バレエ

バレエ

(アート)
ばれえ

クラシック・バレエ及び、バレエ総体を指す呼称。

  • 単に「バレエ」とのみ称した場合、クラシック・バレエを指すことが多い。

分類

バレエの中でそのジャンルの境界を示すことは難しいが、大別してクラシックバレエモダン・バレエに別れるとは言える(「クラシック─」、「モダン─」それぞれに、各ジャンルの上位概念の一つであり、かつジャンルの一つとも考えられる)
また、その中で以下のような分類もできる。

※詳細については各見出し語を参照のこと

歴史

  • ルネッサンス時代のイタリアで、ギリシアの舞踊の復興として生まれる。実際にギリシアの舞踊に似ていたわけではない。当時はまだ、宴会における、詩の朗読なども含めたバラエティ・ショーのことであり、バレエが純粋化されるには18世紀まで待たなくてはならなかった。
  • 16C前半、フィレンツェのメディチ家、カトリーヌ・ド・メディシスがフランスのアンリ2世に嫁入り。当時フランスは後進国であり、カトリーヌは料理人と舞踊手たちをつれていく。
  • 1581年、『王妃のバレエコミック』最初のバレエ公演
  • 17C、イタリア式舞台が導入され、それまでの上から見下ろす形式から、前から眺める形式へ移行。
  • 17C後半、「太陽王」ルイ14世が好んでバレエで太陽役を踊り、フランスでの繁栄の絶頂を迎える。当時は貴族が踊っていたが、ルイ14世が太ったり年齢的な問題で引退すると、踊りは廃れ、オペラが盛んになる。
  • 18C、職業舞踊家の登場。まず男性が登場し、後に女性も現れた。カマルゴの出現。
  • 18C後半、バレエ史上最も有名な理論家ノヴェールが『舞踊とバレエについての手紙』という書物の中で「バレエ・ダクシオン」を提唱。バレエはストーリーのある舞台演劇として独立する。
  • 18C末、アンシャン=レジーム崩壊。
  • 19C初頭、ロマン主義の台頭と共に、ロマンティック・バレエ創成。マリ・タリオーニがポアント技法で踊った『ラ・シルフィード』が大成功。バレエの形は今見ているものとほぼ同じに整った。
  • 19C半ば、ところが、マンネリ化によりロマン主義は急速に影を潜め、フランスのバレエは暗黒時代に入る。バレエは、アンシャン・レジーム崩壊後のヴィクトリア朝時代、台頭してきたブルジョワジーたちの娼館と化していた。
  • 19C後半、一方、当時後進国であったロシアではロマン主義の炎を絶やすことなく古典的な作品を踊り続け、クラシック・バレエを生み出す。バレエ史上最も偉大な振付家、マリウス・プティパはフランス人だが、ロシアのマリインスキー劇場で『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『海賊』などの傑作を生み出していた。
  • 19C末、しばらくすると、プティパに反抗する者も当然出てくる。振り付け家ミハイル・フォーキンもその一人であった。彼はプロデューサーにあたるセルゲイ・ディアギレフに見出され、当時のロシアにいたアンナ・パブロワやワスラフ・ニジンスキーを連れ、1909年パリにバレエを再・逆輸入した。パリの観客はバレエがこのような芸術であることに改めて気づかされ、仰天し、一大ブームとなった。その後、一団は「バレエ・リュス」となる。
  • 1929年のディアギレフの死後、バレエ団は解散するが、その中のメンバーが世界中にバレエを広めたといって過言ではない。セルジュ・リファールはパリ・オペラ座を芸術監督として再建した。ニネット・ド・ヴァロワはロンドンにバレエ団を作るが、これは後のロイヤル・バレエである。さらに、ジョージ・バランシンが渡米し、まずバレエ学校を設立。後にニューヨーク・シティ・バレエを設立することになる。
  • 20C前半、新しく生まれたバレエはドラマティック・バレエ、アブストラクト・バレエ、モダン・バレエに大別される。現在は、クラシックやコンテンポラリーと同時に、これらの作品もよく踊られ、バレエはますます多様化した。
  • 20世紀の重要なコリオグラファーとしては、ドラマティック・バレエのケネス・マクミラン、ジョン・ノイマイヤー、ローラン・プティ、アブストラクト・バレエのジョージ・バランシン、ウィリアム・フォーサイス、モダン・バレエのモーリス・ベジャール、イリ・キリアン、その他、コンテンポラリーの流れを多く汲むマッツ・エック、マシュー・ボーンなどが挙げられる。

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