二月大歌舞伎昼の部を観劇。平日であったせいもあるかもしれないが大入りとは行かず、それでも九分近い入りであったろうか。俗に二・八と云うが、この季節の興行は難しいのであろう。今月は猿若祭と銘打っている。亡き勘三郎の追善と明記されている訳ではないが、その意味合いは濃いと思う。勘三郎が元気であれば、今年古希を迎えているはずであった。息子二人は立派に成長し、今や歌舞伎界の顔となっている。しかし勘三郎が元気であったなら、もっと役者の層に厚みが出ていた事であろう。円熟とは無縁と思われる勘三郎の芸風が、古希になっていたらどう変化していたであろうか。還暦すら迎える事なく早逝した勘三郎。天を恨むしかない。痛恨の極…