〔仏〕 人間の身心の苦しみを生みだす精神の働き。
肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着など。
「三毒」「九十八随眠」「百八煩悩」「八万四千煩悩」などと分類され、これらを仏道の修行によって消滅させる事によって悟りを開く。染(ぜん)。漏。結。暴流(ぼる)。使。塵労。随眠。垢。
悪い精神作用の総称。物や名声などを「欲しい欲しい」と思うこの欲望に執われて、人間はいろいろな苦しみを生んでいく。欲望を抑え、捨て去る努力をすることで、平和な心境、悟りの幸福を手にすることが出来る。
いろいろな事業について思いを巡らせていると、つい「実際にお金を得た後」のこともあれこれ想像してしまいます。 お金がないときは、誰しも「お金持ちになったら世界旅行に行きたい」「豪邸に住みたい」「高級車に乗りたい」などと夢見るものです。でも、実はこれらは「小金持ち」でもやろうと思えば十分できてしまいます。 私自身、サラリーマンとして海外出張を重ね、駐在時にはタワーマンションに住み、運転手付きの高級車に乗るという経験もしてきました。そんな環境を一度でも経験すると、人間の夢や欲望は、さらにその先へと膨らんでいくものです。 人間は欲深い生き物――つまり、煩悩の塊とも言える存在です。しかし、その“欲”の方…
延命をする行為。 そこに大きな疑問がある。 ただ命を伸ばす。 苦しみのどん底にいても死なせない。 薬の効果はそういう意味で何を求めてるのか? 短命でも少しでも生きる事に自らの意志を与える行為になるならば、そのほうがありがたい。 そう思う。 老人も同じだ。 ただ老人ホームで生きながらえる。 楽しいとか嬉しいとかの感情も感覚も無くなっていく。 身体は痛みがあり苦しい感覚はいつも続いてる。 しかしそれが普通になり当たり前の感覚になれば疑問から消える。 痛い痛いと感じるのが普通になる。 だから 「お加減はどうですか?」 「いつも通りです」 「そりゃあよかった」 その実態はいつも痛みや苦しみに耐えながら…
仏教に説かれる苦しみの原因と結果、そして幸せの原因と結果、この四つの真理を四聖諦と言います。 お釈迦様の教えを一言でいうと四聖諦です。お釈迦様は一生涯、四つの真理を説かれた方です。 四つの聖なる真理、間違いない大宇宙の真理で、諦というのは真理のこと。これがお釈迦様45年間の教えです。 四聖諦は本当に凄いんですよね。仏教の真実性が改めて知らされます。この四聖諦は、四諦とも言われます。 では、どういう真理かというと苦諦、集諦、滅諦、道諦の4つです。 まずは仏教が説き明かした苦しみの原因と結果。集諦が原因で、苦諦が結果です。 そして、どうしたら幸福になれるのかという幸せの原因と結果。生きる意味は一言…
人は死ぬ時おそらくみんな後悔をする。 だったら、と好き放題して生きる。 でもやはり死を迎えた時後悔をするだろうな。 自分自身どうしても後悔する気がしてる。 そこが気になり始めてる。 後悔しない生き方ができるのかどうか。 そもそも後悔と言うのはどういうことを言っているのか。 「あの時こうしておけばよかった」「あぁしておけばよかった」と、後々になって悔い悩んでしまう。 それを後悔と言う。 ならば、終わった事は考えなければ良い。 結果「これで良いのだ」 天才バカボンのパパなのだ。 赤塚不二夫はアルコール中毒で死んだ。 でも、非常に大きな功績として天才バカボンのパパの言葉を残した。 「これでいいのだ」…
※ 今回の記事には、下ネタが含まれていますので、ご注意くださいm(__)m 意識のことについて書くネタはあっても、自作のトランプ制作に集中してて、ブログどころではなかったという…(苦笑) そもそも誰宛に書いてるんでしょうね、このブログって…笑 『Grok 3』、みんな使ってます?私、使ってみたら嵌ってしまって、ヤバし…ですわ。 Grokを私は「グロク」と書いて会話をしてるんだけど、最初にカタカナで書くと「グロク」と「グロック」どちらが正しいのか訊いてみたら、「グロク」が正しいって言われたから、私は「グロク」と書いてるんだけど、wikiでは「グロック」になってるよね…。 ま、そんな細かいことはさ…
何不自由なく当たり前に過ぎていく普段の生活に縛りをいれることにより、普段のマンネリ生活にカツをいれる。そんなことをしてみましょう。 その1から3まで、食、衣、情報とやってきましたが、今日はその他のものについて、簡単に検討してみます。 ◯欠と言って思い当たるのが金欠。 金欠病は昔からのことで、今更ですが、お金断ちってのやってみる価値あるかもしれませんね。 そう、まずお金を持ち歩かない。いえ、キャッシュレスじゃないです、クレカも持ち歩かず、電子決済もしない。お金を使わない。 ちょっと出かけるときでも、ポケットに財布がはいっていないと不安に思うでしょうけれど、野山を歩いているときはお金なんか使えない…
年末に更新出来なさそうなので上げます。
「歴史は繰り返す」のお話。 「歴史は繰り返す」よく耳にする言葉ですが、授業でも"History repeats itself"と英訳します。定義としては辞書では次のようになっています。 (小学館デジタル大辞泉より)ローマの歴史家クルチュウス=ルーフスの言葉。過去に起こったことは、同じようにして、その後の時代にも繰り返し起こる。 ※古代ギリシアの歴史家ツキディデスのものという説やドイツの哲学者カール・マルクスのものとの説があります。 本当に歴史は繰り返すのか?繰り返します。ギリシア・ローマ時代から数千年繰り返しているのですからビックリです。「ノストラダムスの大予言」よりもずっと高い確率で当たって…
数年前のyoutubeで上座仏教のスマナサーラ長老が話していた。「楽しい」と「幸せ」は違う、みたいな話。多くの人は楽しみに依存している状態である。 煩悩、たとえば貪、瞋、痴(貪り、怒り、無知)は仏教において人間の迷いの元とされている。こうした心身を乱すものを、我々は刺激として楽しむ場合がある。映像作品を観て、泣いたり怒ったり、食欲や性欲を搔き立てる。刺激は我々の心身を活発にしてくれるから、感情や感覚が動かされることを「楽しい」と捉えたりする。 しかしこうした刺激は麻薬のようなもので、心身を一時的に盛り上げるだけ。刺激が消えると「もっと欲しい」となる。もっと強いものを求める。刺激に頼って生きるこ…
仏教において、今だけに集中して生きるとよいですよ、という教えを聞いたことがあります。 その一方で、将来を見据えずに自分本位の行動や判断をしてしまう人が身近にいます。 その人が生まれ持った特有の気質を持っているかどうかは無視しまして、なんだか矛盾びているような気がしたのです。 「いま」に焦点を当てると「今ここ」に集中し、心の平安を得られるようです。 瞑想もそのような方法の1つだと理解しています。 過去や未来に囚われず、今の瞬間を大切にすることです。 でも、今を生きることが自己中心的な行動を正当化するわけではないようです。 仏教の教えにおいて、「自分本位」の行動は、「煩悩」が原因であると判断されま…