* よく支えてくれたが、さらば白鵬
 この一連の事件を哲学の構造主義の切口で断面を捉えると、理解しやすい。
まず構造主義の意味は、【広義には、現代思想から拡張されて、あらゆる現象
に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を 理解し、
場合によっては制御するための方法論を指す語】。
 構造を考えると、『横綱アドバンテージ』『モンゴル力士の日本角界支配』
がキーワードになる。『横綱アドバンテージ』は、以前、私が命名した造語。
立合いの「張手」と、カチ上げ風肘打ち。横綱は使えても、下位力士はタブー
という「決めつけ」。破れば、稽古場に押しかけて、可愛がりの「シゴキ」。
これは、鬼に金棒になる。それを知った貴乃花は、貴乃岩に合同稽古を制限。
 そこで40回優勝のモンゴル人横綱が、二人の舎弟格横綱を誘い、数年前に
追放された先輩横綱朝青龍の追放劇と、人種差別に反発を持った怒りの蓄積
をベースに、その矛先が純粋培養育ちの貴乃花親方に…。その部屋に所属する
モンゴル力士の出席する宴会に、白鵬が二人の舎弟格の横綱を連れて押しかけ、
暴行を加えた。直接、手出しをしなくとも同罪。三人横綱の最盛期が終わった
のは、誰の目にも明らかだが、それを貴乃岩が指摘したという噂が発火点。
この三枚看板のモンゴル人横綱三人の支配下にあるのが大相撲協会
 良くも悪くも、「ポチ」でしかない。
貴乃花親方の判断は何ら傲慢でない。こうもしないと「ポチたち」に阻止され、
ウヤムヤにされるのは、火を見るより明らか。しかし貴乃花も、認識と判断に
自信がない。それは、白鵬も、協会も同じことだが。
 現・理事長は早々に次期理事長の立候補の断念を表明し、『貴乃花理事長』
の立候補支持を表明するのが筋道。本来の古武道の原点に立ち返る時期。
 いずれにしろ、来年早々に鶴竜が。後半から再来年に白鵬は引退だろう。
もう充分、働き貢献をしたし、相撲年齢からして、明らかに限界点に達した。
この辺りが潮時。<発つ鳥、あとを濁さず>。 このままでは、朝青龍
同レベルになってしまう。
 『よく支えてくれていたが、さらば白鵬! 国外への御退出の準備を。』
 若手に、素質のあるのが出てきている。
ー 面白味という側面では、やはり、あと二年は必要ですか、やはり!ー
 と、考えさせるだけ、一流ということ。
ところで、「逸ノ城」を協会上げて、つくり変えられないかい。
「ダメ!」ですか。素材だけでは無理。『横綱アドバンテージ』を自ら
つくれないだろう、あれでは。白や青のように、手前勝手な、
『アドバンテージ』をつくれないでしょう。どだい無理ですか。
 ところで、これって「哲学する」というより、「相撲談義」じゃない?

・・・・・・
3552, 何に出会うかを、成長と呼ぶ
2010年12月16日(木)
「何に出会うかを、成長と呼ぶ」 ある雑誌の新聞広告にあった言葉である。
実際に出会った人、著書を通して出会った人、宗教的啓示で触れた何もの。
大自然の荘厳な景色から受けた感動、絵画や音楽を通して感じた作者・作曲家
の魂など、出会いそのものが成長になる。マイナーの何ものかの出会いは、
マイナー成長ということか。その中で、書物を通して崇高な教えや啓示などの
出会いは、一番身近で誰もが出会う機会になる。最近は、ネットやテレビや
映画などからも多くの出会いが可能になってきた。長年の風雪の中で、これまで
読み継がれてきた古典には、何かがある。その辺から多くのことを学ぶことも
出会いになる。65年間に多くの出会いと別れがあった。自分が経験してきた
蓄積が新たな出会いを呼び込むのである。 最後は自分の「死」の直感という
厄介な何に出会うのだろうが。それも刷り込まれたイメージでしかない。
出会いといえば、感動が伴なった経験である。人はどれだけ、感動、感激に
出会えるかで人生の豊かさが決まってくる。ところで、この出会いに関して、
本当に豊富であった。その蓄積が、さらなる上質な感動の場面を作上げる。
感動した対象に対し我われは何だろうか?と知りたくなる。それが、考える
キッカケになる。もう一つ、出会いの中で、宗教がある。知識を持ってしまった
人間は、いずれは死ぬ運命にあることを身近の人の死を通して知ってしまう。
それは二人称の死で自分の死とは違うと分かっていても、長年かけて、知人の
遺体と焼却を目の当たりにすると、二人称の死を一人称の死に重ね合わせて
しまう。出会いこそ人生であり、生き方が変る。未知との遭遇、無知との
遭遇、人生には色いろある。
・・・・・・
5024,読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 ー2
2014年12月16日(火)
         『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花隆(著)
   * ドーキンスの『神は妄想である』
 ランダムに、印象の強い順に取り上げてみる。ここで、ドーキンス
「神の定義」が、簡潔に書かれている。何か現時点の私の考えそのままと
思わせられる内容。自然界の、動植物の美しさは誰が創ったか? 自分自身に
起こる因果応報のリアルさは、神が与えたのでは?とか、いま、ここにある
自分という存在の不思議さ等々、考えるほど不思議なことばかり。 
 ーまずは、その一節からー
≪ リチャード・ドーキンス『神は妄想である』は、無神論を説く本という
 より、神の存在を信ずる有神論者に対する激しい批判の書。 一口に神と
いっても、さまざまな神がいるから、まず定義が必要になる。ドーキンス
単なる宇宙創造神を信じる人にはあまり目くじらを立てない。ドーキンス
はっきり否認するのは、創造されたあとも被造物のその後の運命をいまだに
監視し、影響を及ぼすような超自然的存在。 「人の祈りに応え」たり、
人の罪を赦したり罰したりするなど、主体的意図的に行動する神。奇跡を行う
ことで世界に干渉する神。人間のすることや考えることを常にウォッチして
それに対応して行動する全知全能の人格神。ドーキンスが信じるのは
「存在するものの整然たる調和のなかに自らを現している神であり、人間の
運命や所業に関心をもつ神ではない」というアインシュタインの神。 
あるいは、「もし〈神〉という言葉によって、宇宙を支配する一連の物理法則
を意味するのであれば、そのような神は明らかに存在する。この神は情緒的な
満足感を与えてくれるものではない」という、カール・セーガンの神。
 要するに、ドーキンスは汎神論的な神ないし、理神論的な神は認める。
しかし、「ここに、悪く書くことをいっさい許されない一つの考え、ないし
概念がある。けっして許されないのだ。なにゆえに? ―許されていないから
許されないのだ!」というような盲目的信仰には激しく反発する。 ・・≫
▼ 共同幻想などと、格好よいものでなく、妄想というところがよい。
 所詮、全てが夢幻でしかない。死んでしまえば3日も経てば、300年前に
死んだのと同じことになる。としても、知識を持ってしまった猿は、自他とも、
共同幻想でコントロールをするしかない。せめて、自分だけは汎神論を持って、
自然界を走り回りたいもの。で、出会うのは神秘的神? 偶然だが、3年前の 
 3917, 精神力ーその偉大な力 ー7 <2011年12月16日(金)>
「精神力ーその偉大な力」ダン・カスター著 
* 『まず相手を許すこと、そして自分自身を許すこと』に続く!と、
7年前の<2007年12月16日(日) 2447, 四四太郎の霊日記>に続く。
・・・・・・
3917, 精神力ーその偉大な力 ー7
2011年12月16日(金)
「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
   * まず相手を許すこと、そして自分自身を許すこと
ヤコブは聖書に書いている、「汝が乞うても受けないのは、誤り乞うからだ」
 それを別の訳にすれば、「あなたが求めるが受け入れられないのは、間違った
 求め方をするからだ」ということ。「その人を許しなさい。そうすれば
 天にいます貴方の父、すなわち大生命力は、あなたを許して下さる」
◎傷ついた否定的過去の記憶では、大生命力のエネルギーの自由な流れを妨げる。
 それを愛と信念をもって書き換えねばなりません。「なんびとかに、また、
 なにものかに反抗して抱く全てのものをゆるせ」といったキリストの言葉は、
 非常に実用的である。
◎もし彼を許さなかったら、私自身を不愉快な体験に、そしてまた、その人に
 結びつけておくのです。彼を思うたびに、不愉快な体験を繰返すことになる。
 もし、私が誰かを傷つけたとして、彼が私を許せば、彼は解放されたことになる。
 その許すということは、彼の側の精神活動です。怒りは憎しみは、恨まれた人
 より、恨んだ人を傷つけるものです。賢い、常識的な考え方は、愛し、理解し、
 そして許すことです。「神よ、彼に祝福を」とだけ、心の底から言いなさい。
◎私たち各自は、毎日、静かに座って自分向かって次のことを言い、それを
 まじめに務めるがいい。「・・ 私たち各自は大きな無限の大生命力の一部で
 あって、大生命力は実在の一部である。その大生命力の中で、すべてを生き、
 動き、そして実在している。これは真理だから、私が行なったあらゆる過ちに
 ついて私自身を許す。そして多少とも私を害したあらゆる人を私は許す。
 許すなら、あらゆる体験から善いことのみが私に来ると知るから。
 私が行なった一つ一つのあやまちは、より大きな理解と、より大きな機会への
 踏み石だから、過去のあらゆる体験を私は祝福する。どんな過去の体験も、今日
 あるいは未来において私を害さない。私が許れたいよう、私はことごとく許す」
自己啓発の、このようなセミナーに出席して感化を受け、日常の考え方と、
 祈りに取り入れたら、心の傷は和らぐだろう。20歳代半ば何度も何度も、
この本を読んで救われていた。こういう経験があったから、何人かの鬱病の相談
にのれたのだろう。現状でも平然?としていられるのは、自分で見つけ、何度も
読んで一人で手当をした経験があるためと、再確認をしている。数ヶ月前に、
地球の芯からの声が聞こえてきたのは、こういう経験があったからである。
芯の声は大生命の声、魂の声である。
・・・・・
4657, 閑話小題 ーゴミ箱周辺で蠢く人々 ー2
2013年12月16日(月)
  * ゴミ箱のネズミとカラス
 古ビルは、どんなに安くとも買うものではない。それなりでしかないから。
まず内臓(設備)が腐りかけて、メンナンスのコストと、交換が莫大にかかる。
一般的に建物の撤去コストを土地相場の総額から差し引いた更地値で売りに
出されるため、一見、格安と勘違いをする。そのことが長期物件投資の経験が
少ないと分からない。バブル時に古ビルで大損をした経験があるからこそ
分かった知識。それに税制の問題がある。テナント率の低下で物件価値が
下がっても、税金は下がらない。日本のビル建設の償却は、実態の価値下落と
かけ離れていて、所有者にとって絶対的に不利。それがランニングコスト
押し上げる。(逆もあるが)これが大きい。知らないことは罪悪。
その無知のお陰で、このザマ。「万一の備えが長期投資の絶対条件!」 
バブルになると、それが見えなくなる。10年前になるが、新潟駅前の古ビルを
買いまくっていた人がいた・・ 本体に火がついた今、どうなったことか?
ところで、私が手がけた六棟のビルは、売出と同時に即売。設計段階から、
転用を前提につくってあった。
・これは西武鉄道堤義明が著書で「私が手がけたホテルは、
 全て事務所に転用可能」と述べていたのをヒントに、
・私の父親からは「ビルは長期物件、時代の変化に対応できる基本設計
 にすること」と教わっており、
設計事務所の当時社長のビル建設の基本が、「ビル設計は神の代行」
 の理念が建物に入っていたことで、再利用しやすい建物のため。 
話を元に戻すと、山の中腹からみえる津波本体の到来を前にした海辺の人が、
何とも気の毒。ある日突然、株式か国債の暴落から始まるが、それまでは
小春日和がつづく。純資産10億以上の金持の多くは、既に外国に資産避難
を終了とか。何処かのゴミ箱ではカラスとネズミが長閑に戯れている。
国が滅ぶとは、こういうこと。あとは素ウドンを啜りながらの楽しい
東京オリンピックが待っている! 丁度、後期高齢者だが、元気かどうか? 
・・・・・・
5754,マシュマロテスト 〜?
2016年12月16日(金)
          『マシュマロ・テスト』ウォルター・ミッシェル著
   * 彼らは、どうして耐えたか
 マジックミラーでコッソリと観察された二個貰えた子供たちの耐え方の
観察が幾つかあるが、これがいじらしい。独身時代の女性職場で、何とか
先延ばしで耐えた?が、それが、ここで紹介されている子供の姿に二重写し
思い出される。フラフラとすると、『この人と一生、添えられる?』と、
対象に集中すると、一週間ほどで、『い・や・だ、ヤ・メ・ト・コ』。
外見だけでなくて、品性、教養、人柄のバランスが、揃っていれば、
『こ・れ・が・い・い』になったのだろうが… その時々の自分に丁度良い
人が現れるが、そこはあくまで仮の場。
 ここ一番(ジャンプ)の旬のタイミングに、家内と出会えたから、
これが私のレベル! (ハアー?)という誰かの声? 
 〜その内容とは    
≪・組んだ腕の上に顔を載せて横を向く子
 ・顔を背けて、御褒美と向き合うのを完全に避ける子
・褒美をチラチラみて、待つ価値があることを確認する子
・「待っていれば二個、貰えるんだ」と自分に言い聞かせている子
・テーブルの向こうの縁まで、遠ざける子
・うまく先延ばしできる子は、気をそらし、自分が経験している葛藤と
 ストレスを和らげるため、ありとあらゆることをしてした。≫
アウシュビッツのような?死体(したい)の山中の当時が、いじらしい!
――
▼ 金沢時代の衣料チェーンの社長が、男社員だけの席で、
『女は煽てれば逆上せ上る、殺せば化けて出るが、群れるとサル集団になる。
 現場でサルと割切ってしまえば、何とことはない』と宣っていたが、当に、
その言葉通り。 人生を振返ると、男どもこそ、当てはまる道理。
 40年前の話だが、関西への出張などの列車の席の過ごし方に慣れない時、
着くまでの時間が本当に長くつらかった。で、如何したか? 腰骨を立てて、
きちっと座る。そして、到着時間を考えないこと。その方が、遥かに楽。
海外ツアーのエコノミー席の過ごし方のコツが20回目辺りから分かってきた。
・食べものは最小に、飲み物は多めに飲んでトイレに足繁く通う。 
・行先の観光本や旅行代理店から貰ったパンフレットを何度も読み返す。
・今では、座席前のモニターで、TV映画が幾つかみることが出来る。
 落ち着いたとき、何をみるか決めておく。
・「高速移動の乗物は脳が最大限に活性化する、それをプラスにて楽しむ」と
 自分に言い聞かせ、経過時間を可能な限り気にしない。ゆめゆめ嫌な時間帯
 と思わない。
回数を重ねるうちに、御褒美は観光だけでなく、飛行機内の瞑想タイムも含まれ
ていることを自覚する。これは、人生過ごし方と同じ。 忘我の世界に入れば、
そこは別世界。 隣席の家内の存在すら、「孤」の外に追いやることが出来る。
手っとり早い「合理的高質な瞑想タイム」になる。 この応用が夜半0〜4時の
「死者のポーズ」の瞑想タイム。瞑想なら良いが、時に「妄想」に? ったく!
・・・・・・
5389,自分史の書き方  ー?
2015年12月16日(水)
            『自分史の書き方』立花 隆(著)
 15年前から、随想日記として一日一文章を書上げ、ブログに公開してが、
この中で書いた「思い出話」や、50回以上に渡って書いた、「準備を含めた
45年間の事業総括」が、自分史を書上げるとしたら、そのまま資料になる。
それと多感な22〜25歳の頃の日記も、ここで公開してある。
 この年齢の視線で逆照射し、俯瞰した自分は、赤面の至りのことばかり。
20歳時に志をたて、それに向かい捨身で生きてきたことは確かである。
その過程の悲喜劇の中で、何とか、日々を過ごしている小さな己の姿が垣間
見ることができる。その姿が、何とも愛おしくもある。
  〜以下の、アマゾンビューの批評がわかりやすい〜
≪ 立教セカンドステージ大学における受講者の皆さんの自分史を引用しながら、
その書き方を示した本。ただし、自分史の書き方を指南した部分より、受講者
の自分史原稿そのものが実に面白い。特に「親子二代で書き上げた自分史」は、
太平洋戦争が始まる前からの個人の記憶が克明に描かれており、当時の人が
日常、何をどのように記憶していたかという貴重な記録の集積である。
「語り継ぐ」ことは、いつかはできなくなるため、「書き継ぐ」ことが極めて
重要になるとよくわかる。世の中の物価やニュース、また、その当時は
「記録するに値しない」思われる「今」の日常が、わずかな時間であっと
いう間にかけがえのない記憶になることが、この本を読むとよくわかる。
 もう一つは、誰の人生にもどんな人生にも、語るべきドラマやストーリーが
あるということ。「今」はただがむしゃら、必死、夢中、逆に絶望の淵という
人生で、「時間」がそのいかなる過去をも俯瞰すべき物語に変えてくれる。
「年齢を重ねていくということは大したものだ」ということを雄弁に語る自分史
の力に魅了される。 自分史を書くためには、自分についての資料が欠かせない。
自分に関する資料は、ネットでは調べられないことも重要だ。同じニュースを
100人聞いてもそのとらえ方は100通りである。そして、時間が経つと
そのとらえ方も変化していき、その人固有の記憶となる。仮に自分史を誰かの
為に書かなくとも、年齢を重ねるその度に「自分を俯瞰しなおす」という
行為・作業が欠かせなくなる。時間というのはとても不思議なもので、意識
して過ごさなければ(自分で記録をしなければ)今日という日も1年前、
5年前と同じようにあっという間に色あせてしまう。
「あれから僕たちは何かを信じてこれたかな?」という歌詞で始まる
夜空ノムコウ」という歌がはやった時があった(これも10年以上前)。
それを確かめるべくして、執筆された受講生もいたのだろうか。
「これまでこうだったから、これからはこうだろうな」という見方あり、
「これまでこうだったから、今後はこうしてもいいのではないか」という
見方あり。自分は10年後、20年後人生をどのように俯瞰するのだろうか。
そう考えられる程、すべてのサンプルが優れている。一読を勧めしたい。≫
▼ ここで、<年齢を重ねていくということは大したものだ>とあるが、
 これは「経験を重ねていくことが大したものだ」ということ。実際に経験
してこそ解ることがある。<「語り継ぐ」ことは、いつかはできなくなるため、
「書き継ぐ」ことが極めて重要になる>は、社会に一歩踏出した前後に、
書いた日記を読み返すたびに、思うこと。あのまま、何で書き続けなかったか、
書いてなかった部分の詳細の「いま・ここ・わたし」は、断片的に書いていた
部分を除いて、スッポリと抜けてしまった。 実は、当時の日記帳は厚くて
余白のページが、まだまだあったため、気が向くと(数年間隔で)書き足して
ある。時おり、それを、ここで書いてみるつもりだが・・ 
・・・・・・
4292, 閑話小題 ーつれづれに、今日、選挙!
2012年12月16日(日)
   * 今日、衆院選
 今回の選挙ほど見ている分に興味深い選挙はない。この国難といえる問題
山積の中、結果が大きく将来を左右するからだ。終戦から67年、今だに
アメリカに実質に占拠されている状態。この間、国民が借物の民主主義で
骨抜きにされてしまった。この世界的大変動の中で待ったなしで新憲法
つくりかえる時節になった。明らかに民主党は、この三年間で方向を誤った。
しかし自民党は、それ以前に日本を大きく弱体化させた張本人。
県内の自民党女性候補が何と「人からコンクリートへ!」と絶叫していた
のを聞き耳を疑った。 彼らに票を与えすぎると地震対策という御題目で、
ゼネコンマフィアと組んで、建設国債を発行させ無制限に公共投資をしてくる。
彼らの景気対策は、それしか考えられない。どっちらに転んでも、救いよう
がないなら、最後の饗宴をするのも分からないでもない。 ところで、私の
スタンスは、「改憲、消費税増税、国会議大幅員削減、原発の現状維持、
原爆保持、以上が賛成。インフレ政策反対」である。今度の投票は人物第二で、
家内?ともどもに無党派だが日本維新の党へ投票予定。 石原の傲慢さは
好かないが、一番まとも。
   * 今年、買った最大の物は何?
 何気なく、ヤフーを見ると、今日のお題、「今年、買った最大の物は何?」
があった。ハッとして考えてみた。電波歯ブラシと、ジャケット二枚に、
ウォーキングシューズ、他に何だろう? 本が数冊。後はスーパーで酒のツマミ
と百円ショップで小物以外、心当たりがない。そうそう、電気洗濯機の買換え。
これは家庭必需品。私が買った部類に入るのか入らないか。 それよりも去年
の春以降、iPad以外、思い当たらない。何か欲しい!と大体思わなくなった
ことがある・・ いや、年金生活者は、大体こんなものか。現在、欲しいのは
パソコン。だが5年使っているiMac二台が、まだ使える。TV、パソコン、
月に数回のシネマ、スポーツジム、月に1〜2度の飲み会の世界では、
こんなもの。ところで家では「ママリッチ、パパプアー」。
大きな夫婦間格差が現実。(´;ω;TOHO!

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
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今日のYoutube

 昨日のシネマは、「スターウォーズ」をみる。
このところのシリーズは、マンネリ化していて?
久しぶりにみたが、これが面白い。 
デジタル化が進化した分、画面に迫力が増しているような。

 夜は最後の忘年会。二軒目で早々、21時前に帰ってくる。
一週間、一月、一年があっという間に過ぎ去っていく。


      
・・・・・・
・・・・・・

4292, 閑話小題 ーつれづれに、今日、選挙!
2012年12月16日(日)
   * 今日、衆院選
 今回の選挙ほど見ている分に興味深い選挙はない。この国難といえる問題
山積の中、結果が大きく将来を左右するからだ。終戦から67年、今だに
アメリカに実質に占拠されている状態。この間、国民が借物の民主主義で
骨抜きにされてしまった。この世界的大変動の中で待ったなしで新憲法
つくりかえる時節になった。明らかに民主党は、この三年間で方向を誤った。
しかし自民党は、それ以前に日本を大きく弱体化させた張本人。
県内の自民党女性候補が何と「人からコンクリートへ!」と絶叫していた
のを聞き耳を疑った。 彼らに票を与えすぎると地震対策という御題目で、
ゼネコンマフィアと組んで、建設国債を発行させ無制限に公共投資をしてくる。
彼らの景気対策は、それしか考えられない。どっちらに転んでも、救いよう
がないなら、最後の饗宴をするのも分からないでもない。 ところで、私の
スタンスは、「改憲、消費税増税、国会議大幅員削減、原発の現状維持、
原爆保持、以上が賛成。インフレ政策反対」である。今度の投票は人物第二で、
家内?ともどもに無党派だが日本維新の党へ投票予定。 石原の傲慢さは
好かないが、一番まとも。
   * 今年、買った最大の物は何?
 何気なく、ヤフーを見ると、今日のお題、「今年、買った最大の物は何?」
があった。ハッとして考えてみた。電波歯ブラシと、ジャケット二枚に、
ウォーキングシューズ、他に何だろう? 本が数冊。後はスーパーで酒のツマミ
と百円ショップで小物以外、心当たりがない。そうそう、電気洗濯機の買換え。
これは家庭必需品。私が買った部類に入るのか入らないか。 それよりも去年
の春以降、iPad以外、思い当たらない。何か欲しい!と大体思わなくなった
ことがある・・ いや、年金生活者は、大体こんなものか。現在、欲しいのは
パソコン。だが5年使っているiMac二台が、まだ使える。TV、パソコン、
月に数回のシネマ、スポーツジム、月に1~2度の飲み会の世界では、
こんなもの。ところで家では「ママリッチ、パパプアー」。
大きな夫婦間格差が現実。(´;ω;TOHO!

・・・・・・
3177,デフレス・パイラルの脅威
2009年12月16日(水)
* ハイパー・デフレの始まり
 どうも本格的なデフ・レスパイラルに入ったようだ。それもハイパー・デフレ。ということは、
二番底に向かって転がりだしたということになる。先日、自宅から歩いて10分もしないところにある
中古プレハブ住宅の販売広告が入っていた。土地が25万、建物が20万?の相場の家屋が何と土地15万、
建物10万の値段である。(その逆でも同じぐらい)
 その販売業者は、競売物件を買って、少し手を入れて二割位の利益を乗せて売るのを専門にしている。
(なぜ分かるかというと、知人の自宅が、そのプロセスで売却されたからで、競売落札の値段も、化粧代
も大よそ分かる。) どうみても半値に近い相場だが、結果として資産デフレに火をつけている。近所の
相場が、それによって暴落する。会社の人の自宅近くが半値×八掛けで売りに出され、数日で売れた
という話も入ってきた。資産デフレである。 あらゆるところで価格が暴落しているのは、誰も彼もが
実感していること。 背広の客単価が一年前の4割も落ちているし、薄型テレビも3割ダウンした。
冬物衣料などもオール半額!というチラシが入ってくる。 ホテルもネットで2980円、3180円、3280円が
出ている。安い順に売れていくが、それさえも最近は売れ残っている。安くしないと、消費者は買わないから、
競って安くするが、全ての業界が始まり体力の消耗戦になってきた。一番強い者だけしか生き残れない。 
そして、会社の多くは淘汰され、そのうちに、今度は金(かね)の価値が暴落を始まる。 ハイパー・
インフレが始ると、これは国家破綻を意味する。いつも同じことを書いているが・・ 世界は間違いなく
経済も、政治も含めて大動乱に入った。 アメリカも、去年のリーマン・ショック以来、経済はガタガタ。
失業率が、あれよあれよと、10パーセントを超えてしまった。日本も、数年以内に、それを超えるだろう。
リーマンショック津波が姿を現してきた。デフレス・パイラルは4年間?続く。
来年からは、その中で食品の一部が値上がりが始る。 ハイパー・インフレの波も現れる。 

 ・・・・・・・・
2812, 今年を振り返る
2008年12月16日(火)

今年もあと半月、振り返って、思いのまま書いてみる。
大荒れの一年で、歴史に残る年といってよい。
世界をみると
アメリカ発の金融恐慌である。予測はされていたことだが、実際に起こると、その衝撃度は甚大。
 100年に一度の経済的危機というが、私の人生で起こった最大の世界的大事件である。
 一次世界大戦、第二次世界大戦世界恐慌の三つの一連のウネリより大き事象が十年以上は続く
 レベルの大事件である。
アメリカ大統領選挙で、民主党オバマが史上初の黒人大統領に選出された。
 これも歴史的出来事である。それだけアメリカの懐が深いということか。
・中国の大地震ミャンマーのサイクロンの自然災害は、地球システムが人間システムに対した警告。
・中国オリンピックの開催と、中国国内の暴動の頻発。 これは中国の将来を暗示してもいる。
北朝鮮の金総書記に異変? 朝鮮半島が流動化になるかどうか。
国内では
金融危機で一挙に景気の悪化。不気味な雰囲気が漂い始めた。
・福田が辞任して麻生が首相になったが、凡将の器が露見、一挙に政治混乱が始る。
・若者等の無差別殺人が続出をした。
今後、10年以上続くだろう社会的な大混乱の‘目次’と‘前書き’が今年の事件の集約とみるべき。
暗い日々が待っていると思うと憂鬱になるが、これだけの変動の中で、自己責任をより自覚しないと。
「1970年代に始った新自由主義経済の崩壊が始った」と、新聞の論説にあったが、
この数年間で統制が強くなるだろう。 
それぞれの企業が、根底から存在意義を問われ、価値のないものから否応無く淘汰される。
特に来年一年が今後を占う年になる。 どうなることか?

・・・・・・・・・・・・
2007年12月16日(日)
2447, 四四太郎の霊日記 ー12

           (*´_●`)ノオハオハオハ♪
さてと、お出ましである。 何時も同じようなことをブツブツ言っているが、
違う視点を持つことに意味があるということじゃ。
<私>+<私の体>=「私」ということは 「私」-<私の体>=<私>と誰か哲学者が論じていただろう。
 その<私>の芯にあるのが、≪私≫とすると、更にその奥にあるのが≪≪私≫≫ということになる。
いや、この括弧を内側に幾つかつけたのがワシということ。これが≪私≫を通して<私>に語りかけて
いるということ。だから、御主も何か変な気分になるのは解るし、御主とは見方が違ってくる。だから
先祖を大事にせい!というのは、決して間違ってはいないのだ。ただ、葬式坊主のタカリに乗ってもよい
というのとは違う。ところで、御主が娑婆で過ごす心得を教えてやる。大きな地球儀を何処か身近に置くこと。
パソコン内ではない、とにかく手に触れる場所に置くこと。
そして月の上か、衛星から地球をみる気持ちで常に見ることじゃ。
娑婆の連中は意外とこの効用が解ってないのだ。自分の魂の視点をそこに置くことが重要になる。
あれは子供用だけではなく、大人にこそ必要である。その習慣こそ、周囲の騒音から己を外に置く
一番手っ取り早い方法になるのだ。それと詩を学ぶことだ。詩は、何かに書き残しておけば何年経っても
伝わりやすい痕跡になる。それでさえ宇宙の彼方から見れば、如何でもよいことになるが、
しかし人の心の奥の凝縮された言葉こそ、己の心の奥に突き刺さるのじゃ。

ワシの世界で知り合った面白いのを御主に就けておく。知恵は数倍出ることは間違いないだろう。
名前はダジーダジーダという。通称ジーダでよい。何か考え事をする時に、彼を呼び出し聴くか
話せばよい。またな!
                   ヾ(´∀`o)+バイバイ
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2006年12月16日(土)
2083, 哲学者がローマ法王の奇跡を切り捨てると!    才八∋ウ_〆(∀`●)
   知ることよりも考えること-? ー読書日記
              
週刊新潮の連載コラムを集めたため、身辺の話題が解いやすい内容である。
先年亡くなったローマ法王ヨハネ・パウロ?を『聖人』として認定するかどうかの
審査会議などの低?次元の話題や、最近TVなどに出てくる胡散臭い江原啓之とかいう
男の超常現象?について、哲学者の視点から言及している。
どれをみても理路整然と、その矛盾をストレートに切り捨てているところが痛快である。。
「あたりまえのことばかり」「人生のほんとう」に続いてこの本を読んであまりに面白いので、
さらにアマゾンで中古本だが「14歳からの哲学」と41歳からの哲学」を買って、読んだ。
第四章ー54項目の構成だが、ランダムに面白そうなところから選んで要点の場所を抜粋しながら考えてみよう。
まずは次元の低い「教皇の聖人の認定か否か」の問題である。アホくさいが、著者・池田の真骨頂が現れて
いて面白い! 秋刀魚の骨も信心から」と思って読めば、これもよい。
ー奇跡大好きー
ローマ法王の選出選挙、コンクラーベの政治性も凄かったが、これも凄い話である。
何でも、この[聖人]とは、カトリック教会の最高位で、死後これに認定されるためには、厳しい審査がある。
[聖人]よりワンランク下の「福者」として、先般マザーテレサが承認されたが、法王といえ、これらの位には
なかなか昇格できないという。神の前に平等のはずの宗教界でも、階級化が[死んだ跡]にもついて回るのである。
生きているうちに政治的な動きをしていたのだろうか?が、凄いと思ったことは、その資格認定とされるものだ。
必須とされているのが、「聖人」の場合でも二回以上、「福者」でも一回の奇跡をおこしていなければならない。
[奇跡]の定義が、[科学的に説明不能」であること、それを審査するためにバチカンにも専門の科学者がいる。
そこで、説明不可能といわれたものが、[本物]の奇跡であるか否か、高僧達が判断を下すそうだ。
私はある種感嘆をおぼえた。科学的に不可能であるということが「すなわち」価値である世界があるとは、
盲点を突かれる思いであった。彼らが[奇跡]を価値とするのは、イエス・キリストが病人を癒したとか、
死人を生き返らせたとか、聖書に記載されているからだろう。それで、そういう[奇跡的]力を有する人が宗教的に
優れた人ということになるのだろう。しかし、当のキリストは、この世の命を命と思うな、現世の価値に執着する
なと、繰り返して説いている。永遠なるものは、その価値は、あなたたち自身の内にあると。
宗教の本質とは、現世的価値に対して永遠的価値を提示することにあるのではなかろうか。
癒しや復活など現世的としての奇跡的出来事は、宗教の本来無関係のはずである。
ゆえに、宗教が奇跡それ自体を価値とするなら、すでに話は転倒している。 宗教など、早い話が、永遠のふりをした
しょせんは現世利益じゃないかと言われても、仕方がないのである。第一、科学により説明不可能ということが、何で
奇跡ということなのか。逆に科学により説明可能なら、奇跡は奇跡でなくなるというのか。ここに根本的な勘違いがある。
科学というのは、そのとおり、説明のための一方法である。何を説明するかといえば、言うまでもなく、自然である。
自然の奇跡である。花が咲くこと、陽が昇ること、この宇宙がこのように存在することの奇跡である。
ゆえに、科学がいかに説明しても、このこと自体の奇跡が、軌跡でなくなるわけではないのである。
逆に、このこと自体の奇跡はいかにしても説明不可能だからこそ、人は[神]という発想をもったはずなのである。
したがって、科学により説明不可能なことのみを奇跡とするような宗教は、科学の優位に立っているいるつもりで、
じつは科学に従属しているのである。神の奇跡なんぞ、本当に感じているわけではないのである。
そういう人々が、現世利益、現世的ヒエラルキーの追求にかまけることになる。
本当に宗教的な人、本当に神の奇跡を感じている人は何もかも奇跡的なことのはずだが。
だから、とりたてて何かだけ奇跡的だ、価値なのだと、騒ぎ立てるはずがない。
  ーーー
以上であるが、[ゴッドファーザー]に教皇を暗殺する場面が出てくるが、教皇といえ、あの程度の男でしかない?
という裏面を辛辣に表現していた。「奇跡」の云々を信者が求めているのなら、それを演じて見せるのも必要である。
                         *** Ψ( `▽´ )Ψケケケケ♪
               (~Q~;) ネム~~
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2005年12月16日(金)
1718, お金の現実          
 オハ ☆:*:・★(o≧□≦)o☆・*:..。o○☆*゜オォォォーーーハヨ!!       
          -読書日記  岡本 吏郎著            
             ma!~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモ
これまで著者の本は二冊読んでいるが、
 ・中小企業を経営しているなら、一億の現金を個人名義で持ちなさい。
 ・ヤップ島のフェイという石で出来たお金の話以外、さしたる記憶が残っていない。
  今年の4月に新らしく刊行されて本屋で見たが買う気にならなかった。
  ところが先日図書館で見つけて読んだところ、なかなか面白い。
 ほとんどのポイントが最後の章の第五章・この本の結論に集約されていた。
ーそれを更に私流に要約すると、
お金の語源から、その意味するところは「測定」「警告」「狂気」「生け贄」「循環」というキーワードである。
「測定」は、対象の価値を測定するもの「警告」は、お金からの警告である。
儲からなくなってきたのは、お金から事業に対する警告である。
「狂気」は、成功している人は必ず狂気を含んでいる。パラノイア(偏執狂)とか、変人である。
それが無くなったとき、平凡な経営者に落ち込んでいる。「生け贄」は、何かことを成すときは、犠牲が必要である。
それは私生活であったり、普通の人の生活の犠牲であったり。「循環」は、お金は循環してこそ本領が発揮できる。
お金の概念として一番重要な意味といってよい。箪笥預金は、お金として一番意味も無いし、本領を発揮しない。
我われが情報を買っているのは、金で時間を買っていると同じことである。
 ーさらにポイントをあげるとー
  字数の関係でカット(2009年12月16日)
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2004年12月16日(木)
1353, おれおれ詐欺ー2
お笑い学芸会ー可愛い演技 「おれおれ詐欺振り込め詐欺

4~5日前に自宅に「面白い電話=俺俺詐欺」と思われる電話があった。
「土地を買いたいという人がいるが、業者ではないが売る気があるのか」とか。これ、土地の売買の
プロからいうと、とんでもないことである。素人の騙しか、玄人の人をバカにした内容である。
それも、旦那がいない時間に自宅に電話をするのは、詐欺以前の軽蔑の電話である。建業法違反という
ことも解かってない程度の低い俺俺詐欺レベル。 第三者の仲介は業者以外してはならないのだ。
家内は、「そういう話は文章でいってほしい」といったという。 その文章が昨日封筒できた。
ワクワクしながら開けてみると、チャンとした会社のふりをした??株式会社とかいう会社名であった。
インターネットで調べると、一生懸命に詐欺のためつくりあげたHPであったが、よく内容を見ると実体の
ない会社が、見え見えである。 実在している会社のグループのように見せているが、よく調べると違っている。
早速、電話をかけると?と思われる若い男が出てきた。無言できったが、それにしてもここまでやるかである。
そこで、イエローページで調べるとそんな電話番号がない。電話番号(携帯でない)も、おそらく新潟で詐欺をする
ために直近につくったのか?名刺はつくったばかりのペラペラの即席もの、封筒も作ったばかりの見るからに詐欺用。
手の込んだ振り込め?か、近所?の事情をよく知ったものと組んだ?程度の低い??。
何処かのインターネットカフェで一生懸命につくったのだろ?
不動産の売りのオーナーを片っ端から電話をしているのだろう。まあ、こういう時代なのだろう。
その辺のチンピラ暴力団員か、流しの詐欺が必死に考えた新手の詐欺レベルである。面白いことに、
去年の今日「おれおれ詐欺」を書いていた。不思議といえば不思議である。毎日、面白いことは続く。
ーもしかしたら、私の思いすぎかもしれないが、その方がもっと面白い。

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2003年12月16日(火)
986, おれおれ詐欺
字数の関係でカット(2007年12月16日)
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2002年12月16日(月)
612,ある時間の断片-26
 10月27日1968年  土曜日
夕方6時に、欧州旅行の????会が集合。池袋の「嵯峨」に集合。川崎と隣で話す。彼は私のことを
よく解かってくれる。欧州旅行中に私のことを一番理解してくれた。でもいい加減な自分を感じてもいるようだ。
今後とも彼のような男と巡り会えないだろう。20時に高木が来る。これで我々の仲間の6人中5人が集合した。
「パブ・エリート」へ飲みに行く。最後の一人の酒匂も来る。全員集まった。個人主義の塊のような男5人目の前に。
それだけ見ているだけで楽しい。その後、目黒の高木行きつけのバーに0時半まで飲む。本当にこの会をやってよかった。
その後食事をして2時頃に寮に深井と酒向がくる。 30分で酒向は帰る。私は隣の留守の佐々木さんの部屋で寝る。 
このところ毎日刺激が強い酒だ。
 10月28日1968年(日曜日)
10時起床。深井とオリンピックの閉会式を見る。 13時に新橋の深井の家に行く。15時まで彼の家で過ごす。
その後に深井の車で久々に江ノ島に行く。第三京浜も久々だ。夕日の富士が絶景だ。こんな夕景の富士は初めてだ。
合気道の合宿で富士吉田のそれよりもよいように見えた。右に真っ赤な夕日、左に江ノ島。秋の夕べの海岸はよい。
一生の思い出か。 帰って、夜半の3時まで卒論の勉強をする。

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2001年12月16日(日)
271,今年の驚愕?
毎年驚愕することが多い! 
 ー驚きーでは言葉が足りないので「驚愕」にした
   ー今年は以下五つー
1、アメリカのテロ  あえて書いても仕方がない!
2、ホームページ作りからみたパソコンとインターネットの世界!
3、イチローアメリカでの活躍!
4、不況感!
5、ソニーの36インチのハイビジョンTV  1年見続けての実感として凄い!
ー実感としてこの五つは、今までの常識を超えていた。
 やはり21世紀の景色である。旅行には例年感じる驚愕は少なかった。
・それでは去年は如何であったか?「シルクロード」「シリア・ヨルダン・
 レバノンの旅」!「オーロラ!」どちらが凄い?と聞かれてばもちろん、迷わず去年?
・ 一昨年はもちろん驚愕!「ヌ~の河渡り!」そして「イスラエル」と「ネパール!」・・!
・3年前は「スペインのパンプローナ牛追い祭り」と「インド」と「イスラエル」 ショック!
・4年前、「ギアナ高地」と「タンザニア」・・・・! と比べることが、おかしいといえばおかしいが。
 何だ旅行の自慢か!いや、違う!「うん~」「そう~か!ちゃんとバランスがとれているのか?」
それにしても21世紀とはこういうことだったのか!  
 ・・・・・・
 ある時間の断片 
 12月16日ー月曜日1968年
10時起床。
卒論のテーマの変更のため登校する。武沢教授に会うことができた。10分位で用件が終わる。食事をして
帰寮するが、急に眠くなる。今日は、姉の優子さんのところ行く予定であったが17時過ぎまで寝込んでしまう。
駒村君の部屋に行き、彼と食事に出る。食堂のTVでゴーゴーをやっている。見ていたら、二人で顔を合わせて
行こうという話になる。着替えて、そのまま新宿へ行く。23時近くまで2時間も踊る。その後、スタンドバー
に入り飲む。もう寮では私のあとの見えない勢力争いがおき始めているいう。 初めて解ったことだ。
彼とブーちゃんと尾形君だという。40分近くも歩いて帰ってくる。南波嬢の件を言いだす。
私がイビッテイルという。別にそうしている訳ではないが、そうなら気をつけないと。
最近は石川や深井や米林につぎ彼女のことを、イビッテしまったのか。この前の軽井沢で生意気そうだったので、
少し意識をして無視をしただけだ。まだ以前に軽井沢の「愛の散歩道」を二時間おデート散歩した気持ちの
余韻が残っていることか。 可愛いが、あまり身近すぎて面倒だ。