A.歌の場合、本当に天才的な声のよさ、音のおき方ができないと、ほとんどの場合、それだけでは通用しません。地声の方が、感情表現もしやすいし、メリハリでの表現も出せます。
本当にうまい人は何をやってもうまいものです。 うまくこなせるものは歌うけど、うまく見えないものは歌わないです。 自分の才能や実力を最大に問えるのは、 どういう作品をどう動かしたときか知っているからです。 日本の場合は、そうでなくて、これは心に残る作品だからとか、 好きだから、ということで選びます。 それでは、本来は通用しないのです。
正しいところの延長上にプロの世界があるという厳しい基準、 欧米のような世界であれば、少なくともこういう歌い手自体が成り立たないです。 だから、現状を踏まえて、その延長上に進めます。 すると、正しくとか人と同じやり方では、 あるところまでしか通用しないので、 そこから先自分の延長上に伸ばしていくということがオリジナリティになっていきます。
A. 頭がよい人よりも、頭がつよい人が、世の中で通用すると思います。 つまり、自分自身で経験してつかみとったもののないような人から、人を動かすような力は出てこないのです。
ブロードウェイのミュージカル俳優には、クラシックとポピュラーの発声にあまり差は見えません。その人のオリジナリティあふれる声をしています。その人の延長上で歌っています。 そうでないとレベルの高いところでは通用しません。
声を出して、よい声だといわれたところで、現場では通用しません。 声の状態のよいときだけ、カラオケで歌いたいならいいのですが、歌の価値は、つきません。聞く人に伝わるには、それをどう見せるかなのです。
トレーナーをよく変える人がいます。そして、自分を褒めてくれる人についてしまうのです。 実際、今は、どこのトレーナーも何かしら褒めてくれます。 でも、トレーナーによって価値観も違うし教える内容も違います。 そのトレーナーに認められたら世の中に通用するというほうがわかりやすくてよいでしょう。
本来は、その人のトレーニングの一番高いところの上に、プロデュースしていかなければ次代に通用しないはずなのです。しかし、メジャー化するにつれ、歌の世界も役者の世界もアイドルやタレントの世界と同じで、加工された部分での受け狙いになりがちとなりました。用心しましょう。
本来は、即効の効果に安易にのってはいけないのです。 日本の場合は、あるところまでのトレーニングをして、それを応用するケースが多いです。 ここでは、歌うときはアカペラでも通用できるように、しっかり身体から声をだす練習から行います。
それがエンターテイメントなら、自分の一番身体にあるベースの上に自分としてのオリジナリティをもってきてその上に作品を作らないと、通用しません。しかし日本ではあまり求められていません。それっぽい癖の方が、あたかも個性として問われるようになってきています。