今月25日付産経新聞朝刊の7頁に「カジノ構想」に対するアンケート調査結果が載っていた。 回答者は男性2630人、女性371人で、カジノ解禁の動きを知っていると答えたのは81%、カジノ合法化に賛成が69%、解禁された場合、収益の一部を震災復興に充てる案に賛成が74%だったとの事。
カジノ構想とは、日本でカジノ合法化を目指す超党派議員連盟であるカジノ議連が今度の臨時国会に提出する可能性が高い「カジノ区域整備推進法案」を指す。
賛成の理由は、「合法化して国が管理し課税対象にすべき」「海外からの観光客増加が見込める」「合法化すれば暴力団の資金源も絶つことができる。スロットマシンの設置でパチンコ店に流れる大金も自治体に方向転換できる」「財政立て直しに金を出したい人に出してもらう手段がカジノなら仕方ない」などなど。
反対の理由は、「ギャンブルでのあぶく銭でそのばしのぎをするのは危険」「パチンコでさえ経済破綻する国民がいるのにギャンブルで金儲けとは、政治家ってマフィアと同じなのか」「ギャンブルで企業が利益を上げる仕組みは暴力団こそ潤うが、市民には何の益にもならない」「震災復興は願うが、カジノの収益を使って、という部分が納得できない。カジノで借金して不幸になる人がいるかもしれないから」「麻薬と同じで治安の悪化や人身の退廃、文化度の後退などの悪影響は計り知れない」「海外のカジノの近辺には麻薬密売人や中毒者、不法滞在者などがいる。先進国でカジノがないのは日本だけといわれるが、犯罪が少ないのも日本だけではないか」など。
同じ朝刊の4頁で、若宮健氏が反対を主張し、谷岡一郎氏が賛成を主張していた。
私は1968年から1972年までの4年間香港に駐在していたが、その間日本からの顧客の要望に応えてマカオに案内した回数は数十回にも及ぶ。 とにかく日本人は賭け事が大好きな民族だ。 勿論私も例外ではない。 当時は若さもあって、顧客をほったらかしてまでブラックジャックに夢中になったものだ。 
私の記憶する限り、財布の中身を重くして帰ってきた顧客はわずか数名しかおらず、殆どの人は軽くして帰ってきている。 重くして帰ってきた人たちに共通して言えることは、ギャンブルは程々にして退け時をわきまえホテルでグッスリと睡眠をとっていることで、反対に軽くして帰ってきた人たちの共通点は、ろくに睡眠も取らず夜通しギャンブルにふけっていた事だ。
カジノにはわくわくドキドキさせる独特の雰囲気がある。 異様な熱気がある。 スロットマシーンは初心者向きだが、ルーレット、ブラックジャックバカラにはギャンブラーの匂いが付きまとう。 ビッグ&スモールにはギャンブルにちょっと慣れた人達が群がる。 どのテーブルもディーラーとの一騎打ちだ。
日頃貴重に扱う現金もプラスチックのチップに交換されるとその価値感覚が殆ど薄れておもちゃに見えてしまう所がカジノの魔力でもある。 その為、多くの人がその魔法にかかって大損してしまうことになる。
その当時、マカオには3か所しかカジノは存在しなかったが、その道の通から聞いた話では、各カジノにはディーラー養成専門訓練所があって、ディーラーの卵達はそこで毎日猛特訓をしてるのだそうだ。 そして、絶対的技術を身に着けた者だけがカジノでディーラーを任されるらしい。 絶対的技術とは、その人の話によれば、例えばルーレットの場合、100回玉を廻して100回ともゼロに入れられる技術を指すらしい。 ということは、ディーラーはルーレット盤上の顧客の賭け具合を見て、自分に適度に損のない数字に入れればトータル的に絶対損はしないことになる。 また、適当に儲けさせておいて、顧客が調子に乗ってどっさり賭けてきたらゼロに入れて総取りも自在にできる。
ビッグ&スモールも、ブラックジャックも然り。 そういえば、ブラックジャックで若手のディーラーがプロ級のギャンブラーと対峙して負け続けた時、いたたまれなくなって壮年のディーラーと交代した場面も目撃している。 勝負はディーラーにとっても死活問題なのだ。
マカオでの日本人の悲喜劇は沢山聞いている。 その当時日本国のパスポートはHK$500の担保価値があったらしく、すってんてんになった観光客がパスポートを担保にして借り、その金もすって無一文になり、マカオの日本領事館に駆け込んで助けを乞う人間が毎月数名はいたと聞くが、もしかしたら今でもそんな人間が後を絶たないでいるかもしれない。
いまから十数年前に顧客と訪ねたマカオは大変な様変わりで、カジノも数十件に増えていた。 しかし、現地の新聞には、香港、マカオ、大陸のマフィア同士の縄張り争いが激化して白昼にも拘らず銃撃戦が繰り返され血みどろになって転がっている死体のカラー写真が載っていた。 聞くところにひょるとそれが日常茶飯事に起きているという。 だが、観光客が減るのを恐れたマカオ当局は日本の旅行社にはこうした情報を極力伏せていたようだ。 とは言え、カジノは昔以上に熱気むんむんで大変な盛況ぶりだったが、私はなぜか昔ほどの意欲は湧かなかった。 
大王製紙の三代目会長が100億円もの大金をカジノにつぎ込んだようだが、本人曰く、1億円が1万円にしか感じなかった、とは言い得て妙である。 この感覚はカジノの魔力に毒された人間にしか解らないだろう。 浜田幸一元議員のラスベガス事件も然りである。
私はカジノ構想には可もなし不可もなしである。 年金暮らしの老人が年金が入るとパチンコ店に直行する世の中だ。 カジノができれば大勢が集まるだろう。 そして、今までに有り得なかったいろいろな人間ドラマが展開されるだろう。 その時はたして、どれだけの人がどれだけ自分を制御できるだろうか。 どんなに負けても決して他人のせいにしない胆を持っている人間がどのくらいいるだろうか。
いずれにしろ、カジノ議連は起こりうるメリットとデメリットを徹底検証すべきである。 

  

毎日書きたいことが山ほどあるのになかなか書けない。 毎日が自由時間となった途端にあちこち手を出し足を動かしすぎて、じっとパソコンに向かう時間が短いからだが、今日はどうしても書きたいことがある。 書かなければならないと思って書く。

先ず、何の先入観もなくして冷静に鳩山由紀夫前首相の顔をじっと鑑て頂きたい。 もし敬愛すべき知的箇所が顔のどこかに一つでも見当ったら是非ご指摘願いたい。 
そんな男が日本の前首相だった。 そして、日本が世界中から馬鹿にされるような政策を連発してルーピーのあだ名をもらって首相の座から引きずり降ろされ、ついには政界引退まで表明した。 私は日本の為にいい決断だったと、やっと彼を見直したが、菅政権の評判がどんどん悪くなるにつれて、政界引退を撤回し小沢の走狗となってまで復権に色気を出しているのを見て、ペテンにかけられたと気が付いた。 
彼はそんな自分をペテン師とまったく思ってなさそうだ。 思ってない所か、此度の菅首相の約束違反を「ペテン師」と決めつけた。 ペテン師からペテン師呼ばわりされた菅首相にしてみれば「どの面下げて言ってんだ。」の心境だろう。
それにしても、この鳩山という男はどうしてこうもルーピーなのだろう。 親の育て方が悪かったのだろう。 世間の厳しさとはまったく無縁な環境の中で何不自由なく育ってきた彼が首相にまで登りつめたのはほとんど金の力としか考えられない。 祖父や父の政治的センスを引き継いだ箇所などどこにも感じられない。 小さい頃から、取り巻きにはしょっちゅうおごってやり、ちやほやされてお坊ちゃま大将だったので、成長して国会議員になっても、相変わらずいつも金をちらつかせて取り巻き議員を作り上げてきたのだろう。 
彼が政界を去ると明言した時に、何とか政界に留まるよう要請した議員たちは、彼の政治家としての資質を惜しんだのではなく、自分の金蔓が途絶えるのを防ごうとしたにすぎない事を彼は解っているのだろうか。
そんな彼をなぜマスコミはいつまでも追いかけてくだらない内容で紙面を飾るのだろうか。 まさかマスコミ連中も彼からしょっちゅうおごってもらったりしているからでもなかろうに。 
彼がTV画面や新聞紙上で取り上げられる時は決まって政局が混乱状態に陥っている。 此度の内閣不信任案否決の茶番劇はその最たるものだ。 私は以前から、鳩山がうろちょろするとろくなことが起きないから政治家もマスコミも徹底無視しろ、と言い続けてきたが、事態はむしろ逆だ。 小沢一郎はそんな彼を自分のマリオネットに仕立てて黒子役に徹し続け、此度は菅おろしを画策した。 
もともと民主党は玉石混交の集団であるので、どの政策にも賛成と反対とに意見が分かれるが、党の分裂にまで発展しそうな此度の内閣不信任案提出劇を仕掛けたのは他ならぬ小沢一郎である。 その罠にまんまと引っ掛かったのが自民党公明党みんなの党の幹部連であり、そしてルーピー鳩山である。
小沢の描いた筋書はこうだ。 先ず、菅の度重なる失政を目の当たりにし、菅に任せれば日本は危うい、といった空気をマスコミを使って上手く作り上げ、盛り上がった所で、野党に対して、内閣不信任案を提出すれば小沢一派も鳩山一派も賛成に回るので「可決」できる、といった流れを、これも上手にマスコミを使って作らせた。 そして、それを期待した野党3党は内閣不信任案を提出。 ところが採決前夜、今度は鳩山に「可決すれば民主党は滅びるぞ、民主党はお前が作ったものだろう、菅に潰されてもいいのか」と脅かす。 慌てた鳩山はあたふたと菅との接触を試みたが、最大の不名誉となる「可決」を避けようと苦慮していた菅は渡りに舟と会談を受け入れ、結果は小沢のシナリオ通りとなったわけである。 野党3党と言い、鳩山と言い、普通の人でも簡単に解るこんな茶番劇のシナリオさえ解せなかったとは何と軽薄な頭脳の持ち主たちであろうか。 
ではなぜ小沢がこんな茶番劇を演じさせたのか。 答えは簡単、彼はずっと前から与野党の垣根を越えた大連立国家の成立を模索し続けている事を思い出して欲しい。 その悲願が今叶うか叶わないかの微妙な時点にある。 私個人としては、大連立は諸手を挙げて賛成だが、問題はその組閣である。
もし、仮に大連立が叶ったとしても小沢は自身が首相にはならないだろう。 彼の脳裏にはどんな組閣構想があるのか。 
マスコミは早や次の首相候補と閣僚人事に興味を持ち始めているが、程度の低いマスコミならせいぜい自分たちが紙面やTVで登場させている人物を想定するしか能がないだろう。 何しろおごり高ぶっていて庶民を見下している連中だから。
これは私の切望なのだが、次期首相は、岩手、宮城、福島の3県から選出の国会議員の中から、命を賭して政治を断行する意欲に満ちた人物を選出すべきと思う。 危機的状況にある今の日本国家を命を懸けて復興させる決心を持っているのは他ならぬこの3県選出の議員たち以外にいないと信ずるからだ。 また閣僚は特に国会議員でなくとも、例えば陸前高田の戸羽太市長のような働き盛り(46歳)も閣僚にするべきだ。 奥様を津波で亡くしたにも拘らず市民の為に昼夜奔走していればこその彼のコメントと人となりをTVで拝見して胸も目頭も熱くなって仕方がなかった。 彼ならば、閣僚に抜擢されれば国民のため国家の為に命がけで働くにちがいない。
幕末動乱期の疲弊した幕府を倒したのは薩摩や長州、土佐などの、命を賭した西国の志士たちで、その支配が現在にまで引き継がれて来てしまった為に政治に多くの歪みが生じているが、この未曾有の大震災をターニングポイントと捉え、今後は東北出身者による命を懸けた大刷新政府の樹立と運営を何とか実現できないものかと念じている。  




  

予算審議が混迷の度を増している。 こども手当法案も通るかどうか微妙な情勢だ。 与党である民主党の中にもこの法案が本当に国民の為になるのかどうか疑問を抱いている議員がいるようだが、菅政権の閣僚や多くの与党議員がこの法案は国民の為になると頭から信じきっているとは本当に呆れる。

今から38年前の1973年1月半ば、私は社命でインドのアンドラプラデッシュ州グンツールという地に出張した。 出発に先立ち、インドの政治経済情勢や生活風習等を色々事前調査したが、新しい資料が乏しく十分な知識を得られなかった中、既に過去数回出張経験がある同行者から一つの忠告を受けた。
「インドでチップをあげる時はくれぐれも注意するように」
既に海外駐在歴4年、ヨーロッパ、アジア出張も経験している私に対して敢えて忠告するのにはそれなりの訳があるのだろうと思い、「どういう事ですか?」と問うた所、「意味なくチップを渡したら死に目に遭うぞ」との事。
それから4月初旬に血を吐いて帰国するまでの3か月近くに亘るインド滞在中に綴った日記を今改めて読むと、当時のインド事情がまざまざと脳裏に蘇るが、「生きる」という事はどんなことか、を骨の髄まで教えられたインド出張だった。 その日記には「チップ表」も載っている。
羽田を発ちシンガポールで1泊し翌日マドラスに向かう。 マドラス国際空港に降り立った。 国際空港とは名ばかりで当時は砂漠の中に滑走路とコンクリートのぼろビルだけ。入国査証の役人も税関職員も先進国の乞食に近い茶色に汚れた制服で物欲しそうにジロジロ。 いちゃもんをつけられたら100円ライターをそっと渡せば何とかなる、と聞かされていたが、無事通過。中期滞在の為に日本食やら何やらと詰め込んだ荷物が4つ程あったが、どうやらパスポートに何ページにも亘って押してある多数の渡航歴スタンプを見て、敬意を評してくれたようだ。
一安心して同行者と荷物をカートに乗せてホールに出た途端、異変が起きた。 10数人の子供たちや大人がワッと押し寄せてきて我々の荷物を奪い合い始めたのだ。たまたま迎えに来てくれていた取引先のスタッフが、すかさず寄ってきて彼らをたしなめ、一人に一つずつ持たせて待機中の車まで運ばせたが、荷物一つ1ルピー(当時は7円位だったか)のチップを稼ぐための争奪戦だったのである。 貧しい子供たちは学校にも行けずチップ稼ぎに精を出していたのだ。 後で教えられたが、同業他社の何人かが空港で荷物を持ち去られたこともあるという。 
その日はマドラスで一泊し、翌日夜行列車で目的地に向かったが、停車するどの駅でも似たような光景が繰り広げられている由、終戦直後の東京でもここまでひどくはなかったのでは、と強烈なカルチャーショックを受けてしまった。
街を歩いていると、兎に角子供や大人の乞食が両手をかざして「金をくれ、物をくれ」としつこくまとわりついてくる。 だが、彼らは決して現地人にはせびらない。 貰えない、とハッキリ解っているからだ。 所が、その現地人と言えば、たとえ自分が貧乏であっても、手足が不自由だったり、目が悪かったりとか何らかの障害があって生活に困っている人を見たら必ずと言っていい程なにがしかの施しを与える。 だが逆に、大人であれ子供であれ、男であれ女であれ、五体満足な人間にはどんなにせがまれても絶対に何も与えない。 
そういう暗黙の毅然としたルールがある社会で、ええかっこしたがりの日本人観光客が、例えば元気に観光地周辺で走り回っている可愛い顔をした女児の乞食一人にチップを与えたとしたらどうなるか。 実は、私は実際にこの目で似たような光景を見る機会があったのである。 何と、その御仁は一人の女の子にルピー紙幣をあげた途端、近くにいた大人や子供の乞食のみならず、はるか遠方からも走って押し寄せてきた乞食の群れにまでもみくちゃにされてひん死の状態に陥ったのである。 
当人はなぜそうなったか理解に苦しんだであろうが、世間に甘ったれた生活に慣れきっている今の日本人も理解できまい。 当然ながら民主党の面々も、甘やかされ放題の国民に対してええかっこしたがる偽善家集団だから、こども手当などという、人間を根底から堕落させてしまうような最悪の法案を、良かれと思っている。 もし、そうなるであろうことを知っても尚この法案を通そうとする議員がいるならば、彼こそまぎれもなく亡国の徒である。
私がこのブログをスタートした時に例えた、英国の紳士と乞食のエピソードをもう一度じっくりと考えてもらいたいものだ。

 

私は日本経済新聞の人気コラム「私の履歴書」の熱烈なファンである。子供の頃に日本や世界の偉人伝を読んでは、いつか自分も偉くなりたいと心弾んだものだが、今でも私の履歴書に登場する人物一人ひとりの生き様や独特のキャラクターにわくわくさせられる。
12月1日から始まったこのコラムに凄い人物が登場した。
元米国防長官のウイリアム・J・ペリー(William J. Perry)氏である。
何と、彼は江戸幕末(1853年7月)に浦賀に渡来した「黒船」東インド艦隊艦船の指揮官、ペリー提督の遠縁にあたる、海軍一族として有名を馳せたペリー家の末裔との事。
それだけではない。 ペリー提督は浦賀に来航する前の1852年に琉球王朝に対して強引に開国を迫ってるが、それから95年後の1947年に、彼は米陸軍技官として沖縄を訪問、更に1996年に米国防長官として沖縄米軍・普天間基地の返還を決断した人物である。
日本は今、社会党くずれの、国家を国家とも思わぬ輩や、世間知らずのお坊ちゃま、果ては皇室にさえも非礼を平気で働く言語道断の輩が混じりあった民主党によって中国かロシアの餌食になるかならないかの危うい状態にある。
朝鮮半島は遥か神代の昔から日本にとって地政学上極めて重要な位置にある。 つまり、もし朝鮮半島がロシアか中国に支配されたら、日本にとって脅威が目の前に迫ってくることになる。 勿論、韓国にとっても、もし日本が自国よりも先に中国やロシアに支配されたら、完全に袋のねずみとなる。 米国がそれを容認する筈はないが、日本は敵に対して防衛は出来るが攻撃はできない状態にある。 攻撃は最大の防御なのにである。
古来から、常に中国からの侵略に怯え、日本の占領に屈し、また近代ではロシアからの侵攻があり、また内戦の末、朝鮮半島が二つに分断された悲しい歴史があるが故に韓国の殆どの人々は国家存亡の危機意識を常に持っているが、敗戦後65年を経てどっぷりと米国の愚民政策に浸ってだらだらと毎日を過ごすばかりで、全くと言っていいほど危機意識を持たない圧倒的多数の国民を抱える今の日本は、正に黒船来航前の惰眠をむさぼっていた江戸末期に似ていると言える。
その意味では、日本経済新聞社私の履歴書でベリー元米国防長官を選んだのは、まっこと絶妙のタイミングと賞賛したい。
そのペリー元長官が2日目の昨日早々と、日本政府に対して極めて貴重で重要な提言をした。
当然ながら、その提言は日本経済新聞の一面トップにも載り、編集委員が6面にも大きく解説記事を載せたが、何故かNHKは一切ニュースとして採り上げず、民放各局はどこもくだらない海老蔵のスキャンダルばかりをだらだらぐたぐたと飽きもせず採り上げているばかりだ。いつもながら、国家の危機意識など芥子粒ほども持ち合わせていない日本のマスコミのレベルの低さを痛感せずにはいられない。
いずれにしろ、ペリー元長官の「私の履歴書」は今月末まで掲載される。今後どんな爆弾発言があるかも知れないので日本政府も国民もここは真剣に耳目を注ぐべきであろう。
私も今後の成り行きに大いに注目しつつ彼の履歴書を拝読したい。

日本を取り巻く諸島の領土問題は、日本政府の不甲斐なさを尻目にますます混迷を深めてきた。
北朝鮮による延坪島への砲撃は許しがたい行為だが、これも領土問題(領有権)が根底にある。
地図を広げて日本を取り巻く周辺列島の位置関係を見てみると、第二次世界大戦の中の太平洋戦争(大東亜戦争とも言うが)の影がどす黒く渦巻いているのが窺い知れる。
先ず、北に眼を向ければ、アラスカ半島から伸びているアリューシャン列島がある。 太平洋戦争勃発時、大本営アメリカは北からも攻めてくるであろうと想定し北の守りを固めるために、アッツ島キスカ島に精鋭部隊を派遣して占領し守りを固めていたが、日本からの補給が止まってしまって弱体化した日本軍に対し昭和20年の3月頃から米軍の攻撃が始まり、アッツ島は玉砕の道を選ばざるを得なかった。 だが、キスカ島の兵士は全員濃霧の中での奇跡的な脱出に成功。アメリカ軍に地団太を踏ませた。
現在、このアッツ島以東アラスカ半島までの全アリューシャン列島は米国領である。
このアリューシャン列島を断ち切るようにロシア領カムチャツカ半島があり、その最南端から北海道に向けて千島列島(ロシア名:クリル列島)が連なっている。
日本版地図帳では、択捉海峡以南は日本領土となっているが、北方4島の日本人はすべて北海道に強制移住させられているので、実質的に千島列島は全島ロシアの統制下にあるのは周知の通りである。
戦後、日本政府は北方4島の領有権を主張し何十年も掛けてロシアと交渉し続け、ようやくいい方向に流れが出来たように見えてきたが、民主党政権になった途端、ロシアは明確に自国領土であると主張し始めただけでなく、プーチンのマリオネット的存在のメドベージェフ大統領に日本国民を逆なでするようなパフォーマンスを披露されてしまった。
南に眼を転じてみる。
米軍の猛攻撃を受けて島が変形したとまで言われる激戦地、硫黄島は米軍に占領されたが、この島を含む小笠原諸島は日本領土のままである。沖の鳥島大東諸島も然り。そして、鹿児島から連なる大隈諸島、薩南諸島琉球諸島のうち、沖縄はアメリカから返還されて日本の領土に戻り、与那国島までの先島諸島も日本領土であるが、そのすぐ上に位置する尖閣諸島を中国は自国領土と主張して此度の衝突事件を起こしている。
しかし、地図を見れば一目瞭然、この位置にある尖閣諸島は中国本土からは遥か離れていて、矢島諸島のすぐ上にある。だれがどう見ても中国の主張は「ごね」としか言いようがない。
中国が尖閣諸島を中国領土にしようとする目的は、矢島諸島、沖縄諸島薩南諸島だけではなく、屋久島を含む大隈諸島も中国領土にする策謀があると見做さなければなるまい。
では次に、日本海に眼を移してみよう。 韓国では今、日本海を朝鮮海に改名する動きが活発だ。島根県境港の北に隠岐諸島があり、その北西部の韓国と日本の中間点に竹島がある。 この島も日本が一番先に日本固有の領土である事を国際法に基づいて公的に示し「先占」権を持つが、韓国は1954年に武力占拠してからずっと実効支配している。
その韓国と北朝鮮朝鮮戦争終結時に決められた南北国境線の内、海上部分で北と南の主張が食い違っていたが為の此度の攻撃となったようだが、地図で見る限りこの海域の国境線は微妙な引きかたをされている。 大延坪島、大青島、白令羽島などは、北朝鮮に取っては北海道に隣接する歯舞色丹のような状況にある。
なるほど、この位置の島であれば、北から南に逃れて来るのに好都合の島となる。それだけに北朝鮮にしてみれば海岸線の監視には他所の数倍の警戒を要するであろうと想定できる。
此度の砲撃はどんな意図からなされたのかは今の所明白ではないが、北朝鮮の苛立ちのようなものが垣間見えてくると同時に、韓国の防衛体制は日本を遥かに凌ぐものであることも伺い知れる。
太平洋戦争、朝鮮戦争、その前の日露戦争日清戦争と、戦争の度に領土問題が発生する。 古今東西、戦争とは一握りの権力者の欲のぶつかり合いだ、とつくずく感ずる。

今年8月25日(水)付の日本経済新聞朝刊に晩年の樋口季一郎氏の写真と記事が載った。
その記事によれば、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が「知られざる美談」として紹介する準備を進めているが、それは今年の5月、UNHCRのヨハン・セレス駐日代表が英字紙の特集記事を読んで彼の救出劇を知った事によるとの事。「難民のお手本だ」と再評価に乗り出したようだ。
ナチスドイツの迫害から逃れてきた数万人のユダヤ人は、残された最後の逃避ルートとして日本経由での渡欧や渡米を必死に模索し、日本への一時入国ビザ取得の為にリトアニアの日本領事館に殺到したが、日本国政府は日独伊三国同盟が締結されている関係で、公的にはユダヤ人へのビザ発給を拒否していただけではなく、リトアニアを占領したソ連政府から各国は大使館や領事館の閉鎖も命じられていた為に日本領事館も閉鎖目前に迫っていた。しかし、杉原千畝(すぎはらちうね)総領事は外交官としての任務より人間の命を優先し、それから不眠不休でビザを発給し続けた話は「6000人の命のビザ」日本のシンドラーとして有名である。
イスラエル人に杉原千畝氏を知ってるか、と聞けば、中高年なら間違いなく「イエス」という答えが返ってくる。 しかし、同じ人間にそれでは樋口季一郎という人物を知ってるか、と聞くと殆どの人が「ノー」と言う。そこで私は何度も彼の事を説明する破目に陥る。
私が彼の存在を知ったのも、やはり杉原千畝を知ってからかなり経ってからだが、それでもかれこれ20年以上も前である。
樋口季一郎ユダヤ人の関係を簡単に説明すれば、杉原千畝が6000人ものユダヤ人にビザを発給して命を救った時より2年も前に、当時陸軍特務機関長で満州に赴任していた樋口少将(当時、後に中将)が、軍の命令に背き、ナチスの迫害から逃れてはるばるソ満国境のオトポールに到着した数万のユダヤ難民を救う為に、満州国や満鉄を強引に口説き特別列車を大増発させビザも発給させ、延べ2万人もの難民を満州国に受け入れた男である。世に言う、「オトポール事件」の立役者だ。この事件によって開かれたルートは後に杉原千畝が発給したビザにも大いに役立っている。 
この事件が、彼の後半生に大きな影響を与える事になるのだが、私が樋口季一郎中将に最大の敬意を表するのは、彼が1945年8月15日の時点でまだ第五方面軍と北部軍管轄区司令長官を兼任していたが故に、北海道がソ連軍に蹂躙される事態から辛くも逃れられた、と信じているからだ。
樋口中将は、ある意味では悲劇の将軍でもある。アッツ島での玉砕を余儀なくされた時は短期間に体重が10キロも痩せたという。人道主義で部下思いの彼に取ってアッツ島の玉砕は地獄の責め苦にも似たものだったろうと想像がつく。 しかし、そのあとすぐに、その隣の島であるキスカ島から5千人をも越える兵士の全員救出を成功させるという奇跡も演じている。
そして、ソ連参戦、8月15日に日本はポツダム宣言を受諾、終戦となった。 しかし、不凍港のある北海道を何とか手に入れようと目論んでいるソ連軍は17日深夜になってカムチャツカ半島南端から千島列島の最北端に位置する占守島の日本軍に猛攻を加えてきた。
樋口中将はソ連の汚さを解っていたから、もしかして攻撃があるかもしれないと、警戒を緩めなかったから、日本軍は猛然と反撃に出てソ連軍に大打撃を与えた。
これがその後のソ連軍の千島列島南下のスピードを大きく鈍らせ、北方四島まで占領した所でアメリカから抗議が入り北海道上陸は成しえなかったことになる。
それが故に、スターリンの樋口中将に対する憎悪が深まり、戦後になって、ソ連は強硬に樋口中将を戦犯としてソ連への引渡しを要求してきたが、それを聞きつけたオトポール事件の時に世界に散らばったユダヤ難民が立ち上がり大きな力となってそれを阻止したようだ。
日本国民も、北海道民も、イスラエル人もう少し樋口中将の事を知るべきと思う。そして、改めて敬意を表すべきと思う。
今後のUNHCRのより活発な広報活動を期待したい。 
参考までに以下に2冊の本を紹介するので心ある方に是非一読を薦めたい。 だが、売国奴に近いような言動を繰り返す民主党の面々、特に自衛隊暴力装置と言って憚らないSENGOKUやロシア寄りのLOOPYには読んで欲しくない。

「流氷の海ーある軍司令官の決断」 光人社 初版:1973年、新装版:1988年、最新版:2003年  著者:相良俊輔(児童小説、戦記小説家、1979年8月没。 墓は生前に親交の深かった樋口中将の墓のすぐ側にある)

「指揮官の決断 満州アッツ島の将軍 樋口季一郎」 文春新書  初版:2010年6月  著者: 早坂隆(ルポライター

横浜で今APECが開催中だ。 ニュースを見ている限り、中国、ロシアなどはぺこぺこし続ける日本に土足でどかどかと乗り込んできた感がある。 夕方5時過ぎにNHKニュース速報で5時20分頃から日中首脳会談があるとのテロップが流れたので、ほほ〜と思いながら次のニュースを楽しみにして待った。
それから暫くして流れたNHKのユース映像を見て眼を疑った。 ギクシャクと握手を交わした時の菅首相は下を向いたま。 そして胡首相はといえばそんな菅首相を硬い表情のさげすんだ眼で見つめたまま。
どう見ても、勝者は中国で敗者は日本の構図だ。 ところがそのあともっと驚く映像が映った。
何と! 首脳会談が始まったら菅首相は、胡首相をたま〜にちらと見るだけで、あとは誰が書いたものなのか、小脇に抱えて持参した文書を見ながら読み続けるだけ。 古今東西今まで、首脳会談という重要な席上で、相手の顔をみることも出来ずただ下を向いて持参した原稿を棒読みするなどという愚挙を演じた首相など世界の歴史上あっただろうか。 こんな重大事の両首脳会談の時にである。
これから何度もこの映像がニュースとして放映されるだろう。 日本国内だけならまだいい、尖閣諸島問題で東南アジアのみならず世界が注目している中での日中会談である。 世界中のメディアがこの注目すべき首脳会談の映像を自国に発信していることだろう。 と言うことは、日本はやはり中国に頭を垂れている、そして世界中の人々から、日本の首相である菅がこの程度の人物である、と言う事を強く印象づけられることになる。
前原外務大臣が必死になって孤軍奮闘している傍らで、首相たる菅がこの体たらくではもう外交的防衛手段は無い。 何が戦略的互恵関係か! 
このままでは日本の中国従属化はスピードが速まるばかりだ。 尤も、日本はぼけっ〜として何の手を打たないが、ロシアも韓国もアメリカも、中国にだけおいしい思いをさせてなるものか、と強烈に対抗処置をとるであろうことは想定できる。 
頼む!!! 一刻も早く菅を首相の座から引き摺り下ろして欲しい。 そして、緊急に民主党の代表戦を再度行い、前原外務大臣を代表に選出し首相になってもらい危機に瀕している日本丸の舵を託したい。 民主党員よ!貴方達は売国奴になりさがってもいいのか! 目先のちっぽけな自分の利権取得のみに心を奪われているうちにいつの間にか中国という謀略国家の苛政下に置かれる恐怖を少しは想定して欲しい。
国会答弁でも、記者会見でも、TPP会議でも、APECでも、首脳会談でも、どこでもいつでも官僚が作成した原稿を、周囲の冷笑も何のその肌身離さず持ち歩き、棒読みしか出来ない日本史上最低(失礼!鳩山由紀夫というもっと最低なLoopyがいた)な首相を見ていると、憤りを通り越して涙が出てきてしまうほど悲しくなってしまう。 と同時に、こんな首相を選出した多くの民主党フアンを心底から軽蔑したくなる。