今時の「いじめ」の酷さには言葉を失う。 「いじめ」られた側が、「死ぬまで許さん」といっても納得いくような惨たらしさがある。 昭和の人間は、「いじめ」といっても、逃げ道を残した喧嘩としか考えられない。 「それはやりすぎだ」とガキ大将が止めるもんだ、と聞いていた。 今は、肉体はおろか精神まで破戒せずにはおかないという「いじめ」。 被害者に与えたダメージの深さが、加害者側に「立ち直り」を許さない、許せないという思いになり、感情の負の連鎖となっている。どちらも救われない。 と、昭和生まれは考える。 日本の教育はどうなってしまったのか?、子どもたちの未来はあるのか?と思ってしまう。 勉学に、スポーツに励…