思えばこれまで「無駄に多くのことを感じないように」自分に蓋をしていた。蓋って何の?『感受性』。これが一番、表現として合っていると思う。「こういう風に感じるのはきっと私だけだろう。だからこの感覚は手放さなければ。」私の感覚はきっと、大多数と違っている。私は少数派で、私の感覚の方が間違っている。そう思っていた。周りに溶け込んで生きていくために『感じること』の大部分を捨てた。ふと湧いた感覚をスッと瞬間的に捨てる。だって、傷つきたくないから。民主主義は多数決。大多数の方が正しいという空気感がある。『みんなと同じ感覚』を持っていないと排除される。否定される。 そうしていたらどんどん鈍感になっていって感動…