近代日本の特権的貴族階級のこと。 明治2(1869)年、旧公卿・諸侯(大名)の身分呼称として定められたが、 明治17(1884)年、華族令により維新以来の国家の功労者を加え、 公・侯・伯・子・男の爵位が授けた。 その後、政治・軍事面で国家に功績のあった人、文化・学術面で優れた業績を挙げた人、 実業家、僧侶、神官なども華族に列せられた。 第二次大戦後の昭和22(1947)年、日本国憲法の施行によって廃止された。
清華家の別称。
先日行った駒場の旧前田侯爵邸、そこの長女として生まれた酒井美意子の著書を読んでみました。加賀百万石の大名16代目前田利為侯爵の長女、1926年(大正15年)生まれ。父は駐英大使館附武官であったため幼少期をロンドンで過ごし、帰国して女子学習院で昭和天皇の第一皇女・照宮成子内親王と親しくなる。20歳の時、従弟の酒井忠元氏と結婚、戦後は酒井家の一部にナイトクラブを開き、その後マナー評論家、ハクビ総合学院学長などとして活躍する。 その華やかな一生が、生き生きと描かれています。136人の従業員がいたという、駒場の前田邸でのきらびやかな生活。しかしこの本によると、著者は少女の頃から何処か冷めていて、”一番…
ランキング参加中読書 ランキング参加中歴史 日本の華族の華々しい生活は小説やドラマだけの世界だと思っていました。 何冊かの本を読んできて、実際にあったんだなとわかってきました。 表には、家政を担当する人がいて、 奥や裏には、女中さんや使用人の人が身の回りの世話をする。 そんな世界があったのですね。 bullbull-musao.hatenablog.com 興味深い資料があったので、ここでも皆さんに見て貰いたいです。 1915年(大正4年)末の家職・使用人の人数が調査されています。 すべての華族から回答はなかったですが、傾向はつかめそうです。 1915年(明治4年)末の家職・使用人の人数 本に…
ランキング参加中読書 ランキング参加中歴史 華族について本を読んでみると私の知らなかったことがたくさんありました。 「公侯伯子男」の区分もいろんな経緯でできたのですね。 公家には、摂家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家などの家格があったようです。 堂上家という家格もあったようですね。 江戸時代の大名も家格があったようです。 江戸城に登城したときに控える部屋によって、細かく家格が定められていたとのこと。 でも、明治17年(1884年)の華族令の制定では、単純に公侯伯子男に振り分けたようです。 大名が石高によって、爵位が決められたって、合理的ではありますね。 叙爵基準 その結果、500家超の華族…
ランキング参加中読書 永井紗耶子さんの小説を今月は読んでます。『帝都東京 華族少女』という作品を読み、華族に興味を持ちました。 家には、表と裏があって、表では家の経営を通いの事務員さんが担当していた。 物を買う時は、お殿様もお姫様も表に許可を得てお金を貰っていた。 料理などの身の回りの世話は女中頭を筆頭に女中さんや家作の人が。 お姫様が出かける時は、お囲いの人力車で、お付きの女中さんと。 幼稚園から女子学習院に。お付きの女中さんは、女子学習院の待合室で待っていた。 待合室では裁縫の習いもできた。 同じクラスにいても、お互いふらっと家にお邪魔することはない。 友達付き合いは家が決めた人だけ。 な…
前の記事の続きです。 前の記事の続き 「なぜ幕府がヤクザを完全に潰さなかったか?」 - Far East Diary 質問「明治期に廃止した身分制度は下層のみで、皇族・華族・士族・平民という新身分制に編成しなおしただけで、厳然たる身分制社会が第二次世界大戦の敗戦まで続いたのでは?」 回答 『かなり正確な認識です。 結論から言うと、 法的には「身分制は廃止された」が、実態としては皇族・華族・士族・平民という新しい“国家身分秩序”が再編され、それが敗戦まで持続した と言って差し支えありません。 ただしポイントは、「江戸の身分制」と「明治の身分秩序」は性格が違うという点です。 ① 明治政府が本当に「…
こんばんは 7月に入る全国各地で甲子園の予選が開始されましたね。 本当に日中はとんでもなく暑いので、熱中症には本当気をつけましょう。 トーナメント方式だから緊張感で熱中症になるやすくなるのですね。これがまた・・ ロリポップ! さて、今回書評していくのは「華族たちの近代 (中公文庫)」について 華族たちの近代 (中公文庫 あ 54-3) 作者:浅見 雅男 中央公論新社 Amazon メルカリ px.a8.net 日本では一応全員が平等という建前ですが、まあそんなことはなくて「平等ではないがゆえの俺の力を知っているな」とルルーシュが言っていましたね。昔の身分に士農工商と言う言葉があったように、昔「…
📌この記事では「廃藩置県」についてお話しするわよ! 🗾📜「さぁさぁ、いよいよ“殿さまの終焉”よ〜!今回は【廃藩置県(はいはんちけん)】!これは、全国にバラバラ存在してた“藩”をぜ〜んぶぶっ壊して、“県”という新しいかたちにしちゃった大改革!江戸時代のパワーバランスを完全にひっくり返した、まさに“日本の再編”だったのよ〜🌪️🏯」 地図の見た目は一緒でも、中身はまったくの別モノ!この【廃藩置県】で、武士の時代が終わって、中央政府が全国を直接おさめるようになったのよ✨言ってみれば、「江戸時代のマルチ商法をやめて、本社がすべて管理します」って感じかしらね💼 大人も子どもも楽しめる 社会科見学 👦「えっ…
今日(日付が替わったので昨日22日)の衆院予算委員会で質問に立った立憲民主党の野田佳彦氏(元首相)が、岸田内閣の閣僚20人のうち8人が「世襲」であり、3世議員の岸田首相がジュニアに引き継げば4世になるとし、「ルパンだって3世までだ」と批判したとのことです。「ルパン」の名前を出してウケをとりたかったような気もしますが(笑)、夕方のTVニュースの見出しになっていて、ちょっと目を引きました。 「ルパンだって三世まで」 立憲・野田元首相が自民の世襲を批判 | 毎日新聞 自民党の国会議員の3割から4割くらいが「世襲」であることは、前にブログに書いたので繰り返しませんが、「世襲」にともなう実際上の大問題は…
「ものども、よろしく馬を飼え」 こういう趣旨の「お達し」が、政府の威光を以ってして官吏どもに下された。 明治十七年八月一日の沙汰だった。 世に云う乗馬飼養令である。 内容につき要約すると、 「官員にして月給百円以上の者は最低一頭、 月給三百円以上の者は最低二頭、 各々の責任に基いて、乗馬を所有し飼育せよ」 こんな具合になるだろう。 軍馬の不足は当時の政府の大なる課題の一つであって、いざ鎌倉という際に必要量を「どこから」「どうして」掻き集めればよいものか、容易に目処が立てられず、そろばん片手にウンウン懊悩し続けて、考えあぐねた挙句の果てに生み出されたのがコレだった。 窮余の一策といっていい。 「…
2月13日は苗字制定記念日ということでちょっと書いてみます。 明治維新後、新政府は四民平等の社会を実現するため、平民に苗字を公称することを許可しました。1870(明治3)年9月19日に公布された太政官布告第608号「平民苗字許可令」です。現在、9月19日が「苗字の日」とされているのは、この日に由来します。 しかし、苗字の届出は、円滑には進みませんでした。その理由については定かではありませんが、一説には「税金を多く取られるようになるのではないかという警戒感があったため」とされています。 届出を促進したい明治政府は、1875(明治8)年2月13日、あらためて苗字の使用を義務づける「苗字必称義務令」…