2434日目・・・余りにも「ムチ」なので、コンピュータをチョッと検索するだけで「知りたいコト」は次からツギと出てくる・・・「研究者のブログ」を観ていても理解出来ない「文字」も小刻みに出てきて、それは、洪水のようになって圧倒してくる・・・なんか、「ウイッキペデア(Wikipedia)の仕様」が変わって、理解出来ない「言語」を註釈としてスグサマに表示してくれるが、画面の殆んどの文字が青の着色だが「跳んで、飛んで、遁で」で、一体最初の疑問は何だったん?である・・・ボクの脳ミソには容量がないのか、元々「暗記能力


ーーーーー
 小月氏
 「羯族
 および
 「羯・羯」を参照?・・・
       般若波羅蜜多心経の
      「Mantra(真言)=マントラ
   ・・・萬(万)は「虎(彪・寅・勾)」?
   なるほど、「大伴家持万葉集)」か
        「太安万侶古事記)」か
        「天武天皇壬申の乱・翼を有する虎)」か
             「韓非子(為虎添翼)」
        「膳臣巴提便(百済派遣使)」か
        「源義経(虎韜・六韜三略)」か
             「魯の太公望呂尚
        「弁慶(虎の尾を踏む男)」
        「虎の尾を踏む男達
         1945年(昭和20年)制作
         1952年(昭和27年)4月24日公開
         黒澤明監督(安宅・勧進帳)のパロディ」
        「武田信玄(甲斐の虎)」
        「上杉謙信(越後の虎)」
        「井伊直虎」か
        「加藤清正(虎狩)」
        「徳川義親(尾張藩主・虎狩りの殿様)」
        「吉田松蔭(寅次郎)」か
        「山下奉文マレーの虎・囚人服で絞首刑)」か
        「ブンド(虎は死んで皮遺しBは死して・・・)」
  ・・・勾留・拘留・拘束・拘引・拘置・・・
  勾=まがる・くぎる・勾配・かぎ
    鉤(コウ)・・・「鉤」の俗字「勾」
    硬玉(本翡翠・ヒスイ)の
    硬度6.5〜7
    硬度の靭性>→サファイア>ダイヤモンド>鉄
    の靭性を上回り、宝石の中では一番割れにくい石
    ↓↑
    トラえる・勾引・勾留・拘(コウ)
    勾引(かどわかす)
    勾引(コウイン)
    勾当(コウトウ)
    勾配(コウバイ)
    勾欄(コウラン)
    勾留(コウリュウ)
    勾欄(てすり)
    勾玉(まがたま)
    勾がる(まがる)
    ↓↑
  勾践(コウセン)・・・臥薪嘗胆
  勾配(コウバイ)・・・直角三角形=勾股弦の定理
                (コウコゲンのテイリ)
             C²=A² + B²・・・?
                  delta=でるた=出留多
                      (田)
           勾=まがる・とらえる・コウ
             かぎ形に曲がる
             斜めに傾く
             勾配・勾欄
             とらえる
             勾引・勾留
             勾玉 (まがたま)
       ↓↑    ↓↑  ↓↑
      「即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦
           波羅僧羯諦  菩提薩婆訶」
       ↓↑    ↓↑  ↓↑     
       「説般若波羅蜜多咒」
      「即説咒曰 掲帝掲帝 般羅掲帝
           般羅僧掲帝  菩提僧莎訶」
       ↓↑    ↓↑  ↓↑
       「股若波羅蜜多心経」
      「說股若波羅蜜多咒」
      「即說呪曰 揭諦揭諦 般羅揭諦
            般羅僧揭諦 菩提莎婆呵」
       ↓↑    ↓↑   ↓↑
       羯(カツ・去勢羊)=ギヤ=揭(ケイ・掲示
       勾・匂・匈・句・匃
       勹+α・・・訇匌旬匑勿匆匁匐稹甸?匋匊匍匓
       ↓↑    ↓↑   ↓↑
       五胡十六国時代
       匈奴の一種族・五胡の一
       名は山西省の地名
      「羯」に居住
      「石勒」によって「後趙(319〜351)」を建国
      「羯人」は
       後趙が滅んだ350年頃
       漢人
       冉閔の大虐殺により消滅・・・
       羯=去勢された羊(ヒツジ)
       Prajñā(般若)
       pāramitā(波羅蜜多
       hṛdaya(心)
       sūtra(経=スートラ)」
 ↓↑    ↓↑   ↓↑
 月氏から分かれて
 南山羌(青海省)に留まった
 ↓↑羌=青海省を中心に中国北西辺境一帯に
     散在したチベット遊牧民
     漢代に西羌と呼ばれた
     五胡十六国時代
     後秦国を建国
     南北朝で甘粛南部によった
     宕昌 (トウショウ) 羌
     訒至 (トウシ) 羌
     が中国と関係が深かった
 ↓↑    ↓↑
   ・・・羌=\(䒑十一)+儿
        羊+儿
        䒑+十+兀
      羌=羗=羌+ム=えびす・キョウ
        蛮族の名・異民族の名
        ああ・嘆息の声
        発語の助字
        美=羊+大(うつくしい)
        羞=羊+ノ+丑(はじる)
        養=羊+𠆢(八)+良(やしなう)
        蚸=羊+次(うらやむ)
        恙=羊+心(つつがなく)・・・隋書(聖徳太子
        躾=身+羊+大(しつける)
 ↓↑     羔=羊+灬(こひつじ)
        窯=穴+羔=器物を焼成したり
              金属やガラスを
             溶解したりする高温を出せる装置
             火室・窯室・煙突のから成る
             陶磁器の焼成の目的から
             素焼窯・本焼窯・締焼窯・釉窯
             絵付け窯
             形状からは
             穴窯・円窯・角窯・登り窯がある
 ↓↑・・・「羌」の漢字の下部は「兀(コツ)」か、
 ↓↑             「儿(ニン・ジン)」か?
 小月氏
 その後も生き長らえ
 三国時代の記録に
 「敦煌西域の南山中(チベット高原
  婼羌の西
  から
  葱嶺(パミール高原)までの
  数千里にわたって
  月氏の余種である
  葱茈羌
  白馬羌
  黄牛羌
  がおり
  それぞれに酋豪がいた」
 とある
 『魏書』にある
 小月氏国は
 上記の
 小月氏ではなく
 クシャーナ朝の後継王朝である
 キダーラ朝の君主
 キダーラの子が治める分国で
 都は
 富楼沙城(ペシャーワル
 にあった
ーーーーー
 昭武九姓
 『北史・隋書・新唐書
 に見える
 昭武九姓はいずれも
 月氏の子孫で
 月氏
 敦煌・祁連
 にいた時代
 張掖祁連山北の
 昭武城に拠っていたことから
 中央アジア
 西遷後
 自分たちの故地を忘れぬよう
 昭武氏を国姓とした・・・昭武氏
             武則天則天武后は「照武」?
 ↓↑          武照=武曌(明+空)
 「月氏」という名の語源
 戦国時代にいた
 「和(倭・輪・渦・宇受)氏
  禺(隅・寓・偶・球磨・阿)氏
  牛(牝・牡・犍・宇志)氏」
 などの転写・・・???
 イラン系言語からきたとする説
 月氏
 玉(ぎょく:ヒスイ)の
 産地(タリム盆地)を占めていたので
 玉氏が訛って月氏になった・・・
 月氏の子孫である
 クシャーナ朝の彫像に
 月のシンボルが多く見出される
 月氏
 月を崇拝のシンボル(トーテム)
 としてい
 中国側がその意訳として
 月氏にした・・・
ーーーーー
 以下、翡翠(ヒスイ)に関するブログからの参考、参照記事としての抜粋で、部分添付です・・・勝手にゴメン・・・
 ↓↑
 「考古学上最古の
  大珠は
  山梨県
  天神遺跡(縄文時代前期末)から出土
  最大のものは約16センチ
  富山県
  朝日貝塚
 (縄文時代中期、JR北陸線越中宮崎駅のヒスイ海岸に近い)
  から発見
  通常は5センチから10センチほどの大きさ
  中央やや上寄りに
  孔があけられている
  初期のものは
  転石に多少手を加えただけのものが多く
  のちには
  鰹節型(細長い楕円形)に整形
  発掘された総量は二百余
  北陸・中部山岳・関東地方を中心に
  北海道から九州にいたるまで
  全国で出土
  近畿・中国・四国地方からの出土例はない
  5千年から3千年の昔
  日本列島にはすでに
  日本海側を中心とする文化圏
  と
  瀬戸内海を中心とする文化圏
  があった・・・?」
 ↓↑
 「ヒスイ製大珠に使用される原石
  鉄器のない時代に
  どのような方法で
  孔をあけることができたのか
  長い間謎
  1939年
  新潟県
  糸魚川市一帯(新潟・富山県境地方)
  で
  ヒスイ原石が産出することが確認
  孔あけについては
  研磨剤を使用する
  磨製石斧の製作技術が
  シベリアから伝わり、
  それを転用・・・
  縄文時代の人々は
  細い竹管を使って
  水晶よりも加工しにくい
  ヒスイに
  孔をあけることができた・・・」
 ↓↑
 「硬玉製大珠
  北海道〜九州に至るまで
  現在全国で二百数十個が発掘
  そのなかで多いのが
  東日本で
  北陸地方・中部山岳地帯で全体の40%
  関東地方を含むと
  70%近く・・・
  時代は
  中期がもっとも多く75%
  後期が20%前後」
 ↓↑
 時代区分
 縄文中期は5〜4千年前
   後期は4〜3千年前
 西日本での出土が少ないのは
 縄文時代には
 北九州を除いて文明拠点がほとんどなかった・・・
 後期には文明が疲弊
 交易も衰えた・・・
 ↓↑
 縄文翡翠文明
 天然石ピアス
 磨製石斧
 を作る前史があり
 6000年ほど前
 縄文早期末葉〜前期初頭
 富山湾の周辺一帯で
 滑石や蝋石という軟らかい石を使った
 けつ状耳飾りというものが造られ
 列島各地に運ばれた・・・」
 けつ状耳飾り
 直径3センチ前後
 滑石や蝋石よりも硬い
 蛇紋岩から
 けつ状耳飾りが造られた
 同じ素材を使った
 蛇紋岩製磨製石斧が
 富山・新潟県境地方の特産品で
 富山県上市町
 極楽寺遺跡からは
 1千点以上の
 けつ状耳飾りや飾玉、原石が出土
 けつ状耳飾りも磨製石斧も
 現地での需要をはるかに越える量が製作
 ↓↑
 蛇紋岩や
 ネフライト
 磨製石斧を作っていた人たちのなかに
 海辺で拾った
 翡翠原石は
 石斧に似た形をしていた・・・
 彼らは
 翡翠に孔をあけ
 紐を通して首にかけた
 蛇紋岩と
 それに類似した
 ネフライト(軟玉翡翠)は
 緑が濃い石
 翡翠
 JR北陸線青海駅から徒歩30分
 寺地遺跡は翡翠工房跡としての遺跡
 縄文時代
 草創期(1万2千年〜1万年前)
 前期(1万年〜6千前)
 中期(6千年〜4千年前)
 後期(4千年〜3千年前)
 と大別・・・
 ↓↑
 アメノオシホミミ(天之忍穂耳命)の子
 ニニギ(瓊瓊杵尊
 勾玉から生れた
 アメノオシホミミ(天之忍穂耳命)が
 タカギノ神(高木神・高御産巣日神
 の娘を娶って生れた
 二柱の息子の弟のほうが
 ヒコホノニニギ瓊瓊杵尊)で
 舞台は地上世界に・・・
 ↓↑
 天の香久山の
 賢木(さかき・榊)を根こそぎ抜き
 上の枝に
 八尺瓊勾玉
 五百津之御統珠を取りつけ
 中ほどの枝には
 八咫(やた)鏡を飾り
 下の枝には
 楮(こうぞ)で作ったの
 白い布と
 麻から作った
 青味のある布を付けた
 お飾り
 「太御幣(ふとみてぐら)」
 を作った
 「フトミテグラ(太御幣)」
 捧げる相手への
 恭順の意を示す
 様式化された証し・・・
ーー↓↑ーー
 「卑弥呼が亡くなって
  大きな墳墓を作り
  奴婢百名を殉葬
  男王が後を継いだが
  国中が治まらず
  千人以上もが殺しあった
  卑弥呼の血筋の
  壱与(台与)を国王に選び
  国は平定
  壱与は13歳の少女
  倭国に駐在していた
  魏の高官が帰国するに際
  壱与は20名の使者をつけて彼を送らせ
  御調(みつぎ・貢)の品が
  青大勾玉2枚
  と
  白珠(真珠)5千孔
  異文雑錦(絹織物)20匹
  男女生口30人
  実年代は
  239年〜248年までの
  9年間」
  ↓↑
 「青大句玉二枚」
 ↓↑
 日本産の翡翠の勾玉
 ↓↑
 日本産の翡翠(ヒスイ)を
 日本の工房で加工した
 ↓↑
 北海道の
 美々4号遺跡
 ヲフキ遺跡
 青森の
 三内丸山遺跡
 亀ヶ岡遺跡
 新潟糸魚川
 長者ヶ原遺跡
 長野の
 離山遺跡
 などから出土
 縄文中期(BC 5,000年)頃から造られていた
 長者ヶ原遺跡の
 ヒスイ製勾玉
 とともに
 ヒスイ加工工房も見つかっている
 蛍光X線分析で
 三内丸山遺跡
 北海道南部
 で出土するヒスイが
 糸魚川産・・・・糸の魚の川
 である
 勾玉
 宝石レベルの
 ヒスイ(翡翠・硬玉)の産地
 アジアでは
 日本
 と
 ミャンマー
 に限られ
 朝鮮半島での
 出土例は
 日本より時期的に遅い
 化学組成の検査により
 朝鮮半島出土の勾玉が
 糸魚川周辺遺跡のものと
 同じ組成と判明
 倭から朝鮮半島へ伝播した
 『後漢書
 「出白珠青玉
  (倭では真珠と青い玉が採れる)」
 と記録
 『魏志倭人伝
 「壱与が
  魏に
  二つの青い大きな
  勾玉
  (孔青大句)・・・句=勾
  珠二枚を献上」
 と記録
 『隋書81巻・列伝46』
 「新羅百済
  倭を珍しい文物の多い大国と崇め
  倭へ使いを通わしている」
 と記録
 勾玉、
 翡翠(ヒスイ)製
 勾玉が
 交易品として重要な意味を持っていた・・・
 『越後国風土記』(逸文
 「八坂丹(やさかに)は玉の名なり
  謂ふ、玉の色青し
  故、青八坂丹の玉と云う也」
 と記録
 ↓↑
 翡翠
 地球上で6億年前の石
 硬くて比重が高く半透明で
 光を当てると輝る
 玉(ぎょく)には
 硬玉(ジェダイト・Jedeite)
 軟玉(ネフライト・Nephrite)
 とがあり
 ヒスイは
 ジェード(Jade)と総称
 ↓↑
 糸魚川産のヒスイ=硬玉(本翡翠
 ミャンマー産の軟玉(ネフライト)とは
 全く別物
 ミャンマー産は軟石で加工もしやすい
 糸魚川ヒスイは微細な結晶が絡み合って
 壊れにくく
 硬石で
 加工がしにくい
 ↓↑
 日本では
 古代縄文時代の遺跡から
 翡翠を加工した
 宝石(勾玉など)が見つかっており
 宝石の原点
 奈良時代以降
 日本ヒスイは歴史から姿を消し
 ミャンマーでしか
 翡翠は採掘できないとされ
 日本の古代ヒスイも
 大陸から
 持ち込まれたものとされてきたが
 昭和十三年頃
 新潟県
 姫川上流
 小滝川
 当たりでヒスイの原石が発見
 ↓↑ ↓↑
 「沼河比売(ぬなかわひめ・奴奈川姫)」
 ↓↑
 日本神話に登場する女神
 古事記では
 糸魚川市付近を治めていた豪族の娘
 「奴奈川姫」に
 大国主命が出雲から求婚
 その際に翡翠を贈った
 大国主命を奉った
 出雲大社
 真名井遺跡から
 糸魚川産と見られる
 大きな勾玉が出土・・・
 ↓↑
 「渟名河(ぬなかは)の・・・天武天皇
               名は
               大海人(おおあまの)皇子
               和風諡号
               天  渟中原 瀛  真人
              (あまのぬなはらおきのまひと)
  底なる玉
  求めて得まし玉かも
  拾ひて得まし玉かも
  惜(あたら)しき君が
  老ゆらく惜(を)しも」
 (万葉集・巻十三・三二四七・作者未詳)・・・巻十三?
 ↓↑ 
 詠まれたこの歌の
 「渟名河」は
 現在の
 「姫川」で・・・「姫」は「姬」別文字で、姬に姫を流用
         「姫」は湖畔の滸についていた
         「巨人の足跡」の意味
         「姬姓」は元々、「禹の姒姓と同祖」
         「黄帝、帝嚳」の別姓
          嚳の子孫の「后稷」が「姬」を姓とした
          后稷の子孫とされる
         「古公亶父」が「周の始祖」
          黄帝その曾孫の
         「武王」が殷を滅ぼし
          周王朝を築き、
         「姫」がその国姓となった
 その名は
 「奴奈川姫」に由来
 「底なる玉」は
 「ヒスイ(翡翠)」で
 「沼河比売
 はヒスイを支配する
 祭祀女王・・・?
 ↓↑
 越後国
 頸城郡の
 式内社
 沼河比売(ぬなかわひめ)
 を祀る
 奴奈川神社があり
 天津神境内社
 奴奈川神社
 をはじめ
 新潟県
 糸魚川市内に
 論社が3社・・・
 長野県にも
 沼河比売を祭る神社
 姫の乗っていた鹿のものとされる
 馬蹄石がのこされている
 ↓↑