石原慎太郎は、小説家。政治家。元東京都都知事。芥川賞選考委員。
1932年9月30日、兵庫県神戸市須磨区生まれ。
一橋大学法学部卒業。
俳優の故・石原裕次郎は実弟。
息子に自民党代議士の石原伸晃(長男)と石原宏高(三男)、タレント・気象予報士の石原良純(次男)、画家の石原延啓(四男)。
戸塚ヨットスクールを主宰する戸塚宏氏とも親交が深い。日本を代表する愛国者として尖閣諸島の買い取りを表明した(注:集めたお金はどこに行ったのか?)時はその行動を称賛し、石原都知事がある限り東京都は繁栄し続けるとするマニアックな人もいるようである。
言動ではしばしば不適切発言や批判という記事を載せられる事が多いことから評価自体の振幅が大きい。極右思想の持ち主ではあり、宮澤喜一、小泉純一郎、福田康夫などといった自民党出身の歴代首相を批判することもしばしば見受けられる。
オリンピックの推進
東京マラソンの実施
ディーゼル車排ガス規制
東京都立大学を首都大学東京へ改編
新銀行東京
外形標準課税
横田基地返還
築地市場の移転
トーキョーワンダーサイト
2005年には、「東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例」の都議会決議に基づき、「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の一部改正を行い、都知事はそれを推進した。
「都立復権」をスローガンに大規模な都立改革を実施。学区撤廃や独自入試の導入などにより都立人気が回復し、日比谷高校に代表される都立進学校の実績を伸ばしたとされる。
1932年、神戸市に生まれる。
1955年、一橋大学在学中に小説「太陽の季節」を発表し、翌年第34回「芥川賞」を受賞。
1968年、参議院全国区(当時)に出馬。トップ当選。
1969年、衆議院議員。
1973年、ネッシー探検隊隊長。
1975年、東京都知事選に立候補するも落選。
1976年、衆議院議員。環境庁長官(福田赳夫内閣)。
1987年、運輸大臣(竹下登内閣)。
1989年、ソニーの盛田氏との共著「『NO』といえる日本」が日米両国で話題になる。
1995年、衆議院議員を辞職。
1999年、東京都知事。
2011年4月10日、東京都知事選で10人の候補者を破り4選を確実にした。
2012年10月25日、東京都知事辞職を表明。
2012年10月31日、臨時都議会本会議で全会一致で同意議決され、同日付で正式に退職。たちあがれ日本を解党し、太陽の党を立ち上げたが、日本維新の会に合流し代表となった。橋下徹・松井一郎とのやり取りでは政策の違いが目立つため、食い違いが生じ、訂正を度々要求した。
2012年12月26日、第46回衆議院議員選挙に出馬し数々のメディアに出演。比例東京ブロックで当選を果たし代表を続投。
2014年8月1日、日本維新の会から分党した新党次世代の党を設立し最高顧問に就任。
2014年12月14日、第47回衆議院議員総選挙において比例代表で立候補するも落選。
2014年12月16日、政界引退を表明。
2015年4月29日 、旭日大綬章受章。
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