2125日目・・・「漢字の音訓の読み方」は「日本人の文化」である・・・で、「喩母」って?・・・「中古音の影母・喩母・微母・疑母に由来する声母」・・・「声母・・・影母・喩母」・・・漢字の発音の意味らしい・・・「喩母(云母)」、「喩母かつi介音ありで開となれば、ヤ行のエになる」、「漢字音の研究の喩母」・・・「喩(諭)す母」だが、漢字からして母親の幼児、子供に対する喩(さとす・比喩)コトバだろう・・・「喉音(コウオン)=国語学で、国語音のア・ヤ・ワの3行の音の総称・声門音(セイモンオン)・中国音韻学で、五音

 兎に角、「漢字」の「音読み」で、音声の発声、音声の出し方の説明らしい・・・漢字の読み方の「規矩(キク)」である・・・
 コンパス・定規(ジョウギ・行動や判断のよりどころの基準・手本・寸法や形・・・「規格・規準・規則・規定・規範・規模・規約・規律・軍規・条規・新規・正規・内規・法規」・・・
 四文字熟語
 規矩縄墨 (キクジョウボク)
 規矩標準 (キクヒョウジュン)
 規行矩歩 (キコウクホ)
 鉤縄規矩(クジョウキク)
 規矩準縄(キクジュンジョウ)
 規矩元法(キクゲンポウ)
 そして、
 同音異字漢字の「キク・きく」である・・・
 そして、
 「菊の名前」である
 「chrysanthemum name」
 「クリサンセマム 名前」
 「クリッサンスマム 名前」
 略称は「mum(マム)」・・・「魔夢」・・・?
 ↓↑
 キク
 危懼=危惧(キグ)
 奇句=奇抜な句・危言
 起句=漢詩の第1句・絶句の第1句
    起承転結・詩文の書き出しの句
 崎嶇=険しいこと・容易でないこと・辛苦
 喜懼=喜び、且つ、恐れること
 ↓↑
 きく
 利く=効く=効果・効き目・甲斐がある
 聞く=聴く=声を耳に受ける・耳に感じ取る
 訊く=尋ねる・訊問
 ↓↑
 キク
 菊=キク科の多年草
   菊花・寒菊・観菊・残菊・白菊・野菊
 掬=すくう・むすぶ・水をすくう
   掬水・一掬
 麹=こうじ・こうじ
   麹塵(キクジン)
   酒・麹君・麹車
 鞠=まり
   蹴鞠(シュウキク)
   身を丸くかがめる
 菊秋=きくあき
    陰暦九月の異称
    菊月(きくづき)
ーーーーー
 ↓↑
 人名の
 「菊(キク)」
 文禄四年七月二日(1595年8月7日)
  〜
 元和元年六月六日(1615年7月1日)
 豊臣秀次の娘
 母は
 淡輪徹斎隆重の娘の
 小督局
 文禄四年(1595年)八月二日
 他の38人の豊臣秀次の妻達と共に、
 31歳で京都の
 三条河原で処刑
 ↓↑ 
 お菊の皿
 古典落語の演目の一
 古典的な怪談である
 皿屋敷を下敷きとした噺
 別名「皿屋敷
 上方落語
 2代目
 桂枝雀
 3代目
 桂春団治
 などの得意演目
 東京では6代目
 三遊亭圓生
 2代目
 桂三木助から教わった
 ↓↑
 お菊
 播州皿屋敷
 お菊井戸
 ↓↑
 真田幸村の側室
 堀田興重の娘、or 妹
 その長女の
 「阿菊=すへ」・・・ 石合重定=道定の室
 ↓↑
 趙州院(チョウシュウイン)
  ?〜寛文六年五月十三日
   (1666年6月15日)
 名は一説に
 「於菊」
 ↓↑
 真田昌幸の五女で、
 真田信之
 真田信繁(幸村)
 らの妹
 はじめ
 宇多頼次(石田刑部少輔、河内守)に嫁いだ
 宇多頼次は
 石田三成の舅
 宇多頼忠の甥で、
 三成の
 父・正継の猶子となり、
 石田刑部少輔を称した。
 娘が
 宇多頼次に嫁いだ関係から、
 父の
 真田昌幸
 関ヶ原の戦いの際に
 石田三成の西軍に加担
 ↓↑
 慶長五年(1600年)
 関ヶ原の戦い
 西軍が敗北
 宇多頼次は
 九月十七日
 石田三成の居城
 佐和山城で自刃
 ↓↑
 趙州院は離縁し
 逃た後に、
 滝川一積(三九郎、滝川一益の孫)
 に再嫁
 ↓↑
 大坂の陣の後、
 寛永九年(1632年)
 滝川一積は
 幕府から
 真田信繁の娘を
 養女として
 他家に嫁がせ
 幕府使番の職を解かれて除封
 その後は
 京六条付近に夫婦で隠棲
 その際、
 松代藩より500石の
 合力米が出された
 ↓↑
 寛永十九年(1642年)
 寿像(肖像画)が
 描かれ、
 東禅寺嶺南が賛を記した
 夫の死後、菩提寺として
 妙心寺
 趙州院を建立し、
 甥の
 石禅を開山
 ↓↑
 寛文六年(1666年)に死去
 法名
 趙州院殿
 瑚月妙珊大姉
 自らが建てた
 妙心寺趙州院に葬られた
 ↓↑
 お菊(阿菊、於菊、おきく)は人名。
 ↓↑
 お菊=豊臣秀次の娘
 お菊=怪談、皿屋敷に登場する人物、亡霊
 阿菊=真田信繁の娘。別名、すへ
 阿菊=上杉景勝正室
    菊姫 (上杉景勝正室=阿菊御料人)
 於菊=真田太平記の登場人物
    史実における
    真田昌幸の五女(趙州院)
 於菊=豊臣秀次の側室
    伊丹忠親の孫
    於菊の前
 ↓↑ ↓↑
 菊
(文禄四年七月二日・1595年8月7日)
  〜
 元和元年六月六日・1615年7月1日)
 豊臣秀次の娘
 母は
 淡輪徹斎隆重の娘の
 小督局
 ↓↑
 母の小督局は
 文禄4年(1595年)8月2日
 に他の
 38人の
 豊臣秀次の妻達と共に、
 31歳で京都の三条河原で処刑
 しかし、
 菊はまだ生後一ヶ月で、女子で
 助命され、
 菊の祖父の
 弟の子供である
 後藤興義に預けられた
 ↓↑
 菊は、
 元和元年(1615年)4月20日
 紀伊国の代官である
 山口安弘=山口安弘喜内の嫡男
 山口朝安=山口朝安兵内の元に嫁いだ
 その年に
 大坂夏の陣が起こり、
 淡輪家・後藤家・山口家は豊臣方に味方し
 菊の夫の朝安はわずか結婚5日目に大坂城
 山口の城は敵軍に囲まれ、
 援軍を求めるために
 菊は
 舅の安弘の命令により、
 密書を持ち農夫の姿になり
 敵軍の包囲を脱出
 風吹峠から尾根伝いに北へ向かい、
 信達山中で
 男装に変え、
 大坂城に入って使命を果たした
 その帰り、
 樫井川で敵方に返書を奪われた
 ↓↑
 大阪方は敗れ、
 菊の養父の
 後藤興義
 叔父の
 淡輪重政達は、
 樫井川の合戦で
 四月二十九日に討ち死
 菊の夫の
 朝安も
 五月七日に討ち死
 五月八日に大坂城落城
 後、
 菊は後藤家に身を隠したが、
 敵の
 浅野方に捕らえられ、
 同年の
 六月六日に
 紀伊南の河原で処刑
 享年20
 養母の静は
 菊を哀れみ、
 後藤家の菩提寺
 法福寺に
 菊の木像を納め、冥福を祈った
 ↓↑↓↑
 姫路城城主が
 木下家定であった頃、
 宮本武蔵は名前を隠し姫路で
 足軽奉公をしていた
 城内では天守に妖怪がでるという
 噂が広まった
 髪が伸びる
 「お菊人形」
 ↓↑
 番町に
 青山鉄山の武家屋敷があった
 腰元の
 お菊
 がおり
 鉄山は
 お菊に横惚れたが
 お菊に
 三平という夫が居た
 その為
 意趣返しと言う事で、
 10枚組の葵の皿を預け、1枚だけ隠した
 怪談・「皿屋敷」の「お菊」
 ↓↑ ↓↑
 姫路城内の
 播州皿屋敷
 お菊の
 井戸
 姫路城の
 上山里(かみのやまさと)
 曲輪に、
 お菊井戸があり
 播州皿屋敷で知られる
 お菊の井戸
 皿屋敷譚の主人公
 主人秘蔵の皿をわったため
 惨殺され
 井戸になげこまれた
 のちに
 怨霊となって
 皿をかぞえる
 物語は
 元和(ゲンナ)〜元禄(ゲンロク・1615〜1704)
 のころ
 江戸、播磨(はりま=兵庫県)
 をはじめ全国各地に伝承
ーーーーー
 菊の御紋・紋章
 ↓↑
 後鳥羽上皇(1183〜1198)
 が
 身の回りのものに
 菊に関するモノを施し、
 その時期に
 天皇および皇室の紋となった
 鎌倉時代には
 蒔絵や衣装の文様として流行
 日本の南北朝時代以降には
 天皇より下賜されることにより
 公家や武家の間で家紋として使用
 ↓↑
 九州豪族
 菊池氏も・・・本姓、藤原氏、本拠地
 ↓↑     久々智(鞠智)
        九州の肥後国菊池郡熊本県菊池市
        西郷隆盛も菊池一族の末裔
        藤原則隆
        御三条天皇
        延久二年
        肥後の国菊池郡に下向
        阿蘇山下流に流れている
        菊池川の畔深川の地に構え
        地名をとって
        菊池氏を称した
 ↓↑     菊池氏
        四代
        経宗
        五代
        経直は
        鳥羽院武者所に任じられ奉仕
        室町時代
        岩手への下った
        菊池氏の支流が「菊地」に改姓
        肥後の菊池は昔は
       「ククチ」と読んで
 ↓↑    「久々智(鞠智)」と書いた
 家紋に
 「菊花」
 もしくは
 「菊葉」
 を使用
 ↓↑
 宮中では
 菊の節句
 重陽節句
 (旧暦九月九日)
 黄色の菊→記句⇒「おぼろげな思い出」
         「失恋」
 献花として菊が使用
 (慣習として故人への供花とされ、
  病室への見舞いの花としては忌避される)
 ↓↑
 「万葉集」には
 157種の植物が登場
 菊を詠んだ歌は一首もない・・・「菊の紋章=太陽?」は
                 オリエンタル
                 メソポタミア
 飛鳥時代奈良時代の日本に
 菊がなかった・・・
 「古今和歌集(905年)」
 「枕草子(996年頃)」
 清少納言の随筆
 「源氏物語(1010年頃)」
 紫式部
 の時代になって登場・・・
 「源氏物語」に多く登場する草花は、
 ナデシコ(撫子)
 キク(菊)
 オミナエシ(女郎花)
 の順・・・
 ↓↑
 菊の
 異称
 ↓↑
 隠逸花(インイツカ)・・・「隠し逸(それる)花」?
 周敦頤の
 愛蓮説の一文
 「菊、花之隠逸者也」・・・
 陰君子(インクンシ)=隠遁する有徳の人
 菊の異称
 「逸=それる・はやる・イン・イツ
    ある場所からさっと抜け去る
    逸出・逸走・後逸
    横にそれて逃れる
    抜けて見えなくなる
    逸脱・散逸
    世間に知られていない
    逸事・逸聞・逸話」
 ↓↑
 星見草(ほしみぐさ)・・・菊の異称
 霜見草(しもみぐさ)・・・菊の異称
 特に「寒菊」の異称
 ↓↑
 千代見草(ちよみぐさ)
 菊、松の異称
 ↓↑ ↓↑
 花言葉
 「高貴」「高潔」「高尚」
 「清浄」・・・清(水の青)+浄(水の争)
        清の山水(纂隋)の争い?
 「真の愛」
  ↓↑
 菊の名前
 「窮まる(きわまる)」が語源・・・?
 「一年の最後に咲く花」という意味
 学名=「Chrysanthemum(クリサンセマム)」
 ギリシア語の
 「chrysos(黄金)」
 と
 「anthemon(花)」
 が語源・・・
 ↓↑
 「菊石」=アンモナイト・・・三笠ダム周辺から発掘多
 ↓↑ ↓↑
 春藤流(しゅんどう-りゅう)
 廃絶した
 能楽ワキ方の一流儀
 ↓↑
 金春流座付のワキ
 後にここから
 下掛宝生流が分流
 ワキ方
 高安流の初世
 高安重政が師事した
 下掛り系統の
 ワキの源流
 家譜では
 畠山家に仕えていた
 春藤六郎次郎長慶を初世
 長慶は金春流の脇の仕手
 金春源七郎に学んで一家を興し
 後に
 金春座の
 「虎-菊大夫」の子が・・・「虎の菊大夫」って?
 長慶の女婿となって
 春藤遊巽と名乗り(「隣忠見聞集」)
 師家金春源七郎家が廃絶し、
 同家は金春流の本ワキとなった
 ↓↑
 三世道覚
 「髭春藤」のアダ(綽・渾)名
 四世寿朴の代に至って、
 徳川綱吉の命により弟
 権七(祐玄)が
 別家して
 下掛宝生流を興し、
 宝生流の座付となった
 六世は
 五世道定の子で中興の祖
 ↓↑
 明治維新
 十二世春藤高明が
 1893年に後嗣を欠いたまま没
 門弟の
 浅草
 鳥越神社神職
 鏑木祚胤が
 伝書・伝来品などを
 預かって芸系を守った
 1922年
 祚胤の子
 建男が宗家代理となるものの流勢ふるわず
 子の
 岑男の代からは
 下掛宝生流に転じ、
 同流は廃絶
ーーーーー
 ↓↑ ↓↑
 鴨長明
 賀茂御祖神社
 禰宜
 鴨長継の次男
 京都で生まれた
 高松院の愛護を受け、
 応保元年(1161年)
 従五位下に叙爵され
 承安二年(1172年)頃
 長継が没した後、
 安元元年(1175年)
 長継の後を継いだ
 禰宜・鴨祐季
 と
 延暦寺との間で土地争いで
 祐季が失脚
 長明は
 鴨祐兼とその後任を争うが、
 敗北
 ↓↑
 和歌を
 俊恵の門下として、
 琵琶を楽所預の
 中原有安に学ぶ
 歌人として活躍し、
 歌林苑の会衆として
 賀茂重保撰の
 『月詣和歌集』に入撰
 『千載和歌集』にも
 「よみ人知らず」・・・「よみ人知らず」とはナニか?
 として入集
 以降、
 石清水宮若宮社歌合
 正治後度百首、
 新宮撰歌合、
 和歌所撰歌合、
 三体和歌、
 俊成卿九十賀宴、
 元久詩歌合などに
 出詠し、
 建仁元年(1201年)八月
 和歌所寄人に任命された
 ↓↑
 元久元年(1204年)
 河合社(ただすのやしろ)の
 禰宜の職に欠員が生じ
 長明は就任を望み
 後鳥羽院から推挙の内意も得えたが
 賀茂御祖神社
 禰宜
 鴨祐兼が長男の
 祐頼を推し
 長明の神職は閉ざされた
 長明は出家し、
 東山次いで大原、
 日野に閑居生活を行った
 出家後は
 蓮胤(レンイン)を名乗った
 建暦元年(1211年)
 飛鳥井雅経の推挙を受け
 将軍
 源実朝の和歌の師として
 鎌倉に下向したが、
 受け入られず失敗・・・
 ↓↑
 建暦二年(1212年)
 「方丈記」は和漢混淆文
 他に歌論書の
 「無名抄」
 説話の
 「発心集(1216年以前成立)」
 歌集の
 「鴨長明集(養和元年(1181年)」
 「千載和歌集(1首)」以下の
 勅撰和歌集
 25首が入集
 ↓↑
 光行賀茂社の歌合で
 「石川やセミの小川」
 を出詠し、賀茂川の異名と顕昭に告げ、
 蟬(せみ・蝉)の小川を使用した歌を多作し
 禰宜の鴨祐兼から非難された
 ↓↑
 「文机談」
 長明が出家遁世した経緯の伝
 琵琶の師の死亡後
 演奏禁止の秘曲
 「啄木」を演奏したため・・・「啄木」?
 ↓↑
 建暦元年(1211)十月大十三日辛夘
 鴨社氏人
 菊大夫
 長明入道(蓮胤)
 依雅經朝臣之擧。此間下向。
 奉謁、將軍家。及度々云々。
 而今日當于幕下將軍御忌日。
 參彼法花堂。念誦讀經之間。
 懷舊之涙頻相催。
 註一首和歌於堂柱。
 「草モ木モ 靡シ秋ノ 霜消テ 空キ苔ヲ 拂ウ山風」
 ↓↑
 代表作品
 「方丈記」、
 その他に
 「発心集」、「無名抄」
 通称、
 「菊大夫(きくだゆう)」
 出家後の法名
 「蓮胤(レンイン)」
 ↓↑↓↑
 北極北米のオオカミ
 白い毛皮を持ち尾の先端が黒い
 (wolf of Arctic
  North America having white fur
  and a black-tipped tail)
 ↓↑
 北極狼
 ホッキョクオオカミ
 (学名:Canis lupus arctos)
 北極圏周辺に棲息するオオカミの亜種の一
 ↓↑
 the Arctic Ocean=北極海・北氷洋
 Arctic Circle=北極圏
         23°27′の圏内
 antarctic=南極
 語源はギリシャ
 「大熊座に近い」の意・・・熊本・大隈・羆・月の輪熊
              熊襲
 「the Antarctic Pole=南極」.
 ギリシャ語「北と対をなす」の意
 「(ANTI‐+Arktikós =大熊座に近い・北の」
ーーーーー
 ・・・???・・・「キク(クク)のチの名前」・・・