自分が汚れている。 自分を受容されたことがないから、 自己受容という形で自分で癒すことになった。 受容されたことがないから、人を信じない。 自分には生きている価値がない。 そんな否定的な感情が積もりに積もって希死念慮となって表れたのだろう。 もしかするとこれが自分の存在肯定だったのかもしれない。 よく考えたら人を信じれないから自分を信じる方向に行くのかもしれない。 結果としては同じかもしれないけれど、ルートが違っただけ。 自分を信じることによって、他人も信じられるようになるのかもしれない。 まぁ、一般的には裏切られたみたいな形になるのかな? こちらは裏切りが前提にある。 存在肯定と自己否定、 …