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2018-05-22 閑話小題 〜ビデオ撮影の恐ろしさ

[] 05:37 閑話小題 〜ビデオ撮影の恐ろしさ - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

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    * 日大・アメフト部ですか

   〜ネット記事によると〜

≪ アメリカンフットボールの日大と関西学院大の定期戦で悪質な反則行為が

あった問題で、危険なプレーをした日大の守備選手が「『(反則を)やるなら

(試合に)出してやる』と監督から言われた」と周囲に話していたことが16日、

分かった。関係者が明かした。日大広報部は、内田正人監督が学内の調査に対し

「違反をしろと言っていない」と述べたと明らかにし、否定した。

 日大の選手は下級生の頃から主力としてプレー。しかし関係者によると、

最近は内田監督から精神的な部分で苦言を呈され「チーム内で干されている

状態だった」という。6日に東京都内で行われた定期戦前に「やるなら出す」

と反則行為を条件に出場の機会が与えられたという。

 当該選手は、パスを投げ終えて無防備な状態だった関学大のクオーターバック

に背後から激しくタックルをして負傷退場させた。その後もラフプレーを繰り

返して資格没収(退場)となった。 ≫

▼ この衝撃的場面が録画されネットで世界に発信され炎上したことが問題。

 集団格闘技なら然もありなんだが、問題は記録として残されてしまったこと。

何処まで問題が発展するかだが、「監督の永久追放と逮捕と、チームの1年間の

リーグ戦の出場停止」が妥当な収まりどころ。 一番、傷ついたのが、日大の

イメージ。元もと低いのに、これで以前の「ぽん大」に逆戻り。学生時代の寮

の隣室に日大で3年留年の先輩がいたが、その私生活の御乱行のそれは… 

 これまで表立たなかった問題も、録画されると有耶無耶出来なくなる情報社会

の恐ろしさを連日のように知ることになる。100キロもある大男がぶつかり合う

格闘技、不正ぎりぎりの陰湿なタックルも多々あるのだろうが、あれでは言訳は

出来ない。これで、去年の優勝の栄誉が、実は多くの不正の上に成り立っていた

可能性も。観客のビデオで新たな不正場面が掘り出されなけらば… ネット

ニュースで<負傷させた日大の守備選手が22日に東京都内記者会見し、内田

監督とコーチの指示に基づいて反則をしたと主張することが分かった。>とあるが、

これで刑事訴追の可能性も出てきた。「壊してこい」も、ルールに則ってが

前提だったか? この立件は難しい。

 不正暴力事件といえば、あの事件以来、大関・横綱が、立合いの張手が使え

ないため、盤石な強さが消えてしまった。何せ番付の上下関係が厳格にはたらく

ため、「肘ち、張手」は最たるアドバンティジ。守らないと、その力士の部屋

に押しかけ可愛がり! 一人時間差攻撃。合理的朝青龍直伝のシステムだった。

・・・・・・

5911,『しあわせ仮説』 −9 ネガティビティ・バイアス

2017年05月22日(月)

             『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著

   * ネガティビティ・バイアス

 動物も人間も、エサを逃してしまうより、外敵のエサになる方が遥かに

リスクが高い。エサになってしまえばゲームオーバーで、その固体の終焉に

なるため、「悪いことに対し、良いことより大きく反応する」ように、自然

淘汰の中で、設計図を変えて生延びてきた。ポジティブだけでは生きていけ

ないのである。ポジティブ3〜6に、ネガティブ1の割合で必要なこと。

但し、その濃度は、3〜6倍が必要となる。成長しなければ競争に負け淘汰

される。  〜その辺りから

≪ ネガティビティ・バイアスを調整する【悪いことは良いことよりも強い】

 自分‘が’食べるものを見逃しても、すぐには死なない。しかし、自分‘を’

食べるものを見逃したら、すぐに死ぬ。だから動物は、恐怖・不快に対して

好機・快よりも敏感に反応する。人間もその例外ではない。

人の心というものは、良い物事に比べて、同程度に悪い物事に対して、より

すばやく、強く、持続的に反応するということが心理学者によって繰り返し

見出されている。私たちの心は、脅威や侵害や失敗を発見して反応するように

配線されているため、すべての物事を良く見ようとしても、単純にできない

のである。  ≫

▼ ハイトは、「このマイナスのバイアス原理は、心理学の至る所で現れる」

と、さまざまな例を示す。その一つが、『一度の殺人を埋め合わせるためには、

人命を救うような英雄的行為を25回しなければならないと見積もられている』。

人は、自分に恐怖や不快を与えた人のことを容易には忘れない。≫

 しかし、その逆の心理も言える。傷をつけたり、殺した相手に深く傷つく。

北朝鮮のドン様。叔父を銃殺し、実兄を暗殺し、多くの側近を殺してきた。

何を恐れ、ここまで狂気になっているのか? 処分してきた身近な人たちの

亡霊を恐れているためである。外敵が日米韓なら、内なる敵は、処分した政敵

の亡霊。だから何をしでかすか、最たる危険な小心の男である。

夫婦関係を身近にみれば… 一度、争ったら、その25倍の代償が必要となる。

だから、代償の負債残高が数知れず蓄積されていく。「おお妻よ、どんな敵でも

御前のような酷いのはいなかった」と、独り呟くことになる。 

そして、ネバティビティ・バイアスは、ここで再生産されることになる。

だから、自分の世界を長年かけてつくっておかないと、爆死することになる。

・・・・・・

5181,アウシュビッツの回想

2015年05月22日(金)

                      『読書脳』立花隆著 

   * アウシュビッツの奇跡的幸運(地獄に仏)

 二ヶ月前のNHK/BSのアーカイブで、ある女性の奇跡的生還を扱っていたが、

これも似たケース。奇跡的幸運が重ならないと、この過酷の状況下で生延びる

ことなど出来ようはずがない。

≪「シモーヌ・ヴェーユは驚くべき女性だ」と書くと、日本では社会思想家の

シモーヌ・ヴェーユを思い浮かべる人が多いかもしれないが、私が言及している

のは、もう一人のシモーヌ・ヴエーユだ。フランスで最も有名な女性政治家。

一九七四年シラク内閣で保健大臣になったのを皮切りに、歴代の内閣で保健大臣

をつとめ、フランス人工妊娠中絶法を導入したことで知られる。一九七九年

には、第一回欧州議会で直接選挙による初代議長に選出されてもいる。

だが彼女を何より有名にしているのは、ドイッがフランスを占領している最中、

ユダヤ人身分証偽造)に問われて、ゲシュタポに逮捕され、アゥシュヴィッツに

送られながら、奇跡の生還をとげたこと。彼女の腕には、いまでも囚人番号の

入れ墨がある。シモータ・ヴェーユ『シモーヌ・ヴェーユ回想録』は自ら筆を

とってその数奇な人生をふり返ったもので、フランスでは〇七年に発売されるや

たちまちベストセラーになった。政治家になってからの話も面白いが、圧巻は

第二章「罠」と第三章「地獄」。逮捕劇とアウシュビッツ時代を語ったくだり。

アウシュヴィッツに着くとすぐに、その場で囚人の仕分けが行われた。彼女

は十六歳だったが、見知らぬ人の耳打ちで「十八歳」と申告し危くガス室送り

をまぬがれる。子供、老人、身障者など労働に適さないと判定された者は、

その場でガス室送りのトラックに乗せられたのだ。「親や子どもがどこへ

行ってしまったのか(略)カポー(女看守)に尋ねる人がいると、彼女たちが

窓から見える死体焼却炉の煙突とそこから上がる煙を指し示していたことを

私は覚えている。(略)死体焼却炉の煙は休みなく煙をはき出していた。

堪え難い匂いが立ちこめていた】 読んでいくと、彼女が生きながらえたのが

不思議に思えるくらい地獄の生活がつづく。収容所の娼婦あがりの女監督官に

気に入られて「あんた本当にかわいいねえ、ここで死なすにはもったいないよ。

別のところへ行けるようにしてあげる」「でも母と姉が一緒だからいいです」

と断ると、「じゃお母さんとお姉さんも一緒に」と、本当に三人そろって、

アウシュヴィッツから別?収容所に移され、仕事も調理担当に代えてくれる

というウソのような話が本当に実現した。その女監督官がなぜそんな特別の

ことをしてくれたのか、理由はよくわからない。その頃かわいい女囚に同性

愛的サービスを求めて特別の便宜をはかる女看守もいたが、それ的な要求も

なかったという。それから間もな-戦争が終り、女監督官は英国の手で

逮捕され処刑されてしまったので、その理由がいまでもわからないという。

本書には若いときのヴェーユの写真もおさめられているが、確かにガス室で

すぐ殺すには惜しい容貌だ。≫

▼ アウシュビッツといえば、フランクルである。12年前に、彼の本を

 集中して読んだが、人生への絶対的肯定に驚かされた。こういう極限の中で

奇跡的に生延びている人の共通点がある。それは、この状況下から生延びて、

家族か、友人たちと楽しい時間を過ごす具体的イメージを持っている人という。

【人生に何かを求めるのでなく、人生が私に何を求めているかを問うべきだ!】

が、特に印象に残っている。女監督官は、ただヴェーユが可愛いという理由

だけでなく、光る何かを見出したのだろう。そして、その後、彼女は光った

のである。肯定的イメージ化と、信念こそが、人生で最も必要ということか。

――

2003/09/19

《V・E・フランクル》について

 十数年前にフランクルの「夜と霧」を読んで感銘した。

そして数年前、春秋社の以下の彼のシリーズをむさぼり読んだ。

人生の調度まがり角であったためであろう。

その意味の深さー絶対的人生の肯定に魂を揺さぶられた思いであった。

彼の「意味」発見のための3つの問い

「私は、この人生で,今何をすることを求められているか」

「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。その人は、どこにいるのか」

「どの誰かや何かのために、私のできることには、何があるか」

この3つを常に念頭において生きることが,『なすべきこと』

『満たすべき意味』を発見するための手がかりになると、

フランク心理学では考えている。

特に以下の分析には深く納得をした。

ー自己超越のための3つの意味(価値)ー

1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味

          =仕事・子育て・学問・芸術

       ー力への意志

2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味

          =自然・芸術・愛

       ー愛への意志 

3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで

        得られる価値・意味ロゴスの覚醒=対象との一体化

        ※自身が何らかの喜びに満たされていること

       ー知への意志 

人生には発見されるべき価値や意味がある

 (1)意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)

 (2)意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)

 (3)人生の意味  (創造・体験・態度生きる姿勢の中に意味を見出す)

  ー生きることは価値判断(学習)と選択の連続である

ー私が読んだ本は以下であるー

・「夜と霧」:ドイツ強制収容所の体験記録

 V・E・フランクル 霜山徳爾(訳)  みすず書房  1985年

・「それでも人生にイエスと言う」 V・E・フランクル 山田邦男・松田美佳(訳)   

  春秋社   1993年

・「宿命を超えて、自己を超えて」

 V・E・フランクル山田邦男・松田美佳(訳)   

  春秋社   1997年

・「<生きる意味>を求めて 」

  V・E・フランクル  諸富祥彦(監訳)

  上嶋洋一・松岡世利子(訳)   

  春秋社   1999年

・「フランクル回想録:20世紀を生きて」

  V・E・フランクル  山田邦男(訳)  

  春秋社   1998年

・「フランクルに学ぶ 」    

  斉藤啓一 日本教文社  2000年

・「どんな時も、人生に‘YES’と言う

  諸富祥彦

  大和出版

・・・・・・

2003/09/20

《V・E・フランクル》について

十数年前にフランクルの「夜と霧」を読んで感銘した。

そして数年前、春秋社の以下の彼のシリーズをむさぼり読んだ。

人生丁度まがり角であったためであろう。

その意味の深さー絶対的人生の肯定に魂を揺さぶられた思いであった。

彼の「意味」発見のための3つの問い

「私は、この人生で,今何をすることを求められているか」

「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。

 その人は、どこにいるのか」

「どの誰かや何かのために、私のできることには、何があるか」

この3つを常に念頭において生きることが,『なすべきこと』

『満たすべき意味』を発見するための手がかりになると、

フランク心理学では考えている。

ーー 

  『夜と霧』(みすず書房、1971年新版)

収容所での体験を描写することによって語っているのは

「人は変えようのない運命に直面したときでも、それに対して取る゛態度゛

というのは自ら選ぶことができる」という真実です。精神的自由、すなわち

環境への自我の自由な態度は、この一見絶対的な強制状態の下においても、

外的にも内的にも存しつづけたということを示す英雄的な実例は少なくない

のである。強制収容所を体験した人は誰でも、バラックの中をこちらでは

優しい言葉、あちらでは最後のパンの一斤を与えて通って行く人間の姿を

知っているのである。そしてたとえそれが少数の人数であったにせよ

――彼等は、人が強制収容所の人間から一切を取り得るかもしれないが、

しかしたった一つのもの、すなわち与えられた事態にある態度をとる人間の

最後の自由、をとることはできないということの証明力をもっているの。

「あれこれの態度をとることができる」ということは存するのであり、

収容所内の毎日毎時がこの内的な決断を行う数千の機会を与えたのであった。

その内的決断とは、人間からその最も固有なもの――内的自由――を奪い、

自由と尊厳を放棄させて外的条件の単なる玩弄物とし、「典型的な」収容所

囚人に鋳直そうとする環境の力に陥るか陥らないか、という決断なのである。」

 生きていれば、誰しも避けがたい苦悩に直面するわけですが、そういった

ときに、「どのような゛態度゛を取るのか」というコトが問題となってくる

のだと思います。変えられない運命に絶望しニヒリズムに陥ることや、責任を

転嫁して他者を恨むこと、現実逃避のために自暴自棄になることは簡単

だけれども、フランクルは、そういった態度は人間としての自由と尊厳を

放棄した態度だと言っているのだと思います。

「〜生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味を

もっているに違いない。苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命

も死もそうである。苦悩と死は人間の実存を始めて一つの全体にするのである。

 一人の人間がどんなに彼の避けられ得ない運命をそれが彼に課する苦悩とを

自らに引き受けるかというやり方の中に、すなわち人間が彼の苦悩を彼の十字架

としていかに引き受けるかというやり方の中に、たとえどんな困難の状況に

あってもなお、生命の最後の一分まで、生命を有意義に形づくる豊かな可能性が

開かれているのである。」 変えようがない事実そのものをそのまま認識し、

そこから自分はどうするのか、何が出来るのか、といった自らの可能性を考える

態度。それは、苦しみを受け入れ、苦しみに耐えながら、苦しみと共に生きて

いこうとする態度。人はこのような苦悩を正面から受け取る態度を取ることに

よって初めて、その苦悩を乗り越え、自己をさらなる高みに引き上げることが

出来るのだと思います。ここで、苦悩の持つ意味・価値が創り出されるのでしょう。

 フランクルは、このように苦悩を超えることによって生み出された価値という

のは、他の価値とは次元の違うものであるとしています。彼は、それは如何なる

外的状況(例えば、傍から見れば「失敗」であったり「不幸」であったり「悲惨」

であったりするような状況)に関係なく得るコトの出来る価値だと述べる。

 このように、苦悩を自己の飛躍へと転化することというのは、きっと誰にでも

可能なことなのだろう、とわたしは思います。わたしたちの苦悩が収容所での

経験を凌駕するほどの悲惨なものでないのなら、この、人間が運命に対して挑む

ことの出来る唯一のやり方、「事実を受け入れ、そこから生きていくという姿勢

を取るコト」は、わたしたちにも可能だろうと思うのです。フランクルも本の

中で、このような態度を取ることが出来た人が過去において一人でもいたという

事実そのものが、「人間がその外的な運命よりも内的にいっそう強くありえる」

ということの証しとなると述べています。

  【2017年5月22日字数制限のためカット】

・・・・・・

5546,子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? 〜?

2016年05月22日(日)

     『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? 』

                     おおたとしまさ(著)

 子供はこんなテーマの本を手にしない。手にするのは親など大人たち。

とすると、[子供偏]だけでなく、親向けの勉強の必要性を説く[大人編]があって、

至極当然である。私のようなリタイア後のシニアに、最後の総仕上げも含めて、

学ぶべきことは数限りなくある。せっかく地球上に、「遊び、学び、働き」に

来たのだから、総括の仕上げが必要である。この歳になっても、相も変わらず、

頼まれもしない、このような文章を書き続けている。しかし、今のところ

止めたいと思わないのは、テーマを探し、文章構想をたて、書上げるプロセスで、

多くの考える時間を得ることが出来るから。「考える」ことが、己を己たらし

めしている実感があるため。死ぬまで学び続ける姿勢そのことが最も大事である。

   [大人編]

 :荒俣 宏

動物だって勉強している/

人間は一人で生きていけないから勉強する/

人間は生き残るために知的欲求を発達させた/

「やってみたい」こそが「コンテンツ」集めの最強の動機/

コンテンツ」が増えれば勉強はラクになってくる/

マイペースで勉強するのがいちばん身に付く/

親のアドバイスが子どものストレスになるジレンマ

 :瀬戸内寂聴

勉強しないと「心の栄養失調」になる/

子どもの得意なことを見つけてやるのが教育の第一歩/

「先生は尊敬すべき人」と教えるべき/

子どもはテストの点でなく親の顔を気にしている/

1行でも印象に残る文章を見つければ立派な読書/

 :坂東眞理子

「人はパンのみにて生きるにあらず」/

グローバル社会の処世術を身につけるには/

自分が今ここにいるのは自分の努力のおかげだけじゃない/

裾野が広くなければ高い山にはならない/

型を破るためにはまず型を覚える/

 :福岡伸一

「脳の水路付け」から逃れるために/

勉強には人類の文化史が折りたたまれている/

教養とは知識の時間軸を持つこと/

「小さな問い」に一つ一つ答えていく/

大人になれないサルが「大きな問い」を発明した! ?/

センス・オブ・ワンダー」が人生を豊かにする/

科学と技術は違う。教育と職業訓練は違う

 :藤原和博

成長社会から成熟社会への移行/

情報処理力から情報編集力へ/

勉強と遊びの両方が必要/

クレジットをためれば自由になれる/

クレジットを希少性に投資するリターンは大きくなる/

 :茂木健一郎

知恵を得る以上に価値のあることは存在しない/

「フロー」のサイクルができれば子どもは勝手に勉強する/

知識や教養は高性能な脳内ネットワークを形成する/

今こそ日本の教育のベストシナリオを描くチャンス/

親がすべきは、子どもの「学ぶ本能」が起動するきっかけづくり

 :養老孟司

昔なら「くだらないころ聞くんじゃない! 」でおしまい/

「くだらないころを聞くな」と「そういうもんだ」は違う/

「勉強したくない」というのが本当のメッセージかも/

好きなことを突き詰めればすべての学問に通じる/

山道を登り始めればさらに先が見たくなる/

――――

▼ 世の中には、「心の栄養失調」の病人?の多いのに驚かされる。

 私自身、どうだろう。 倒産という形で事業生活を終えた私の人生は、

<この結果なればこそ、「五目並べ」の白の石目が一挙に黒に変わって

しまったことで、過去の白を黒として問い直せ!>ということになる。 

成るほど、どれもこれもが面白可笑しく、それらの事象が変わってくる。

視点の変化で、「大人は、なぜ勉強しなくてはならないの?」が、そのまま

我が身に突き刺さってくる。人生を洗いなおすために、学び直すために、

この結果はベストだったことになる。 

 福岡伸一氏の《教養とは知識の時間軸を持つこと》からすれば、この随想

日記を書きつらね、同月同日の内容を毎日、読み返す行為は、ベストになる。

15年分の同月同日の時間軸で、自分を省みる勉強になっている。

「シニアになっても、何ゆえに学ばなければならないの?」の答えは、

「あなたの現状そのままが、答えになっている!」  

「自由になるため、心の平安のため、広く深く遊ぶため、後悔しないため!」

 で、これもまた、以下の文章に繋がっていく。

2018-05-21 閑話小題 〜老いるに従い、サイコパス化する?

[] 05:24 閑話小題 〜老いるに従い、サイコパス化する? - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

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   * 陰口好きは軽いサイコパス

 先日読んだ本に「内幕情報屋は、軽度のサイコという精神病」とあった。

そこで直に思い浮ぶのが、何人かの面々。特に営業屋のトップセールスへの

前フリネタの有効なエサとして最も有効なればこそ、知らずに自らが毒されて

いることに気づかない。成るほど、あの人がサイコと思うと合点がいく。

人の不幸は蜜の味だが、悪口、噂話は気をつけるべし。問題は程度になるが… 

男の風上に置けない腐った女のような一群の人たち。 そう書いている私も? 

「老いるとは、サイコパス化していくこと。変化出来なくなるからだ」とすると、

先々が恐ろしい。

 

  〜ウィキペデアによるサイコを特徴とは〜

【 犯罪心理学者ロバート・D・ヘアは以下のように定義している。

 ・良心が異常に欠如している

 ・他者に冷淡で共感しない

 ・慢性的に平然と嘘をつく

 ・行動に対する責任が全く取れない

 ・罪悪感が皆無

 ・自尊心が過大で自己中心的

 ・口が達者で表面は魅力的

 極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義である。】

▼ 5人に1人に、この傾向が強いという。

 株屋、商品取引など金融系の末端?の人たちに端的に現れ出る軽い職業病。

それが今ではトップの金融庁の事務次官、国税庁長官がコテコテのサイコ?。

 ところで、最もサイコパス的なのが、政治家じゃないですか!

陰口を陰口で書くなど、自虐そのもの。 ったく!

 「自分は違うって?」 

「魂のシリアルキラーじゃないですか?」 ただし、すべからく、だが。

● シリアルキラーとは、快楽殺人鬼のこと。大部分の人達が、日ごと

 万引きより遥かに重い、快楽殺人のミニ版を行ってるのなら以下のことが

分かるはず。馬鹿にバカというのが、一番バカか。何かサイコの独り言のような。 

老いるに従いサイコ化する?というが、 …成るほど。噂話の流離人ですか。

――――

5544,閑話小題 〜悪口は泥棒より悪いって知っていた?

2016年05月20日(金)

      

      ー「泥棒と悪口と、どちらが悪いか」三浦 綾子(作家)

                  『人間学入門』(致知出版社)より

  * 軽度のサイコパスだとさ

 以前、この道理を知ったとき、そこまで悪口が罪悪とは思ってなかったこと

もあって、驚いてしまった。大家族の中で育ったためか、本能的に、悪口や、

他人の誹謗中傷を言うことがタブーか知っていた。一番立場の弱い末っ子が、

まず身につけるしかない自己防御のなせる業である。それが、進級、進学に

つれて、育った環境などにより、弱者に対する虐めや、悪口を言う人の比率が

増えていった。 学校、職場、一般社会も、階層があって、そのコントロール

として、誹謗中傷と悪口が、大きな働きをしていた。 それを筆者がズバリ、

泥棒より悪口が、悪いと断じるから・・  〜その辺から

≪・時折、講演で話すんですが、「泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか」。

私の教会の牧師は「悪口のほうが罪が深い」と言われました。

大事にしていたものや、高価なものを取られても、生活を根底から覆される

ような被害でない限り、いつかは忘れます。少しは傷つくかもしれませんが、

泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。だけど、人に悪口を

言われて死んだ老人の話や少年少女の話は、時折、聞きます。

「うちのおばあさんたら、食いしんぼうで、あんな年をしてても三杯も食べる

のよ」と陰で言った嫁の悪口に憤慨し、その後一切、食べ物を拒否して死んだ、

という話があります。

・それと、精神薄弱児の三割は妊婦が三か月以内に強烈なショックを受けた時

に生れる確率が高いと聞いたことがありますが、ある妻は小姑に夫の独身時代

の素行を聞き、 さらに現在愛人のいることを知らされた。

それは幸せいっぱいの兄嫁への嫉妬から、そういうことを言ったのです。

この小姑の話にちょうど妊娠したばかりの妻は大きなショックを受け、

生まれたのは精神薄弱児だったそうです。 恐ろしい話です。私たちの何気なく

言う悪口は人を死に追いやり、生まれてくる子を精神薄弱児にする力がある。

泥棒のような単純な罪とは違うんです。 それなのに、私たちはいとも楽しげに

人の悪口を言い、 また、聞いています。 そしてああきょうは楽しかった、

と帰っていく。 人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性です。

・もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、怒ったり、くやしがったり、

泣いたりする。 自分の陰口をきいた人を憎み、顔を合わせても口をきかなくなる

のではないでしょうか。 自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が

立つはずです。そのはずなのに、それほど人を傷つける噂話をいとも楽しげに語る。

私たちは自分を罪人だとは思っていない。 罪深いなどと考えたりしない。

「私は、人さまに指一本さされることもしていません」。 私たちはたいてい

そう思っています。 それは私たちは常に、二つの尺度を持っているからです。≫

▼ これを読んだのは、20年前になる。元もと、噂話や、他人の中傷誹謗に

 興味がなかったが、大家族の中では、第三者の話題はタブーに近かった。

学生時代も、殆ど、批評はすれど、批判をしないのが通り相場。いい大人が、

悪口など、男が廃るという空気があった。しかし、自分が人を使う立場になると、

飴と鞭のムチを、知らず知らず使いだしていた。知人に噂話を売りにした人が

何人か存在するが、耳を塞ぎたくなるほど聞くに堪えない。長年、かかって顔が

暗く澱み、声まで変質している。あれ、万引き常習者になるが、これも悪口か・・ 

――――

2016/04/07

愛と孤独 ―池田晶子の言葉 〜?

     『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田 晶子(著)

   < 孤独の味わい方 >

  * 他人の悪口が気になる人へ

《 人間には、自分の中の気になるものを、自分の外に見つけ出すという妙な

 癖があります。自分の中のそれが気になるからこそ、他人の中のそれが気に

なるのですね。 よくあるでしょう、誰かの悪口を言っているその人が、

自分が悪口を言っているその人にそっくりだということが。つまり、人間は、

自分の中にあるものだけを他人の中に見る。裏返せば、人間は、自分の中にない

ものを、他人の中に見ることはできない。当然ですよね、だって、ないものは、

ないんだから。ないものは、気になるはずがないんだから。 》〜『人生は愉快』

 ☆ 時間薬の効果で言えることだが、5年前の会社清算の一連が、当事者と

しての内なる記者の目線でみえた現象の面白さは格別であった。

 プラモデルの趣味の人に、それが壊れたとて、喪失感は少ない。それは、

楽しんだ結果でしかないから。所詮、悪口とは、その人間そのものの影!

――――

2003/11/25

965, 悪口についての一考察

 悪口については、随想日記の中では何回も書いている。

しかしテーマにしたことは無い、一番イヤなテーマであるからだ。

昨日、新聞を見ていたら‘メジャー’ヤンキ−スの松井は中学校二年生以来、

悪口を言ったことがないという。(所詮は勝ち組が言っているから注目

している部分もあるが)

それでは「私の場合は如何だろうか?」と考えてみた。

本音でいうと

 可能な限り言わないようにしている。その為には嫌いな人のいる場には

 極力行かないようにしている。例えば、ライオンズとか商工会議所などである。

 痴呆名士志向の子狐的人間である。  地方で頑張っている人はこういう

 傾向が強いから始末が悪い。自分より肩書きや収入が多い人間には媚び

へつらい、下の人間には尊大な人だ。 仕方ないのは解っているが。

「お前の姿でもある」といえば、そうかもしれない

  人間にとって自分は善人であり他人は悪人なのである。

 自分を理解しろと必死になるが、嫌な人を理解しようとはしない。

 それは、怠惰という無精者に過ぎないことに気づいていないからだ。

  〜辞典には

 ー悪口は「他人について、劣っていると(事実に反し、また実際以上に)

 いう言葉」とある。

 ー陰口は「その人のいないところで、いう悪口」と書いている。

 悪口とは事実に反してと書いている。

 

 週刊誌などは、それで持っているいるようなものだ。

 大衆の一番弱いところを狙っているのだ。

 辞書のとおりならば、悪口の経験のある人は虚言罪で天国の門は間違っても

 叩かれないことになる。

  ☆ 思いつくまま「悪口」について頭に浮かんだことを書いてみる。

・「悪口はドロボーより悪い!」と曽野綾子の本にあったが、まったく

 曽野(その)とおりである。ドロボーは人を殺さない、しかし悪口は時に

 人を殺す。

・悪口は結局は、自分の事をいっているに過ぎない。

 したがって根は深い。ただ自分で気がついてないのだ。

 悪口はその人の歪んだ心象風景といってよい。

・悪口にも色いろある。

 本人に面と向かっていう悪口と

 陰でいう悪口がある。

・宗親(居酒屋おやじ)「馬鹿野郎!これで俺等居酒屋が、

 商売でもっているんだ!でも酷いもんだよ!

 サラリーマンの悪口は耳を塞ぎたくなるより、

 『その対象の奴より、言っている本人を張り倒したくなるよ!! 

 まあ、そうでもしなくては精神のバランスが保てないのだろうがね』            

                         ー続く

ーーーー

2003/11/26

966, 悪口についての一考察 −2

 どんなに憎んでも、面と向かって言ってはいけない言葉があると。

しかし、悪口は楽しいのである。これが人間の悲しい性である。

4~5年前にある泥酔の高校の同級生二人に呼び出されたことがあった。

片っ端から知人の悪口を言っていたが、私を呼び出す前までは私の悪口を

言っていたのがミエミエであった。そして「人の悪口は楽しい!」といって

いる姿に唖然とした。そう、こう書いているこの文章も、彼らの悪口だが。

 私の場合、こと人間の真髄に関しては何を話しても悪口になってしまう。

虚飾などどうでもよい?見えるのは裸の猿の狂った姿である。

大学のたまたま入った学部が社会学部であった。早くいえば人間学である。

人間関係の網の構造を瞬時に洞察する訓練を受けているから始末が悪い。

さらに、こういう社会学的な本が好きで40年近く読み続けているから

知らないうちに外部化しているのだろう。

表面的な付き合いの人間には、全てが悪口に聞こえるはずだ。

同級生のスナックのママに説教をされたが、その道の専門家いやアマチュア

ということは知らないようだ。

 ところで悪口という概念は、なんの思想も持ち得ない。

ー怒れば、ストレス解消・精神衛生などという隠れみので、自己のプライド

 など微塵もみせず?に罵詈雑言をいい続ける。

ー気分の良い時は調子よく聖句などを持ち出してきて、

「悪口はいけません」とのたまう。

この二面性を持っているのが人間の姿である。

悪口の後で「仕方ないさ、人間だもの」と繰りかえす。

ー悪口をいま思い出せる言葉を羅列してみるとー

「服のセンスが悪い」「だらしがない」「カスが人間をまとっていうような奴」

「子狐のような奴」「屑どもめ」「仕事が出来ない」「気がきかない」

「痴呆迷死」「ミス何々ー失敗ばかりする女」「ダニ」「自民党のような奴」

「たかり」「くそったれ」「共同便所のような女」「東京ガス

 悪口はまるで無尽蔵である。

嫉妬心・怒り・敵意・ねたみ・憎しみ・優越感・軽薄など心の底に

渦巻いているドブから発するガスである。

 

 ー インターネットで調べた内容をコピー ー

  「悪口をやめよ 」

 ヤコブ4:11〜12

 箴言26:17〜28

 マタイ5:21〜24

  ー皆川尚一牧師ー

 悪口をやめよ!

兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、

自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。

もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者である。

しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、

救うことも滅ぼすこともできるのである。しかるに、隣り人をさばくあなたは、

いったい、何者であるか(ヤコブ4章11〜12節)。

 「兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない」(11節)。

 ここで「悪口を言う」(カタラロー)というギリシャ語は「逆らう」(カタ)

という語と「言う」(ラロー)という語が合わさって出来た合成語で、

「逆らって言う」とか「反対して言う」という意味です。

しかし、この語の使い方は、面と向かって相手に逆らって言うのではなくて、

今そこにいない人の悪口を言う場合に使われます。

だから日本語では「陰口をきく」とか「中傷する」とか「ざんげんする」とか

言います。顔と顔を合わせて相手に反対したり、悪口を言ったりする場合には、

相手の人は自分の考えを説明したり、自分のやり方を弁明したり、相手に

反論したりできますから、ある程度公平だと言えるでしょう。しかし、今そこ

にいない人のことを悪く言う場合には、言われる人は弁明できず、反論も

出来ませんから、悪いうわさは毒ガスのように人から人へと伝わります。

二、三人のヒソヒソばなしやいわゆる井戸端会議からゴシップが流され、

話に尾ひれがついて、あること無いことが発展して人の名誉が汚され、信用が

失われ、せっかく築かれかけた良い人間関係が壊れていくのです。だから陰口

ほど質(たち)の悪いものはありません。

  しかし、クリスチャンになってもこの悪い行いは、なかなか改まらない

人が多く、このために教会の親しい交わりが汚されるので、使徒ヤコブは、

特にクリスチャンお互い同士が陰口をきかないで、愛の交わりを育てるのに

心を配って行こうと呼びかけているのです。そこで大切なことは陰口をきく

のは恐ろしい罪だということを認識する必要があります。

それは「神の律法に違反する罪」と「神の大権を犯す罪」の二つです。

2018-05-19 閑話小題 〜誕生日大全

[] 06:43 閑話小題 〜誕生日大全 - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

f:id:horii888888:20180519063857j:image

         <「誕生日大全―補強版」サっフィ・クロフィード著>

 図書館の「返却コーナー」の棚にあった本で、その場で私の誕生日・

1月15日を見ると、非常に納得する内容。そこで、15日の前後の14日と、

16日を見ると半分、一月前と半年前は4分1が思い当たるため、借りてきた。

 まず冒頭から「1月15日生まれの人は、起業家精神の持ち主」と…。

「長所、短所」「性格と運命」「仕事と適正」は、起業を目指すと自ずと

生じること。とはいえ、起業家精神や、特性を論理的に言い表していると

みると、これはこれで納得できる。ネット検索に、「誕生日大全 1月15日」

と入れると、本と同じ内容が出てきた。

――――

   ★1月15日生まれ

1月15日生まれの人は、「起業家精神の持ち主」

   ー長所は?ー

●自発的 ●気前がいい ●信頼できる ●優しい ●協調性がある

●価値を見極めることができる ●独創的なアイディアを持っている

  ―短所は?―

●秩序を乱す ●落ち着きがない ●無責任 ●自己中心的 

●自信を失いやすい ●心配性

――    

   ー性格と運命―

●内なる情熱と持ち前の指導力で目標に向かって粘り強く献身的に

 取り組み、高い地位に上りつめることができるでしょう。

●現実的ではっきりとものを言いますが、生まれつき人づき合いの

 才能があるので、社会的にはうまくやっていけます。

 ただし、物質主義にとらわれすぎるのが玉にきず。

 あなたの素晴らしい可能性を実現する妨げとなるので注意しましょう。

●何でもはっきりさせようとする性格は、問題解決やビジネスセンスを

 高めるためには好都合です。

●勝ち気頑固で活動的で、組織をまとめたり人を触発したりする力を

 持っています。

6歳〜35歳⇒グループ活動を重視し、肩の力が抜けて自由を愛する

        ようになります。

36歳を過ぎると⇒感受性や精神面が強化されmこれは未来への

           展望、夢、理想となって表れてくるでしょう。

――

   ―仕事と適性―

●高い理想と確固たる信念を持ち、お金儲けの才能にも優れて

 いるあなたは、大きな事業を起こすことに成功するでしょう。

●創造力や前衛的ひらめきがあるので、美術商、学芸員、美術品

 の管理者などもおすすめ

●表現力が豊かで、人を感動させることができるので、演劇、

 オペラ、音楽の分野にも向いています。

――

   ー恋愛と人間関係

●社交的で自己表現の場を強く求めるあなたは、活動的な

 社会生活を送ること間違いなし。

●この日生まれの女性は、スリルに満ちた生活を好む豪快

 な男性に惹かれる傾向があります。

 また、知性を刺激してくれる頭のよい人に魅力を感じます。

 しかし、親しい間柄で疑念が生じると不安や失望の原因

 となるので、常に明るく信頼される態度を心がけましょう。

――

  運の良い誕生日 .... 150位 1月15日

▼ 40歳後半頃か、夕刻早々、新潟の古町を、既に亡くなった不動産会社

 の社長と小料理屋で芸者をあげ、御大臣遊びをした後に、次の店に歩いて

いると、和服姿のクラブのママさんらしき人が飲食ビルに入ろうとしていた。

  早速、連れが「あんたの店、ついて行ってイイですか」に、

「うちは運勢占いが売り。パソコンで誕生日を聞いて、直ぐに結果が

出るソフトが一げんの客には大受けで… 是非どうぞ」と。

 それまで星占いとか、運勢占いは殆ど無かった。店に入って落ちついた

後に、誕生日を聞かれパソコンに入力した結果の内容の適格さに内心、

仰天していた。 詳細は忘れていたが、ほぼ同じだったような。占い

など全く信じてなかったこともあり… 創業人生を経験したこともあり、

冒頭のように、起業家以外は、その特性を述べているに過ぎないことを

察知できるが。もし大都会に住んでいたら、一人ぐらいは、馴染みの

占い師を知っておくのも良いのかも? それには、使い分けられる知性

がないとね! 最後は、そこに落ち着くが… 

< 考え尽くした後に、あとは、おまかせ! > 紆余曲折があっても、

それしかないでしょうが… 

【誕生日大全 ?月??日】と入力してみたら。今月いっぱいは、隣人

スマートフォンを使い、調べ上げて、驚きの反応を共に楽しんだら… 

ところで思いたって調べた家内の誕生日の入力の結果は、その前日が

完璧に合致するが、当日分は真逆。そうそう当たってたまるか!ですか。

・・・・・・

4446, 屋根裏に誰かいるんですよ

2013年05月19日(日)

   「屋根裏に誰かいるんですよ 

             ―都市伝説の精神病理」春日 武彦著

数年前になるが、既に亡くなった知人の奥さんが会社の事務所に訪ねてきて

言うに、「誰かが留守に家に入りこみ、困っている」と切り出してきた。それも

会話の中で何気なくである。「ちょっと、待ってください。聞き捨てにならない話

で、もう一度、本当に侵入していたのですか」と聞きなおすと、現在も屋根裏に

隠れていると、写真を数枚だし、ここですと言う。

私の目には見えなかったが、本人には見えるという。「警官に来てもらい見たが、

何も見つからなかった。が、私には隠れているのが分かる。ところで、うちの主人

が生前、そういう話をしてませんでしたか? 貴方にはシックスセンスがあると

聞いてましたが、この現象をどう思いますか?」と真剣な眼差し。

「恐らく貴女は、魔界とか何か違う世界に取りつかれたと考えるしかありません。

そういう話は一度も本人から聞いたこともありません」と答えた。その話を、

その人の共通の知人に話すと、「実は私の家に訪ねてきて、全く同じ話をし写真

を見せてくれたが、私も何も見えなかった。他にも訪ねてまわっている」とか。

本人は60歳前後で、老女というには、まだ若い。 

  ーアマゾンの内容説明ー

精神科医である著者が、現代社会におけるさまざまな精神病理を、きわめて

冷静に考察したものである。ある日、ひとりの老女が、「自分の部屋に勝手に

人が入ってきて困る」と訴える。その侵入者は、彼女の部屋にある日用品などを

盗んでいったり、ちょっとだけ位置をずらしていったりするという。

しかし、姿は見えない。まるで、「座敷わらし」などの妖怪のしわざとしか

言いようがない不可解な話を、老女は真剣に語る。表題となっているこの症例は、

「幻の同居人」と呼ばれる。このような症例は、多数報告例があるらしい。

患者たちは、脳に器質的な異常が認められるわけではなく、精神的にも問題ない

場合が多い。「妄想の突飛さと当人の穏やかな常識人ぶりとのあいだに乖離が

生じているときには、精神医学はたちどころに歯切れが悪くなってしまう」と

著者は言う。それがこの症例の複雑さと奇妙さとを物語っている。

▼ 当時は、この本の存在を知らなかった。子供達の巣立った家で、当人は深夜

 怯えているのだろうが・・ 想像しただけで、背筋が寒くなる。当人にとって

感じるのだから! 私も一時期、女性の幽霊?を見たり、幽体離脱をしたり、

面白い経験をしたことがあるので、当人が真剣になるのは分かる。

・・・・・・

4813,閑話小題 ー高齢者の三割が認知症とは

2014年05月19日(月)

   * 高齢者の三割が認知症とは

 先日の朝日新聞の社会面に「認知症徘徊 不明届け一万人」の記事があった。

その中で「65歳以上の高齢者のうち462万人が認知症で、軽度認知障害が

400万人もいると推計される」とあった。高齢者が人口に占める割合が

23〜4%からすると、高齢者が3000万人。その中の862万とすると、

三割が軽度を含めた痴呆症になる。前期と後期高齢者では、二倍以上は違って

くるから、80歳までに4分の1、それを超えると、過半数は認知症になる。 

そして徘徊で不明になるのが年に一万人というから、深刻な問題である。

 それからして、長寿を願うのは実は考えもの。独り住まいの高齢者が増加

している中、本人も周囲も深刻な問題である。「健康診断などしないで自然死も

選択の一つ」も、理解出来る。胃瘻で一度、管につながれると、簡単に取り払う

ことが出来ない。生かして拷問しているようでもある。 死ぬも地獄、生き延びる

も地獄。老いて死ぬのも大仕事である。これを書いたためか、自分が認知症に

なって呆然と佇んでいる夢をみた。脳は面白いものである。その夢とは、

<店頭で、ハンバーガーコーヒーを注文するが、商品がなかなか来ない。

それを(どういう訳か中年男)の店員に言うが、何も答えない。ところが後で

入ってきた若い男が目の前のチケットを取って、カウンターに並んでいる。

私が店のシステムの要領を得ないで財布を持って勝手に立っていたようだ。

仕方がないので、店から出て、他のテイクオフの店に行くが、店内の座席は、

二人以上でないと座れないという。どうも自分が認知症で、街を彷徨っている

ことに気づいた>ところで、目がさめる。何か恐ろしい夢だが、認知症とは、

こんなものと自分自身に知らしめる内容である。そうこう考えると、可能な

限り医者に行かないで、自然にまかせることも選択の一つである。いざ、余命

一年、半年と告げられると、その恐怖は、はかり知れないのは父親の姿で知った。

傍らに一年いて、その恐怖感が直に伝わってきた。それも、激痛が死にたくなる

ほど激しくなっていく。死にいくのは、簡単なことではない。そのため認知症を

神様が与えた自然の業わいとも言える。マダラボケになるから、本人も、周囲も

地獄になる。 生きているうち、元気なうちである。以下の内容も、その類?

・・・・・・

5908、閑話小題 〜多重人格について

2017年05月19日(金)

 先日みたシネマの「スプリット」が、24の多重人格を持つ精神病者と3人の

被害者の恐怖の物語。 これが、面白い。多重人格には、精神には多数の人格的

な意識が、多重人格者の個人差に関係なく、人格には共通した特徴があるという。

≪ * 多重人格に多くみられる人格とその他の特殊な人格

・基本人格:重大なストレスの体験を発端として、最初に別人格が分離した

後に生じる、多重人格の核となる人格。受身的で控えめな性格の傾向がある。

幼少時から眠っていたり、非活動的な状態になっていることも多い。

基本人格に関しては、出生時からの本来の人格の状態という捉え方もあります。

・主人格:その時々で最も多くの時間、体を支配している人格。DIDの治療を

求める人格はたいてい主人格。典型的な主人格は、不安が強く、良心的であり、

頭痛に悩まされている。

・交代人格:交代人格は、主人格と基本人格以外の人格を指す場合が多い。

あるいは、主人格は交代人格に含まれるという解釈もある。あるいは、人格交代

して体を支配して行動出来る人格を交代人格とする解釈もある。あるいは、機能

や感情反応や生活史がしっかりとあることが交代人格の条件とする解釈もある。

・準(准)主人格:主人格の次に主人格のような役割を果たす人格で、

体を支配する時間や頻度が多い。

・子供人格:多重人格に必ず存在する子供の人格。子供の人格は時間が凍結

されていて、早期の心的外傷体験の記憶や感情を保持する役割を担っている。

甘えられる状況の時や自傷行為の後などに意識上に出現する場合が多い。

・異性人格:肉体の性別と異なる人格を指す。女性の男性人格は保護する役目

を持つことが多い。男性の女性人格は体を支配することが少なく、主に意識

内部で活動する。中性のような性別の人格や性別がない人格の存在もあり、

その場合も分類上は異性人格になる。

・救済人格:良心が具現化したような人格。人格達の状況を全体的に把握して

いて、危険を回避したり、適切に生きていけるように影響を与える。

理性的だが感情の起伏があまり無い。

・記録人格:生活史についておおむね完全な記憶をもっている。

過去の出来事や他の人格の行動についての情報を与えてくれる。記録人格が

複数存在するケースでは、一部の記憶だけを管理している人格もいる。

・統括人格:意識内部ではリーダー格の人格。人格達を統括する立場で、

誰を人格交代させるか決める権限を持っている場合もある。統括人格が複数

存在するケースでは、状況に合わせて別の人格が統括したり、一部の人

だけを纏めている人格もいる。冷静で厳格な傾向がある

・保安人格:意識内部で、人格システム維持の為の任務を請け負う。

意識内部の領域を守る、問題をおこす人格に対して監視したり行動を抑制

したり活動を停止させる、その他の意識内部の管理など。

・人格断片:人格の断片のような意識で、一つの情動による感情表現や、

決まった行動をする機能を持っている。人格断片は多重人格者に数多く

内在し、融合や分離を繰り返す。

・人外(じんがい)人格:人間以外の生命体を象徴する人格状態全般を指す。

ペットになるような哺乳類の動物が主で、特に猫人格が多い。半人半獣や生物

の形態をなしていないなどの現実には有り得ないものもいる。大体は人間の

言葉を理解し喋ることが出来るが、動物の場合は動物の仕草をしたり鳴き声を

出す時もある。人外人格の多くは、しっかりとした自我を持っていない人格

断片のような存在。

・憑依人格:憑依して人格交代する霊的存在による人格状態。悪魔憑きや聖霊

に満ちているような状態でも、憑依による人格的な存在が意識上に出現したら

憑依人格に分類される。たとえ霊的存在が憑いていたとしても、人格交代

しなければ憑依人格ではない。≫

▼ 上記をよく読むと、「性格分類」そのもの。それぞれの性格として

 現われでている。幼児性そのままを残した性格、優しさを持った救済人格、

傷つくことを異常に恐れる保安人格とか、人様々である。問題は、憑依するか

しないかの問題。職場や、勤め先を転々としていると、今度は、優しさを

前面に出してやろうとか、厳しさを前面にしてやろうとか、その都度、イメージ

を持って自己演出をしてきた。基本人格の上に、交代人格を付け加えてきた。

偽善、偽悪、露悪、露善の顔色である。これが、面白いほど、社会には通る。

詐欺師には、実際に騙すというより、様々な人に成りきっているため、罪の

意識は少ないのだろう。少し誇張しているうちに本当のように、思うように

なってしまったとか。これも多重人格の要素が現われ出てきたということか。

・・・・・・

5543,閑話小題 〜お金に窮したことは一度もなかった

2016年05月19日(木)

 * そういえば、お金に窮したことは一度もなかった!

          〜お金についての考えは人生に対する考えと同じ〜

 用心深い性格もあるが、事業人生の中で、お金に窮したことは一度もない。

両親、特に父親は、お金に対して厳しい人で、見栄や、無駄金、死に金、

小銭の扱いに常に目を光らせていた。普段の生活は徹して節約をし、外食や、

ブランド物趣味には、極端に厳しい姿勢であった。しかし、書籍の購入には、

一切、何もいうことがなかった。 

 学生時代、上京をして寮に住んでいた時の仕送りも、ギリギリの生活費しか

送ってくれなかったが、ヒモジイ思いをすることが無かったのは、節約が

身に付いていたため。当時の学生時代は、家庭環境に関係なく、殆どの人が、

似たようなギリギリの送金。カナダの学生は、それが首相の子供であっても、

アルバイトで生活費を稼ぐのが暗黙の習性という。

 その節約も、21歳の「欧州一周旅行」で、全てパーに。

「使ってこそお金の価値が現出する」と信じるようになっていた。

父が、末期ガンで死期を悟った時に、身近で実感したことは、「お金は、持って

旅たつことが出来ないこと」。 結婚直後からは、「稼いだときに、1〜2割を

別立てをして、残りは、使い切る」と、方針を変えた。それもあって、より遊ん

でおけば良かった、という後悔はない。死んだ瞬間、お金は一切、必要なくなる。

 また、お金が無くて呆然とした経験が一度も無かったことが良いのかどうか。 

健康面を除いた娑婆の苦しみの中で、「金の不自由」が、一番、辛いという。

現在、家内名義の家では少し肩の狭い思いをしているが・・

 他人事ではないが、一般的に、熾烈な事業の中で、万一の場合の用心深さが

あまりに無さ過ぎるのではと思うのは、老いのなせる業か。

<お金について> を書くと、あまりにシリアスになるが、なればこそ、

自分を見つめる合せ鏡になる。そこには、欲が、そのまま露出している。

 それは健康に対していえることだが、70歳を過ぎたから、死を従容と

受け入れたいものだが、現実となると? 

―――ー

面白いもので、偶然だが,9年前に「お金」について書いてあった。

・・・・・・

2237, お金の正体 −1

2007年05月19日(土)

      「お金の正体」 ー日下公人

              (((。・-・)从(・-・。)・゜

「生・死」と「金」の話題は尽きることは無い。

特に「金」に関してはもういいや!と思うが、それでも次々面白い道理に出あう。

しかし、どれを読んでも面白いのは、金が欲の集約でもあるからである。

この本を図書館で手に取ったときは、あまり内容のない本に思えたが、

実際読んでみると、面白い本である。

「お金の正体」はつきつめると

「その人が求めている幸せは何ですか?」ということになる。

幸せとは何ですか?は、これも単純で解りきったように思えるが、実は深い問題である。

私が好きな「幸せはアルコールのようなもの」とか、軽く扱われない大きな問題である。

以前にも何度か書いてきたことたが、

父が死を覚悟した時にジッと私の顔をみて、数千万円の数字を紙に書いて

「この数字と銀行預金の同じ数字と何処が違うのだ?」

と深刻な顔をして私に問いかけた。

「事業という楽しみの後に残ったカスがお金である!」が父の口ぐせだったが、

それでは、そのカスも紙に書いた数字でしかないことに気づいたのだ。

「実際に使えないなら現状なら、無いに等しい」といいう言葉を加えた。

しかし両親は、そのカスを更に楽しんで使っていた。

それ以上を求めること自体は、少し求めすぎのように思えたが、

それでも逝く直前に割り切れない何かが心が残った。

その時、何かを伝授してもらった。

「仕事を遊びまで高めること、そして、そのカスとしてのお金を、

仕事とは別の趣味を見つけ楽しむこと。それも楽しんだら、

大らかな気持ちで余韻を楽しむこと」である。

金を哲学的に考察すると、交換手段としてのルール(価値尺度)でしかない。

それでは目的はというと「魂の充足と自由」である。

「金」を通して(物や事で)魂の充足をしているうちに、目的と手段が混同し、

その混同が生き方を誤らせてしまっているのが現代の傾向である。

金という手段で「魂の充足と自由」をやり取りしているうちに、

金が魂と同類に思えてしまったのである。

だから価値尺度の通帳を見てニヤニヤしているうちに死に直面してしまい、

「金」が果して何だったのだろうかと錯乱してしまうのである。

ところで私の父親の迷いは何だったのだろうか?

その謎解きをしてみよう!

事業を楽しんで当時として、地方では財をなした。

そして、以前の家業の骨董屋の因縁で「骨董」の収集と、「国内旅行」を楽しんだ。

更に豪邸をつくった、そしてその8年後のある日突然死を宣告された。

目の前には、当時の数千万の預金と、幾つかの土地屋敷がある。

「それでも残ったこれは(資産)自分にとって何だろうか?」という疑問である。

死を直面して、混乱をしたのである。

父は事業も趣味も充分に楽しんだ。

そう、魂の充足はしたのである。

ところが、何かが欠けていたのである。

それは哲学的思考である。それも、難しい哲学ではない。

それで充分幸せであった!という心の安定を裏づける確信ができなかったのである。

「それでは完全燃焼などあり得るというのか?」という哲学的な答いが

出来なかったのである。

父の姿をみていて「哲学の基礎だけは教養として身につけておかなければならない」

ことを教えてもらったのである。

ー以前、書いた一部を紹介してみるー

ーーーーーーー

H0903  お金について

 誤解を恐れずに、いや覚悟の上に書いてみる。

これほど重要なモノについて誰も直視しない。

触れたがらないのはその本質があまりにも“現金”だからである!。

ズバリお金は“自由の塊”である。

世界の大部分のモノが引換に手に入る!人の心さえも。

それほど強力な魔物である。

それに支配された時、その人の奴隷使いにも変身してしまう。

反対に上手に使えば従順な召使いになる。

父がよくいっていた

“お金がないのは首のないのと同じ位つらい、

その苦労はこの世で一番の苦労だ!。”

“お金で奇麗事を言う奴が一番お金に汚い人だ!”

“生き金は使え、死に金は使うな!”

“お金の楽しみの(うまくいった仕事の)結果のもの。”

“それは使わなくては紙に書いた絵でしかない。”

“金・金・金!!とどのつまるところ、それだ、それ位重要である。

お金に窮してはじめてそれと気ずく。

それを誰も直視しようとしない。

世の中その為に首を吊り、人を殺しもする、盗みもする。

それを認めた上で、それにとらわれるな!

とらわれない為にはお金を貯めろ!”。

父の考え方は決して間違っていないと思うし一つの見方だ。

でもお金に対して奇麗な人であった!

 ーーーーー

ヾ(´Д`、)マタネ

・・・・・・

5178,閑話小題 〜日本の将来に疑問

2015年05月19日(火)

   * 後世への恥さらし 〜歴史的汚点の結果に

・大阪都構想は、僅差で否決され、これで維新の党は消滅をする。

 これは既存政党丸がかりで「維新の党」を潰したと同じ。後々、

この否決は、日本の没落の象徴として位置づけられる。大阪市民がノー

という選択をしたことは、間違いなく、日本の将来に暗雲をもたらす。

本気になって日本を変える気持ちが無いという選択である。

・ある批評家が、ブログで、「大阪市政廃止は、何の合理化にはならない」

と、したり顔で論じていたが、この問題は、「日本を本気で変えていく気が

ありやなしか」の突破口の杭になるかどうかだった。東京オリンピック開催を

選択した上に、この有様。これが日本の現状である。それにしても、日本の

既成政党が、こぞって、反対したとは、何をか言わんである。この結果の、

マイナス効果は、大阪だけでなく日本を痛めつけるだろう。

・私が橋下を代弁すると、『仕方がない、この結果の評価は歴史が証明する。

それにしても、この既成政党の全てが総がかりで反対とは、世も末。

これだけ、内側の市長と、県知事の立場で内部告発をしても、市民、府民が

理解できないとは思いもよらなかった。何が地方再生だ。その前に、大阪を

まな板に上げ、徹底的に合理化をすべきだろうに。 これでは、生活保護

対象者は大阪に殺到する。彼らは、この甘さを享受したいからだ。

無念だが、仕方がない!』 

・これもそうだが、気持ちの悪い空気が覆い始めている。 こういう時に、

大地震と噴火が得てして起きる。バブル崩壊の数年後に淡路・神戸大地震が、

リーマンショックの4年後に東北大震災が起きた。恐らく近い将来に経済の

クラッシュが起き、その数年後に大震災の可能性が・・(逆もあるが)

 何か、自分の死の不安を重ねている? ようだが。

2018-05-18 閑話小題 〜一昨夜半の不思議な夢

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   * こんな夢をみた

 面白い夢を何度かみてきたが、何ともはや、一昨夜のは奇妙な面白い筋書。

夜半の寝床にヨガのポーズを取入れて4年。その成果か、寝ぼけだったのか。 

夢と覚醒の境目に立ち、二つの世界を行ったり来たり。三カメ視線的な夢経験。

 夢かも知れないと思いつつみる夢物語。それが現実の延長だったり、夢のよう

な淡い感覚が何とも奇妙。毎週、シネマ館で映画をみたり、寝室で一日数本の

ドラマ、映画を見続けていることも影響している。映像世界の経験が、現実世界

の経験と混濁し、脳内で夢物語を創作してくれる。これだけ、連日、面白い映画

をみ続けていれば、現実と、映像世界と、脳内世界が混合しても不思議ではない。

今では、パソコン、ネットTVで、瞬時でYouTubeなどの映像世界に入込みが可能。

夢の世界は無意識が創り上げる物語。無意識世界の遊覧にもなる。

個人HP内検索で「夢の話」を入れると、数知れないほど多く出てくる。

 

 他人の夢の話ほど面白くないのはないというが、自分にとって、薄気味悪く、

リアルで、かつ絶妙な面白さを含んでリアルに語りかけてくる味わいがある。

夢分析というが‘書き出された夢’は‘掻きだされた自分’そのものでもある。

書くことの秘儀の最たる現われが夢日記になる。それぞれの日々の雑事より

遥かに、夢の記述がリアルに自分に語り掛けてくる。

時により、自分と書いた相手や現象との邂逅になる。 …逆もあるが!

単純馬鹿と思いきや、なかなか複雑怪奇な、したり顔も見え隠れしている。

『真実の自己との邂逅』ということですか。 でも、「御前って馬鹿だね」

「こんなものかい」と思い知ることが遥かに多いのは無能、不徳の致すところ。

夢と現の境目を両足で行ったり来たりとは、夢日記を書き続けた効果?

まあ、ふざけている? 所詮、人生は、夢幻でしかない! 

 夢幻こそが、真実?の世界かも。 真実の言葉自体が、何とやら?

夢分析じゃないが、膨大な共同幻想の一端も垣間見ることが出来るようだ。

反面、赤裸々の脳のレントゲン写真を公開して良いものか? 今さらですか。

――――

2005/07/30

1579, 閑話小題

  * 一昨夜の夢の話

面白い夢を見るものだ。医者から薬による至高体験のため、無害の麻薬を注射

してもらった夢。薬によるハイ状態とはどんなものか、病院のベッドに横になり

冷静に薬によるハイを待っている。ところが、横になっていなければならない

のに、歩き出してしまった。危ないと思って元のベッドに戻った。

しばらくすると、フア〜とした酔った感覚になった。

潜在意識が、薬の至高状態の経験を夢のカタチでさせようとしたのだろう。

安全であれば一度は経験してみたいが、安全のわけがない。

インドに行った時、ツアーの同行の女性から??を飲んだ体験談を聞いた。

とにかく、可笑しくなり腹の底から笑って嬉しさが極限になるという。

経験者がいうことは解りやすい。

  ー広い世界に馬鹿ひとりー

何気なく浮かんだ言葉で、何も深い意味は無い。

自分に対する心の奥底の言葉といったらよいだろう。

「小さい井戸の殿様蛙」という言葉と対比すると面白か。

世界を一人漂流旅をつづけていると、こんな言葉が出てくるのだろう。

孤独感と、広い世界に拠りどころを見出せない虚無感が覆いかぶさった

自嘲の叫びか。しかし、この言葉に何ともいえない親しみを覚えるのは何故。

一人大声で『あ〜あ!』と大きな溜息をつく癖がある。

この溜息の背後にあるのは「広い世界に馬鹿一人」と「小さな井戸の殿様蛙」

という気持ちがクロスした感情か。

――――

2004/07/15

1199, つれづれなるままに

  ー夢ー

この数日、最近たて続きに面白い夢をみている。

他人の夢ほどつまらないものはないというが、

潜在意識を覗くという面でみると面白いのではないか?

ー何かの乗り物で地球外の何処かにいってきた夢である。

そこは小さな惑星で、別宇宙という感覚であった。

恐らく、鈴木秀子とユングの臨死体験を読んだ影響と思われる。

二人の臨死体験を夢で疑似体験をするところが不思議である。

ー子供の時に亡くなった兄が帰ってきた夢をみた。

何か、寂しそうで生気が無い顔をしていた。

思わず泣いてしまった。

翌日、家内に寝言で泣いていたと言われた。

その後に、仏間に誰かがいる気配がした。

起きていってみるが、そこには誰もいない。

それも夢であった。

――――

2001/12/19

[70] 夢についてー2

何か欲しい!とか、どこかに行きたいという夢と夜見る夢と共通点

が非常に多いという。トイレにいきたいと探している夢は目を覚ますと

殆どトイレにいきたい状況である。次の夢は不思議な不思議な夢だ。

‘母とか父が死んだ後自分のなかに生きている!’とかいうが、

少なくとも私の中で事実の世界だ!夢で事実生きている。

痴呆症になり幼児に退行した幼児に変身した母が出てくる。

それは正しく母が私の中で事実生きているのだ。

次にまた以前書いた文章をコピーしておきます。

ーーーー 

H0511妙な夢―(?)

 ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。

泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!

起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、

居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団に入る。

ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。

まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。

これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。

また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて

(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!

 直観的にまずいと思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていた

と思うが?何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。

こんな事もあった、これは夢ではないが部屋の天井や床の下四ケ所で次々と

音がする。しかし夢ではなかった。ところで当社の税務事務所の応接間でも

同じ現象があるそうです。  2001/07/02

――――

       「堀井誠作・シマ・The・world」ー両親の思い出

2015/09/24

閑話小題 〜今日は母親の命日

  * 今日は母親の命日

 今日は母親の命日、19回忌になる。早いものである。

ほぼ毎年、父の命日には思い出などを取り上げるが、振返って調べると、

母の命日には、時どきしかなかった。しかし、その前後に夢に必ずといって

いいほど出てくる。昨日の朝方も、夢に出てきた。寝室の二つの

ベッドが、廊下をおいた差向かえにある仏間に移動してあって、寝室には

一つだけ母のベッドが置いてある。その枕元には文庫本が一冊あり、何かの

読書指導書。さすがと思ったところで目が覚めた。

 また今朝方も極楽にいるような夢をみた。

《自宅の1Fの勝手口の前に、花園に色々の種類の花が咲乱れている。

そこに様々な小鳥や鳩の大きさの鳥が次々やってくる。そこで、デジカメで、

写真を撮るが、いつの間にか、その花園の赤い花が、周囲に広がっている。

鳥と花の兼合いが、何とも美しくて写真を撮ることを忘れて見入っている。》

 これを書いていて、この夢が実は母親の贈りものでは?と、思いついた。

この随想日記から、母について書いていた文章を内部検索で調べると、

以下の内容が出てきた。書くこと、書き残こして外部化しておくことは、

心の、想いの刻印になる。 燃焼しきった人生は、奥行きが深い。

 極楽の景色を、母に鮮明に見せて貰ったことになる。毎日、世界の絶景を

ブログに乗せているが、極楽的光景を連日、目にしている背景があるようだ。

 さて、ポタリングをして、母の墓参りだ。

―――――

4200, 閑話小題 −母の命日に

2012年09月25日(火)

  * 母の命日

 昨日は母親の17回目の命日。亡くなって、16年経つ。

やはり、その年月は長い。今でも2〜3ヶ月に一度は、母の夢をみる。

先日、倉庫で母親のアルバムを見つけた。四人姉妹の末娘の姉と、旅行先で

当時の映画俳優と記念写真を撮っていた。戦後、戦中、戦後という激動の中に

生きてきた逞しさがあった。当時の男も女も皆そうだったが、平時の数倍の

人生を生きてきた。私の知恵は、こと何かあると両親に語りかけることから

生まれることが多い。夜半に問題を語りかけると、思いもよらない答えが出る。

読書は著者との対話でもある。愛読書を読み返すとは、最も信頼する著者の魂

と対話していることになる。両親は、自分の限界であり、かつ土台である。

両親は、私にとって限りなく純粋で愛情の塊のような人だった。

独り何かを求め続ける、これが両親から学んだこと。

――――

2007/04/24

2212, 宇宙的自己?が語りかけてきた?

                  (。・8・。)ノ おはよう!

  *一昨日の朝方の夢

10年近く前に亡くなった母の夢を時々みるが、一昨日の夢が不思議な夢。

晩年の母は5年半ほど痴呆症だったが、夢の中の母は平常の状態。

不思議に思い、「如何したら呆けないでいられるのか?」と聞いたら、

「何を経験しても、その都度ごとに文脈としてまとめることよ、

また、一つ一つの要素をキッチリと言葉にしておくことよ。」

と諭すように答えた。そして、家の宝として、小さな仏像を5~6個持ってきた。

さらに家にある大きな封書を持ってきた。神聖な昔から家にある「書置き」の

ようだ。そこで目が覚めた。普段の自分の世界から一歩抜け出た不思議が感覚。

‘遥か遠い向こうの世界からの魂の呼びかけ’のような‘宇宙的自己としての

母の自己が、地上の私に直に語りかけてきている’ようであった。

現に毎晩、私が寝ているところが、母が30年以上寝ていた処である。

「魂とは何なのだろうか?」不思議で不思議で仕方がない。

誰もが持っている、不死の何かなのだろうか?

あの夢に出てきた母とは誰なのだろうか?

自己の創り出した(記憶の底から出てきた)母のイメージだろう。

夢も考えてみたら不思議である。

犬も夢をみるというが、自分の無意識がつくり上げた物語である。

 以前は不思議な夢を多くみたが、最近はめっきり少なくなった。

モーニング・ページに起きざまにみたばかりの夢の内容を書いている。

そのまま、大学ノートに書きなぐるが、生々しい夢を書くのも面白い

ものである。モーニング・ページの大きなコーナーになっている。

内容は他愛もないが、それでも時どきハッとするような深い内容がある。

夢と魂とは何か結びついているんじゃないのか?と時どき思う。

それも身近な母や父などの夢は、特に!

ところで母が持ってきた、あの封書の中味は何だったのだろう?

母の残した、「詩」だろうか?それとも家を守りなさいというサイン?

あのイメージは、家筋としての記録である。

家系としての筋道?   胡散臭いが!   

                   ホンジャ  (~▽~*)/

――――

2006/09/24

2000, 継父

        (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜

今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。

この随想日記2000回と重なるところが不思議である。

早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。

5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメをする

ことがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。

始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。

マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた

悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。

マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。

亡くなって一月後に、

「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いた。

両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。戦争は全ての

国民に深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に生まれたが、

あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・

ところで母の命日なので供養として、

母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。

そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。

この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、

「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、

断ってしまった。20年前で母が生存中なことと、それを多くの

セレブの前で話すには自分が出来てなかった。

その時、是非話しておけばと悔いが残っている。

母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。

(奇しくも昨日 WOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。

3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった)

家が商売をしていたので残った祖母は男後家をもらうしかなった。

そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。

そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。

義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。

3人の末であった母に、特に虐めがいったという。

それが母のトラウマになってしまった。     ーつづく

 さて墓参りだ!

ーー

書いた後に気がついたことだが、

ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー)

次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。

               (。・ω・)ノ☆゜+.バイ! 

――――

2004/09/25

1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2

 十数年前のこと、新潟に有名な教育者が講演に来た。その夜、

勉強会の「新潟木鶏クラブ」で、彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。

そしてそのままホテルに泊まってもらった。翌朝お礼を兼ねて、

弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。

二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。

そして直に旧知の友のようになった。知らないうちに、昨日書いた

母の生い立ちと、それゆえの不幸の出来事の話と、不条理の話に及んだ。

本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、新潟の田舎の風情を楽しんで

いたようであった。それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。

「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ

「すごい内容だ。是非うちで開いている勉強会で話してくれないか」

と依頼されたという。

いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。

「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」と断ってしまった。

こういう機会でなければ、森信三という戦後日本最大の教育者とは、会う機会

がなかったのに、本当に惜しいことをした。また、そこに聞きに来ている人は

ふだん会えない、凄い人ばかりのはずである。 後悔あとに立たずである。

森信三氏も似たようなことがあったというが。それから数年後の1992年に、

森信三氏は亡くなったのだ。本当にバカのことをしたものだ。

話は元に戻るが、母の7人の兄弟・姉妹のうち、母の実父の

上・三人は幸せな人生をおくり、下4人は??

ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。

「事実は小説より奇なり」というが、母方の姉妹をみていると

軽く一冊の小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。

――――

2004/09/24

1270, 母が亡くなって、まる八年!

       ー命日に,母の魂に捧げる

9月24日が母の命日である。まる八年経った。遠い昔のような気がする。

今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。母の優しさは、誰に

とっても共通である。父の真の厳しさと、母の優しさの深さを知るのは、

自分がその年齢になって初めて解るものだ。

世界広しといえども、母は一人である。そして、ただ無条件で愛して

くれたのは両親だけである。親の愛こそ、神の愛に勝るものである。

真実の愛は、親の愛がその原点にある。

愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。

キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。

人間形成は、10歳までの家庭構造とそれを取り巻く環境ー条件で

ほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。

 ー命日ということで、母のことを少し話してみる。

母は特異な家庭環境の下で育った。兄一人、姉一人の三番目に生まれた

二年後に、実父が亡くなってしまった。そこで祖母は、(後妻でなく)

後夫をもらった。(要するに男後家)

その後、後夫の子供が4人生まれた。

後夫は当然のことながら、前夫の子供を徹底的に苛めた。

特に一番幼い母が、その対象になった。祖母は後夫の手前、

守ることも、直接的な愛情を注ぐことができなかった。

そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。子供に対する

扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。

ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。

それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。

その結果、重度のノイローゼになった。私が7〜10歳の時である。

立ち上がるのに5年もかかった。その時、心臓が四分の一壊死していた。

(亡くなった直後の解剖で判明) そういえば、私も子供を抱きしめる

ということは一切しなかった。その苦悩・苦痛の中から、神様のような

優しさを持つようになった。そして強さも。

その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。

私が癒し系の話題が多いのも、その神経症系を乗りこえるプロセス

多くの本を読んだからだ。いやそれより、面白いこともあったが。

どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。

特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。

      さあ墓参りだ!      23日6時半ー記

2018-05-17 閑話小題 つれづれに ー新潟・少女殺人事件 〜2

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   * ロリコンですか

 新潟の幼女誘拐殺人事件。加害者だけでなく、犯人も、家族も茨の道を歩く

ことになる。刑務所内で一番嫌われるのが、この手の暴行殺人。徹底的に

苛め抜かれる地獄絵が待っている。

逮捕の前に記者から自宅玄関で、犯人の弟が、インタビューを受けていたが、

その時、何が起こっているか知る由もなく、あっけらかんとして応対していた。

小さな地域社会、残された家族は、居た堪れなくなって… ?

その後、母親がかわって対応していたが、家の近くに車が止まる音がして、

いま帰ったようですよと、いった直後に発進音が聞こえていた。犯行時間の

数分前? … 

犯人の両親は、まだ50歳代そこそこ?。 幼女を殺害し、線路に放置し、

バラバラ?にして証拠隠滅にしようとした手口は… まだアドケナサが残って

いるロリコン青年。中学生の頃からロリコン癖が表立っていたコテコテ。

現場沿線には幾つか大学があり、アパートに多くの学生が住んでいる。

まさか自分の息子が?と、何人かの親御は心配していただろうに。

ロリコン趣味の外に、様々な嗜好が世にあるようだ。同性愛、デブセン、

変わったところでハードホモ、ジュク(熟)セン、ブスセン… 

私の性癖は「ビジョセン」。なら、異常者ではない! が。

センスも、頭も、性格が比較的良いの揃っているのが多い。例外もある…

それにしても、今回の事件は、悪質で同情の余地は全くない。犯人の自宅から

直線距離で50mというから、少し離れたところでやれよ!と言いたくなるが、

これだけは、病気だから何をいってもダメ。

どんなイヤラシイ顔つきの男と思いきや、何処にでもいる普通の兄ちゃんに

拍子抜けした思いである。

《 ロリコンの性格的特徴を検索すると…

 1.A型男性が多い

 2.貧乳を好む

 3.同世代の女性との会話は難しくインドアの人が多い

 4.世話上手

 5.二次元アニメを好む

 6.ステータスを好まない          》

  逆にロリコン好きの少女も多いというが… 

 山口達也騒動、考えてみたらロリコン?だった。

  御相手を間違えただけ? 

――――

閑話小題 〜つれづれに ー新潟・少女殺人事件 〜1

2018年5月02日

    * 新潟・少女殺人事件

熊: 県知事の買春事件で大騒ぎの後に、父子五頭山遭難騒ぎにつづいて全国区

  ニュースが続くね。何でわざわざ、死体を線路に置いたのだろうね。

寅: バラバラにして死因を隠すためだろうか? それを目撃する快楽を味わう

  快楽犯も考えられるけど、それは考えすぎ?。 白い車で、黒服の男という

  から、2〜3割?は、該当するからね。女児が朝、しつこく声をかけられたと

  いうから、何処かの監視カメラに録画されている可能性が高いし… 

  解決は早いだろうよ。昨年9月には、同じ小学校の女子児童が男に声を掛け

  られたり体を触られたりする不審者情報が3件あったというしね。

熊: 死んで何時間すると轢かれても出血しないことを、この事件で知ったけど、

  犯人も知らなかったみたいだね。ということは、死因を隠したかった?と

  しても、殺した上に… 

寅: 俺らさ、北欧の刑事モノ連続ドラマに、この数年嵌っているので、こういう

  異常な事件になると、色いろ思い浮ぶんだ。俺なら、阿賀野川の河口に

  捨てるとか…。イギリス、北欧モノには、少年少女への暴行殺人が、結構、

  多いし。としても、異常過ぎる事件だね、これは。 何も知らない子供の頃

  から、異常ドラマを見て育ったら、映画と現実の境目がつかなくなっても

  不思議でないさ。

大家: 情報化がもたらした、マイナスの一面ですか。全国版で、リアルタイム

  の犯人探しとして扱われるのだろうが… 私も、興味本位では、その一人。

  マスコミにとって、犯人逮捕が遅れれば遅れるほど、視聴者の興味が膨らむ

  ため、有難いのだろうがね。

寅:<9月に、逮捕していれば>のそもそも論が、当然てるため、警察は必死に

  なるから。 9月、5月からみて、学生が考えれるね。

熊: 昨日さ、たまたま寅さんに勧められて録画していた北欧の刑事モノを見た

  けど、酷い内容。 この内容を思わせる事件で、何か、背筋がゾッとしたよ。

・・・・・・

4444, 過去の意味は変えられる

2013年05月17日(金)

  * 過去は変えることはできないが、過去の意味は変えられる

 何気ないが心に響く言葉、「過去は変えることはできないが、過去の意味は

変えられる」がある。40年近い事業人生と、この結末を如何に受容するか。

所詮は、人生も事業もバブルと、その崩壊過程の側面がある。何事も始まりと

終わりがある。その行蔵は残るが、変えることはことはできないが、意味は

変えられる。それは、自分が何を目指すか、楽観的か悲観的か、などで意味の

捉え方で変わる。過去の意味(価値)を変えることは、未来と現在に対する

考え方を変える。過去を結果に言い換え「結果は変えることはできないが、

結果の意味は変えられる」として、人生、事業を総括すると多くの視点が

見えてくる。現在こうして存在していることは奇跡である。

全てがベストであったから今の私が、ここに存在している。

(この宇宙、地球、人間など全てだが)それでは「過去の意味を変える」とは

如何なることか。意味に近い言葉に価値がある、意味=価値として考えてみる。

価値とは、その人にとっての優先欲求、優先順位でもある。ということは、

何を目指しているかに行きつく。過去の価値は、現在の価値で解釈が変わって

当然、作り変えられ、加工される? 歴史が、時間と共に解釈が変ると同じ。

意味には真実も含まれるが、その真実もあてにならない。当人が信じていること、

それが真実といわれるケースが殆ど。そこで、真実と意味を辞書で調べると

・【真実とは、虚偽の反語。本当のこと、偽りでないこと。歪曲や隠蔽や錯誤を

 すべて排したときに明らかにされること。漢字の意味は、事柄の中身を開いて

 見たときに、実(じつ)として充満しているもの ...】

・【意味とは、表現に対する「なかみ」。意図するところ。表現(結果)を

 さかのぼる真意、意図、目的。ある現象(行為・言語・その他)に添付される、

 ある種の上位概念。】とある。

真実も、意味も、言葉の解釈で如何様に変わる。あるのは現在しかないとすると、

過去は記憶でしかない。その記憶も曖昧ときたら、成り立つ基盤は在って無い

ようなもの。「過去の意味は、現在の解釈で如何様にもなる」ということ。

・・・・・・

5906,閑話小題 〜回転(回らない)寿司

2017年05月17日(水)

   * 回転(回らない)寿司

 TV番組のレポートで、回らない回転寿司レポートを知っていた。

それが近くにできたSC内の一角にオープンした。歯医者がたまたま目の前

で昼時だったこともあり、一人で入ってみた。注文の全てがパネルタッチ方式で、

既存のパネルだけで発注するシステムと思えばよい。客の立場から一番良いのが、

厨房から握りたての寿司が数秒で目の前に届くため美味しさが違う。シャリが

立っていて街中の寿司屋のようだ。回転寿司といえば、目の前に次々と回って

くる皿を取るが特徴だが、握られてから手に取るまでに平均10分?は要する。

しかし、これは口に入るまで、1分そこそこ。 美味いのは当り前。これでは、

従来の寿司屋はますます廃れる。あと5年もしないうちに、8〜9割方は、これに

とってかわる? 

   * つれづれに

 毎日、スケジュールどおりに変わらない日々を過ごしているが、その中の柱が、

この随想日記を書上げること。これまで人生で起こったことと、日常の全てが

テーマのネタになる。過去のネタと、日々のネタを仕入れ、縫い上げる物語化

するのに頭が一杯。しかし、これも慣れてくると面白い。いや、面白くなった

が正直のところ本当。一寸したことで、落ち込みそうになるが、それも、物語化

をして面白がることで、何とか乗りきっている。これを書き続ける効用の一つが、

マイナスの出来事を、プラスに変容できること。 表現は、他人をも救うが、

自分も救ってくれる。たしかチャップリンが、映画の中で言った言葉、

<死は避けられない。しかし、生もまた避けられない>があるが、

避けられない生ならば、それを目一杯楽しむしかない。で、周囲からしたら、

奇妙な老人が、何かバカをしている? だけとしても、楽しければそれで充分。

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5541,閑話小題 〜 『ルーシー

2016年05月17日(火)

   * 『ルーシー

 先日、『ルーシー』をTVの再放送で観たが、半年に一回位は放映されている。

もう4〜5回はみている。私も微細だが、何か面白い特殊能力がある。誰も、

個々に特殊能力、いや脳力があるが、気づかず見逃しているだけ。この映画、

見る度、その面白さが増していくのも珍しい。それにしても、映画は面白い! 

 〜まずは、その内容から〜 【ストーリー】

≪ マフィアの闇取引に巻き込まれたルーシーは、特殊な薬が入った袋を体に

 埋め込まれ運び屋にされてしまう。しかし、体内で薬が漏れたことで彼女の

脳機能は驚異的に覚醒。脳科学者ノーマン博士が見守る中さまざまな能力が

超人的に目覚める一方、少しずつ人間性が喪失、自ら制御できなくなっていく。

『レオン』や『ニキータ』などクールなヒロイン像を打ち出してきたリュック・

ベッソン監督と、スカーレット・ヨハンソンが初めて組んだアクションスリラー

体内に埋め込まれた特殊な薬が漏れたことで脳機能が驚異的に覚醒し、

人間離れした能力を発揮し始めるヒロインの暴走を描く。通常は10%程度しか

機能していない脳が、100パーセントへ向かって覚醒していくヒロインを見守る

脳科学者役に、オスカー俳優モーガン・フリーマンがふんする。≫

▼ 西アフリカを南に下っていく道すがら、面白いところがあると立寄った

 数軒のテントの店が全て、呪いに使う小道具だけを扱う店だった。当時は、

民度が低いアフリカの地方の一現象と見ていたが、どうだろう、案外に効果が

あるのかもしれない。変と思われるかもしれないが、この5年間、いや人生の

節目ごと、直接、私の心の傷口を蹴り上げてきた人の8〜9割が人身事故か、

大病か、ごく近い親族が倒れ寝たきりとかになる。あとの1〜2割は、それが

入ってこないだけと思っていたが、その数人が、ごく最近・・? 自分でも

恐ろしい? 元もと不幸な性格の人が、他者の傷口に、自分の傷口の血を擦り

付けるため、それが膿んで、自分の傷口に毒が悪化するため。こんな映画を

数回も見るため、因果をつけた筋書きをしているだけとしても、実際に、何か

あるのでは?と・・ 人を恨ばま、穴二つ、いや無数! 逆に、恨まれている

憶えは数限り? それでも何とか、健康に?生きている。毛沢東、スターリン

ヒットラーなど、狂い死にしてよいはずだが、そうでもない。とすると、

これは私の創作した馬鹿話! がオチ。 でも不思議だが、娑婆は妄想である。

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4811, Quirt <内向型人間の時代> ー2

2014年05月17日(土)

               <内向型人間の時代>スーザン・ケイン著

  * 内向型人間は二流の性格特性か?

 外交型人間の代表といえば、特にイタリアスペインなどの南欧の人たち。

逆に内向的人間の代表はフィンランド人を代表にした北欧の人たちからみて、

季節要因と食料が大きく影響しているのが分る。黒夜の時節、15時になれば

真っ暗になれば自殺率が高いのも当然である。冬期間に雪に閉ざされ、内向き

になる秋田、新潟の自殺率が高いのと似てる。外交型人間を理想とする価値観

の中で、内向型人間は、一段も二段も低く見られるため、どうしても隠したがる。

  ーその辺りから抜粋ー

《 今日、社会が求める性格タイプはごく狭い範囲に設定されている。

 成功するには大胆でなければならない、幸福になるには社交的でなければ

ならないと、教えられる。 私たちはアメリカを外向型人間の国家として見て

いるが、それは必ずしも真実ではない。どの研究を見ても.アメリカ人の三分の一

から二分の一は内向型である。言い換えれば、あなたの周囲の人々のうち二、

三人にひとりは内向型なのだ(アメリカが有数の外向型の国のひとつだとすれば、

世界にはもっと内向型の比率が高い国々がある)。あなた自身が内向型でない

としても、家族や学校や職場に何人か思いあたるだろう。もし三分の一から

二分の一という統計に驚きを感じるのなら、それはたくさんの人が外向的のふり

をしているからだ。隠れ内向型は、学校の運動場や高校のロッカールームや

大企業の廊下に気づかれずに生息している。なかには自分自身までもすっかり

騙していて、なんらかのきっかけで、たとえば、失業、子供の親離れ、遺産が

転り込んで時間を好きに使えるようになったなどで、ふと自分の本来の性格に

気づく人さえいる。この本の内容を友人や知人に話してみれば、思いがけない

人が自分は内向型だと思っているとわかるだろう。 多くの内向型がそれを

自分自身にまで隠しているのには、それなりの理由がある。私たちは、外向型

の人間を理想とする価値観のなかで暮らしている。つまり、社交的で先頭に

立ちスポットライトを浴びてこそ快適でいられる、そんな自己を持つことが

理想だと、多くの人が信じているのだ。典型的な外向型は、熟慮よりも行動を、

用心よりもリスクを冒すことを、疑うよりも確信することを好む。たとえ悪い

結果を招くかもしれないと思っても、すばやい意思決定を優先する。

チーム行動を得意とし、グループ内で社交的にふるまう。私たちは個性を尊重

すると言いながら、ひとつの特定のタイプを賞賛しがちだ。その対象は

「自分の存在を誇示する」のを心地よく感じるタイプなのだ。もちろん、

テクノロジー分野の才能があって自宅のガレージで起業するような人なら、

一匹狼だろうとどんな性格だろうと許されるが、それはあくまでも例外で、

そういう特例として認められるのは大金持ちか、そうなると約束されている

人たちだけだろう。 内向性は、その同類である感受性の鋭さや、生真面目さ、

内気といった性格とともに、現在では二流の性格特性とみなされ、残念な性格

と病的な性格の中間にあると思われている。外向型を理想とする社会で暮らす

内向型の人々は、男性優位世界の女性のようなもので、自分がどんな人間かを

決める核となる性質ゆえに過小評価されてしまう。外向性はたしかに魅力的で

あるがゆえに、押しつけられた基準になってしまっていて、そうあるべきと、

大半の人々が感じている。・・・ 》

▼ 戦国時代の、信長、秀吉、家康を、この性格分類からみると、信長と、

 家康は内向型で、秀吉は外交型になる。家系と、家族と、連れ合いなどの

環境も、大きく左右してくるが、豊かさと、知識も多分に影響してくる。

 学生時代の、ある時期から、面白いように次々と小さな殻が壊れていった。

その一つが、父親が私の牛小屋のような寮に来て、その見窄らしい生活に驚き、

仕送りを二倍にしてくれた頃に、欧州旅行と、ゼミの影響もあって、外交型に

自分が変化していった。当時、仕送りが二倍になるのは、日常が根こそぎ

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5176,人生相談という気晴らし! 〜�

2015年05月17日(日)

             『人生、しょせん気晴らし』中島義道

 さすがの個人主義の哲学者も、老老介護の相談には歯切れが悪い。

介護の世界は複雑で、根深い。極限の場面で、真実を知ったところで、

せめて、気晴らしになるぐらい。最期の最期は、宗教に頼るしかない?

≪ Q:  〜老老介護から人の〈生〉と〈制度〉を問う〜

 私は七十四歳の女性。以前の「死ぬ作法」の記事を読み考えるところが多く、

質問させていただきます。私は現在、九十五歳の母親の介護をしております。

昔であれば一番上の子供が還暦を迎えるころには親は天に旅立ってゆくもの

でしたが、医療の進歩もあり、寝たきりであっても延命治療が続いております。

世間では後期高齢者医療制度が問題になっていますが、むしろ末期の医療現場を

考えていただきたいと思っています。人が生きるとはどういうことであるのか、

死に近い位置から医療をはじめ生きるということを見直すことが必要ではないか

と思っております。哲学のご見地から、寝たきりとなった高齢者の生、死について

何かご示唆いただきたくお願いします。ちなみに私の兄弟三人は皆、病に倒れ

入院生活を送っています。私が倒れたら、どうすればいいものか不安で一杯です。

  A:  〜われわれは「生きている」ことの意味が分からないのです〜

これは大変難しいご質問です。私も大学でここ十年ほど「生命倫理」の講義を

受け持ちましたが、さまざまな学説を紹介することはできても、自分の意見を

言えといわれると、とたんに分からなくなる状態です。 逃げのようですが、

あなたのご質問に対して「哲学の見地から」何の示唆もできない、と言うほか

ありません。哲学は人を救えないものです。正確に言えば、世界とは、私とは、

時間とは、善悪とは、何か分からなくて悩んでいる人をある程度救えますが、

幸福になりたい人を救う能力は皆無だと確信しています。むしろ、哲学とは

不幸になってもいいから真実を知りたいという欲望をもっている人にのみ

開かれている。真実は必ずしも人々に慰めや、平安や幸福を与えるわけでは

なく、逆に不安や不幸を与えるとしても、あえてそれを追究するのですから、

相当ヘンな欲望ですね。そもそも、われわれは「生きている」ことの意味が

分からないのです。ですから、生きているほうが、死んでいることより「いい」

ことを論証できないのです。哲学は「いかに」生きるか「いかに」死ぬかを

教えることはできず(それを安直に言い出す哲学者はニセモノ)、人間が死ぬ

ことの意味そのものを問い続けることができるだけです。私も人間ですから、

直観的に「人を殺してはいけない」とか、「老人を虐待してはいけない」という

ことは理解できますが、さらに「なぜ?」と問うと途方に暮れてしまいます。

まさに、ここに問題を見出す人のみが哲学に突き進むのであり、そんなことは

何の問題でもない、目の前に苦しんでいる人がいれば助けるのがあたりまえ

ではないか、という考えの人は決して哲学の門にはいらないでしょう。・・ ≫

▼ 難しく、深刻な問題だが、決して他人事ではない。人生の最期は、決して

 不幸から逃れることが出来ない現実がある。それに対し、「南無阿弥陀仏」か、

南無妙法蓮華経」と唱えるしかない。哲学は、「ことの道理」を追求すること

が出来ても、人を救うことは出来ない。ということは、人生相談に、哲学は

向いてないことになる。だから、逆に質問の内容そのものの甘さを指摘して

納得させるのが、ベストになる。『人の心の問題は、ほっとけ!』と。

変わることでもあった。 ーつづく