プロ野球チーム。千葉ロッテマリーンズの前身。パ・リーグに所属。 本拠地は東京スタジアム→県営宮城球場→川崎球場。
チームカラーは赤と紺。 球団歌は「わがオリオンズ」、応援歌は「ビバ・オリオンズ」 リーグ優勝2回(1970,1974)、半期優勝3回(1977、1980、1981)。 日本一1回(1974)。
*1:12球団で最も遅い最下位転落であった。
*2:首位打者・高沢秀昭、盗塁王・西村徳文、最多セーブ・牛島和彦、奪三振王・小川博。
先日に連絡がありまして、本屋で滝口悠生さんの「たのしい保育園」という のを手にしたら、そこに「ロッテの高沢」という章が目に入りましたとのこと。 図書館ででも見かけたら読んでみてくださいとのことでした。 当方がプロ野球のロッテに在籍していた高沢秀昭選手のファンと知っての 連絡でありました。 高沢選手はロッテ時代にパ・リーグの首位打者にもなったのですが、当時の ロッテは川崎球場をホームにした不人気球団で、外野席にはほとんど観客が いなくてホームランでも飛び込んできたら、ボールはガラガラのスタンドで、 ゆっくりととりにいっても確保できるといわれていました。 高沢選手は当方の地元にゆかりの選手というこ…
こんばんは。ジオ・ジーノです。 もう今年度も終わりですね。 ここ最近また寒くなって来たなあ…。 それにしても、ミャンマーの大地震そしてタイのビル崩壊にはビックリしました! 亡くなられた方のご冥福と一日も早いご回復を祈ります。 日本や韓国の山火事もそうですが、ここ最近はこういう災害が多いですね…。 さて、昨日のニュースで、 プロ野球ロッテオリオンズ*1で捕手として活躍した袴田英利さんが、 先月2月に69歳で亡くなられたというニュースがありましたね。 袴田英利(1955-2025) news.yahoo.co.jp *1:現:千葉ロッテマリーンズ。
T-1はワンマッチ興行を19大会中5回開催!お家芸というよりも苦肉の策だった ウナギ・サヤカは女子プロレス興行としては約15年ぶりのワンマッチ興行 t1gp23.blog.fc2.com 冒頭の画像は、ロッテオリオンズの球団旗。 超レアな球団旗、マスコットキャラクターの旗について更新。 グッズの紹介が終わった後、横浜DeNAベイスターズの東克樹の不倫問題について取り上げる。 画像を19枚アップ。 以下、19枚の内訳。 ロッテオリオンズ マスコットキャラクター バブル坊や 旗 2枚 ロッテオリオンズ 球団旗 2枚 西村徳文、高橋慶彦 ダッシュオリオンズ 旗 2枚 西武ライオンズ 球団旗 2枚 中…
こんにちは。さっきのメッツとドジャースの試合、スゴかったなあ…。 これでドジャースの3勝2敗。優勝はドジャースタジアムで決まりますね。 日本では…パ・リーグでホークス日本シリーズ進出決定。 よかったね、おめでとう。(by落合博満) 一方、セ・リーグではベイスターズが勝利し3勝1敗で王手! ベイ、あと1勝だ。頼んだぜ! さて、本日は10月19日。 今から36年前に、プロ野球で「10.19」があった日ですね! 「10.19」試合終了後の近鉄バファローズナイン(中央は仰木彬監督)
こんにちは。 沖縄アクターズスクールの創設者で校長のマキノ正幸さんが亡くなられましたね。 まさに沖縄にとって恩人の一人でした…ご冥福を祈ります。 さて、昨日千葉ロッテマリーンズに関する話をした時に、 ふと思い出した懐かし漫画を紹介したいと思います。 その名も、『すすめ!!パイレーツ』! 漫画『すすめ!!パイレーツ』コミックス第1巻表紙
ニューエラ NEWERA ベースボールキャップ 日本プロ野球 クラシックロゴ NPB Classic 59FIFTY 帽子 CAP [13562204/13562210/13562208/13562213/13562209/13562224/13562212/13562214/13562211/13562225/13562226/13562221/13562220] 当店激オシ価格: 6380 円楽天で詳細を見る 私が子供の頃(昭和50年代)、友達と放課後遊びに行くときなど 、どの子もたいていは野球帽をかぶってました。野球帽をかぶり自転車の後輪のところにバットを挟み、グローブとボールを持って近…
去年から、各チームのU24 (24歳以下) 選手の1軍試合での起用法に興味を持っているスタ。今年は開幕からの約1ヶ月をチェックしようと決めていました。 なぜなのか理由は曖昧なんだけど、プロでの経験に関わらず、25歳になったとたんに選手は体と精神の両面で一気に大人になって落ち着く感じがするのです。その両面がまだちょっと不安定で、でもその分意外な伸び代を見せるのがU24。 もちろん25歳以上の選手が多ければ成熟したチームは強い。だからこれは完全に個人的好みなのですが、U24選手が目立つチームはすごく活気が出てくる印象を、スタは持っているのです。そして、長期のシーズンを乗り切るのに必要ながむしゃらな…
「非業の最期」という言葉が余りにピッタリと来すぎる 昭和後期の"傑物" 村田兆治投手の訃報。 余りにショックで、信じられぬ想いに、この不幸について何か書こうと言う気が暫くまるで起きなかった。。。 (千葉ロッテマリーンズ公式) 然し、本当にドン底の不人気に喘いでいた当時のパ・リーグを「実力のパ」というプライドと共に牽引していた、客を呼べる、当にパリーグの顔の一人だった。 贔屓チームの枠を超えて、"心の底からのリスペクト" を感じていた投手であり、理不尽な不遇の境遇にあったパ・リーグのファンとしては、ライバルチームの選手とは言え、門田博光、山田久志、落合博満らと共に「同朋」の様に思える存在でもあり…
元ロッテオリオンズのエースで、野球解説者の村田兆治さん(72歳)が、未明に発生した自宅の火災による一酸化炭素中毒により、緊急搬送された都内の病院にて亡くなられました。 村田さんというとまさかり投法で有名で、あの独特のモーションから投げるフォークボールはかなりえぐいくらいの落ち方をして、独特なフォームと相まって、対戦するバッターがタイミングを外されて、なかなか打ち崩せなかったですよね。私は彼の晩年の現役時代をテレビでよく見ていましたので、よく覚えてます。パリーグで応援しているホークス(当時の福岡ダイエーホークス)の各打者も、彼を打ち崩すのに苦労してましたからね。彼はひじの故障という大きなけがを負…
今日、ネットニュースで1990年にプロ野球選手を引退された、元ロッテオリオンズのエース、村田兆治さんのことが書かれていました。村田さんはロッテのエースとして長年活躍されて、引退した年の1990年でも10勝を挙げていましたので、私自身もまだまだ投げるんだろうなって思ってましたし、周りの人もそう思っておられたと思います。引退したときの年齢が40歳。球速も球威も全く衰えを見せない中での引退でした。その村田さんが引退した時のことを語っていたんですが、周囲はまだまだやれるとみていた中での引退について「変化球主体であれば、まだ数年は投げられたと思う。でもそれは自分の考える村田兆治ではない。私はあくまで先発…