行動がパターン化してしまうと、たとえ、何かが変化していても、気づきにくくなるかもしれない。 If behaviour becomes patterned, even if something is changing, it may be harder to notice.
たとえ、うまくいかなかったとしても、「うまくいかなかったな、ははは」と、そんな感じで笑って過ごせるといいな。 Even if it didn't work out, I hope we can spend our time laughing like that, saying, “It didn't work out, ha ha.
つぼみ あかい つぼみ 薄っぺらな いかにも よわよわしい葉の 根っこに しがみつくみたいにしてた つぼみ すこし 大きくなったように見える そこに 雪が降った… お日さまには あててあげられないなあ… 凍える 凍る…? シーちゃん 夜は 仏間に 避難させた 午前中に 工夫して ビニールハウスのように囲って すこしだけ あかるいところに置いてみた 寒いかなあ? 寒いよなあ… と 気が気でなく… 夜になって つぼみ が かわいい! たとえ 咲くこと できないまんまでも つぼみ ちいちゃな つぼみ 出てきてくれて… それだけで かわいくて うれしくて しあわせ… と ながめた どきどきして… うれ…
「胡蝶の夢」とは、中国の戦国時代の思想家である荘子が見た夢に基づく、現実と夢の区別がつかないことのたとえです。 荘子の説話によると、荘子は夢の中で胡蝶になり、自由に飛び回って楽しく過ごしていました。しかし、目が覚めると、自分が本当に胡蝶だったのか、それとも胡蝶の夢を見たのか、分からなくなってしまったのです。 この説話は、荘子の「無為自然」「一切斉同」の思想を象徴するものとして有名です。荘子は、現実世界も夢の世界も、すべてが自然の一部であり、区別する意味はないと考えています。したがって、夢の中で胡蝶になったとしても、それは現実の世界と何ら変わりがないということです。 「胡蝶の夢」は、人生の儚さや…
アグリーの法則(Agreeableness principle)とは、人間が一度同意したことを、たとえ後でその同意を取り消したとしても、再度同意する可能性が高くなるという法則です。これは、人間が一度同意したことを、自分の意思で決めたことだと信じ、その意思を貫こうとする心理的傾向によるものです。 アグリーの法則は、マーケティングや営業などの分野でよく使われます。例えば、営業担当者は、顧客に小さなお願いを何度かすることで、顧客をアグリー状態に導きます。そうすることで、顧客は、より大きなお願いを受け入れる可能性が高くなるのです。 アグリーの法則は、日常生活でもよく見られます。例えば、誰かに何かをお願…
第9講 H-6 本来であれば、昨日に書いて投稿すべきだったが、完全に失念していた。たとえ失念していても、それによって困る人は一人もいないのだから、どうなろうがどうでもよいのかもしれない。しかし、本人にとっては、考え直すべき事案である。なぜなら、忘却とは、その物事との決別を想起させるからだ。決別は関係の崩壊をはらんでいる。 記録と評価、的なこと 8月1日から4日までの損益がマイナス5万円強、7日から10日までの損益がマイナス1万円強であった。つまり、今月の損益は現状、マイナス6万円強である。 なぜこうなってしまったのか、などと軟弱な頭を披露する必要はまったくない。現状を受いてる、現状を変える、そ…
また、別の種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍になった。マタイの福音書13・8 イエス・キリストは神のことばを伝えることを種まきにたとえました。わたしたちキリスト教会は、種まきのように神のことば(聖書の教え)を伝えています。しかし聖書の教えを聞いてくださる方がどれくらいいらっしゃるでしょうか。もともと興味がない方、いいなとは思うけれど深入りしたくない方、そんなことよりも毎日の生活で手一杯の方などがほとんどではないかと思います。 それでもわたしたちは聖書の教えを伝えています。もし、みなさんの状況が変わって「聖書の教えを聞いてみたいな」と思われたときに窓口…
社会的ジレンマとは、個人の自己利益と集団の集団利益が相反する状況のことです。言い換えれば、たとえそうすることが集団全体にとって有害であっても、各人が自分の目標を追求するインセンティブを持つ状況です。 社会的ジレンマは、経済取引、環境保全、公衆衛生、社会正義など、さまざまな文脈で発生する可能性がある。社会的ジレンマの例としては、共有の牧草地や漁場などの資源を個人が乱用・利用し、資源の枯渇や破壊につながる「共有地の悲劇」、協力すれば双方に利益があり、離反すれば片方に利益がある状況で、協力するか離反するか決めなければならない「囚人のジレンマ」、個人が貢献せずに公共の財から利益を得る「フリーライダー問…
私が、つねづね心がけていること、です。 たとえば、 電気。 小学校低学年のお子さんであれば、 かんでんち(乾電池)*8こ=12ボルト(ちょくりゅう) かんでんち(乾電池)*6こ=9ボルト (ちょくりゅう・しかくい でんち あるよ) かんでんち(乾電池)*4こ=6ボルト (ちょくりゅう) かんでんち(乾電池)*2こ=3ボルト (ちょくりゅう) かんでんち(乾電池)*1こ=1.5ボルト (ちょくりゅう) 100ボルト=✕(きけん) 高齢者であれば 1500W=裸電球36~40個 800W=裸電球20個 500W=裸電球12個~14個 『まあ!そんなに電気つかうんですね。。。』 こんな感じです。
罪に打ち勝つために神さまの助けを求めて一歩踏み出すことを昨日書きました。実行できないと思っている神の教えに従う歩みに踏み出すのです。一歩踏み出すことを語る時に私が用いるたとえがあります。紹介します。 ある人が山道を歩いていました。ふと見ると谷を渡る橋がなくなっています。向こうまで10mほどの小さな谷ですが、橋がなければ渡ることができません。助走をつけてジャンプしても10mは飛べません。困りました。目的地向かうためには向こう側へ行かなければなりません。 思案をしていると声が聞こえてきます。「大丈夫だ。渡れるよ。見えないけど橋はあるんだ。谷の向こうに大きな木があるね。そこを目指して歩けばいいんだ。…