昨日も書いたが、日常のいかなる瞬間にも、 〝赦している感じ〟が自分の中に流れていて、 知覚が常に〝赦しているモード〟になっている。 なので、 どんな感情が湧いてきても、意識は即座に、 〝もういいや、赦そう〟という方向へ流れてゆく。 意識が神側(背後の実相側)に開いている、 というか〝赦す〟という〝ひとつのこと〟に 許可が出せると、何もかもを赦せている状態に なってしまう、という感じなのだ。 もちろん、生活を送っていれば、 これどうしよう、とか、イラ、ムカ、カチン、 といった感情が普通に出てくるが、 特に、否定するでもなく、見過ごすでもなく、 「ああもういいや、赦そう」となった後に、 安堵の気持…