プロ野球チーム。千葉ロッテマリーンズの前身。パ・リーグに所属。 本拠地は東京スタジアム→県営宮城球場→川崎球場。
チームカラーは赤と紺。 球団歌は「わがオリオンズ」、応援歌は「ビバ・オリオンズ」 リーグ優勝2回(1970,1974)、半期優勝3回(1977、1980、1981)。 日本一1回(1974)。
*1:12球団で最も遅い最下位転落であった。
*2:首位打者・高沢秀昭、盗塁王・西村徳文、最多セーブ・牛島和彦、奪三振王・小川博。
ニューエラ NEWERA ベースボールキャップ 日本プロ野球 クラシックロゴ NPB Classic 59FIFTY 帽子 CAP [13562204/13562210/13562208/13562213/13562209/13562224/13562212/13562214/13562211/13562225/13562226/13562221/13562220] 当店激オシ価格: 6380 円楽天で詳細を見る 私が子供の頃(昭和50年代)、友達と放課後遊びに行くときなど 、どの子もたいていは野球帽をかぶってました。野球帽をかぶり自転車の後輪のところにバットを挟み、グローブとボールを持って近…
去年から、各チームのU24 (24歳以下) 選手の1軍試合での起用法に興味を持っているスタ。今年は開幕からの約1ヶ月をチェックしようと決めていました。 なぜなのか理由は曖昧なんだけど、プロでの経験に関わらず、25歳になったとたんに選手は体と精神の両面で一気に大人になって落ち着く感じがするのです。その両面がまだちょっと不安定で、でもその分意外な伸び代を見せるのがU24。 もちろん25歳以上の選手が多ければ成熟したチームは強い。だからこれは完全に個人的好みなのですが、U24選手が目立つチームはすごく活気が出てくる印象を、スタは持っているのです。そして、長期のシーズンを乗り切るのに必要ながむしゃらな…
「非業の最期」という言葉が余りにピッタリと来すぎる 昭和後期の"傑物" 村田兆治投手の訃報。 余りにショックで、信じられぬ想いに、この不幸について何か書こうと言う気が暫くまるで起きなかった。。。 (千葉ロッテマリーンズ公式) 然し、本当にドン底の不人気に喘いでいた当時のパ・リーグを「実力のパ」というプライドと共に牽引していた、客を呼べる、当にパリーグの顔の一人だった。 贔屓チームの枠を超えて、"心の底からのリスペクト" を感じていた投手であり、理不尽な不遇の境遇にあったパ・リーグのファンとしては、ライバルチームの選手とは言え、門田博光、山田久志、落合博満らと共に「同朋」の様に思える存在でもあり…
元ロッテオリオンズのエースで、野球解説者の村田兆治さん(72歳)が、未明に発生した自宅の火災による一酸化炭素中毒により、緊急搬送された都内の病院にて亡くなられました。 村田さんというとまさかり投法で有名で、あの独特のモーションから投げるフォークボールはかなりえぐいくらいの落ち方をして、独特なフォームと相まって、対戦するバッターがタイミングを外されて、なかなか打ち崩せなかったですよね。私は彼の晩年の現役時代をテレビでよく見ていましたので、よく覚えてます。パリーグで応援しているホークス(当時の福岡ダイエーホークス)の各打者も、彼を打ち崩すのに苦労してましたからね。彼はひじの故障という大きなけがを負…
今日、ネットニュースで1990年にプロ野球選手を引退された、元ロッテオリオンズのエース、村田兆治さんのことが書かれていました。村田さんはロッテのエースとして長年活躍されて、引退した年の1990年でも10勝を挙げていましたので、私自身もまだまだ投げるんだろうなって思ってましたし、周りの人もそう思っておられたと思います。引退したときの年齢が40歳。球速も球威も全く衰えを見せない中での引退でした。その村田さんが引退した時のことを語っていたんですが、周囲はまだまだやれるとみていた中での引退について「変化球主体であれば、まだ数年は投げられたと思う。でもそれは自分の考える村田兆治ではない。私はあくまで先発…
野球の野村監督が残した言葉を集めた本を読んでる最中の私。若い頃から監督業を退くまで、野球に携わる傍ら、選手として、チームを引っ張る監督として、勝負の世界で戦う中で、どのように考えていたのか、いわゆる野村イズムとも呼ばれる言葉を紡いだ裏にある、選手やコーチ、スタッフに込めた想いが綴られています。 野村監督は、戦争でお父様を亡くされていて、お母様が貧しい中でも好きな野球をさせてもらえたことに対する感謝の言葉や、自分が野球選手となって、女手一つで育ててくれたお母様に対して、楽をさせてあげたいと願い、テスト生として南海ホークスに入団し、その後ロッテオリオンズ、西武ライオンズと渡り歩いた選手生活で培った…
最近は・・・ フルタの方程式か雑談魂・・・。 私の車中のBGMの話だが、これが非常に面白い。 以前も書いたが、私は野球の試合観戦が好きではない。理由は ダラダラ長い 以上だッッッッ!!! ここからは「分かる人には分かる」みたいな内容になるため、最早読み飛ばして下さい!!! 例えばピッチャーが上原浩治であったとしても、長いものは長い。 これが山本昌なんかになろうものなら、大変である。 私が好きなのは「その理論」と「野球人」。 例えば 岩瀬仁紀 と言うピッチャーがいる。 彼は大学→社会人を経てドラゴンズに入団。25歳くらいでプロ野球選手となり、活躍し始めたのが30歳を越えてから、なのにも関わらず …
小雨が降りしきる中。マリンスタジアム到着。こんな天気なのに試合が始まる2時間も前からずいぶんたくさんお客さん並んでいる。みんなもの好きだなぁ。(自分も含めて) 入場時はチアM☆Splash!!の歓迎 あり。球場正面ショップ横ではM☆Splash!!サイン会みたいなのもしていたw。一旦退場して球場外ステージにてM☆Splash!!ダンスショー。小雨が降り続く中でも3重の人垣!ずいぶん人気があるし、もの好きな人たちがたくさんいるもんだなぁ(自分も含めて)。 中2階イタリアンバールM前からの眺望。今日はここから、二階一塁側ホームが遥かに遠い467番。ソフトバンクには負け試合ばかり見させられているので…
スティーブ・マクナルティ スティーブ Steven McNulty生年月日:1953年3月11日投打 :右投げ右打ち身長/体重:190cm/97kgポジション:投手出身 :アメリカドラフト:なし経歴 :アメリカマイナーリーグ-ロッテオリオンズ(1977)球種 :ストレート、縦に割れるカーブ
仁科 時成 にしな・ときなり生年月日:1951年6月2日投打 :右投げ右打ち身長/体重:176cm/77kgポジション:投手出身 :岡山県ドラフト:1976年3位経歴 :山陽高校(岡山県)-大倉工業-ロッテオリオンズ(1977~1988)球種 :ストレート、スライダー、数種類のシンカー
1970年、球界を激震させた『黒い霧事件』で主力4選手が永久追放になった西鉄ライオンズ。しかし思い返せば『鉄腕』稲尾和久氏監督就任1年目が、この『黒い霧事件』の年だったのは、稲尾和久氏にはご不幸としか言いようがないですね。1 三 船田和英 2 二 基満男 3 中 ポインター 4 右 東田正義 5 一 広野功 6 左 ボレス 7 捕 村上公康 8 遊 甲斐和雄 9 投 池永正明1970年の西鉄ライオンズの開幕オーダーはこんな感じで、古のプロ野球ファンには馴染み深い名前も見れるなかなかのものです。4番の東田正義氏は後に阪神タイガース、2番の基満男氏は大洋ホエールズのセリーグでも活躍されたので、当時…
ジョン・ブリッグス ブリッグス John Briggs生年月日:1944年3月10日投打 :左投げ左打ち身長/体重:183cm/86kgポジション:外野手出身 :アメリカドラフト:なし経歴 :フィリーズ-ブルワーズ-ツインズ-ロッテオリオンズ(1976)
1位 オリックス 2位 西武 3位 ソフトバンク 4位 日本ハム 5位 ロッテ 6位 楽天 1位予想はオリックスとしました。前年の10勝投手が2人も抜けているのに、その穴を感じさせないのがスゴい。中嶋聡監督も素晴らしいけれど、チーム編成を司る福良淳一GMの存在が際立っています。就任時から、ドラフトで高校生を中心に指名してきた成果が花を開き続けているのです。だから、三連覇を続けているのに主力選手たちが若くて伸びしろがあるのが魅力となり、選手の自信にも繋がっています。セ・リーグ編で捕手と遊撃手の打力がしっかりしているチームが強いと書きましたが、キャッチャーは森友哉(または若月健矢)ショートは紅林弘…
森山 学 もりやま・まなぶ生年月日:1956年11月10日投打 :右投げ右打ち身長/体重:182cm/80kgポジション:投手/外野手出身 :埼玉県ドラフト:1974年ドラフト外経歴 :熊谷商業高校-ロッテオリオンズ(1975~1976)球種 :不明 ※一軍出場なし
新人王の有資格者は、入団5年以内となっています。 5年だと、高校卒業の場合は大学から入団して一年経過した選手が同期です。これが佐々木朗希の世代。2019年ドラフトで高卒選手として指名され、現在一軍に名を連ねているのは、以下の面々です(成績は昨季のもの)。 【投手】 佐々木朗希(ロッテ1位)15試合7勝4敗 防御率1、78 宮城大弥(オリックス1位)22試合10勝4敗 防御率2、27 奥川恭伸(ヤクルト1位)一軍出場なし 西純矢(阪神1位)17試合5勝2敗 防御率3、86 及川雅貴(阪神3位)33試合3勝1敗7H 防御率2、23 横山陸人(ロッテ4位)38試合2勝3敗1S8H 防御率5、26 玉…
3月がスタート。が、またしてもその初日の夜、ムダに終わっていきました。現在の時刻は3月2日の早朝、午前7時を回ったところ。日付が変わって少しだけ、と横になっていたらあっさりと爆睡してしまい、先ほど起きたところです。 何度も繰り返すこのパターン。今日(3/1)の帰宅時、書店でみかけた出来事についてチャチャっといきます。まあ全然たいしたことではないのですが。 午後8時台。職場を出て書店に到着したワタシはスポーツ雑誌のコーナーへ向かいます。今日は『ベースボールマガジン』(以下『ベーマガ』)の発売日。最近の同誌は主に昭和に一時代を築いた選手とその所属チームをクローズアップした特集を組んでおり、当時の野…