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東は須磨区、西は明石市、北は西区、南は明石海峡大橋を挟んで淡路市に隣接する。
丘陵地が多く、神戸のベッドタウンとして開発が進められた。
神戸都心より明石都心が近く、市街地も明石市と繋がっていて、神戸市の中心とは途切れている。
また旧国名における摂津国と播磨国の国境も、垂水区と西隣の須磨区との区境で、やはり神戸市の中心とは途切れている。
南は瀬戸内海(明石海峡)に面する。垂水漁港を擁し、海苔といかなごの釘煮が名産である。
奈良時代から平安時代にかけては、明石郡に六郷あるうちの一つが垂水郷で、塩屋・下畑・東垂水・西垂水・東名・西名・滑・中山・奥畑・山田・多聞の、11ヶ村からなっていた。明治22年の町村制実施でこれらの村が合併。名前を中心の村である東垂水・西垂水から取って垂水村にするか、全国的に知名度のあった舞子の浜から取って舞子村にするかでもめたが、結局垂水を採用した。
昭和3年に垂水町となった頃から、阪神間の人たちの別荘が建てられはじめ、神戸市からの転居者が増加。昭和16年7月1日には神戸市(須磨区)に編入された。
戦後、空襲の被害の少なかったこの地域へは転居者が急増。昭和21年には分区して神戸市垂水区となる。昭和23年には明石郡から現在の西区に相当する7ヶ村が垂水区に加わるが、昭和57年には西区として分区。結局は昭和21年の範囲で現在に至る。
垂水区は長く神戸市の中で最も人口の多い区であったが、平成9年頃、ニュータウン開発著しい西区・北区に追い抜かれた。
また高齢化率では概ね全国平均であるものの、人口自体が多いため、神戸市で最も高齢者の多い区となっている。
平日昼間ともなると、駅前でバスを降りる人々はすべからくお年寄りばかりであったりする。
海岸線沿いにJR神戸線(山陽本線)と山陽電鉄が並行して走っている。
国道2号線も並行して走るが、この道は垂水区内で片道一車線となるためよく渋滞する。
内陸部には阪神高速とつながる第二神明道路が東西に走り、明石海峡大橋への入口となる垂水ジャンクション(垂水IC)が口を開いている。
南北の移動は主にバス(山陽電鉄バス・神戸市バス)を使うことになる。
神戸市営地下鉄は垂水区を通っていない。