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この世界は私の生きていたい世界ではない

2017-01-20

2016年の演劇ベストテン

2016年の演劇ベストテン
観劇本数:74本

1位:ホリプロ『娼年』(原作:石田衣良『娼年』『逝年』、脚本・演出三浦大輔
2位:On7『ま◯この話〜あるいはヴァギナ・モノローグス〜』
3位:パルテノン多摩×FUKAIPRODUCE 羽衣『愛いっぱいの愛を』
4位:Q『毛美子不毛話』
5位:シベリア少女鉄道『君がくれたラブストーリー』
6位:『猟銃』
7位:劇団態変『ルンタ』
8位:彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾『尺には尺を』
9位:モダンスイマーズ『嗚呼いま、だから愛。』
10位:ハイバイ『夫婦』

【総評】
1位の『娼年』は、石田衣良の『娼年』『逝年』を原作に、三浦大輔が脚本を書いて演出した作品。「娼夫」である主人公が様々な女性とセックスをして彼女たちの内面に迫ってゆくという話だ。「舞台で性を表現する」ことをとことん突き詰めており、主演の松坂桃李はじめ女優も皆脱いで、身体を張ってギリギリのところまでセックスを表現。ホリプロ主催の大きな規模の公演なのに、ここまでやるのかと驚いた。
2位のOn7『ま◯この話〜あるいはヴァギナ・モノローグス〜』は、1996年のアメリカ戯曲を大胆かつスタイリッシュにアレンジし、On7の女優7人の生の声も入れ、女性器というテーマを様々な角度から描いたパワフルな作品。女性器にまつわるセリフを、ときには自らの経験も交えてあけすけに語る女優たち。ユーモラスなエピソードもあればシリアスなものもあり、観ていると笑ったり唸ったり切なくなったりと忙しい。この作品を上演したOn7の勇気に拍手。
3位のFUKAIPRODUCE 羽衣『愛いっぱいの愛を』は、パルテノン多摩フェスティバルの演目のひとつ。水上ステージでの公演で、様々な男女の物語を羽衣の名曲に乗せて描いた作品だ。高校生の男女の初々しさ、不倫カップルの性愛、そして別れてしまった男女の切なさ……。青空に囲まれた水上ステージは、日が落ちると暗い森のなかにいるような幻想的な雰囲気に。池のなかにざぶざぶ入り、水しぶきを上げてずぶ濡れになりながら熱唱する役者たちの姿は人間賛歌に溢れている。野外公演ならではのダイナミックさに圧倒された。
4位のQは、以前から注目している劇団。作・演出市原佐都子は、これまで一貫して「女性の性」を描いてきた。本作もまた「女性」という性の面倒くささ、醜さ、滑稽さを真正面から、これでもかといわんばかりに描いている。動物的な描写、荒唐無稽なエピソード、そして役者2人の怪演。思わず見入ってしまう。登場人物の吐くセリフが面白い。女性のモノローグ、性にまつわる下世話なセリフ。一方で、なんでも量産され消費され続けている現代社会に対する問題意識も。
5位のシベリア少女鉄道は、毎回いろんなネタをやって笑わせてくれるが、本作は特にはまった。はまったときのシベ少は最強。話が進むにしたがいネタがわかってきて、客席は爆笑の渦に。本作では登場人物たちが持つカードに特別な意味がある。1枚のカードを出すことで、展開が180度変わる。毎回感じるが、土屋さんの「言葉」のセンスがすごい。やってる内容は笑えるくらいくだらないのに、パズルのように緻密に組まれている。くだらないことに全力で取り組み、一生懸命作り込んでやっているのがシベ少の最大の魅力だ。
6位の『猟銃』では、井上靖の小説『猟銃』に出てくる3人の女――男の妻、愛人、そして愛人の娘の3役を中谷美紀が演じた。中谷美紀がただただすごい。メガネをかけたおさげの20歳の若い娘を演じた次の瞬間、鮮やかな赤いワンピースを身にまとった妖艶な女になる。最後は着物を着付けながら、死を間近にした女の業を見せる。どの女も心の内に「蛇」を飼っている。
7位の劇団態変の舞台を観たのは初めてだった。演出・出演などすべて身体障害者で構成されている劇団。身体障害者たちがレオタード一枚で舞台に上がり、パフォーマンスする。セリフはない。皆、ごろごろと床を転がる。立てる人は立って歩いたり跳ねたりも。転がる、といっても、人によって動きは全然違う。その動きは演出されたものだけど、その人自身から出てくる動きでもある。その人のその身体でしかできない動き、ほかの誰も真似なんかできない動き。この世で唯一の動き、身体。その一つ一つが彼ら個人の表現なのだ。圧倒的だ。
8位の彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾『尺には尺を』は、蜷川幸雄追悼公演。舞台裏を見せているかのようなオープニング、通路を多用して客席との一体感を持たせる演出は、蜷川幸雄のそれを踏襲している。後半ですべてが回収されていく戯曲が爽快。役者陣もテンポよく生き生きと演じていて、引き込まれた。ダブルコールで幕が再度上がると、なんとそこに故・蜷川幸雄の巨大な遺影のパネルが天井から下りてきた。観客はスタオベで熱い拍手を送り、泣いている人もちらほら。蜷川幸雄への愛と尊敬に溢れた、素晴らしい追悼公演だった。
9位 蓬莱竜太の作品は一定のクオリティを保っている。本作は最近社会問題ともなっている、夫婦のセックスレスをテーマにしたもの。セックスレスで悩む女性が、美人の姉や、妊娠した友人などの周囲の女性と自分の境遇を比べ、どんどん自己卑下していく。女性の自意識だけでなく、男性の心理も巧みに描いている。男女の分かり合えなさ、それでも一緒にいるということの意味とは……などいろいろ考えさせられた。
10位のハイバイ『夫婦』は、岩井さんご自身の家族の話で、『て』の続編のような位置づけ。暴力的父親の死を通して、夫婦や家族の関係を描く。「死」がテーマとなっているだけに、重い作風。もちろんハイバイならではの笑えるシーンも多いのだが、そう簡単に笑っちゃいけないんじゃないかと思わせる。舞台上に置かれた複数の机を、家の食卓や病院のベッド、研究所の椅子などに見立て、一人の役者が複数の役を演じてスピーディーにシーンが進んでいく。見せ方が巧み。

2016-12-29

2016年12月に観た舞台

ドキュントメント『となりの街の知らない踊り子』観劇。北尾亘によるダンスを交えた一人芝居。現代社会に生きる複数の人の視点を通して、多角的に「現代」「東京」をとらえる。スマホSNS人身事故──。都会には様々な「他者」がいて、それぞれ知らんぷりをしながら生きている。映像や文字を効果的に使い、複数の「場所」を浮かび上がらせ、「時間」をも越える。「街」が立ち上がり、そこに生きる「人」の存在が、ダイレクトに伝わってくる。理屈ではなく、感覚に訴えかけてくる。だから思わず心を持っていかれる。

チェルフィッチュ『あなたが彼女にしてあげられることは何もない』観劇。「カフェでの公演」というから、てっきりカフェのなかで芝居を観るのかと思ったらそうではなく、カフェのなかに役者がひとりいて演技(?)をして、それを外から眺めるというスタイル。イヤホンを装着するとなかの音が聞こえる。そうしたスタイルは面白かったが、芝居部分は退屈だった。女優が席について延々とポエムのようなセリフを言う。上演時間は30分と短かったが、そのセリフだけを聞かされていたら退屈だと思う。でもイヤホンからは営業中のカフェにいるほかの客の会話も聞こえてきて、それが面白い。

スザンネ・リンケ「ドーレ・ホイヤーに捧ぐ『人間の激情』『アフェクテ』『エフェクテ』」鑑賞。視覚的に楽しかった。ストイックだけどテクニカルなダンスは、生々しさがなく、身体で感じるというよりはじっくり頭を使って集中して観るタイプのものか。私の好みとはちょっと違ったけど、観れてよかった。

iaku『車窓から、世界の』観劇。3人一緒に電車に飛び込んだ女子中学生たち。彼女たちと関わりのあった大人たちが、彼女たちが飛び込んだ駅に集まり、いろいろ議論する。ストーリーといえばそれだけで、ほぼ会話のみ。にも関わらず濃い内容だった。様々なテーマがあるが、結論は出していない。

藤田貴大演出ロミオとジュリエット』観劇。ロミオ青柳いづみはじめ、主要な男性キャラを女優が演じる。戯曲は解体され、二人が出会って死ぬまでの5日間を、二人が死んだ日から出会った日まで遡って描く。とにかく「音」がすごかった。空間がすごく美しかった。これは、藤田さんがいかに『ロミジュリ』を再構築して演出しているか、ということを観る舞台。逆に言うと「普通の」ロミジュリを観たい人には全然向かない。観客の反応が微妙だったのだが、藤田作品が初めての人が多かったのだろうか。ストーリーを追うため集中する必要もなく、リラックスして観られた。ただただ演出の技にうなり、女優のセリフに聞き入り、音にびっくりし、衣装や美術の美しさにうっとりした。なんかダンスを観ているときのような。実際ダンスシーンもあったけれど。

岩松了作・演出シブヤから遠く離れて』観劇。ストーリー展開や演出や役者で魅せるのではなく、セリフを聞いてそこから観客が自由に想像を広げる、という系統の芝居。セリフの妙を味わえなければ楽しめない。集中力が必要。私は集中できず楽しめる要素がなかった。

劇団桟敷童子『モグラ』観劇。大正時代末期を背景にした伝奇浪漫。今までの桟敷童子とは違う系統の話だが、演出や美術はいつもの桟敷童子なのでなんら違和感なし。話はよく考えると辻褄が合わない部分もあるが、まあそこは伝奇浪漫だからね。最後まで飽きずに楽しめた。

Q『毛美子不毛話』観劇。「女性」という性の面倒くささ、醜さ、滑稽さを真正面から、これでもかといわんばかりに描く。性表現含め、あまりの動物的な描写に目を背けたくなるのだが、思わず見入ってしまう。役者が相当巧みなのだが、これをやらせる市原佐都子はやはりすごい。


12月の観劇本数は8本。
ベストワンはQ『毛美子不毛話』。

2016年11月に観た舞台

劇団チョコレートケーキ『治天ノ君』観劇。大正天皇の物語。非常に人間らしく、好奇心旺盛で、自由だった大正天皇。しかし幼少から体が弱く、父・明治天皇ほどの才覚がなかったことから、「天皇としてふさわしくない」とプレッシャーをかけられる。それでも天皇としての責務を果たそうとする。天皇として生まれた者は、天皇にならなければならない。己にその器がないとわかっていた大正天皇は、気さくに周りの人の声を聞いたりしながら、父とは違う自分なりの天皇となろうとし、新しい世の中を作った。富国強兵を推し進めた明治時代とは違う、「大正ロマン」が花開く時代に。しかし、そうした大正天皇の功績も、脳病を発症したことで忘れ去られてしまう。それどころか今では「暗君」として語られている。実はそこには陰謀があったのに──。私も小学校で「大正天皇は頭が弱かった」と教えられた。100年後、200年後も「暗君」と語られてしまう悲しさ。天皇とはなにか、国家とはなにか、を考えさせられた。大正天皇の病状を公表して帝位を退かせようとした者たちが悪者というわけではない。皆、国家のため、皇室のためを思ってのことであり、それぞれ自分の確固たる信念を持っていた。それに従って心を鬼にして決断した。しかし、戦争というものも「国家のため」を思ってするものだとしたら恐ろしい。戦争中は国民も「お国のため」に喜んで(そのふりをして)その身を犠牲にした。今の我々から見ると異様だが、当時は戦争に負けるなんて考えてなかっただろうし、お国のために尽くすのが正義だったのだ。なにが正しいのかなんて、そのときは誰にもわからない。皆、上が言うことを信じ、周りの空気に同調し、「これが正しい」と突き進んでしまう。だからこそ怖いのだ。「進め一億火の玉だ」とか、普通に怖いけど、戦時中はそれを「怖い」と感じられなくなり、感覚が麻痺してしまうのだ。戦争に勝利し、富国強兵を推し進め、国民をぐいぐい前へ前へ進めることで日本を世界の大国にした明治天皇。そのせいで疲弊した国を休ませ、明治時代とは違う自由な日本を作ろうとした大正天皇。一方で、明治天皇こそがあるべき天皇の姿と信じ、そのときの皇室を取り戻そうとした昭和天皇。そして、はじめて「日本国象徴」としての天皇となった今上天皇天皇ってなんだ、象徴としての天皇ってどういうことだ、ということを一番考えておられるのは今上天皇だ。天皇である、ということがどういうことなのか、正直、想像ができない。舞台セットは玉座のみで、照明も終始暗い会話劇。それで2時間半も飽きずに見せる演出はすごい。私は照明が暗い芝居ってだいたい寝るのだけど、これは寝なかった(そこで量るのもなんだけど)。見かけは地味だけど、すごいドラマティックだった。この流れでのラストの君が代にはやられた。普段はまったく意識してないけど、自分のなかの「日本人」の部分、天皇を畏れ敬う気持ち、を感じた。昭和天皇崩御したとき、すごい喪失感を覚えたことを思い出した。いろんな意味で、自分が日本人であることを意識させられた作品。

『x/groove space』鑑賞。まったく前情報がなく、ドイツのダンス作品だと思って観に行ったら、客席のない暗い空間に放り出され(もちろんスタンディング)なにが起こるかわからないという状態に。観客のなかにパフォーマーが紛れていて、パフォーマンスが始まった。大量の紙吹雪を渡されて散らせたり掃除したりなど一部参加型ではあったが、基本的にはそこで起こっていることを目撃させる、というスタイルか。最後にロビーで、上演中に録画された映像が流され、モップで掃除する動きなども演出だったことがわかり面白かった。しかし、前情報なく普通の舞台作品を観るつもりで行ったのに、受付で「体験型の作品なので、荷物を預けてください」と言われた時、一瞬「面倒くさいな」と思ってしまい、年を感じた……。

てがみ座『燦々』観劇。葛飾北斎の娘、お栄の物語。北斎の娘として生まれ、才能はあったが、女だったから北斎絵師として大切にされたわけでもなく、父に振り回される人生。お栄が父から独立し、絵師としての将来を開拓していく前のところでこの芝居は終わってしまうので、ちょっと不完全燃焼な気が。お栄が絵師として成長することを描くため、叶わない恋や吉原花魁との交流が出てくる。吉原花魁のシーンがすごくよかった。あとで当日パンフを見て、花魁役が善次郎(お栄が恋する相手)を演じた人と同一人物だとわかり、衝撃を受けた。霧里、美しかった。お姉さんとの関係も。

『B.E.D.(Episode 5)』観劇。「参加型パフォーマンス」と銘打っているが別になにかさせられるわけではなく、単に場所を移動しながら観る、ということ。マットレスを使って遊んでいるかのような役者たち。それを見届ける観客……。あまり意図がわからず、退屈だった。

パルコ人ステキロックオペラ『サンバイザー兄弟』観劇。主演は瑛太と、ロックバンド「怒髪天」のボーカル増子直純。まさに「ロックオペラ」。生演奏、ダンス、ラップ、ギャグ……すべてある。ストーリーはどうでもいい感じなので、ただショーとして楽しむ感じかも。増子の歌がとても良かった。役者でよかったのは、三宅弘城皆川猿時。三宅さんのボケには大笑い。そして次のシーンではかっこよすぎるロックバンドのドラマーになっちゃうんだから、胸キュン。皆川猿時はいつもながらのおデブキャラ。汚さも含めここまで突っ切っていると潔い。彼のラップがよかった。

11月の観劇本数は5本。
ベストワンは劇団チョコレートケーキ『治天ノ君』。

2016-11-21

2016年10月に観た舞台

勅使川原三郎×山下洋輔『up』鑑賞。ダンスとジャズピアノセッション。すごかった……。クライマックスでの山下洋輔は神がかっていた。馬もリズムに合っていた(というか山下洋輔が馬を見ながら弾いていた)。馬に跨る佐東利穂子の捌きもすごい。大人しい馬だった。もっと暴れたら面白かったかも。

『伐採』前半のみ観劇。自殺した女優をめぐり、芸術や死について登場人物がぶつぶつと会話する。セットはかっこよかったが、暗く観念的な舞台で、私には死ぬほど退屈だった。前半だけでも長くてきつかった。後半で劇的に面白くなる気もせず、あと二時間これを観続けるのかと思ったら耐えられず。

イデビアン・クルー『シカク』女性版観劇。ルームシェアしてる四人。個々の動き、全員のダンス。寿司屋のシーンが面白かった。女性版と男性版は基本的に同じ振付らしいが、やはりだいぶ変わるだろう。井手茂太が出演する男性版も観たかった。

『ふくちゃんねる』観劇。ナカフラの福田毅によるパフォーマンス。南池袋公園内のシャレオツなカフェの一角での公演。「通信販売」をテーマに、福田さんが自らの「作品」を何作か発表。「作品」はどれも面白かった。ナカフラっぽいな、とも思った。作品自体のクオリティは高いと思う。貸切ではなく通常営業のカフェでの公演。良く言えば臨場感があるのだけど、どうしても雑音が多く、集中力が途切れる瞬間があった。カフェ上演ならではの題材もあったが、もっとカフェという場所を利用できるのではとも思った。逆に、静かな環境で観たら、純粋に「作品」として楽しめるような気も。カフェでやるなら、その雑然とした雰囲気を利用してもっと双方向なものにしてもよかったかも。シャレオツなカフェっぽい山盛りサラダと小さなパン、ソフトドリンクがつく。サラダもパンもとてもおいしい。サラダの量がすごく多く具もたくさん入っているので、軽食とはいえかなりお腹いっぱいに。ドレッシングもおいしかった。飲み物はアルコールもあったほうがよいと思う。

10月の観劇本数は4本。

2016-10-29

2016年9月に観た舞台

ホリプロ『娼年』(三浦大輔脚本・演出
石田衣良の『娼年』『逝年』を原作に、三浦大輔が脚本を書いて演出した作品。セックスを介したコミュニケーションの話。主演の松坂桃李はじめ、女優も皆脱いで、身体を張ってギリギリのところまで舞台でセックスを表現している。小劇場の舞台でもない、ホリプロ主催の大きな規模の公演なのに、ここまでやるのかと驚いた。もちろん本当にセックスしているわけではないけれど、客席まで大きく張り出したベッドルームで俳優たちがくんずほぐれつやっていて、キスや体を舐める音などもマイクで拾っており、本当にしてるように見せている。演出家やスタッフも一丸となって真摯に挑戦している。本物のプロの仕事。ところどころに三浦さんらしい笑えるシーンもあったり。娼夫という裏の世界を描いているのに最後に温かい気持ちになるのは、セックスを介した生のコミュニケーションの温かさが伝わったからだろう。主演の松坂桃李くんの魅力も大きい。娼夫の役だが、清潔で誠実、女性に優しい。素敵すぎる。松坂桃李もすごいが、女優陣もすごすぎる。まるで競うかのように次々と見せ場が。俳優にとってはこういう役は難しいが、一度覚悟を決めれば非常にやりがいがあるのだろう。俳優たちが互いに切磋琢磨して、良い影響を与え合いながら作品を作り上げた感じがした。


ニコラス・ライト作、森新太郎演出『クレシダ』
1630年代のロンドンの劇場で、シェイクスピア劇などの女役をやっていた少年俳優たちの話。昔は女性役を少年がやっていたというのは知識としては知っているが、実際どういうやりかたをしていたかは知らなかったので、興味深かった。少年俳優たちは、自ら志願して来た者もいれば、複雑な家庭事情を抱えている者もいる。ほかの劇団から売りに出されて来た者もいる。舞台に出ている少年俳優を、ほかの劇団に「売る」、「買う」というやりとりがあったとは驚きだ。少年俳優の旬の時期は短い。声変わりをするとできなくなり、男役になったり、卒業したりする。劇団を取り仕切り、少年俳優を売り買いしたりもする老人シャンク(平幹二郎)も、かつては少年俳優だった。今はお金をちょろまかしたりしている彼が、ある少年に出会って変わっていく。最初はまったく演技ができなかった少年スティーヴン(浅利陽介)に演技を教えるシャンク。実はスティーヴンを売るためなのだが、スティーヴンに素質があることがわかると、次第に熱心に教えるようになる。このマンツーマンの稽古はさながら『ガラスの仮面』の月影先生とマヤのようだ。まったく演技ができなかった少年が実力をつけ、「女役」を立派に舞台で務め上げる。それはシャンクにとって嬉しいことだが同時に完全に自分の出番は終わったという切ないことでもあった。平幹二郎のシャンクはまるで当て書きのように生き生きして、茶目っ気があり、そして切なかった。シェイクスピアの難しい台詞回しを指導する平さん。浅利さんがたどたどしくやるのを「そうじゃない」と平さんがやってみせるクレシダが素敵すぎて、平さんのクレシダを観てみたいと思った。私の好きな盒桐里蓮僻爐出ているから観に行った)劇場の株主のリチャード役。シャンクと敵対しているような感じだが、彼も実は元少年俳優で、シャンクとともに舞台に出た過去があったようだ。シャンクとは長い付き合いで、いろいろあったのかもしれない。最後の場面でそう思った。個人的には、もうちょっとシャンクとリチャードの関係がわかればいいなと思った。かなり深い付き合いだったと思うので。盒桐里魯螢船磧璽斌鬚里曚、妻を少年俳優に寝とられた亭主の役もやっていた。ぶよぶよ太った道化のような滑稽な格好で思い切り暴れて怒ってる洋さん、素敵だった。
この芝居を観てから一ヶ月ちょっとしか経ってないのに、平幹二郎さんが亡くなられた。舞台であんなにピンピンしていたのに、驚いた。この作品が最後の舞台となってしまった。自らのすべてを出し切って後進に演技を指導し、後の世代に託すという役割もある老俳優の役は、平さんの最後の舞台としてふさわしかったと思う。


遊園地再生事業団こまばアゴラ劇場子どもたちは未来のように笑う』
軸となるストーリーはあるのだが、その合間に様々な戯曲や本、雑誌のインタビューなどの引用文を俳優たちが朗読。笑いの部分も多く、いろんな要素があって最後まで飽きなかった。多様な文章に触れられるのは単純に面白い。障害児だとわかって産むこと、の意味を考えた。自分だったらどうするだろう。「障害児なんて産まないほうがいい」と声高に言う人は少ないだろうが(たとえそう思ったとしても)、当事者でないのに「授かったのだから産むべき」と安易に言うこともできないだろう。じゃあそもそも産む前に胎児の検査をするのは必要なのか? という議論もありそうだが、検査して胎児の状態を知り、問題がないということがわかれば妊婦は安心する。検査を否定することはできない。女性として、子どもを産むことの意味、大変さ、それを上回る幸福、などを考えた。男性にはわからない感覚だろう。一方で、引用された山口智子のインタビュー「子どもを持たない人生」にも深く共感する。


文学座9月アトリエの会『弁明』
アレクシ・ケイ・キャンベルの戯曲を上村聡史が演出60年代、70年代に男性社会や反戦運動の時代を駆け抜けた美術史家クリスティン。社会的には成功した彼女だが、「母」としては孤独と葛藤がある。話はつまらなくはないのだが、3時間近く続く会話劇は疲れた。アレクシ・ケイ・キャンベルはイギリス劇作家ヨーロッパの翻訳劇を観ると、向こうの人々の、言葉を尽くして徹底的に相手と議論しようとする熱さに驚かされる。日本人はまずそんなことはしない。だけど自分の考えをきちんと言葉にし、相手に伝えることは重要だ。たとえぶつかっても。


パルテノン多摩×FUKAIPRODUCE 羽衣『愛いっぱいの愛を』
パルテノン多摩フェスティバルの演目のひとつ。パル多摩フェスは、去年はコンドルズやKENTARO!!や森山開次やスイッチ総研など、結構な豪華出演者が集って無料公演をやったりしてすごい盛り上がったのだけど、今年は規模を縮小。演劇系のパフォーマーは少なく音楽フェスのようになっていて、こじんまりしていた。そんななかでも羽衣は魅せてくれました。水上ステージでの公演。もう素晴らしかった! 様々な男女の物語を、羽衣の名曲に乗せて描いている。水と緑と空に囲まれた水上ステージの開放的な雰囲気のなか、役者たちが生き生きと踊り、歌う。高校生の男女の初々しさ。不倫カップルの性愛。そして別れてしまった男女の切なさ……。すべての歌で女性パートを受け持った深井順子のパワフルさに圧倒された。次第に夕暮れから夜へと時間が移行し、暗い森のなかにいるような感覚に。スポットライトを浴びた池のなかへ役者たちが入っていき、ずぶ濡れになりながら熱唱する。クライマックスではステージの奥から多数のエキストラのカップルが現れ、池を埋めていく。水しぶきを上げながら合唱する彼らの姿は、人間への讃歌に満ち溢れていた。歌はマイクで歌詞が聞き取りやすかったのもよかった。クライマックスの演出にはゾクゾクした。


スタジオライフ The Other Life Vol.9『血のつながり』
アメリカで実際にあった未解決事件「リッヅィー・ボーデン事件」を描いたシャロン・ポーロックの戯曲を倉田淳が演出。私はこの事件を知らなかったが、サスペンスとして面白かった。芝居はややぎこちなかったか。ヒロインのリッヅィー役は両チームとも青木隆敏くんなのだが、この芝居はリッヅィーを「女優」という役の者が演じる、という構成をとっており、実質的にはその「女優」役の俳優(松本慎也・久保優二)が主役のような位置づけ。青木くんはボーデン家の召使の役をやったりする。リッヅィーは、父親と継母を斧で惨殺した罪に問われるものの、証拠がなく無罪釈放に。事件から10年後、リッヅィーの友人である「女優」が、「(犯人は)あなたなの?」とリッヅィーに問い、二人で事件を検証していく。「女優」はリッヅィーとなり過去を遡っていく。リッヅィーは限りなくクロに近いが、未解決事件であることから、真相は明かされない。真相に迫るなかで、リッヅィーや姉のエンマ、家族が抱えていた問題が浮き彫りになっていくのが面白かった。役者では、継母アビゲイルを演じた石飛幸治のふてぶてしさが最高。まさに「牛」(笑)。リッヅィーの役を、リッヅィー本人ではなく「女優」が演じることで、彼女や彼女を取り巻く人々の抱えている問題が客観的に示される。継母や父親との度重なる諍い。そして家が資産家だから財産相続の問題が出てくる。それはどこの家庭にも起こり得る問題だ。父や継母、財産を狙う継母の弟などとの諍いで消耗するリッヅィー。姉のエンマもリッヅィーと同じ立場に立たされているはずなのに「どうせなにも変わらない」と最初から諦め、物事から逃げていて、リッヅィーに非協力的。それがさらにリッヅィーを追い詰めることになる。34歳のリッヅィーも、それより上のエンマもともに独身だったというのは、1892年の田舎町にしては珍しい。父も継母もリッヅィーを結婚させようとするが、彼女は頑として応じず、家に居座った。事件後無罪となってから、父親の莫大な財産を相続し大邸宅を建て悠々自適に暮らしたという。リッヅィーの罪を暴いたり責めたりするのではなく、周囲のやりとりから追い詰められ苛々する彼女の心情を描写する。ラストで、再度女優に「(犯人は)あなたなの?」と問われたリッヅィーは、「あなたよ!」と言って客席を向く。リッヅィーの問題は普遍的なものなのだと示唆している。


マームとジプシー『クラゲノココロ』『モモノパノラマ』『ヒダリメノヒダ』
「夜三作」に続き、独立した3つの物語を1つにまとめあげたもの。空間の使い方、音楽の入れ方、そして役者たち。すごく力を入れ、時間をかけて作り上げられたものだと思った。「夜」より劇的なまとめかたになっていた。


9月の観劇本数は7本。
ベストワンは『娼年』。

2016-09-14

2016年8月に観た舞台

劇団桟敷童子『夏に死す』
劇団初の現代劇。とはいえやはりいつもの桟敷童子。舞台は九州だし、ミツバチを育てる自然農園が出てきたりするし、美術や演出もいつもの感じなので、違和感は全然なかった。ミツバチ農園の部分は以前東憲司さんが外部で作・演出を手掛けた『夢顔』を思い出した。介護、老い、死、という重いテーマ。なのだけど、この芝居では出てくる人がことごとく「いい人」。東さん自身当日パンフで「現実はもっと厳しいと思います」と書いているが、そのとおりだと思った。この芝居はきれいすぎる、いい話すぎる気がした。最近は介護を理由とした殺人事件が異様に増えた。そんな状況からするとこの芝居で描いていることは甘いようにも思うが、たぶん東さんはそういう社会的なことよりも、こういう状況でも人を思いやったり他者と繋がりを持って希望を持って生きることの尊さ、を描きたかったのではと思う。

黒田育世新作『きちんと立ってまっすぐ歩きたいと思っている』
10歳の女の子と黒田育世デュオ。私が最初に黒田育世を観たのは2009年のBATIKボレロ』だったが、そのころとはまったく彼女は変わった。当日パンフの彼女の挨拶のとおり「過去と向き合ってそれに向けて祈る踊り」だった。子どもと一緒に踊ることで余計に黒田育世の老成を感じた。子どもは無限の可能性に満ちている。技術はなくとも身体は動く。子どもと一緒に踊る黒田育世は、技術があり身体も動くが、もう若くはない。けれどそのぶん、様々な経験を積んだ重みがある。二人をとおして「女性の人生」を思った。二人の女性は波であり、植物であり、鳥でもあるようだった。踊り自体は非常に地味で、私には退屈だった。私は昔の黒田育世の激しい踊りが好きだったのだ。しかしダンスをとおして彼女の変化を垣間見られるのは興味深い。彼女の「生」に思いを馳せ、私自身の「過去」にも向き合えた。

八月納涼歌舞伎第三部『土蜘』『廓噺山名屋浦里』
両演目とも、親子で出ていたりして出演者が豪華。そういう意味でも見応えがあった。
『土蜘』は、土蜘の精を演じた橋之助が圧倒的だった。橋之助の三人の息子たちも出ていた。うーん、同じ父の息子とはいえ、やはりいろいろ違うのね……。
笑福亭鶴瓶新作落語歌舞伎にした『廓噺山名屋浦里』はほぼ現代劇。回り舞台を駆使してテンポよく話が進み、言葉もわかりやすく笑いが多いので、歌舞伎初心者にもおすすめできる。勘九郎演じた田舎侍は堅物すぎて笑えるし、吉原一の花魁を演じた七之助の美しさに目を見張った。二人が初めて出会って目を見かわすシーンで花火が上がったりなどの演出も的確。ラストの七之助花魁道中の華やかさといったら……! 超絶美人。勘九郎七之助それぞれの良さが出ている。鶴瓶の息子は調子のよい門番の役で、いい味を出していた。

藤田貴大作・演出『ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウ、或いは、泡ニナル、風景』
ワークショップ公演とはいえ残念な出来。オーディションで集まった25人の出演者はちぐはぐな演技で、藤田作品の良さが出ていなかった。ゴールド・シアターの役者も出ていたが、まったく空気にそぐわない。すべての瞬間が間延びしていた。やはり藤田作品は、マームとジプシーの役者をはじめ、優れた役者あってのものなんだな……と思った。素人がやると、ほんとに素人の芝居にしか見えなくなってしまう。

8月の観劇本数は4本。
ベストワンは八月納涼歌舞伎第三部。