律令制に基づき設置された日本の地方行政区。奈良時代から明治初期まで、日本の地理的区分の基本単位であった。律令国ともいう。俗に「旧国名」と呼ばれるもの。 廃藩置県の後、府県の整理が進んで多くの府県が1つ以上の令制国の版図を包含するようになると、従来の令制国による地方区分は府県による区分で代用できるようになった。これにより令制国は郵便の宛名などの日常的用法からは姿を消したが、正式に廃止されたことはなく、現在も
使用されることがある。
これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしています。 近所の市立図書館分館で、久しぶりに本を借りた。 「事典 日本古代の道と駅」という書籍だが、書名も著者の木下良氏のことも知らなかった。 「商業・運輸」のコーナーに場違いのように表紙布張りの装丁の立派な本が、それだけ目立っていた。 手にとって内容を見ると、律令制の頃の街道と駅が、令制国ごとに網羅されていた。 事典とはなっているが、辞書のようにあいうえお順などに並んでるわけではなく、序章で始まり、本文が、畿内・東海道・東山道とあって、終章で終わる。 …
正月に、楯縫神社にお参りした際に、置いてあったパンフレットを持ち帰った。 社殿の脇に、きれいに整理されていた。 内容がおもしろいそうだったので、10種類ほどあったのを、すべていただいてきた。 帰ってから、読んでみた。 おもしろかったパンフレット 「神社のおはなし」、「神さまと暮らす」、「神社参拝のかたち」 「氏神さまと神宮大麻」、「厄を祓う」、「お正月」 「はじめての古事記」、「はじめての日本書紀」 神社入門としては、充分であり、すべてが神社本庁の発行であった。 「神社本庁」は、「本庁」という名が官公庁ぽいが、伊勢神宮を本宗とする宗教法人で、神道系の宗教団体では最大の組織らしい。 神社広報 ま…
これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしています。 今年のNHK大河ドラマは、「鎌倉殿の13人」であり主人公は「源頼朝」かなと思っていた。 しかし、このドラマは歴史書「吾妻鏡」をベースとしてつくられていて、得宗家初代の「北条義時」が主人公として展開していくのだという。 私は、大河ドラマを見ないが、ドラマ化されるとその舞台となった時代や人物そしてゆかりの地域などが光を浴びる。 テレビなども、歴史番組だけではなく、さまざまな番組に取り上げられることになる。 大河ドラマを見ない私にとっても、いろいろと…
日本では、7世紀、律令時代に定められた60余国(令制国/旧国)が概ね現在も行政体として地理区分として継承されている。都道府県境が当時と変わっていない。つまり1,300年間、これの総体としての日本の国境も大きくは変わっていない事を意味する(例外的に周縁の蝦夷、隼人の地があるが)。これは珍しい事ではないだろうか。 世界では国境は常に変更されて来た。歴史的にそれが当たり前なのである。日本の特異性は、常に歴史の表舞台となってきた大陸の周縁のしかも島国という立地条件にもよるのかもしれない。イギリスも概ね同様である。そこでは人や物が大規模には交錯しない。 今でも日本では人々は出身地(かつての旧国、あるいは…
これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしています。 NHKの大河ドラマは、昭和38年に第一回が始まったらしい。 私は、小学校の高学年になる頃だったので、歴史好きの私は、今年は誰を描いた物語らしいというのは、知っていた。 中学生になった年は、村上元三原作の「源義経」で、主人公を尾上菊之助さんが演じた。 とても、評判良くて、マスコミでも取り上げられていた。 ところが、私は大河ドラマをまったく見ていない。 唯一の例外が、「独眼竜政宗」である。 その頃は、結婚して長男がまだ小さかったが、妻とこのドラマを…
これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしています。 青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県からなる東北地方であるが、明治維新までは陸奥国と出羽国の2国だけだった。 1869年(明治元年)、明治政府との戊辰戦争に敗れた奥羽越列藩同盟諸国に対する処分として、出羽国と陸奥国の分割が行われた。 出羽国が、羽前国と羽後国の2国に、陸奥国は磐城国、岩代国、陸前国、陸中国、陸奥国の5国になった。 陸奥国は、7世紀中頃に常陸国から分離して成立した。 出羽国は、8世紀初めに越後国と陸奥国から分離して…
これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしています。 先日、図書館について調べていて、柏市と松戸市の図書館数が多い、ということに気がついた。 柏市が18館、松戸市が22館だったが、もちろん近隣の流山市、野田市、我孫子市、鎌ヶ谷市に比べて、柏市、松戸市の人口は2倍からそれ以上あるので、簡単に館数を比べることはできない。 柏市について言えば、本館、こども図書館の他に、田中、南部、永楽台、光ヶ丘、高田、新田原、藤心、高柳、豊四季台、西原、布施、増尾、新富、根戸、松葉、沼南の分館がある。 地理的なバランス…
これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしています。 時代劇の映画やテレビドラマを観ていて、ずっと不思議に思っていたことがあった。 大名や旗本が登場するときの「名乗り」である。 「○□の守」とか「△◎の介」というやつである。 ○□や△◎のところに、令制国名が入る。 どう考えても、その国名とはまったく関係なさそうな人物が名乗るのだ。 守や介は、律令制度の国司の職名である。 守は任地に赴任しない遙任が多く、介が実質的な長官だったらしい。 任地の国府にある国衙で勤務するべきものだったのだが、室町時代には…
これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしています。 このところ、安房国、上総国、下総国という千葉県のことや、武蔵国のことを調べていた。 関東の他の国についても、気になってくる。 相模国や上毛野国、下毛野国、そして、私にとってはとても身近な地域である常陸国が気になってきた。 そこで、常陸国について調べてみた。 調べれば、調べるほど、面白いことがわかってくる。 それは、私が日本史について教科書の知識くらいしか、持っていないからである。 特に、令制国が登場する律令制度の時代については、ほんとに知識が少…
これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしています。 現在、東京都と千葉県の境は、江戸川である。 江戸川は、茨城県猿島郡五霞町と千葉県野田市の付近にある関宿分岐点で利根川から分かれて、千葉県と埼玉県、東京都との境を南下している。 千葉県市川市付近で、本流である江戸川と旧流路である旧江戸川に分かれる。 千葉県と東京都の境は、旧江戸川であり、江戸川と旧江戸川に挟まれた地域は、千葉県であり、浦安市と市川市の一部である。 江戸川が、武蔵国と下総国の境とされたのは、1683年(天和3年)といわれるが、寛永年…
龍飛岬から津軽海峡、北海道を望む ◎斜陽館~太宰治の生家を訪ねる とても個人の家とは思えない大きさ 五所川原市金木(かなぎ)町にある太宰治(津島修治、1909~48)の生家である『斜陽館』を訪ねた。金木町は何度も通過しているが、この大きな屋敷を見学に出かけたのは今回が初めてである。 敷地680坪、1階は278坪で11室、2階は116坪で8室ある。青森ヒバで造られたこの屋敷の建築費は当時のお金で4万円。その頃の公務員の初任給が50円だったので、800倍もの費用が掛かっている。仮に現在の公務員の初任給が20万円とすれば、1億6000万円になる。まさしく豪邸である。 これは父親の津島源右衛門(衆議院…
文字霊日記・3379日目 人物の「氏名」の相似(字)からの・・・ボクの「?」 「蘇我」と「蘇 茂」 ・・・「蘇 因高」・・・素韻交(考)? 小野妹子・・・蘇定方=唐の将軍 白村江の戦い 天智二年八月二十七~二十八 (663年10月4~5日) 白村江(錦江河口付近) ↓↑ ↓↑ 唐・高宗・則天武后+新羅・善徳女王・金春秋 vs 皇極・斉明+天智+加羅(任那)+百済・扶餘豊 藤原鎌足(中臣鎌子)⇔長冨(富)=那加登美 阿倍比羅夫⇔阿毎王朝 (熊本・菊地・規矩智?) 倭・百済遺民勢力・耽羅(済州島)⇔とら? 寅=とら=虎=天武天皇=大海王子? 耽牟羅(たむら)=屯羅(とんら)とも表記 ↓↑ ↓↑ 6…
(草加市在住時の思い出を、記しています) 【広告】【宣伝】【PR】 ※ 依頼は受けていませんが、広告と取られ得る内容が含まれるため、法律により表示します。 旅行は元々好きで、今までも帰省旅行とかで、随分縁がありました。 でも、まだ契約社員の身分。 そう規模の大きい旅行は、何度も出来ません。 ただ、こんな裏技が… 「親を巻き込む」 これなら、負担は少なくて済みます! 一人では行きにくいアクティビティも、組み込めますね! ただし、親とシェアするわけですから、親が喜びそうなテーマにする必要があります。 今回は、木曽路! 父は歩くのが好きですし、歴史に興味がある人なので、街道を歩く旅をセットすれば、乗…
☆◆ 今日のつぶやき・覚え書き・ ☆◆ 今日は(2023年・令和5年)神無月(かんなづき)10月2日(月曜日)先勝です。・・・・ 奈良(北部)の天気予報・ ・ 晴 ・・ 27℃・16℃・・夏日・・ (^^)今日も お立ち寄り 下さいまして 感謝します(^^) 今日は何の日。 お話しのネタ があれば幸いです。 (^^) ☆◆ ~今日は何の日~ ☆◆ ☆◆ 10月02日 スヌーピーの日 ( 記念日) 1950年(昭和25年)のこの日、チャールズ・モンロー・シュルツ(1922~2000年)作の漫画『ピーナッツ』がアメリカの新聞7紙で掲載を開始した。 作品の主人公チャーリー・ブラウン少年の飼い犬がスヌ…
<!-- more --> トカラ列島とは? トカラ列島は、日本の南西諸島の一部で、鹿児島県に属する島嶼群です。この列島は行政上、鹿児島県鹿児島郡十島村に所属しており、気象情報では奄美地方の一部(北部)として扱われています。 地名の由来については諸説あり、「トハラ」や「タカラ」などが挙げられています。かつては七島や川辺七島、宝七島とも呼ばれていました。明治期以前には薩摩国川辺郡に属しており、十島という名称で知られていました。 1884年には地理沿革をまとめた『川辺郡七島問答』が発表され、1897年には大隅国大島郡に編入されました。1908年には島嶼町村制が導入され、十島村として組織されました。…
久々に、令制国シリーズを進めます! 伯耆国から、船で! 隠岐汽船のレインボージェット。 境港から出港します。 行き先は隠州、隠岐国です。 隠岐国は、隠岐の島と周辺の島。 島だけで、一国です。 かつては後醍醐天皇など、政争に敗れた者が、流されたりしましたね。 歴史の島であり、自然豊かな島でもあります。 かつて、隠岐への航路は、その先の七類港が定番でした。 最近になって、島根半島を回り込んで、境港にも入るように。 特に、県外からのアクセスが向上しました。 七類港は、境港から1時間以上、バスに乗らないといけませんしね。 境港を12時発なら、朝早い米子行きの飛行機で、十分乗船出来ます。 境港港って、長…
まずはこちらの地図を見ていただきたい。 律令制における令制国の区分けである。現在の感覚からするとおかしな区分けとするしかない。現在の県名で言うと茨城県と三重県が、青森県と滋賀県が同じ区分けである一方で、茨城県と栃木県が、岐阜県と愛知県が、広島県と島根県が別の区分けである。現在の感覚からすると不合理とするしかない。 なぜこのような区分けにしたのか? 次にこの地図を見ていただきたい。 平安時代の道路網である。これを見ると日本の道路が京都から放射状に伸びていることがわかると一方、地域間の道路のつながりが弱いように見える。茨城県と栃木県、岐阜県と愛知県、広島県と島根県がつながっていない。 当時の記録を…
「かすむこまかた」は、天明6年(1786年)正月から2月にかけての日記である。 菅江真澄は、陸奥国仙台領胆沢郡前沢駒形で正月を迎えている。 天明3年春に、故郷の三河を離れて旅に出た菅江真澄にとっては、旅の途上の三回目の正月である。 天明4年は、信濃国東筑摩郡洗馬に滞在して、初めての正月を迎えた。 そして、翌年天明5年は、出羽国雄勝郡柳田で、二回目の正月を迎えている。 いずれも、正月の頃は同じところに長期滞在をしていたようである。 冬季の移動は、避けるようにしていたのだろうか。 駒形では、村上良知宅に居留していて、そこから中尊寺や毛越寺を何度か訪ねている。 中尊寺、毛越寺は、円仁によって創建され…
さて、今日はお楽しみが! 会場は、「陣太鼓」! 今日は午前中に、松原団地に立ち寄る機会があったので、下見を。 「近いのに、下見??」と思われるかも知れませんが、実は何ヶ月か前、閉店の噂があって。 一応、先々月に利用はしてますが、心配になりましてね。 元気に、営業してましたよ♪ 噂は、デマだったようです。 何たって、草加で「なくしてはいけない店」の、筆頭だと思ってますからね! TTさん、いらっしゃいました! カンパーイ! 正式に、ブログ登場の許可をいただきました♪ ありがとうございます♪ TTさんもこの店は気になっていたそうですが、僕のTwitterの記事がきっかけで、この前、訪問したそうで。 …
壱岐対馬に行って来たので、前回の壱岐に続いて今回は対馬の歴史と旅の備忘録をまとめてみた。対馬といえば、コミックス『アンゴルモア 元寇合戦記』やゲーム「GOAST OF TSUSHIMA」で注目のスポットじゃな。 対馬やまねこ空港
壱岐に行きましたーと、ダジャレなどかましてみたが…過日、所用で壱岐・対馬に行ってきたので、その歴史について調べてみた。壱岐・対馬といえば「国生み伝説」の島で、「壱岐守」「対馬守」なんて官職もあるわけじゃが、今ではどちらも長崎県に属しておる。今回はまずは壱岐の歴史について旅の備忘録も兼ねてまとめておくぞ。 九州郵船ヴィーナス2(壱岐 芦辺)
8日間に及んだ東北方面の登山の最終日となります。内容的にはほぼ移動日となりましたが、前日の間に少しだけ移動しておいたお陰で途中での観光をする時間的余裕が生まれました。今回は村上から南下した所にある胎内市の中条からレンタサイクルを利用し、重要文化財にも指定されている乙宝寺の三重塔を始めとした市内の散策を楽しみました。
日本における文字と言葉の成立過程を記す。・古墳時代以前・4世紀以降・7世紀半ば~・8世紀:古事記、日本書紀・9世紀初め(平安時代)※一部通説でない情報を含む。■古墳時代以前倭において「やまと言葉」が話されていたと考えられる。しかし全国統一的な言葉ではなかった。文字もはまだ成立していない段階と推測される。 ■4世紀以降漢字が日本に入ってくる。例えば、57年m中国の漢から倭の奴国王が金印を授かる。これに漢字が彫られている。また卑弥呼が魏に遣いを送った239年頃では何らか文字も使ったであろうか。上表文が確実に残るのは倭の五王、武の遣使、5世紀から。ただそれらは特殊な役割の人物に限られる。本格的には王…
序文・正に下剋上 堀口尚次 守護大名は、軍事・警察権能だけでなく、経済的権能をも獲得し、一国内に領域的・一円的な支配を強化していった室町時代の守護を表す日本史上の概念。守護大名による領国支配の体制を守護領国制という。15世紀後期 - 16世紀初頭ごろに一部は戦国大名となり、一部は没落していった。 応仁の乱の前後から、守護大名同士の紛争が目立って増加した。それに歩調を合わせるように、国人層の独立志向〈国人一揆など〉が顕著に現れるようになった。これらの動きは、一方では守護大名の権威の低下を招いたが、また一方で守護大名による国人への支配強化へとつながっていった。そして、明応2年の明応の政変前後を契機…