1902年(明治35年)〜1979年(昭和54年)。小説家・詩人。福井県出身で、金沢市の旧制第四高校(現在の金沢大学の前身)に在学中、室生犀星の薫陶を受ける。 もともとは抒情的な作風で知られていたが、プロレタリア文学に傾倒するにつれ、痛烈な諷刺作品が増える。日本共産党の党員だったが、諸事情があって除名処分となる。 amazon:中野重治
昨日に引き続きで編集工房ノア「海鳴り」37号から話題をいただくことにです。 この号には、散文だけでも8本ほど掲載されていますので、一日一本話題にしま したら一週間くらいは続けることができそうであります。 本日は、この中から定道明さんの「沓掛山荘訪問記」を読んで見ることにです。 ノア「海鳴り」の読者の方は、年齢が高いと思われますので、「沓掛山荘」とある のを目にしましたら、これは中野重治さんの夏の家を訪ねる話であるなとおわかり になる人もいるのでしょう。 中野重治さんを尊敬をもって読んでいた人たちは、すくなくとも80代になって いるはずでありますが、これを書かれた定さんは1940年生まれとありま…
今月の中公文庫新刊「中央線随筆傑作選」に収録された小沢信男さんの「新 宿駅構内時計のこと」を読んでいましたら、当然のながら、そこで話題になっている 中野重治さんの「空想家とシナリオ」を手にすることです。 小沢さんは、この小説のことを次のように書いています。 「この作品を、私はそのご何遍も読みかえしている。その感銘は、だから、中学生 当時のものではないだろう。そもそもこの作品にはべつに事件の展開はない。 区役所戸籍係の三十男の主人公が、『本と人生』というシナリオを書くべく、折に つけ事にふれてはくだくだと考える。こんな地味な小説を、中学生の分際で果たし て読み切れたものだろうか。」 小沢さんは、…
今日もおつかれさま。 今日は中野重治の『歌』を贈ります。 おまえは歌うな おまえは赤ままの花やとんぼの羽を歌うな 風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな すべてのひよわなもの すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ もつぱら正直のところを 腹の足しになるところを 胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え たたかれることによって弾(は)ねかえる歌を 恥辱の底から勇気を汲みとる歌を それらの歌々を 咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ それらの歌々を 行く行く人びとの胸郭にたたきこめ 歌はなにもカラオケで歌うものだけはありません。 会話の言葉も、ひとりごつ言葉も、書き殴る言葉も、私から生まれる…
永山正昭『と いう人びと』(西田書店、1987)。こういう本は、けっして古書肆に出したりはしない。 著者は海員組合でひと苦労したあと、「しんぶん赤旗」の編集部員だった。労働組合運動隆盛の戦後期にあってさえ、ひときわ激しかったとされる船員組合の逸話は、現在となっては伝説だろうが、その時代を知る著者である。 が、本書は労働組合運動史でも日本共産党史でもない。折おりに接した先輩知友の人柄を偲ばせる逸話集にして、人物回想録である。十名を超える人びとの横顔が回想されてあるが、労働運動や党活動のなかで接した人だろうから、私ごときが名を知る人はほとんどない。中野重治と広津和郎くらいのもんだ。 七曲り八曲りあ…
未練なく諦めがつく本と、うしろ髪引かれる本とがある。文学的評価とは関係ない。内容の稀少度(いわば文化的価値)とも市場価格とも関係ない。 『中野重治全集』第七巻第八巻を古書肆に出す。巨篇『甲乙丙丁』収録巻だ。もともとそのつど個別買いした不揃い全集だから、ばらしてしまうに躊躇はない。 『甲乙丙丁』は、かつて渦中に身を置いた文豪による、日本共産党初期運動の動かしがたき裏面証言である。あくまでも小説ではあるが、今日では後進の研究によって、おびただしい数にのぼる登場人物たちのモデルがそれぞれ実在した誰であるか、「作中人物とモデルの対照一覧表」まで出ている。かつて挑んで、早そうに挫折した。基礎知識貧弱な私…
『斎藤茂吉全集』全36巻(岩波書店、1973 - 76)。 宇野浩二の神経衰弱がひどくなって、だれの眼にも療養が必要と瞭かになったとき、夫人から相談された広津和郎はまずもって、青山脳病院の斎藤茂吉院長に往診を依頼した。他の往診先の帰途、こころよく立寄ってくれた茂吉は宇野を丁寧に診察してくれたが、その場のもようを広津和郎は後年『あの時代』に書き留めている。 「夜は、ゆっくり眠れますかな?」 「はい。二時間も眠れば十分です。またいくらでも、仕事ができます」 「それはよろしいですなぁ」 病状を認めたくない強気の宇野をあやすように、茂吉は丁重な口調で問診したという。診察後、別室で広津は茂吉に今後の養生…
先日に放送があった「そして、水色の家は残った」というBSの番組ですが、 再放送のときに録画をして、気になっているところを見返すことになりです。 この番組は、世田谷区で一番古い洋館ということになっている建物は、誰に よって建てられ、どのような人が住まって、これからはどうなるのかというこ とで番組作りがされていました。 当方は、まったく知らない世界ですが、人気漫画家の山下和美さんという方 が声をあげて、この建物の保存団体を作って活動をしているとのことです。 この山下さんの作品が、広くこの洋館を世の中に知らせることになったよう です。 世田谷イチ古い洋館の家主になる 1 (ヤングジャンプコミックスD…
田端は坂の多い町です。 大正3年、田端に越してきたばかりの、当時まだ東京帝国大学の学生であった芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)が、友人の井川恭に宛てた手紙(大正3.11.30)で、 「たゞ厄介なのは田端の停車場へゆくのに可成急な坂がある事だ それが柳町の坂位長くつて路幅があの半分位しかない だから雨のふるときは足駄で下りるのは大分難渋だ そこで雨のふるときは一寸学校が休みたくなる」 と書いて送るほど。 (一高時代の芥川龍之介) 芥川が田端に引っ越してきた頃の田端駅は、けっこう長い間工事中で、現在の田端駅の場所とは違うところ(現在の田端駅より北西、京浜東北線と山手線が分岐…
〈転向の定義〉鶴見俊輔 『村の家』成立の時代情勢① 『村の家』の内容 知識人と日本の民衆 社会主義運動からの獄中転向 父孫蔵との相克 知識人と日本の民衆 社会主義運動からの獄中転向 父孫蔵との相克 『村の家』成立の時代情勢② 「罠」とは何か 父子にとっての「筆」 同じく彼らにとっての「恥」 その「罠」とは何か 〈転向〉する知識人 私小説『村の家』 〈転向の定義〉鶴見俊輔 鶴見俊輔は〈転向〉を「権力によって強制されたためにおこる思想の変化」*1と定義している。これだけ見ると、「権力」と「強制」にアクセントがつきすぎていて、じっさいには自らすすんで、という自発性とうしろ暗さ、それから節を変えたとい…
詩を愛するいち読者として中野の詩集を買い求めた。 楽天から届いてみると、一括重版の帯が。 そうか、今まで品薄だったのか。 令和3年現在、中野はあまり読まれていない(ように思う)。彼の政治思想が新規読者獲得の妨げになっているのかもしれないし、そうではない理由で遠巻きにされているのかもしれない。 言葉の贅肉を削りとった文体を読むことは蒸留酒を生でやることに似ていて、わたしにとって中野は代わりのきかぬ文豪である。