第一章 第一章 思想や科学と哲学とは壁を乗り越えられるか?⑤言葉の規則と不文律・国家の体裁と秩序<角界不祥事に関する歴史的考察と言葉の定義に対する有用性への信頼に就いて>

 2011年に入って相撲界はまたぞろ新たな、しかしそれは極めて辛辣で、既にその国技としての面目躍如的な体裁を維持することが困難な事態へと直面した。それは野球賭博などさえもがその前哨戦でしかなかったと思わせる八百長問題に於いてである。
 そして実に興味深いのは、それらの確約を力士同士が携帯電話を使用して行っていたということである。これは更に昨今問題化している京大、立教大、早大同志社大学で執り行われていた入試問題の漏洩事件でも携帯電話が重要な役割を果たしたことと相俟って極めて現代社会に於ける象徴的出来事である。Yahooの智恵袋コーナーで解答を求めるという技がしてやられたが、今後もし携帯にその種の犯罪を誘引する可能性があるからと言って、全ての携帯持込を抑止させる為には莫大な投資を要しよう。しかも全ての受験生に身体検査などをすることもほぼ不可能である。ここにこの種の問題の難点が存在する。
 しかし既に現代社会では昨今のリビアなどの反政府運動でも垣間見られるが、情報リーク自体を阻止することは実質上不可能である。だからWikiLeakdsやTwitterFacebookYouTubeなどが定着してしまっている現代社会では、そういった犯罪さえ既に射程に入れた様々な当局による対策を講じる必要性を物語っているが、同時にその不可避的な元へ戻らなさをも露呈させた、と言える。
 何故なら我々の社会では既に正義とか公平さとかいった規準よりも、より情報摂取に対するあくなき欲望の方を優先するという不文律は世の中の隅から隅まで徹底化されてきているとしか言い様がないからである。そしてそれを元に戻すことは実質的に不可能である。
 力士達の多くは携帯電話を提出を求められても拒否した。この事実からも現代の病因は極めて深刻である。しかし今現在この様な問題が一気に噴出したこと自体、我々の社会がそういったことに常に目を瞑ってきたという歴史的事実をも見過ごすわけにはいけない。そして角界や大学入試に於ける不正を招聘したのも、やはり原点から言えば我々自身の惰性的性向に起因しているのである。
 養老孟司はデビュー著作である「ヒトの見方」に於いて次の様に述べている。
 「もともと自然科学では、前提だの背景だのではなく、主題そのものを論ずべきであろう。前提を論じれば哲学になり、背景を論じれば評論になる。いずれも科学者が本来口を出すべきすじ合いのものではない。」(ちくま文庫、220ページより)
 しかし養老はそう言い科学者の使命を限定させながら、その実自分自身はその禁を破っているかの如く論説を本書では至るところで展開させる。その一つが次の箇所である。
 「西洋の中世は、静謐な時代であったかのように見える。歴史家はそれに異論を唱えるかも知れぬ。しかし、そこには直観的に静謐な世界が拡がっていることが感じられる。多分それは聖書の中に時間という「魔」が閉じ込められたためであろう。中世の時は絶対的に測られ、聖書という時計にのみ従って流れる。このような「時」の流れる世界に、現代の狂騒はない。
 時計はどれを買っても、刻む「時」は同じ「時」である。時が数字で示されようが、針で示されようが、ディジタルであろうが、アナログであろうが関係はない。繰り返し時計を買い求める人の心に、異質の「時」に対する無意識の欲求がない、と言えるであろうか。少なくとも人間の頭数に比べて、現代は時計の数が何故か多すぎることだけは、確かなようである。
 中世というのは、迷惑な時代である。厄介至極なものをいつくか準備した。一つは科学と技術が結婚するに至る条件である。それが可能となったのは、実はあらずもがなの神学のためである。
 人は育って行く時に、ます親の、そして教師の、言の内容を受け取る。しかし、本当に学ぶものはその形式である。言われていることの内容は、結局最後に鼻の先で笑うようになるにしても、行動については親教師のやることを、そっくり真似て意識せぬ。こういう行動に対しては、やっている当人に心理的抑制がかからぬからである。その意味で形式は常に踏襲される。」(進化と進化論 中、214〜215ページより)

 日本には当然のことながら民族としての聖書というキリスト教世界的存在はない。勿論古事記日本書紀世界はあるが、それ等は聖書とは存在の仕方が違う様に思える。少なくとも我々日本人の神道的世界観にキリスト教世界的モラルはない様に思われる。寧ろそれは沈黙の美に近い、所作的なこととか、空気感といった雰囲気醸成、つまり集団成員としての在り方に重きが置かれている。しかしこの養老による最後のパラグラフは、それが西欧であれ日本であれ全く相同のメカニズムを社会が強制している。そしてそれは永井が哲学命題にしていることでもある。
 ある部分では野球賭博でも八百長でも慣例化された集団全体の「調和」から生み出されてきた、とも言える。西欧には西欧の調和の形式があり、日本には日本の調和の形式があり、共に文化的にも社会観的伝統でも営々と続行されてきた。
 それに日本が明治期に突入していった時武士の間で当然のことだった丁髷(ちょんまげ)はなくなった。しかし相撲だけがそれを伝統的な意匠として残した。だから当然のことながら明治期以降のざんばら頭への同化過程に於いて、現代まで通じる近代化の波から言えば時代を逆行するかの様な意匠への青年世代の人達からの反発はあった筈だ。だからこそ、そこまでして国技に貢献しているのだから、一々小さいことで小うるさく言うな、という意識は相撲界全体に蔓延していたのではないだろうか?
 日本は明治以降近代合理主義を欧米から移入していったが、その過程でスポーツの観念も移入していった。欧米のスポーツの観念はフェアネスに象徴される。しかし相撲にはレスリングやボクシングの持つ等級上でのフェアネスはない。ここが相撲という存在にある固有の曖昧さを与えている。
 それは暗黙の言語行為自体の有用性に対する無根拠な信頼という前提がある。だからこそ江戸期には人情相撲ということで(それは貴乃花若乃花が優勝する際にも、たった一回だけ貴乃花の側からなされたという一般的見解すらある)、最低限容認される正々堂々ではない国技への暗黙の美学であった。しかし昨今問題化されたことはもっと金銭的な合理主義が徹底化された仕方だった。
 このことは谷町的な相撲全体の特権意識を象徴していた。
 白鷗が「そんなものないとしか言えないじゃないですか」と意味深な発言をインタビューでテレビカメラの前でしたことは物議を醸した。
 しかしこれは社会内で飛びっきりの「いい子」を演じねばならぬ横綱の使命への追随が生み出す発言様相である。横綱は高いギャラを取って人気があるだけでなく、人格も求められている、という曖昧な精神主義が、逆に相撲界全体に、ある種の不必要な緊張感を強いていたとは言えないだろうか?
 それは昨今の京大その他での入試問題漏洩事件でも言える。小泉竹中路線以降、色々と民主与党による政権交代で問題化された規制緩和路線自体が齎したエリート主義的見解が、しかし営々と一般社会では不文律化していればこそ、有名国立私立大学に何としてでも合格出来なければというプレッシャーを生んでいるとも言えるからだ。今後入試で携帯電話使用を抑止させようとしても繰り返す様だが、まさか身体検査まで施行するわけにはいくまい。まさに戦後民主主義の難点、日教組が構築してしまったPTAからの批判を跳ね除ける勇気が教育為政者達に求められている、とも言える。勿論携帯を使用するなとも既に為政者さえ言えない。そこにこの携帯電話使用を巡る問題の難点がある。
 しかも養老が述べている様な意味で、日本には欧米的な一神教的神の概念はない。民族的に神と民とか、神と個(父と精霊と子の三位一体などでも見られる)との対話、或いは契約という観念は全く不在である。そこでモラリスティックなスタンダードが個内部で醸成され難い。だから相撲の力士や床山達による特殊世界での特権意識は益々閉鎖的に完成されていく。その歪な完成がある部分では入試試験の答案を求めるという技にまで発展していって、集団レヴェルでの犯罪組織を構成することもいともたやすい時代に、我々は生きている、とも言い得る。
 
 この不可避的な情報流通の現代の特性は、ある部分では極めて言語の有用性と信頼への固定化が、益々言語外的なモラルとか、修身的な心得を曖昧で実体のないものとして認識させる方向へと我々を誘っている。意味の横溢は、あくまで行動や倫理によって支えられているべきであるのに、意味自体、言葉の定義自体が異様に肥大化し、意味使用と定義の情報流通が意味や言葉の「本来の目的」(ところでそんなものは一体言葉が誕生した時代からあったのだろうか?)よりも優先されていってしまい、東浩紀的に表現すれば、大きな物語があるものとしてきたこと自体が、実は幻想であって、我々の時代は、既に人類が初期に言葉を持った時点(それから最も乖離していたのが養老の言う様に中世だったかも知れない。日本には聖書はなかったが、日本でも最も古代と乖離してきたのは中世だったかも知れない)でのメッセージ自体を、目的とか内容からではなく、伝えること(行為)の方が優先してしまっている、と言える。
 永井均の哲学テクストが青年世代に爆発的人気があって、どんどん文庫化されていることの背景にはそういった時代背景もある。しかも永井はウィトゲンシュタインという言語行為に私的レヴェルの問題と絡めて現代の諸問題を見据えた哲学者へのオマージュ「ウィトゲンシュタイン入門」という本も書いている。永井は次の様にウィトゲンシュタインの「論考」を捉える。
 「(前略)つまり、ウィトゲンシュタインは、世界は事実このようにできている、と独断的に主張しているわけではないのだ。そうではなく、およそ我々の言語が確定した意味を持ち、世界についてなにごとかを語りうるためには、世界はこのようにできているのでなければならない、と主張しているのである。『論考』は、叙述の順序とは逆に考えられている、と見做されねばならない。言語が意味をもつためには、それはある一定の構造をもたねばならない、したがって、世界が言語の中に反映さうるためには、それは言語と同じ構造を持たねばならない、というようにである。言語と世界は論理形式を共有せねばならない、とはそういうことなのである。」(第2章 像―前記ウィトゲンシュタイン哲学 中、56〜57ページより)
 この部分の永井言述を正しいとすれば、ウィトゲンシュタインは強ち言語自体だけに関心を注いでいたのではなく、寧ろ言語を世界と相同のメカニズムのものとして成立させる我々人類の知的欲望、或いは現代社会で日本でも問題化している情報摂取的反意味論的古代回帰自体を予感していたと、モラル論的相貌で捉えられなくもない。そして当然養老の先の文章とこの部分は対応している。つまり世界と言語が論理形式を共有するというウィトゲンシュタインの「論考」での解釈への永井による着目は、先の養老の文章での終盤登場する「本当に学ぶものはその形式である」と全く相同のメカニズムを有しているのである。そして西欧でも日本でも中世こそが、その形式を完成させた時代だったと言えよう。しかし養老が「中世というのは、迷惑な時代である。厄介至極なものをいつくか準備した。一つは科学と技術が結婚するに至る条件である。それが可能となったのは、実はあらずもがなの神学のためである。」と言う様な科学技術の進歩と、社会からの要請の根拠に内在する神学の問題に、次回は永井の「私・今・そして神」そして養老の「ヒトの見方」とを取り上げ、考えていってみよう。

第一章 思想や科学と哲学とは壁を乗り越えられるか?④言葉の規則と不文律・国家の体裁と秩序<角界不祥事に関する反省的記述を含む>

 朝青龍の引退騒動が私たちに齎したものとは、私にとって端的に日本人にとっての国家像というものの在り方を巡る考え方についてであった。しかし同時にそれ以後の余りにも多くの角界での不祥事があの朝青龍追放劇とは一体何だったのかという思いを再び多くの日本人に齎したことも確かである。つまり臭いものに蓋をすることで、自分達自身の真実の醜い姿を隠蔽しようとしたのではないか、という思いを多くの国民が感じたに違いないからである。
 古来から臭いものに蓋をするという言葉があるが、あれは要するに綺麗なものだけを見ようとし、汚いものを見まいとする欺瞞的態度のことだ。それは個に於いてもそうだが、個において個の内部にある恥部を凝視する力量が個人に備わっているのなら、集団としても日本人は恐らくもっと常に本質的なことだけに目を向けようとするだろう。しかし今回の騒動に関する限り私は決してそういう視座を日本人が持っていないということを露呈したように思う。
 相撲とは本来、古来の習慣が綿々と受け継がれて来た神事である。天皇陛下が拝謁するということ自体がそのことを表わしている。だが同時に相撲部屋とは端的に蛸部屋のようなものであり、かつては日本にも丁稚制度のようなものがあり、幼い頃から奉公に出されたりして礼儀作法から、職能まで身につけてきたのだ。しかしそういう制度が崩壊してから随分経つので、日本人は相撲部屋が、両親から引き離されて、相撲部屋の親方に養子に出されるかの如く特殊様相の世界であるということを忘れている。
 しかし通常の世界の常識を今日本人は相撲界に持ち込もうとし、しかし国技であるという神聖さだけは残そうとしているのである。それでは内部にいる角界の人たちにとってはたまらないだろう。
「古来の習慣のままでいいのか、それとも完全近代化していくべきなのか、どっちかにしてくれ」
 と言いたくなる。
 やれ谷町制度がよくない、とか何とか言って、近代合理主義の倫理を持ち込み、しかし同時に国技としての神聖さだけは残しておきたい。自分勝手なものである。
 勿論朝青龍は性格的にもやんちゃなところもあり、愛嬌もあったが、親方の指導が甘く性格の欠点を彼が増長させたという事は言えるだろう。そして我々は相撲界全体を未だに国技として扱っていて、内部の腐敗が、今現在の日本にある殆ど無節操な自由と、古来の仕来りの間の齟齬にあるということを薄々知りながら、その事には目を瞑り、もっと体裁的なことに拘っている。つまり日本人には私の考えでは外側から見た体裁を取り繕うという心理が強いと考えているのだ。
 それは黒船来航の時もそうだったし、もっと遡れば大陸から仏教を摂取した時代もそうだった。内側にある懊悩とか内面的苦悩といったものは、それ自体一切公では隠蔽されて然るべきものである。従って日本からはシェークスピアとかゲーテといった凄い文学作品は登場しない。
 何故ならそれらは端的に内面世界の懊悩や苦悩を直視した眼差しがなければ成立しない文学でありドラマだからだ。
 金閣寺の美は外側から見た建造物と庭園の調和の美である。従ってそこには建造物内部で生活する人間の生活臭が剥ぎ取られている。だからそれは必然的に美しい情感を身体論的には齎しはするが、内面的な理性へとは直結してはいない。
 日本の美は端的に理性不在なのである。
 だがそのことは日本人が理性を理解出来ないということを意味しない。日本人は多く哲学も理解するし、思想も理解する。ただそのことに対する極度のシャイネスがある、ということだ。
 ここが欧米の社会と日本の本質的違いである。日本人はそういう意味では懊悩、苦悩を直視したくないとも言えるし、直視する勇気がないとも言える。

 そのことは実は言語構造にも微妙な陰影を日本語に齎している。そして言語とはその民族共同体が持つスピリチュアルな部分から影響を受けるし、反映するのだ。日本語に主語と目的語の境界が曖昧であるような表現、つまり暈し的要素(助詞や接続詞、間投詞、助動詞などによって内容の意味の明示を暈す)などが多いのは、断言を避けるということから来るものである。
 しかし時には人間は断言をしなければいけないし、決然と言い切らねばらない。
 しかし日本文化とは暗黙の内に了解することを通して、相手がそれを悟り、自分から進んで決断するように仕向けるのだ。だからこそ今回の朝青龍の引退も、解雇通達をするのでもなく、何となく周囲から固有の雰囲気を作って「自分から進んで辞めなければいけないような気分」になるのを待つということに自然となっていくのだ。(だから前横綱審議員の内館牧子による「ベストの選択だった」という発言にある非情さを受け取った人は大勢いるだろう。私は朝青龍の素行の悪さとか性格が嫌いである。しかし少なくとも日本人でさえ今日の超近代合理化された社会において古来の仕来りとの齟齬から力士になる人が殆どいなくなってしまったことに象徴される角界と現実の日本社会のギャップを考慮すべきである。その穴埋めに朝青龍は日本にまで来た外国人であり日本人横綱の不在を埋めてきてくれたということだけには感謝すべきであろう。)
 そのことは端的に親方や相撲協会理事長の目まぐるしい交代劇にも顕著に示されていたし、琴光喜と大嶽親方の角界の追放もそうである。実際の所一番多く賭博行為をしていた二人を追放し見せしめにすることで、逆に罪の軽い者やそれらに関わりなかった者を守り、角外からの委員長を出さずに、角内から放駒親方で一件を落着させるという措置が取られたものの、本当の改革が今後なされるかを我々は注視せざるを得ないのだが、実際の所旧態依然的体質を温存させてきたのは多くがファンであったということも決して忘れてはならない。ごっつぁん体質を、そして何より相撲に神事的な清さをイメージとして付与する我々の内的な特権的地位容認意識を捨て去るべきであろう。
 何となく全てが決まっていってしまう(何となく辞めなければいけない雰囲気になっていってしまう様に)、これは一種の不文律である。朝青龍に対してはそうだった。何故なら協会が解雇通達を出すとあまりにも協会は非情であるという判断を世間一般からされるので、それを避けたのである。つまり協会全体のイメージだけはクリーンに保ちながら、結果的には解雇と同じようなことへと持ち込もうとしたのだから。がそのことが却って野球賭博問題で暴露されてしまう形になるなんて朝青龍を辞めさせた時点で誰が想像しただろう。これは考え方を変えれば極めて内部にいる人間にとっては残酷な仕打ちであると言えよう。
 そのことは形式的、組織全体の安寧の為に体裁的美を取り繕うということで、前回に示した菅家さんに謝罪を一切しない検察官から司法全体の体面主義にも繋がることである。

 話を本題へと戻すと、私たちが使用する言語とは実はかなりの部分で倫理的命題自体への我々の精神的取り組み方を反映しているのである。
 しかしその反映の仕方を無意識に援用することで、端的に反映しているという事実自体へは我々の意識がいかないように言語行為自体はなっているし、教育制度において我々大人が子供を教育する際には一切その閾下の精神的部分、意識的構えを解読したり、深読みしたりすることを避けるようにしている。これはモラル自体への同化を訓育するために仕方のないことである、と多くの大人が判断しているからだ。
 養老孟司は講演会で、幼児に実の母親の乳の匂いを染み込ませた布と、別の女性の乳の匂いを染み込ませた布を両方寝ている顔の上にぶら下げると、赤ん坊は必ず実の母親の乳の匂いのする布の方に顔を傾けるということが実験報告されていると言う。しかしそれは年齢を重ねる毎に失われていく能力だとも言える(特に視力に於いて甚だしいと養老は考えている)。
 このことは本来人間が幼児の段階では誰しも持っていた言葉にすることの出来ない固有の直観能力を、言葉を習得し、知性を身につけていく過程において徐々に摩滅させてきているということを示している。養老もそのように捉えている。
 つまり言語習得するということの内にはその意味では「死んだもの」を価値として規定し後生大事にしていくことを義務づける過程において、「生きているもの」を放り出していくということを性質的に含有していると言うことが出来る。
 養老はアフリカの原野に住む現地人たちは皆何キロも先のものを見わけるということを示しながら、「それはアフリカの人たちの目がいいのではなく、我々文明人の目が悪くなっているだけだ」と言う。
 
 永井均倫理学者として多く言語習得と、意識を言語が規定しているか否かという命題に取り組んできた。そして永井が何故習得という事実に拘るかと言うと、それは端的にその習得されたものを通して社会成員として我々が生活するという事実が、もう一つのメタ事実として、社会的倫理規定に逆らわずに生きていくことを同意しているということを示したいがためなのである。それは養老的言説を借りるなら、「生きているもの」を「死んだもの」に置き換えることによって、本来持っている野生的ではあるが言語以前的知覚能力においても、疑問を抱くことにおいても生来の生き生きとした能力を失わせることを通して社会的秩序へと同化させようと試みることなのである。
 そのことに幼い頃、つまり五歳の時から永井均はずっと疑問を持ってきた。それは違和感と言ってもよい。何故なんだろう、と問うことは、「何故悪いことをしてはいけないのだろう」という問いへも拡張される。しかしそれを問おうとすると必ず教育者たちは顔を顰める。それは問うべきことではなく従うべきことだからだ。だから本来(つまり初期人類が言語行為をすることを発見した頃)は今現在においては法規制となっている言語とはそういった問いを問う(根源的問いをする)ために設けられたものである筈なのに、形式的に出来上がった秩序に同化させ、言語による規定、例えば実際の法規定などにつき従わせるために道具になっているのである。
 そのことを告発するためにのみ永井にとっては哲学がある、と考えても間違いではない。

 勿論養老が言う赤ん坊の能力は言語的問いよりもずっと先に顕現される能力であり、「何故悪いことをしてはいけないのだろう」という問いは言語習得をされた段階で持てる能力である。しかし恐らく我々はそういう風に問えるということは、言語習得される以前から既に善悪を問う資質を持って生まれてきていると言うことも出来る。その点においては養老も永井も全く同じ考えを抱いているように私には思える。その事に就いては次回二人の文献から引用することで考えていきたい。
 しかし今回は予定を変更して、ここ二年間私自身が永井均の講義を六回立て続けに(去年の横浜での講義を除いて)出席してきたことから、得た極最近の永井自身の問題意識を採録する形で進めていこうと思う(予定変更を御許し頂きたい)。

 永井均は最近デカルトに拘っている。彼本人が哲学者として名を馳せてきたことの第一の理由は勿論現代分析哲学にも死後多くの影響力を持ったウィトゲンシュタイン(彼が初めて哲学者の言う言葉を意味内容からではなく意味作用的な言語秩序へと命題を移行させたとも言えるし、そう永井は捉えている)の言語ゲームとか私的言語理論に対する着目によってだが、実際永井自身が本当に啓発されてきている(それは哲学資質的意味合いからではなく、哲学命題論的な意味合いからである)存在は、デカルトであり彼の考えたコギトである。
 しかも永井はそのコギトがデカルト自身がかなりの苦痛を強いられた軍隊経験とかから、死への恐怖と隣接してきたことなども手伝ってあくまで「ルネ・デカルト」自身が感じた実感であることに拘り、「最後に残るのは自分の存在をも疑い得るこの疑う私」であるという懐疑的論証の末の結論自体が、あくまでデカルト本人の為のものであるにも関わらず、それが広くそれ以降一般化されていってしまったこと(それは本人は歴史哲学的視座から考えられると述べているが)自体のある種の「裏切り」に於いて認識している。
 つまりデカルトの本当に言いたかったこととは、端的にデカルト本人にしか分からない、ルネ・デカルト自身がそれをさえ疑い得る「疑う自分=疑うルネ・デカルト」をこそコギトと呼んだということだったのであり、そのルネ・デカルト本人にしか分からないことが、いつの間にか誰にでも当て嵌め得る真理にまで拡張されていったその後の哲学史の持つ彼の主張に対する裏切り(何故ならデカルト本人にのみ適用される例外的な「疑う自分=疑うルネ・デカルト」がいつの間にか「疑う自分=全ての疑う自分を持つ人々」に置き換えられてきたこと)に大いに着目している。
 これは痛みとか痒み自体を理解し得るのは自分自身だけであり、その現象的であることの分かりやすさはあくまで自分自身にのみ当て嵌まるということから、それが世界に存在する全ての存在者に適用されるということへの超越とは、最初にこの世界で「痛い」とか「痒い」と言った本人の言を、それを理解する周囲の人々が自分自身にも適用してしまったという発生論的言語誕生秘話を想像させる。
 つまり言語には実はもう一つの力があり、それはデカルト本人が言った、あくまでデカルトにのみ専売特許がある言説自体が、その言説を聖書の様に一字一句信仰する者本人が、デカルトにしか理解出来はしない感覚を、あたかも自分自身でも追体験し得るかの様な錯覚を持ちつつ、デカルトにしか分からないと本人が「哲学原理」や「省察」に於いて語っているコギトをあたかも、それを信奉し読む自分自身にも適用出来るものとして、デカルトの本意を裏切った形で初めてデカルトを理解し得るという矛盾を永井が考えていることを示している。
 それを永井はデカルトの力ではなく言語の力であると講義ではしている。
 これは先に述べた言語習得期に於いて全くそれ以外の選択肢のない形で国語が我々に与えられ、その言語を習得した後は個人に於いて善悪とか言語の成り立ち自体をも問い得るものとして習得されていく過程に於いては一切の問うことを許されない、要するに日常生活成立要因としての社会制トゥールとして我々が言語行為の仕方を受容するその社会システムをも構成する力である、と言い換えてもいい。
 そして永井均はそこで、この社会システムをも構成する力である言語自体が、何かを他者に語る本人があくまで本人の心の問題であるにしても、それをさえ他者にも共有されてしまう言語の公私を無化する様な力自体に疑問を持って哲学的に哲学者として臨んでいるのだ。
 しかし永井本人が気付いているかどうかはともかく、彼の講義では一切では何故敢えてデカルトは「省察」といった形で出版や公表という形を取ったのかということには触れていない。
 つまりかなり重要なこととは、自分自身にしか理解し得ないあるコギトという特殊な感覚を文字化して彼は明らかに出版とか公表という形で世間に問うたのである。
 それは裏を返せば彼自身が既にそういう風に文字化することで、自分自身にしか決して理解し得ない感覚をも他者にも理解して貰えるのではないかという目算が僅かながらも存在した、ということではないだろうか?
 つまりそこには言語自体の私的な感覚の伝えられなさにも関わらず「伝えよう」と決意させてしまう言語行為自体への信頼が言語行為を執り行う全ての話者、筆者に介在している、ということではないだろうか?
 つまりその暗黙の言語行為自体の有用性に対する信頼こそが言葉の規則と不文律であり、それこそが国家の体裁と秩序をも成立させているのではないかという直観が恐らく全ての個人に備わっているのではないか、と少なくともこの「私」は思う。そして「私」以外も恐らくそうであろうという目算に於いてこそ、私は今こうしてブログで自分の論文を発表しているのである。
 次回はこの「暗黙の言語行為自体の有用性に対する信頼」に関して養老と永井の論文からの引用を主として論説を進めていきたい。

インターミッション 

 ④言葉の規則と不文律・国家の体裁と秩序 に入る前に一度基本的なブログでのスタンスを述べるためにインターミッションを設けることとしよう。
 本質的に思想と言っても、哲学と言っても基本的に言語的営みであることには変わりない。そのことが極めて重要である。そこで私たちは哲学を実用というレヴェルで考えると、思想との関わりを論じることを避けて通るわけにはいかないこととなる。そのことは日本では西周によって生み出された哲学という語彙にある固有のニュアンスから忌避してきた歴史もある。それを助長したのがドイツ観念論哲学の歴史であり、その歴史を移植した日本の学界の体質である。
 だが今日現代社会は既にかなり錯綜した情報網と、テクノロジー的な意味合いからも近代以降の社会から又別のフェイズへと飛翔しつつある。そういった時節において我々は哲学を広く社会科学やテクノロジーの活用、あるいは実用的な方法論へと解放させていく必要がある。
 哲学の歴史においてそれをかなり初期において実践したものがプラグマティズムである。そしてこの考え方では社会教育的見地からも実践論が叫ばれてきたので、必然的に宗教倫理思想家たち、例えばエマソンやカーライルといった人たちとも交流のあったウィリアム・ジェームスとジョン・デューイとによって推進されたという面が強く、その二人の元祖的存在にチャールズ・サンダース・パースがいたわけだ。
 プラグマティズムは従って方法論的学として自然科学へも影響を与えているし、その流れに論理実証主義なども位置づけられる。
 その後哲学は現象学などの登場、そして分析哲学などへと分派していった。前者の筆頭にはブレンターノとフッサールが、後者にはフレーゲやタルスキーなどが挙げられる。
 しかし徐々に哲学自体が固有の命題を論理分析する方向へとシフトしていき、その反省的な視座から構造主義などが席捲することとなり、その後衛としてポストモダン思想などが登場していったわけである。
 私たちの時代の特色とは端的にデカルトやロック、バークリー、ヒュームからカントを通過してヘーゲルキルケゴールニーチェなどに至るまで全ての哲学が等距離にあるような錯覚の下で各命題を分析するという視座を設けていると言える。
 その中には精神分析に流れを汲むものなどと構造主義ポストモダンなどが合流する地点でものを考えるなどの試みが常に挿入されてきたし、我々は今日思想という言葉を聞く時、フロイトユングラカンといった存在をウィトゲンシュタインハイデガーといった存在と並列的に考えることも比較的しやすい。
 だが各哲学者、思想家、論理分析家にはそれぞれ固有の事情もあるし、異なった文脈も無視することは出来ない。にもかかわらず我々は常に殆ど勝手と言っていいほどそれぞれの存在を結びつけ、反目させようと試みる。それはプラトンアリストテレス以来彼ら自身がそうやって哲学史を例えば形成してきたということを事実として知ることが出来るからである。
 そして思想とはそれら全体を認識する時に有効な人文科学的視野である。尤もこの人文科学的という考えはあくまで現象学や社会哲学系の学者たちの考える方法であり、分析哲学では人文科学と自分たち自身を峻別しようという考えもある。
 だが多くの分析哲学の方法論がそれ自体一つの他分野、異分野への流用可能性としての意義も示している。例えばクリプキやデヴィドソン、パットナム、クワイン、ルイスといった存在は個々固有の命題を抱えていた。それらは従って本ブログで取り扱う養老孟司のようなタイプの思想家にも間接的には影響を与えている。いや全ての科学者たちが古来から綿々と哲学によって育まれてきたことを真摯に受け留めている。例えば進化論生物学者であるリチャード・ドーキンスは明らかにそういった哲学史的視座から、固有の理論へと到達していると言える。
 その点を無視しているのは寧ろ哲学者自身であり、思想家や科学者と名乗る者の方にはそれはない。この不均衡自体がある種の学界的な閉鎖性を生んでいる。勿論それは取り敢えず日本のことであるが、少なからず米国でも英国でもそれはあるようである。尤も米国や英国ではそれを凌駕しようとする動きも常に盛んであるとは言える。
 そして哲学自体も今日、倫理学法哲学から、社会哲学、現象学分析哲学まで含めれば一括して「これが哲学の本質だ」と語れるほど容易には個々のものを理解することも困難と化している。しかし恐らく先ほど述べたように技術論的、方法論的な意味合いからすれば、ある意味では全ての学問の垣根を容易に超え得て、学際的交流さえ然程困難ではない時代にも突入したとさえ言える。その一つがネット社会の到来によって顕現されてきていると言うことも出来る。
 今後も本ブログでは個々の論説を用意するのも大変なことなので、ゆっくりと時間をかけて臨んでいきたいものであるが、今述べた技術論的、方法論的視座を軸に全てを展開させていくという事の内に論説の可能性を認めている、ということだけは明示しておきたい。

第一章 思想や科学と哲学とは壁を乗り越えられるか?③個人における責任とは何か?組織、集団の責任倫理との狭間で(1)

 今回から言葉の持つ概念世界であることの意味と作用と限界について養老と永井の論文を具に検討することと、それ以外の実際の社会的出来事への洞察を絡めて考えていきたい。今回は養老の考えを中心に検証していってみようと思う。その前に最近あった社会的出来事から少し長いが論説を試みてみようと思う。

 菅家さんの無罪を確定する再審が行われ、菅家さんは出廷した検察官に謝罪を要求したことは記憶に新しい。しかし検察官は遺憾の意を表するに留まった。そしてマスコミは挙ってこのことを報道した。さも謝罪しなかったことを不当であるかのように。
 しかしよく考えてみよう。もしあの時出廷した検察官が菅家さんの明確に謝意を示したなら、恐らくマスコミはその事に対して報道を集中させ、果てはその上司、そして遂には司法全体にまで責任が波及したことだろう。行政の一翼である検察官はあの時、最終的に判断を司法に委ねた。そして司法は誤審をした。もし検察官があの時謝罪すれば確かに菅家さん本人の気持ちは収まったかも知れない。しかし責任は明らかに司法全体へと波及する(その事がいけないと言っているわけではない)。その事を考慮に入れれば、仮にあの時検察官が個人的心情としては菅家さんに謝罪したいという気持ちを抱いていたにしても、尚彼は自らの職務を全うしたということになる。端的に彼の職責に纏わる全歴史をあの時辛うじて謝罪しないことによって守ることが出来たと言える。
 つまりそれが組織や集団の責任倫理なのである。そして今からよく思い出してみよう。あの時司法へ誤審を齎した最大の誘引は報道だった。しかしマスコミ報道の加熱はその事を自省することはおろか、一切の言及を避け、他の誰もが菅家さんを有罪であることを疑わずに連日報道した。そしてあの時はまさに日本国民全体がそうだったのだ。
 だからその時たまたま当事者であるに過ぎなかった一検察官からのたった一言の謝罪の有無へと報道を焦点化させたその事実自体への批判がこの国から一切出されないのは一体どうしてなのだろう?
 つまり所詮マスコミも又検察や司法と同様、組織であり集団でありその責任倫理に追随して口を噤んでいるだけなのだろうか?
 つまりあの時謝罪出来なかった検察官は当事者として被害者であるとさえ言い得る。ただ彼は当時の日本国民全体の世論を考慮して判断したに過ぎないからである。恐らく彼は関係者全員、つまり同僚や上司からの激励を受けて出廷へと臨んだことだろう。
 しかしもし一検察官にそのような斟酌をするなら、当該のマスコミ関係者各位も同様の配慮を向けねば成らないだろう。つまりこの事案の最も本質的部分とは端的に誤審責任そのものが個的に存するのではなくあくまで組織、集団、世論全体にあるが故に個による謝意というものが持つ実効性そのものが問われているということである。
 しかしそれら一切はやはり菅家さんに対して誤審をした加害者であるところの集団全体へと向けられた忖度であるに過ぎない。そして菅家さんの人生を大きく幸福から遠ざけてしまった事案の持つ理不尽に対して、我々は只なす術もなく見過ごすこと以外の一切の選択肢を持たない、ということである。
 そしてここで私たちは菅家さんの怒りを決して国民の誰一人として鎮めることなど出来はしないという現実をしっかりと見据えておく必要があるのだ。
 それは私たちが社会的にも哲学的にもそういう無力な存在であると自覚すること以外のことは出来ないということを意味する。
 菅家さんにしても菅家さんの人生における貴重な十七年という年月はどうすることも出来ない。
 つまり我々は決して自分だけが被害者であり加害者ではない、と思ってはならないのだ。つまり誰しも何らかの意味で我々は誰かからの加害によって被害者ではあるが、同時に別の何らかの意味においては我々は誰かの被害において加害者でもあるのである。そして人間は自分が受けた被害に関しては敏感だが、自分が知らず知らずの内に他者へと加えてきている害に対しては極めて無頓着な生き物でもあるのだ。つまりそのことを常に考慮に入れて生活していく必要だけはあるだろう。
 つまりそういった私たちの個々の傾向性が集積し、組織や集団のレヴェルとなった時、今回のような司法へ誤審をさせるようなケースを生じることになる。
 責任倫理とは端的に個において謝罪したり罰金を払うことによって解決出来るというレヴェルにおいては何ら我々の心情へと反省を強いるものではないかも知れない。少なくとも自分自身でそうすべき根拠を見出すことが可能な場合は全くそうである。
 しかしそれが組織や集団に於いて解決すべきレヴェルの場合、我々は一切の心情における反省が効力を持たないと心得ておかねばならない。特に組織や集団、いや国家全体が誤った判断をしてしまったような場合(戦争を含む)我々は個々の責任倫理的自責ではどうにもならないことも多いのだ、ということだけは知っておくべきかも知れない。
 人間が個人に課せられた運命というものもあるが、同時に組織や集団、共同体や国家にも課せられた運命というものもあるのだ。そしてどのような個人も常にこの二つを共存させている。そして私たちは皆個人の運命に関しては、自覚的であり得る(いつもではないが)が、集団の運命に対してはなかなか自覚的、つまり意識的ではあり得ない。
 このことを明確な形で示しているのは何も倫理学者たちだけではない(永井均倫理学者であるから当然のこととして)。養老孟司は講演会(実は昨日私はある地方都市の商工会議所の百十周年記念式典で氏の講演会を聴講した)で「皆さんがもし手術する時、その執刀医の医師の方に<どうして麻酔すると意識がなくなるんですか?>と質問してみて下さい。きっとそのどんな先生でも顔を顰めて気分を害するでしょう。何故って未だに医学では何故人間が意識が発生するか分かっていないからです。つまり何故意識が発生するのか分かっていないのに、何故意識が消えていくかなど分かる筈がないから、どんな先生でも返答に困る筈だからです」と述べていた。
 つまり養老氏によると、どんな医師でも「ああすればこうなる」式の因果法則を実は経験則に応じて履行しているに過ぎず、一度麻酔をかけた患者が二度と意識が戻らない可能性も常にゼロではない、ということなのだ。
 つまりここには医師という立場による人間の生命を預かる人たちが返答に困る質問をぶつけてくる患者を嫌うということが、実は自己に課せられた責任の重圧から少しでも軽減されたいと望む人間の当然の権利であり欲求である、ということである。
 養老は「無思想の発見」において次にように述べている。

 世間の人の多くはいまではサラリーマンになった。要はそこが信用できない。なぜならサラリーマンとは、どこかから月給を貰う人である。それならその「どこか」をいちばん大切に思うしかない存在である。そうなると仕事はどうなる、という疑問が起こる。電車の運転手が一分半、時間が遅れたというので、極端なスピードを出す。理由は再教育という名のイジメを恐れたからだという。それが本当かどうかは別として、仕事とそうではないことの評価が、ここでは逆転している。運転手なら、運転がいちばん重要でなければならないのだが、周囲の人間たち、上役の方が重要になっているのである。
 この種の逆転現象は、いわゆる経済の世界では当然である。たとえば、その仕事になんの関係を持っていなくても、会社を乗っ取ることはできる。それが「悪い」というのではない。それをやっていれば、感覚世界よりは概念世界に深入りすることになる。そういう人は「信用できない」。会社という約束事を現実だと思っているのは、単にそう思っているだけのことだと、すでに述べた。
 概念世界そのものが信用できないのではない。概念世界に入れ込むなら、つまり思想に殉ずるなら、それはそれで専業に近くなるしかない。月給を貰って、ものを考えろといわれても私にできない。私は自分で勝手に考えているだけである。そこに利害はないから、年中読者から文句をいわれる。脅迫状まで来る。それはそれで仕方ない。これが組織に属していたら、いいたくてもいえないことがあるはずである。周囲に迷惑をかけるからである。国立大学で給料を貰いながら考えていた時代がいちばん辛かった。月給を貰いながら、思想は説きにくい。なにかを「説く」とすれば、「大衆」に向かって説くしかない。大衆は組織とは関係ない。だからこそ大宅惣一も司馬遼太郎も「大衆を信じる」というしかなかった。これを日本的普遍性とでもいうべきか。(173〜174ページ、<第七章 モノと思想 中 感覚世界と概念世界の逆転>より)

 養老が言う逆転現象こそ前回私が述べたことである。経済社会は目的と手段が逆転しているということを前提にして養老はこの文章を書いている。 
 養老がここで言う大衆こそマスコミが相手にしているものである。しかし極めて重要なことには大衆という言葉に自分が該当すると思う個人など一人もいない、ということである。何故なら我々は常に自分は「その他大勢」とは格別に一線を分かつ存在であるとして思えないからである。そして養老の言うように、恐らく件の検察官も辛い思いで菅家さんに対して謝意を表することを断念したのであろう。
 解剖学医師としての経験から養老は結婚式は誰しも似ているが、葬式だけは千差万別であると講演会でも述べているし、「死の壁」でも書いている。つまり葬式で遺体を引き取るために出向いた先で遺族や葬式に参列者へ向かって何か一言言えと言われて挨拶してきたことが後年大学で講義をする時の話し方の訓練になったと言っていた。
 そして実に興味深いことには養老の講演会による言述によると、死というものが家族とか本人という当該者にとっては切実なことであるのに、解剖という形で関わる他者である自分たちから見たら実に滑稽なことでさえある、ということだ。これはホラス・ウォルポールによる言葉である「世界はそれにかかわる人からすれば悲劇であるが、それを眺める人にとっては喜劇である」を思い出させる。
 さて次回は、永井による幾つかの論文によって示された言葉の規則ということと私的であるとはどういうことか、あるいはそれは実際に可能であるか、ということに於いて考えていきたい。そのプロセスにおいて養老孟司による解剖学医師としての経験と判断から得られた思想がどう絡んでくるか、ということが命題ともなる。(つづく)

第一章 思想や科学と哲学とは壁を乗り越えられるか?②言葉とは倫理の発生である(2)

 因果関係というものをちょっと考えてみよう。
 私たちは食事をする。しかし食べ終わると食欲は失せて、今度はテレビを見たり、本を読んだりしようとか休日は思う。しかしそういう風に休日に過ごすことが出来るのは、生活費があるからである。食べて生活費が底をついたから働こうということが出来る人は随分と優雅な人である。はっきり言って恵まれている人である。たいていはそれとは逆に休日にゆっくりしたいから、その余裕を持つために何か仕事を探し既に働いている。 
 つまり食べてエネルギーが蓄積されたから何かしようではなく、そういう風に休日にゆったりした気分を味わうためにまず仕事を見つけるということが一般的社会人の姿である。つまり因果から言えば個的な行動の全てが後であり、まず公的なことが存在し、その公的事項の一つ一つに我々は自己を当て嵌め、その中で自由とか心のゆとりといったものを獲得している。それは端的に生物学的生存の原理とは全く逆の因果である。
 ここに読書の好きな主婦がいたとしよう。彼女は養老孟司の本を読んで、感動したから感想文を日記に書く。しかしもしここに評論家とかエッセイストとかがいたとしたら、彼等なら養老孟司の本を読んでよかったから何かを書こうとしようとは思わないだろう。つまり彼等なら恐らく最初から何かを書こうと決めていてその為に養老氏の著作物を購入して読むのである。
 カラオケに行くとしよう。その時我々は「銀座の恋の物語」とか「ロマンスの神様」といった選曲をしてからその歌詞に沿って唄おうとするだろう。
 だが本来その曲は誰かによって作曲され、作詞されたものであり、最初はその人によって何かを作りたいという衝動があって、それに沿って曲は作られた。しかしカラオケで唄って楽しむ時には予め作られてカラオケボックスに用意された曲を選ぶ。
 私たちの言語もそうである。言語というものを大脳の進化と共に持った人類も最初は何かうーうーと唸っていただけだったかも知れないが、ある時突如何かを他個体に伝えたいという欲求を持って、それを発語するということを何らかの契機によって方法として得たのである。 
 しかし赤ん坊として生まれ我々はいつしか両親の話しているのを自然と耳に入れ、それを自分自身でも覚えて親に、あれ買ってとか、これが欲しいとは強請るわけだ。既に私が生れる以前に日本語の体系は完成されていたのであり、私が日本語を独自に発明したのではない。
 例えば需要があるから供給があるということが今度は社会内での前提であるが、だが寧ろそれは建前であり、企業は予め一定の年齢層や性別、あるいは職種にまで踏み込んで需要そのものを創り出し、それに沿って供給を設ける(そのためにPRが存在する)し、政府は年間の国家予算の計画を立ててそれに沿って政権を運営し(その号令が官僚によってなされても政治家によってなされてもそれは我々には直接関係ない)、各省庁に対して号令をかけるわけだ。
 つまり社会とは言ってみれば、このように生物学的順序、つまり行為の因果論を全て逆さまにしたものである。結果を想定して原因を作り出すと言ってもよい。つまり人工ということは因果関係においてさえ生理的自然とは相反する順序を強いるものなのである。
 そのことを念頭に入れて永井の次の論述(「翔太と猫のインサイトの夏休み」<ちくま学芸文庫判を利用>第三章 さまざまな可能性の中でこれが正しいといえる根拠はあるか 中 3、意味は存在しない より)を読んでみよう。

「さっきから疑問に思ってたんだけどさ、・・・・・・そもそも、ものごとがわかるってことはどういことなの?わかったと思い込んでも、ほんとうはわかってなかったってこともあるよね?だとすると、ほんとうにわかったっていえるのはどういう場合なの?それとさ、同じことかもしれないけれど、さっきから疑問なのは、意味がわかるってことなんだよ。相手の信念とか考えは、意味がわかりあえているって前提のもとで、相手に聞いてみれば、わかるよね?でも意味を聞いてみることはできないじゃん。聞いてみたってその答えの意味がまたわからなきゃ、またその意味を聞かなくちゃなんないだろ?聞いてもみないで、こっちが勝手に分かったと思い込んだって、ほんとうにわかってるのかどうかわからないし・・・・・・」
「意味って問題を考えるうえでいちばん大事なことは、まず意味は主観的なものじゃないってことを知っておくことだね。よく作家なんかが、自分の文章が入試問題で使われて、正解とされた答えがまちがってた、とか文句言ってるけどね、あれはおかしいよ。入試問題は文章の一般的な解釈力を試すんだから、一般的な解釈力を持った人の一般的な解答が正しいんで、作家自身の解釈が正しいわけじゃないんだから。そもそもね、文章を書いた人や言った人は、その文章によって言わんとすることってのがあるから、自分の発した文章がそれを言えているはずだって思い込みやすいんだ。書き手や話し手がその文章によって言わんとしたことと、その文章が客観的に言ってしまっていることは別だからね。
 翔太がね、チワワとコッカスパニエルの区別がつかなくて、どちらも単に小さい犬として思っていなくても、翔太が口に出した『チワワ』とか『コッカスパニエル』という言葉は、客観的に存在する区別を意味しちゃうんだし、翔太が相対性理論量子力学を、両方とも単に物理学上のむずかしい理論としか思っていなくても、口に出したとたんに『相対性理論』はアインシュタインが発見して、いま物理学の専門家が知っている理論内容を意味してしまうんだ。(184〜186ページより)

 ここで永井が示していることは只単に意味の解釈についてだけではない。それはある意味を意味する語彙を使用するということについての責任倫理についてである。そして私が序において示したある文章がその文章を書いた人の思惑とは別箇にそれ自体が主張する真理を伝えるということである。「意味がわかりあえているって前提のもとで」という箇所は既に前ページにて永井によってドナルド・デヴィドソンの考えた(この本では名前は出てこないが)『チャリティ原則』ということだと説明されている。
 つまり私が引用前の今回の解説で述べたようにまず社会とは結果とか目標というものが設定され、その目標の数値に近づけるために皆努力し、勤労するという事実は、実は言葉を使用するという段で既に実践されている、ということである。言葉とはその言葉を使用する人によって疑問に思われることを問い詰めていくためのものではない。言葉とはある語彙の意味するところが相互に伝達されることで、意味が理解し合われるものである。従って哲学や思想においてその語彙の持つ意味自体を問うという行為は、特殊な行為である。だからこそ言葉や言葉が意味するところ自体を問うということが、ある部分では高次の行為でもあるが、ある部分ではそれは排除されていかねばならない、つまり現実社会では意味が『チャリティ原則』に沿って援用される、つまり伝達されることの方が重要ということになるのだ。だからもし伝達された意味を語彙自体が理解出来ても、その語彙の意味自体が理解出来ない時にはその意味を辞書で一人で調べたり、他人に問い質したりする必要が逆にある、というもう一つの責任倫理についてもここで示されている。
 しかしこの論述においてもっと重要なのは次の箇所である。

 でも意味ってもののとらえがたい秘密はね、よく知ってるつもりで、毎日使っているもっとやさしい言葉でも、自分が使ってる言葉の意味なんてほんとうは知らないからなんだ。よく国語の試験でさ、何々って言葉の意味を書けってのあるけどさ、あれはね、簡単な言葉ほど難しいだろ?『青い』や『小さい』や『気持ち』だって、そうだろ?でも、ぼくらは毎日のように、そういう言葉をちゃんと使ってるんだよ。」
「そう言えばそうだね、どうしてなんだろう?」
「どうしてかって言えばね、言葉の意味なんてものは、ほんとうはないかもしれないからだろうな。初めから言葉で定義された難しい言葉は別だよ。科学用語とか、法律用語とかね。そうじゃなくて、自然に身につけて使えるようになってきた言葉にはね、本来、意味なんてないのさ。国語辞典に書いてあるのはね、あれはこじつけ。ほんとうの意味じゃないんだ。ほんとうの意味ってものがあるとすればね、それは実際に使っていることの中に示されているだけなんだから、そこに示されいるものを、自分が語るなんてできないのがあたりまえなのさ。」
「そんなら、国語の問題はまちがってるの?」
「その言葉がわかってるってるかどうかのテストとしては、明らかにまちがっているね。国語の先生たちは『意味がわかる』ってことの意味がわかってないんだ。言葉を完璧に正しく使えても、意味を語るってことができない人のことをね、『意味自覚障害』っていうとすればね、意味自覚障害者は国語の成績は悪いかもしれないけれど、日常生活ではぜんぜん不自由しないんだよ。」
「・・・・・・っていうことは、言葉の意味がかわるっていうのは、その言葉が実際にちゃんと使えるってことでしかないってことだね?」
「実はね、言葉だけじゃなくて、知覚だって、行為だって、何だって同じことなんだ。たとえば、何かが見えるっていうことはね、それが見えてるんじゃなきゃできない仕事が実際にできるってことなんだよ。そのことの内に示されることなんだよ。自分には何が見えてるかを自覚しているってことじゃないんだ。まして、それが口で言えるってことじゃないんだよ。知覚じゃなくて行為だって同じことさ。何かができるってことは、まさにそれがやれるってことで、自分がどうやってしているかが説明できるってことじゃないんだ。
 見えてる人じゃなきゃできない仕事はできるけど、何が見えてるかを自覚してはいけない人のことを『知覚自覚障害』って呼ぶとするとね、それから、行為ができるけれど、自分が何をどうやってやっているかはわからない人を『行為自覚障害』って呼ぶとすればね、こういう障害者は、重度の障害ではないんだよ。それどころか、どんな自覚的な人だって、みんな、結局はどこかで必ず、自覚障害的に生きているんだよ。
 むしろね、逆の欠陥の方がはるかに重大だと思うよ。逆っていうのはね、言葉の場合なら、言葉の意味を言うことはできても、その言葉をふつうにちゃんと使うことができない人のことだな。これを『意味実践障害』とでも言っておこうか。知覚の場合でいえば、何が見えているかはよーく自覚しているんだけど、それが見えていることを前提とした活動は何一つできない人が『知覚実践障害』だ。行為の場合だと、何をどうやるかは完璧に説明できるんだけど、実際にはやれない人が『行為実践障害』ってことになるな。言ってることわかる?」(186〜188ページより)

 永井によって行為実践障害と呼ばれている者とは、端的に前回の養老による論述内で示されていた師匠と弟子の関係でもよく理解されることだろう。つまりある職人とはあるものを作ったり、動作したりすることで職務を全う出来るとすれば、最初に個性を掴むのではなくまず基本的にどういうものを作り、どういうことをするかということをマスターする必要がある。だがそれをするためには特殊な創造や行為のための理解、つまりどうすればどうなるか、道具や素材を使って創造する時には、その仕組みについて理解しておく必要があるけれど、それ以上になるとやはりその創造の行為を巧く実践出来なければいけない。しかし我々は障子を開け閉めしたり、雨戸や扉を開け閉めしたり、テーブルを拭いたりすることは難なく出来るが、そのようには創造(家具を作ったり、彫刻を作ったり)は出来ないし、そこまで行けば掃除機とか冷蔵庫とかのような道具の使用仕方というレヴェルではない。だから我々はそういう特殊な技術に関しては大半が行為実践障害者集団である。しかしそれは逆に社会的ロールによって我々は各専門分野毎に専門家に委任している。だから職人とか専門家とは端的に全員、非行為実践障害者であるが、同時にある行為を難なくこなすことが出来るということは逆に、行為自覚障害者である、ということになる。だから極端な例としては、人命に対する尊さを知らない人間がいて、どんどん人を殺すとすれば、それは倫理に関して行為自覚障害者である、ということになる。
 知覚実勢障害とは車が自分が渡ろうとしている信号のついていない横断歩道に突進してきた場合、咄嗟にそれを除けて歩道に引き返すことが出来ないという弊害を齎す人のことである。
 だから最初の意味自覚障害者でなければ意味を我々は伝達することが出来ないという社会的現実のことを永井は言っているのである。
 しかしここでは触れられていないが、常に哲学的夢想ばかりしていて、一切の意思疎通の出来ない人間がいたとしたら、それはまさに意味実践障害者である、ということになる。それを本当は永井は一番強調したいからこそ、「言葉の意味なんてものは、ほんとうはないかもしれない」に意味が生じるのだし、「むしろね、逆の欠陥の方がはるかに重大だと思うよ。逆っていうのはね、言葉の場合なら、言葉の意味を言うことはできても、その言葉をふつうにちゃんと使うことができない人のことだな」とぼかしているが、実際にはこの部分こそ倫理学者として永井が最も強調したいことのよういに思われる。
 それは養老による様々な論文において「自分探し」をするな、という若者へ向けた餞の言葉にも合い通じるのである。
 我々は人が溺れかけている時に、溺死とはどういう意味かという事を問うていてはいけない。しかしそういう時に泳げる人は咄嗟に水の中に飛び込み、それが出来ない人は誰か助けられる人を呼ぶという行為を採るだろう。その行為は溺死ということの意味を我々がそういう場合以外の日常で学習しているからである。
 これは言葉が一つの社会的行為、社会行動のための道具である、という現実認識と共に、言葉の意味を問う心の余裕は失ってはいけないが、そうかと言って言葉の意味を問うだけで行動も行為も伴わないということの問題点も突いていると言える。だから言葉自体の存在理由や、言葉の意味への問いとはそれ自体倫理的な問いということになるのである。
 次回はそのことを念頭に入れて、言語習得ということを巡ってなされている養老と永井の論述を引用しながら考えていってみたい。

第一章 思想や科学と哲学とは壁を乗り越えられるか?②言葉とは倫理の発生である(1)

 私たちは物事を考えるのに必ず言語的な思考を巡らす。だからどんなに自分で全て考えていると言っても、どこかで規制の約束事に縛られて考えているとも言える。つまりそういう風に自分なりの考えを出そうと思えば思うほど、それは自分だけの考えではなしに他の誰であっても同じように考えるだろうという風に結論する。つまり考えというもの自体に既に「自分にはそう思えるという気持ちもあるけれど、他の誰かに告げたら、その気持ちは理解して貰えないのではないか」という目測が介入してしまう。
 つまりかつてヴィトゲンシュタインが「哲学探究」において感覚日記というものをつけたことに対して、しかし彼が一切それを自分独自のものであると彼が思いたくても思えないという風に結論したことは永井論文からの引用文においても示されていたが、要するにそういう風に言語的規約を自分になりに作ったとしても、その規約を設けること自体に既に自分を「一個の他人」として扱う視点が介在しているのだから、必然的に我々はそれを仮に自分以外の誰に示しても理解されるように、という思考を働かせるのである。つまり端的に「自分に分かるように」ということは「自分以外の他人にも分かるように」ということなのである。それは要するにある感覚日記を仮に私はつけて、ある日に味わった固有の気分をAならAと名づけて、実際にはそれと同じ気分を数日後に味わった時やはり私は日記にAと記すとしよう。するとその二度目にAと記す時私は最初にAを味わった時のことを「最初にAを味わった自分」という風に解釈している、つまり今ではないという形で他人化した自分がつけたそのAと今は同じ気分だ、ということを「過去の他人化された自分と今の自分はしかし所詮同じである」という風に今の自分が過去の自分と同じであることを確認する、つまりアイデンティファイする意味で記している。それは端的に同じ自分でありなら、過去の自分を他人化することによって自分がそのAという記号を理解するということを、自分内部で自分にだけではない、つまり自分の中の他人に向けて発進しているのである。
 つまりもっと簡単に言えば三回目にAと記す時には、最初と二回目のAを記した時の過去の自分という自分の中の他人と同化しようとするわけであり、それはその時々で今の自分だけが絶対的な自分だということを知りながら、自分であったもの、としての過去の自分という他者から見て今の自分という風に理解することによって同じ過去の自分にも理解されるように自分で規約を設けているのだから、必然的にそれを私以外の他者に説明したら、それを理解して貰えるように記しているということになるのである。そうでなければ私は最初に記したAも二度目に記したAも何の意味か今の自分からは分からないということになる。そうではないということは過去の自分の今の自分への説明としてのAを理解し、過去の自分へ今の自分が「今もAという気分だ」と告げることを選ぶ際には、明らかに過去の自分という今の自分から見た他者に告げているということになる。それは自分以外の他者にもそれなりに理解して貰えるように説明すれば理解して貰えるという可能性の中で全ての記述を行っているということとなるのである。
 もう一つ重要なことを考えておく必要がある。それは何故そのようにAという記号を私は記そうとするのかということだ。それは端的にその時にそういう風にAという気分だったと記すことをしなければ、私が暫く時間が経つと、一切そういうことを忘れてしまうということを意味している。
 つまりあらゆる記述とは端的にそれを記述しないで済ませたら、一切記憶に留めておくことが困難である、という将来への目測があるということだ。
 これは全ての言語行為に備わった至上命題である。つまりだからこそ私はAという記号を固有の私の中の気分を表わすために利用したのである。すると私はある意味ではこのAという記号利用という独自の仕方を通して、実は人類が何かを記録するということの起源を遡ったという風にも解釈出来ることとなる。記述するということは文字や記号を記録することだからだ。
 そして全ての記録とはその記録された内容が過去のある時点にあった、ということを未来のいつの時点かは定まっていても定まっていなくてもいつかは必ずそれをもう一度読むということを前提して書かれているということだ。つまりその記録を読むということの内には、それを読まなければその内容が書かれた過去の時点のことは容易には思い出せないということ(それが日記であればであるが)であり、読ませるのが他人であれば、その事実を知っている者は記録した者だけだ、ということになる。
 つまり全ての文字、記号による記録とは、その記録をした時のことを時間の経過と共に人間が忘れ去るということを前提としているということだ。
 そして忘れるということを恐れるということこそが記憶させたままにしておくことが無難でよかろうという判断となって記録しておこうという決定になっているのである。それは端的にそれを記録した者が自分であれ他者であれ、誰かであること、つまりその同一性において人格を認可し判断しているということを意味する。もし人類にとって時間が経過して一切の過去の人格によってなされた行動の責任を取る必要がないのであれば、言語は今のような形ででは秩序だっていず、全く異なったシステムにおいて用いられていたことだろう。過去に誰かを殺したことがあったとしても尚我々が「それは過去の私であり今の私ではない」の一言で済ませられるのであれば我々に文字などというものは必要ないことになる。文字にはその時点で既に個というアイデンティティということを記すという意味合いが含まれている以上、責任と無縁なことではないのである。あるいはそのことに対する自覚なく何かを記すことがあっても起源的にはそういう人間の無意識の判断から言語が生み出されてきたと考えることは出来る。
 それらのことを踏まえて、まず養老が述べていることを再び「スルメを見てイカがわかるか!」から解析してみよう。

 若い人はとくにそうだと思いますが、自分の心というのは自分だけのものだと考えているのではないでしょうか。それで個性だとかオリジナリティだとかを主張する。たとえば学問をやるんだったらオリジナリティが非常に大事だと。しかしほんとうにオリジナルな考えで、ほんとうにオリジナルな感情で、ほんとうにオリジナルなことをしたら社会はどうなるか。そういう人をたくさん知っています。そういう人は全部精神科のリストに入っているというのが私の経験です。結局、いうことで、することで、感じることで、他人と共感しない限り、他人が共感してくれない限り、実は意味がないのです。意味がないどころか、しばしばそれは排除の対象になります。(第一章 人間にとって、言葉とは何か 中 個性の成り立ち、17ページより)

 ここで養老は確かにオリジナルであることは価値であると我々があまり言葉の意味をよく考えもせずにそう言うこと自体への警告とも受け取れる発言をしている。ここで養老が述べているオリジナルな言語があるとすれば、それはまさにヴィトゲンシュタインが考えていた私的言語ということになるだろう。つまりその文字も記号も全く何を意味しているのか、後で書いた自分さえ理解出来ないとすれば、それこそそれを私的言語と言っていいかも知れない。そして私が引用の前でした思考実験で示したような意味で過去の自分が現在の自分と同一である、という認識がもし人間にないのであれば、恐らく言語は我々が利用しているのとは全く異なったシステムとなっているだろうが、そのようなシステムの言語がこの養老の記述におけるオリジナルな言語と言っていいかも知れない。
 更に養老の論を見ていこう。

 だから、個性を求めるアイデンティティという言葉が英語のままカタカタになっていて、日本語にならないのは、当然のことなのです。日本の文化の中で若い人にアイデンティティ、自己というものを求めるのはおかしいのです。日本ではむしろ「師匠のやるとおりにやってみろ」といいます。お稽古ごとややった人は誰でもしっているはずです。お茶であろうが、お能であろうが同じです。(上と同じ)

 ここで養老は一応日本文化に話しを限定させて、アイデンティティという語彙の深い意味を日本人がよく知らないということを前提に話を持っていこうとしている。更に先を行こう。

 師匠のところへ行って鼓を打ってみる。師匠は何というでしょうか。「ダメ」と一言。何ヶ月か練習して打ってみる。「ダメだ」。まだダメなのです。それでその何回目かぐらいに、または一年目か二年目に、ある日師匠が「良し」という。本人は何で「良し」といわれたのか分からない。でも、まあ、これでいいなら・・・・・。そういう調子でやっていくのです。そうやってマネをしていくと、絶対におたがいにマネができないというポイントがいずれやってくる。師匠にしてみればどうしても弟子を変えることができないし、弟子にしてみればどうしても師匠のマネができない。これが両方の個性です。そこまでつきつめないと個性というものは生れてきません。これが本来日本でいっている個性なんです。経験的に個性を定義していけば、ギリギリつめたところで成り立ってくる他人との違いであって、それは日本語でも同じでまったく共通です。人間の脳というのはそういった意味で、共通性を高めるようにプレッシャーをかけてきたのです。(上と同、18ページより)

 ここで養老は個性というものを意味として受容し得る可能性を敢えて、厳しい習い事の修練過程において例証しながら、しかしその実共通性を基盤としているからこそ個人間の差異が現出してくるのだ、ということを言いたいために師匠と弟子の関係を持ち出している。ここで一番重要なのは「そうやってマネをしていくと、絶対におたがいにマネができないというポイントがいずれやってくる」である。マネできない個性を現出させるためにこそマネという行為に意味があるということだ。これを先ほどの言語の話に再び返すと、こういうことになる。
 つまり過去の自分が感じたAという気分はある期日に感じられていて、その時に何をしていたかを自分が覚えているとしよう。するとそのAという気分が出現した日の状態と、今まさにAという気分が出現している時の状態とではまるで異なった性格のものであり、異なった生活状況であるとすれば、そのAという記述は同じAという基準を設けることによって、同じ自分の中で異なったタイプの気分の現出のさせ方を、今の自分と過去の自分との対比によって知ることが出来る。それは同じ自分における共通性を通した異質な性質を見出すということである。自分の中にあってそれまで知られていなかった異質性、つまり他者を発見することである。
 それは他人との間でも援用出来る。同じことを取り敢えずやってみようとするから、或る時点からは全く違った仕方でしか出来ない局面に遭遇するということである。
 更に養老の論を見ていこう。

 だから数学や哲学が最初に学問で出てきました。ソクラテスが典型的ですが、哲学とか数学は、論理的につめていったら相手がそれを認めざるを得ないという力を持っています。これを私は強制了解といっています。つまり、何かをいわれたときには、それは共通の了解性を持たなければいけない。
 次にそれがもう一段進んで、数学や哲学の学問が尊敬されたのはどうしてか。強制了解性を持っているからです。「お前もそう思っているなら、これは分かんなきゃダメじゃないか」。こういうことがいえるような言葉を使っているのです。
 その強制了解性が更に進むと何になるか。それが自然科学です。科学は「実験室でこうなっているのからしょうがない」ということで更に強制できます。数学とか論理とかだけであれば、「それは理屈でしょう」と横目で無視できます。しかし自然科学は、現物を作ってきて「ほら、動くじゃないか」といわれると、これはもうバンザイするしかありません。そういうふうな形で人間の社会というのは進んできたというか変わってきたのでしょう。
 自然科学は別ないい方をすれば権力ともいえます。この権力にはいろんな現れ方がありますが、要するにそれは他人を思うようにしようとする気持ちです。そういう動機で科学をやっている人は少ないでしょうが、科学がしばしばそういうふうに使われているということについては注意が必要です。(上と同、18から19ページより)

 ここで養老が述べていることは、実はかなり本質論的なことである。そしてこの強制了解ということが実は一番重要なポイントである。それは永井による「<魂>に対する態度」中の前回引用した部分の後続論文中の部分においても示されているし、永井哲学の骨子の一部であるところの言語習得と期を一にして考えられる自―他ということ、そして私というものの獲得と、それに伴って捨て去っていかねばならないことを言語行為における概念的使用という一般化において考える屋台骨となる考えでもあるのである。次回は永井論文からその部分を引用して養老理論と重ね合わせて考えていくこととしよう。今回は触り程度しか触れられなかった倫理の問題に更に焦点化して論じていくこととしよう。

第一章 思想や科学と哲学とは壁を乗り越えられるか?①言葉とは何か?

<今回から一切敬省略>
 養老孟司は共著や監修なども含めれば都合120冊位を優に超える著作物をものしているので、その著述家としての全貌を把握するということは途轍もなく大変なことだし、またそれは私の任ではないと自認しているので、私の側から問題意識を共有出来る部分のみを抽出してこれから捉えていこうと考えている。そこで私自身が最大の関心を持っている言語、そしてその制度的な構造と、そのことに対する問いという位相から捉えていこうと思う。
 ここに一冊の対談本がある。それは角川書店の新書版である角川ONEテーマ21の「スルメと見てイカがわかるか!」である。対談相手は脳科学者の茂木健一郎である。
 そこからまず第一章 人間にとって,言葉とはなにか から対談の第二章 意識のはたらき に入る前の部分から対談へかけて部分乀で重要箇所を引用してみよう。少し長いのだが本論において極めて重要な指針となっていくものなので、辛抱して読んでいって頂きたいのである。

言葉と脳進化

 言葉のことを論ずるには、二つの方法を考える必要があります。一つは脳の中から言葉が生れてくるメカニズム。これはいってみれば脳の問題です。
 ところが言葉というものは、もう一つ、日常あまり意識されない性質を持っています。それは「外に出されている」という性質です。言葉はわれわれの外にあります。
 たとえば、私は生れてきて、しばらくして日本語を自然に覚えました。私が日本語を覚えたときには、すでに日本語があったのです。実態に即した表現をすると、私は自分の脳を日本語に適応させた。言葉を習うということの根本にあるのは、すでに存在している言葉に対して自分の脳を合わせるということです。適用させることができるということです。
 そこには、子供が生れてきて、言葉ができるかできないかという大問題があります。現在、子供が生れてきてしばらくして言葉が使えないことがはっきりしてくると、多くの場合、施設に入れられると思います。逆にいうと言葉は、社会、そして社会を構成する人の前提条件になってしまっているのです。
 言葉がしゃべれないというのは、言葉をしゃべる能力がないのか、言葉をしゃべる気がないのか。恐らく自閉症などのかなりのケースは、言葉をしゃべる気がない、必要を感じないのでしょう。自分の頭をそれに適応させる気が起こらないのかもしれません。
 数学もまた一つの言語です。もちろん非常に不得意な人もいます。数学が得意でないというのはどういうことか。
 むかし、家庭教師をやったときに、「2A引くAは2」という学生がいました。「2AからAを引いたから2だ」という。たしかにそのとおりです。文字どおり2AからAを取る。だから、これは間違っていると説明するために、「お前さんのいうことは国語として正しいけど、数学として間違ってる」とやらなければいけない。
 「2AからAを引いたら2だ」というのは、その子の論理ですから、それを壊して、「別な約束事で数学ができてるんだよ。この表現は、数学としての約束事をとれっていうことなんだよ」と教えてやらなければいけない。そんな約束事を誰が決めたんだと考える子供だと、結局どんどん受け入れられなくなっていき、結果的にそれができないということになってしまう。最初の約束事を飲み込まない限り、数学はできないんですよ。そうやって数学が嫌いになったのが、数学が得意でない人です。
 ところが言葉の問題の方は数学と違って好き嫌いの問題でなく、これに入れないと人間社会から排除されてしまう。
 ここに脳の進化の方向を決めてきた一番大きな要因の一つがあります。脳の働きは言葉によって共有されているのです。日本語について考えてみましょう。私は日本語の文法を自然に使っていますが、これはみなさんも全員使っています。私がいなくなると日本語の文法が変わるかというと、そんなことはない。ぜんぜん変わらない。つまり、脳の中に言葉が入っているのではなく、じつは脳の外に言葉がある。脳の機能を上手に使っているのです。外にあるのは、声や文章です。これは私の頭の中だからといくらがんばっても、どうしようもありません。(8から11ページより)

言葉は止まっている

 最近は機械が発達し、じつにたちの悪いことが分かってきました。言葉というのは、しゃべっているときはすぐになくなると感じますが、じつは絶対になくならない。テープレコーダーに録ったら止まってしまう。100年経って聞いても、同じことをしゃべっている。ところがさっきしゃべっている話をもう一回ちゃんと繰り返してみろといわれるとこれは難しい。さっきと同じ話は絶対てきません。
 人間と情報の一番大きな違いは何か。情報は、はなから止まっているけれど人間は動いているという点です。人間はいつでも動いていて、二度と同じ状態がとれない。そういうものが人間です。人が生きているというのはそういうことなんです。
 そして情報。あらゆる情報は全部止まっている。言葉もまた止まっている。今日のテレビのニュースを、ビデオに録って五〇年経って見る。ちゃんと同じように映る。今日のニュースは一見動いているように見えますが本当は止まっているのです。
 五〇年後にテレビの中でニュースをしゃべっているアナウンサーはどうなっているか。人によってはお墓に入っている。人によっては白髪になっている。ヨレヨレになっている。
 人間はひたすら動いているから逝ってしまいますが、ニュース、情報はそのままです。
 ロボットは止まっていると考えれば、それは情報に近い。しかしここで問題になってくるのは、むしろ逆に、生きているということは、そういうふうに二度と同じ状態はとれないという点です。時々刻々と変化する。しかし恐らく現代社会においては、われわれが時々刻々と変化するというふうな印象を持つことはありません。「人間は変わらないけれど、情報は毎日変わる」と思っている。ちょうどその逆になっている。そういう逆なところから話をするから分からなくなるのです。
(中略)
われわれが扱っている相手は二つあります。一つは停止したものとしての情報。もう一つはひたすら変わっていくものとしてのシステム。言葉というのはその情報の方に属しています。(12〜14ページより)

スルメからイカがわかるか?

 現在の科学では、専門の科学者によって運営されています。じつはこれが大きな問題なのです。専門の科学者というのは、論文を書く人であって、生物学者であれば生物を題材にして論文を書く。生物を題材にして論文を書くことが必要なのです。論文を書かなければ学者として認められず、評価されない。研究費がこない。仕事になれない。だから論文を書くのです。
 ところがその作業をよく考えてみると、論文を書くというのは、生きたシステムとしての生き物を止めてしまうということです。ページに書いてある、論文に書いてある言葉の羅列を生き物だと思う人はいません。すでに生き物が情報となって止まっているのですから。
 そのことをしみじみと感じるのは、患者と検査データの違いです。病院の外来に行くと、若い医者もいます。彼らの中にはパソコンの画面と検査の結果を書いた紙と、MRIとかX線の写真を見て、患者の顔を見ないという人がかなりいます。実際に、お年寄りのお母さんを連れて外来に行った娘さんはこうこぼしていました。「先生は診断している間に、一度も私の母の顔を見なかった」。
 生きたものを使えなくなっているのです。生きたものは不潔で、あてにならなくて、怖くて、ややこしい。でも情報化したものはきれいです。言葉もそうです。紙の上にきれいに並んでいるから、処理がしやすい。それに対して患者はいろんな問題を起こす。診察している間中うろうろと落ち着かなかったり、急に怒り出したりとか、気に入らないことがいっぱいある。それに比べれば検査のデータというのは非常にきれであり清潔です。ところがそれを生き物と錯覚しているところがあるんです。ここでも話がまったく逆転しています。生きているものはもうちょっと変なものなのです。
(中略)生物というのは動いている。しかしその動いているものを止めないと論文にならない。ここがポイントです。非常にやさしくいうと、イカをスルメにするのが生物学です。スルメは止まっている対象物で、イカというのは生きている対象物です。
 なぜそういう表現をするかというと、私が解剖を長年やってきたからです。解剖をやっているあいだ中、「あんた、人間加工して、人間のこと研究しているっていってるけど、それはスルメからイカを考えてんじゃないの」といわれ続けました。もっとはっきりいう人は「スルメを見てイカがわかるか」と表現します。
 私が大学に入るくらいまでは「大学に行くとバカになる」というのは世間の常識にあったのですが、このことがいまになってよく分かりました。イカをスルメにすること、つまり生きて動いているものを止めることはうまくなる。そして止まったものを、情報処理することは非常に上手になる。しかし生きているものそのものに直面するというか、そういうものをほんとうに相手にして扱うということは下手になるような気がします。(14〜16ページより)

 言葉には具体性がない

 われわれはごく普通に言葉を使っています。しかしその言葉というものには、ものすごく具体性がない。たとえば「私んち」とか「うち」という言葉は通用しますが、「うち」という言葉は一人一人が使っている。ちょっと考えてみましょう。みなさん方のほとんどが「うち」といっても分かると思います。しかしその「うち」は全部住所が違って、家としての形が違って、家族が違っている。それなら「うち」という言葉はどうして成立するのか。このぐらいに共通点が少ないものなのです。
 一方家族が意識している「うち」というのは、はなはだ具体的な「うち」だと私は思っています。家族はこれとこれとこれのメンバーで、場所はここ。そうすると動物が「うち」という概念を理解しないのは当然になってきます。おそらく私んちを「うち」というと、お前さんちは「うち」じゃねっ、と犬はいうでしょう。そういう意味では、人間の場合は七割ぐらいが抽象化されています。そもそも言語自体が非常に抽象化されているのです。(後略)(22ページより)

 発生における制約

養老 みんな同一性の問題など、分かりきっていると思っている。だから、この話は、ゆっくり聞いてもらえないんですよ。「養老は落ち着け。俺がしゃべるから」と言って(笑)。
茂木 途中から何か言いたくなるんですね(笑)。
養老 そうなんですよ。だから結構難しいんです。上手に言うのは(笑)。
 おおざっぱにいえば、いま考えている言葉の問題というのはひとつはそこなんですね。いろいろ応用ができるんですよ。世界全体が動いているんだけど、言葉というのはそこにはまっている「たが」ですから。そうすると、むかしの人がいってることがよく分かるんです。「言葉はあまり使うもんじゃない」とか「黙ってろ」とか。そういう話というのは、言葉は非常に動かしがたいものであるというところからきてると思いますね。
 言葉というのは、確かにそれ自身が動かしがたい。同一性だから、うっかり動かせないんです。リンゴのイメージが変わったからって、「リンゴ」という言葉を変えようというふうにはいかないんですよ。言葉を使って生きるということは、言葉をなりたたせているそのような制約に自分の脳を合わせるということになるわけです。
 言葉を持たない子供は確かにいますけど、そういう子供だって考えてないわけではないんです。能力的には、いろんなことができますよね。だけど、ある年齢を過ぎるともはや言語が獲得できなくなる。どうして言語ができなくなるのか。おそらく脳が反応しなくなって、その種の制約をもうかけられないんですよね。要するにある種の制約がかかることは、脳が発達して、言葉を獲得する上で重要だということになる。(後略)(37〜38ページより)

 ここで養老は一つに、言葉とは道具であり、それ自体は何かを表現した途端に止まってしまう、つまり真理化された表象となる故、それは常に変化し続け、考え方も、考える内容も刻々変えている人間と同じではないが、その落差を承知していても、我々はつい言葉によって得られた真理の方を大事にしてしまう、ということを言いたいのである。それは科学者にとっての論文ということでよく示されている。
 つまり言葉とはそれ自体止まっている、変化し続けはしないという性質の故、変化し続けること自体が仮に生きているということの定義の一つであるとするなら、必然的に人間が生命を持っていることとして生きていることに対して「死んでいること」になる。
 しかし我々はその「死んでいること」を糧にしなければ、一切の意思疎通を行えないし、一切を決定することも、相手を理解することも出来ないということである。
 このことはでは哲学者である永井均においてはどう捉えられているのだろうか?
 又長くなるが、永井の論文「<魂>に対する態度」から抜粋して永井言語論として主張が明確に理解出来る箇所を掲載しておこう。永井はこの本の中で 1 ヴィトゲンシュタインの<感覚>とクリプキの<事実> においてこの二人の二十世紀の巨人の関係をクリプキヴィトゲンシュタイン解釈自体がヴィトゲンシュタインについて、という部分からではなく、解釈自体が素晴らしいと考えている多くの論調に対して、そうではなくあくまでヴィトゲンシュタインについての解釈としても的を得ているのだと主張した後で、次のように記述している。

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 以上はクリプキの議論に対する私なりの、しかもきわめて大ざっぱな要約であったが、ここで、この議論展開の中で彼が示した二つの論点にとくに注目したいと思う。第一は、私的言語論(私的言語の不可能性の論証)は、規則順守問題に関する懐疑論パラドックス懐疑論的解決(規則に従うことの私的モデルの否定をふくむ)を、感覚言語へ適用したものにすぎない、という論点である。第二の論点は次の引用文に示されている。「もしある個人がじゅうぶん多くのテストに合格したならば、共同体は彼を規則に従う人(a rule follower)として認め、共同体は共同体が彼の反応を信頼することの上に成り立っているような相互行為に、彼が参加することをゆるすようになる」。さて私は、さしあたってまず、この第二の論点を強調することによって、第一の論点を否定するところから出発したいと思う。
 もし私的言語論が、規則順守の関するパラドックス懐疑論的解決(にふくまれる共同体説)の系にすぎないのであれば、私的言語をめぐる問題のすべては、たとえば「痛めったさ(paicle)という例によって説明されるはずである。「痛めったさ」とは他の場所では「痛み(pain)を意味するが京都ドイツ文化センターの中では「くすぐったさ(tickle)を意味するような概念である。もちろん私は京都ドイツ文化センターの外で「痛み」という言葉の使い方を学んだ。ある日、私は生れて初めて京都文化センターの中に入り、そこで痛みを感じたとする。自信をもって「痛い」と言う私に、例の懐疑論者はこう問うであろう。君がこれまで「痛み」によって意味してきたのは実は「痛めったさ」だったのではないか、だからいま君は「痛い」と言うべきではないのではあるまいか、と。そしてもちろん、ここでもまたこの懐疑主義者は論駁しうるような<事実>は発見できないのである。
 もし私的言語論が規則順守問題の系にすぎないのであれば、これが問題のすべてであろう。だが、果たしてそうだろうか。計算や家具や色についてならば、かりに私が懐疑主義者の言うことを真に受けて、六八たす五七の答えが五であるとか、エッフェル塔の中の椅子がテーブルであるとか、いま目の前にある青いものがグリーンであるとか言い出せば、私の発言は即座に共同体によって訂正され、もし私がなおも執拗にその種の主張を繰り返すならば、私は「規則に従わない人」として共同体から排除されることになるであろう。このような場合、共同体の権威は絶対的である。しかし、内的感覚については必ずしもそうとは言えない。たとえば、私が京都ドイツ文化センターの中で、確かにくすぐられたとする。そのとき、私がいかにもくすぐったそうな振舞いをしながら、「痛い」と言ったとしたらどうだろうか。共同体は、私が「痛い」という語の使用規則を誤ってとらえていたとして、即座に私を訂正できるだろうか。そうではあるまい。私は、くすぐられてくすぐったそうにしていたにもかかわらず、実は痛みを感じていたのかもしれない。そして、私が感じているものが実は「痛み」なのか「くすぐったさ」なのかを確定しうる権威をもつのは、私であって共同体ではない。これは、六八たす五七の答えがいつくになるかを決定しうる権威をもつのが共同体であって私ではないのと同様に、まったく明白なことであると思われる。六五たす五七が実はつねに五であるなどということには何の意味もないが、くすぐられてくすぐったそうにしている私は、実はつねに痛みを感じていた、ということは、少なくとも有意味に想定可能なのである。この点に、単なる規則順守問題に還元できない私的言語論に固有の問題が存在するはずである。
 ここで注意すべき点は、これまでの例で一貫して主人公を演じてきた「私」なり人物は、立派な大人として想定されており、したがってまた、すでに共同体によって「規則に従う人」(「言葉の正常な話し手」・「共同体の一員」等)と認められた人物としても想定されていたはずである、という点である。そうでないような人物、たとえば子供、については事情が異なる。言葉の習得段階にある子供にとっては、くすぐられてくすぐったそうにしているときに彼が感じているものは、必然的にくすぐったさの感覚である。実はそのとき彼は痛みを感じているかも知れない、などという想定に意味を与えることはできない。その種の想定をアプリオリに排除するのでなければ、われわれは内的感覚を表現する言語を習得していくことができないのである。われわれは状況と反応行動という外的基準にもとづいて、しかも大人(つまり他人)に教えられて、内的経験を表現する言葉を身につけていく。この段階で、子供が外的基準とは独立に、大人に教えられることなく、自分で自分の内的体験を表現する言葉を創り出す、などということは想定不可能である。決定権は大人に、つまり他人にであって、本人にはない。すでに感覚言語をマスターした大人の場合とは大いに異なる、と言わねばなるまい。ここで私は、いわゆる私秘性(privacy)を二つに分類する必要性を感じざるをえない。一方は、すでに共同体の一員として認められている主体の内的経験に関する私的性格であり、これを私は個人的であるいは人格的私秘性(individual or personal privacy)と名づけたい。他方は、また共同体の一員として認められていない、あるいはけっして認められることのない主体の内的体験に関する私的性格であり、これを私は超越的私秘性(transcendental privacy)と呼びたい。私の見るところでは、ヴィトゲンシュタインの私的言語論は、この区別をあいまいにすることによって成り立っているのである。まずその点を確認しておこう。
 『哲学探究』の私的言語に関する議論においては、「感覚日記」という話が中心的な役割を演じている。その箇所の冒頭で、想定されている状況を読者に説明するにあたって、ヴィトゲンシュタインは次のように書いている。「私はある感覚(ein gewisse Empfindung)繰り返し起こることを日記につけたいと思っている。そのためには、私はその感覚を『E』という記号と結びつけ、私にその感覚が起こった日には必ずその記号を書き込むことにする。」(二五八)もちろん、ここでの「感覚」は状況や反応行動などの外的基準からまったく切り離されたものとして想定されている。にもかかわらず、われわれはこの状況設定を問題なく理解することができるし、またそうであることを前提としてヴィトゲンシュタインの議論は開始されている。ところが、この「感覚日記」の断章は実に意外な展開を見せて終わるのである。彼は二、三の有名な文章をふくむ短い自問自答の後、次のような修辞疑問文で始まる断章を記している。「『E』をある感覚(eine Empfindung)の記号と呼ぶことにどんな根拠があるのか。というのも『感覚』はわれわれの公共言語に属する語であって、私だけに理解できる言語に属する語ではないからだ。それゆえ、この語を使うには誰にでも理解できる正当な根拠が必要なのである。_そして、それは感覚でなくともよい、彼が『E』と書くとき彼には何かが起こっているのだ_それ以上のことは言えない_、と言ったみたところで何の役にも立たない・・・・・・」(二六一)「E」をある感覚の記号と呼んだのはヴィトゲンシュタイン自身であり、読者は彼の設定した架空の状況を即座に理解した。その記号の使用には「誰にでも理解できる正当な根拠」が確かにあったのである。では、それはいつなくなったのか。
 私秘性を二種に分類するわれわれの観点からすれば、ヴィトゲンシュタインの「感覚」には最初から二義性が込められていた、と言わなければならない。一方でそれは個人的に私秘的な「感覚」を意味しており、その限りで彼の状況設定は誰にでも理解できる意味をもちはする。だが、まさにそれゆえに、彼の導こうとする結論(二六一節)はそこから決して導かれない。他方でそれは超越的に私秘的な<感覚>を意味しており、その限りで彼の導こうとする結論はすでに状況設定のうちに暗にふくまれていることになる。だがまさにそれゆえに、彼は自分の思い描く状況を「感覚」という公共言語を使って描き出すことはできない。彼の根本的な誤謬は、すでに共同体の一員として認められた人格主体のもつ感覚から、外的種基準を除去するだけで、超越的に私秘的なものに達することができると考えたところにある。これは感覚言語に固有の複雑さを無視して、それを規則順守問題の単純な一例とみなす立場である。しかし、そのような単純化が成り立たないことは、外的基準をもたない「感覚」が「繰り返し起こる」ことを「日記につける」という言い方が通用し、誰もがそれを問題なく理解するということのうちに自ずと示されていると言える。言いかえれば、個人的という意味に解される限り私秘的な感覚の同定は可能なのであり、しかもその可能性が一般に承認されていることを前提とするのでなければ、彼は自分の問題を設定して見せることさえできなかったはずなのである。事情は数学や物体や外的知覚の場合と大いに異なっている、と言わねばなるまい。
 意外なことに、むしろクリプキの描くヴィトゲンシュタイン哲学の方が、この難点を免れている。クリプキは注八三において、個人的という意味で私秘的な感覚の同定を、したがってその意味での私的言語の存在を、はっきりと承認しているからである。彼はそこで次のように書いている。「ある個人が感覚言語一般をマスターしたと認められるに必要な諸基準をすでに満たしている場合には、彼がある新しい感覚を同定したと主張したとき_たとえその感覚が公共的に観察可能な何ものにも関連してしないとしても_われわれはそれを尊重するようになる。このことは感覚に関するわれわれの言語ゲームの原初的な部分をなしているのだ。この場合、そのような表明のもつ唯一の『公共的基準』は、彼の誠実な表明それ自体となるだろう」ここでは明らかに個人的な私秘的同定の可能性が認められている。したがって、否定されているのは超越的な私秘的同定ということになるだろう。クリプキはこれを字義にとらわれない(liberal)解釈と呼んで、それがヴィトゲンシュタイン哲学とは一致することを示唆している。だとすれば、私的言語論の特殊性は、むしろクリプキヴィトゲンシュタインにおいてこそ強調されておいることになる。

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 だがしかし、クリプキの言う字義にとらわれない見方を字義通りにとれば、それは私的言語論のみならず規則順守問題一般に波及する論点となるはずである。外界から隔絶された密室でトランプの一人遊びの規則を発明した(と信じている)人物を例にとって考えてみよう。そのような規則を発明する(と信じる)ことができる人物として想定されている以上、彼は当然すでに共同体の一員として認められた主体であろう。だとすれば、彼が同じ規則に従ってプレイしたと主張したとき、やはりそれを信頼するだろう。三度目からは少し規則を変えたと言えば、やはりそれを信頼するだろう。そうである以上、彼が一人で居るとき、彼もまた彼自身を信頼してよいのである。人は個人(あるいは人格)としての自己に対する信頼でしかありえず、共同体を超えた超越的な自己に対する信頼ではありえない。そして私の考えでは、このことこそが共同体説の真の意味なのである。
 だがここで重要なのはむしろ次の点である。この一人遊びを発明した人間がかりにまったくの想像上の人物だったとしても、そのような人物を想定することができ、その想定が人々に理解されうるということの内に、もうすでに_あるいはむしろつねにすでに_共同体の一員としての個人が個人的(人格的)という意味での私的な規則には従うことができる、ということが示されている、という点こそが重要なのである。そうでなければ、一人遊びを発明したこの人物がそのゲームをもう一度行う、という想定自体が理解不可能なものとなるはずである。彼もまた、われわれの共同体の外に出ることはできないのである。クリプキは、ロビンソン・クルーソーの私的言語をめぐるエヤーとリーズの論争に関連して、問題は物理的な孤立ではなく「共同体から孤立しているとみなされた個人は規則に従っていると言われない」ということなのだ、と言っている。だが、そもそもわれわれは「共同体から孤立しているとみなされた個人」などというものを想定することができるだろうか。できるとは思えない。そのような人物、すなわち超越的に私的な規則に従う人物を思い描くということは、実はまったくの狂人を思い描くことでしかなく、そしてその狂人には自分が規則に従っていると信じることもまた不可能だからである。規則に従っていると信じることができるためには、少なくとも「信じる」という語の文法規則に従うことができるのでなければならない。それゆえ、われわれが規則に従っていると信じている人物を想定するとき、その人物はある規則には従っている人物として想定されていることになる。規則に従っていると信じることもまた公共的な言語ゲームに属しており、それができるのは共同体の一員として認められた個人だけなのである。そのような個人が、どうしてその規則そのものには従うことができないことがあしえよう。(82〜90ページより、勁草書房刊)
(後略)

 永井によるこの論説はヴィトゲンシュタインクリプキによる哲学史的寄与という解釈スケールを遥かに超え得る問題提起と命題論的アプローチをしている。そして重要なことは数多くの点で永井論議には養老論議と共通性がある、ということだ。尤も永井論議の方が1991年に、そして養老論議の方は2003年なので永井の方により先見性がある、とは年代論的には言い得るが、問題となるのは、解剖学者にして思想家である養老と哲学者、永井が期せずして同一の命題を保持している、ということはここまで読んでこられた来場者には一目瞭然であろう。
 まず最後に狂人と言っている部分は、養老における自閉症児に部分的には適用出来る。何故なら自閉症児とはある部分では完全なる独我論的な生活を自動的に選んでいるとも言えるからだ。しかし恐らく彼等はやはりそうしながら、永井が完全に「共同体から孤立しているとみなされる個人」ではあり得ないという形で半私的言語実践者たちである。
 しかしある部分では永井による「痛めったさ」という語の共同体有用性について考える思考実験では、クリプキモデルを援用しながらも、何故言葉は共同体において閉塞的ではあってもルールとして通用するかということにおける問題提起である。これは養老において自分が死んでも恐らく言葉は一切変わることなく話されていくという叙述とリンクする。つまり養老の言葉を借りれば脳の外に言葉がある、という考えを適用すると、クリプキモデルでの公共的基準へとパラメーターセッティングすること自体が共同体で生活していく権利を得ていく過程であり、その能力を身につけていく段階において我々もかつて必ずそうだったように永井の言うように大人に全て訓育権があるのであり、子供はその習得自体には何ら疑問を持つことを許されていないという重要な事実にぶち当たる。養老の叙述で示されている動物には抽象的概念が理解出来ないということは、そのことを習得することも出来なければ、その習得したことを糧に疑問を持つこともないということの主張において意味がある。
 つまりその規則順守性のパラメーターセッティングとしての性格を理解しておかないと、我々は後続する永井によるクリプキによるヴィトゲンシュタイン私的言語解釈の命題論的存在理由を知ることが出来ないのである。
 つまり感覚的な日記をヴィトゲンシュタインがつけることを思考実験した時、明らかに私秘性と永井によって命名されたことが、必ず人格的、つまり社会共同体内で強制される(このことについては次回に詳述する)ということにおいて成立しているのであり、超越的なことではない、そして超越的であると思惟する可能性は確かに我々には残されているし、思惟内容としての存在理由があっても尚、それは規則順守すること自体を前提した上でなされる思惟内容である、ということは、ある意味で殺人行為の持つ意味を検証することも辞さないということを、だからと言って本当にそれを実行することのない成員によってのみ論議がなされることを前提している、というかつて中島義道が提起した考えとも全く符号する。
 つまり何を思惟してもいいし、何を創造してもいい、だから痛い時にくすぐったい表情を取ることも、そのこと自体で共同体内に甚大な被害を齎さない限り権利として自由の領域であるが、それはそうすることによって得る社会的評定とか人格的な懐疑を他者から得ることをさえ承知で敢えてする、という意味合いにおいて理解されなければならない、という意味では永井自身は哲学者としてそこまで踏み込んで記述しないことを選んでいるものの、暗喩的には示されているとも言えよう。
 そして最大級にこの二人の記述から読み取られることとしては、言葉が「死んでいるもの」であり、その言葉の延長線上にある脳波を示した診断図のみを見て、患者の表情を確認しない医師への養老による揶揄が持つ意味が科学者としての倫理的な領域への提言としての意味を持っているということを示している。
 そしてその点についても哲学者は決して思想家ではないから、踏み込まない。しかし実際本意として彼等が倫理外的行動を許容している、と言うことも出来ない(そのことは永井による後続の論文記述において詳細に見ていくこととする)。

 ここで纏めておくと、科学者出身の思想家と哲学者の二人に共通しているスタンスは、只単に時代的に全ての学問が人類生存のために共通項を持ち、学際的に無意識の内に思惟しているというようなことでは決してなく、もっと本質論的に、容易に領域の壁を越えて、リンクし得る命題論的な普遍性ということを考えねばならないということである。それは言葉自体が持つ暫定的であるが故に規則順守を厭がおうでも強制するシステムにおいて滅却されていく私秘性ということの持つ意味が、それ自体が尊いものであるとか、思惟内容として価値あるものであるとかを考えること自体が持つ命題論的な意味とは、実は倫理の問題である、ということだ。それは端的に我々が生理的身体論的に付与されているリアリティの中で如何に権利問題としての自由は確保され得るか、ということに尽きる。
 そしてその問題を考える際に重要となってくること、そしてそれこそが本ブログで最もずっと考えていきたいことなのであるが、言葉という「死んでいるもの」を援用することで覚醒する「生きているもの」まさに医師としての養老からも、哲学者の永井からも提起されているこの社会強制的システムにおいて、では生きていることがまずア・プリオリにあって、そこから我々は言葉を習得していき、一旦は私秘性を捨て去らなければいけないが、それは価値として再び取り戻すべきものであるか、つまり私的言語を価値として個人内で死守していくべきことであるのか、あるいはそれは只単に幻想であり、命題論的に言語習得システムの構造を理解するに従って思惟内容として浮上した可能性でしかない、つまり私秘性の方が寧ろア・ポステリオリであるか、ということである。
 この点において患者の治癒を目的とする医師である養老と永井との間には多少の開きが生じてくる可能性は認められよう。しかし当該の命題はそんなに単純ではない。何故なら倫理とはたとえ医師とか科学者、あるいは思想家という立場からも、哲学者とか論理学者という立場からも当然一個の実在者、社会的意味でも精神的意味でも存在者たる個人から出される問題だからである。
 次回はその社会倫理と言語ということの関係から考察していくこととしよう。