倭。 もともとは古代中国による古代日本の呼称だったが、「日本」という国号が採用されるまでは日本でも用いられていた。
中華思想により、漢民族は周辺の異民族に蔑称を用いたが、「倭人」とは「背丈が短く背が曲がっている人」を意味する。
なぜか『旧唐書』では倭国伝と日本国伝に分かれているほか、『旧唐書』以降の史書では日本国(倭国)は倭奴国だったと書かれている。
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倭人と倭国の話 「倭(わ)」は昔の中国において、主として古代の日本とそこに住む人々を表すために用いられていた用語です。当初は北部九州を中心とした西日本の小国を一括して「倭」「倭種」などと称していたようですが、三国時代以後にヤマト王権が倭連合の盟主に共立されてからは、その王権ならびにそれを含めた連合国全体をも指すようになり、日本側も自然とそれを受け入れて、ヤマトにも「倭」の字が採用されたのではないかと推察されます。 中華の文献に「倭人」や「倭」の字が登場するのは、古くは『論衡』や『山海経』があります。 『論衡』には、 周時天下太平 倭人來獻鬯草 (周時天下太平にして、倭人来たりて鬯草を献ず) 成…
又、色々な発掘調査で「九州だ」「畿内だ」とやってますけど、これって地震研究とか同じで、東大派や京大派の史学者の利権や金儲けの様な気がしてならないのです。 研究費用って音頭取っているところにお金が動く訳で、それらしい本を出しては金儲けって事じゃないでしょうかね? 昨今では、ゲノム解析やミトコンドリアDNA解析も進んでいるので、真実は分かっていても、あえて避けている様な気がしています。 写真の本は一部ですけど、色々な本を読んで、私が感じている内容のまとめです。 1.邪馬台国はあったのか? →ありましたが、邪馬台国ではなく倭国でしょう。魏志倭人伝の言葉は中国から見た日本を貶んだ文字で表現したと推測し…
ライブドアブログ「帆人の古代史メモ」に「114 『和をもって貴し』は『倭をもって貴し』である」をアップしました。http://blog.livedoor.jp/hohito 縄文論とは直接には関わりありませんが、「9.『委・倭人』のルーツはどこか?」では、雲南の「イ(夷・倭)族(烏蕃、ロロ族:1200万人)」とわが国の「委・倭(い)人」との関係を整理していますので、参考にしていただければ幸いです。 聖徳太子についての各説を極論的にまとめると、右派は「日出処天子致書日沒処天子」と「新羅侵攻」に着目して独立・武闘派であると主張し、左派リベラルは反天皇制から「聖徳太子架空説」を唱えるか、「和を以て貴…
7世紀の日本には大きな出来事がありました。それは中大兄皇子などを中心とした宮廷勢力が豪族の長であった蘇我氏を滅ぼし大化改新を行ったことです。巷間言われるように、中大兄皇子が蘇我氏を滅ぼさなければならなかったのは単なる権力争いではありませんでした。大化改新がなされたまさに645年、唐の太宗は10万人の大軍で高句麗に攻め込見ました。倭国は高句麗・百済と親交があり高句麗の次に唐が攻め込んでくるのは倭国ではとの恐怖に駆られました。当時の倭国は、それぞれの地域で豪族が乱立した状態であり対外的にとても結束などできる状態ではありませんでした。唐からの攻撃が予想される中で倭国としては国内の権力を天皇のもとに集…
今回紹介する新書 海の向こうから見た倭国 (講談社現代新書) 作者:高田貫太 講談社 Amazon 出版社:講談社 発売日:2017/2/15 レビュー 朝鮮半島の情勢を読み解くことで、日本古代史を多角的に俯瞰する1冊。 よく高校までの日本史においては、「朝鮮半島から渡来人がやってきて中国の進んだ文化を取り入れた」などと簡単に語られることの多い古代外交。しかし、果たして航海のリスクが非常に高かったこの時代に、本当に先進文化を伝えたいという善意だけで人々は海を渡ってきたものなのでしょうか?まるで倭だけが一方的に恩恵を受けたような印象を受けますが、朝鮮半島側も倭と結ぶメリットがなければ、このような…
はじめに (1)日本の「古代」はいつからいつまでか 第一章 「日本」のはじまり (2)『日本書紀』の「日本」が意味するもの (3)「日本」は8世紀ヤマト王権の名乗り (4)改称を中国に告げたのは粟田真人 (5)日出る所に近し、以って名と爲す (6)自称変更の背景に白村江の敗戦 (7)多自矜大不以實對 故中國疑焉 (8)北東アジア世界における識別子 (9)交易市場への入場許可証 (10)識別子が王統の名乗り(姓)に (11)「書紀」引用の「日本世記」 (12)上柱國禰公墓誌に見る「日本」 (13)「日本」の異称から見えてくるもの (14)「日下」を「くさか」と読む理由 (15)『書紀』の「くさか…