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2010-02-02

[][]共産趣味者入門ガイド 息抜き編 共産趣味者入門ガイド 息抜き編を含むブックマーク

やぁ同志雪の降る日に凍えるイポーニェッツ諸君! 僕はというと、自宅の前に降り積もった雪で盛大に滑ったよ。どうせ降るならロシアのように、滑る恐れもないくらいに降り積もればいいのにね。

さて、今回のガイドはちょっと息抜き編だ。なぜ今息抜きなのかと言うと、ある同志から貰ったリクエストにお答えするには、資料ではなくて僕の脳内持論を展開することになりそうだったから。入門ガイドは端折っている所はあるとはいえ、基本的に資料に基づく事実なので、イデオロギーに関するお話や持論の開陳は息抜きということにしておくよ。

肝心のリクエストは、大体以下のような感じ*1

素人目にはロシアの人の大部分はソビエト連邦共産党支配よりむしろ以前の帝政を望んでたんじゃないかと。そして今どういう位置付けなのか気になりまする。

これは実は僕がロシアに興味を抱くきっかけになった考えにとっても近いので、ちょっと語りに入りますよ。レポートのネタを探していた同志はスルーするように。


ソヴィエト・ロシア観の前に

さて、ロシア(あるいはロシア的なもの)を見るときに必要なのは*2、特定のイデオロギーに対する陳腐な善悪論を超越した見方だ。そもそも西側陣営に位置していた日本にいると、何でもかんでも西側民主主義の基準で考えがちだ。90年代中期は、旧共産圏の現指導者が独裁だと声高に報道され、非難されることがあったが、この非難で欠落しているのは、その地域に合った統治の仕方がある、という事実だ。

そもそも、「民主主義」と一言でいっても、例えば「統治責任者その他を国民が選挙する」と「議会その他の合議機関の協議妥結で政策を決定する」というのは内容的に別物だ。前者だけなら大統領でなくて皇帝の選挙でもプロセスだけ見れば似たようなものだし、後者までが根付いているといえるのは一部の文化圏だけ。 そういう理解がなければ、何度見直しても、どれだけ書物を読んでも、ソヴィエト・ロシア観は「ツァーリズムに侵された蛮地」から脱却できない。これはきちんと理解しておいてもらいたい。


ロシア的なもの(統治的な意味で)

ロシアを支配するのに伝統的に必要なものは三つある。恐怖軍隊宗教だ。三つではなく二つとする意見もあるが、その場合「皇帝と聖人」と表する。本質は三つと同じだ。

雷帝イワンは恐れられた。ピョートルも然り。歴代の有能なツァーリは常に恐怖される存在だった*3。それを支えてきたのが有能かつ残忍な秘密警察とシベリア流刑、そして暗殺だ。恐怖はロシアの伝統的な政治手法だと言っていい。しかし同時にツァーリは愛されもした。素朴な農民は常にツァーリの熱心な支持者だった。ツァーリらにはロシア正教があったからだ。軍事力も然り。歴代ツァーリもその領袖たちも軍事力により国を治めた。

f:id:warszawa:20100202115603j:image雷帝はロシア伝統の象徴だ。偉大で恐ろしく、奇妙な愛に満ちている

歴史的な流れから、単純な三つの答えが出てくるわけだ。

ロシアは広大すぎる。民族も多い。この大地で可能な政治手法は、必然的に三つの要素を駆使した強力な独裁制となる。僕らが大好きな多様性とか自由は、この大地ではアナーキズムを生み出す土壌となるだけだ。古代ロシア史を知る上で重要な資料の一つ、『原初年代記』は冒頭でこう語る。

来たりて我等を征服せよ。我等は我等で我等を支配できぬ故に。


ソ連の専制的体質

さて、僕の得意範疇に突入しよう。結論から言ってしまえば、ソ連の専制的体質とはロシア的なものの継承だ。けれども、それは単純なことのように見えて、実は非常に奥深い。

革命初期、ロシアのインテリゲンチャは農民に関して無知であったが、自分たちの拠って立つ大地にも無知だった。彼らは声高に自由と解放を唱えたが、生まれたのはアナキストばかりだった。彼らがしたことと言えば、農奴暴動と貴族の爆殺だ。お世辞にも統治などとはいえない。彼らの多くは野垂れ死んだ。革命の結果を見れば勝利者は誰か明らかだ。ツァーリとロシア官憲に闘いを挑み勝利し、ブルジョワジーの国会を破壊し、新しい独裁制を打ち立てたのは、グルジアの神学校の学生だ。

f:id:warszawa:20080602100754j:image思想の単純化の成功例は同志スターリンだ。失敗例は同時代のドイツにある

ん? ちょっと待てよ? ウクライナの買官貴族の息子ウラジミール・イリイチはどうしたんだ? 革命の遂行者は彼ではないか? その通り。革命の遂行者は同志レーニンだ。だが、彼が行使したのは恐怖と軍隊だけだ。

社会主義革命には宗教の欠落があった。原始共産主義を唱える宗教は、危険極まりない存在だったからだ。同志レーニンはあくまでも「インテリゲンチャ」の一人であり、自身の理論に束縛されて、恐怖と軍隊を行使はしたが、宗教を用いた統治はできなかった。インテリゲンチャの高邁な思想を、全ての人民にでも理解できるまでに単純化し*4国教」として定着させたのは、やはり同志スターリンの役割が大きいのだ*5

恐怖としてのチェーカーと、軍隊としての赤軍、そして宗教としての共産主義(社会主義)。驚く程綺麗に三つの統治の形は継承される。ロシアの大地の伝統なのだ。

*1:記載に問題があったら該当の同志は一報ください

*2:ロシアに限らず、アフリカやアジア、アメリカも同じだとは思うが専門外なのでロシア限定

*3:恐怖されない皇帝は短命だ

*4:逆に言えば発展性の無い硬直した教条主義に堕落させ

*5:共産党自体もレーニン時代の秘密組織型、「選ばれたエリート」としての党と、スターリン時代の20世紀型「大衆政党」の間には大きな断絶がある。その連続も大テロルで切断されている、と見れるが、これは熟練同志向けの話

SuckerSucker 2010/02/02 14:23 とても面白かったです。ロシアと同じく現在でも広大な版図を持つアメリカや中国と比較して考えると興味深い。

warszawawarszawa 2010/02/02 18:17 アメリカにはアメリカ的な見方
中国には中国的な見方がある筈ですし
それをきちんと学べるといいんですけどね

TAMO2TAMO2 2010/02/21 00:25 同志の見事な説明に茶々を入れてすいません。同志スターリンは大祖国戦争のときに正教の力添えを求めました。死生観については、マルクス主義は余りにも哀しいレベルのものしか、持っていないように感じます。それにしても、正教は歴史的に常に国家に従属させられて可哀相です。南無阿弥陀仏。

2010-01-28

[][]共産趣味者入門ガイド3 共産趣味者入門ガイド3を含むブックマーク

やぁ、同志そこそこの共産趣味者諸君! 3回目ともなると、君たちもそれなりの共産趣味同志の顔つきになってきたね。でもまだまだ犠牲的英雄精神や労働精神が不足している。

なるべくガイドの流れに脈絡を持たせるよう「主義、思想」→「国家」と持ってきているので、これからその組織の構造や、代表的な部署、人物、出来事、という風に広げて行く予定だよ。これってなーに? という質問にもよく訓練された政治将校が優しく答えてくれるので、安心するといい。


なんでトップが「書記」長なの?

まず、ソ連邦とソヴィエト連邦共産党という二つの組織があることを理解しておく必要がある。つまり、2で述べたように、ソ連邦という国家組織においてトップ、つまり元首にあたるのは最高ソヴィエト(最高会議)議長だ。だが、これは形式的なものであり、そもそも最高会議自体が党の決定を追認する組織でしかないので、実質的なソヴィエト連邦のトップは党のトップということになる。党は全ての人民の前衛機関であり、国家は人民に隷属する存在だからだ、

では党のトップは党首とかではないの? ということになるけど、ソヴィエト連邦共産党には党首という立場が存在しなかった。そこでなんで書記長になったのか、順を追ってみてみよう。

f:id:warszawa:20090224195252j:image党大会の模様。マルクス、エンゲルスと並び同志レーニンスターリンのお姿がある

まず、ソヴィエト連邦共産党のトップにあたる部署は「党中央委員会」だ。中央委員会は基本的に党(及び政権与党として政府)の日常業務を執行する場所であり、そのメンバーはソヴィエト連邦共産党党大会で選出される。こう書くと選出権を持つ党大会の方がトップのようにも思えるが、党大会自体は5年に一度の開催であり、そもそも党は配置した現場の人間を差し置いて勝手に仕事をしたり、指示を出すのはいかん、という規則になっていた。これは同じ仕事をいくつもの組織でやるのは合理的ではないためで、業務を監視して「ちゃんとやりなさい」とか「ここはちょっと違うんじゃないの」などというのは認められていたが、どこまでが規則に触れるのか曖昧で、あまり意味をなしていなかった。

さらに、中央委員会の下に「中央委員会政治局」「中央委員会書記局」がある。

書記局は、内部で経済部・建設部・運輸通信部・国防工業部・国際部・党活動部等に細分化されており*1、これらの部がそれぞれ「うちの部署としてはこういう計画をしています」とか、「こういう案ははどうでしょう」と出す。そうすると書記局はこれらの案を取捨選択し、「書記局としてはこういう案がまとまりました」と政治局に持っていく。

政治局はこの書記局の案を検討し、いいと判断したものに許可を出し、実際の政策執行が進められた。

さて、そうなってくると、政策決定権を持つ政治局がトップのように見えてくる。事実、党創設初期は政治局が最高意思決定機関であり、政治局員に選ばれた党員はまさしくエリート中のエリートだった*2。一方の書記局は中央委員会や政治局のサポートを行うための部署であり、地位的にはそれほど重要ではない。局の長である書記長もしかり。

f:id:warszawa:20091020163507j:image政策立案に邁進する同志スターリンのお姿

それがなぜトップになったかと言うと、同志スターリンが書記長だったからだ。そもそも同志スターリンを書記長に任命したのは同志レーニンで、これは政策決定の場に自分の側近を配置しておきたい、という狙いからだった。同志レーニンの死後、最高指導者の立場を巡って各派閥は競って政治局をコントロールしようとした。しかし、そもそも特定の長が存在しない一政治局員になれたところで、他の派閥の政治局員と擦った揉んだするだけで、コントロールなんぞできるわけがない*3。そこで、同志スターリンは政治局ではなく、大本の人事権、組織統制権を書記局の扱いにしてしまうことを思いついた。

どのようにして人事権と統制権を手に入れたかはここでは省くが、結果的に書記局が党内における主要な決定権を握ることに成功し、書記長が事実上のトップとなった。さらに、書記長が政治局員を兼任することにも成功し、国家の政策を自分で立案し、自分で検討し、自分で決定するというまれに見る強力なポストとなった*4

*1:日本における各省庁と考えればよい

*2:そのため政治局には特定の長が存在しなかった

*3:政治局内での派閥主義を避けるために、議事手続き上の暗黙のルールがあった。実際の会議中に争いが起きることを避けるため、強い批判はあらかじめ他のメンバーにも伝えておく、というもので、会議では純粋に検討課題のみを議論することが求められた

*4:極端な話、書記長の許可がないと道の舗装もできない

TAMO2TAMO2 2010/02/15 22:13 同志! 書記長が権力を握れたのは、書記長が人事権を握っていたからであります!
1922年、そのような書記長を任命したのは、同志冷忍、、、もとい、同志レーニンであります!

さて、同志、画像認証に47kと出てきたのは、何か意図があってのことでしょうか?

warszawawarszawa 2010/02/17 09:55 意図はないよ同志!

確かに書記長に隷下の書記の人事権はあったけど
政治局にまで影響を及ぼす人事権が付与されたのは同志スターリン以降ですから
実質的なトップになった瞬間はそのタイミングだと思っておりますよ

TAMO2TAMO2 2010/02/21 00:21 同志はちゃんと書いていた! キチンと読んでいなかったことを自己批判します。

名無し三等兵名無し三等兵 2010/10/20 21:13 オおお!偉大なる同志スターリンのお姿があ!!! レッドモール党はトロツキズムに侵されております同志!
天才的な全世界の勤労人民の英雄、同志スターリンの指導のもとに、危険極まりないトロツキストを蹴散らし、
資本主義の圧政から、人民を解放しましょう!

 
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