ハンナ・アーレントの思考が、本当に危険だった理由はここにある。 それは、「凡庸な悪」という概念が、被告席に座る者だけでなく、裁く側にも向けられていたことだ。 アイヒマン裁判は、法の名において行われた。国家が正義を代表し、過去の犯罪を裁く。 その形式自体は、疑いようがない。 しかし、アーレントはその形式の内側を見た。 アイヒマンは、アルゼンチンで誘拐され、イスラエルへ連行された。国際法の観点から見れば、これは明確に「私刑」の要素を含んでいる。 この点を指摘することは、ナチの犯罪を相対化することではない。むしろ逆だ。 法を掲げる側が、法を超えたとき、その瞬間に思考停止の条件が整う。 ここで重要なの…