サルトルの

Intersecting Voices: Dilemmas of Gender, Political Philosophy, and Policy

Intersecting Voices: Dilemmas of Gender, Political Philosophy, and Policy

数年前に書いたhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060416/1145158222に、「サルトルのどのような著作からなのでしょうか?」というご質問*1
ヤングがIntersecting Voicesで依拠しているサルトルの著作は『弁証法的理性批判』の英訳本;


Critique of Dialectical Reason (translated by Alan Sheridan-Smith) New Left Books, 1976


です。
英訳者のAlan Sheridan-Smithってどっかで名前聞いたことあるよねと思って、本棚を掻き回してみたら、ラカンの『精神分析の4つの根本概念(The Four Fundamental Concepts of Psycho-Analysis)』の英訳者がAlan Sheridanという人だった。この人はフーコーなども英訳しているらしい。Alan Sheridan-SmithとAlan Sheridanとの関係は? ということが気になる人はほかにもいるらしくて、或るフーコー関係のMLのアーカイヴに、


>Trivial question: are A.M. Sheridan Smith (tr. of AK among others)
and>Alan Sheridan (tr. of D&P among others) the same person, are they
related,>or is the similarity of their names just coincidental?

They are in fact the same person. for some reason Alan Sheridan added a
Smith to his name at one stage

clare

Clare O'Farrell
email:c_ofarrell@xxxxxxxxxxx
web page: http://www.qut.edu.au/edu/cpol/foucault/
http://foucault.info/Foucault-L/archive/msg05168.shtml

というpostあり。上のAKはArcheology of Knowledge、つまり『知の考古学』、D&PはDiscipline and Punishment、和訳本のタイトルでいうところの『監獄の誕生』でしょう。
The Four Fundamental Concepts of Psychoanalysis (Peregrine Books)

The Four Fundamental Concepts of Psychoanalysis (Peregrine Books)

See http://d.hatena.ne.jp/mitzubishi/

Stiglitz on Inflation Targeting

Joseph E. Stiglitz “The Failure of Inflation Targeting” http://www.project-syndicate.org/commentary/stiglitz99


スティグリッツ先生*1、インタゲを叱る?
注意点は2つか。
先ず、このテクストは昨年5月、国際的に原油価格と穀物価格の高騰が問題になっていた頃に書かれたこと。それから、インフレーション・ターゲッティングというと、ターゲットまでインフレ率を上げるリフレーションの局面が注目されるが、実はインフレ率がターゲットを超えた場合に金利を上げてインフレをターゲット内に収めるという側面もある。スティグリッツがここで問題にしているのはその局面*2


Today, inflation targeting is being put to the test – and it will almost certainly fail. Developing countries currently face higher rates of inflation not because of poorer macro-management, but because oil and food prices are soaring, and these items represent a much larger share of the average household budget than in rich countries. In China, for example, inflation is approaching 8% or more. In Vietnam, it is even higher and is expected to approach 18.2% this year, and in India it is 5.8% . By contrast, US inflation stands at 3%. Does that mean that these developing countries should raise their interest rates far more than the US?

Inflation in these countries is, for the most part, imported . Raising interest rates won’t have much impact on the international price of grains or fuel. Indeed, given the size of the US economy, a slowdown there might conceivably have a far bigger effect on global prices than a slowdown in any developing country, which suggests that, from a global perspective, US interest rates, not those in developing countries, should be raised.

So long as developing countries remain integrated into the global economy – and do not take measures to restrain the impact of international prices on domestic prices – domestic prices of rice and other grains are bound to rise markedly when international prices do. For many developing countries, high oil and food prices represent a triple threat: not only do importing countries have to pay more for grain, they have to pay more to bring it to their countries and still more to deliver it to consumers who may live a long distance from ports.

途上国のインフレは経済の過熱や貨幣の発行のしすぎによってではなく、原油穀物の高騰による稀少化によって起こっているのだから、各国の中央銀行がいくら金利を上げて経済を引き締めても、原油穀物の国際価格が下がるわけではないので、デフレ政策をしてもインフレを抑えることはできないということになる。ただ、具体的な提案としては、先進国は自国の農業保護の金を貧しい国への援助に回せということくらいしかないのだが。
勿論、このテクストを根拠にして、デフレ局面でのリフレ政策に反対することはできない。

「自閉症」(メモ)

Charlotte Moore “Autism is not a dirty word” http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/nov/05/autism-pierre-lellouche-conservatives-autistic


最近仏蘭西のヨーロッパ担当閣僚Pierre Lelloucheが英国保守党のEUに対するスタンスを「とっても変てこな自閉症の感じ(a very bizarre sense of autism)」と評したという。それに対して、自閉症者の母でもあるCharlotte Mooreさんの「自閉症(autism)」をdirty wordとして使うなという異論。


One in a hundred of us have autism, and it is crucial to the health and happiness of this sizeable minority that their condition is seen in the most positive possible light. Autistic strengths and idiosyncrasies need to be celebrated; this can be done without overlooking the real problems and disadvantages the condition brings. As the mother of two autistic sons, I object to much of the language used to describe it in the media. The huge increase in the number of diagnosed cases is called an "autism epidemic", as if it is a rampantly catchable disease. Indeed, I don't think autism should be described as a "disease" or an "illness" at all, as it is neither contagious nor curable. We often read of someone "suffering" from autism, and while I would never deny that suffering is – too often – part of the autistic experience, I challenge the assumption that this is inevitably so.
さらに、autism(自閉症)という用語が多様な現れ方をする複雑な状態を包括する言葉として妥当なのかどうかという疑問も;

Actually, I've never been wholly happy with "autism". To my astonishment, the portable OED I took with me to school in the 1960s defines it as "morbid self-admiration, absorption in phantasy"; my second son, Sam, has almost no sense of self – he has never looked in a mirror – and, as far as I can tell, no fantasy life either. If Sam is absorbed in anything, it is physical sensation. Whereas George, my eldest... I don't have space to elaborate on the differences between my two boys; suffice it to say that "autism", which derives from the Greek word for the self, has never seemed an accurate umbrella term for this complex condition that manifests itself in so many different ways.
たしかに、日本でも「自閉症」という言葉は(字面に影響されてか)ちょっと内向的な奴に対するお手軽な侮蔑語として用いられていたということがある。
自閉症」に関して、取り敢えずオリヴァー・サックスの「神童たち」、「火星の人類学者」(in 『火星の人類学者』)、「自閉症の芸術家」(in 『妻を帽子とまちがえた男』)をマークしておく。それから、熊谷高幸『自閉症からのメッセージ』も。
火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

妻を帽子とまちがえた男 (サックス・コレクション)

妻を帽子とまちがえた男 (サックス・コレクション)

自閉症からのメッセ-ジ (講談社現代新書)

自閉症からのメッセ-ジ (講談社現代新書)

サックスは「火星の人類学者」で、「いまのところ、自閉症に見られるさまざまな現象のすべてを説明できる仮説は見つかっていない」と述べている(p.335)。また、

自閉症は誰ひとりとして同じではない。病態や現われ方はすべてちがう。しかも、自閉症的特性とその他の個人的資質には、創造的可能性をうかがわせる不思議な相互作用があるらしい。したがって、臨床的所見のためなら一瞥すれば充分であるにしても、ほんとうに自閉症の個人を理解しようとすれば、全生涯を見つめなければ足りないだろう。(p.339)
とも。

「退廃文化」とか

宮崎留美子「向坂逸郎氏とセクシュアルマイノリティhttp://miyazakirumiko.jp/Essey041.htm


かつて黒川滋氏が


愛国心教育は、トンデモ理論で実施されている。そもそも愛国心教育を議論するときには、公教育にとって必要なのか、意味があるのか、という視点から行われるべきだろう。しかし、今日愛国心の必要性が語られているのは規範性の確立だ。コンビニの前でべた座りしている若者や所かまわず携帯電話を使う若者、子どもたちの生活態度や、いじめなどの人権侵害への特効薬のように「規範意識」という言葉を経由して必要性が語られている。愛国心が規範性につながるのか、規範性がいじめをなくすのか、そんなもんではないだろう。こんなこと言ってはなんだが、10代で日の丸と特攻服の大好きな若者が、駅前で座り込んでたばこ吸っているではないか。

かつて社会党最左派の教祖・向坂逸郎というおじいさんが、ゲイの東郷健に「君も社会主義になればゲイも直る(科学的な社会になりゲイの原因も科学的に究明されて治療ができるという意)」と暴言を吐いて問題になったが、それに近い暴論だと思う。愛国心って、売薬のようなものなのだろうか。

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2006/11/1114_5a71.html

と書いていた*1。その文献的根拠。東郷健氏の著書からの長い引用あり。また、黒川氏のエントリーを引用したときに、「こういう「暴言」は旧左翼でハードコアなスターリン主義者である向坂逸郎でなくても、取り敢えずは新左翼に属する、多分フーコーだって読んでいたであろう菅孝行も、それも1980年代になって! していたのを読んだことはある」と添え書きしたのだが、菅孝行の「暴言」は『感性からの自由を求めて』という本においてだということを思い出した。さて、宮崎さんは

社会党は、労働者の立場にたち、弱者の立場にたってものを言っていく政党であったと思っている。しかし、しょせんは人間の組織である。何十年も前のその当時、ほとんど多くの人が、侮蔑し差別していたゲイ(東郷さんの言葉でいえば"ホモ")やレズビアンに対しての見方は、社会主義者といえども偏見から自由ではありえなかった。いや、逆に、「環境が人間の思想をつくる」という唯物論機械的に適用する習性があったがゆえに、同性愛を資本主義という環境が生んだ退廃的な文化だとみなし、むしろ、攻撃の対象にすらしてしまうという過ちを犯していたともいえる。「ソビエト共産主義になれば、病気はなおる」と述べていたように、社会主義になれば、資本主義の退廃文化である同性愛は消滅すると考えていたのだろう。この点では、保守的なイデオローグより、もっと大きな過ちを犯していたといえるかもしれない。
という。また、「明治生まれで、性のことではマジョリティに属していた彼に、ゲイのことを理解してもらうのは、どだい無理だったのだと思う」とも。たしかに。だから、向坂逸郎よりも新左翼菅孝行の方にショックを覚えたのだ。
協会派がその頃所謂〈文化〉問題についてどんな言及をしていたのかわからないが、1970年代には(私見によれば)日本共産党系の「退廃文化」は溢れていた。それは私が松田政男氏などの左翼的な映画批評家の文章から左翼的言説の世界に入っていったからであろう。共産党村上龍への攻撃*2もその一環だったのだろう。
2つの問題があるように思われる。先ず、(超広い意味での)〈疎外論〉という物語の問題。歴史的或いは理念的に人類は〈お花畑〉に暮らしていたが、内的或いは外的な〈悪〉によって〈お花畑〉を追放されたが、その〈お花畑〉に帰還を果たさなければならないという物語。それは、〈追放〉の理由であり帰結である〈悪〉や〈穢れ〉を一掃しなければならないという〈お掃除史観〉に結びつく。その際、〈悪〉や〈穢れ〉と見なされたものがどのような扱いを受けるのかは想像に難くないだろう。
それから、左翼が〈ヴィクトリア朝〉的な世界観を共有しているのではないかということ。ヴィクトリア朝は一方における神経質な禁欲主義と他方におけるポルノと売春に溢れた世界という特性を有するが*3、それだけではない。酒井隆史氏などによれば、異性愛/同性愛というカテゴリーが正常/異常と重なる仕方で科学的に確立されたのはヴィクトリア朝だった。それまでは同性愛的な振る舞いは勿論あったけれど、同性愛者というステイタス(アイデンティティ)は存在しなかったのだ。
ところで、右の人たちによってプロデュースされ、ロング・ラン中の「日教組主演のB級ホラー映画」*4も基本的なプロットを、左翼的な「退廃文化」批判と共有するといえる。
以下、ランダムなメモ。
日本共産党と同性愛の抑圧に関しては、例えば井田真木子『もうひとつの青春』とか。
もうひとつの青春―同性愛者たち (文春文庫)

もうひとつの青春―同性愛者たち (文春文庫)

それから、社会主義協会の名誉のために言えば、この向坂発言に対する〈自己批判〉的な論文が『社会主義』に掲載されたという情報がある。

Untitled

長楽路と富民路の交差点。この後ろに中華人民共和国国歌の作詞者、田漢*1銅像あり。

スティングのIf on a Winter’s Nightを買う。

If on a Winter's Night (Dig)

If on a Winter's Night (Dig)

DLが上海に、その他

承前*1

上海のメディアはディズニーランドの上海誘致への中央政府の認可が下りたことで盛り上がっているようだ。『東方早報』(11月5日)は8頁を費やしている;


周文天「啊欧、演出開始了 這裏是上海迪士尼」
周文天、羅燕倩、賈霜霜「上海迪士尼:5個主題区20個景点 有太空飛碟小熊維尼」
賈霜霜「“迪士尼辦公室”低調辦公」
劉秀浩「11.9億:迪士尼獲批当日川沙A08-03地塊拍出天価」
朱楠「周辺房価短期内再度大漲幾率小」
賈霜霜「黄楼村民:十幾年了、現在就等動遷大会了」
賈霜霜「迪士尼所在地已凍結12年」
李偉、陳伊萌「逾七成市民看好迪士尼拉動上海経済」
是冬冬、劉秀浩「複製東京輝煌? 上海迪士尼将促長三角経済全面転型」


また、『ガーディアン』の報道は


Tania Branigan “Beijing approves Disneyland-style park in Shanghai” http://www.guardian.co.uk/world/2009/nov/04/china-approval-disneyland-style-park


同じ日の『東方早報』はレヴィ=ストロース(列維−斯特労斯)*2に2頁を割いている;


石剣峰、朱潔樹「在另一個時空“結構人類”」


高宣揚(哲学者)、李幼燕(記号学者)、蔡華(人類学者)のコメントを付す。

弟の小説

承前*1

馬毅達「奥巴馬弟弟出書 想帯河南妻子去北京見哥哥」『東方早報』2009年11月5日
“Obama's Half Brother Writes Novel Nairobi To Shenzhen” http://www.parapundit.com/archives/006685.html
http://www.amazon.com/Nairobi-Shenzhen-Mark-Obama-Ndesandjo/dp/1593306237


バラク・オバマの弟で中国在住のMark Ndesandjo氏が自伝小説Nairobi to Shenzhen(ナイロビから深圳へ)を刊行したという話。

franc francで買い物を!

http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20091023/1256254671


久しぶりの「フランクフルト学派*1か。先ずは「フランクフルト学派」を考えるよりも、franc franc*2にショッピングに行ったらどう? と言いたくなるのだが。
ところで、


具体的なテクストの引用がないというのもあれだけれど、アクセル・ホネットやクラウス・オッフェという第3世代は勿論のこと、長老であるハーバーマスも言及されていない。さらに、驚くべきことに、アドルノとホルクハイマーの名前もない。これは親鸞聖人に言及せずに浄土真宗を語るようなものだ。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061015/1160883587
http://www8.ocn.ne.jp/~senden97/kihonhou_13_123.htmlに対してコメントしたことがあるのだが、今回は一応「ハーバマス」という名前は出ている。俺ってもしかして、右翼的言説の質の向上に貢献しているの?
曰く、

このフランクフルト学派は戦後、GHQによって日本を席巻します。近年公開された米国の史料でCIAの前身であるOSSはフランクフルト学派の巣窟であったことがわかっています。占領政策コミンテルンの要領とは異なっており、ルカーチの理論に基づいています。OSSの史料にはマルキストの日本人学者やアジア専門家が多く名を連ねています。この人たちもGHQの占領政策にかかわり、公職追放によって空席となった大学や教育機関、研究機関、行政に潜入していきました。

 一ツ橋大学名誉教授だった都留重人氏は有名でしょう。彼は共産主義者ハーバート・ノーマンの同志です。憲法作成に関わっています。東大法学部憲法学者宮沢俊義氏もフランクフルト学派でその教えは弟子に受け継がれているでしょう。民法学者の我妻栄氏もそうです。

 「ジェンダー・フリー」「ゆとり教育」は文部省に潜入したフランクフルト学派のエリート官僚の賜物です。男女共同参画社会なんていうのも出来ましたね。男らしさ女らしさを全否定したわけです。日教組の変態教育も「古い性道徳からの脱却」というフランクフルト学派の影響を強く受けています。「憲法愛国主義」というのを聞いたことがあるでしょうか。国家観がなく憲法を最上に頂くものです。フランクフルト学派第二世代、ハーバマスによるものです。これに侵されている人の特徴は「強制」という言葉に反応することです。国歌斉唱時の起立も自由意志と叫びます。これはハーバマスのコミュニケーション論的理性という「強制なき合意」「支配なき融和」がもとになっています。

 フランクフルト学派は日本を破壊し、革命を導くというテロ的思想であり、これが日本の中枢に入り込み、教育やメディアを支配しています。このイデオロギーの洗礼をまともに浴びたのが団塊の世代です。現在が最高潮の時期となっており、現政権からもそれと匂う政策の話しが続々と出ていると思います。

確かに、加藤哲郎象徴天皇制の起源』*3が明らかにしているように、アドルノやマルクーゼといった「フランクフルト学派」な人々がOSSに関わっている。但し、彼らは主にヨーロッパ戦線(対独逸対策)に関わっていた。ハーバート・ノーマンが「フランクフルト学派」で、都留重人宮沢俊義我妻栄も「フランクフルト学派」。こうしたことどもは、参考文献として挙げられている

 「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著

 「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」中西輝政

 ワック出版「歴史通」WILL10月号別冊

   『野坂参三共産政権の誕生』田中英道

 PHP「現代思想入門」仲正昌樹 清家竜介 藤本一勇 毛利嘉孝 北田暁大

に書いてあるのだろうか。もしそうなら、この秋の文系の学会(社会学、経済学、法学、哲学、社会思想史)ではこの話題を巡って激論が交わされていると思うのだけれど、どうなんでしょうか。