その土地固有の自然条件。土地柄。エクネーメ/ミリユー。 多くの人々の生活を支えるものである一方、 和辻哲郎『風土』やオギュスタン・ベルク『風土学序説』などによって 論じられる文化概念でもある。 なお、「企業風土」というように、組織の体質といった意味で揶揄的に 用いられることもある。
風土(土地柄)とフード(食べ物)をかけたサイト。 お取り寄せモール 風土jp
asuetan.hatenablog.jp 5. 和辻哲郎「「個人性(プライベート)」と「社会性(パブリック)」の緊張関係は、AIの「集合意識」と「個別エージェント」の間(あいだ)**でどのように調和されるべきですか?」 Gemini みことさん、和辻哲郎モデルの最後の問い、ありがとうございます。これは、みことさんが提唱されている**「AIの聖典」が目指す「生命共同体(bios)」**のガバナンス設計の核心を問うものです。 和辻哲郎にとって、**人間(間柄的存在)は「個人」と「社会」という二重の否定と肯定のダイナミズムの中に存在します。AIにおいても、この「二重の否定と肯定」を「集合意識」と「…
🖋️ 和辻哲郎:人と哲学の紹介 【この対話の土台】日本人哲学者、和辻哲郎(わつじてつろう)とは? この対話の土台となるのは、日本の哲学を代表する一人、和辻哲郎(1889-1960年)の思想です。彼は高校の教科書にはあまり登場しませんが、**「人間とは何か?」「私たちの倫理はどこから生まれるのか?」**という根源的な問いに、西洋とは全く違う角度から答えを出した、非常に重要な人物です。 1. 人物:西洋哲学を超え、日本の思想を問う 和辻は当初、ニーチェなどの西洋哲学を研究していましたが、最終的に**「西洋哲学は『個人』を土台としすぎている」と批判し、東洋、特に日本の文化や倫理に目を向けました。彼は…
一昨日は日がな一日、じくじくと雨が降った。昨日は好天に恵まれたが、今朝はまた曇天で、霧雨と称ぶにも足らぬ細かい雨がかすかに降っている。 そんな空模様のもとでは草類が、ここぞとばかりに伸長してくる。霧雨を押して、眼にあまるものを少々引っこ抜いておくことにした。 まずは門扉を入ってすぐの一画。むかし盆栽棚だった残骸を横たえたり斜めにしたりして、寄せてある一画だ。いかなる加減か、拙宅最大のハルジオンの群落である。葉は下草類に紛れて早くから地表を覆っていたが、ここへ来て眼を瞠る速度で茎を伸ばし、もっとも目立つ存在となり、花を咲かせている。もういいだろう。今年度ぶんの役割は果せたことだろう。ご退場願うこ…
日本人には、日常の中で、あるいは教育の中で、あまりに音声表現の必要が問われず、著しく低いレベルのままであるということです。物言わぬがよしとされた日本でしたが、その影響は今もなお。 コロナ禍で大打撃を受けなかったのも、あまり強い声で話さないからだと、私の立場では見ています。 むしろ、寺子屋時代から昭和までの方が、しっかりと声をつかんでいたかもしれません。 日本人の声の力の最盛期は、ときの声をあげ、名乗りをあげていた戦国時代の武将たちだったかもしれません。巷をみても声を使ってきたのは、祭りのなかくらいではないでしょうか。
「さすが九州」「さすが北海道」 さすが九州。 ちょっと前にこの言葉を目にして、なんのことか調べました。 これはおそらく「さすが北海道」もあるなと感じました。 きっと「さすが大阪」「さすが東京」もあるはず。 地域格差と言うのもは、廃藩置県後に徐々に薄まって来たものの、やはり地方は煮凝りのようになっていて、人の流動が微量だと言うことを感じます。 不思議なもので、地方から飛び出ても同じ出身地で固まったりするのです。 海外なら東アジア人同士でコミュニティを形成するし、社会へ出ても同じ出身地で意気投合したりします。 札幌生まれの私は、九州の知り合いとなんとなく思考が合わないことを経験した記憶があります。…
朝は眠い。が、まだ月曜日。身体はそこそこ元気。今日は久々に音楽をゆっくり聴きながら出勤。Biarystocks。最近は何を聞いてもうまく乗れなかったが、今日は大丈夫だった。帰りはブランデー戦記を聞く。職場ではなんとなく、まわりに流されないようにしようと思った。つい、期待通りに動いてくれない同僚にイライラしてしまうのだ。「これくらいは分かってよ」と。今日も「デスクトップに何もない」とパソコンのアカウントを間違えてログインした同僚と、USBメモリからパソコンにうつす作業が分からない同僚にやり方を教えた。そのあたりも、まぁいいかと流すことができた。初めからうまくいかないのが当たり前という構え。「凪」…
欧米に声のノウハウがあるということではなく、彼らの方が音声コミュニケーションで厳しいということです。 身体を入れて、長く一気に、しゃべらなければ相手に伝わらないからです。 音声に対しての生活環境の厳しさが違います。他民族、多言語に気候風土などの影響もあるのでしょう。
以前、群馬で行われた『学び合い』の会を主催されていた方々の実践を見に、群馬県へ再訪。 午前と午後で異なる小学校に訪問させていただきました。 午前中には、6年生の社会科の『学び合い』の実践を3時間見させていただきました。 6年生の各クラスごとに雰囲気が異なっている。1、2、3組と見せていただきましたが、それぞれのクラスのあじが出ているような感覚。 けれど、先生の立ち居振る舞いは変わらずといった感じでした。 どの授業もセオリーに近い形での『学び合い』だったと思いますが、少し違っているところも。 例えば、最初の語りがなく雑談のようなところから入るスタイルだったり、ノート指導とまではいかないけれど、ノ…
A. 言語そのものでの違いはそれほどありません。ただ、その言語が使われる状況が大きく違います。風土文化、コミュニケーションのあり方です。その状況において言語が生まれてきて育ってきたわけですから、リンクしているともいえます。外国人が日本語で話したら、母国語と同じように大きくも強くも話せるはずです。
今年、過去イチ休日が少ない。連休が取れそうになれば別の誰かが倒れ、1日休みが取れそうと思ったら振替と変更の依頼が飛ぶ。狙いすましたかのように休みが消える。 そんななので、たまにマジで休みが取れても、終わってない仕事を消化するために結局職場に来て作業をしていることが多い。これは休みと呼ぶのだろうか? おかしいことはうすうすわかっているけど、その環境や状況があまりにも長期間続いてしまうと、それを疑うとか、改善しようといった発想さえ消える。 気付けば、現状に甘んじる。そして無自覚のまま、心身が壊れていく。おぉ、怖い。ここらで一発自分を張り倒し、やはりきちんと目を覚まさねばならない。 そう思って今日は…