* 露骨な中間選挙用映画
 先週末のシネマは、『デス・ウィッシュ』。年金後の土曜日で、同年代の
人たちで40人はいただろうか。 〜内容といえば…
《 警察すら手に負えない無法地帯となったシカゴで救急患者を診る外科医
 カージー。ある日、彼の家族が何者かに襲われ、妻は死に、娘はこん睡状態
になってしまう。警察の捜査は一向に進まず、怒りが頂点に達し、復讐の鬼と
なった医師は自ら銃を取り、犯人抹殺のために街へと繰り出す。》
デス・ウィッシュ」とは<死を祈る、死の願い> 御前ら悪党よ、俺様
の手で死んでくれという意味。チャールズ・ブロンソン主演「狼よさらば」の
リメイク。白人の外科医が、ラテン系や、黒人のギャングを容赦なく殺して
いく姿は痛快だが、有色人種を虫けら扱い。助ける医師の立場から、ギャング
狩りの殺人に… 最後は、殺したギャングに罪を擦り付け目出度しめでたし。
現在のアメリカ(白人)第一主義を地でいった筋立て。世論は、痛快にギャング
を殺戮する処刑人に好意的。
  … これって、中間選挙目当て?
 
 朝鮮半島情勢、今のところ安定しているが、ここだけは何が起きるか? 
これもアメリカの中間選挙次第。中間という意味は大統領選挙を挟んだ中間
という意味。4年に一度の本格的な議会総選挙。トランプといえば、その正体が
露呈しスキャンダルが連発。側近は、次から次へと辞任。国家自体の自己否定
とさえ思える大統領。 専門家の見立ても、世論も共和党に悲観的。 
< 予測専門サイトの一つが3つのモデルで選挙結果を予想、下院における
 多数党交代の確率は、9月下旬時点で70%台後半から80%。また、バージニア
大学政治センターが紹介する4人の専門家の予測モデルは、下院における民主党
議席増を27〜44議席とはじき出す。多数党交代に必要なのは23議席の変動であり、
モデルどおりなら、共和党は「青い波」に屈する。共和党とすれば、想定以上の
苦戦だろう。「強い経済」と「トランプ大統領の熱狂的な支持者」という2つの
強靭な防波堤が、多数党の座を守ってくれるはずだった。だが今回の選挙では
これらの防波堤は十分に機能してないどころか、共和党の弱さとなっている
気配すら感じられる。> 
 しかし、そこはトランプ。起死回生の奇策を狙う可能性も。
ロシアのプーチン。トランプを大統領にした策略だけでも、その任を果たした。

・・・・・・
5334,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー?
2015年10月22日(木)
  元・プレーボーイ編集長の島地に、亡くなった三人がのり移った設定の
人生相談だから、面白くないわけがない。ランダムだが、面白そうな相談から
紹介していく。
   ー大企業で出世する男の見分け方を教えてくださいー
〈 私がつき合っている男性は慶応大学卒の28歳、某大手電機メーカー勤務です。
有名企業ですが、このご時世、サラリーマンの一寸先は闇。彼が出世競争を勝ち
抜ける人かどうかを知りたいのです。私も大手といわれる保険会社勤務ですが、
ずっと仕事を続けるつもりはありません。というか、専業主嫁になりたいです。
ただし、貧乏臭い節約生活は送りたくありません。銀座で気軽にショッピングを
したり、一流のレストランでランチができるくらいの余裕のある生活が希望です。
そのためには、旦那さまにかなりの稼ぎがないことには。かといって、ベンチャー
経営者なんていうのは、蟹産の危険と考中合わせで不安定だからイヤ。大企業で
出世する人がいいのです。そういう人の共通点って何でしょうか。どんなところ
で見分けられるでしょうか。こんな質問をしたら、コメントは欄では非難轟々
かもしれませんが、本音でお蜀きします。(27才女性) 〉
  ーお答えー
〈・シマジ:その慶応卒の彼氏とやらに会って、食事をしながら二時間も話せば、
出世するかどうかをぴったりいい当ててあげるよ。だが、一般論として出世
する男はこうだとはいい難いな。それこそ千差万別だ。だから、会わずに語る
のは無責任だな。無責任だが、これだけはいえる。この男が大企業の中での
競争を勝ち抜き出世するだけの知力と感性の持ち主なら、相談者を一生の伴侶
として選びはしない。すなわち、相談者を妻にするような男なら出世の見込みは
薄く、出世する男なら、いずれ相談者と別れるだろう。
・アソシエ:辛口ですね。
・シマジ:相談者の本音の質問を本音で答えたまでだよ。出世をする人間の
大事な条件の一つが人を見る眼力だ。大きな組織の中でこれぞという先輩や
上司を探り当て、その人に教えを請い、その人を尊敬して命がけでついていく。
あるいは営業マンなら、取引先のキーパーソソを見極め、そこにしっかりと
食い込み、人脈を広げていく。いずれにせよ、そうした人を見る眼力があれば、
女のたくらみも見通してしまうだろう。それにしても、相談者の考えは浅いな。
だってそうだろう。日本の大企業の中で課長に出世をする男には眼力が必要だ。
課長になり、部長になり、ついには役員になったとして、どれほどの生活が
できるというんだ。第一、子供はどうする。子供が二人もできたら、優雅に
お買物にラソチになんていっていられなくなる。しかも、教育に金がかかる。
こういう相談者だから、子供に有名幼稚園や小学校をお受験させるだろう。
そのうえで、有閑マダムよろしくブランド品のショッピングに精を出し、
高級レス.トランでランチ三昧なんてことをしようとしたら、数千万の可処分
所得が必要になる。ということは旦那は税込みで一億円近く稼がなくては
ならず、サラリーマンには到底無理な話だ。〉
▼ 以前、田圃や小川に生息する〈タガメ〉について書いた。蛙や、小魚に
 抱きつき、栄養分を死ぬまだで吸い取る昆虫で、日本の専業主婦に酷似
しているという分析の書籍を、ここで紹介した。 何か、誰かさんみたい?
  〜二年前に取り上げた内容を下にコピー〜

・・・・・・
6066,閑話小題 〜 少し考えてみたら
2017年10月22日(日)
   * 少し考えてみたら
 日本人は第二次朝鮮戦争が起こるとは、よもや思っていないようだが、
少し考えてみれば、充分に起こりうること。アメリカのいうレッドラインを
遥かにこえた「水爆実験」と「ミサイル実験」を平然と行い、隣りの大国の
中国やロシア首脳と会談すらしようとしない。直接会談を避けるのは、底の
浅さが読み取られてしまうため。
 肉親や幹部の粛清が、あの方にとっての錯乱原因で、自らの破滅の道を
ひたすらまっしぐら。これでは数百、一千万規模の犠牲者が出る可能性がある。
「米国は核保有のイランの事例からして攻撃してこない」という甘さが見て
取れる。黄色人種の元首から、これだけ罵詈雑言と挑発を続ければ、欧米の
極右が見逃すわけがない。人生の夕暮れ時に、一つ海を越えた朝鮮半島で生々
しい戦争が突発するのか? 
   * つれづれなるままに!
 会社清算に至った現在、後悔が殆どないのが不思議なぐらい。創業に向けて
一歩、踏み出した時から、万一の場合、「われ後悔せず」と決心をしていた
こともある。その上に、思いの外、楽しみが、「差引きゼロ」というより、
80点以上の実感がある。何もしなかった10億、100億より、経験を楽しんだ現状
の方が良かった手ごたえがあるからこそいえること。
『納得出来る行蔵は、何ものにもかえ難い』とでも自己説得でもしないと… 
 どの道、全てが夢幻でしかない。
   * 政治ものコンニャク談義
・ 昨夜、グランド・ホテルで、先ほど行われた中学の同期会の「反省会」
 が、行われた。出席者が15名。余剰資金があったようで、会費は3千円。
二次会は欠席し、21時に帰宅。一次会の後半は、衆院選挙の話題で盛上った
が、意外にも、自民の候補より、野党の女性議員の支持が圧倒的だった。
自宅にも、大平事務所から『前知事に負けそうで、助けてください』と、
悲鳴に近い泣き落とし?の電話が4度もあった。
新潟市在住?の前知事が、今さら長岡で原発容認の自民党から出馬など、
もってのほか」と言われれば、成るほど肯ける。一般市民に「稼働してない原発
は空箱と同じ、ミサイルを撃ちこまれても、全く問題なし」の情報が意外と
知られてないこともある。で、私は、全国区で「希望の党」、地方区は「泉田」
に投票予定。それとも、国家危機の視点から、全国区が「自民党」、地方区は
「大平」。泉田は「長岡の女たち」を知らなすぎのため大敗の可能性がある。
「無所属で、新潟市地区で立候補すれば、当選の可能性もあったのに…」だが、
比例区で拾われる?今回の選挙結果が楽しみだが、『憲法改正』は必要とする
と、自民党は圧勝して然るべきである。とすると「希望の党」でも良いが…。
二転三転後に、「全国区」が「希望の党」で、地方区は「大平」が結論。

・・・・・・
5699,老老介護の現実
2016年10月22日(土)
  * 姉夫婦と従兄弟が老老介護の年齢に
 先日の通夜に東京から日帰りでやってきた従兄は、老老介護の真只中。
総武線沿線の葛飾千葉市近郊に、姉夫婦が三組、父方の親戚が三組が住む。
そのうち姉夫婦の一組と、いとこの二組の連れ三人、4分の1が亡くなっている。
そして残る三組は老老介護の真最中。平均年齢が80歳代に入った老老介護
日々是戦場状態。長寿が果たして幸せかどうかの問題につき当たる。それでも、
近くに親戚と子供たちが住んでいるのが幸い。連れ合いは、生きているだけ
でも老いの身には支えになる。末っ子のため、従兄弟も含めた自分の数歩先の
モデルの人生、山あり谷ありが垣間見える。 さほど多くない市内の従兄弟や、
義兄が、去年から今年にかけて3人も亡くなった。後は誰が先か後かの問題。
<死ぬまでは生きている、死んだ瞬間から無になるから、自分の死はない。>
と思えば気が楽。現実は、「先に逝ったもの勝ち!」「先に呆けたが勝ち!」
 ブログ内検索で『老老介護』を入れたところ、以下の文章があった。
  実にシリアスの内容である。
――
2011/09/14
閑話小題 〜老老介護
  * 老老介護
 先日、近くのチャンコ鍋チェーン店に久々に食事に行ったところ、
案内され小座敷の隣に80歳は超えている老夫婦の先客がいた。
少し妙な直感がしたが、別に気にはとめてなかった。しかし私たちが入店
した時には食事が終わっていたのに、私たちが帰る直前まで、そのまま御茶を
飲みながら周りの客の話を聞いている雰囲気が伝わってきた。それは別に問題
ないが、家内がセルフ・サービスのコーヒーを取りに行ったところ、帰りかけで
入り口にいた御婆さんが、家内に「足が痛くて歩けないんだけど、どうしたら
よいですか?」と話しかけてきたので、家内は戸惑い「私には、どうにもなら
ないんで、店の人に御願いしたらどうですか」と、少し冷たく答えたという。
連れもいるのに見知らずの人に訴えること自体が変で、明らかに痴呆症が半分
入っている風とか。私も腰痛を持っているので、その酷いときの辛さを痛感する
ので(痴呆が入ってなくとも)誰彼なく言いたいのも分かる・・・
長生きは有難いが、そこに精神的、肉体的苦痛の代償を自然は与える。老いた
だけ、無念が増す、ということか。 本気で「来年は存在ない」という思いで、
一日一日を生きる時節になってきた。あの人は誰かに愚痴を聞いて欲しかった?
のか。長生きはしたいが、老いたくない。この矛盾が老いの問題になってくる。 
――
2015/05/17
人生相談という気晴らし! 〜?
             『人生、しょせん気晴らし』中島義道
 さすがの個人主義の哲学者も、老老介護の相談には歯切れが悪い。
介護の世界は複雑で、根深い。極限の場面で、真実を知ったところで、
せめて、気晴らしになるぐらい。最期の最期は、宗教に頼るしかない?
≪ Q:  〜老老介護から人の〈生〉と〈制度〉を問う〜
 私は七十四歳の女性。以前の「死ぬ作法」の記事を読み考えるところが多く、
質問させていただきます。私は現在、九十五歳の母親の介護をしております。
昔であれば一番上の子供が還暦を迎えるころには親は天に旅立ってゆくもの
でしたが、医療の進歩もあり、寝たきりであっても延命治療が続いております。
世間では後期高齢者医療制度が問題になっていますが、むしろ末期の医療現場を
考えていただきたいと思っています。人が生きるとはどういうことであるのか、
死に近い位置から医療をはじめ生きるということを見直すことが必要ではないか
と思っております。哲学のご見地から、寝たきりとなった高齢者の生、死について
何かご示唆いただきたくお願いします。ちなみに私の兄弟三人は皆、病に倒れ
入院生活を送っています。私が倒れたら、どうすればいいものか不安で一杯です。
  A:  〜われわれは「生きている」ことの意味が分からないのです〜
これは大変難しいご質問です。私も大学でここ十年ほど「生命倫理」の講義を
受け持ちましたが、さまざまな学説を紹介することはできても、自分の意見を
言えといわれると、とたんに分からなくなる状態です。 逃げのようですが、
あなたのご質問に対して「哲学の見地から」何の示唆もできない、と言うほか
ありません。哲学は人を救えないものです。正確に言えば、世界とは、私とは、
時間とは、善悪とは、何か分からなくて悩んでいる人をある程度救えますが、
幸福になりたい人を救う能力は皆無だと確信しています。むしろ、哲学とは
不幸になってもいいから真実を知りたいという欲望をもっている人にのみ
開かれている。真実は必ずしも人々に慰めや、平安や幸福を与えるわけでは
なく、逆に不安や不幸を与えるとしても、あえてそれを追究するのですから、
相当ヘンな欲望ですね。そもそも、われわれは「生きている」ことの意味が
分からないのです。ですから、生きているほうが、死んでいることより「いい」
ことを論証できないのです。哲学は「いかに」生きるか「いかに」死ぬかを
教えることはできず(それを安直に言い出す哲学者はニセモノ)、人間が死ぬ
ことの意味そのものを問い続けることができるだけです。私も人間ですから、
直観的に「人を殺してはいけない」とか、「老人を虐待してはいけない」という
ことは理解できますが、さらに「なぜ?」と問うと途方に暮れてしまいます。
まさに、ここに問題を見出す人のみが哲学に突き進むのであり、そんなことは
何の問題でもない、目の前に苦しんでいる人がいれば助けるのがあたりまえ
ではないか、という考えの人は決して哲学の門にはいらないでしょう。・・ ≫
▼ 難しく、深刻な問題だが、決して他人事ではない。人生の最期は、決して
 不幸から逃れることが出来ない現実がある。それに対し、「南無阿弥陀仏」か、
「南無妙法蓮華経」と唱えるしかない。哲学は、「ことの道理」を追求すること
が出来ても、人を救うことは出来ない。ということは、人生相談に、哲学は
向いてないことになる。だから、逆に質問の内容そのものの甘さを指摘して
納得させるのが、ベストになる。『人の心の問題は、ほっとけ!』と。

つれづれに

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 日々、寒さが増している。あと一月近く、早朝のミニ・チャリ。
何とか続けるつもりだが… 今では3時半に起床し、『随想日記』を
書上げ、出かける。少し寒いと、日中に切替えるが、まだ大丈夫である。
 寒いほど、帰ってくるとスカッとする。

 昨日は、中古の一世代前のミニのiPadを購入。家内が、ほぼ現在の
iPadを使っているが、私専用の、カメラとメモ用にと… 

 さっそく、使いだしたが、軽くて便利である。新しいのが、クラウドで、
自動的にもう一台のミニiPadに連動するのがよい。実際のところ、その
便利さを知らなかった。




・・・・・・
・・・・・・

3862, 嘘みたいな本当の話
2011年10月22日(土)

 図書館で見つけた「嘘みたいな本当の話」の本の題名、ここのテーマで取り上げたような気がして調べたら、
「H0505 小説のような本当の話!」というテーマであった。 この本は多くの人の実体験の特集で面白いが、
それでは私というと、これらより面白いものが、幾らでも出てくる。とはいえ、それは自分自身のことだから
言えることだけで、第三者の見方は違うだろうし、150あまりのショートストーリー、それぞれの味がある。 
人生には、誰もが多くの思いもよらない経験をするもの。考えてみたら、自分が、いま、ここに存在している
ことが嘘みたいである。 両親の出会い、そして数億の精子と、卵子が出合うことも、両親の両親、そして
先祖の出会いの重なりの結果、はじめて現在の自分がある。そういう難しい話は、この本の本題ではない。
何処にでもある、ちょっとした世間話的な信じられないような経験の披瀝である。
 この本の面白い嘘みたいな本当の話の紹介の前に、私の世間話的なそれを書いてみる。
   ー かなりショートにまとめてみた。
* 7年ほど前になるが、オーストリアの、とある観光地の街中で何気なく空を眺めると、カラスの一群と
   鳩の一群が入り乱れて闘っていた。見ていたのは数分だったが、カラスと鳩の群れの闘いなど、滅多に
   みれるものでない。「外国には外国の鳥世界があるのか」と、何となく思ったことを覚えている。
* その頃の話、早朝、土手を散歩していたところ、ある家に繋がれていた身体はデカイが、幼さの残って
   いるゴールデンリトリバーと、偶然に目が合った。 思わず、ヨッと右手をあげ声をかけると、何と、
   その犬も右手、いや右足をあげた。オテの、条件反射だったのだろうが、何か奇妙な気持ちになった。
* 雀と燕の巣をめぐる争いに出会ったことがある。バイパス下のトンネルにある燕の巣に、越冬の留守に
   雀が住んでいた。そこに春先に燕が帰ってきて、その巣をめぐってツガイ同士が争っている場面に
   出くわした。 雀には、多くの仲間が遠くからピーピーとけたたましく騒いでいる。数分で、見届け
   ないで散歩を続けたが、翌日見ると、そこから雀が顔を出していた。 
  驚きは、嘘のような場面に出会った時に生じる心の状態である。とすると、初めての体験、経験は
 「嘘のような出会い」になる。
  ・・・・・・・
3497, お金の教養 -3
2010年10月22日(金)
                    ーお金の教養ー「お金の仕組み」 泉正人著
  * 何が「浪費」で、何が「投資」か
 何もかもが節約ばかりでは人生は面白くない。それでは貯蓄が目的になっては、お金の本来の価値を楽しむ
ことはできない。価値あるものにはしっかり使い、価値のないものは、使わないというルールが必要である。
著者は日常使う小さなお金を、使い方によって、「投資」と「消費」と「浪費」の三種類に分けている。
・買ったものが、払った以上の価値がある=「投資」
・買ったものが、払った額と同じ価値がある=「消費」
・買ったものが、払った額以下の価値しかない=「浪費」
 これは分かりやすい。 私の場合、海外旅行は、払った5~10倍の価値は充分にあった心底思っている。
飲んでまわって三軒目以降は払った額の半分以下か零と思うことが多い。 これは浪費。
土曜日など家内といく居酒屋などの飲食店は払った同額の価値だから、消費。 そう具体的にみると、
それぞれの意味が実感できる。 時に浪費の方が有意義?のことがあるが、ただ酒に飲まれている方が多い。
テレビ、パソコンは投資。昼飯は消費。本は大部分は投資。週刊誌は消費で、月刊誌の文藝春秋は投資?消費?
これは実際に買って読んでから分かること。去年買った電気アシスト自転車と海老反り器械と腰叩きマシーン
は投資。 成るほど! 両親から捨て金を使うな!と教えられたのは、価値のあるなしを意識して金を使えと
いうこと。関西人は概ねこれに徹している。マイホームは思い切って良い家を買うが、普段の生活は質実剛健
にする。金の使い方だけでなく、著者はこれを時間について当てはめている。 英会話の勉強に当てている
時間や、健康のためのスポーツは投資の時間。 休みの日に、何をやっていたか記憶のない時間が浪費。
睡眠は、それが人間が生きるため必要な時間で(必要経費として)投資になる。一年を振り返って、あれは
良かったと思える時間が投資である。 そういう視点で「金と時間」の使い方をチェックしてみると、面白い。
長期的投資と短期投資にも分けられる。 浪費が入った三つが混合するから面白いもの。 浪費と思って
いただけのことが実は投資だったり、投資と思っていたことが浪費だったりする。これは時間がたって
みないと分からない。
 ・・・・・・・・・
3122, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー3
2009年10月22日(木)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)     ー読書日記
 中世に西欧の国々が世界を拡大していく過程で、構造主義ではないが、決して南米や東洋より優れている
のではなく、逆に劣っているのを知ることになる。 勝っているのは人殺しの技術だけ。 そこで西欧人は
自分たちの方が優れていると、信じたと思ったのである。同じ神を信じると認めあった仲間内では、平等とか
隣人愛を言うが、そこから外れた者については、公然と差別をし、何をしてもよいことになる。人間扱い
されなかった奴隷たちが救いの神として唯一絶対の神を信仰したが、その神は復讐の神だったからである。
現在、原理主義者が平気でテロを仕掛けるのも、この辺の事情による。
 ー以下の部分は、その辺のことを詳しく書いているー
 * 大航海のカルチャーショックと、ペスト発生の由来 (P-13)
Q: 西欧キリスト教文明が、十一世紀以来、イスラームと敵対していたというお話ですが、その後、大航海
 時代から帝国主義と、猛烈に世界に進出していきます。そしてその際にきわめて大規模な虐殺が起こっている。
岸田: 大航海時代でアフリカ、アジア、アメリカ、インドなどに出ていったのですが、その結果、ヨーロッパ
 人はますます劣等感と敗北感が募ったと思います。 誰だって、ふるさとの地で何とか暮らしていけていれば、
 決してふるさとを捨てて遠い外国なんかへ行きたいとは思わないものですが、当時のヨーロッパ人は
 ヨーロッパに安住できないいろいろな事情がありました。人口の四分の一から三分の一が死んだと言われる
 十四世紀半ばのペストの大流行、打ち続く飢饅、宗教的迫害など。ヨーロッパ人自身は、進取の精神で広く
 世界へと進出したと思っているようですが、他の大陸へ出掛けていった連中は、客観的には、命からがら
 逃げ出した難民でした。 十五世紀の終わり頃は、ヨーロッパよりインドや中国のほうがはるかに文化的
 にも経済的にも上で、豊かな生活をしていたのですね。ヨーロッパの難民たちは、世界を知ることによって、
 ヨーロッパがいかに遅れていて劣っているかを発見したのです。 その劣等感というか敗北感をひっくり返す
 というのが、近代ヨーロッパ人の植民地主義を支えた情熱なんですよ。 われわれのほうが遅れている、
 劣っていると感じて、それ以後のヨーロッパ人は、われわれのほうが上なんだ、優秀なんだということを
 証明しようと必死でした。それ以後、彼らが、何かにつけて、ヨーロッパのほうが進歩していると繰り返し
 繰り返ししつこく主張したがったのも、この必死の努力の表れでした。
小滝: ペストのことで一言注釈しておけば、あれもキリスト教に原因があるんです。当時は修道院があちこち
 にでき、実に多くの成人男子が修道院に入っていたそうです。その食糧をまかなうために、大規模な森林伐採
 をやったのです。さらに森林伐採には宗教的な意昧もあって、森を残しておくと、土着的な精霊信仰が生き
 残って、異端や異教が生まれるので、キリスト教を広めるという意味でも森林を伐採した。そうしたら
 フクロウとか蛇とかがいなくなって野ネズミが大発生し、それにペスト菌を持ったノミやダニが寄生した
 もので、大流行を引きおこしていった。
 ~~
現在、アメリカをはじめ西欧文明が基礎から揺らいでいるが、一神教が主導してきた文明の行詰まり。
そして、これからは中国、インド、東南アジアの文明が必然的に世界をリードしていくしかない。
アメリカの属国として戦後の経済成長を続けてきた日本も、ここで大転換期をむかえたのである。
 ・・・・・・・・・
2757, 今後のノーベル賞の有力候補は?
 2008年10月22日(水)
 一昨日の産経新聞 【正論】の ー ノーベル賞で「銀メダル」の日本 ーが、面白い! 
 その中で、今後の日本のノーベル賞の候補を何人か挙げていた。
 アメリカの国力を感じるが、日本も満更ではないことが窺える。
  ーーー
 ●≪政府の50年目標も有望≫
 (以下、字数の関係でカット2009年10月22日)
・・・・・・・・・・
2007年10月22日(月)
2393, 恥はかかせろ、いじめはなくすな
 戸塚宏が、「新潮45」6月号に寄稿していた文章が考えさせられた。彼は自分の戸塚ヨットスクールで、
生徒を何人か死なせた責任で6年の実刑を終えて、再びヨットスクールで指導をしている。石原慎太郎も弁護者
で彼を支持している。
 ーまず彼の論の概要をまとめてみるー
  *力は悪か、いや善である。
・6年経って出所して、子供たちは良くなったかといえば、ますますオカシクなっている。
 生気がなくなり、得体の知れない無力感を漂わせ、一方で些細なことで直ぐに自殺する子供が増えている。
・暴れる子供はまだよいが、無気力で何も行動を起こさない子供は直しにくいし、完全に直らない。登校拒否
 とか、引きこもりやニートといった、社会に反発する力のない子供たち。彼らは幸福を感じる能力もないし、
 幸福になろうと行動もしない。人類始まって以来の、最も奇妙な生きものが出来上がってしまった。
・明らかに戦後教育が間違っていた。戦後教育は「力は悪なり」と教え込んでいた。教育者、親も、その信者で
 子供を強くすることは悪だと思い込んでいた。 そして子供たちを弱く弱く育ててきた。しかし、力は善に
 決まっている。弱ければ役に立たない。海で溺れている子供を、腕におぼえのある人が助けて、子供は一命
 を取りとめることができる。力があればこそ助けられるのである。 強いからこそ、行動ができるのである。 
 それをどこで、どう間違ったのか、「悪」としてきたのが、戦後教育なのだ。
・子供を教育するに当たって「褒めて育てる」ということがまかり通っている。「叱るより褒める方が正しい」
 と親も先生も思い込んでいる。だが「褒めるより叱る方が正しい」に決まっている。 
 褒めて褒めて、みんな駄目にしてきたのである。 叱ることを、罰のひとつとしてみよう。罰は世界中にある。
 だから人間の本能である。 本能は種族保存を目的としているから善、当然、罰は善である。
 駄目な奴、失敗した奴を罰しようというのは、善なる目的を持っている。 それは、 相手の進歩でもある。 
 罰は相手のためを思ってやることなのだ。叱ることも同様で、相手を考えて叱ってやるのだ。

(字数制限のためカット 2011年10月22日)
・・・・
 2006年10月22日(日) 2028, ネット空間「セカンドライフ」     才八∋ウ_〆(∀`●)
最近のネットには、日々驚かされることばかりである。
 ー朝日新聞の文化欄の記事(10月19日)ー
:現実に溶け込む仮想世界「もうひとつの世界」で起きたメディアの地殻変動:には驚かされてしまった。
「ネット上の仮想世界で建物を作ったり、売ったお金で現実に住居を手にいれた」というような夢のような
話が起きている。
 (以下、字数の関係でカット2008年10月22日)
           (+●∀●)ノ さいなら! さいなら!
・・・・・・・・
2005年10月22日(土)
1663, 「人生の実りの言葉」-3
 ー独創?
・この章ー独創?ーの冒頭の「ゲェテとの対話」ーエッケルマンを抜粋してみる。
「世の人はつねに独創(オリジナリテート)の話をするが、どういう意味だろう。
 生まれるとすぐ世界は影響しはじめ、そして死ぬまでつゞく。一体エネルギイと力と意志と以外に自分の
 ものがあるか。若し私が偉大な先駆者や同時代の人に負うた点を一々あげることができたら、残る所は
きはめて僅かだろう。」
・更に、この章の一番のさわりの文を抜粋する 
 (以下、字数の関係でカット2008年10月22日)
・・・・・・・・
2004年10月22日(金)
 1298, 2000年前のポンペイ -2
 図書館で何気なく歴史コーナーを見ていたら、「『ポンペイ』完全復活、2000年前の古代都市」という
グラビア集があった。一ケ月位前にTVで『ポンペイ』を特集していたのをDVDに録って、その面白さに繰り返し
見た後なので、思わす時間を忘れて、その場で見入ってしまった。もちろん、借りてきて見ているがTVより
さらに深い内容である。本は、映像では表現できない違う役割がある。 AC/79年8月24日、ヴェスヴィオス山
の大爆発で火山灰で埋没したこの街は、その18世紀半ばからの発掘によって、古代ローマを知る上で大発見に
なった。それまで、古代ローマの遺跡といえば、ローマ市郊外の遺跡であったり、地中海沿岸の都市であった。
ローマ帝国は、このような街が数千もあって支えられていた。 
 (以下、字数の関係でカット2009年10月22日)
・・・・・・・
2003年10月22日(水) 
 931, 強みに焦点をあわせよ
「強みに焦点をあわせる」経営学者のドラッカーの一番好きな言葉である。
企業にしても人間にしても当てはまることだ。強者は強みを最大限いかすから強者になり、
弱者は弱みのうえに自己を置くから弱者になるのだ。まずは自分の強みとは何かを探さなくてはならない。
過去の中でうまくいった事、埋もれている潜在的な何かを自分で探すしかない。 企業もしかりである。 
その強みを活かしていくと、それが違いになってくるのだ。 それを個性というが。 強みを探すとき、
「他との違いを探す」方法もある。違いの中に強みがあることが多い。弱点に見える中に、強みがある
場合も多い。一例をあげると、柔道の棟田という重量級にしては、極端に背が低い選手がいる。
彼は外国の背の高い選手に強いのだ。重心の位置が低い利点を活かして、相手を投げ飛ばす。
 強みを活かし続けると、そこに独自性が生まれてくる。強みに焦点を合わすと合わさないとでは、時間の
中で大きな差が生まれてくる。ついつい弱点の矯正に気が回って、いつの間にか重心がそこにいってしまう。
弱点を修正することより、強みを活かすことに全力をあげる事だ。 人を使う場合もそうだ。
ついつい弱点に眼がいってしまう。意識的にその人の強みを探し出して使うことだ。
 私を例にとるとーまた露出だが、
・8人兄姉の末っ子 ・両親とも商家の出で商売大好き人間 
・私の幼児期は敗戦の真っ只中で、転業の創業期  
・末っ子の知恵 ・人を内側から多くみている 
・負けず嫌い  これは強みでもあり、弱点にもなる。
 少なくとも勤め人より、商売系が向いている。それも時代の変化に対しての創業系ー転業を
活かすのに向いている。 弱点は自制がきかないで突っ走ってしまう危険がある。
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557, 基調色-着こなしのコツ -2  2002年10月22日(火)
 ある洋服屋だった社長から聞いた話である
ー昔の大金持ちの旦那衆は、目立たない高級呉服を似た柄で何枚も持っていて毎日着替えていた。
よほどの目が利く人でないと、その違いが判らない。無頓着にいつも同じ服を着ていると思わせていた。
チョットした柄の違いのもので、羽織や帯や足袋をかえていた。そういう粋な着方が本当のお洒落だとかー
基調色を決めておくというのに合い通じる内容だ。たったこれだけの話の中に多くの教訓が入っている。
シンプル、スタンダード、スペシャリテー、セグメントのチェーン理論のドライ主義が全て入っている。 
一番主義と集中主義である。目立たないーシンプル、スタンダードー似た柄で、高価なースペシャリテー、
何枚もーセグメントである。何代も続く家柄という長い時間の中で、体得した知恵なのだろう。
日本も洋服を着るようになって、まだ日が浅い。 着こなしでは当然欧米人に比べ落ちるのは仕方がない。 
しかし和服ではチャンと着合わせが出来ていた。 色というと7色が基本となる。どうしても私などは単色
と思いがちだ。赤一つとっても数千種類もあるという。理屈からいえば無限のはずだが。 江戸時代は
その色の違いを楽しんでいた。そして自分の好きな赤を決めていたという。本当にイロイロある。
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 至高体験-1 2001/10/22
もう10年前に読んだコリン・ウイルソンの‘至高体験’が面白かった。 フロイトは‘性’で、
ユングは‘聖’で、アドラーは‘権力’の視点で精神分析を深めていった。 しかし彼ら心理学者は
精神症・精神病の患者の医者の立場だ。これに対して‘非常に健康的な人’の持っている性格的特性とか
を調べた。そしてその共通点を探したところ、普通の人に対して‘至高体験’が多いという事だった。
至高体験とはこれ以上ない感激の極み、絶頂の幸福感をいう。インドを旅行した時、ツアーで一緒だった
女性に「20年前にインドに来たとき、ハシシー麻薬を吸ったことがある」と言ったので
「どういう気分になるのか?」聞いた。「とにかく楽しくって、笑いが止まらなくなった」と。
しかし薬物は中毒になる。死ぬときの痛め止めの薬物の楽しみに取っておくとよい。ある姉が嬉しそうな
顔をして、「極致の喜びを味わったことがある?」と数年前か私に聞いた。少し躁鬱の気がある人で、
近くにいた義兄がハッとした。「まさかオルガニズムでも言い出すのでは?」と私もその瞬間思った。
「それでは貴女はあるのか?」と聞いたら、「一度ある」という。もちろん私がそういう系統ー精神分析
とか、心理学が好きということは解らないようだった。そちら(セックス系)の内容でなかったが、
「私は三桁は軽くある」、と答えると全く信じられない反応であった。「そんな事絶対あるわけはない」
という。「それでは長島が昨年(7~8年前)セリーグで10月6日に大逆転優勝をした時に、至高体験
したのでは。長島は三桁は至高経験をしているのでは?」といった時、やっと納得した。私の場合では、
海外旅行で数十回はある。また事業で一仕事終えた時、緊張感の極めの合間の一瞬の弛緩の時、
あるいは会社の忘年会とかに絶対的幸福感になる。 (それだけ盛り上がる)上げれば限がない。
これはある程度の訓練も必要だ。会社で昼休みに30分、アルファー波の発生器に‘聴く麻薬の音楽’
(アルファー系音楽)を繋げて、もう10年以上聞いている。(アルバム日記に写真あり)
それを毎日している為か酒を飲んだ時など、直ぐブロックが外れそれに近い状態になる。少しきわどい
内容になるが、コリー・ウイルソンのその本に、「ロシアンルーレットがその状態になりやすい」と書い
てあったことをおもいだした。ピストルに弾一発を入れ、弾そうを回すやつだ。そして引き金を引く。
6分の1で死ぬやつだ。死の緊張感と助かるのを楽しむ。 そして相手と自分が死ぬまでやるやつだ。
助かった時の幸福感は至高体験に近いらしい。家内が不思議そうな顔をして、何人もの友人が
「自分を不幸と信じているみたい?」という。 少しは勉強すれば?と思う。 
生きているそれだけで素晴らしいのに!