「無名」 

一条真也です。
ゴールデンウィークは対談の準備や読書に耽り、ずっと自宅にいました。本当は映画館に行きたかったのですが、観たい作品もなかったのです。しかし、GW最終日の6日、イオンシネマ戸畑で中国映画「無名」を観ました。上海が舞台のスパイ・ノワールで、とても面白かったです!


ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「第2次世界大戦下の上海を舞台に、中国共産党、国民党、日本軍の間で繰り広げられるスパイたちの攻防戦を描いたサスペンス。『インファナル・アフェア』シリーズなどのトニー・レオン、『熱烈』などのワン・イーボーが主演を務めたほか、ジョウ・シュン、ホアン・レイ、森博之、エリック・ワンらが共演。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』などのチェン・アーがメガホンを取り、第36回中国映画金鶏賞で最優秀監督賞、最優秀主演男優賞などに輝いた」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「第2次世界大戦下、1940年代の中華民国・上海。政治保衛部のフー(トニー・レオン)は部下のイエ(ワン・イーボー)、彼の友人・ワン(エリック・ワン)らと諜活動に奔走していた。あるときフーは、任務に失敗した国民党のスパイを助けたことで、上海在住の日本人の要人リストを手に入れる。一方、イエはフーの部下でありながら、日本軍のスパイ・渡部(森博之)ともつながる二重スパイだった。それぞれに思惑を秘めた彼らが極秘の任務に当たる中、戦況が激化していく」


映画「無名」の冒頭には延々とクレジットが続きます。アメリカ映画や日本映画だとクレジットは最後に流れますが、この映画は最初に流れます。やっとクレジットが終了したかと思うと、椅子に座るトニー・レオンがスクリーンに登場し、続けて、カフェでジョウ・シュン演じる中国人美女が男性客からコーヒーを差し入れされるシーンが映ります。このシーン、映画のラストにも再現されるのですが、じつは1946年の香港の情景でした。じつは6月に業界の視察で香港に行く予定があるので、わたしの旅情は高まりました。あと、この映画、登場人物たちの帽子やスーツが100%わたしの好みで、カッコ良かったですね。


この映画、中国共産党と国民党の関係がわからないとチンプンカンプンです。できれば、鑑賞前にざっと予習しておくといいでしょう。まず、中国国民党は1919年10月10日に孫文が中華革命党を改組して結党。 第一次世界大戦後のパリ講和会議によってドイツから山東省権益が日本に譲渡されたのを受けて、中国全土で「反日愛国運動」が盛り上がりました。この運動は、孫文にも影響を与え、「連ソ容共・労農扶助」と方針を転換。しかし1921年に中国共産党が結成されると反共主義を取りました。 1945年まで続いた日中戦争の後、国共内戦が再開しますが、それに敗北して台湾島へと逃れ現在に至ります。日中戦争が終わると国共内戦に突入しましたが、中国共産党ソ連の援助を受けてこれに勝利し、1949年10月1日には中華人民共和国の建国を宣言したのです。


この中国共産党、国民党、そして日本軍との間で熾烈なスパイ合戦が繰り広げられますが、上海での日本料亭の様子など興味深かったです。日本酒はもちろん、ちゃんとした日本料理を提供し、芸者までいたのですね。日本の軍人を森博之が好演していましたが、この映画、登場人物たちがやたらと日本酒を飲み、煙草を吸うシーンが多かったです。考えてみれば、昔の男はよく煙草を吸いましたね。あんなに吸っては、「みんな肺がんになったのでは?」と思ってしまいます。そして、スパイ同士のバトルシーンがド迫力でした。トニー・レオンとワン・イーボーの格闘シーンもリアルで良かったのですが、身長171センチのトニー・レオンと182センチのワン・イーボーが互角に闘うのはちょっと無理がありましたね。


それにしても、ワン・イーボー(王一博)って初めて見ましたが、なかなかの美男子ですね。1997年生まれの26歳で、中国河南省洛陽市出身。男性アイドルグループ、UNIQのメンバーでメインダンサー、リードラッパー担当。2014年9月15日にUNIQのメンバーとしてデビュー後、2019年放送のドラマ「陳情令」 にて主演の1人を務めたことでブレイク。俳優、声優、歌手、ダンサー、司会者、オートバイレーサーとして活躍しています。主な愛称は「白牡丹」「王甜甜」「王杰」「酷盖」など。スクリーンで初めて彼の顔を見たとき、速水もこみち工藤阿須加に似ていると思いました。日本人好みのイケメンだと言えるでしょう。映画「無名」の主題歌も歌っていますが、声もいいですね。



そして、国際的俳優として名高いトニー・レオンですね。1962年、香港生まれ。台湾のホウ・シャオシェン監督の映画悲情城市(1989年)、ジョン・ウー監督の「ハード・ボイルド 新・男たちの挽歌(1992年)、ウォン・カーウァイ監督の欲望の翼(1990年)、恋する惑星(1994年)、ブエノスアイレス(1997年)など代表作は多いです。2000年には花様年華香港人として初めてカンヌ国際映画祭で男優賞を受賞、国際的にも高い評価を獲得するに至っています。そんなトニーは現在61歳。あのトム・クルーズと同い年です。「無名」でのハードなアクション演技などを見ると、「香港のトム・クルーズ」と呼びたくなりますね。そういえば、トムの身長は170センチで、171センチのトニーとほぼ同じ。「いつか二人の共演を観たい!」と、あと3日で61歳になるわたしは思うのでした。

 

2024年5月7日  一条真也

『方舟を燃やす』

方舟を燃やす

 

一条真也です。
5月5日の「こどもの日」、『方舟を燃やす』角田光代著(新潮社)を読みました。430ページのハードカバーでしたが、あまりの面白さに1日で読了。主人公の1人である柳原飛馬という男性が1967年生まれ(著者の角田氏と同じ)で、1963年生まれのわたしと年齢が近いので、彼が生きてきた時代背景などもしっくりきましたね。著者は、1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夜のUFO』野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』坪田譲治文学賞『キッドナップ・ツアー』で99年産経児童出版文化賞フジテレビ賞、2000年路傍の石文学賞、03年『空間庭園』婦人公論文芸賞、05年対岸の彼女直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蝉』中央公論文芸賞を受賞。著者の小説を読んだのは初めてですが、非常に面白かったです。オカルトや宗教がテーマの1つになっており、現在校正中である宗教学者島薗進先生との対談本『今ここにある宗教』(仮題、弘文堂)の内容ともリンクしていました。


本書の帯

 

本書の帯には、「口さけ女はいなかった。恐怖の大王は来なかった。でも疫病が流行し、今日も戦争は続いている。」「オカルト、宗教、デマ、噂、フェイクニュース、SNS。誰もが何かを信じたいこの世界で、信じることの意味を問う傑作長編小説。」と書かれています。


本書の帯の裏

 

帯の裏には、「1967年生まれの飛馬が育った時代は、みんなノストラダムスの大予言を信じてUFOを待ち、コックリさんに夢中になった昭和のオカルトブーム真っ最中だった。」「戦後すぐ生まれの不三子は文化的な生活を知らずに育ち、マクロビオティックの食事で子育てをしたのに、娘や息子とうまくいっていない。」「高度経済成長期の日本に育ち、昭和平成を生きたふたりがコロナ禍の子ども食堂で出会った時、そこに生まれたものは何だったのか――。」「予測不可能は世界を生きる私たちに切実な問いを投げかける角田光代の新たな代表作!」とあります。

 

 

まず、この小説は、ノストラダムスの大予言、未来さん、コックリさん、戦士症候群、カルト教団といった不気味なエピソードが満載です。これら一連のものは「オカルト」という一語で表現されますが、本書にはいわゆる「昭和オカルトブーム」が描かれています。昭和オカルトブームの最初の衝撃となったのが、73年3月に出版された小松左京のSF大作日本沈没、それに続くように同年11月に出版された五島勉ノストラダムスの大予言の爆発的な大ヒットでした。日本が沈没し、人類は滅亡する、そんな終末論が広く受け入れられたは当時の混沌とした世相を反映したものですが、1999年7の月に恐怖の大王が空から降ってきて人類は滅亡するという「ノストラダムスの大予言」は当時10歳だったわたしをはじめとする少年少女を震え上がらせました。



飛馬の小中学校を通じての同級生に、狩野美保という女の子がいました。彼女は小学生時代にはよく吐くので「ケロヨン」と呼ばれていました。また、中学生時代にはコックリさんをやっていて失神し、救急車が学校に駆け付けるという大騒動になったため「コックリさん」という仇名をつけられるような少女でした。そんな彼女が大学生になって上京したとき、オウム真理教を想われるカルト教団に興味を持って近づきます。しかし、川に毒を流して東京都民を無差別殺害するという計画を知って、彼女は教団から離れたのでした。信者だけが生き残って、信者でない者は殺すという発想に疑問を抱いたからでした。2020年に飛馬と再会した美保は次のように述べます。



ノアの方舟って話あるでしょ? 聞いたことあるよね? 聖書の。神さまに洪水が起こるって言われて、ノアって人が神さまの指示通りにでっかい舟作って、自分の家族と、動物を雌雄一頭ずつ乗せるの。聖書だから宗教違うけど、私その話のこと考えたんだよね」
 とつぜんはじまった話が、どこにどうつながるのかわからずに、飛馬はただ相づちを打って先を促した。
「私だったら、家族だけ生き残るなんていやだと思っちゃって。洪水がきて、みんな死んで、乾いた陸地に降り立つのが自分の家族だけって、どう? うれしい? 私だったらみんなと流されるほうを選ぶ。信じる者だけ助けます。じゃなくて、信じない人といっしょに流されなさいっていう神さまがいたとしたら、そっちを信じるって、そう思って、離れたんだけど。でも、それって、あれの影響かもしれないとも思うんだよね」
(『方舟を燃やす』P.349)



美保がいう「あれ」とは、もちろん「ノストダムスの大予言」です。でも、もう20年以上も前に流行した予言のことを飛馬はすっかり忘れていました。
「え、あれって何」飛馬は訊いた。
「子どものころにはやったでしょ、世界が滅びるって話。あれなんかはいっそすがすがしいじゃない、みんな滅びるんだから。・・・・・・なーんて冗談だけど、でも、私たちの世代って何かしらの影響を受けてるとはマジ思うな。世界はいつか滅びて、UFOは人や牛を誘拐して、死んだ人とは会話が可能で、超能力は存在する。大人になっても、どっかそういうの信じてるとこ、ない?」
(『方舟を燃やす』P.350)



この美保が言うように、昭和オカルトブーム、それも70年代オカルトブームの洗礼を受けた当時の子どもたち(わたしを含む)は、大予言やUFOや心霊や超能力を無意識のうちに信じるというか、「どうか事実であってほしい・・・」という願望のようなロマンを心に抱えていると思います。また、美保の「私だったらみんなと流されるほうを選ぶ。信じる者だけ助けます。じゃなくて、信じない人といっしょに流されなさいっていう神さまがいたとしたら、そっちを信じる」という言葉は、信仰の核心を衝くものだと思います。さらに深く考えれば仏教の大乗思想にも通じるでしょう。日本沈没なら日本人全員が、世界滅亡なら人類全員が死ぬわけですが、この「共生」ならぬ「共死」ともいうべき死生観も、わたしたち60年代生まれの者に共通しているのかもしれません。



「死」といえば、飛馬は小学6年生のときの「母親の死」というグリーフを抱えて生きてきました。彼の母は子宮がんで入院したのですが、手術後に亡くなりました。母を亡くした悲しみは飛馬が高校生になっても消えませんでした。でも、高校生になると少しだけ楽になりました。
 母が死んで以来、自分でも意識しないくらいごく当たり前に、自身の内側に空洞がある。その空洞は、喪失感というよりも罪悪感に近く、何かたのしいと思ったり、何かを思いきりやってみたいと思ったとたんに、その興奮や好奇心はその空洞にのみこまれていく。ただ、高校生になって感じるこの「楽さ」は、そこにはのみこまれていかない。たのしいことや夢中になることと、楽になることとは違うのだと、飛馬は知った。
(『方舟を燃やす』P.105)



じつは、母親の死は飛馬にとってグリーフだけではなく、トラウマでもありました。子宮がんで入院した母に、父は子宮筋腫の病名を伝えていました。手術を受けた後、飛馬は病院の食堂で入院患者が末期の患者の話をしているのを聴き、てっきり母のことだと思い込み、「もう治らない、もう死んでしまう」と絶望します。その後、母の前で飛馬は号泣してしまい、母はそれを不審に思います。その後、母は自死してしまうのですが、じつは初期のがんで治療可能だったのです。飛馬は「ぼくのせいだ。ぼくが母さんを死なせたんだ」と自責の念を抱き、それは彼のトラウマとなったのでした。父は父で、子宮筋腫で子宮を摘出する手術を怖がる妻に「もう子どもを創るような歳でもないけん、女じゃなくなってもかまわないだろう」と言ったことが自死の原因ではないかと悩んでいました。このように、この小説には自死家族の深い悲嘆が描かれています。



この小説には、望月不三子というもう1人の主人公が登場します。東京生まれの不三子は団塊の世代です。高校2年で父親を亡くしたため大学進学をあきらめて就職、見合い結婚で退職。サラリーマンの妻として、娘、息子の母として家族を支えてきました。料理教室に通い、肉や乳製品や化学調味料を使わないマクロビオティックを学びます。料理教室の講師である沙苗に心酔し、子育てに無関心だった自分の母親を思い出すたびに「こんな人が母親ならよかったのに」と思うのでした。不三子は2人の子どもには学校給食を食べさせず、玄米弁当を持たせます。ただし、姑から「息子には白飯を食べさせてやってくれ」と泣きつかれたため、夫には普通の食事を作るのでした。健康志向のあまり、不三子はワクチンにも慎重で、娘の接種をめぐって夫に責められたこともありました。



そんな不三子と飛馬の人生が交わるのは、現代の「子ども食堂」でした。東京都の某区の教会で開かれる子ども食堂は、貧困家庭の子どもだけでなく、孤独な高齢者たちの「居場所」を目指します。この場所で、自分が必要とされることに、不三子と飛馬はかすかな昂揚感を覚えます。都会の片隅で生きてきた二人は「子ども食堂」で、これまで心の奥底に秘めていた他人へのコンパッションを示します。不三子はいつもお腹を空かせていて一心不乱に食べる園花という少女が心配でなりません。 ブログ『夜明けのはざま』で紹介した町田そのこ氏の小説もそうですが、「子ども食堂」が登場する小説が多くなってきましたね。



子ども食堂を舞台に心を通わせた不三子と飛馬、不三子と園花でしたが、新型コロナウイルスによる突然のパンデミックがようやく繋がった彼らの絆を断ち切ります。外出が制限され、人々の関心は自ずとSNSに向かいます。デマが飛び交い、陰謀論が不安をあおります。人々は見たい情報、信じたい情報しか見えなくなります。少し前のコロナ禍をきちんと俯瞰して書ける著書の筆力には感服しました。また、コロナ禍以外にも、この小説では、阪神淡路大震災東日本大震災熊本地震といった自然災害が次々に発生します。本書の刊行は今年の2月ですが、1月1日にも能登半島地震が発生したばかりです。世界では戦争が続いています。地震、戦争、疫病・・・・・・未来はいつだって不明瞭で、誰もが不安を感じながら生きています。



地球滅亡の予言前と後を描く『方舟を燃やす』について、ノンフィクションライターの最相葉月氏は、「波」2024年3月号で、「この小説はまさに、社会心理学者フェスティンガーが提唱した『認知的不協和』の世界だ。心理学者が目撃したのは、円盤が助けに来るという予言が外れた後、自分たちが祈ったから滅亡を逃れられたと主張して信仰を深めた人々だった。予言は外れて不協和が広がるが、その不快感を解消しようとしてかえって信念は強化される。この逆説的現象を誰が嗤えるだろう。これこそ私たちの現実。ワクチン陰謀論者となった湖都も、軍国の教師だった不三子の母も、いつかすれ違った人。よい食事が幸せを招くと信じるのも、ネット情報に右往左往するのも、そうすることでしか他者と繋がれない私たちの姿。『しかたがなかったじゃないか。何がただしいかなんて、みんな知らなかったんだから』。不三子の言葉に慰められるのは、母の死にもがき苦しむ飛馬だけではない」と述べます。



2024年5月現在、コロナという大きな禍は終息しつつあります。しかし、わたしたちの未来はけっして明るくなってはいません。戦争はまだ続いているし、南海トラフ地震がいつ発生するかもわかりません。ブログ『私が見た未来 完全版』で紹介した「2025年に日本が大災害に襲われる」「2035年に人類は滅亡する」といった不気味な予言も話題になっています。人類滅亡のとき、一握りのセレブだけがロケットに乗って地球を脱出するのでしょうか? 最後に、「ノストラダムスの大予言」ブームのときや、オウム真理教が社会問題になったとき、「日本は経済的には豊かになったけれども、日本人の精神は満たされていない」といった発言が至るところでありました。しかし、あの頃、世界2位だった日本のGDPも現在では4位に落ち、さらには超円安で日本経済の未来も真っ暗です。大予言に恐怖した「あのとき」以上に「今の方がヤバい」と思うのは、わたしだけではありますまい。

 

 

2024年5月6日  一条真也

 

一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「禅」です。



ドラッカーが言うように、マネジメントとは、何よりも人に関わるものです。その最大のポイントは人の心がわかることにつきますが、他人の気持ちを理解することに関して、人類史上で最も優れていたのは我が国の武家政権ではないでしょうか。徳川家康儒学を重んじてからは、武士たちの心には儒教的世界が広がりましたが、それ以前は、何と言っても禅の影響が大きいです。



禅は、鎌倉時代の末期に栄西が宋から日本に伝えたものです。以来、室町、戦国、江戸、明治維新と、禅は武家社会に大きな影響を与えてきました。そして特定の禅僧と武士とのあいだに師弟関係なるものができて、武士の軍略や治世、生き方を決定づけることになったのです。



代表的な例としては、源実朝栄西北条泰時明恵北条時頼と普寧・道元・聖一、北条時宗と無学祖元、楠正成と明極楚俊、足利尊氏夢窓疎石武田信玄と快川紹喜、上杉謙信益翁宗謙、伊達正宗と東嶽、前田利家と大透などが挙げられます。江戸時代になると宮本武蔵柳生但馬守と沢庵の関係が有名ですが、盤珪、鈴木正三、白隠、東嶺なども武家社会から多大の尊崇を受けました。

 

 

武士がこれら禅僧を慕って教えを乞うたわけです。さらに幕末から明治維新にかけては、西郷隆盛勝海舟山岡鉄舟など回天の役割をした武士も禅を究めました。武士は禅僧から何を学んだのでしょうか。人には、「いったい何のために生きているのか」と、ふと感じるときがあります。禅は、言葉でそれに答えることはありません。しかし、内なる「智恵」を導き出してくれます。

 

 

現代の禅僧を代表する玄侑宗久氏は、著書禅的生活で述べます。たった今あなたが息をしている瞬間こそ、すべての可能性を含んだ偉大なる瞬間である。日常のなかでこそ「お悟り」で得られた「絶対的一者」が活かされなくてはならない。過去の自分はすべて今という瞬間に展かれている。そして未来に何の貸しもない。そのことを心底胎にすえて生きれば、いつどこで死んでもいいという覚悟にもなる。「人間、到る処青山あり」の青山は、「死んでもいいと思える場所」のことだ。決して青山墓地のことではないのである、と。



鎌倉以降、武士たちの心をとらえた禅の魅力は、おそらくこの辺りにあるのでしょう。そして、それは現代のリーダーとて同じことだろう。わたしは、超売れっ子作家でもある玄侑氏に自著の文庫版の解説を書いていただいた御縁があり、氏の禅に関する著書を繰り返し読んで、少しでも禅の心を知りたいと思っています。その玄侑氏とは今月29日に対談する予定です。なお、「禅」については、龍馬とカエサル(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2024年5月6日  一条真也

 

 

一条真也です。たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「詩」です。この場合の「詩」とは、いわゆるポエムではなく、短歌や俳句のことです。

鳴かぬなら われが鳴こうか ほととぎす

 

わたしは、朝礼や会議あるいは式典などで自作の短歌や俳句を披露します。たとえば俳句では、有名なほととぎすの句にちなみ、信長は「殺してしまえ」、秀吉は「鳴かせてみよう」、家康は「鳴くまで待とう」とその性格を表現され、これにちなんで松下幸之助「鳴かぬなら それもまたよし ほととぎす」と詠みました。さらには、サービス精神やホスピタリティ・マインドの重要性を込めて、「鳴かぬなら われが鳴こうか ほととぎす」と社員の前で披露しました。


総合朝礼で道歌を披露

 

しかし、俳句よりも圧倒的に短歌を詠みます。かつて、新興のハウスウエディング施設と激戦を繰り広げていた松柏園ホテルの朝礼では、「松柏」が論語に由来する不易の常緑樹であることを説明した後、 「ハウスなど 流行り廃れの根無し草 松と柏は常に青々」と詠みました。セレモニーホールの紫雲閣グループの会議に際しては、「紫雲」が人の臨終の際に迎えに来るという仏が乗る紫色の雲であることを説明し、司馬遼太郎の名作坂の上の雲にかけて、「坂のぼる 上に仰ぐは白い雲 旅の終わりは紫の雲」と詠みました。


新年祝賀式典で道歌を披露

 

500人以上もの社員を集めて行う新年祝賀式典や創立記念式典などでは、サンレーという社名の由来とミッションなどについて、「陽の光 むすびの心 そして礼 三つの力 秘めしサンレー 」「万人に等しく光降り注ぐ 天に太陽 地にはサンレー 」と詠みました。最初は、警戒まではしないにしろ、「また、社長が変なことをはじめたぞ」ぐらいにしか思っていなかった社員たちも、しばらくすると「新作はまだですか?」とか「サラリーマン川柳ならぬプレジデント短歌ですね!」などと言ってくれ、楽しみにしていてくれるようになりました。長々と社長訓示をするよりも、短い言葉の中にメッセージを凝縮して入れ込んであるので、みんながそれを楽しんでくれることは大変ありがたいです。経営者の最たる仕事とは、経営理念や経営方針などのメッセージを社員に伝えることだからです。

 

 

戦国史研究の第一人者である静岡大学教授の小和田哲男氏によれば、和歌や連歌は戦国武将たちの教養として欠くべからざるものであったといいます。加藤清正などは、武士があまりに和歌・連歌に熱中してしまうと、本業である「武」の方がおろそかになってしまうことを警戒していたぐらいでした。北条早雲などは、「歌道を心得ていれば、常の出言に慎みがある」と述べています。歌は五・七・五・七・七の三十一文字、連歌は五・七・五の上の句と、七・七の下の句の連続で、いずれにしても、きわめて短い言葉で自分の思いを表現しなければなりません。早雲は、そうした鍛錬が、日常、何気ない言葉にもあらわれるとみていました。



歌心のあるなしで、その人の品格のあるなしがわかり、また、情のあるなしもそこに反映されるという考え方は昔からありました。徳川家康は何人かの家臣たちと雑談していて、話が源義経のことにおよんだとき、「源義経は生まれつきの大将ではあるが、歌学のなかったことが大きな失敗だった」と言い出しました。家臣たちは、「義経に歌道がなかったというのは聞いておりません」と家康に言うと、家康は、「義経は、“雲はみなはらひ果たる秋風を松に残して月を見るかな”という古歌の心を知らなかった。そのために身を滅ぼした。平家を少しは残すべきだったのだ」と答えたといいます。



家康は自分で詩作をするのは苦手だったようですが、よく勉強はしていたと思われます。そして、古歌をただ教養として学んでいたのではなく、自身の生活態度、さらに政治・軍事にも応用していたことがわかります。家康にとって歌学は、生きた学問だったわけです。また、連歌の場合はもう一つの意味があり、「出陣連歌」といって、合戦の前に連歌会を開き、詠んだ歌を神社に奉納し、戦勝祈願をするためにも必要でした。「連歌を奉納して出陣すれば、その戦いに勝つことができる」との信仰があったのです。



連歌ではありませんが、かつて大分県宇佐市宇佐紫雲閣をオープンしたとき、わたしは、「宇佐の地の よき人々の旅立ちに 魂を送らん 紫雲閣より」という歌を詠み、宇佐神宮に奉納しました。連歌の場合は連衆といって、何人かが車座になって上の句と下の句をつなげていくわけで、明らかに「輪」の文化です。「輪」は「和」に通じ、家臣団の意思統一につながっています。そして、それは、和歌・茶の湯についても同様でした。



わたしに触発されたのかどうかは知りませんが、わが社にも歌を詠む社員がだんだん増えてきたようで、いつか社員のみんなと車座になって連歌会を開くのが、わたしの夢です。もちろん、そこではわが社の「志」を詠みたいです。古来、中国でも日本でも詩歌とは志を詠むものとされました。新時代の建設に向けて青雲の志を抱いていた幕末の志士たちも、驚くほど多くの歌を残しています。病身の高杉晋作幕府軍の象徴であった小倉城をついに陥落させた後で下関に戻り、一首詠もうと筆を取ったが何も浮かばず、「志を果たせば、すなわち詩というものは不要なのであろう」とつぶやいたといいます。


これからも歌を詠み続けます!

 

わたしはこれからも、社長として、わが社の志をさまざまな歌にして、社員のみんなに伝えたいと思います。何しろ、歌を詠むのは原価がゼロですから、これで少しでもみんながやる気になってくれれば、こんなに優れたコスト・パフォーマンスはありません。なお、「詩」については、孔子とドラッカー 新装版(三五館)に書きました。

 

 

2024年5月6日  一条真也

唐十郎、死す!

一条真也です。
4日、唐十郎さんが急性硬膜下血腫のため東京都内の病院で亡くなりました。84歳でした。「泥人魚」「ベンガルの虎」などテント劇場で時代を挑発し日本の演劇界をリードした劇作家、演出家、俳優で文化功労者です。わたしにとって、三島由紀夫澁澤龍彦寺山修司と同じ昭和の香りがする文化人でした。心よりお悔やみを申し上げます。


ヤフーニュースより

 

故人は、東京生まれ。下町で育ちました。
明治大文学部で演劇学を専攻。卒業後、劇団「状況劇場」を結成。前衛舞踏家の土方巽の影響を受けて既存の演劇公演に反発し、1967年に東京・新宿の花園神社に初めて紅テントを仮設し、独自のスタイルで公演を始めました。70年、「少女仮面」で岸田國士戯曲賞。都会のノイズを皮膜一枚で隔てた空間に現出させる詩的で猥雑な劇世界は熱狂的な人気を集め、日本の演劇界を変革したアングラ小劇場運動を先導しました。



2003年に長崎県諫早湾干拓問題を題材に「泥人魚」を発表、読売文学賞戯曲・シナリオ賞、鶴屋南北戯曲賞などを受賞。12年に自宅前で転倒し頭部を負傷するまで新作を発表、演出と役者を務めました。小説家としては1983年に「佐川君からの手紙」で芥川賞を受賞。97年から2005年まで横浜国立大教授。06年には読売演劇大賞芸術栄誉賞を贈られました。


わたしは、中学時代に故人の著書である『吸血姫』の角川文庫版を読んだことがあります。その刺激的なタイトルに惹かれ、恐ろしい怪奇小説を期待していたのに中身は戯曲だったので、なんだか肩透かしを喰ったような思い出があります。わたしが唐十郎の名前を心に強く刻んだのは、円谷プロ怪奇大作戦(1968年~69年)に続いて製作した、本格オムニバスホラーの大人向け1時間ドラマの「アンバランス」でした。フジテレビ系列で1973年1月8日から4月2日まで毎週月曜日23:15 ―翌00:10(JST)に放送され、全13話でした。その第4話「仮面の墓場」唐十郎が出演したのです。


ウルトラQ(1966年)の企画時のタイトルだった「アンバランス」を冠したこのドラマシリーズは、円谷プロにとって原点回帰の意味も込められていました。「怪奇大作戦」では科学技術に内包する暗黒とそれを利用する犯罪者の恐怖が描かれましたが、本作品では日常や常識のバランスが崩れた不可解で理不尽な恐怖が題材とされました。「仮面の墓場」は劇団の物語で、公演準備中、劇団員が転落。死亡したと思い込んだ座長の犬尾(唐十郎)は事実をもみ消すため、死体ボイラー室で焼却しようとしますが、点火の瞬間、死体から叫び声が響きます。その日から、彼らは怪事件に巻き込まれて行くのでした。


また、唐十郎といえば、ブログ「夜叉ヶ池」で紹介した日本映画を思い出します。1979年に公開された篠田正浩監督作で、泉鏡花が夜叉ヶ池の竜神伝説を元に書いた戯曲の映画化で、歌舞伎役者の坂東玉三郎が初めて出演した映画でもあります。この映画には金田龍之介が演じる悪い代議士が登場するのですが、彼が雇った侠客を唐十郎が演じています。わたしはこの映画の大ファンですが、権利の問題から今までビデオ化もされず、テレビ放映もほとんど叶わなかった幻の作品です。アメリカの会社が版権を取得したことによって、2022年8月に42年ぶりにブルーレイ化されました。狂喜したわたしは、何度も観ました。


「夜叉ヶ池」で侠客を演じた唐十郎

 

唐十郎状況劇場金田龍之介は青猫座、重要な登場人物を演じた山﨑勉は文学座加藤剛俳優座の出身ですが、とにかく、歌舞伎からアングラ演劇まで、映画「夜叉ヶ池」には日本演劇界の精鋭が総結集している観があります。その中でも、唐十郎の存在感は大きく、背後の手下どもに「たたんじまえ」と言い放つ姿はド迫力でした。状況劇場時代の故人は知りませんが、「仮面の墓場」と「夜叉ヶ池」での演技が今もわたしの脳裏に強烈に残っています。故人の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。



2024年5月5日  一条真也

ムーンウォッチ

一条真也です。
5月5日は「こどもの日」ですね。
わたしが6歳のときに忘れられない出来事がありました。1969年7月16日、アメリカの宇宙船アポロ11号がフロリダ州ケネディ宇宙センターから打ち上げられました。そして、20日に月面着陸を果たしたのです。


それは人類が初めて月に降り立ち、月の石を地球に持ち帰ることに成功した歴史に残る大プロジェクトの始まりでした。宇宙船に乗り込んだのは、ニール・アームストロング船長と、月着陸船の操縦士バズ・オルドリン、司令船操縦士のマイケル・コリンズの3人です。アームストロング船長は後に、「人類で初めて月面に降り立った人物」として歴史に名前を刻みます。日米両政府は、米国が主導する有人月探査「アルテミス計画」で、日本人宇宙飛行士2人を月面着陸させることで合意する方針を固めました。日本人の月面着陸は初めてで、実現時期は2028年以降が想定されています。そんな折、1969年のアポロ11号の偉業が改めて思い出されますね。

コスモアイル羽咋」に展示された時計の模型

 

YouTubeで「アポロ11号」「月面着陸」などと検索してみると、「アポロは本当に月に行ったのか?」「人類は本当は月に行っていない!」といったトンデモ動画がたくさんアップされています。月の石をはじめとする数々の証拠から、アポロ11号が月面着陸したのは紛れもない事実です。当時のアポロ計画には約40万人もの人々が関わっており、彼ら全員を情報隠蔽の共犯にすることは不可能です。ブログ「コスモアイル羽咋」で紹介したように、2014年8月31日に石川県羽咋市の宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」を訪れましたが、その宇宙科学展示室にはオメガの腕時計の巨大模型が展示されていました。


そう、アポロ11号が月面着陸したとき、宇宙飛行士たちが使った腕時計は、オメガの「スピードマスター ムーンウォッチ」です。地球上のみならず宇宙飛行においても歴史を刻んだ「スピードマスター ムーンウォッチ」はウォッチメイキングの世界を象徴する真のアイコンです。この伝説なクロノグラフが、歴史ある自らのデザインに着想を得て、新たにアップデートされました。先日、わたしは那覇のショップで購入しました。


じつは、わたしは四半世紀前にオメガのスピードマスターを入手し、愛用していたのですが、完全な「スピードマスター ムーンウォッチ」ではありませんでした。今回求めたものは、ステンレススティール製のアシンメトリーな42㎜ケースを特徴で、アポロ11号の宇宙飛行士が人類史上初めて月面着陸した際に着用していたクラシックな第4世代のスタイルを採用しています。「この時計を着けて、彼らは月に立ったのか!」と思うと、感慨もひとしおです。


重厚な箱入りです


ついに月面着陸モデルを入手!

 

現在、超円安です。なので、オメガの時計を買うのに少しだけ迷いましたが、なかなか市場に出ないレアな商品なので、見つけた瞬間に購入を決めました。昨年5月10日に還暦を迎えたとき、「還暦記念に何か時計を買おうかな」と思っていたのと、月をテーマにしたロマンティック・デスオリーブの木)を三度世に送り出したので、その記念にもなると思いました。月の腕時計といえば、ゼニスのムーンフェイズも愛用しています。ムーンウォッチ&ムーンフェイズを着けて、夜空の月を見上げたいです。

ロマンティック・デス』とムーンウォッチ


ムーンウォッチ&ムーンフェイズ

 

2024年5月5日  一条真也

こどもの日はキングコング!

一条真也です。
5月5日は、「こどもの日」です。
端午の節句」でもあります。拙著決定版 年中行事入門(PHP研究所)に詳しく書きましたが、男の子のお祭りと思われている「端午の節句」は、もともと女の子のお祭りでした。田植えが始まる前に早乙女と呼ばれる若い娘が「五月忌み」という田の神のために仮小屋や神社などにこもりケガレを祓い清めたのが始まりです。すなわち、田の神に対する女性のお清めの日でした。

決定版 年中行事入門』(PHP研究所)

 

男の子の行事に変わったのは平安時代からです。端午の節句で使われる菖蒲が「尚武(武事を尊ぶこと)」や「勝負」に通じるということで、男の子が菖蒲でつくった兜で遊ぶようになり徐々に変化していったものです。江戸時代になると、五節供の1つの「端午節供」に定められ、武者人形を家で飾るようになりました。また、中国の「竜門を登って鯉が龍になった」という故事から鯉のぼりを立てるようになり、粽(ちまき)と柏餅を食べるようにもなります。雛人形と同じく、五月人形の販売促進の色彩が近年強くなってきましたが、少子化の現在、子供に関する年中行事をもっと普及させることが求められます。

f:id:shins2m:20210504105304j:plain「こどもの日」は「こどもに戻る日」 

 

さて、わたしにとっての「こどもの日」は「こどもに戻る日」です。毎年、この日には童心を思い起こすようにしています。そのために、昭和の少年時代にタイムスリップすることができる本を読みます。

f:id:shins2m:20210504105359j:plain「こども日」に読んできた本

 

たとえば、ここ数年の「こどもの日」にはブログ『昭和ちびっこ未来画報』ブログ『ぼくらの昭和オカルト大百科』ブログ「今年の『こどもの日』は『怪獣の日』だった!」ブログ『昭和ちびっこ怪奇画報』ブログ『タケダアワーの時代』ブログ『日本昭和トンデモ児童書大全』で紹介した本、を取り上げました。

f:id:shins2m:20210504011418j:plain2020年の「こどもの日」に読んだ本

 

2020年は、ブログ「昭和のこどもの本と映画」で紹介した『昭和こども図書館』と『昭和こどもゴールデン映画劇場』(ともに大空出版)を取り上げました。ともに、「こどもの日」に読もうと思って楽しみに取っておいた本でした。2冊とも1960~70年代のキッズカルチャーの研究家である初見健一氏の著書です。わたしは初見氏の本の大ファンで、そのほとんどを読んでいますが。初見氏は1967年生まれで、わたしの4歳下ですが、いわゆる同世代だと言えます。ですから、この2冊に登場する本や映画も懐かしいものばかりでした。

f:id:shins2m:20210505001532j:plain愛の戦士レインボーマン」の全話DVD 

 

2021年の「こどもの日」は、ブログ「『こどもの日』はレインボーマン!」に書いたように、特撮ドラマのカルト作品「愛の戦士レインボーマン」のDVDを観ました。東宝製作の特撮テレビ番組で、原作は川内康範です。1972年(昭和47年)10月6日から1973年(昭和48年)9月28日までNET(現・テレビ朝日)系で毎週金曜日の19:30から20:00に全52話が放送されました。インドの山奥でダイバダッダからヨガの秘術を学んだレインボーマンが、ミスターK率いる死ね死ね団に立ち向かう物語ですが、当時小学生だったわたしは想像を絶するほど大きなインパクトを受けました。その全話のDVDを数年前に購入していたのですが、「いつか、こどもの日にでも観たいな」と楽しみにしていたのです。


わが家の「円谷プロ」DVDコーナー

 

そして、昨年2022年の「こどもの日」はウルトラマンでした。戦後日本最大のヒーロー「ウルトラマン」は、1966年7月17日放送の第1話「ウルトラ作戦第一号」でブラウン管にその姿を現しました。銀色に輝く巨大宇宙人という前代未聞のアイディアにたどり着くまで、金城哲夫をはじめスタッフは文字通り産みの苦しみを味わったといいます。そして誕生したヒーローの物語は、才能溢れる若者達の情熱によって、驚くべき発展を遂げていくのでした。わが家の映像ルームには、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」のDVDーBOXをはじめ、円谷プロの特撮ドラマのDVDがほとんど全作品揃っています。


この日に眺めたウルトラ本たち

昨年の「こどもの日」は、ブログ『「ウルトラQ」の誕生』ブログ『「ウルトラマン」の飛翔』ブログ『「ウルトラセブン」の帰還』ブログ『「怪奇大作戦」の挑戦』で紹介した映画評論家の白石雅彦氏の一連の著書を再読というか眺め直し、それぞれの特撮ドラマの素晴らしさを思い出しました。さらには、買い置きしていた『「少年マガジン」「ぼくら」オリジナル復刻版 ウルトラマン画報』(講談社)のページも繰りました。


「昭和40年男」2022年4月号増刊より

 

それだけではありません。これまた買い置きしていた「昭和40年男」総集編4月号増刊を読みました。本誌の特集記事は「俺たちが愛した昭和ヒーロー」ですが、昭和2大ヒーローとして、ウルトラマン仮面ライダーが取り上げられています。そのリード文には、「昭和の2大ヒーローと名づけても異論あるまい。どれだけ俺たちを興奮させたか。どれだけ俺たちに勇気をくれたか。日本中の子供たちにこれほどまでに愛されたヒーローは、未来永劫出現しないだろう。その熱狂の瞬間に、ガキとして立ち会えたことを幸福と言わずしてなんと言おうか。ありがとうウルトラマン。ありがとう仮面ライダー」と書かれていますが、涙が出るような名文ですね!



その昭和の2大ヒーローであるウルトラマン仮面ライダーは、ブログ「シン・ウルトラマン」ブログ「シン・仮面ライダー」で紹介した映画で令和のスクリーンに蘇りました。「シン・仮面ライダー」は2023年3月17日、全国最速公開記念舞台挨拶のLIVE映像付き上映が行われ、わたしも鑑賞しました。この作品は、1971年から1973年にかけて放送された石ノ森章太郎原作の「仮面ライダー」50周年プロジェクトとして、庵野秀明が監督を務めた特撮アクションです。仮面ライダーこと本郷猛を池松壮亮、ヒロインの緑川ルリ子を浜辺美波仮面ライダー第2号こと一文字隼人を柄本佑が演じ、西野七瀬塚本晋也森山未來などが共演しました。



一昨年はウルトラマン、昨年は仮面ライダーに夢中だった「こどもの日」ですが、今年はなんといってもキングコングです! ブログ「ゴジラ×コング 新たなる帝国」で紹介した世界的大ヒット映画を公開初日の4月26日に沖縄のIMAXで鑑賞しましたが、そのときの興奮がまだ冷めません。ブログ「ゴジラvsコング」で紹介した怪獣映画の続編です。巨大生物の調査研究を行う未確認生物特務機関「モナーク」が、異常なシグナルを察知する。モナークが警戒を強める中、かつて激闘を繰り広げたゴジラキングコングが現れ、再び戦いを繰り広げます。さらにゴジラキングコングそれぞれがテリトリーにする地上世界と地下空洞の世界が交錯し、新たな脅威が出現するのでした。


わたしは、こどもの頃、キングコングが大好きでした。というのも、幼少時代にテレビでアニメ版「キングコングを観ていたからです。主題歌は今でも歌えます。この作品は1967年の放送ですから、わたしが4歳のときです。欧米のヴィデオクラフトと日本の東映アニメーション(当時は東映動画)も製作ですが、本格的に米日共同で作られた初のアニメでもあります。南海の島で平和に暮らしていた巨大なゴリラのキングコング。しかし世界征服を企む天才科学者ドクターフーが、コングの悪用を目論む。コングを生け捕りにせんと躍起になるドクターフーに対し、コングは親友である人間の少年ボビーとともに果敢に挑戦するのでした。本作の放送は特殊で、30分枠の中で10分アニメを3作放映。そのうちの最初と最後が「キングコング」で、真ん中に別のアニメ親指トムを挟む形で全26週(全52話)オンエアされました。


ブログ「グリーフをエンタメに変える映画の馬鹿力」に書いたように、コング映画の第1作であるキング・コング(1933年)には、当時のアメリカ人の差別感情が明確に表れていました。コングは明らかに「黒人奴隷」のメタファーであり、それを「黒人」から「怪物」に置き換えて作られた映画であると言われていました。まず、コングが棲息するスカルアイランドの現地民がいかにも「未開の」「土人」という描き方をされています。また、コングが白人たちによって狩り出され、鎖で縛られて白人の文明の地に連れて行かれ、コミュニケーションが取れないまま、抵抗した挙げ句に殺害されるという不条理な物語は、黒人奴隷の姿そのものだと言えるでしょう。映画「キング・コング」の中に、見世物にされたコングを見物にきた白人が 「ゴリラなら街中にもいる」と言うシーンがあるのですが、これはまさに黒人のことを言っています。現在では信じられないような差別発言ですが、当時の白人の大部分の感覚だったのでしょう。


今年の「こどもの日」はコング映画を!

 

未開の土地から文明都市に連れてこられるコングの悲劇は、明らかに黒人の歴史と被ります。しかしながら、初代コングに差別感情が反映されているとしても、最新作の「ゴジラ×コング 新たなる帝国」ではコングは地球の守護神として描かれています。地上最高のヒーローと言っても過言ではありません。ここには、明らかにアメリカ社会の意識変化が見られると言えるでしょう。というわけで、2024年の「こどもの日」は、4歳の頃から大好きだったキングコングの映画をブルーレイやDVDで観ながら過ごしたいと思います。あと5日で61歳になる還暦オヤジですが、いくつになってもキングコングのことを考えただけで、こども心が甦ってくるのであります!

 

2024年5月5日  一条真也