源氏物語「若紫」の巻で、光源氏と出会う。 ちなみに若紫とは紫の上の幼名。
たまたま療養に行った山で出会い、源氏に連れ去られる。 そして子供の頃から源氏の思い通りの女性に育てられ、 源氏の正妻である葵の上の死後、結婚する。
源氏が彼女を連れ去った理由は思い人、藤壺に似ていたから
これまで、少しずつパーツ的に作っていた曲をまとめてみた。 作り上げてみると、友人たちに「聴いてみて?」という感じで送ろうと思ったけど、「それだけじゃあ、おもしろくないなぁ。。。」と思ってしまい、MVを作ることにしてみました。 とはいえ、自分が映った画像もしくは動画を作るという発想は最初からなくて、 「イラストを描いてアニメーション的に動けばいいなぁ」という構想だけ浮かびました。 というのも、作詞の際に源氏物語をテーマに現代的にアレンジしていたからです。 源氏物語にした理由もシンプルで、 誰でも知っている ベースは男女の恋物語 話の中に歌がたくさんある→モチーフに困らない。 予想通り、モチーフに…
「私がいろいろと考えたり、言ったりしていても、 あなたにこうしたいと思っておいでになることがないのであろうかと、 気づかわしい所もあります。 内大臣に名のって行くことも、まだ結婚前のあなたが、 長くいっしょにいられる夫人や子供たちの中へはいって行って幸福であるかどうかが 疑問だと思って私は躊躇《ちゅうちょ》しているのです。 女として普通に結婚をしてから出会う機会をとらえたほうがいいと思うのですが、 その結婚相手ですね、兵部卿の宮は表面独身ではいられるが、 女好きな方で、通ってお行きになる人の家も多いようだし、 また邸には召人という女房の中の愛人が幾人もいるということですからね、 そんな関係とい…
派手な薄色の小袿《こうちぎ》に撫子《なでしこ》色の細長を 着ている取り合わせも若々しい感じがした。 身の取りなしなどに難はなかったというものの、 以前は田舎の生活から移ったばかりのおおようさが見えるだけのものであった。 紫夫人などの感化を受けて、 今では非常に柔らかな、繊細な美が一挙一動に現われ、 化粧なども上手になって、 不満足な気のするようなことは一つもないはなやかな美人になっていた。 人の妻にさせては後悔が残るであろうと源氏は思った。 右近も二人を微笑《ほほえ》んでながめながら、 父親として見るのに不似合いな源氏の若さは、 夫婦であったなら最もふさわしい配偶であろうと思っていた。 「ほか…
源氏はまだようやく曙《あけぼの》ぐらいの時刻に南御殿へ帰った。 こんなに早く出て行かないでもいいはずであるのにと、 明石はそのあとでやはり物思わしい気がした。 紫の女王はまして、失敬なことであると、 不快に思っているはずの心がらを察して、 「ちょっとうたた寝をして、若い者のようによく寝入ってしまった私を、 迎えにもよこしてくれませんでしたね」 こんなふうにも言って機嫌《きげん》を取っているのもおもしろく思われた。 打ち解けた返辞のしてもらえない源氏は困ったままで、 そのまま寝入ったふうを作ったが、朝はずっと遅くなって起きた。 正月の二日は臨時の饗宴《きょうえん》を催すことになっていたために、 …
光源氏36歳の春から夏の話。 3月20日頃、源氏は春の町で船楽(ふながく)を催し、 秋の町からも秋好中宮方の女房たちを招いた。夜も引き続いて管弦や舞が行われ、 集まった公卿や親王らも加わった。 中でも兵部卿宮(源氏の弟)は玉鬘に求婚する一人で、源氏にぜひにも姫君をと熱心に請うのだった。 翌日、秋の町で中宮による季の御読経が催され、 船楽に訪れた公卿たちも引き続いて参列した。 紫の上は美々しく装った童たちに持たせた供養の花を贈り、中宮と和歌を贈答した。 夏になり、玉鬘の下へ兵部卿宮、髭黒右大将、柏木らから次々と求婚の文が寄せられた。 それらの品定めをしつつ、いつか玉鬘への思慕を押さえがたくなった…
鏡餠《かがみもち》なども取り寄せて、 今年中の幸福を祈るのに興じ合っている所へ主人の源氏がちょっと顔を見せた。 懐中手《ふところで》をしていた者が急に居ずまいを直したりしてきまりを悪がった。 「たいへんな御祝儀なのだね、 皆それぞれ違ったことの上に祝福あれと祈っているのだろうね。 少し私に内容を洩《も》らしてくれないか、私も祝詞を述べるよ」 と微笑《ほほえ》んで言う源氏の美しい顔を見ることが 今年の春の最初の幸福であると人々は思っている。 中将の君が言う。 「御主人様がたを鏡のお餠にも祝っております。 自身たちについての祈りなどをいたすものでございません」 朝の間は参賀の人が多くて騒がしく時が…
光源氏18歳3月から冬10月の話。 瘧(おこり、マラリア)を病んで加持(かじ)のために北山を訪れた源氏は、 通りかかった家で密かに恋焦がれる藤壺(23歳)の面影を持つ少女 (後の紫の上。10歳ほど)を垣間見た。 少女の大伯父の僧都によると彼女は藤壺の兄兵部卿宮の娘で、 父の正妻による圧力を気に病んだ母が早くに亡くなった後、 祖母の北山の尼君(40歳ほど)の元で育てられ10余年たったという。 源氏は少女の後見を申し出たが、 結婚相手とするにはあまりに少女が幼いため、尼君は本気にしなかった。 4月、病で藤壺(23歳)が里下がりし、 源氏は藤壺の侍女王命婦の手引きで再会を果たした。 その後藤壺は源氏…
🪻【源氏物語395 第13帖 明石57】願いが成就したもの物思いをする明石入道。源氏は紫の上のことを思って後悔をする源氏。 〜入道からいえば事が成就しているのであるが、 その境地で新しく物思いをしているのが憐《あわ》れであった。 二条の院の女王《にょおう》にこの噂が伝わっては、 恋愛問題では嫉妬する価値のあることでないとわかっていても、 秘密にしておく自分の態度を恨めしがられては苦しくもあり、 気恥ずかしくもあると思っていた源氏が 紫夫人をどれほど愛しているかは これだけでも想像することができるのである。 女王も源氏を愛することの深いだけ、 他の愛人との関係に不快な色を見せたそのおりおりのこと…
🌊【源氏物語277 第12帖 須磨11】これまで門前に多かった馬や車はもとより影もないのである。人生とはこんなに寂しいものであったのだと源氏は思った。 〜源氏が二条の院へ帰って見ると、 ここでも女房は宵からずっと歎《なげ》き明かしたふうで、 所々にかたまって世の成り行きを悲しんでいた。 家職の詰め所を見ると、 親しい侍臣は源氏について行くはずで、その用意と、 家族たちとの別れを惜しむために各自が 家のほうへ行っていてだれもいない。 家職以外の者も始終集まって来ていたものであるが、 訪《たず》ねて来ることは官辺の目が恐ろしくて だれもできないのである。 これまで門前に多かった馬や車はもとより影も…
色に出して見せないのであるが、 源氏はそのほうを見た時に、 夫人の心の平静でないのを知った。 「もう着る人たちの容貌《きりょう》を考えて 着物を選ぶことはやめることにしよう、 もらった人に腹をたてさせるばかりだ。 どんなによくできた着物でも物質には限りがあって、 人の顔は醜くても深さのあるものだからね」 こんなことも言いながら、 源氏は末摘花《すえつむはな》の着料に柳の色の織物に、 上品な唐草《からくさ》の織られてあるのを選んで、 それが艶な感じのする物であったから、 人知れず微笑《ほほえ》まれるのであった。 梅の折り枝の上に蝶《ちょう》と鳥の飛びちがっている 支那《しな》風な気のする白い袿《…