夕闇迫るころの大阪・空堀界隈
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私のふるさと島根県の安来市のHPにリンクさせていただくことになりました。
ここに載っています*
大阪市中央区に残る長屋町と空堀商店街
松屋町筋から谷町筋を跨ぐ 東西に約800mの空堀商店街は古くから続いている商店街です。このあたりは上町台地で、起伏ある地形と路地が複雑にめぐっています。
戦災を免れた長屋が密集して残っているところですが、その古い長屋を改築しておしゃれなお店が並んでいます。
2月13日(土)夜7時半からの集まりに参加する前に久しぶりに空堀周辺を散歩しました。
「空堀(からほり)」とは 豊臣秀吉が大阪城の南側に築いた外堀が、現在の空堀商店街付近にあたり、水を入れない空の堀だったことから「空堀」と名がついたと言われています。
1614(慶長19)年の大阪冬の陣の後、徳川方に埋められて堀の水が空になってからずっと水を入れない堀がのこっていたそうです。
しかも第2次大戦での戦災を免れて、戦前からの土地 の勾配を活かした長屋の町並みが残っている珍しい場所です。戦火を免れたということでは近くにある直木三十五の碑の傍にある榎木大明神の霊験のひとつとして
「昭和二十年(1945)第二次世界大戦の大空襲の折には、襲ってきた猛火がこの樹の辺りでピタリと止まり、東側一帯が危うく類焼を免れた。」とありました。
地下鉄鶴見緑地線「松屋町駅」の地上に出ると目の前に「からほり御屋敷再生複合ショップ」のひとつ「錬」がみえました。
「直木賞」の直木三十五は大阪市中央区安堂寺町2丁目(当時は大阪市南区内安堂寺町)に生まれます。本名は植村宗一。その「植村」の「植」をへんとつくりに分けて「直」と「木」で
直木というペンネームにしたそうです。文筆活動の開始した年齢が「三十一」次の誕生日に「三十二」・・・と変えていって「三十五」でとめたそうです。
「からほり御屋敷再生複合ショップ」は「錬」のほかに「惣」と「萌」があります。「萌」は直木三十五記念館になっています。
上町台地は坂の町です。もう少し南にいくと天王寺七坂があります。
大川沿いにある八軒家の船着場から始まる熊野街道はこの上町台地にある榎木大明神を目指してあるいたそうです。つまり道しるべみたいな役割をしていたそうです。
樹齢670年の大樹で、地元の人に「エノキさん」と呼ばれて大切に守られていました。戦火が迫ってきたときもこの木の前で火が止まってあたりの家は戦火を免れ今に至っているのです。
その有難いエノキが枯れそうになって樹医さんの治療で蘇ったのですが、そのときにこの木「エノキ」ではなくが槐(えんじゅ)という木であることが分かったとの説明書きがありました。