数学的論理と日常言語的論理の大きな違いと言えるかもしれません。

franzfranz 2006/09/21 02:24 はじめまして。
コメントまで一通り読ませてもらいました。
やりとりが噛み合っていないように思います。johnnyさんに反論している方々は、現実に具体的な話をする中に論理学を当てはめようとしているのに対し、johnnyさんは論理学そのものを考えているように感じます。
論理学(あるいは数学)的な考え方が絶対的に正しいとすればjohnnyさんが正しいと思います。(というか、普通に読めばjohnnyさんが正しいと思います)
ただ、やはり論理学や数学を論じるのに国語を使うという方法は、論理学や数学の記号を使う方法と同じように、大多数を理解させるのは難しいのかもしれません。なぜなら、国語(日本語)では、わざわざ恒真命題とか恒偽命題とかナンセンスな命題を扱うことはしないからです。

あと、いくらなんでもまず『5m以上の日本人なんていない』と言っておきながら、その後のコメントで『5m40cm』ではPON丸さんがあまりにもかわいそうじゃないですかwPON丸さん用に僕も一例挙げておきますね。
『10の約数のうち10以外は1桁』真
その対偶『1桁でない10の約数は10』真
これはPON丸さんも理解しているところです。
『8の約数のうち8以外は1桁』真
その対偶『1桁でない8の約数は8』真
意味はないでしょうが、下の2つも真です。


邪魔でしたら削除してください。

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/21 06:34 franzさん、こんにちは。いろいろお気遣いをいただいたコメント、ありがとうございます。

やりとりが噛み合っていない、ということですが、まったく同感です。しかし、この記事のテーマからして、コメント欄で噛み合わないやりとりが行われるというのは、それはすなわち、2つの異質な論理がぶつかっている、ということですから、まさに理想的なのではないかと思われます。エントリのみならず、このコメント欄自体にブクマが入った(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/MrJohnny/comment?date=20060915%23c)ということが、それを示しています。とりあえず、現時点で、このコメント欄は私の中では大成功です。

>なぜなら、国語(日本語)では、わざわざ恒真命題とか恒偽命題とかナンセンスな命題を扱うことはしないからです。

うーん、例えば、「嘘ついたら、針千本飲ーます」において、「針千本飲む」というのは一般的な人体の構造からして恒偽命題かと思いますが、だからこそこの言葉は「嘘つかないでね」というメッセージに換言できるのではないでしょうか。まあ、しかし、論理を教えるのに国語を使う難しさ、という点については、franzさんのおっしゃる通りかもしれませんね。

>あと、いくらなんでもまず『5m以上の日本人なんていない』と言っておきながら、その後のコメントで『5m40cm』ではPON丸さんがあまりにもかわいそうじゃないですかw

いや、それがですね、前のコメント書いてから、次のコメント書くまでに、小泉のヤローが成長しちゃったんですよ……などと書くと、また「詭弁だ」と言われそうですが、しかし、論理的であるためには、こういう「可能性すべて」に目を配る必要があるはずです。いや、そんなカタイこと言わなくても、「小泉首相」が「こいずみかみすけ」だったり、彼の身長があっという間に5mになる「かもしれない」世界のほうが楽しいじゃありませんか。論理の力ってのは、想像力ですから。

pon丸pon丸 2006/09/21 09:50 話がかみ合っていない事はその通りですね。ただ、論理云々を指摘しているのではなくて、
自論を正しく見せる(と思わせる)事に正しくない例題を持ってくることが
いただけないと言っているのです。
罪の有無と日本人・小泉・身長5m(以上・未満)では、明らかに関係が違うでしょ?
まぁ同じ可能性が有るって言われるのなら、これ以上言う事はありませんよ。
可能性全てに目を配る必要があるは、まったくその通りですが、
何が可能なのか不可能なのかの基準があまりに異なれば、話は一生平行線ですよ。

無駄な詭弁に、それならどうするの?って言ってみただけですよ。
貴方の想像力を否定するつもりはありませんが、明らかに違う例えでは、
単に自論を正当化するのに何でも有りかよ!!って思いましてね。。
まぁ〜重箱の隅をつつくような書き込みをしたのは申し訳ありませんが。

論理を教えるのに国語使うのは・・・って、論理のすり替えを教えたいのですか?

OMIOMI 2006/09/21 11:49 コメント欄で行われている議論がまったく理解できません。
「何の罪もない人を殺してはいけない」の対偶は「殺してはいけなくない人は何の罪もない人ではない」のはずだし、「小泉首相以外の日本人は、身長5m未満だ」の対偶は「身長5m以上ならば、小泉首相以外の日本人ではない」のはずでしょう。
コメント欄で行われている論議は、与えられた命題の日本語を読んだままではなく、ごく一般的に誰もが捕らえる「言外の意味」を読み取ってしまって、それを前提に話しているからと思われます。

「小泉首相以外の日本人は、身長5m未満だ」と「日本人は、身長5m未満だ」はイコールではありません。少なくとも数学で使われるイコールではないことは確かです。イコールと言ってしまうのは「小泉首相なる人物は5m未満だ」という、“命題のどこにも含まれていない”前提を勝手に含んでいるからです。
Johnnyさんが言っておられるように、「小泉首相」が「西暦2006年9月21日午前9時現在日本国総理大臣である小泉潤一郎」であるとは限らないのですから。
叙述トリックではありますが、数学と国語の違いを良くあらわしていると思います。

数学的に論理の話をするならば、命題に日本人が100人中100人が頭に浮かべる言外の意味が存在したとしても、そこに数学で得られる絶対性が求められないならば前提とすべきではないでしょう。
逆に、国語的に話すのであれば数学のような厳密さは得られないし、上記のような叙述トリックも可能となります。

自論の中で、都合のいいときに都合のいい方を用いているのではまったく「論理的」ではありません。
小泉首相が5m以上に成長する可能性はあっても、8が何の演算もなく時間がたてば10になる可能性はないのですから。

jun-jun1965jun-jun1965 2006/09/22 02:52 「「絶対にだれも殺してはいけない」と考える人にとって、「殺してもいいのは、罪のある人だ」は真であり、「罪のある人は、殺してもいい場合がある」は偽な命題です」
 当為命題に真や偽があるのでしょうか? あるとしても、なぜ前者が真?

PON丸PON丸 2006/09/22 09:43 >OMIさん
元々今回のコメントは、数学的手法で命題を理解することに
ケチをつけたわけでないくて、誤ったというより意図的に自分の思想に誘導する
ようなすり替えについて指摘したので、方法論が数学だろうと、国語だろうと
私は問題とはしていません。
叙述トリックは、お話としては別に楽しいものですが、主義主張に使用すると
不快なものです。「小泉首相が5m以上に成長する可能性はあっても」これは
可能性はないと言っておきます。もちろん、5m以上の人がいないことを
証明することの難しさもまたメートルという単位がある日突然1/4になるなんて可能性が
「0」でないことは確かです・・・が、扱っている命題が現実社会の事象について
である以上、国語・数学の違い以前の問題です。
数学であっても、扱っている事象がどの位置であるかは重要で、
ユークリッド幾何学では三角形の内角の和は180度であることは、真
であるが非ユークリッド幾何学では必ずしも真ではありません。
二つは相反するものではなく、取り扱う範囲が変わっているだけです。

>JUN−JUN1965さん
文章をあくまで対偶として持ってきたもので、
罪のない人⇒罪のある人
殺してはいけない⇒殺してもよい
を組み合わせた結果でしかないのです。
罪の有無の判断・ランク分け・殺人についての是非など
は各自の思想信念で変わりますので、同疑問が出てくるのは当然ですね。

私も的確な文章で理論の矛盾を突けたらよかったのですが、
無駄にコメントが多くて、指摘が頓珍漢なのはすみません。

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/22 16:19 PON丸さん、こんにちは。

PON丸さんの主張が、「小泉首相といえば総理大臣で、彼の身長は5m未満に決まっている。そういう常識的判断があって初めて我々は対話ができるのであって、人間は裸の論理だけで意思の疎通をしているわけではない」ということでしたら、私も納得しています。ですが、このコメント欄で議論されていることは、ある「論理的判断」の妥当性についてです。どのような「論理的判断」がなされているかを浮き彫りにするために、わざと「常識的判断」と異なる例を挙げているのです。そのあたりを、どうかご理解ください。

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/22 16:20 OMIさん、こんにちは。

ほぼ納得できるコメントでした。「殺してはいけなくない人は何の罪もない人ではない」という表現には、ちょっと虚を衝かれました。なるほど、二重否定が肯定になる、という数学的には自明な論理は、言語では成り立たないのでしたね(まあ、この文の場合は肯定にしてもいいかな、と思いますが)。

ただ、1点だけ。「8が何の演算もなく時間がたてば10になる可能性はないのですから」というご指摘の意味が分かりにくいです。とりあえず私は、「小泉首相」などの日常用語と違って数学の用語は意味が確定しており動かない、という指摘だと理解しましたが、よろしいですか? franzさんのあげられた例にも8と10が使われていましたが、franzさんの例と直接の関係はない(別の数字でもかまわない)、という理解のしかたでいいでしょうか?

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/22 16:21 jun-jun1965さん、こんにちは。

「当為命題」というとらえ方は、すこっと抜けておりました。数学にはない論理の形という話では、まっさきに出てきてもいいものでした。しくじりました。ここは、用意していただいた逃げ道を使うことにしまして、事実命題である、として話をさせていただきます。すなわち、人間という集合を定義域として、「罪のある/なし」「殺してもよい/悪い」という真偽値をとる関数が固定されているとします。

「殺してもいいのは、罪のある人だ」という文について考えます。日本語で「AはBだ」と言ったとき、「A=B」「A∈B」「A⊂B」のどれかですが、ここでは、意味上、「A=B」と「A∈B」はありません。ここだけは数学的論理ではありませんが、まあ、問題ないと思います。したがって、「殺してもいいのは、罪のある人だ」という命題は、「mが殺してもいい人である、ならば、mは罪のある人だ」という命題と、数学的には、同値です。

私の主張は、「どんなmについても、mを殺していい、は偽」という仮定のもとでは、この「mが殺してもいい人である、ならば、mは罪のある人だ」という命題はmによらず真、というものです。この根拠は、数学において「PならばQ」という命題は、Pが偽ならば、Qによらず常に真になる、ということです。

例えば、「晴れたら、外出しよう」という約束は、晴れでない天気のもとでは、外出をしてもしなくても守られたことになります。日常的な例だとまずいのであれば、これは田村三郎の例ですが、「12!=470091600ならば、13!=13×470091600」は数学的に真。しかし、12の階乗は479001600ですので、これは「偽ならば偽」のかたちです。

このような「偽ならば偽」の形を真であると認めるのは、極端な例を挙げれば「1=3ならば、5=9」は真、などを認めると言っているわけですから、かなりナンセンスな感じがします。しかし、これが認められないとなると、例えば背理法が使えなくなります。したがって、数学的には認めるのが妥当です。

ということで、「絶対にだれも殺してはいけない」という仮定のもとで、「殺してもいいのは、罪のある人だ」は真、です。数学的には。

以下、前回のコメントの内容とかぶります。

しかし、日常言語では、「だれも殺してはいけない」と考える人が「殺してもいいのは」と発言するのは奇異です。つまり、日常言語では、「殺してもいいのは」という発言の中に、「殺してもいい人が1人は存在する」という前提が含まれている、と考えられます。これは、数学では空集合も集合とみなすけれど、日常言語では空集合を集合とは言わない(無人の部屋に対して「男が集まっている」とは言わない)のと同じです。

すなわち、日常言語的論理では、「AはB」という発言の中に「Aは空でない」という主張が隠れているわけです。この隠れた主張を認めると、「対偶」という操作は使えなくなります。「AはB」の対偶は「BでないものはAでない」ですが、前者には「Aであるものが1つはある」が、後者には「Bでないものが1つはある」が、それぞれ隠れており、この2つは真偽の一致しない命題だからです。

したがって、日常言語的論理では、「何の罪もない人を殺してはいけない」という命題(これは「mが何の罪もない人であるならば、mを殺してはいけない」と解釈されています)の対偶として「殺してもいいのは、罪のある人だ」をとることはできない、ということです。もちろん、数学的論理としては、前半で述べたような解釈をする、という条件のもとで、このような対偶の取り方は妥当です。

以上より、私の考えは、「何の罪もない人を殺してはいけない」を「殺してもいいのは、罪のある人だ」と換言したのは数学的論理に基づいており、「殺してもいいのは、罪のある人だ」を「罪のある人は、殺してもいい場合がある」と換言したのは日常言語的論理に基づいているが、この2つの論理は両立しない、というものです。

通りすがり通りすがり 2006/09/24 04:33 ちょっと興味深い議論ですね

PON氏は[ 「罪がある」「ない」が互いに背反であること、に対して「小泉首相」と「日本人」が互いに背反でないこと ]が問題だと仰っていると理解しました。
確かに、この点に関しては、Johnnyさんの例は相応しくないのかもしれません。
OMIさんの
>小泉首相が5m以上に成長する可能性はあっても、
>8が何の演算もなく時間がたてば10になる可能性はないのですから。
という発言は「小泉首相は5mと競合する立場になく、8は10は排反事象であるんじゃないの?」という意味と理解しました。

自分の頭では何だかこんがらがってきたので、頭を整理する意味でもコメントさせて頂きます。
誤読があれば訂正してください

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/24 21:09 通りすがりさん、まず、そもそも問題となっているのは、「何の罪もない人を殺してはいけない」の対偶として、「殺してもいいのは、罪のある人だ」を取ることができるか? ということでした。

ロジックを抽象化すると、「どんな《人》についても、《何の罪もない》ならば《殺してはいけない》」という命題から「どんな《人》についても、《殺していい》ならば《罪がある》」という命題を引き出したことになります。

私の例は、「どんな《日本人》についても、《小泉首相でない》ならば《身長5m未満だ》」という命題から「どんな《日本人》についても、《身長5m以上》ならば《小泉首相だ》」という命題を引き出しています。これは、さきほどの「罪のある人は〜」と、論理的にはまったく同じ構造で、だから例として出したのです。

ここで、「罪のある/なし」に対応するのは「小泉首相である/ない」であり、「小泉首相/日本人」ではありません。

PON丸さんが問題にしているのは、前者の例「罪のある/なし」「殺していい/いけない」と、後者の例「小泉首相である/ない」「身長5m以上/未満」が切り分けている集合の「大きさ」があまりに違う、ということでしょう。PON丸さんは、「罪がある人」というのは人間のうちの不特定多数であり、罪がある人のうち死刑に値する人はさらに一部なのに対して、「小泉首相である人」というのは(常識的に)一意に特定でき、その人が「身長5m未満である」かどうかも(常識的に)特定できてしまう、したがって例としてあまりに違い過ぎる、ということを指摘されているのだと思います。

しかし、jun-jun1965さんに対する議論で問題となっているのは、日常言語的論理では、「PならばQ」と言ったときに「Pとなる場合がありうる」という前提が無自覚に侵入しているのではないか、ということです。私は、その前提の侵入が不当なものであることを示すために「Pとなる場合がありえない」ような極端な例をあえて挙げた、ということです。

通りすがり通りすがり 2006/09/25 02:41 なるほど、と思いましたが少し気になるので、さらに失礼して

そもそも「犯罪者であるか否か」というのはまじわりの存在しない互いに背反な集合であります。この点は同意いただけるでしょう。
ところで、この議論の場合、人は集合の元であるはずです。人は、「全ての人」という集合を余りなく二つに分ける集合のいづれかに属する元であり、無論まじわらない。


なんて、ここまで書いて気付きました。
私が一方的に間違っていました。
議論の途中の重大な発言をようやく理解したのです。

私は、小泉首相を元である、ととらえていました。
これが間違っていたと考えます。

不愉快な程の理系人間と思っていたのに、勝手な解釈と常識に縛られていたなんて恥ずかしいです。

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/25 19:28 なるほど、通りすがりさん。私の例では、「小泉首相1人のみからなる集合」というものを考えなければいけないので、そこが誤解を招いたということでしょうか。確かに「要素が1つの集合」と「元」の違いというのは分かりにくいところですね。これは私の例のよくない点でした。参考にします。

スカイスカイ 2006/09/29 22:21 初めまして。
いつも楽しく読ませて頂いています。
見ている途中で少し変な事を考えたのですが、罪人を殺していいと言う事が真となるなら罪人が殺された後、その罪人に殺された人が生き返った場合罪人は人を殺さなかった事になりますよね?
にも関わらず罪人は殺された。
パラドックスが生じているように思えるのですが…。
的外れな事を言っていたらすみません。

jun-jun1965jun-jun1965 2006/10/02 00:56 きみい、本文を改訂したでしょ。「殺してもいいのは、罪のある人だ」と書いてあったのを、「罪のある人は、殺してもいい場合がある」に直したでしょ。コメントの意味が不明になってるよ。

MrJohnnyMrJohnny 2006/10/02 06:02 スカイさん、簡単です。被害者が生き返ってしまった場合は、死刑執行された囚人も生き返らせればよいのです。これならパラドックスになりません。

真面目に答えますと、現在のところ、「人間が生き返る」という現象は脳死からの蘇生以外では確認されていないと思います。ですが、刑法上の死は三兆候説(呼吸・心臓・瞳孔反射の停止)に立っており、したがって脳死は刑法上の死ではありません(ただし、「臓器の移植に関する法律」では、脳死した者の身体を「死体」と定義しており、齟齬があるようですけど)。ですから、人を脳死状態にしても、傷害罪にしかならないわけです。以上のことから、被害者が生き返るかもしれない、という状況下で殺人罪、さらに死刑の判決が下ることは、現状ではありえないと考えます。

MrJohnnyMrJohnny 2006/10/02 06:03 jun-jun1965さん、御言葉ではありますが、ご指摘になった「罪のある人は、殺してもいい場合がある」という文章は、この文字列からリンクされている記事(http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20060702/p1)に書かれていた表現をそのまま引用したものです。したがって最初からこのようになっております。

というか、「罪のある人は、殺してもいい場合がある」という表現については、jun-jun1965さん御自身によって、「『殺してもいいのは、罪のある人だ』ですが、この表現は誤解を招くので『殺してもいい場合がある』と言い換えたのです。」と解説していただいているわけで、むしろ、本文が現在の形でないと、コメントの意味が通らないと思います。「意味が不明になってる」コメントというのは、いったいどのコメントのことをおっしゃっているのでしょうか?

jun-jun1965jun-jun1965 2006/10/02 16:51 それは失礼しました。私はあなたが、私が「罪のある人だ」と書いていると勘違いして最初のコメントを書いたのです。だから私の目には私のコメントが意味不明になっているように見えるのです。どうぞ続けてください。

jun-jun1965jun-jun1965 2006/10/02 17:14 なお本論についてですが、「殺してもいい罪のある人」が空集合であることもあるという理解でよろしいですか。ならばあなたの議論が正当です。三浦俊彦に聞いたというのは途中までで、私はてんから「殺してもいいのは罪のある人だ」と「罪のある人は殺してもいい場合がある」とは同じものだと思い込んでいました。やはり理数系は弱いですね。

MrJohnnyMrJohnny 2006/10/07 11:51 万事了解です。このような細かい言葉の話におつきあいいただいて、ありがとうございます。

念のため記しますが、「罪のない人を殺してはいけない」という文はまともなのに、「罪のない人を食べてはいけない」という文は異常なわけで、これはやはり、我々の内心に「罪のある人は殺していい場合がある」という考えがあるからなのでしょう。このような隠れた意識は、理数系的な厳密な論理ではつかまえるのが難しいですが、確かにあるようです。その点において、『なぜ悪人を殺してはいけないのか』に書かれた「つまり人々は、……暗に、というよりはっきりと、『罪のある者は、場合によっては殺してもいい』ということを認めているのだ」という結論はゆるがない、と私も考えております。

猫猫ブログのプライベートモード移行は、まことに残念でした……。またお目にかかれる日が来ることを願っております。

克己克己 2010/02/27 20:35 興味深い議論を聞かせていただき、ありがとうございます。
わたしには、ちょっとついていけませんが。

島 2010/05/22 00:26

makimaki 2010/06/30 12:26 応援してます

たまたま 2010/06/30 12:27 熟読してしまいました

住宅ローン控除住宅ローン控除 2010/10/01 22:50 意外な見解でした。

yosiyosiyosiyosi 2010/10/04 22:29 いわれてみると確かにそうですね。

利尻昆布 白髪染め利尻昆布 白髪染め 2010/10/08 10:47 皆さんの意見、よく読んでみました。

aituaitu 2010/10/19 17:00 最初はそのようにはかんがえていませんでしたが、
納得しました。

バッシュバッシュ 2010/10/21 14:11 スタート時点でそれだけ相違があるのであれば、
いわれていることについても自覚ができるのかもしれません。

tokuteitokutei 2010/12/01 19:33 特定調停で借金を減らそう

ニキビとビキニニキビとビキニ 2013/05/26 20:41 大江健三郎は難解すぎる。背中ニキビ

momoっぴmomoっぴ 2013/11/30 23:48 なるほどです。いいものがありますね。

ブリラミコブリラミコ 2016/06/06 08:02 日常言語では空集合を集合とは言わない

2006年9月13日 原爆は本当に8時15分に落ちたのか、止められた時計、14万の歴史 このエントリーを含むブックマーク

8時15分で止められた時計

1945年8月6日、広島において人類最初の核攻撃が行われました。原爆が投下された時刻、8時15分は子供でも知っております。ところが、この「8時15分」という時刻に疑いをもつ被爆者たちがいます。今日は、原爆が投下されたあの瞬間、人類が何を失ったのかについて考えます。

 「お母さんはねえ、どうもあの時から、神経過敏になってね。あんな音を聞くと、つい、さっきのようにあわててしまって……」

 「あの時からって、あの原爆?」と私はたずねた。

 「ええ」と答えると、母は縫い物の手をやすめて、私の顔をじっと見つめた。

 私は自然母の顔から視線をそらした。

長田新編『原爆の子』より

「時事ネタ」という言葉を知らぬ当ブログ。秋の気配すら感じるこんな時期に「原爆」ネタです。この時点で、3人ぐらいしかついてきてないような気がしますが、がんばります。

広島市に原爆が投下されたのは、8時15分。これは、もはや国民的常識といっていいでしょう。そして、この数字を疑う理由などこれっぽっちもありません。なんといっても、わずか60年前、数十万人が直接体験した歴史的事件なのです。こんなことをいちいち疑っていたら、正常な社会生活は送れません。

ところが、これを疑問をもつ人がいました。中条一雄『原爆は本当に8時15分に落ちたのか―歴史をわずかに塗り替えようとする力たち』です。一見、トンデモ陰謀論かと思わせるタイトルですが、さにあらず。元新聞記者らしい、足で集めた地道な情報でかためた労作です。

中条自身も被爆者です。同窓会はいつも最後には原爆の話題になるといいます。あるとき、中条の友人の一人が、原爆は、実は8時6分に落ちたのだと言い出します。これがすべての話の発端でした。

その友人は、原爆投下の日、高級時計ロンジンを友達から預かっていました。毎朝NHKの時報を聞いて時刻を合わせるのが習慣でした。被爆直後、時計が壊れていないか心配で反射的に時計を見たそうです。「八時六分を鮮明に覚えている。絶対に間違いない。」

うーん、しかし、あの混乱の中ですからねえ……。

ところが、中条は、その後さまざまな証言をかきあつめ、資料をあさり、施設を訪れ、8時15分という定説に、実は明確な根拠がないことを明らかにしていきます。詳しくは原著にあたってください。

しかし、この本、あまり話題になっていないようです。私の知る限りでは、finalventさんが何度か言及されているぐらいです。

まあ、無理もないところです。なぜかといいますと、この本、結局のところ、「ではいつ原爆が落ちたのか?」という質問に答えを出せなかったんですね。これはがっかりです。我々一般大衆がほしいのは、「答え」ですよ。真実を常に探求する姿勢こそが大切だ、というのはありがたい教えですが、やっぱここはスパッと「本当は8時6分に落ちた」って言い切ってくんないとさー。そしたら「97へぇ」出して、ぐっすり寝られるというものです。

ところで、私は上のほうで無造作に「8時15分に根拠がない」と書き散らしたわけですが、しかし、反論が山ほど来そうです。例えば、原爆資料館にある、8時15分で止まった時計はどうなのか? 右上に写真をあげておきましたので、御覧ください。これは『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』に掲載されている写真を私が勝手に撮影したものです。見覚えありますよね?

当然、中条も、この時計については考えています。ちょっと『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』の議論のサンプルとして、この懐中時計について考えてみることにしましょう。

まず、中条は、時計が動きを止める外的な原因を考えます。原爆のエネルギーは、爆風の衝撃波、熱線、放射線の3つの形で放射されました。原爆資料館の時計は、ゼンマイ式の懐中時計ですから、止まる原因は、熱か爆風です。

中条は、熱によって時計が止まるのは、火災により時間をかけて時計が熱せられた場合である、としています。実際、中条は自宅から父が愛用していた焦げた懐中時計を発見しましたが、それは九時半で止まっていたそうです。それにしても、実際に被爆した人だけあって、具体例がナマナマしておりますな。

でも、原爆の熱線は、爆心地の瓦を蒸発させるほどだったとか言うじゃないですか。私としては、一応、原爆の熱線で一撃停止した可能性も考えたいです。つうわけで、さくっと見積もってみます。適当に読み飛ばしてください。

Wikipediaの「広島市への原子爆弾投下」の項によれば、熱線の威力は、爆心地から1km先で1平方センチあたり23カロリーだったそうです。原爆資料館の時計は爆心地から1.6kmのものです。ここでは、大ざっぱな見つもりをしたいだけなので、1平方センチあたりの熱量を20カロリーとします。

懐中時計の大きさは、直経5cmぐらいですかね? ならば面積は約20平方センチ。正面からすべての熱線を受けたとして、20*20=400カロリー。時計が熱を吸収しやすい鉄でできていたとします。鉄の比熱は0.1。重さは? まあ50gを切ることはないでしょう。

以上の数値をもとに計算すると、懐中時計の温度上昇は、400÷0.1÷50=80度となります。さすがは原子爆弾ですね。1.6km先の物体を、ほぼ一瞬で(水が)沸騰する温度にまで熱しています。

とまあ、仰々しく計算しましたが、これは正面から熱線を受けた場合の話です。だいたい、モノは懐中時計ですから、文字通り「懐中」にあればほとんど熱は来ません。原爆資料館の懐中時計は、文字盤が白色ですし、金属光沢で反射する分も考えれば、おそらく実際の温度上昇は、この5分の1もなかったのではないか。

どうやら熱で停止した可能性はなさそうです。となると、爆風による衝撃しか考えられない、ということになります。

中条の議論に戻ります。中条は、爆風で止まったとすれば、「文字盤が歪むなど別の外部的な損傷が必ず生じるはず」である。しかし、この時計は「あまりにも損傷のなさから見て、どんな衝撃で針が止まったのか理解し難い」と指摘します。確かに、表面のガラスが完全に破壊されてふっとんでいることを考えると、針が「原爆投下時間」を指したまま止まる、というのは不自然だと、私にも思えます。

被爆に耐えた時計は、他にも何十個とあるそうです。その中で、最も「8時15分」に近いものが資料館に選ばれた、ということではないでしょうか?

それならば、この時計は、「8時15分」の根拠にはなりませんね。

このようにして、中条は、「神話」を一つ一つ潰していくわけです。その過程は、なかなかスリリングです。まあ、結局オチがつかないんですけど。

ところで、私はちょっと面白いことに気づきました。右上に貼ってある懐中時計の秒針を見てください。画像がちっこくて申し訳ありませんが、32秒あたりを指しているはずです。この時計の写真は、『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』の表紙にも使われており、そちらではよりはっきりと「32秒」が確認できます。

ところがですね。ネットにある、同じ「原爆資料館の懐中時計」の写真を見てください。ちょっとお行儀悪いですが、画像に直リンしときます。→画像1画像2

見ていただければただちに分かると思いますが、このリンク先の写真では、秒針が指しているのは「40秒」あたりなんです。なんと秒針が動いています! えー!?

時計が勝手に動くわけはありませんから、だれかが動かしたのでしょう。可能性としては、わざと動かしたか、知らないうちに動かしてしまったか、当然どちらかです。

故意に針を移動させたとしたら、それはもう、この時計の信憑性なんてハナからありゃしねえってことです。なぜ秒針の位置を変える必要があるのか、その理由はさっぱり分からんちんですが、ともかく、そんなことする人なら、長針を勝手に15分の位置に合わせるぐらいのことはするでしょう。

一方、知らないうちに針が動いてしまったのだとすれば、それは要するに、この懐中時計の針というものはそのぐらい動きやすいものだってことでしょう。であるならば、この時計が指している8時15分という時刻をうのみにするのは、実にバカバカしい話ですよねえ。

ともかく、それはやっちゃいかんだろ、という感じですな。この時計の存在意義は「原爆が爆発した瞬間に止まった時計」というところにあるのですから、たとえ秒単位だろうと、ズレちまっちゃあ興ざめでしょ。資料館の職員の方々は、ちゃんと時間合わせましょうよー。

さて、「8時15分で止まった時計」をめぐって長々と話してきましたが、結局のところ、広島に原爆はいつ落下したのでしょうか。上で書いたように、中条にもその結論は出せなかったようです。

しかし、私は話は簡単だと思います。原爆は8時15分に落ちたのだし、同時に8時6分にも落ちており、人によっては8時11分であり、またある人には8時20分かもしれず……要するに、人それぞれの時間に落ちたのです。

ああ、このペテン野郎は、ついに意味不明のブログの書きすぎで頭がイカれたか、と思われたことでしょうが、私は大真面目です。別に、相対性理論における固有時間の話などしたいわけではありません。

原子爆弾が爆発したというのは、単なる物理的現象です。今もこの瞬間に、人類の1億5000万km上空では、1秒間に広島型原爆6兆発分のエネルギーが太陽から生まれています。しかし、それは、我々にとって何の歴史の1ページでもありません。物理現象は、人間に何らかの意味をもたらして、初めてそれは歴史となるのです。

そう。歴史は、人の中にあります。

1945年12月末、放射線による急性障害がいったん収束した時点で、広島では原爆によって約14万人が死亡したと言われています。その14万人それぞれに、違う原爆が、違う世界が見えていたはずです。ならば、原爆投下時間が人それぞれ、いくつもあったって、別にいいじゃないですか。

あの日消えたのは、14万の命であり、肉体であり、笑顔であり、涙であり、絶望であり、希望であり、そして、歴史でありました。

今はただ、その歴史、1つ1つに黙祷を。

たこやき坊主たこやき坊主 2006/09/16 07:19 アメリカ軍の作戦資料が最も正確なんでしょうけれど…
八時十五分。誰にとっても悲しみでしかない瞬間ですね。

美和子美和子 2006/09/16 10:32 はじめまして。
どの日記もとても興味深い内容で新鮮な広がりを感じながら
学ばせていただいてます☆
さまざまな時を材料にして
生き生きとした命を繋げる歴史が
人の源の目的なのだ感じる広島在住人でございます。

MrJohnnyMrJohnny 2006/09/17 19:17 たこやき坊主さん、アメリカ側の資料については、『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』で中条が7つの資料を検討しています。「8時15分17秒投下、16分ジャスト爆発」が4つ、「8時15分30秒投下、16分20秒爆発」が2つ、「8時15分ジャスト投下、15分43秒爆発」が1つ、です。

中条は、「8時15分」は作戦予定時刻であるが、エノラ・ゲイが離陸したテニアン島から広島までの2700kmをほぼ予定通りに飛行するとは考えがたく、これらの数字はあとづけでひねり出されたのではないか、と推測しています。実際、こう数字がばらばらな以上、いくつかの数字は捏造されているわけですし。

まあ、何時何分であれ、まったく、「悲しみでしかない瞬間」ですね。同感です。


美和子さん、ありがとうございます。「さまざまな時を材料にして生き生きとした命を繋げる」という言葉はいいですね。そういうブログでありたいものです。

痛風に吹かれて痛風に吹かれて 2006/10/20 16:10 こつこつとエントリーを拝読させていただいております。
哲学者の木田元さんは「闇屋になりそこねた哲学者」の中で
江田島兵学校の教習中に投下の瞬間を目撃したと書いています。
googleすると
佐伯彰一さんとの雑誌対談で8:06説を述べているような。
ここでは本とちょっと異なる記述です。
本でも対談でも水泳中とあったので、時間はどうやってみたのでしょうか。
青黒い空を見たと「闇屋」にはあり、「ぴかっと光った」「爆風」と
対談にはあり。

MrJohnnyMrJohnny 2006/10/20 19:24 痛風に吹かれてさん、面白い情報でした。なるほど、一人の人間にとっての「歴史」であっても、微妙に揺れていくものだ、ということかもしれません。それにしても、「青黒い」とは。何気ない言葉ですが、現場を想像するしかない人間にはけして言えない言葉ですね……。

櫻井規善櫻井規善 2010/01/21 22:29 なるほど、興味深い情報ですね。
しかし、時間は関係ないですね。

たしかにたしかに 2010/08/29 16:02 時間の誤差はあるかもしれませんね。ただ起きた事実は変わりませんね。

安田安田 2010/10/06 01:36 やはり文化の違いというのはあるのでしょうね。

taktak 2010/10/06 22:00 事実は事実ですからね。
でも、胸が痛みます。

歳 2010/10/20 16:31 歴史にも様々な背景があります。
必然とはいえ、つらいものもあります。

aaaaaa 2010/10/22 16:38 過去から目をそむけることはできませんね。

ゆえゆえ 2010/10/26 22:53 おっしゃる通り、各々の世界観などは
異なっているものですからね。

tutututu 2010/11/02 12:15 私が考えていたこと。
おそらくそうなんだろうと思います。

teikinteikin 2010/11/05 07:37 難しい問題です。
融資される方は低金利の方がいいよね、やっぱり。

たくたく 2010/11/24 16:40 偶然も必然には違いないのかなぁ、と
感じてしまいます。

らいとらいと 2010/11/26 04:03 多分そういう観点ではなかろうかと
感じております。

くるりんくるりん 2012/04/03 16:29 難しいですけどそうなんだと思います。

製本印刷製本印刷 2012/04/17 10:17 なるほどやっぱりそうなのですね。

真城真城 2012/04/24 18:21 僕もそう思います。

いつもいつも 2012/05/15 14:00 分析としては事件性はないと考えるのが妥当でしょう。

keikei 2013/07/06 00:11 難しいですけどそうですか

linklink 2013/09/17 18:37 いい記事ですね。

ニキビ太郎ニキビ太郎 2014/01/30 21:31 なんか色々と考えさせられました。
歴史から学ぶことは大切ですね。

ぽぽんS6000ぽぽんS6000 2016/05/28 17:49 勉強になりました。ありがとうございます。
原爆が上から落ちたとの常識を疑ってみてください。
見えてくるものが必ずあると思います。

ぽぽんS6000ぽぽんS6000 2016/05/28 17:49 勉強になりました。ありがとうございます。
原爆が上から落ちたとの常識を疑ってみてください。
見えてくるものが必ずあると思います。