無明煩悩しげくして 塵数(じんじゅ)のごとく遍満す 愛憎違順(あいぞういじゅん)することは 高峰岳山にことならず これは親鸞聖人が高齢になってから、自分の心を深く見つめて書いたと言われる一節です。前半では、真理をわかっていない上にさまざまな欲が常に心に湧き起こる様子を、まるでほこりがそこらじゅうに舞い散るかのように表現しています。後半では、自分に好意を持つ人には好意を感じ、憎しみを向ける人には憎しみを感じてしまうという自分の心が相手の態度に左右される姿が人間の性質であると述べています。これは高い山々のように、自然の摂理として存在するものだと説いています。 仏教では、煩悩の根源となる感情を三毒と…