沖縄諸島の南西方、中国大陸の福建地方の東方に位置する島。台湾本島および付属島嶼を含む。行政単位としての台湾省は澎湖群島も含む。現地表記は「台灣」(日本統治時代は「臺灣」)。
1911年に清国を打倒し、1912年に中華民国を建国した国民党政権が、共産党との戦争で南京から追われ、第二次大戦後に日本が去った後の台湾に乗り移り、今に至る。
中華人民共和国政府(北京)、中華民国政府(台北)とも、自身を大陸と台湾を含む全中国を代表する政権であると主張している(「一つの中国」論)。過去には若干の武力衝突もあったが、60年近くにわたり台湾海峡をはさんだ均衡状態が続いている。ただし両政権とも現実に2つの政権が存在することを否定しているわけではない。諸外国も外交関係上「一つの中国」の考え方を追認しており、その建前に基づき、一方と国交関係を持つ場合は、他方とは断交することになる。多くの国は北京政府と外交関係を結んでいるが、一部、台湾と外交関係を有する国もある。
台湾では台湾と大陸とを一つの国とは考えず、「一つの中国」論を捨てて独立し、諸外国と正常な外交関係を築くべきであるとする主張も支持を集めているが、これは将来の統一の可能性を否定するものであるため北京政府は強硬に反対しており、台北政府が正式に独立を指向した場合は武力によりこれを阻止すると脅迫している。
国民党が南京から台北に移るとともに大陸から渡来した人々を「外省人」と呼ぶ。それ以前から台湾島に移住した華僑を「本省人」(内省人)と呼ぶ。以上はどちらも漢民族である。
これとは他に南方系と思われる先住民族が住んでいる。平野部に居た先住民族は華僑と混交して、現在はほとんど残っていない。山岳地帯にはまだ多くの先住民族が残っている。*8
戦争後から20世紀末まで、本省人と外省人の衝突はよく発生してきた。
現在では、独立派・現状維持派・中国と統一派*9などの間で、政治的な対立が続いている。国内では、現状維持派と独立派の支持者はほぼ同じくらいの人数だが、日本では独立派の運動が比較的に盛ん。台湾を正式名称にしようという運動が(独立派の)国家国民レベルで広がっている。
統治時代の名残として、「オジサン」「オバサン」「ウンチャン(タクシー等の運転手)」等、多少なまってはいるが日本語の語彙が日常会話に溶け込んでいたりする。
南北を貫く山脈が島全体の三分の二を覆っている。平野部は肥沃な土地で水田が多く、人口も密集している。
鄭成功 下関講和条約 中華民国 中国 中華人民共和国
牡丹社事件 霧社事件 台湾民主国
台湾語 台湾料理
http://www.wufi.org.tw/jpn/jng13.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9B%BD (中華民国:政治情報)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE (台湾:地域情報)
※「台湾」は、日本の外務省による国名表記
*1:中国語で「先住民」とは既に滅んだ民族を指す単語のため、台湾では「原住民」と呼ばれる。
*2:福ロウ・客家の2つの「族群」に大別される(ロウはにんべんに老)。
*3:従って「台湾は中国の不可分の領土」という中華人民共和国政府の主張は誤りである。
*4:但し領有権放棄の国際法的確定は1951年のサンフランシスコ平和条約に伴うもの。
*5:但し現行憲法は今も南京を中華民国の正式な首都と定めている。
*6:3950〜3997メートルの諸説あり。ちなみに日本統治時代の名称は、明治天皇謹製の「新高山(にひたかやま)」である。
*7:太陰太陽暦。法定暦法は太陽暦の中華民国暦だが、実際に農暦の祝日はかなり多い。新暦から見ると、祝日の日付は一定しない。
*8:日本統治期には、山岳地域に暮す彼らを、「高砂族(たかさごぞく)」、平地に暮す彼らを「平埔族(平蒲族)」と呼んでいた。高砂族の日本軍志願兵「高砂義勇隊」の活躍は有名。
*9:独立派が現状維持派を呼ぶ方、実際の統一派は殆ど存在しない。