建武の新政の後、西暦1338年に足利尊氏が開いた幕府。南北朝時代、戦国時代と重なっており少々ややこしい。
ちなみに、この名は3代将軍・足利義満が京都の室町に御所を開いたことにちなんでいる。
尊氏が征夷大将軍となった時点では各地で北朝方、南朝方に分かれて争っている状況であり、承久の乱以前の鎌倉幕府のように日本全国を統括しきれてはいなかった。
三代将軍・足利義満の代に南北朝合一が実現し室町幕府の最盛期を迎える。
半済令の影響で守護が守護大名と呼ばれるほど力を持ち、室町幕府将軍単独の政権というよりは守護大名同士の連立政権のようなものであった。室町時代は戦国時代に入る前から何度も幕府が有力武士を討伐する戦が起こっている(明徳の乱、永享の乱など)。
六代将軍・足利義教の暗殺(嘉吉の乱)によって将軍の権威は大いに揺らぎ、八代将軍・足利義政の跡継ぎを巡る争い(応仁の乱)が起きると地に落ち、ついに戦国時代を迎える。ただし関東の戦国時代到来はさらに早く、鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉氏の争い(享徳の乱)以降とされる。
ちなみに、室町幕府の滅亡は織田信長の邪魔になった十五代将軍・足利義昭が京を追い出された西暦1573年となる。