〔仏〕 人間の身心の苦しみを生みだす精神の働き。
肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着など。
「三毒」「九十八随眠」「百八煩悩」「八万四千煩悩」などと分類され、これらを仏道の修行によって消滅させる事によって悟りを開く。染(ぜん)。漏。結。暴流(ぼる)。使。塵労。随眠。垢。
悪い精神作用の総称。物や名声などを「欲しい欲しい」と思うこの欲望に執われて、人間はいろいろな苦しみを生んでいく。欲望を抑え、捨て去る努力をすることで、平和な心境、悟りの幸福を手にすることが出来る。
人はやりたい事に集中したいわけですが、なかなか集中できないわけです。コミットできないわけです。それは何故か。 それは、いつも何かにディストラクトされているからです。 頭の中、もしくは、心が、何かディストラクトされていて、いつも散漫で、やりたい事、やるべき事に集中できないわけです。 ですから、いかに、ディストラクトされている状態を無くすか。そういう事が大事です。 仏教で言う、煩悩にも似ています。いつも人は何かを煩い悩んでいます。何かに囚われて、ずっとその事を考え、その考えもある意味無為に展開して、そして、何か考えがまとまるでもなく、ただ煩い悩む。無駄な時間です。そして、頭は疲弊してしまいます。精…
「知足安分」・ちそくあんぶん・ ”知足”とは分相応、”安分”は自分の境遇や身分に満足せよという意味。欲望は際限ないもので、次から次へとうまれてくる。欲を貪ることで苦しみが起きてくるので、どこまでいっても心は満たされずに不安が消えることはない。上を見ても下を見てもきりがないので野心はほどほどに抑制し、不満や優越感に浸ることもなく身の丈に合った本来の自分で生きよという教えである。 「分をわきまえて足るを知る」とは、自分を律して戒めるという意志の強さを感じます。凛として潔くかっこいい言葉でありますが、現実は中々そうはいかないものです。他人と比べて無いものばかりを求めてしまうと不満や嫉妬に苦しみます。…
休憩時間の過ごし方。
考える事は、人は自然にやってしまう事です。頭は放っておいても何らかの事について考えてしまいます。だったら良い事に頭を使うようにした方が良い。そう思います。 思考を放っておくと良くない事の1つに、煩悩があります。読んで字のごとく、解決にもつながらない事をだらだらと思い悩み続ける事です。 人はネガティブな事に囚われやすいですから、嫌な事について考え続けてしまいます。そして、嫌な事を勝手に思考で展開させてしまいます。その事によって、1人で勝手によりつらくなって、そして、疲れてしまいます。良くない事です。 どうせ何かを考えずにはおれず、そして煩悩に苛まれるくらいだったら、もっと積極的に考えている事につ…
www.youtube.com 山田礼司が大事なことを言っているので自分なりに整理。 会ったこともない人に文句をつけたくなる人は2つの問題を抱えている。 1.相手を知らない どうせこんな奴だろうというのが羅列されている。勝手なイメージ象がある。 2.その人の人生の問題 上手くいかなかった何かがうまくいっている感じに見えるやつに対して即攻撃モードに入る。 それによって報われなかった気持ちを解消したいという思い 「2.」のこれがとても印象強かった。 ここで言っている「上手くいかなかった何か」「報われなかった気持ち」というのに注目したい。 何がうまくいかなかったんだろう? 何が報われなかったんだろう…
日々人は、色んな欲望で苛まれていると思います。場合によっては苛まれていると認識していないかもしれません。 お酒を飲みたくてしょうがない、止められない、とか、タバコを止められない。お菓子を食べたくてしょうがない。こういうのは、分かりやすい欲望だと思います。 他にも、あれが欲しいこれが欲しい。車が欲しい、家が欲しい。また、お金がもっと欲しい、出世したい、評価されたい、色々あります。 こういった欲望は人間なら普通にあるかもしれませんが、ひょっとしたら過剰になっているかもしれません。 過剰はさらなる過剰を生み、例えば、これ以上摂らなくてもいい砂糖を摂って、要は、甘いお菓子を食べ過ぎても、良い事は無いわ…
日々色んな事があります。問題はたくさんあります。嫌な事、気になる事、不安な事、悩み事、いつでもいっぱいあります。 そういった事を、全部まとめて解決したい。きれいさっぱりしたい。まとめてでなくても、ひとつずつ片付けていきたい。 ですが、人間、そんな事は出来ません。片付けても、片付けても、次から次へと問題は出てきます。 日々の色んな問題というのは、確かに、自分以外の何処かからやってきたりはしますが、一方でそれらは、自分自ら湧いてきたりしている事もあります。 人によっては問題にしないような事を、自分は問題にしているかもしれません。逆に、自分は問題にしていない事を、他の人は問題にしているかもしれません…
人生の目的というのは、一度しかない人生を悔いなく終わるために、とても大事なものです。仏典の中にその答えがあるわけですが、ではどうしてそう言えるのか、詳しく学ぶために、教学をしていきます。教学というのは、仏教の学問です。教学をすることで、人生の目的が「破無明闇」であるということも判然としてきます。人生の目的と聞くと、人それぞれ好きなことをすればいい、という人もあります。ほんの一時は喜べても、そのうちに色褪せてしまう。そんなものばかりを追い求めるだけの人生でいいのでしょうか。「そうじゃない、心の闇を破ることである」言葉では簡単に言えるんですが、仏教は今日、一切経となって残っています。その数は七千巻…
前編はこちら↓
数年前の八月、滝行に行った。人生で一回やってみたくて、時期的にもちょうどよかったので日帰り滝行の予約を取ったのであった。 ちなみに、修行の描写については不十分である。そこの所ご了承願いたい。
本日、最終回。12年の連載が終了した。ネタバレあり。あらすじ 争いのない、人間のいない星へ兄機と行ったフォス。過去の記憶は無くなり、ただの宝石となった。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 兄機はぷーぷと呼ばれ、役目を果たし、命が尽きた。フォスは宝石の花を見に行き、近くで見ようとして落ちて細かく砕けた。カケラが彗星となって落ちた。その彗星を見る、フォスらしき草原にいる人物。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); フォスは石ころたちと遊ぼう!と言った。 (adsbyg…
「雑毒の善」おそらく自分の失敗はここにある。 真面目に努力する。相手の期待に応える。我慢して譲る。自己犠牲。 忍耐して耐える。辛抱してやり過ごす。人に親切にする。 これらは、一見、高尚なことに思うが動機が不純であれば、 悪徳でしかない。 動機が不純なら、それが思い通りにならなかったとき、 期待した見返りがない・評価、承認されない。感謝がない。 雑に扱われた。お礼がない。 これだけ頑張ったのに、相手の態度に不服を持つ。 それになるということは、下心があったのだ。 辛いこと、しんどいこと、苦しいことをすれば報われるという 思い込みがあったのだ。そこから幸せになれる、成功できるという 思い込み、決め…
hiruandon-desu.hatenablog.com 西田幾多郎の『絶対矛盾的自己同一』は晩年、特に「絶対矛盾的」部分を強調した『逆対応』、及び「自己同一」部分を強調した『平常底』に分節化される形で表現されるようになります。『逆対応』というのは絶対(神仏=弁証法的一般者)と相対(人間=個物)が相互に自己否定的に対応(作用)し合っていることを示します。西田が強い共感を示したセーレン・キルケゴールの思想も参考になっていると思われ、浄土仏教(特に浄土真宗)の信仰を理論的にしたと言われています。もう一方の『平常底』とは禅仏教の思想に由来しているとされ、最終的に我々の自己が、逆対応的に接している神…
著書『仏陀の真意』の中で、『sati とは、本来、記憶と言う意味』と書いたことから、批判的なご意見がありましたので、考察します。 この人は、最初、 『半分ほど読んだところである。常識の力で既成仏教の手垢にまみれた概念を静かに批判している。その静かさが心地よい。第2章で検討されているキーワードは、諸行無常・一切皆苦・諸法無我・縁起・空・煩悩・業・因果・中道・渇愛・無記・天上天下唯我独尊・戒律・三宝(仏法僧)・解脱の15である。いずれも勉強になった。考えるヒントが随所にちりばめられている。』 と褒めて書いていました。 しかし、それから何日かしてから、こう変わっています。 ※※※※※ 仏陀の筏つまり…
2022年5月に200体限定で販売、わずか4日間で完売となった「TanaCOCORO[掌] 愛染明王」。 2024年5月、100体限定復刻します! モデルは高野山別格本山 金剛三昧院の本尊像で、源頼朝の逝去の際、北条政子が運慶に依頼して造らせたと伝わる像で、源頼朝と等身大の念持仏ともいわれます。 金剛三昧院ではこの本尊の脇に頼朝と政子、そして足利尊氏や直義の位牌が置かれています。 金剛三昧院は高野山の塔頭寺院で、建暦元(1211)年 北条政子が頼朝の菩提を弔うために創建した禅定院という寺を前身としています。 臨済宗の開祖 栄西を開山第一世とし、以降十二代住職までは禅宗の寺院でした。 承久元(1…
雨、気温は10度。 北海道の周囲に低気圧が集まってきており、接近と共に雨雲が全道を覆っている。その影響で今日は殆どの地域で雨となっている。この雨も今日の夜には抜けていき明日は晴れと同時に日中の気温も上昇するようだ。 www.hokkaido-np.co.jp この件、北海道の市町村の半分以上が該当する驚きというより納得の結果となった。昔、多くの人が住んでいた地域も高速道路の開通とともに一挙に衰え過疎化していくのを目のあたりにしていた。いくら若い人を定着させようとしても働く場所が無く娯楽も自然を楽しむしかない状況で引き留めておくのは困難な事案である。それを放置していたのは政府や国会議員などの職務…
佐々木閑 仏教講義 6「阿含経の教え 2,その25」(「仏教哲学の世界観」第9シリーズ) - YouTube 〔感想〕 聞法学習による慧解脱だけでは危ない。 あと一歩、されど一歩。 瞑想修行による心解脱だけでも危ない。 あと一歩、されど一歩。 慧解脱なしに心解脱は完成できず、 心解脱なしに慧解脱は完成できない。 学習だけ、修行だけ、は両方ともアウト。 それさえわからん者はセンスなさすぎ。 まず見こみないとおもう。 学何パー、行何パーが正解です なんて話もありえない。 根底に信がなければ行学もないが、 行学なしの信だけではおぼつかない。 行も学も、 自分が納得いくまで力の限りやる。 これしかない…
思い通りに事が運ばない。。 悪い事は重なる。。そんな時どう思うでしょうか? 神様が悪戯してんじゃないか?。。バチでも当たってるのか? なんか憑いてるのか? そんな被害者意識。。その被害者意識に抵抗してムキになり、いや負けてなるもんか? 絶対、思い通りにしてやる。。 でました。。絶対信仰。。。以前のブログで、絶対信仰は執着信仰。。それを続けると、 身体が緊張し続け、冷えて癌になりやすい。。ボケやすいですよ。。 と言いました。。 はい。。思い通りに行かないのは、バチでも、神のいたずらでもありませんよ。。 皆さんの魂の声です。。 どんな声でしょうか? 「あなたは、あなたらしさを忘れて、自分以上の何者…
展覧会『須田日菜子「存在が花する」』を鑑賞しての備忘録横浜マリンタワー 2階 アートギャラリーにて、2024年3月1日~4月29日。 寝そべる人物をモティーフとする絵画「存在が花する」シリーズ3点と、手を描いた「て」シリーズ2点とで構成される、須田日菜子の個展。「野草:いま、ここで生きてる」をテーマとする第8回横浜トリエンナーレの関連企画。 「存在が花する」シリーズ3点は、いずれも横長の綿布(各1900mm×3200mm)に黒いアクリル絵具をスプレーして、左側に頭、右側に脚を出して横になる人物を表わした作品である。身体の輪郭を限られた線のみで略画のように表現する。規模はともかく仙厓義梵の禅画を…
【今日の御城プロジェクト:RE】 イベント「抜刀珠と兜の夜明け」 行き場を失った兜たち、 救いを求め、煩悩を払い、 悟りを開いた先にあったのは。 純粋な破壊衝動だけだった… 兜の未来に希望はあるのか…? なお、俺から煩悩を払うと、おそらく無になります。 当たり前だよなぁ!(´・ω・`)
2024年3月某日 一生懸命な姿がまぶしいぜ さて、吹奏楽の発表会。6年生の娘にとっては、学校外のステージで演奏するのは今日が最後だった(来週、校内で最後のコンサートがある)。 もう、これが大変に素晴らしい発表会で。同じ自治体の小学校が集まってお互いに成果を鑑賞し合う、ということだから、自分たちの子ども以外の発表も見るんだけど、それが、なんともグッとくるんである。自分の子どものことだと、失敗しないように心配でハラハラしたり、つい欲が出て「もうちょっと練習しないと隣の学校には勝てないな」とか思ったりしてしまうんだけど、よその子を見るときは、よりピュアに応援する気持ちになれる、というか。「おい君た…
数多(あまた)ある経典の中でも、『ダンマパダ』は最古層のたぐいである。他に、『スッタニパータ』もそうだ。 そこにはみられるブッダのたとえは、なかなかすばらしい。たとえをとおして、なるほどそういうことかという感じがつかめる。ダンマパダから、たとえの部分をピックアップしてみた。たとえを「 」でくくった。 『新約聖書』もそうだが、教えの見事さ・わかりやすさは、たとえばそのたとえの見事さにある。いくつかあげてみよう。 ▽2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につき従う。――「影がそのからだから離れないように。」 7…
下記文章と画像は、ユーチューブ動画制作のために書いた原稿と挿画です。保存のために、ここに残すものです。 youtu.be 私は無いに気づいた後は、をお送りする宮本昌俊です。今回が27回目の動画になります。このチャンネルは、いわゆるスピリチュアル系を題材にしていますが、全ては私個人の体験や考え方を根底にして硬軟織り交ぜて、私がこれまでに読んだスピリチュアル本などを取り上げながら、スピリチュアル的なものに関心がありながらも、「私は無い」をまだ体感しておらず「私は無い」に気づきたいと思っている人、また、既に「私は無い」に気づいてる人に対しても共感できる部分を共有できたらという思いで、たぶんほんの一握…
5:40ロビー集合。 閑散とした中、ロビーに向かう。流石に眠たい。遅れないようにと意識すると、グッスリ眠るとまではいかなかった。うとうとした感じで 目覚ましなしで起きた。 パラパラと人が集まり出す。 知らないものどうしなので、微妙な距離感で僧侶がこられるのを待つ。 このな早朝に、ものづきな人がいるもんだと、自分を棚に上げて思う。 この辺が宗教の秘められたパワーかな。 朝のお勤めを体験してみたいのか。 朝からそんなくだらないことは、到底聞ける雰囲気ではない。 あ、案内係の方かな、オレンジの袈裟で現れ、これから始まるツアー感でワクワク。 長谷川等伯親子の障壁画が楽しみに参加しているのだが、仏教ファ…
瀬戸内寂聴さんの声がそのまま聞こえてくるような本でした。 P169 まなほ 本能的なものも含めて、そうした自分の感覚を大切にすべきだと思いますか。例えば、自分はこれが好きだとか、これは何となくイヤな感じがするとか……? 寂聴 それは、すごく大切にしたほうがいいと思います。生まれたときから身についているような感覚ですから、何かあったときにはそうしたものに従えば、だいたい正しい方向に進めると思います。 まなほ 先生は「直感」というようなものを信じていますか? 寂聴 はい、信じています。 まなほ 直感で何かを決めたということはありますか? 寂聴 だって、ものを買うときは、あれは直感でしょう。 まなほ…